2月9日2015/02/10 00:18

 一部関係者?には先月18日に「(2015年通常カレンダーの)購入は今日で打ち止め」と宣言していたけれど、すまん、そりゃあ嘘だった…諸般の事情(寝坊とも言う)によりコミケで買い逃した大物2つがサンクリで入手できちゃったので…なお、スクールカレンダーも入手した。うん、色々駄目だオレ。
 
 日曜は、まずは池袋へ。目的はサンクリ。お目当てのサークルいくつか巡っただけで、さっさと立ち去る。ま、「どーせ新刊は売り切れ」ってな理由でスルーしようとした大手サークルにカレンダーを見つけ、ゲットしてるけど。私に付属している「カレンダー探知機」は優秀だなあ(笑)。
 
 その後は東池袋駅まで歩き、新木場経由で海浜幕張へ。ワンフェスに参加するためである一応「同人ゲームがあるかどうか監視する対象」に含めていたので。ただ、結論を言えば今回はソレっぽいモノ無し。「ゲームを扱っているはず」ってな出展者は確認したんだけど、置いてなかった。やはりワンフェスの参加者にはウケないと判断されたようだ。よって、「監視対象」からは外す。ただ、今後も多分顔は出す。
 
 私はなるべく立体造形物には手を出さないようにしているので、ヘンなもの(メモ帳と扇子)を入手しただけで買い物終了。1つ買い出すと止まらなくなるのがミエミエだからなあ。飾る場所ないってーの。ただ、眺めているだけで楽しいのは事実。いわゆる「萌え」系だけでなく、「燃え」系も含めて。むしろ燃え系の方がカンドーするかなあ。特に、超小型ラジコン戦車は危うくゲットしそうになった。他にも色々眺めていて飽きない。
 
 ま、ワンフェスのレビューなんてネットに写真付きで山ほど転がっている。詳しくはその辺を参考にして下さい。ここでは、私の専門であるゲームに関連した話をしてお茶を濁しておこう。ワンフェスに出入りしている、あるいは行ってみたいと思っているウォーゲーマーって、どれぐらいいるんだろ?
 
 前述したワンフェスのレビューサイトの大半は「萌えフィギュア」中心に紹介している。それゆえ時々誤解されるんだけど、ワンフェスは別にそれだけのイベントじゃない。硬派なメカミリが好き、ってな人間にも用があるイベントだと思う。そーゆー人間なら必ず行く、とかいうモノじゃないとしてもだ。
 
 そんでもって、ウォーゲーマーの中のそれなりの割合が「入り口はミリタリースケールモデル」だと公言している。昔は戦車・戦闘機・艦船その他のプラモデル作っていて、それをキッカケとしてゲーマーになったと。まあ、昔々は模型雑誌にウォーゲーム情報が載っていたワケだから、これはこれで納得がいく話ではある。
 
 ということはだ。ゲーム関連のアイテムがゼロだったとしても、「ワンフェスは顔出すようにしています」「行った事無いけれど、一度行ってみたい」なんてゲーマーがいても不思議はない…んだけど、案外そーゆー話は聞かないような。
 
 まあ、複数の趣味に各種リソース(時間とかカネとか)を割く余裕なんてねえ!って人は(ゲーマーに限らず)数多くいるわけで、ウォーゲームをメインの趣味にしている以上、他の事に手は出せない…ってな人間が多いのかも知れない。
 
 それにしてもだ。年に何回か、良くできた作例を見に行くぐらいなら…と思うんだけどなあ。私個人の見解としては、「昔ならいざ知らず、今となっては模型制作とウォーゲームの親和性は低い」と思っている。現役で模型作っているゲーマーが少ないし、この方面での「勧誘」は実績聞かないし。ただ、理論的な裏付けは皆無。この辺、露骨にアプローチの違いを実感させられた「歴史好きとウォーゲームの親和性の低さ」とは意味合いが違う。あくまで仮の結論であって、反証が示される余地は大いにあると思う。示して欲しいくらいだ。
 
 私個人は昔々にちょろっとプラモデル作ったぐらいで、この方面には詳しくない。ウォーゲーム業界には私よりもずっとマシなモデラーがゴロゴロしているハズなので、もっときちんとした形で「モデラーとゲーマーの親和性は高いのか低いのか」を論じてもらいたい気はする。
 
 つーわけで、サンクリ戦利品の整理が忙しいので本日はココまで。くそう、いくら小さいとはいえ、このカレンダードコに飾るんだ…もうそんな隙間はないんですけど。ええと、ココを詰めてココを片付けて…

3月24日2011/03/25 01:07

 「雪風」はいい…と言っても日本海軍の駆逐艦でも、それをモチーフとした貧乳ギャルのことでもなく、フェアリイ空軍特殊戦第五飛行戦隊所属機の方。由来はやっぱり駆逐艦だけど。第三部「アンブロークン アロー」が文庫化されたのさ。このシリーズ読むと、ボード空戦ゲームがやりたくなるんだよな。
 
 再開最初のネタは、クソゲーの話。去年の「クソゲーオブザイヤー」が決定したので、いずれ私なりにまとめようと思っていたので。
 
 詳細はコチラ(据置機版)とコチラ(携帯機版)を見ていただくとして、2010年のクソゲーオブザイヤーは据置機が「ラストリベリオン」ってRPG、携帯機は「ハローキティといっしょ! ブロッククラッシュ123!!」に決定した。デジタルゲームはほとんどプレイしない私はどちらも遊んだこと無いけれど、話を聞く限りでは「スゴい」らしい。まあ、毎年そうだけど。
 
 私はアナログゲーマーなので、「アナログゲームで言えばどんなコトになっていて、それを避けるにはどーすればいいのか」ってな部分に主な関心がある。極端な話、「バグだらけで話にならん」系のクソは「意味不明なルールブックを作らないようにしましょう」という一言に集約されちゃうので、よほどブッ飛んで面白いモノでもない限りは「あっそ」で片付けることになる。その点、今年の受賞作はそーゆー方向のクソじゃないので、参考になったと言えそうだ。
 
 据置機の「ラストリベリオン」は、「細かいダメを積み重ねたクソ」とされている。個別に見てゆくと「それぐらいだったら…」ってレベルなんだけど、丹念に?いくつも積み重ねた結果、とてつもないモノに化けたと。
 
 あくまで私個人の想像だけど、アナログゲームで言えばデザイナーにあたる奴(プロデューサーか?)がアタマで考えた時点では、もっと「上手く動く」はずだったのだと思う。ところが、諸般の事情(ある程度想像は付くけれど、ここでは省略)により練り込み不足のまま投入され、アラを隠すため強引に調整した結果、こうなったんじゃないかなあ。
 
 私が思うに、「システムの根幹部分に練り込み不足が見つかっている」ゲームの場合、まずはそこをじっくり煮詰める必要があると思う。そうじゃないと、「デザイナーが意図してない」ゲームに化けちゃう可能性すらあるからなあ。骨組みがしっかりしていれば、枝葉はいくらでも調整できる。特にアナログゲームでは。でも、骨組みがグラグラなのに小手先の調整で逃げようとすると、結局はグダグダな作品にしかならないのでは。
 
 問題は、上手く動かない理由が「システムの根幹部分にあるのか、それともさほど深刻でない部分にあるのか」見分けるのはタイヘンだって部分にあるんだけど…とりあえず、「武田騎馬軍団」は根幹部分に練り込み不足がある気がするんですけど。「釣り野伏」問題がソコから生じていて、この手が知られてしまうとグダグダになるって提唱は何度も出しているんだけどなあ。ブツブツ…
 
 閑話休題。もう1つの方も紹介しておこう。「ハローキティ~」の方は、問題点は難易度である。難しすぎるのだ。「かなりの技量を磨いた上で、運が相当良くないと」クリア不能ってレベルらしい。そりゃあね、ある程度は「どーしよーもありません」って局面があってもイイと思う。けれど、毎回毎回そればかり…ってのは、どうかと。携帯機はライバルも強力だったんだけど、結局はこのゲームの「どうしようもありません」感が評価されて受賞になった様子。
 
 このゲームから得られる教訓は、「『難易度高くてもイイ』って意見には、明らかに限界がある」ってことかなあ。マップ広げる場所という物理的制約、土日フルに使っても終わらないゲームはプレイしにくいという時間的制約は、ベテラン勢にとってさえも侮れない。ましてや「ルールブックに使われている専門用語に馴染みがないので、読解すら困難」ってレベルの人間に「興味さえあれば、難しくても大丈夫なはず」というのは、程度問題を考慮して考えるべきでは?
 
 私が言っているのはあくまで「程度問題」なので、「難易度が高すぎるゲームは死滅すべし」と言っているワケじゃない。ただ、難易度が高いと投げ出す奴はいるわけで、そんな奴を「根性無しはいらん」だけで片付けていてばかりでは、代償もデッカイから覚悟しなってことだ。
 
 以前にちょっと書いたけれど、デジタルゲームの良作をアナログゲームが模倣する(良い意味で)のは難しい点も多いけれど、クソゲーがクソな要因はアナログゲームにも当てはまることが多い。その意味では、他ジャンルのクソゲーを軽く眺めてみることにも、一定の意味はあると思うな。「クソゲーなんてプレイしているヒマはない」って意見にも一理はあるけれど、それもまた「良作を深く理解する手段の1つ」だと考えれば、ある種の人々(研究家とか)には必要なんじゃないかなあ。
 
 私はモノグサなので、クソゲーをいちいちプレイする気にはなれない(苦笑)。その代わりとして、「これこれこうだから、このゲームはクソだ!」って意見はなるべく聞くようにしている。たまに賛同できない意見も見るけれど、おおむね参考にはなるからね。とはいえ、他の方にオススメできるようなシュミじゃないです。
 
 え?じゃあ何でこんなトコロでクソゲーの話なんかしているのかって?だって、良いネタがないんだもの!心に潤いがないと、こんなモノぐらいしかネタに出来ないのさ。

2月14日2011/02/15 00:28

 本日は諸般の事情により、少し湿っぽい話を。渋谷区にある大向区民会館が、ついに閉鎖されるという話を聞いたので、この施設に関する話なんぞ語ってみましょ。ここは私の「大切なナワバリ」だったのさ…
 
 渋谷駅のハチ公口に出ると、目の前にスクランブル交差点がある。ここを渡ってセンター街に行き、そのままずっと直進すると、T字路に突き当たる。ここを右折し、すぐ前にある四つ辻を左折。車1台程度の幅しかない道なので、曲がり損ねに注意。そのまま少し進むと、外階段の付いた建物が右側に見えてくる。これが大向区民会館。私は駅から徒歩5分と勘定していたけれど、公式には10分となっている。
 
 建物の入り口は外階段を上がったところ。左手ある閉鎖された出張所跡を無視し、階段を上る。すると、敬老館(お年寄りが利用する施設らしい)および区民会館の受付が目に入る。受付に用がある会場責任者以外であれば、そのまま更に階段を上る。すると、会議室2つ・和室2つの区民会館に到着だ。
 
 会議室および和室は2つずつあることになっているけど、どちらも簡単な間仕切りで分けられているだけなので、1部屋として利用可能。会議室は1部屋定員40名、和室は10畳と8畳。結構広い。ただ、建物は古い。正直、数年前から「いつ無くなっても不思議はない」と思っていた。
 
 周囲はかなり静か。正面の道は滅多に車が来ないし、そもそも人通りも少ない。渋谷駅から徒歩10分ってのが信じられないくらい。でも、センター街近くなのでメシや飲みで困ることはないし、東急ハンズや渋谷のマーク(昔はポストホビー)も近い。利用の際の難点は、ちょっと騒ぐと他の施設利用者から苦情が寄せられかねないことかな。なにしろ周囲が静かなので、音が響くのだ。
 
 この大向区民会館は、私が主催者側として参加していたテーブルトークRPGのコンベンション「ちゃおコン」の会場として使われていた。基本年2回開催で、20年以上。諸般の事情により会場を移したこともあったけど、基本はここが使われた。そのうち10年以上は私が責任者の地位にあった。今はその座を譲って久しいけどね。よって、会場を使うためだけでなく、利用手続きも含め、何度も足を運んだ施設だ。
 
 会場を管理する人間の立場から見ると、この施設はものすごい欠陥があった。競争率が高いのだ。会議室を使おうとすると、抽選は必至。そのため使用予定日のちょうど2ヶ月前、午前9時までにここへ足を運び、抽選に参加する覚悟が必要だ。運が良ければ無抽選だけど、期待するのはアホらしい。一応電話予約も対応していたけれど、抽選組に優先権があるので、会議室の予約は相当難しい。和室なら何とかなるけれど。
 
 そんな会場を押さえるのは、タイヘンじゃないか?そりゃもう。折角休み使って駆けつけたのに、抽選で負けた時の悔しさと言ったら…これを何週間も繰り返すのは流石にきついので、予備会場がいくつか開拓されたモノよ。ただ、それはあくまで予備。メイン会場はずっとここであり続けた。
 
 そこまでしてこの会場にこだわり続けた理由は、やはり交通の便である。なにせこのコンベンション、埼玉県在住の人間と神奈川在住の人間の共同開催だったのだ。他にドコで開催しろと。予備の会場も代々木。ここもここで借りるのは楽じゃなく、「大向よりはマシ」程度だったけどな。
 
 ちなみにこのちゃおコン、今でも現存している。今はトレーディングカードゲームの集まりになっているけど。諸般の事情により場所を移しても問題は小さくなったとはいえ、このニュースを受けて困っているのは間違いない。それをどうこうってのも大切だけど、私にしてみればノスタルジックな気持ちが先に来ちゃいますね。ここを借りるのは本当にタイヘンだったから…
 
 この施設絡みの思い出は、山ほどある。楽しいこと・苦しいこと・哀しいことも色々と。そもそも私が会場責任者に任命されたのは、単に「ヒマがあるから」だった。学生時代の話である。当時今以上に青かった私は、このコンベンションをあーする・こーするといった「戦略的思考」抜きで、ただひたすらに会場を借りて、コンベンションを開いていた。そのため、後に色々問題が生じて次第に衰退してしまったんだけど、何とか今も続くようなモノにはなった。
 
 客観的に見た場合、私がちゃおコンで成し遂げたことは「失敗」になるんじゃないかと思う。いくらテーブルトークRPGブームの終焉期だったとはいえ、「ある組織の現状維持」に失敗したのだから。色んな意味で手を打つ余地はあったんじゃないかなあ。でも、じゃあ具体的に何をすれば…と考えてゆくと、今でも「結局こうなっちゃった」気がしなくもない。まあ、それが色んな意味で「私の限界」だったのかな。
 
 とはいえ、このコンベンションが私に残してくれたモノは決して小さくない。今の私があるのも、これのおかげである。そのテイタラクがコレかよ!って話はあるけどね(苦笑)。でも、他から何を言われようとも私は私なりに生きてゆくしか無いのだから、私の主観で「このコンベンションがあってこそ、今の私がある」と胸を張って主張できるのなら、それで良いんじゃないかと。
 
 そんな施設が、来月にも閉鎖される。寂しいねえ。ただまあ、ここが私にもたらしてくれたモノはものすごく大きいから、最後の最後にこういう気分にさせられるのも仕方ない。毎度毎度利用するたび捧げてきた言葉を、最後にもう一度贈ろうと思う。有り難う、お世話になりました。

1月21日2011/01/22 02:44

 なんつーか…多分、今週は忙しかったんだな。なにせ本来一番上に来るはずのHeadLineの上に、最新記事書き込んでいるくらいだから。それは認めたとしても、「公式ブログ」である「ゲーマーいちねんせい が ゆく」によるこみっく☆トレジャーレポート、たった5行で写真ナシ。この辺、何とかならんものか。
 
 大阪遠征の話題ばかり続けて何なので、本日の話題は少しだけ堅い話題を。クニマス再発見について。旧年中からやりたかったんだど、先送りにされていました(苦笑)。
 
 この魚の再発見については、結構話題になったので知っている人も多いと思う。簡単に要約すると、元々秋田県の田沢湖にのみ生息していた魚だったけど、戦時中の工事により田沢湖の魚はほぼ全滅、この魚も絶滅したと思われていた。しかし、その前に人工ふ化のため各地に卵を送ったとされていて、今回そのうちの1つ西湖で「実は生き延びていた」ことが確認されたのだ。その経緯は有名だと思うので省略。
 
 生物学に興味を持つ者としては、実にめでたく嬉しい話である。絶滅って話は何度聞いてもイヤな知らせだ。それが取り消されたって話は、滅多に聞けない。生き延びていてくれて、本当に、心底有り難いと思う。水産学者でもある陛下が喜びのお言葉を述べられたのも、当然のことだろう。それは大いに認める。
 
 しかし…しかしだねえ。私の中に、今回の話を素直に喜べない部分があるんだな。何故か?そりゃあもう、「オレが発見したかった」からである!しかもコレ、それなりに可能性のある話だってのが…今回は、この部分を細かく説明しよう。
 
 西湖は富士五湖の1つである。富士山の噴火活動によって出来た湖で、元々は魚がいない湖だったが、今では放流のおかげで魚が棲む…どころか、かな~り有名な釣りスポットであると同時に、フツーの漁業も盛ん。なにせ「世界遺産になったら漁業(入漁料が収入になる釣り含む)が制限されかねない」ってんで、世界遺産登録に含まれることを拒絶しているくらいである。そーいやあ、この問題ってどーなった。
 
 関東圏のスポーツ新聞を読む方は、「釣り面」を見てもらいたい。富士五湖(山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖)の釣り情報が掲載されている可能性は高い。海釣りと違って川・湖の釣り情報は、毎日載るようなことはないんだけどね。大抵はヘラブナの情報だけど、たまにニジマスやブラックバスの情報も載る。関東圏で発売されているスポーツ新聞で、富士五湖のいずれにも「情報提供契約している貸しボート屋」を抱えていないってトコロは…多分東スポぐらいだ。ちなみに、東スポの釣り情報は「言われて探さないとあるって気がつかなくてもおかしくない」ぐらい、貧弱だ。関東近県に住む、淡水での釣りを趣味にしている人間にとって、かな~り「おなじみの」釣りスポット、それが富士五湖だ。
 
 そんな「釣り人にとっては馴染みの場所」西湖で「絶滅したはずの魚」が発見されるというのは、言ってみれば「小学生の頃、遠足でよく行った山」からツチノコが見つかったようなモノである。いやまあ、「絶滅動物」と「どうも架空の産物っぽい」動物を比較は出来ないんだけどさあ。けど、「ちょっとした巡り合わせ次第では、オレが発見できたかも」って気持ちにさせられる土地なのだ。実際、私は西湖で釣り糸たれたことがある。
 
 しかもだ。報道によると、「実はクニマスだった」って存在は、特別珍しいモノではなかったようなのだ。西湖にはヒメマスっていう魚が放流されていて、釣りや漁の対象になっている。そのヒメマスを狙っていると、たまに「なんか黒っぽいヒメマス」が獲れることがあるんだそうな。それが「実はクニマスだった」んだな。つまり、少なからぬ釣り人が、それと知らずにクニマスを釣り上げ、持ち帰って食っていた(ヒメマスもクニマスも美味だそうな)わけだ。私が西湖で狙ったのはヒメマスじゃないので、幸か不幸か該当しないけど。
 
 しかもだ。ご丁寧なことに、「クニマスが富士五湖で生き延びているかも…」って話はかなりポピュラーなものだった。一応同じ富士五湖の本栖湖の方が本命視されていたけどね。ちなみにこの本栖湖、西湖同様に放流されたって記録があり、水質は似ている…どころか、本栖湖・精進湖・西湖は「地下で繋がっているんじゃ」って話まである。今回発見されたのは西湖だけど、本栖湖でも生き延びている可能性は極めて高い。いずれ調査が行われると思うな。だから、「知らなかった」なんて例ばかりじゃない。推定ではあるけど、かなりの数の釣り人が「『クニマス釣り上げたら…』ってな話を、クニマス釣り上げながらしていた」ってギャグをやらかしていたんじゃないかなあ。
 
 むしろクニマスの場合、何で今まで再発見できなかったのかが不思議である。調査隊が派遣されたって話は聞いたことあるし、「ひょっとしてコレ、クニマスじゃね?」って騒いだ釣り師がいなかったとは思えない。発見された今だから言えるコトではあるけれど、かな~り間の抜けた話だと言っていい。不詳この私も、ヒメマス狙ったことはないけれど、ましてや「クニマスっぽい魚を釣り上げた」経験なんぞあるわきゃないけれど、それでも気分は「間抜けの1人」だ。
 
 「逃した魚の大きさ」は言うまでもない。「幻の魚を釣り上げた奴」なんて、釣り師にとって最上級の名誉でしょ。釣りからは引退したも同然の私だけど、それでもたまに釣り雑誌を立ち読みするし、釣具屋に足を運ぶこともある。ゼニカネ(賞金が出ていたことがある)の問題じゃない、名誉の問題ですらない。「オレが再発見した」という自己満足が得られれば、それでいい。でも、その機会は「先を越された」ため、去ってしまった…認めよう。すげー口惜しい。
 
 その昔私がまだ釣りに出掛けていた頃、「クニマス釣り上げるってのは、オレでも出来るかもしれない『世紀の大発見』だ」と思っていた。諸般の事情(クルマ乗らないってのが主な理由かな)から釣りと縁が薄くなり、「オレでも出来るかも知れない」って部分は怪しくなっていたけれど、それでもこの夢を忘れたことはない。今回クニマス再発見の報を聞いて、1つ夢が砕け散ったような気にさせられたのは、否定できないなあ。
 
 持っている道具も腕もさび付いている私でさえ、こうなのだ。私以上に深く「やられた!」と思った釣り人は、結構多いのでは。釣りはやらない方でも、「そういう思いを抱いた奴がいるはず」ってことは知っておいていいと思うな。ああ…久しぶりに釣りに行きたいなあ。暖かくなったらフナでも狙ってみようかなあ…

8月9日2010/08/10 00:15

 昨日はMiddle-Earth東京支部でD-DAY(EP/SS)をプレイ中、「ちょっと特殊な呼び出し」がかかってコミケ関連の飲み会に顔出し。こういう掛け持ちは色んな意味でどうかと。ただまあ、それが私だ。
 
 本日の話題は、飲み会で出た話題に関連して「F男の称号」について。相当アホな話なので、本気にしないで下さい。何故こんな話なのか・ついでにこの色使っているのは何故かは、後ほど説明します。
 
 私に面と向かって「F男の称号は何ですか?」と聞いてきた人間はいない。少なくとも、記憶にはない。そりゃそーだ。私の本名についてどうこう…って話なら、冠婚葬祭絡みなどで聞かれることもあり得る。けど、そんなモノと基本無縁な「私生活用の人格」の象徴であるF男って名前使っている時、称号を気にする奴がドコにいる。私自身、どんな称号使われたってまるで気にしてねえ。「F男さん」「F男様」「F男氏」「F男殿」「F男」「F男の奴」その他諸々、好き勝手な称号とセットにしてもらってかまわない。
 
 けど、もし仮に面と向かってそんなコト聞かれたら、一応私は「ドクターでお願いします」と答えることにしている。私はドクターコースに進んだ経歴があるワケじゃないので、私の「本名」の敬称はドクターじゃない。けど、私の「趣味の上での人格」はドクターなのだ。そう「詐称」するに足るアイテムを持っているから。
 
 私の部屋はカレンダーだらけだけど、それ以外のアイテムもいくつか飾ってある。そのうちの1つに、「ミスカトニック大学超心理学博士課程の修了証」なるものがある。ちなみに、こんな大学は実在しない。一部で有名な「クトゥルフ神話」関連の小説に良く出てくる、架空の大学だ。とはいえ、それなりに有名な小説のシリーズに出てくる、「由緒ある架空の大学」だ。「シャーロック・ホームズの住所」ベーカー街221B(注:当時架空だったけど、後の区画改訂で実在するようになった)みたいなものだと思って欲しい。
 
 何でそんなものがあるのかって?その昔々、私がまだテーブルトークRPGを盛んにプレイしていた頃、「クトゥルフの呼び声」(ケオシアム/HJ)って作品があってだねえ。そのエクスパンションキットの1つに「必要な書類揃えて申し込めば、ミスカトニック大学の修士/博士課程の修了証あげる」ってオマケがあったのだ。そいつを申し込んだんだな。確かに「うそんこ博士」ではあるけれど、一応は「多少なりとも公式性のある詐称」だったりするのだ。ゲームの出版元であるケオシアム社が存在していた頃は、この会社が私の博士号を「公認」していたはず。会社が亡くなった今じゃどうかは知らない。
 
 この博士号、日本人で「持って」いる奴はごくわずかのはず。だって、このエクスパンションキットは未訳だからね。他に数人申し込んだ奴がいたのは知っているけど、100人いたら大した物だと思う。ただまあ、日本で「クトゥルフ神話」に詳しい奴はこのゲームのことも知っている場合が多いので、ごくごく限定的な時と場合によっては、感心してもらえると思う。つーか、ゲーム知らなくても「ミスカトニック大学博士課程修了証持ってます」と言えば、感心はしてもらえるはずだ。カネ出せば誰でも買えたとわかっていても、「ネルフ公式携帯」(ネルフは「エヴァンゲリオン」に出てきた組織)持っている奴がヲタク限定で尊敬されるのと同じだ。
 
 ある意味残念なことに、この修了書に書いてある名前は「F男」ではない。私がこの名前を名乗る前の品だからね。しかも、ご丁寧なことに本名ですらない。「以前のペンネーム」なのだ。アホでしょ。ただまあ、私の中では「F男」と「修了証に書かれた名前」は完璧に同一人格(ちなみに、「本名」と「F男」は同一人格扱いしてない)だから、何ら問題はない。少なくとも、「F男の称号は何ですか?」などとアホなこと聞いてきた奴に、「博士と呼べ」というアホなコト回答して、良心が痛まない程度には。
 
 ちなみに、いわゆる「文系の博士号」なるものは、直接は役に立たない称号として有名だ。大学の教員レベルでさえ、「持っていたからどうだって?」って扱いをされている程度。理系と違い、文系の学会とはそういうモノらしい。少なくとも日本では。普通は修士課程を修了した後に博士課程に進み…って手段で獲得するけど、「大学で偉い立場になったから、博士課程修了したことにしちゃう」ってな場合も多いとか。なお、最近色々叩かれている法科大学院を卒業すると、マスターを飛ばしてドクターになるんだとか。少なくとも、某法科大学院の学長が非公式に「ドクターってコトになるんだろう」と発言するところを聞いたことがある。
 
 何故こんな話をするのかと言えば、先日の飲み会の参加メンバーが「SF大会」に行ってきた帰りだったから。「クトゥルフ神話」系のイベントに参加したそうで、「(F男の方が)楽しめたんじゃない?」と聞かれた。そりゃまあ、詐称学歴とは言えミスカトニック大学のドクターコース出ているからねえ。「クトゥルフ神話は詳しくない」なんて言えないわけですよ(笑)。国書刊行会って出版社から出ていた「ラヴクラフト全集」及び「真ク・リトル・リトル神話体系」って本(両者とも全10巻)を読破した記念?として「修士じゃなくて博士課程申し込んじゃおう!」ってなアホやらかした奴なだけに、参加していれば楽しかったと思うな。
 
 SF大会は「SF好き」であり、「科学全般に興味ある奴」であり、「ゲーマー(SF系のゲームやってる奴がいるらしい)」であり、ヲタク」である私が参加しても何の不思議もない…どころか、過去何度も「行かないの?」と聞かれたイベントだ。私が参加しないのは、下手に参加すると毎年行く羽目に陥りかねないから。要はハマるのがイヤなので逃げ回っているわけだ。毎回東京付近でやるイベントじゃないだけに、毎回参加はキツいよ。けど、一度行けば「次も行くこと確定」となるのがミエミエ。そりゃもう、逃げるしかないでしょ。(笑)。
 
 こういう話も出たけれど、話題のメインはやはりコミケ絡み。コミケの話は、「F男」にとっては、ある意味「仕事」だ。実際コミケ絡みでカネ儲け(と言えるのかぁ?)しているわけだし。いくら詐称学歴とは言え、「ドクター」のやる仕事じゃないよな。でもまあ、「文系博士号」なんてそんなものよ(苦笑)。

4月19日2010/04/20 00:24

 先の週末は、「このブログ的に内容の濃い」ものだった。ネタにしたい話が多くて。そこでまあ、少しずつキチンと形にしていけたらなと。こーゆー時に踏ん張ってこそF男だぞ!キリキリ働けぇ!
 
 先週末は色々あったんだけど、とりあえず重要なのは「5/30への下準備」かな。この日はゲームマーケット2010という同人ゲーム系のイベントがあり、日本ダービーの日でもある。なんでブツかるかなあ。両方とも重要極まりないイベントだからなあ…
 
 まず土曜は、ゲームマーケットの方の下準備として千葉会へ。同人ゲーム作家のたちばなゆう殿が参戦するって情報をかぎつけたので。去年末のコミケ前に「取材問い合わせメール」を送った関係上、機会を設けて挨拶はしたい。しかし、5/30のゲームマーケット会場で長々と挨拶していたんじゃ、時間が厳しい。そこで、この機会に事前に挨拶しておこうかと。こーゆーコトをこまめにやるのが、私の流儀だからして。
 
 日曜は皐月賞。これ自体重要なレースだし、ダービーの前哨戦としても重要だ。ここに1番人気確定の馬を「POGで指名している」以上、レースぶりを見届けるのが当然でしょ。苦節14年にして初の「期間内GⅠ制覇」がかかっているんだもの。もちろん、ココ勝てばダービーでも人気になる。これを見ずして、何を見ろと。
 
 これ以外にも色んなコトがあり、おかげで「ココで書いておきたいこと」が山ほど貯まった。嬉しいけれど、消化するのはタイヘンだぞ。よって、とりあえず「まとまりの良い順」に発表していこうかと。その第一弾は、「私の考える、ライターになる方法」といこう。あえて詳細は伏せたいので、基本この色にしておきます。
 
 土日のどちらなのかは、この場では伏せておこう。「実は…」と相談されたのが、原稿書かないかって誘いがあるんだけど、どーしたら良いのか…というモノだった。私は一応「ライターの端くれでござい」ってことになっているからだろうな。興味深い話ではあるので、この時の「私の回答」をベースに、「ライターになるためには」を語ってみたい。
 
 商業誌に原稿書いて、原稿料もらう…これはこれで1つの憧れでしょ。ただ、そんな機会を得るのはタイヘンだ。そのため、「選ばれた人間にのみ与えられた特権」みたいに感じる人は多いと思う。正直、私も当初はそう思っていた。しかし、実際原稿書いてみた感想としては、「そう大げさなモノでもない」となる。「端くれ」レベルで良いのなら、私ごときにも一応勤まるんだなと。
 
 考えてみれば当たり前である。ライターなんてピンキリだ。編集部側だって、諸般の事情によりあえてド素人を使うこともある。あくまで私が思うにだけど、「端くれ」レベルで良いのであれば、ライターが勤まるだけの「下地」がある方は、結構いるんじゃないかな。
 
 ただ、「ライターの下地」があったからって、そのままライターとして使えるワケじゃない。これまた当たり前の話だ。曲がりなりにも商業誌に掲載しようって以上、色々と覚えてもらわなければ困ることは多いはず。いくら下地がしっかりしているからって、実際にライターとして「使える奴」になってもらうためには、編集部などから色々手間暇かけてもらう必要がある。ベテランライターでさえ「送った初稿がそのまま掲載される」とは限らないんだから、端くれレベルでは何をか言わんや。
 
 私が思うに、重要なポイントはココである。「ド素人」を「ライターの端くれ」にレベルアップさせようと思ったら、編集部側がそれなりの手間を掛けなくてはならない。その結果として「やっぱり駄目でした」となってしまうのは、ある程度覚悟はしているだろうけど、出来る限り避けたい。そのためには、編集部側から「手間暇掛けるだけの価値がありそうな奴」だと思われる必要がある。コレに成功し、なおかつそのチャンスを上手く使って原稿を形にして掲載された奴が「ライター」なんだと思う。単に素地が優秀だってだけじゃ駄目だ。それを「権限持っている人」に認めてもらわないと。この辺、運や巡り合わせも重要じゃないかな。
 
 逆に言えば、編集部側はそれを承知しているので、箸にも棒にもかからないような奴に対し、「原稿書いてみませんか?」なんて言わないのがフツーだ。おべっか使う価値がある相手は別として(苦笑)。それを考えれば、少なくとも「オレなんかが原稿書いて大丈夫なのか」などと悩む必要は無いと思う。それを決めるのも、結果に責任を負うのも、編集部側だから。まさか「ド素人に毛が生えたようなレベル」の人間が、そんな重要事項を決めたり、責任負えると思っていないだろうな?編集部側だってリスクを負うし、運や巡り合わせが大事じゃないかと。
 
 じゃあ、どーすりゃ「編集部に『原稿書かせてみようか』と思われるのか」って?とりあえず、キッカケは作りなさい。原稿募集に応募してみたり、投稿してみるといった「積極的な売り込み」でもいいし、編集部側の目にとまりそうなトコロ(ブログ等も場合によると含む)に顔を出して目立つといった「消極的な売り込み」でもいい。後は運と巡り合わせ。人智が及ばぬ領域だと思えば、気は楽だ(笑)。何もしていないのに「オレの才能に目を付けないなんて、編集部は怠惰だ」と思っているなら大間違い。怠惰なのはそう思っている奴の側である。幸運が必要なら、ダイスは振れ。
 
 私に言えるのは、こんなトコロまでかな。キッカケ作ったからって即「素晴らしい!原稿書いてくれ!」とならないのは確実だけど、じゃあどーすりゃいいのかなんて、知るか。自分でどーすりゃいいのか考えるか、あるいは「役に立つのか立たないのか、良くわからない」実績を山ほど積み上げるか…じゃないの?少なくとも、「いい大学行きたいなら、勉強しなさい」ってなタイプの「曖昧かつ功利主義的な努力」が報われて当然などという世界じゃなさそうだ。
 
 ちなみに、私がライターなんてやっているのは…よくわからんけど、「我ながら何の役に立つのか、サッパリわからない」モノを積み上げたからじゃないかと。一応ゲーマー歴長いし、コミケに出入りしている歴史も長い。ここに長々と意味不明なコト書き連ねているので、「原稿と呼びうる程度の長文」書かせても破綻はしないようだし。「端くれ」レベルならば、これでも何とかなるんじゃないかな。もっとも、シミュレーションゲーム界などと言う「慢性的人手不足な業界」に限った話だとは思うけど。
 
 そういう話がやってきたならば、必ずライターになれるのか?多分、そうでもない。いくら「責任負うのは編集部側」だとアタマでわかっていても、「オレに勤まるのか?」ってプレッシャーは消せない。「本当の瞬間はいつも 死ぬほど怖いものだから 逃げ出したくなった時は 今まで何度でもあった」(byブルーハーツ「終わらない歌」)って言葉があり、実際逃げ出した奴は山ほどいる。逃げちゃった方が気は楽だからねえ。
 
 ただ…改めて、私に相談してきた某氏に言おう。そこで逃げ出さないよう、叱咤激励し続ける馬鹿がいることを忘れるなと。代表は私だけど、それだけじゃないぞと。そんな人間を多数抱えるような人間だからこそ、そういうモノを「積み重ねてきた」からこそ、原稿依頼の打診が来たんじゃないの?そこは自信持つべきですね。少なくとも私は愚痴聞いて叱咤激励するくらいならするから、逃げ出したくなったらいつでも言いなさい。その結果「良い仕事」してくれるというのなら、安いモノだから。
 
 私に相談してきた某氏に限らず、「俺も商業誌に原稿載せてみたい!」と思う方、商業誌に対して「下らない原稿載せやがって」と不満を持つ方は、「自分で書いてやる!」って気概を持って挑戦してみては如何?運とか巡り合わせは必要だろうけど、それさえあれば案外何とかなるモノだから。ただし、キチンと「偉そうなこと言うだけの裏付け」があればの話だろうけど。私だって、文才その他はともかく、「挨拶するのに良い機会だと思ったら、こまめに出かける」ってな手間を惜しまないという「一応の裏付け」はあるんだから。

4月2日2010/04/03 01:33

 本日のネタは、内容の大半がこの色だと思われるけどあえてメインはこの色で。この色の話題も混じるので、とてもカラフルです。ご注意下さい。
 
 私は週末限定で東スポを読んでいる。競馬面目当てで。コラムや印などは日刊ゲンダイの方をアテにしているんだけど、関西・ローカルの平場だと馬柱がないからなあ。POGやっているとソレは困るんだよね。週末競馬場に行く予定があるなら少し話は別だけど、そうじゃない時は東スポの方を選択している。
 
 ただし、この習慣は今週で終わりにするかもしれない。今現在「真剣に検討中」なんだけどね。理由?正直言って、この新聞の信用度を疑うような記事を見つけちゃったからだ。過去似たような理由で2つほどスポーツ新聞に見切りを付けたこの私、東スポもそうすべきかどうかは…悩ましいけど、現在のところ「読むのを止めるべきでは」って気持ちが強い。
 
 東スポが信用できない?そんなの元からでは…と言いたい気持ちはわかる。そう思う方が自然な新聞だってコトは、私も理解している。そこで、何でまたそんな「意味不明な断罪」を下すに至ったのか、こと細かに解説しよう。
 
 私は、新聞は丹念に読む方だ。東スポなんて、競馬面以外は「心底どーでもいい」モノに分類しているけど、それでも一応目を通す。そこで見つけたのが、社会面?にあった、エロ漫画に関する記事である。そこ、引かない。一応は「表現の自由」関連の大事な話である。
 
 記事の内容は、東京都副知事の猪瀬直樹氏が某番組で「バッシングした」エロっぽい漫画(一応の区分は普通の漫画。コレ大事)がバカ売れしている…というもの。ヲタクである以上この手の話題には敏感な私だけど、これ自体はどうってことはない。私のような立場の人間にとって、エロ規制の話は「日常的に接していて、対策・対応を考えている」話だからだ。
 
 問題は、その記事に「そもそも行き過ぎた性描写が見られるものは、主にコミックマーケットなどで取引される同人誌など。」という文章があったことだ。あ、あのなあ…この問題に関しては「確かに関わってはいるけれど、本質的には専門外」である私でさえ、ごく簡単に反論できる内容だぞ?何考えているんだか。
 
 この問題について、当ブログでは2007年5月19日にて詳しく語っている。要約すると、同人誌ってのは実は何重もキツめの規制がかかっていて、「行き過ぎた性描写」なるものを求めてどうこう…という点に限定して考えるのならば、むしろ大人しい産物だ…となる。その後この規制が緩くなったって話は聞かない。むしろ最近は「修正のしようがない造形物(グッズやフィギュアなど)が規制対象になることが増えたので、販売停止が増えた」って話が出るくらいだ。
 
 そもそもだ。「行き過ぎた性描写」って言葉の定義が問題だ。何となくわかるような気はするけど、よく考えると「何を指しているのか」不明確だ。考えてみて欲しい。「水着にうっすらと大事なトコロが透けている」だけだったら、普通カゲキだとか「行き過ぎた性描写」なんて話にはならない…18禁モノなら。アダルトビデオでこーゆーモノが出てきて終わりだったら、普通「カネ返せ!」となるはず。でも、これが中坊でも買えるようなモノに出てきたとしたら?そりゃあ問題になる。また、その透けた水着を着ているのが幼女だったりしたら、また別の意味で問題になる。とりあえず日本社会では、そーゆーことになっているのだ。作品見ただけで判断できるってワケじゃねえ。
 
 確かに、同人誌の中には「カゲキな」ものもある。ソレは認めるしかない。けど、そういったものはほぼ例外なく「18禁」である。同じく18禁のアダルトビデオの性描写が「カゲキ」だからって、問題になるかぁ?バッチリ写っていれば問題になるけれど、それは同人誌も同じ。ボカシ・モザイクがどうこうって話をすれば、どう考えてもアダルトビデオの方が「カゲキ」では。
 
 そもそもだなあ。「同人誌が野放しでカゲキ」なんて、何年前の話なんだよ。即売会側の規制が入るようになったのは、もう20年近く前の話だぞ?それ以降、基本的に同人誌は「過激かどうか」という点に絞って考えるならば、ちっとも過激じゃなくなった。マンガと実写であるアダルトビデオじゃ比較が難しい…と言うのなら、「コスプレ写真集」というジャンルのヌード写真集モドキってのがコミケにもあって、毎度「修正」だの「頒布停止」だのといった騒ぎを起こしているんだって現実がある。同人誌には規制があるのだ。それもキツめのものが。
 
 また…猪瀬直樹副知事を擁護するつもりはないけれど、アレが問題になったのは「18禁じゃないマンガにしては、カゲキだから」じゃないのか。対象となった作品そのものは良く知らないけど、アノ出版社が「18禁じゃないのに、ソコまでやっていいんですかぁ?」って基準で雑誌作っているのは知っている。「18禁じゃないのに手加減してない雑誌」なんてのはいくつかあるけれど、その中でも「最もカゲキ」とされていたからなあ。もしコミケで「同じ内容・同じ絵柄」の作品を同人誌として発行したら、「18禁にして下さい」って話になっても、何の不思議もない。正直私も「18禁じゃなくていいのか?」と思っていた…
 
 つまりだ。この記事、ヲタク色を取り除いたものに置き換えるとこうなる。多少ソフトではあるけれど、見る奴が見れば「18禁だろこれ…」って言われちゃうような内容のモノを堂々と中坊含めて売りつけていた奴が、「マズいんじゃねえのか」とケチつけられ、法で規制されそうになった。それを報道する際、近所にあるエロビデオ屋(当然18歳未満に18禁のもの売ったりしない)に「もっとカゲキな内容のモノが野放しになっている!しかも、今回の法改正で規制される対象になってねーぞ!」としたようなものだ。エロ規制推進派からさえ、蹴飛ばされそうな話だと思う。
 
 とまあ「エロと表現の自由」について色々語ってきたワケだけど、私は基本的には「門外漢」だ。この方面はそれこそ昔々から色んな論争が交わされてきた経緯があり、今もってギャアギャア騒いでいる。法学者・弁護士・精神医・社会活動家などなど、規制推進・反対を問わず「専門家」は山ほどいる。詳しいことはそちらを当たって下さい。問題なのは、「ちょっと詳しいけど、しょせんシロート」である私の目から見て「アホか」で片付くようなレベルの話を、東スポが掲載したってコトにある。
 
 東スポは、いわゆる「マトモな」新聞ではない。紛らわしく怪しい見出し、低劣お下劣な記事がウリの新聞だ。それは認めよう。でも、だからって…いや、だからこそ「ハズしちゃイケナイ」話題があるんじゃないのか?お色気面「男セン」をウリの1つに掲げている新聞が、エロ関連に関してスカポンタンな記事を載せるというのは、この新聞の権威に関わる問題のような気がする。
 
 考えても見て欲しい。いわゆる一般的な新聞が、政治に関して無知をさらけ出したような記事を掲載したらどう思う?経済専門紙が経済に関して、競馬新聞が競馬に関して、コマンドマガジンがウォーシミュレーションゲームに関して、スポーツ新聞が野球に関してそれをやらかしちゃったら、「全体が信用できなくなった!」と言われても、文句は言いにくいでしょ。東スポがエロ関連でコレをやらかしたってのは、それぐらいマズいことじゃないのかね?
 
 そりゃあね、「東スポの記者」なんて腐るほどいる。全員が全員「エロの専門家」ってワケじゃないはずだ。実際、この記事が掲載されたのは「社会面っぽい」トコロ。エロ関連の紙面じゃない。けど…記事書いた奴だけならともかく、内容チェックして掲載を認めた奴も「エロに関して無知」ってことなんだよ?東スポなのに。18禁と全年齢対象の区別が付かないなんて社会人としてどうかと思うのに、よりによって東スポの社員が記事でそれをやらかしたのだ。厳しいコト言われたって、仕方ないのでは。
 
 しかしなあ…正直言って、「東スポが信用できない」のは痛い。よりによって来週からPOG関連の記事が載るというのに…期間限定で乗り換えることを検討していた矢先にコレだもの。ドラフトでイモ引いたらどーすんだ。ひょっとしてこれは、今年のPOGのライバルで、場合によると次回も参加するかも知れない、某東スポ関連紙関係者の「陰謀」なのか?(違う)

1月28日2010/01/29 00:55

 iPad、私は「いいじゃん」と思いました。ただまあ、アレを真似した品でもいいんじゃねえかって話はありますね。いずれにせよ実物拝んでから判断したいところだ。アソコの製品は実物拝んでナンボだからなあ。ついでに、日本版は日本語手書き文字認識が欲しいと思う。
 
 本日は、すご~くまとまりの悪いネタを投げっぱなしにします。色々考えてみたんだけど、「いくら考えてもまとまらない」と判断したので。題して、「コンテンツが同人化したらどーなる?」。メインはこの色でサブにこの色を使います。
 
 コンテンツの同人化とは?要は、音楽だの雑誌・単行本などがどんどん「同人誌と似たような理屈で販売される」ようになるのでは…というヨミのこと。ここまで言い切っている奴はあまり見ないけど、似たような主張ならば何度か見た。音楽レーベルや出版社が「信用できない」「いずれ潰れる」って話を展開してゆくと、こんな感じの主張に落ち着くようだ。
 
 創作にとってカネは最重要課題ではないとは思う。けど、重要なのは間違いない。人間、メシ食う必要があるので。カネ持っているからって鋭くなるわけではないけど、貧すれば鈍ずる。それを考えれば「創作物のためのビジネスモデル」ってのは重要だ。にもかかわらず、一部業界ではこれが怪しくなっている…って報道があるのは事実。
 
 崩壊しかかっている代表的業界は音楽かな。とにかく悲惨なコトになっているからねえ。事実上すでに崩壊しているって意見もあるくらい。出版業界も、再販制度が足かせになり始めているって話が流れている。返本率がかなり高くなっているらしいんだよね。「アソコはヤバいらしい」って話は根強く流れている。
 
 ビジネスモデルが怪しくなっている以上、本来ならばそれを転換しなくてはならない。けれど、これは「言うは易し行うは難し」の代表例。特に日本は「コツコツ真面目にあるのが正しい」って思想が強いので、コツコツ真面目に間違ったやり方を続ける傾向が強いような…とりあえず、音楽業界も出版業界も「ヤバいのはわかっていても、やり方を変えることが出来てない」気がするのは事実。
 
 こういった業界が真面目にコツコツと今のやり方をやり続けたあげく、「順当に」ブッ潰れた場合どうなるのか?これは難しい問題だ。ただ、「コンテンツを楽しみたい」「コンテンツを創りたい」って欲求自体が消え去るワケではない以上、新形態の業界が出来上がると予想はできる。ソコまではわかっても、この「新形態」って具体的にどんなモノになるのか?はサッパリわからん。少なくとも私には。
 
 その新形態の候補の1つが、同人モデルである。同人誌よろしく個人もしくは仲間内で作品を創り、ネットなどを利用して直接消費者に届けるってものだ。このビジネスモデルは昔々から存在してきたし、これとは別の「うまいビジネスモデル」が構築されたとしても、残り続ける可能性が高い。ネットとの親和性も高いので、この「昔ながらのビジネスモデル」の改良版がメインストリームになる可能性はありそうだ。
 
 しかし…長年コミケに出入りし、一応はこのビジネスモデルと長くつき合ってきた経験から言わせてもらうと、「本当にそうなっちゃっていいのか?」って不安を感じますね。あくまで漠然とした不安なんだけど。何故そう感じるのか、「本当にそうなっちゃったら、具体的にどんなことになりそうなのか」を語って説明してみよう。
 
 現状の同人モデルは「スケールメリットがまるで活かせない」「扱ってくれる店舗がものすご~く限られる」ってな問題があるので、価格はあまり安くできない。しかし、これらはAmazonだのAppleだのといった「ネット時代の勝ち組」がうまくテコ入れすれば、ある程度までは解決できる気がする。宣伝関連もネット企業+素人のレビューって形である程度解決できそうな。その結果として、「中抜き」が少ない分、従来型の企業が手がけた作品より安くできるような気はする。
 
 しかしだ。こうした「中抜き」ってのは、全部が全部搾取ってワケでもない。特に大きいと思われるのが、宣伝経費だ。先ほど宣伝については「ある程度解決できる」と書いたけど、これはあくまで「オレはこういう品が欲しい。だから探す」という意欲を持った奴が常識的な範囲で努力をすれば必ず見けてくれる…ってレベル(現状の同人誌だと、このレベルからしてかなり怪しい)であって、そこまでする気のないライトな層を取り込むのは難しいと思う。
 
 ライトな層に取り入るのが難しいと、どんどんマニア化する。その結果、ライトな層は「ついて行けない」状態に陥る…ってパターンが多い。必ずそうなるってワケでもないんだろうけど、まあ「覚悟はしておけ」って話だ。好みの細分化が指摘されている昨今、こうなったとしてもネット企業側はそう困らないんじゃなかろーか。人間、何かしら「こだわりを持つ分野」はあるのだからして。
 
 これはつまり「マニア限定」ってなモノがうじゃうじゃ~っと存在する…って話になる。音楽の場合だと、どのアーチストについても「ファンクラブに入会するほど好きになるか、全く聴かないか」の二択を強いられるというわけだ。「ちょっと試しに聴いてみる」なんてのは許されるとしても、「ライトに楽しむ」なんて行動は、下手すると全く支持されない。
 
 ライトにとはいえ楽しんでいる(カネ払っている)んだから、歓迎されるんじゃ…という意見は正しい。正しいんだけど、だからってマニアが抱くライトへの憎悪(大抵は理不尽である)を無くせるとは思えない。私もどちらかと言えばマニアックな人間だけに、マニアの言い分もわかるけどね。ライトな層って、マニアから見ると「オイシイ所だけ持って行こうとしている」ように見えるのよ。ライトな層が「数の論理」で押し切れる時代(現状はこの段階である)ならともかく、「マニアこそが主流」って時代だと、この理屈は通用しない怖れがある。
 
 考えても見て欲しい。どんな創作者であっても、常に「貴方の好みにジャストフィット」する作品を出し続けるワケじゃない。少しばかりハズしたなあ…ってコトは良くある話だ。ライトな層ってのは、そう思ったら「じゃあ買わない」って選択肢を取る。しかし、マニアはそんなことできるとは限らない…どころか、「大ハズシされたけど、買う」って行動を取りかねない。理由は簡単。そこでマニアが見捨ててしまうと、創作活動が停止しかねないからだ。「オレが買わないと、この同人誌は次が出ないかも」って恐怖を抱いている奴は結構いたりするんだよ。
 
 実際問題、少数のコアなマニアが中心になって支えている「業界」ってのは、ある程度は「ハズされても許す」って度量がないとあっさり潰れて無くなる。自転車操業がつまづいたら、それまでだからなあ。更に、1回でも売り上げが思わしくないと、「本業が忙しくなった」「家族が増えた」「体調が悪くなった」「リストが入手できなくなった」なんて苦境に遭遇した際、あっさり引退されちゃう可能性が高まる。そーゆー苦難を一緒になって乗り越え、強固なコミュニティーを築いているトコロに乗り込んで、「オイシイ所取り」してどうこう…って人間が、歓迎されるとでも?「理屈として歓迎しなくちゃイケナイってわかっていても、感情がそれを許さない」と言われたら、ある意味どーしよーもない。
 
 かといって、ライト層の言い分もわかる。「たかが趣味なのに、何でソコまでやらなきゃイケナイんだ」と言われたら、返す言葉がない。でも、「同人モデルが基本」って世の中になったら、この理屈は多分通用しなくなる。「趣味なんだからソコまでやれ」がむしろ当然になるから。そんでもって、「ソコまでやる気がないモノについては、見向きもしない」のが当然…となるんじゃないかなあ。
 
 このような「マニアックが当たり前の世界」が居心地良いのかどうかは、私には何とも。私はこういう世界に慣れ親しんでいるおかげで、抵抗感はない。けれど、それと「それでいいと思っているのか」は別問題だ。マニアックな世界故の問題点ってモノを何度も見てきているからなあ。今現在崩壊しつつある「音楽レーベルや出版社などが強力なコントロール権を持つ、ライトな層を引きつけてナンボの世界」が魅力的とは言わないけど、それに変わって到来するのがこういう時代だとしたら、それはそれでアタマが痛いような気はするね。
 
 同人モデルが基本になったからと言って、私が今書いたような状況になると決まったワケではない。「ライトな層」ってのは数が多いだけに、「そーゆー連中にいかに売り込むか」って課題に挑戦する価値はある。ただ、ライトな層ってのは忠誠心が低く移り気で、そのくせコスト意識だけは高い。私だって「こだわりの薄いジャンル」(食とか)に関してはそーゆー行動を取っている。広告宣伝費を正当化しにくいこのビジネスモデルにおいて、そんな連中をどう惹き付けるのかは、難しい問題だって気がするな。
 
 とりあえず、音楽業界がヤバい、出版もきな臭い、新聞はもう駄目だ、TVも苦しい…という最近の状況で、「大金抜き取って広告宣伝費に回し、ライトな層にアピールする」ことによって成立しているビジネスモデルが岐路を迎えているのは間違いない。ネット広告って、実は結構「コアな層への確実なアピール」の方が得意なんだよな…ソッチの方が効率良いのは確かだし。こういう時代が本当に来るのか、来ないんだとしたらどーゆー時代が来るのか、本当にこんな時代になっちゃったらどーするのか、皆様も少し考えてみては如何ですかね?つーか、考えて聞かせて下さい。私だけじゃ、「この程度」までしか考えがまとまらなかったんですよ…ブツブツ…

1月12日2010/01/12 23:10

 ふとしたことから、来月パシフィコ横浜で開催される「国際フィッシングショー2010」のサイトを覗いた。ううむ、懐かしい…また釣りに行きたいなあ。引退したつもりはないけれど、もう何年もやってねえからなあ、本格的な釣りは。
 
 私は釣りを趣味にしていた。一応の贔屓は淡水ルアー(ブラックバスもしくはマス類)だけど、一応幅広くやっていたもの。道具は捨ててないので、今もどっかにあるはず。といっても、一部を除いて使い物にならないとは思うけど。
 
 何故釣りに行かなくなったのかって?そりゃあアナタ、海無し県埼玉在住で、クルマ運転する習慣がない奴が続けるには、色々と辛い趣味だからねえ。そう遠くないところにソコソコのスポット(釣り場のこと)があるってのは知っているけど、チャリンコじゃ厳しい。海が近ければ乗合船を利用しても良いんだろうけど、船宿に行くまでが結構厳しいからなあ。ヒマを見つけて羽田沖~お台場のハゼもしくはキス狙いの船でも利用するか?
 
 釣り場にはとんとご無沙汰ではあるけれど、実は結構「釣具屋」には顔を出していたりする。主にルアーを眺めるため。見てるだけで楽しいアイテムだってのは知っているので、たま~に立ち寄るのだ。雑誌なども手に取る。そのため、私が昔実際使っていたテクニックの一部が「完全に古臭いモノ」になったってコトまではわかっている。
 
 もっとも、自分の常識が「古くなった」コトまではわかっても、具体的にどうなったのかはサッパリわからん。やはり実戦で使ってこそだからなあ。特に気になるのはライン(釣り糸のこと)関係。新素材のラインが次々出ているようなんだけど、具体的な特性とか使い方になるとイメージ湧かなくて。特に私は「太いラインでゴリゴリ寄せる」のは好みではなく、「細いラインでヒキを楽しみながら寄せる」派だから、ラインはこだわるのよ。こういうのは「群れを散らす」って理由から、最近じゃむしろ邪道なのかも知れないけど。
 
 ロッド(竿のこと)に関しては、新品が欲しい。カーボンロッド持ってないからなあ。へら竿3本程度(長さ違い)と、ルアーロッド1~2本ぐらい持っていたいものだ。昔よりカーボンの性能は向上しているはず(ゴルフクラブのおかげって話はある)だから、やはり最新のものが欲しいなあ。
 
 リールに関しては…壊れてない限り、昔の奴をそのまま使いたいかな。最近は「軽さを重視」ってんで、リアドラグ式のスピニングリールは「ルアー用じゃない」とされているからなあ。アレはファイトの時にすごく便利だと思うんだけど。ベイトリールはどうしてもキャスト(仕掛けを投げること)の際に気を遣って手返しが悪くなるので、好みじゃない。でも、ドラグを締めたり緩めたり…ってやりとりは大切でしょ。最近の連中から「ダセえ」と言われてでも、コレにはこだわりたい。
 
 ルアーは新品が欲しいなあ。別にいいモノ持っていた記憶はないし。アクションの付け方(要は動かし方)は相当忘れているはずだけど、ヒドけりゃ本やら映像やらで再学習してもいい。ラインの特性もかなり変わっているようなので、それをふまえてどうこうって話もあるだろうし。
 
 へら鮒釣りのテクニックも、もう一度しっかり学びたいなあ。タナ取りのテクとか、かなりテキトーだったからなあ。エサの選び方も、もう一度しっかり学んでみたい。「とりあえず、マッシュポテト(本当にジャガイモ)とグルテンで…」ってんじゃ、色々恥ずかしい。
 
 釣り船もいいよね。私は船酔いには強いから、「撒き餌」(船酔いすると出したくなるモノのこと)ばらまく心配はないし。大物狙いも良いけど、どちらかと言えばシロギスとかハゼみたいな小物の方が気楽で良いかな。そんでもって、釣りたてを天麩羅にしてくれる奴がいいかも。海との距離を考えれば、「江戸前」とり遠くの釣り場に行くのは難しいから、他の選択肢が少ないと思うけど。
 
 海外で釣りってのもいいね。実を言えば、「次にドバイへ行く時」は、トローリングに挑戦しようかと思っている。運が良ければマーリン(マカジキ)に遭遇できるみたいだし。あと、テムズ川やらセーヌ川で釣り糸たれる…ってのもやってみたい。ロンドンでは水族館に行ったので、勢いで釣具屋に突撃しかけた(苦笑)。いやまあ、実際はその直後に競馬場に行く必要があったんだけど。しかし、今思えばあそこで釣具屋に行った方が、金銭的被害は小さかったかも…
 
 今更本格的に釣りを再開しようなんて意欲はないけど、時々無性に「行きたいなあ」と感じる時があるのは事実。アウトドア系の趣味の中では気軽に出来るモノの1つだし。腕に関しては、最新の道具ならある程度補ってくれると信じたい。昔やっていたんだから、カンさえ戻ればキチンと使いこなせるんじゃないかな…って期待はしてもいいと思う。
 
 もっとも…私は釣りに関しては「下手の横好き」でねえ。今やってもやっぱりダメダメって可能性は高いかな。でもいいの。釣りってのは、「釣れるかな?」とワクワクしながらアタリを待っているのが楽しいんだから。でもまあ、小さい外道(目的外の魚の総称)1匹でいいから釣りたい、そうじゃなきゃ行きたくないってのがホンネなんだけど…

12月12日2009/12/13 02:13

 おお、コーツィーが来てるじゃないか。コレは有り難いね。スミヨンもコッチか。おまけに天才まで。やっぱり天才はいいよなあ…とはいえ、魔神もいるけどな。ファロンのボケは何しに来たんだか…という話については、また後日。
 
 色々悩んだけど、とりあえずは「感想ぐらいなら、多少勝手に書いても問題は無かろう」と判断した。つーわけで、コミケ絡みで病んだ心をさらに病ませてくれた、フリーゲーム「zero-answers」通称「ゼロアン」について、書いてしまおう。作者の承諾とってないけど(苦笑)。
 
 正直「宣伝」と取られるとイヤなので、ダウンロード先は間接的に示す。ここに詳しい紹介と作者のサイトが示されているので、興味がある方はどーぞ。
 
 何故私はこのゲームを知ったのか?実のところ、同じ作者の前作が「そこそこ良かった」から。何気なく作者のサイトに行ったら新作が公開されていたので、軽い気持ちでダウンロードしてみたのだ。その結果、結構ハマった。
 
 ゼロアンは、「戦闘メインのRPG」である。ストーリーもあってそれなりに重要ではあるけれど、基本は「ひたすら戦っていくと、勝手に話が進む」ようなもの。その戦闘も、基本的には「ターンバトル」であり、ややこしいワケではない。「そーゆー単純なモノはつまらん」って声が聞こえてきそうなシロモノではあるかな。おまけに、「スロットが重要」だと紹介されていて、「目押しできないからオレには向かない」と思う奴もいると思う。
 
 正直言おう。上記感想は、私が当初考えたモノだったりする。ソコソコ軽く楽しめればいいや…ぐらいに考えていたのだ。私も目押しなんてできないので、「全く合わない」かもしれないとまで考えていた。けど、実際やってみたら、期待以上にハマってしまった。一応、なんでソコまでハマったのかを紹介しよう。
 
 まずこのゲーム、いわゆる「ターン制のコマンド式バトル」なんだけど、最大の特徴として「フルオート」なのだ。つまり、キャラは事前に設定した行動しかしてくれない。おまけに、原則として通常攻撃でもMPを消費する。MPが切れると完全な木偶だ。
 
 この手のRPGにありがちなことに、「回復呪文」だの「特別な攻撃」(魔法攻撃)だのもチャンとある。ただしフルオートなので、「用もないの時にも使い続ける」か、「どんなピンチでも使わない」かの二択。しかも戦闘にはターン制限があり、これまでに相手を倒しきれないと「敗北」扱い。このため、「どーゆーワザをセットして戦闘に挑むのか」をひたすら考えなければならない。ワザを節約しすぎれば時間オーバー、使いすぎればMP切れに泣かされる。
 
 しかもだ。戦闘に参加するキャラは、原則8人からランダムに選ばれた3人。どいつもこいつも特徴的で、いちいちワザの性質が異なる。特徴を理解するのは当然として、MPやらHPやらの減り具合を確認しつつ、「この組み合わせならイケる」「使うワザをいじれば何とか…」「駄目だこりゃ」ってなコトを判断しなくてはならないのだ。漫然と戦っていると、心が折れる。
 
 おまけにこいつら、レベルが上がっても打撃力はさほど強化されない。じゃあどーすんのかというと、カネ出して「味方の士気が上がるアイテム」買う必要があるのだ。こうすると攻撃力が上がる。しかも、原則士気に比例して。また、「相手の士気を低下させるアイテム」もあり、これらをうまく使わないと即詰みだ。なにせ相手の士気が高いと、ザコから即死攻撃が飛んでくる。カネの使い方もかな~り考える必要があるんだな。
 
 スロットはどう利用するのか?実はこのゲームのスロット、いわゆる「エンカウント」の内容を決める手段である。敵と遭遇するか、カネ拾うか、MPが回復するか…の三択。目押しは出来た方がいいけれど、出来なきゃ出来ないで何とかなる。それに、ゲーム進めてゆくと段々スロットが早くなるので、超人でもなきゃ目押しできない状態になるし。
 
 スロットには、もう1つ重要な要素がある。スロットの近くにはタイマーのような数字が出ていて、「スロットを回している時間」の合計が1分(だと思う)を超えると、ゲーム内での「1日」が終了する。してしまう。1日が終了すると、攻撃力アップ&ダウンアイテムの効果が切れ、また翌日改めて使い直し。さらに、手持ちのカネは自動的に全額上納。カネで買ったアイテムまでは没収されないので「買い物」に励むことになるんだけど、「何を買うのか」はかなり悩ましい。先を考えないと泣きの涙だ。
 
 いわゆる「マップ」はごく単純。1本道のマスを7歩進み、各階のボスと戦って勝てば次の階に進むだけ。ただ…1歩進むためには、パーティーの「先生」(言い忘れたけど、このゲームの主要キャラは「生徒」だ)のMPを消費して進む。そんでもって、先生のMPは「生徒が戦闘すると回復」なのだ。調子に乗ってカネの出目ばかり目押しで揃えていても、ゲームが進まない。なおこの先生、各階のボスと戦う時には戦闘に参加してくれる。コイツはフルオートではなく、プレイヤーが操れる。
 
 うまくプレイを進めるコツは、生徒を大切にすること。特に序盤は。HPゼロになった生徒が出なければ「ご褒美」として士気上昇&士気低下のアイテムがもらえるのだ。序盤は金欠で「そんな高いモノ買えない」ので、取り逃がすと大損になる。中盤以降も経済状況は楽じゃないので、いざとなったら「途中で1日を切り上げる」(選択できる)覚悟も必要になってくる。
 
 15階層あるダンジョンを突破するか、15日が経過すると、ゲームエンド…ではない。ここで担当教員が代わり、「ラスボス」と戦わされる。この時、アイテムの持ち越しは原則不可。買い物は「今まで上納したカネ」で行う必要がある。上納金をケチっていると思いっきり詰む。このラスボスは「どこまで進んだのか」によって相手の強さが変わる。ラスボスは中ボス4人+ボス1人が原則。中ボスはお供を連れている。いきなりボスに挑むと中ボスがお供に付くので、普通は中ボス倒してからボスに挑むことになる。この戦闘の時は、生徒もプレイヤーが操れる。
 
 
 このゲームには、やりこみ要素として「実績」ってものがある。様々な条件を満たしてゲームクリアすると、実績として表彰されるのだ。それをある程度貯めた時点で挑める(実績不足でも挑むことは出来るけど、自殺行為である)のが、隠しボス。ルールは基本ラスボスとの戦いと同じだけど、この時の買い物に必要なカネは「実績」の数に比例する。ちなみにこの隠しボス、滅茶苦茶強い。死ぬほど強い。心が折れるほど強い。実際何度も心が折れた。
 
 このゲームの特徴は、「スロット使うという運またはテクニックのゲームに見せかけて、実は戦略を考えるのが重要なゲーム」だってトコロにある。戦い方がわかってくると、真面目に「上達した」って実感が得られるのだ。実際、最初の頃は「できるワケねーだろ」と思っていたキツい実績も、最近は比較的楽にクリアできるようになった。目押し絡みは相変わらず運任せだってのに。ここ最近では、一番「自分の成長」を実感させてくれるモノだったな。
 
 ゲームに限らないけど、やはり「自分の成長が自分でわかる」ってのは楽しい。体重や血圧のように「器具で計って初めてわかる」のも悪くないけど、やはり基本は「以前出来なかったことが、どんどん出来るようになる」ことじゃないかなあ。RPGの戦闘なんて「強くなったのはキャラであって、操るプレイヤーは成長してない」のが当たり前だったりするけれど、まさかターン制のコマンドバトルをいじったモノでそういう実感を得られるとは。そこが新鮮で良かった。
 
 正直言ってものすご~くクセの強いゲームなので、万人にオススメできるってゲームではないと思う。ただまあ、私は気に入った。特に「スロットの目押しは重要ではあるんだけど、もっと大事なモノがある」ってトコロが。私は目押しはまるで駄目だけど、それがかえって「目押し抜きでドコまでイケるのか」ってなチャレンジ精神をかき立ててくれるんだな。そういう精神構造している人にはオススメかも。
 
 なお、このゲーム地味に音楽が良い。前作も「最も気に入ったのは何か」と聞かれたら、ためらいなしに「音楽」と即答できるレベルだったからなあ。もっとも、だからって「BGM代わりにサウンドテスト聴きまくっている」のはどうかと…