12月26日 ― 2008/12/27 00:44
本日が2008年最後の書き込みになると思われる。明日は単なる準備の予定だけど、明後日以降はタイヘンだからねえ。可能ならばコミケその他報告記をお届けするつもりだけど、期待しないで下さい。
ちなみに、コミケの予定はまだ確定していない。最終調整は1日目朝に行われる予定だ。もっとも、「ドコに行って何を買うのか」はほぼ確定したので、基本的には微調整に属する部分の話だけどね。とはいえ、買う順番も大事なんだよ。行列の長さと消化速度・売り切れ警戒度・時間的余裕を過去の傾向からうまく読んで組み合わせないと、タイヘンなことになるからねえ。ブツブツ…
本日の話題は、2008年最終更新ってコトと無関係に、「江戸時代の大名廃絶」を語る。前々から書こうと思っていたネタなので。なお、一応は戦国時代と関連性が深いと判断したので、この色で。
何でこんなコト書こうと思ったのか?キッカケは南條範夫「大名廃絶録」(文春文庫)を読んだから。この本、「廃絶された大名家」について書いていて、資料としても読み物としてもなかなか面白い。でも、なんというか…「ツッコミが甘いかな」って部分もあると思う(読み物としての面白さ優先だから、ある意味当然だけど)ので、私なりに大名廃絶を語ってみようかと。
「大名廃絶録」には、「(徳川幕府が)これと狙ったら、必ず何らかの理由は見つけ出し得たであろう」とあり、「幕府の長い手」を強調するような書き方をしている。確かに、福島政則・加藤忠広(加藤清正の息子)なんかは「本当に滅ぼすだけの理由か?」ってな理屈でヤラれているから、目を付けられたらアウトだという論調もわかる気はする。でも、よーく考えると、これはオカシイ。
どこがオカシイのか?考えてみて欲しい、じゃあ何で毛利家も島津家も生き延びたんだ?毛利や島津なんて、どう考えても「幕府から見て油断のならない家」筆頭でしょ。にもかかわらず、幕末まで生き延びている。あげく倒幕される有様だ。徳川慶喜が「家光公あたりが滅ぼしておいてくれれば…」と文句を言っても、不思議はなさそうだ。
この点が気になったので、ザックリ調べてみた。すると、面白いことがわかる。滅ぼされた外様大名って、「豊臣家譜代」の連中が多いのだ。関ヶ原の時に西軍に付いた(少なくとも当初は)連中のうち、豊臣家にとっても「外様」だった大名家、すなわち上杉・佐竹・島津・長宗我部・鍋島・毛利といった連中は、ほとんど生き残っている。関ヶ原直後に長宗我部家が廃絶されているけど、これは「西軍に付いたから」だけではなく、お家騒動絡みでもある。
反対に東軍に付いた「豊臣家にとって外様」って大名はどうか?伊達家は生き延びた。でも、最上家と里見家が廃絶されている。これだけで「豊臣にとっても徳川にとっても外様なら、西軍に付いた方が安全だった」とまでは言えないだろうけど…ただまあ、「お目こぼし」が期待できなかったのは事実かも。
ちなみに、「関ヶ原で東軍に付いた、豊臣譜代の連中」はボロボロである。一部大名家は「譜代同然」として厚遇された(黒田家や藤堂家)らしいけどね。なお、「関ヶ原で西軍に付いた、豊臣家譜代の連中」なる大名家は、ほとんどが関ヶ原直後に滅ぼされた。当たり前だろう。
何で「豊臣家にとっても徳川家にとっても外様」って大名家は生き延びたのか?こういう大名家が、「徳川家の敵じゃなかったから」とは言い難い。少なくとも毛利家は「徳川幕府には恨みがある」と言い続けたことになっている(多少脚色入りだと思うけど)わけで。家ごとに温度差はあったとはいえ、基本的には「徳川家の敵」として認識されていたと思われる。すると、「滅ぼしたくても滅ぼせなかったのか、それとも、あえて滅ぼさなかったのか」という疑問が湧いてくる。まあ、どちらなのかという証拠はないわけだけど。
滅ぼせなかった理由として考えられるのは、「戦をしたくなかったから」だろう。確かに、いくら毛利や島津と言えども、幕府の威信が低下してない江戸初期~中期において、幕府軍と戦えば勝ち目はない。幕府が廃絶を命じた大名家も、ことごとく抵抗を諦めている。赤穂浪士の話に出てくるように、「一戦すべきでは」って意見はあったようだけど。
ただ、毛利家や島津家ともなれば、「かなわぬまでも、せめて一太刀」などと言いそうである。かなり古くから続いている家だけに、家臣との結びつきは強固だし。大半が路頭に迷った経験のない家柄だろうから、「この期に及んで無職かよ!」ともなれば、ダメモトで暴れたくもなるでしょ。下手をすれば、こっそり「徳川幕府が攻めてきたら」って具体的対策を練っている可能性すらある。
幕府にしてみれば、勝って当然の戦いではある。しかし、だからこそやりにくいでしょ。攻め手の統制がとれないのはほぼ確実。島原の乱がいい例だ。勝った後の恩賞って問題も生じる。幕府としてみれば、「滅ぼしたいんだけど、どーにもデメリットが気になって…」ってな話になっても不思議はない。
あえて滅ぼさなかった可能性もある。調子に乗って外様大名を片っ端から滅ぼしてしまうと、それはそれで問題が生じるからだ。そんなコトをすれば、将軍本家と親藩の対立が激化しかねない。「共通の敵」がいなくなったら、身内の激しい争いが起きても不思議はないからね。なまじ徳川の血を引く連中だけに、本格的に割れたら外様より始末に負えない。外敵がいたからこそ、松平忠輝や忠直、徳川忠長らも大人しく廃絶を受け入れたって話はありそうだ。
これに対し、豊臣家譜代の連中は…やっぱり、「滅ぼしやすい」何かがあったんだろうな。大名になって歴史の浅い連中が中心なので、当然家臣も新参者中心だ。そうなりゃ、「お家滅亡の危機」などと言われても、「じゃあ他家に仕えるよ」って言いやすいだろうし。徳川幕府に対する忠誠心も怪しい。たとえ豊臣家が無くなっても、何かしら「担ぎ上げるに足る存在」を見つけたら、ソッチに乗り換えかねない連中だからね。
まあ実際には、色々と複雑な事情が絡んだ結果として「廃絶・存続」が決定されたのは間違いないんだけど、全体の傾向から見て、「外様大名のうち、豊臣譜代は容赦しない、豊臣外様は大目に見る」ってな思惑があったのでは。少なくとも、そういう思惑があったのかも…って仮説に従って、細かく調べてみる価値はあるんじゃないかなあ。
ちなみにこの仮説、たとえば関ヶ原の戦いを「どちらに誰が加わるのか」から決めるゲーム(EP/SS「関ヶ原」より前の段階、すなわち大半の大名家がドッチにつくのかハッキリしない段階からゲームにする)をデザインする場合、考慮すると面白いかもね。つまりだ。西軍は福島や池田といった「豊臣譜代の連中」よりも伊達・最上といった「豊臣家外様」の方が引き込みやすく、徳川家も毛利や上杉より、宇喜多(名目上はともかく、豊臣譜代に近い)や大谷!といった豊臣譜代の方が味方にしやすい…ってな具合に。もちろん、戦いが始まった後に裏切るかどうかはまた別問題。シミュレーションゲームとしてはともかく、もっとライトなゲームとしてはアリだと思うんだけど。
まあこの仮説、まだまだ検証が甘くて使い物にならないとは思うけど、興味があるなら検証してみてもいいんじゃない?私はこの答えである程度納得できたので、ここで調査やめるつもりだけど。更に言うなら、関ヶ原をテーマとしたゲームデザインに乗り出す気もない。悪しからず(苦笑)。
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