6月11日2015/06/11 22:52

 やること山積みなのに、体調不良。単に「眠くなるのが凄く早くなった」だけではあるけれど。実を言えば、例年この時期はこーなる。体が気候の変化に追いついていないんだな。まいった。
 
 本日のネタは軽く。先日再版された「関東制圧」(GJ55号)の地図について。旧版の「ミスだと思うんだけどな」って部分をそのまんまにしてくれたので。
 
 私がミスだと考えるのは、荒川の流れ方。多分相当オカシイ…というより、江戸時代以降の流れになってしまっていると思う。私は埼玉県民なので、エポック版を初めて見た時から気がついていたんだけどね。
 
 今の荒川がどーなっているのかは、地図を見て欲しい。ぶっちゃけ、江戸周辺の下流域を除き、「関東制圧」の位置とあまり変わらない。けど、これはオカシーのだ。そうなったのは江戸時代に大規模な河川改修やらかして以降のことだから。元々どの辺を流れていたのかは、ごく簡単にわかる。埼玉県内には「元荒川」って川があるから。
 
 江戸幕府が出来る前、荒川は今の元荒川と似たような位置(当時の河川だ、細かい位置は異なる…どころか、氾濫する度に流れが変わっていた可能性すら高い)を流れていて、今の古利根川の辺りを流れていた利根川と合流して江戸湾(東京湾)に流れていた…ってのは、今だとウィキペディアレベルで入手できる知識である。「関東制圧」では、利根川については流石に江戸湾に流れているんだけど、荒川は江戸期以降のモノ。ちなみに、隅田川と荒川がどうこう…ってのは明治期の改修である。
 
 その結果、どんな影響があるのか?最も影響の大きそうなのは、岩槻城(GJ版だとヘクス3025)周辺だな。この辺で荒川は岩槻城より西にある河越城寄りを流れているけれど、元荒川は岩槻城の東側を流れている。つまり、当時は荒川という大河川が岩槻城のすぐ東側を流れていた、とするべきではないかと。なお、もっとヤヤコシイことに更に昔は今の綾瀬川(岩槻城のすぐ西辺りを流れる)が荒川本流だったらしいんだけど、戦国時代(具体的にいつの話なのやら)の改修で今の元荒川の辺りを流れるようになったらしい。なお、この当時河越城の東側を流れていたのは入間川だ。これが「関東制圧」の地図に掲載する価値があるほどの大河川であったかどうかは、私の知識では何とも。
 
 ちなみにだ。「関東制圧」ってゲームにおいて、河川はそんなに影響力の大きい地形ではない。防御力が倍になったりしないし。ぶっちゃけ、かなりどーでもいい。少なくとも、この「間違い」がゲームに与える影響は小さいと思われる。ゲームの価値に与える影響は「ゼロじゃないかな」程度だと、私は思う。
 
 ただ、戦国時代以前のゲームをデザインしようと考えている方々には、「江戸期以降の河川改修をナメてはイケナイ」と言っておきたい。日本にはたくさんの河川があるけれど、そのほとんどが主に江戸期以降に何らかの「手」が入っていると考えて良い。氾濫を防ぐための護岸改修も含めて考えた場合、少なくとも本州を流れる河川は残らず「人工的な水路」呼ばわりしてもいいくらいだ。つまり、今の河川をいくら眺めても、戦国時代にどーだったか、を知る手段にはならない。少なくとも郷土史くらいは調べるべきだと思う。
 
 ついでに言えば、私がSS版「関ヶ原」をプレイしない理由の1つに、この河川の扱いがある。私は「当時の河川敷なんて、どー考えても湿地よりはマシ程度」と考え、川の流れに従うように移動する場合でも、川を横断する場合と同じ移動コストを支払うのが当然だと考えていた。再版の際に交わされた議論には参加してないので、それが妥当なコトかどうかは全く知らない。ただ、結果としてSS版関ヶ原は別の解釈を採用している。そのため、昔覚えた戦術が全く使い物にならん。ソコから覚えるとなると、イチから覚えるのとあまり変わらない。いずれそうしようとは思っているけれど、つい後回しにしたくなる程度には複雑なゲームだよね。
 
 実のところ、戦国時代というのは「よくわかってない」コトが多いと思う。江戸時代に色々変わってしまったのに、色んなタテマエでは「戦国時代と同じ」(としないと、武士が威張っている理由が薄くなる)としているからなあ。現代の時代小説に出てくる「江戸時代」がファンタジー世界並みに江戸時代とかけ離れていると思われるのと同様、江戸時代の人間が考える「戦国時代」もファンタジーなんじゃねえか?ってくらいだ。まあ、この辺を否定しちゃうと「戦国時代のイメージ」からしてグチャグチャになっちゃうので、難しいとは思うけど。
 
 繰り返しになるけれど、「関東制圧」の河川は影響力が少ない地形なので、この話はどーでもいい。全体としては面白いゲームだと思うので、気にせずプレイしてみるとイイと思う。今回はオチなし。そんなもの考えているヒマがない。もう眠い…