8月31日2006/09/01 03:48

 諸般の事情により更新が遅れてしまった…いかんねえ。ま、良くある話ではある。深く気にせずいきましょう。
 
 本日の話題は、「ドイツ戦車軍団」システムの分析。いやあ、尊敬する高梨先生がこのシステムで何か作るらしい…となれば、応援の意味も兼ねて少し語っておくべきかなと。それが、秘密結社サクセンQ下っ端戦闘員の務めではないかい?
 
 「ドイツ戦車軍団」ってゲームは、その昔エポック社から発売されていた陸戦ゲーム。入門用であり、同じシステム使った3つのゲームが入っている。このうちの1つ「ハリコフ」は、ベテランがプレイしても面白いと思う。
 
 システム上の最大の特徴は、「防御側が後退すると、混乱する」ってところか。単に後ろに下がるだけでなく、混乱して使い物にならなくなる。おまけに後退方向は攻撃側が決めていいので、防衛線を築くのも大変だ。その代わりと言うほどではないけど、DE(防御側全滅)が少し出にくい。
 
 このシステムから導き出される結論として、「攻撃してる側が有利」ってのがある。相手を攻撃し続けてる限り、敵の部隊の一部は混乱して「言うことを聞かない」状態になる。これでは、守るのも反撃するのも大変だ。
 
 さらに分析すると、「戦線が膠着しにくい」ってことがわかる。ほんのちょっとでも有利な側が攻撃に出た場合、優位が広がりやすいから。一度押されると、押されっぱなしになりやすいのだ。「どこかで踏みとどまって、にらみ合い」って図式にはなりにくい。
 
 また、実は「反撃が華麗に決まりやすい」ってこともわかる。「良くある」システムだと、一定の戦果を上げたところで攻撃側が「受け」に転じると、反撃するのは大変になる。ところがだ。このシステムでは、受けに回っていいことは少ない。だから、「最後まで攻めきるか、攻撃失敗して散るか」ってトコロまで攻撃を継続したくなる。防御側も「相手の攻めを受けきれるってコトは、反撃する余裕があるってのと同義語」なので、ハデに反撃して相手を叩きのめしやすい。このため、「派手に突進して最後まで押し切るか、猛反撃喰らって派手に散るか」って展開になりやすい。
 
 こうやって見てみると、「ハリコフの戦い」に向いたシステムだってコトがわかる。この戦いは、「赤軍が派手に突進して、行き詰まったところで猛反撃喰らって負けた戦い」だからね。なお、赤軍が勝つときは「とにかく攻撃し続け、最後まで押し切った」って展開になることが多い。これも「ありそうなこと」だ。
 
 このシステムを使って、何か他の戦いをデザインするとしたら?うーむ、私はゲームデザインの経験がないので、何とも言い難いんだけど…少し考えてみよう。まず、「戦線が膠着した戦い」は露骨に向いてない。メジャーテーマでは、「Dデイ」がそうなる。マーケットガーデン作戦も相性悪そう。空挺部隊が粘れそうもないし。さらに言うなら、キリのように「狭く鋭く」突進するってのも再現しにくそう。
 
 バルジの戦いは?これまた「らしくない」かなあ。バルジの戦いは「突破し続けるか、戦線が膠着するか」が楽しいのであって、ガツンと押していれば相手が下がってゆく…ってシステムでは「何かが違う」気がする。こうしてみると、このシステムは西部戦線とは相性が良くないんだな。
 
 ということは、相性の良い東部戦線から選ぶのが正しいのか。うーん、そんな感じ。これはこれでつまらん結論だなあ。暴論かも知れないけど、むしろ第一次大戦から選んだらいいかも。装甲部隊が出てこないけど、それはそれで処理可能なのでは。
 
 かといって、「塹壕掘ってにらみ合い」ってのは駄目だ。でも、塹壕を掘る前なら?「マルヌの戦い」とか「タンネンベルグ」とか作ってみると面白いかも。これ以前だと「戦線」ができにくいので、また別のシステムの方がいいかな。
 
 とまあ、一応結論は出たわけだけど…役に立たない結論と言わざるを得ない。どれも売れそうもないテーマだからなあ。東部戦線はテーマとしてはメジャーだけど、それだけに凝ったシステムのゲームが多数投入されており、「ドイツ戦車軍団システムで割り込む意味はドコに?」ってなりがち。第一次大戦モノは単純に売れない。駄目だこりゃ。
 
 しかし、この結論はF男が出したモノ。ここで素晴らしい答えが出せるようなら、私は今頃ゲームデザイナーだ。高梨先生なら、もっと良い結論を出してくれるんじゃないかな。真面目な話、期待できると思う。
 
 ただ問題は…ホントに完成するのか、でしょ。いやその、別に恨んじゃいないんですけど、「大日本帝国の興亡」はどうなったのかなと、今でも思っている私としては…(以下略)

9月2日2006/09/03 04:10

 バスケ米国代表が敗退…いやね、最近は五輪でも優勝してないわけで、別に不思議と言うほどではない。でも、「今回こそは勝てるチーム」などと言っててこれかい。いい機会なので、苦言でも述べようかと。
 
 米国はスポーツ大国である。とにかく何でも盛んだし、動いてるゼニは桁が違う。五輪でもメダルは取りたい放題に近い。でも…最近何かしら「オカシイ」気がするのも事実。
 
 その象徴が「米国4大スポーツ」の、国際大会での不調かな。まずは野球。WBCで何が起きたのか、みんな覚えてるでしょ。次いでバスケ。冒頭で述べたとおり。アイスホッケーは冬季五輪でボロクソ。いくら「本場」はカナダって話があるからって…アメフトはそもそも国際大会がない。やるまでもなく米国が最強だろうけど、これは「米国以外じゃロクにやってない」スポーツ筆頭だからなあ。ちなみに、日本が世界で2番目って説があるんだけど、NFLに日本人選手はいない。そんなもんだ。
 
 ちなみに、競馬ははっきりと「弱くなった」と言っていい。芝じゃ国内ですら相当怪しいレベル。さすがにダートでは世界最強だと思うけど、日本やドバイに遠征すると信用度が落ちる。国内の主要なダートレースで外国の馬にヤラれまくる日がやってきても、別に不思議ではない。
 
 まあね、言い訳はわかる。要は国内の所属チームこそが重要なんであって、国際大会なんて「お遊び」だと。メジャーがWBCにあまり協力的でなかったのは有名だし、バスケも有力選手辞退しまくりだったようだ。国内で動いてるカネの大きさを考えれば、それも一理ある気がしてくる。
 
 ただ…この理屈は、伝え聞く「ヤンキー魂」とはかけ離れた理屈ではないかと。ヤンキーが「アメリカ代表」ってモノに魅力を感じないのはどうなのよ。いつからアメリカってのはそんな「軽い」存在になったんだ?
 
 欧州のサッカー代表と比較してみるといい。そりゃー「代表チームより強い」と豪語しているチームがいくつかあるのは事実。でも、だからって代表選手が露骨に「チーム優先」などと言ってる国はない。国がビンボーで代表選手のレベルにバラツキが多い、アフリカや東欧なんかの代表でその手の内紛が起きてるくらい。選手のモチベーションは、基本的にモーレツに高いでしょ。
 
 ましてやアメリカである。アメリカって国は元々寄せ集め集団なので、国家に対する意識は高いとされている。そのはずなのに、スポーツになるとモチベーション低下…これはいったいどーしたものかね。
 
 こうした「代表なんかのために戦えない」って姿勢は、米国って国にとって露骨にマイナスだと思う。強い弱いの問題じゃない。弱くても、「国のために戦えて嬉しい」って姿勢を示せないことが問題なのだ。だってそうでしょ。スポーツの代表選手が「国のために戦うなんて馬鹿馬鹿しい」って姿勢示していたら、兵隊さんだってそう考えちゃう危険があるんだから。
 
 私が見たところ、米国代表って存在は、「ハングリー精神」に欠けてるところがあるような気がする。日本だとハングリー精神ってのは「恵まれてると消えちゃうモノ」らしいけど、そんな単純なモノじゃない。それを承知で言うんだけど、なんかどっかで「負けてもいいや」って甘ったれた思いがあるような。本当は良くないんだけど。
 
 これは私の想像だけど、米国は今「勝ちたい」って気持ちより、「負けたくない」って気持ちの方が強いんじゃなかろーか。負けないための最良の方法は、勝負しないこと。代表チームが編成されても、「アレは本気じゃないから」で片付けて勝負を回避しちゃえば、負けても悔しくない。私はこーゆー考えは大嫌いだけどね。
 
 アメリカ代表がこうなっちゃったのは、いつ頃からか。うーん…少なくとも冷戦直後までは気合い入っていたと思うんだけどな。そもそもバスケの米国代表は、いつぞやの五輪でソ連代表に負けちゃったので、「気合い入れて編成された」はずなんだけどなあ。ドリームチームIのスゴさは今でも語りぐさになってるわけだし。あれからそんなに月日が経ったとは思えないんだけど…
 
 今現在及び近い将来だけ考えるなら、米国代表の弱さは「そんなものだ」で終わりにしていい。けどその先は…どーなっちゃうのかなー?って気がするのは事実。下手すると政治・経済にまで影響が出てくるかもね。代表ってのは何だかんだ言って「国の鏡」でもあるから。ま、日本人としては、他国の代表がどうこう言う以前に日本代表を何とかしなくちゃイケナイんだけどね。

9月4日2006/09/05 02:40

 本日の教訓。MS-Wordのファイルを一太郎で作るのはいいんだけど、そう言ってくれ。Wordだけじゃ文字組みが再現できないんので、問題が起きたとき対処しにくい。
 
 前回のブログの訂正を1つ。最終段落に「国の鏡」って言葉が出てくるけど、これは「国のカガミ」と表記すべきだった。「国の鑑」と「国の鏡」の2つの意味を持たせるため。こーゆーのが「推敲」って奴だね。黙って直すよりも、こう報告した方が面白いかと思いました。
 
 本題に行こう。本日のお題は、オシムジャパンの敗北を反省する意味で、「飛行機移動」を語ろうかと。サッカーそのものを語るのは面白くない(書き手が)ので。なお、色は悩んだ末に「旅行一般」ってことでこの色に。
 
 イヤな予感はしていた。移動直後に練習やらせたって報道があったので。そりゃあ代表選手を「甘やかすことはない」のは確かだけど、だからって飛行機による長時間移動の直後に練習するってのは…個人的見解として、無駄な苦行だと思うんだな。
 
 正直、私は飛行機は好きじゃない。国内移動だとあまり使いたくない。席の座り心地や機内サービスはいい。「落ちる」って恐怖はあることはあるけど、まあ克服可能だ。エンジンの騒音も我慢できる。問題は、あの「薄い空気」にある。
 
 一般に、飛行機は1万メートルぐらい上空を飛んでいる。この高度だと空気が薄いので、抵抗が少なくなって燃費がいいから。空気が薄いと大変なこともあるんだけど、ジェット機ならば簡単に克服可能だし。それはいいんだけど、おかげで機内の空気も薄い。外気と同じだと気絶や死亡まである(酸素マスク装備はシャレじゃない)ので、それよりは遙かにマシだけど、聞いた話では高度3,000mぐらいの気圧だとか。
 
 この薄い空気、それだけで相当不快である。短時間なら「なんかヘンだなあ」ぐらいで終わるけど、長時間閉じこめられてると悪影響が出てくる。私の場合、なーんか血の巡りが悪くなり、イヤな感じに眠くなる。これは正直たまらない。
 
 それともう1つ問題がある。到着してしまえば気圧の問題は片付くはずなんだけど、今度は「気圧の上昇」に伴う影響が出る。しかも、悪い方向に。風呂に入りすぎた時のように、軽く「のぼせる」のである。これだけなら問題は少ないけど、何かの拍子に急激に血圧が落ちることがある。通常すぐ復元するんだけど、ヒドい時は貧血で倒れる。とにかく血圧が安定しないのだ。
 
 私は結構低血圧だ。こうした「影響」の原因は、ソコにあるのは間違いない。でも、環境を考えれば血圧が不安定になるのはむしろ当然でしょ。こうした「ダメージ」は、ある程度普遍的なモノだと思われる。飛行機から降りた後は、あまり無茶はしない方がいいと思うんだけどなあ。
 
 コレに加えて、時差ボケが襲ってくる。時差ボケを単に「変な時間に眠くなり、変な時間に目が冴える」だけだと思わない方がいい。やけに疲れやすくなったり、やけに思考回路が鈍くなるといった影響が出ることがある。ヒドい時は「目が冴えてる時は体が動かず、体が元気な時に限って頭の動きが遅い」ってな状態に陥る。リズムが狂うってのは、甘く見てはいけないことだ。
 
 そりゃあね、時差ボケ解消には「むしろ体を動かせ」って時もある。けど、慣らし運転と全開運転は違うでしょ。さらに言うなら、年が若くて体力あるから克服可能って問題でもないと思う。むしろ普段から眠りが浅い老人の方が、克服しやすいんじゃないかぁ?その辺はよくわかんないけど。
 
 海外遠征ってのは、ある意味「環境の変化」との戦いである。色々理由はあるけど、要は「実力を発揮できない」で負けた例がどれだけあるとでも?「いかなる時でも実力を発揮できるよう、鍛えるべきだ!」と吼えるのは易しい。けど、モノによっては「受け入れて、逆らわない」とか、「万全の準備をして、環境を強引に変化させない」ことも大切でしょ。
 
 その点、オシムジャパンが「犯す必要のないリスク」をあえて犯した可能性は、あるんじゃないかな。準備する時間を与えない、直前のメンバー発表。コックを帯同しない。この程度なら精神修行の一環かもしれない。けど、移動直後の真夜中に練習するってのは…私が考える限り、体とアタマに無用なダメージを与える最良の手段の1つだ。それを承知の上で何かを得たかったのかもしれないけど、あの試合だけ考えるなら、得るモノより失ったモノの方が大きかったと思う。
 
 私は、オシムは良い監督だと思う。また、オシムの突き放した厳しさは、「オレの言うこと聞いていればいいんだ」トルシエや、「自由放任主義」ジーコの指導方針より、日本人向きだとも思う。けど、全部が全部正しいワケじゃないでしょ。今回の件は、私は評価できないね。つーか、誰か止めろよ。それこそオシムの嫌う「考えないサッカー」じゃねえのかよ。

9月6日2006/09/07 03:24

 コミケ以来のヲタクネタ。本日のお題は、「この世界の遠い将来」を軽く語ってみようかなと。ま、たまにはこの色で少し重いモノを語ろうかなと。
 
 世の中には、いまだ「マンガ・アニメってだけで見ない」層が幅広く生息しているけど、さすがにそーゆー意見は多少下火になった。それどころか、いわゆるお子様はたとえマンガであっても「本を読んでる」ってだけで評価されるとか。ヘンな時代だね。
 
 それに加えて、最近は「マンガ原作のドラマ」が量産されるようになった。ちょっと前なら、いくつか作品名出して語る…ってところだけど、今やそれすら馬鹿馬鹿しい数に増殖。いよいよもって「ヘンな時代」である。
 
 その一方で、このジャンルでは「大ヒット作品」が生まれにくくなってきているようだ。その理由については色々語られているんだけど、要約すれば「好みの多様化に対応した結果、万人向きの作品が登場しにくくなっている」ってことになるかな。
 
 こういう「一般化と多様化」の流れってのは、実は良くある話ではないかと推測される。その気になって研究すれば、色んなジャンルに発生している現象って結論が出るんじゃないかな。一般的にわかりやすい比較対象を出すなら、ポップス系歌謡曲がこれに該当するような。余談だけど、こうした「大衆文化の成長様式」を研究してる奴って、世界にどれぐらいいるのかね。
 
 ま、こういった視点から「ヲタク文化」を語るのも楽しいんだけど、私は別に大衆文化全般の研究者じゃない。よって話を個人的な視点に戻そう。「その昔」と「今」の最大の違いは何か?そりゃー何と言っても、「面白いモノを探すのに、物理的に苦労するようになった」ことじゃないかと思うんだな。
 
 苦労する理由は簡単。とにかく物量が増え、「アテになる基準」が消え去ったから。物量に関しては…月に何冊「マンガ雑誌など」が出てるのか、正直あまり考えたくない。いずれ調査しようと思っているんだけど…中高時代と比べ、「目を通してる」マンガ雑誌などの絶対数は増加しているにもかかわらず、「面白い作品を見逃してるかも…」って恐怖?は今の方が強い。
 
 アテになる基準については、細かい説明が必要かな。その昔は「アニメ化された」とか「ドラマ化された」って作品は、そう大きくハズさなかった。けど、今は…とはいえ、「クズなのにアニメ化された」って言うのとは、ちょっと違う。別の誰かにとっては大当たりかも知れないけど、自分にとってはハズレ…って作品もアニメだのドラマだのになっちゃうってだけの話。その証拠に、「コレを喜ぶのは、オレの他にいるんだろうか?」って作品がアニメ化されてるワケで。具体例は秘密。
 
 こんな世の中では、「受け身な奴が増えた」のもわかる気がする。昔は少し積極性を出して「面白いモノを探す」と、比較的すぐ目的のモノが見つかった。今同じコトをやろうと思ったら、どえらい苦労を強いられる。ヲタク文化が一般化して「広くなった」関係上、必然的に効率が悪くなったってことじゃないかと。
 
 でも、昔と違って情報化社会だから…ってのは、関係ないと思う。結局のトコロ、ある作品が「面白いかどうか」は、実際目を通してみて初めてわかる話。ここが不動である以上、他が多少効率良くなったところで「物量の増加」に追いついてるとは…
 
 こうして「受け身の人間」の割合が増えることは、業界全体としては望ましいコトじゃない気がする。衰退はしないだろうけど、成長が鈍る要因にはなるような。個人的意見だけど、いわゆる「ヲタク文化」の成長は、さすがにそろそろ限界が来てるんじゃないかと。その昔の「少子化に伴い衰退する」って予想は外れたけど、この予想は当たりそうな気がする。ま、私自身の予想だから、私がそう感じるのは当然なんだけど。
 
 ただまあ、ヲタク文化が「成長鈍化の反動で急激に落ち込む」ことはないんじゃないかと。いわゆる「バブル」ではなく、これはこれなりに地に足着いた成長だと思うので。好きな奴、しがみつく気合いのある奴、やる気のある奴は今も昔もそれなりにいて、その絶対数自体に大きな変化はないからね。
 
 ただ、少子化の影響はそのうち出ると思う。いわゆる対象年齢が上に拡大したため、今はまだ実感は薄い。けど、人口減少の影響はそのうち出て来るでしょ。「対象年齢の拡大」ってのは、ある意味単なる先送りだから。けど、これは日本全体が抱える問題だよね。ヲタク文化の視点からどうこうって話じゃないとは思う。
 
 とまあ、「ヲタク文化のマクロ的変化」を語ってみたんだけど…やっぱりこーゆーコトを語るのは難しいなあ。その意味で本日のネタは「失敗」だったような。ただ、試みたことには価値があるかもね。失敗のないところに成功があるとも思えないから。そもそもマクロ的変化なんて、国のお役人様が、「経済」という、みんな必死こいて研究してる分野に関して語ってさえ「当たらない」「役に立たない」ことなんだから(笑)。

9月10日2006/09/11 01:51

 「おはようF男君。今回の君の任務は、秘密結社『サクセンQ』大幹部の接待だ。埼玉県某所に集合する予定なので、精一杯歓待するように。集合場所は大宮駅。例によって、君もしくは君の仲間が呑み過ぎたとしても、当局は一切関知しない。なお、このテープは自動的に消滅する。」
 
 このような指令に対し、私の回答は?もちろん、ただの一言、「イー!」である。下っ端戦闘員なので、他の言葉しゃべれないよう改造されてるし(笑)。
 
 とまあ、土曜の朝っぱらから呼び出され、向かったのは埼玉県伊奈町にある、県民活動センター。ここは怪人タヌキ男様…じゃなかった、有楽斎殿の地元。ココに「秘密結社サクセンQ」大幹部が集結したのだ。
 
 その顔ぶれは、ゾル大佐に死神博士…じゃなかった、「富山の皇帝」平野氏・「嵐をよぶ男」中黒氏・「軍神」鹿内氏…そして、「サクセンQのゴッドファーザー」(命名者)こと、高梨先生である。うわ、ホントに大幹部だ。欠けてるのは鈴木大佐ぐらいか?
 
 さらに「ネオサクセンQ」…じゃなくて「コマンドマガジン」編集の宮永氏が加わり、このメンツを怪人タヌキ男…じゃねーって言ってるだろ!もとい、「埼玉の家康」(やっぱりタヌキじゃ…などと言ってはイケナイ)こと、有楽斎殿が歓待する。「清洲会議ならぬ伊奈会議」などと言うのも当然だね。
 
 集まって何をやったのかと言えば、コマンドマガジン付属予定のゲームのテスト。多分誌上リプレイになるんでは?メインとなるのは、鹿内氏と高梨先生の対戦である。うーむ、まさに夢の対決。
 
 対戦の結果などは雑誌に載るまで秘密としておくけど、やはり大幹部は「何か」が違う。我々下っ端には、遠く及ばないオーラがありますね。私が下っ端戦闘員に改造されて月日が過ぎ、年期だけはそれなりに積んできたわけだけど、その程度では遠く及ばないですよ。
 
 特に高梨先生は…私は「直系」ではないものの、限りなくそれに近い組織の一員だったからねえ。冗談でもヨイショでもなく、私にとっては文字通り「先生」なんですよ。そのご尊顔を拝したら、気分は学生時代。所用あって飲み会まではお付き合い願えなかったのが、本当に残念だったなあ。
 
 いくら年月が経とうとも、世の中が移り変わっても、やはり恩師はいつまで経っても恩師。高梨先生は、厳密には私の恩師ではない(悔しいことに!)けど、それに近い存在だ。こういう「尊敬できる人」がいるってことは、とても幸せなことだと思う。その上さらに「何故サクセンQの大幹部とされているのか」を実感させる「技」を間近で拝見できたのだ。素晴らしい。
 
 こういう勝負は、なるべくなら見逃したくない。当たり前のことではあるけど、実際は色々あってそうもいかなかったりする。けどね、私は今回の勝負が埼玉でなく、英国やドバイで行われても足を伸ばしただろう。それが私だから。私にとってはお馬様も特別だけど、高梨先生だって特別だからね。
 
 久々に拝見した高梨先生と異なり、「軍神」鹿内氏は比較的よく見かける間柄である。でも、この日は特別ご機嫌であられたような。まあそうでしょ。この日は「良き相手」が集結したんだから。良き相手を得て昂ぶるってのが、「勝負師として正しい姿」でしょ。この領域に達するのは、正直大変だよ。勝負事の世界でそれなりに評価されてる存在でさえ、それがわかってない奴も多いんだから。
 
 この日の集まりは、「見せ物」として素晴らしかった。どれぐらいかと言えば、今年のキングジョージ(私が観に行った)に匹敵するね。同じくらい「黄金対決」だもの。もっとも、だからって「何も英国まで行かなくても…」などと考えるようじゃ、駄目なんだな。「そこに素晴らしい何か」があるのなら、行ってライブ見物するよう最大限の努力をする。たとえそれが埼玉だろうと、英国だろうと。私はそんな奴だからこそ「この世界」で生き残ってきたんだろうし、だからこそ今回接待指令が出され、あの場にいたんだと思う。
 
 まあ、その後の飲み会は…地元大宮で呑んだのをいいことに、ドカスカ呑んでも良かったんだけど、そこは手加減しておいた(笑)。でも、美味い酒でしたよ。酒の味ってのは、何を呑んだかだけで決まるモノじゃないからねえ。これからも、こーゆ美味い酒を飲みたいものです。つーわけで、酒癖悪いからって見捨てないで(苦笑)。

9月11日2006/09/12 01:09

 「ミスターシービーの鞍上」吉永調教師も衝撃だけど、エレクトロキューショニストの訃報は…今年こそ「ゴドルフィンブルーの勝負服をまとった天才」を日本に連れてきて欲しかったのに…最後のレースを間近で見てきただけに、堪えましたねえ。
 
 私が観たこの馬は、「いかにも走りそうな馬」だった。朝の段階で「取り消すかも」って噂が流れたそうだけど、そんな感じは全く受けなかった。パドックの出来だけ考えたら、ハーツクライやハリケーンランより上だったような。少なくとも、「私好みの馬体」だったのは間違いない。
 
 レース内容は、多くを語る必要はないでしょ。普通ならズルズル後退しそうな感じだったのに、最後グッと伸びてハーツクライを差し返した。もちろん鞍上が天才デットーリだからこその芸当ではあるんだろうけど、馬自身の勝負根性も相当なモノだ。世の中には「苦しくなると諦めちゃう」馬が腐るほどいるけど、そんな連中とは大きく違う。
 
 エレクトロキューショニストは、元々「欧州でちょっとばかり名の知れた馬」に過ぎなかった。強いことは強いけど、世界一となるとどうかなあ…ってランクだった。遠征の不利があるゼンノロブロイより人気がなかったぐらいだ。にもかかわらず、ゼンノロブロイを破って勝利。これはこれで大したものだけど、凄みを感じさせるようなものじゃなかった。私も当時は「ふ~ん」で片付けていたモノだ。別にナマで観てたワケじゃないし。
 
 私の中の注目度がアップしたのは、やはりゴドルフィンに買われてから。そりゃそーだ。何故かはよくわからないけど、ドバイの殿下と私は馬の趣味が似ている。ゴドルフィンの馬で「強いかもしれないけど、私の趣味と合わない」なんて馬はいない。シングスピールは「実力はともかく、パドックの見栄えは最高」と評価した(けど、馬券買ってなかった)し、ファンタスティックライト様も「本来使っちゃイケナイ金を突っ込む価値のある馬」と決めつけた。
 
 そんな経緯があるだけに、エレクトロキューショニストはぼんやりと「いい馬なんだろうな」と思っていた。殿下が惚れた馬なんだから、私の趣味を外すワケがないと。私の好みってのは原則として猛烈に偏っていて、おまけにこだわりも強い。それゆえ、他の誰かが褒めたモノは話半分で聞くことにしている。私の趣味に合うとは限らないから。でも、殿下は別格である。ジャンルを問わず、全くの見ず知らずの間柄なのに、ここまで信用している人は他にいない。この点は日本の松山調教師や香港のアラン元調教師でさえも、遠く及ばない。
 
 そして遭遇したエレクトロキューショニスト。想像以上に「私の趣味に合う」馬でしたね。ハーツクライは元々「成績はともかく、馬体は結構好み」だったんだけど、エレクトロキューショニスト以上ではなかったなあ。あれで有馬記念で2着だったりしたら、乗り換えたかも。それでもハリケーンランには勝てないんだけど、そーゆー問題じゃねえ。
 
 パドックの見栄えだけじゃない。私は「死にかけたところから最後にまた伸びる」馬が大好きだ。華麗に大差を付けて勝つより、コッチの方がグッと来るね。ハーツクライとの2着争いとはいえ、そーゆー芸当を見せてくれたんだから大したものだ。もちろんハーツクライを見捨てたワケじゃないし、ハリケーンランの凄さも多いに思い知らされた。けど、この馬もまた私を多いに魅了してくれた。
 
 そんな馬だけに、エレクトロキューショニストの「次走」は気になった。やはり理想はJC&香港を使ってくれることかなと。さほど非現実的な望みじゃないと思うぞ。先輩格のファンタスティックライト様は「キングジョージ~JC~香港」の都合3回、私の目の前で走ってくれたんだし。その歴史を繰り返してくれないかな…って期待はしてたのだ。
 
 なのに、エレクトロキューショニストはもういない…正直、喪失感は大きいね。「必ずや再会してやる!」と意気込んでいただけに。私の気合いと情熱さえ足りていたのなら、再会できるはずだったのに…「じゃあ、またな」と言ってアスコットで別れたはずだったのに…まさかこんな形で、終の別れになるとは。
 
 海外競馬の醍醐味の1つに、「知ってる馬が目の前で走るだけで感動モノ」ってのがある。日本からの遠征馬の場合、ちゃんと出走にこぎ着けるだけでも大変だから。ましてや海外のお馬様なんて、基本的に一期一会。軽々しく再会を約束できるような存在じゃない。それだけに、何かの拍子で再会できたら感動モノだ。この気持ちは独特だね。
 
 私に言わせると、世界は呆れるほど広い。エレクトロキューショニストとの再会だって、本当のところどうなったのかはわからない。たとえ長く現役を続けてくれていたとしても、再会できなかった可能性は高い。でも…「何をどうやっても再会できない」ってのはね…
 
 遣唐使の時代、阿倍仲麻呂の乗った船が沈んだと聞いた詩人の李白は、惜別の詩を残した。実際はベトナムに流れ着いたわけだけど。当時の交通事情を考えれば、日本にいようがあの世に行こうが「終の別れ」に変わりはなかったはず。それでも、いやそれだからこそ哀しいんだよ。今の私は、その気持ちがわかる気がする。ので、最後はその詩を引用して終わろう。
 
 日本晁卿辞帝都 日本の晁卿帝都を辞し
 征帆一片遶蓬壷 征帆一片蓬壷を遶る
 明月不帰沈碧海 明月帰らず碧海に沈み
 白雲愁色満蒼梧 白雲愁色蒼梧に満つ

9月12日2006/09/13 00:12

 コレだよコレ!私は、こーゆー本を求めていたんだよ!いやあ、感動だなあ。でも、ドコをどう考えても私限定。ならば、ネタにするしかない。そーゆーものを語るのがココの使命だからね。
 
 てなわけで、本日のネタはハヤカワ文庫から出た「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を採り上げる。これはイイよ!是非一読を勧める。
 
 タイトルから、エイリアンによるアブダクション(誘拐)を扱ってるのはわかる。でも、単純な「彼らは地球を狙っている!」って内容の本じゃない。アブダクションを「ありそうもないこと」と否定した上で、「何で連中はそんな馬鹿げたことを信じているのか」を分析している。ド硬派な心理学の本だ。
 
 ちょっとその気になって調べてみれば、「エイリアンによるアブダクション」なるものが馬鹿馬鹿しいのはすぐわかる。中にはホンモノがあると仮定してもいいけど、大半は「違うと思う」の一言で片付けてイイ。にもかかわらず、何でそんな主張をする人間がいるのか?オカシイのは認めるにしても、どれぐらいオカシイの?どこがオカシイの?これは興味深い問題だ。
 
 結論を言うと、彼らアブダクティー(アブダクトされたと主張する人々)は、心底「誘拐された!」と信じているらしい。なぜなら、そういう記憶があるから。私が昨日職場に行き、帰りにドトールでコーヒー呑みながらマンガ雑誌を読んでいた記憶があるのと同様、彼らにはそういう記憶があるのだ。しかも、明白な。
 
 ちょっと待て。何でそんな記憶があるのか?実のところ、「ありもしない出来事の記憶を植え付ける」ってのは、我々が考えてるよりよっぽど簡単で、しかもそれは「現実の記憶」と区別が難しいらしい。もちろん第三者から見ればナンセンスな内容が含まれていることが多いので、一応区別は付く。でも、だからって「そういう記憶がある」って事実は消えたりしない。
 
 そういう記憶を植え付けた元凶は何か?むろん様々なモノがあるらしいけど、代表的なものは「催眠療法」だとか。催眠術をかけて「忘れている記憶を取り戻す」ってのは、どこかで聞いたことあると思う。ところがこの催眠療法、実際は記憶を取り戻すより、混乱させることの方が多いらしいのだ。それどころか、そもそも記憶回復効果があるかどうかさえ怪しいとか。
 
 きっかけはささいなことが多い。夜目が覚めたのに体が動かないとか、気になる形のアザができたとか、なんか最近憂鬱だとか。その原因を探ろうとして催眠療法だの何だのを利用しているうち、「エイリアンに誘拐された!」って記憶を獲得してしまったのが、アブダクティーである。そういう妄想を獲得しやすい性格・性質ってのはあるらしいけど、そんな奴はこの世にありふれている。統計によると、だいたい5%弱の人が「そういう性質」だとか。これ、結構大きい数字である。全員がそういう妄想に取り憑かれるワケではないけど、色んな意味で不安を誘うほど。
 
 妄想なんていくらでも考えられるのに、何でエイリアンなのか?まず重要なのが、何であれ「自分の身に起こった、悪いこと」が諸悪の根源だと考えることは、実は魅力的なことである。「オレが悪いんじゃない、○○のせいなんだ」って理屈だね。遺伝・幼少時のトラウマ・知らずに食わされていた有害物質・金持ち優先の政治・気にくわない上司…その他何でもこれに当てはまるでしょ。何となくそれっぽくて、本人が納得しさえすれば。
 
 さらに言うなら、エイリアンに誘拐されるって記憶は「相当不快なこと」であると同時に、「オレは選ばれた!」って選民思想を満たしてくれる、甘美なものでもある。苦行による選民思想ってのは、誰でも持ちうる普遍的な発想だ。若いときの苦労話を自慢げに語るオヤジなんて山ほどいるし、アナタも語ったことはないかな?正直、私も語っている。
 
 もちろん、文化的な影響も無視できない。TVや映画の影響がなけりゃ、こんな発想は出てこない。ただ…いわゆる「下らない番組の見過ぎ」というのはどうかな?ニセの記憶を植え付けるのに効果的なモノは、視覚情報だそうな。「確かにこの目で見たんだ!」って記憶は強固だってコトだね。ただし、実態はTVなどで仕入れた映像の記憶などがごちゃまぜになってるわけだけど。つまりだ。下らないかどうかはさておき、とにかくTV映像自体が「妄想の温床」になりかねないわけだ。エイリアンって発想は下らない番組からしか出てこないとしても、それに匹敵するぐらいアホらしい妄想は他に山ほどある。
 
 この本の結論は、不気味である。アブダクティーは、確かにオカシイ。でも、それは「異質なオカシサ」ではなく、誰もが持ちうる性質・願望・経験の変形に過ぎない。つまりだ。私やアナタが、いつの日か「エイリアンに誘拐された」って考えに取り憑かれたとしても、別に不思議なことではないのだ。確かに確率は低いけど、ゼロではない。ありそうもないことは認めてもいいけど、「あり得ない」って保障はドコにもない。正直、エイリアンそのものよりもよっぽど「怖い」んだけど。
 
 なお、このネタは多いに気に入ったので、しばらくこのネタで引っ張ろうと思います。次回の予定は「日本人とアブダクティー」の予定。お楽しみに?

9月16日2006/09/17 00:48

 本日の出来事は後日。ここは予告通りに「日本人とアブダクティー」と行きましょ。日本人にアブダクティーは存在するのか?いても少数だとしたら、何故少ないのか?そこを考察してみる。学問ネタにするにはアホらしいので、この色にしておこう。
 
 アブダクティーが誕生する理屈を考えれば、日本人にアブダクティーがいても何の不思議はない。でも、「そんな奴いねえじゃねえか」と言われれば、そんな気がするのも事実。そこで、いくつか私なりの「説明となる仮説」を紹介したい。
 
 ここで説明できるのは、あくまで「仮説」である。本来ならばきちんと検証しなくては意味がない。けど、そんなこと私に要求されても困る。色んな意味で能力不足だ。ただ、仮説無き検証は意味が薄かったりするので、仮説にもチャンと意味はあるはず。ヒマがあれば調べてみるとイイかもね。
 
 仮説その1。「日本人アブダクティーは、少なくなんか無い。私が無知なだけ。」この可能性は一応ある。私の情報なんてたかが知れてるわけで。きちんとした検証を行うのなら、精神医学上の報告を集めるしかない。ただネタがネタなだけに、「過去TV番組でどう扱われていたか」を調べるだけで、ある程度の検証になると思う。UFO絡みのTV番組がどれぐらいあり、そこに日本人アブダクティーがどれぐらい登場したのか。いればネタにしたがるだろうからねえ。多分間違いって結論になるのでは。
 
 仮説その2。「少なくはないけど、みんな隠してる。」妄想を抱いている奴は実は多いんだけど、隠しているか隠されている。日本で「オレはエイリアンに誘拐された!」なんて突飛な主張すればどうなるかを考えたら、可能性はあるなあ。ただ、ネタとしてはウケることを考えれば、いかにガードを固めても何かしら漏れてきそうなモノだ。これも否定的かな。
 
 仮説その3。「日本人は、人種としてこの手の妄想は抱きにくい。」妄想だの何だのと言った精神的疾患に、遺伝的な影響ってのはあるとされている。それが全てではないけど、人種的な遺伝的特質ってのは、無視できないはずだ。これが影響してるのかもしれない。実は本の中でも「黒人のアブダクティーは見たことない」って報告があり、民族的な遺伝的特質が関係している可能性も示唆されている。ただ…これは検証の難しい仮説である。精神的疾患に遺伝が関与してることはわかっているとしても、より具体的なことはロクにわかってないからね。せめて本場の研究がもっと進まないと、検証不能だろうとしておく。
 
 仮説その4。「日本人は、この手の妄想抱くほど病んでない。」社会的ストレスが小さいので、妄想抱く人間が少ないって説。そう信じたい気持ちはわかる。けど、正直そんなことはねーだろ。「日の出と共に起きて畑かっぽじって、日が沈むとさっさと寝る」って生活が一般的だと?中央線がよく遅れる理由が何かを考えるまでもなく、否定的に検証されてると断言していいと思うな。
 
 仮説その5。「日本では、精神医学が未発達だから。」これは可能性が高め。この手の妄想を膨らませたきっかけの1つに、催眠療法を受けたってのがあるのは事実。米国と異なり精神的治療に抵抗が強い日本では、そーゆー治療を受けた人が少数と思われる。それが良い方向に出てるのでは。ただ、いわゆる催眠療法を受けた人は少なくても、「似たような効果をもたらすモノ」まで含めるとどうだろう。民間療法や宗教の入信儀式、果ては占いを聞くだけでも、「そうなる」可能性があるのだ。米国で精神医学の弊害があったからって、「未発達のままで良かった」とは限らない。本格的検証は世界の精神医学界全体の課題でしょ。
 
 仮説その6。「日本人は、文化的にこの手の妄想を抱きにくい。」仮説その3と異なり、文化的に妄想を抱きにくいって説。横並び思想が強く、突飛な考えは何であれ歓迎せず、上の言うことは常に正しい…って世の中なら、妄想のきっかけがあっても潰されるのが落ち。これを良いことだと評価することもできるけど、代償が何なのかは…検証は日本の精神医学界の課題だね。いや、JR東日本の課題かも(苦笑)。
 
 仮説その7。「日本人は、エイリアンになじみがない。」エイリアンに誘拐されたって妄想は、間違いなく文化的影響がある。そんな発想自体が出てこないからね。いわゆる西洋文化に毒されていない限り、出てこない妄想である。それは認めるけど、日本のドコが西洋文化に毒されていないって?それに、「ウルトラマン」「戦隊モノ」といった日本オリジナルの作品に、どれだけエイリアンが出てきたと?私が思うに、否定的に検証されていると思う。
 
 仮説その8。「日本人は、別の妄想に弱い。」エイリアンって概念は認知されてるけど、それよりもっと馴染む概念があり、ソッチに引きつけられちゃうってもの。私の思う本命はコレかな。そもそものとっかかりとして「金縛りにあった」って事例は多いとか。日本人がコレに遭遇した場合、まず間違いなく「幽霊のせい」と言われる。幽霊だって説明に納得してしまえば、エイリアンを持ち出す必要はないわけだ。検証は大変だけど魅力的かな。まず、「何故日本人は幽霊を見たと信じるのか」を本格的に研究してだなあ…こーゆー研究が出てこないのが、日本の駄目な点だと思う。マジに。
 
 仮説その9。「映像文化上の問題。」何のことかって?日本でエイリアンを扱う映像作品を考えた場合、かなりの割合で「妄想のタネにするには、現実味が足りない作品」が混じるって説だ。平たく言えば、アニメと海外作品である。
 
 人間は視覚の動物である。よって、「何かを目撃したって記憶」は強烈であり、実に真実味がある。アブダクティーは記憶の混同などが生じた結果、TVなどの映像と現実の記憶や欲望などが入り交じり、なんか現実っぽいニセ記憶を獲得してしまう。ただ、このタネとなる映像記録に現実味がなければ、ニセ記憶って領域にまで育つことはないでしょ。
 
 何が言いたいかは、「酔っぱらって目を覚ましたら、怪しげな医者に取り囲まれて手術されていた」ってシーンを思い浮かべてもらうのがいい。現実としてそうなるってのは、可能性がある。医者の顔が何だかキムタクに似ていたとしても、それが夢とは限らない。けど、医者が白人や黒人だったら「どうも夢らしい」となるし、ましてやアニメ絵だったら「夢だな」って確信になる。
 
 ここに宇宙人が登場した場合、実はそれだけでは「夢だな」って確信にはなりにくい。突飛なモノ・聞いたことあるけど見たこと無いモノってのは、夢か現実かを見分ける指針としては不確かだ。比較対象がないから。逆にありふれすぎても比較はできない。純粋な妄想と映像の記憶と現実の間に違いがないから。でも、人間は違う。比較できる程度にありふれていて、なおかつ細かい違いがある。
 
 アニメが妄想のタネになりにくい…ってのは、結構意外な見解だと思う。けど、アブダクションに関する妄想に関しては、そう考えるに足る分析があるのも事実。きちんとした検証があるわけではないけど、検証してみるに値するんじゃないかなあ。
 
 もちろん、だからって「アニメは有害じゃない!」などと主張する気はない。別の種類の妄想に関しては有害なのかもしれないし、妄想とは無関係な部分で有害なのは確実だし。ただ、「何にとって有害で、何にとって無害なのか」をきちんと検証しないで、ただ有害だと決めつけるのは良くないと思うな。
 
 妄想について考えるのは、イヤなことだとは思う。ましてや「自分がそれに取り憑かれるかも」と考えるのはなおさらだ。けど、それをやらない限り、いつどんな形で妄想に取り憑かれるかわかったものじゃないのも事実。取り憑かれてからじゃ遅いからね。根拠の薄い「自分はマトモだ」って思いこみは、「俺は宇宙人に誘拐された!」って妄想と同程度に危険で迷惑なモノだと思うんだけど、どうかね。

9月18日2006/09/18 23:11

 本日のネタは、土日に行われたMiddle-Earth東京支部の連続例会について。色んなコトがあったので、オムニバス形式でお届けしましょう。
 
 話題その1は「Twilight Struggle」ワンデートーナメント。ちゃっちゃか終わるゲームなので、簡単なトーナメントをやってみようって話は前々からあったので。私の戦果は初日に2位で2日目は1回戦負け。だけど、どっちも負けたのは同一人物で、その人が総合優勝。ま、良くはないけど悪くもない結果ではある。
 
 ただねえ。久々だったので、結構忘れてる。細かい計算が追いつかない。もう少し修行積んでから挑んだ方が良かったかな。ま、それはみんな同じだと思うけど。それより気になったのが、「結局ソ連の勝ち」ってゲームが多めだったこと。「勝利得点入札して陣営決定」ってだけじゃ、ハンデとしては不足なのかも。もう少し大胆にバランス調整するか、裏表やって勝者を決めた方が良かったかもね。ま、この辺は今後の課題かな。
 
 優勝した宮川氏は、結構強気にソ連をプレイできるよう、勝利得点を入札するタイプ。みんな忘れてることもあり、これが正解と出たようだ。ちょっと前まではもう少し米国が戦えた気もするんだけど…ま、私の場合、ちょっとツキもなかった(相手のカードの回りが良かった)んだけどね。世の中なんてそんなものよ。
 
 もう1つの話題は、関ヶ原トーナメントの報告。チャンプはねだ氏と増山氏の対決は、最終ターンまでみっちり戦った結果チャンプの勝利。これは見応えのある勝負でした。
 
 中盤ぐらいには「増山氏の勝利は堅い」と思っていたんだけど、勝利を決めきれない。最後は怒濤の大垣城攻略が行われ、増山氏の「勝ち」を消すような形でチャンプが勝利を決めた。増山氏の詰めが甘かったと言うよりは、ロープ背負っても焦らずこまめにカウンターを出し続けた羽田氏を褒めるべきでしょ。さすがチャンプ。前回の関ヶ原トーナメントでこの称号をゲットしたのは伊達じゃない。見事な勝利でした。
 
 この結果、準決勝に進出したのは有楽斎氏・庭猟師氏・西新宿鮫氏・チャンプはねだ氏(進出決定順)に決定。ここで組み合わせ抽選が行われ、準決勝は庭猟師氏VS西新宿鮫氏、有楽斎氏VSチャンプはねだ氏という組み合わせに。
 
 ここで私の予想を述べると…まず有楽斎氏VSチャンプはねだ氏は、有楽斎氏の勝ちと見る。技量はほぼ互角の両者だけど、勢いの差で有楽斎氏が上と見た。庭猟師氏VS西新宿鮫氏は、西新宿鮫氏が有利かな。勢いだけ見たら庭猟師氏の方が上だけど、勢いで押し切るのが一番難しい相手と見るので。その意味では、まだチャンプはねだ氏と当たった方が勝ち目があったかも。そして決勝は…西新宿鮫氏かなあ。有楽斎氏はシルバーコレクターだからなあ(笑)。
 
 最後はウクライナ44の話題。最新のコマンドマガジンの付録。人と何度か対戦して、やっと戦い方がわかりました。
 
 ソロプレイの段階では、「なんかおかしいなあ」ってのがあった。まず、赤軍がうまく独軍を包囲できない。これは何度かソロプレイして見つけたんだけど、今度は独軍が守りきれない。困ったモノである。
 
 対戦しても、その点は変わらず。対策として歩兵に反撃かけてみたんだけど、どーもうまくいかない。そこで何度かやってみて、なおかつお互い気がついたことを色々試して、さらに上級者の鹿内氏のささやきを取り入れてやっと「マトモな」展開がわかった次第。
 
 私のドコが間違っていたかと言えば、「南方突破を軽視しすぎていた」ってのがある。ソロなので、独軍も赤軍も南方を軽視してたのだ。独軍が「コッチへ行くよ」って見せかけ、戦力を引きつける必要があるんだな。そうすると必然的に薄い場所が出てくるので、そこを狙う。また、相手の装甲部隊へ反撃するのも忘れちゃイケナイ。装甲部隊を上手にすり減らせば、赤軍に弱いところができるから。
 
 このゲーム、他人と何度かプレイして、やっと「どーすりゃいいのか」がわかるってタイプのゲームだと思う。ぱっと見は単純だけど、奥は深い。色々と怪しげな手を試してみたくなるな。今回は私同様に「ソロしか経験無い」方が相手だったけど、次は経験者相手に色々試してみたいなあ。
 
 とまあ、楽しい2日間でした。ゲーマー冥利に尽きますな。技量がヘタレでも、楽しければそれでいいんだよ。うん。だから、大事なトーナメントで負けたとか、ウクライナ44の勝率が低かったコトなんて、気にしなくても…

9月21日2006/09/22 01:26

 本日は新司法試験の合格発表日。色んな立場から言いたいことがいーっぱいあるんだけど、下手すると守秘義務に引っかかりそうなのでパス。
 
 その代わりと言っては何だけど、本日の出来事を1つ報告しようかと。元地検特捜部勤務の某先生が、本日の情報を求めて私の仕事場に現れたので、つい「先日、某タブロイド新聞に掲載されていました」と報告してしまいました。
 
 その新聞記事ってのが、褒めていたんなら胸を張って報告できる。けど、叩かれていたんだな。ま、それがその新聞の存在価値だから仕方ないけど。ただまあ、「悪人を弁護するのはけしからん」などという、しょーもない理由で叩いていた。先生も、深くは気にされてなかったようだ。
 
 刑事弁護士ってのは、ある意味冷たい目で見られている仕事である。悪人の肩を持つってのが「仕事」だから。ただまあ、悪人だからって何やってもいいってのは、時代劇だけの話。実際問題としては、どんな悪人にも弁護士は必要でしょ。
 
 実際、警察だの検察だのが「暴走」した例は少なくない。その辺ちゃんと歯止めをかけてくれないと、それこそいつ逮捕されても文句は言えない。ごくつまらんコトも含めて「何もやってない」と公言できる人間がどれだけいると?さらに冤罪のことも考えれば、刑事弁護士って職業は大切だ。
 
 ただまあ、刑事弁護士の仕事の大半が「悪人を弁護してる」ってのも事実。それに、正直「それはどうなの?」って弁護方針を採用する奴がいるのも確か。ただまあ、これは簡単に答えを出せる問題ではない。私は世間一般の人の中では多少法律に詳しいハズだけど、しょせん三流大法学部の落ちこぼれ。そんな奴の意見なんて、尊重に値しないと思っている。
 
 余談だけど、私が「裁判員制度に信念を持って反対している」のは、裁判にシロートの見解を持ち込むことに反対だからだ。判例や学説はおろか、六法すらろくすっぽ読んだこと無い奴(当然私も含む)が、裁判に立ち会って何するっての?「修行不足でした。出直してきます。」とは言えないんだから。世間で言うように、「トーシロが深く考えずロクでもない結論を出す」ことを心配しているワケではない。深く考えて真面目に向き合ったところで、裁判を混乱させる以上のことができないのでは?っていうことだ。
 
 閑話休題。たとえ悪人でも、弁護される権利はある。ましてや特捜に逮捕されたなんてコトになれば、「とにかくいい弁護士を」って考えるのは当然でしょ。それどころか、可能な限りそうして欲しい。特捜部に「暴走」なんてされたら、大変なんてモノじゃ済まないからね。巨悪を捕まえるのが仕事って部署なだけに、言ってみれば劇薬みたいなモノだから。ちょっと使い方間違えただけで大変なことになる。
 
 そんな特捜部と渡り合うってコトを考えた場合、相手の手の内を知ってる「元特捜部」って弁護士に頼むのは、悪いコトじゃないと思う。つーか、ドコが悪い?悪名高い「天下り」と共通点があるのは認める。けど、一緒にはできないと思うな。少なくとも私はそう思う。
 
 またこの先生、「教師」として見た場合もいい先生だと思うな。「雰囲気」は相当なモノだけど、別に近寄りがたいってワケじゃないし、熱心だし。授業受けたワケではないけど、その辺は何となくわかる。真面目な話、カネ払ってでも教わってみたい先生だなあ。ま、私の学力じゃひっくり返っても無理だけど。また、私がもし特捜部に検挙されるようなコトがあった場合、是非弁護していただきたいものだ。罪を軽くしてくれるとはカケラも思わないけど、不必要な罪は背負わされずに済みそうな気がする。そーゆー判決を引き出すのが弁護士の仕事だと思うんだけど、どうかね。
 
 また、私のしょーもない報告に対する切り返しも秀逸だった。「今度は研究とか、そういうことで新聞に載りたいものだな」ときたもんだ。「粋」ってのは、こーゆー台詞のことを言うんだと思うな。正直、私のよーな派遣社員に使うには、もったいないぐらいだ。私も心底そういう記事が読みたいなあ。そして「読みました」って報告して、「読んでくれたか。有り難う。」とでも言われてみたいものですよ。
 
 ただこの先生、ちょっと…どころじゃく「おっかない」存在でもある。いやまあ、そりゃそーでしょ。あの****(←超ド級有名人)を捕まえた人だからねえ。生徒が提出したレポートを整理してお渡しする時、「む、今回は未提出者が多いな」って言われただけでコッチがビビる。別に私は悪くないのにね。そんな方だけに…まさか今日の話題、報告するバカとかいないよな。「なんか好き放題書いてるみたいじゃないか」なんて言われたら…えーと、侮辱罪って最長何年喰らい込むんだっけ?いや名誉毀損か?