10月15日2005/10/16 00:57

 ヲタクネタ。水島新司先生の「野球狂の詩」&「ドカベン」連動企画について。先週からやってるんだけど、あまりに衝撃が大きかったのでやっと採り上げる気になった。
 
 連動企画とはどーゆーことか?週刊モーニングと週刊少年チャンピオンを両方読めばわかる。同じ試合を主役交代しただけで掲載してるのだ。なんというか…こんなことやっていいんだろーか。
 
 モーニング側でやってるのは「野球狂の詩」。セリーグを征したメッツ(今は本拠地北海道)が、日本シリーズ戦ってます。チャンピオン側の「ドカベン」では、パリーグ制覇したスーパースターズ(山田太郎以下が所属)が日本シリーズ戦ってます。相手はわかるでしょ。ドカベン山田VS岩田鉄五郎だ。うーむ。
 
 何でこんなコトが可能なのか?そりゃもう、水島新司大先生だから。ドコの編集者が大先生に逆らえると?現役漫画家では問答無用のビッグネームだからねえ。編集側がこんな企画を思いつくワケがない。出版社からして違うんだから。どっからどう見ても大先生から出た企画でしょ。
 
 今までも「別作品のキャラが出てくる」マンガってのはあった。ただし、端役としてなら。フツーは作品ごとに世界観からして違うので、登場させようがない。「よく似た別人」が出てくるものは数多いけど、あくまで別人止まり。続編でもないのに、真正面から過去キャラ持ってきた作品となると…ぱっと思いつくのは、たがみよしひさの「なあばすぶれいくだうん」だなあ。「戦士(フェダーイン)」「軽井沢シンドローム」「我が名は狼」「依頼人から一言」のキャラが堂々と出てきた。まあ、これはギャグ色強めの作品だからできたコトだとは思う。
 
 現役作品でこの手の連動ぶちかましたのは、CLAMPの「ツバサ」&「XXXホリック」かね。「ツバサ」自体、かなりのキャラが過去作品からの使い回しだったりする(そこが笑える)んだけど、それとは別に多少の連動性があった。ただ、ホントにどーでもいい程度。実は深い深い連動性があるのかも知れないけど、今のところそういう方向には進んでない。ちなみに出版社は一緒だ。
 
 確かに、「ドカベン」と「野球狂の詩」は連動性があった。当初の「ドカベン」時代から「メッツ入団希望」うんぬんって話があったはずだし、「大甲子園」では鉄五郎と五利監督がちょろっと顔見せてる。だからまあ、お互いに試合するのはわからなくもない。けどねえ、2誌で同時連載ってのはどうなのよ。
 
 両誌を読んでる私にしてみれば、これはある意味扱いに困る。どっちから読むのか、大いに考えちゃうからだ。片方読むと、当たり前だけど試合展開がわかる。同じ事やってんだから。同じ漫画を読み返すのとあんまり変わらないんだよね。多少時間置いて読むってんならともかく、そーゆーわけにいかない事情ってモノ(まとめて昼に立ち読みしてるから)があるので…
 
 とはいえ、一度目を通してみる価値はあると思う。前代未聞の試みだから。ただ、試合に決着が付くまで両方読む価値があるかと言えば…私はそうするつもりだけど、他人にオススメはできないかも。毎週連続して読むのは、ちょっとだけキビシイと思う。私はヤングジャンプとヤングサンデー(両方とも毎週木曜発売)も読んでる(苦笑)ので、読む順番工夫すればいい。けど、そんな馬鹿は少数派でしょ。
 
 「ドカベン」「野球狂の詩」は、両方とも名作だと思う。それだけに「夢の対決」だってのは大いに認めるところだ。ただし、こーゆー形式で読むとは思っても見なかった。私は「いくら何でも同じ発売日の雑誌でやるとは」と思うけど、まあこの辺は人によって意見が異なる所じゃないかな。同じ発売日だからこそ出来たって話もありそうだし。理屈はともかく、目を通す価値があるんじゃないかな。
 
 ところで…ドコをどう考えても、どっちかが勝ってどっちかが負けなきゃいけないんだよね。まさか日本シリーズで「引き分け」はないだろ。で、どっちが勝つんだ?

10月17日2005/10/18 00:32

 パリーグを征したのは、千葉ロッテマリーンズ。本当に紙一重の勝負を制した。野球を取り巻く環境が騒がしい昨今だけど、やはり基本はグラウンド上での面白さ。それを再確認させてくれたんじゃないかな。おめでとう。
 
 ここで素直に野球の話題じゃ面白くない。つーわけで、チーム名にちなんで米海兵隊の話題なんぞ。案外知られてないと思うので。なお、軍事なのでこの色の話題ってコトで。
 
 マスコミなんかも含めて誤解している人が多いけど、米海兵隊は米陸軍とは完全な別組織である。元々は海軍の1部だったんだけど、近年は独立してるようなモノ。まあ、旧日本の陸・海軍に比べればよほど連携が取れてるので、陸軍と行動を共にすることも多い。
 
 そもそも米海兵隊ってのは、「海軍の船に乗り込んで海外で戦うための集団」だった。米国ってのはある意味巨大な島国であり、陸軍ってのは北米大陸で戦うための組織だったというわけだ。各国の米大使館を警護するのは海兵隊が担当してるけど、これは「海兵隊が強いから」ではなく、そもそも海外ってのは海兵隊の仕事場だったから。歴史的理由ってやつだね。
 
 海兵隊が出来た当時、海戦ってのは「相手の船に乗り移って殴り合う」ってのが重要だった。海兵隊ってのはもともとそのための軍人だったわけだ。船に乗るのに慣れてるから、海の向こうに兵隊送り込むには便利だってんで「海の向こうでで戦う兵隊」扱いされたわけだ。私の記憶が正しければ、中国の義和団事変の時に戦わされたのも、第1次大戦の折に欧州に送り込まれたのも海兵隊である。
 
 とはいえ、いつまでも「海軍の船に殴り込み要員」って時代じゃない。第1次大戦の頃にはとっくの昔に陸軍も海外派兵する時代となっており、その存在意義は常に疑われてきた。正直、いつ消え去っても不思議はなかったと思うな。
 
 その流れが変わったのは、太平洋戦争からである。日本軍と戦うため、激戦に次ぐ激戦を繰り広げた。その後「核兵器の時代にこんな組織が必要か?」って疑問も出たんだけど、朝鮮戦争で仁川上陸作戦を華麗に成功させ、そんな疑問はどっかへ吹っ飛んでしまった。今じゃ派兵するのに便利な存在として、何かあるたびに先陣切って戦っている。
 
 海兵隊のお家芸は「敵前強襲上陸」である。第二次大戦の時は米陸軍もこれをやらされた(ノルマンジー上陸は米陸軍)けど、太平洋で戦った海兵隊は何度も何度もこれをやらされた。敵前強襲上陸ってのは猛烈に危険な作戦なので、損害に五月蠅い最近じゃ試みようともしない。けど、今でもそのための準備は怠ってない。もし米国が「損害を度外視しても大規模敵前上陸をやる!」と決意した場合、実行するのは海兵隊だろう。
 
 米海兵隊が「世界最強の軍隊」などと呼ばれるのは、根性が違うからである。海兵隊ってのは「敵前上陸をするための軍隊」だ。この時、当然逃げ場所なんてどこにもない。毎回文字通り背水の陣になる。当然、損害を度外視して前に進み、敵を倒さなければ明日がない。太平洋戦争から遠く隔たった今日でさえ、「海兵隊ってのはそんなものだ」って教育が行き届いている。もちろん根性だけじゃ勝てないけど、根性抜きじゃやっぱり勝てないからね。
 
 海兵隊が活躍するゲームとなると、太平洋戦争モノ…になるんだろうけど、私はイマイチ好みじゃない。「島を巡る戦い」になりがちなので、陸海空がセットになった複雑なゲームか、「作戦もへったくれもなく殴り合う」ものになりがちだから。それよりは朝鮮戦争モノの方がいいかな。豪快に南へ進んできた北朝鮮軍が、仁川上陸作戦でボロボロにされる姿はカタルシス感じるし。
 
 海兵隊は常に激戦に投じられ、「米軍の斬り込み隊長」として活躍することで己の存在意義をアピールしてきた。最近グラウンドの外がやかましい野球界だけど、やはり野球チームはグラウンド上で魅せるパフォーマンスこそが存在意義であって欲しいもの。マリーンズには、「やってけないチームがあるんやから、減らさにゃしゃーないんとちゃうか?」などとノー天気な発言をしてる某監督に、思いっきりパリーグの存在意義をぶつけて欲しいものだ(苦笑)。

10月18日2005/10/19 00:19

 ちょっと前、「ニュースはやはり新聞で」という調査結果が発表された。今時ニュースなんて様々な方法で入手できるけど、主に新聞とネットを比較して「やはり新聞」という回答を出したらしい。本日はこれについて考えてみようかと。
 
 私は活字中毒患者であり、何だかんだ言って紙媒体が大好きだ。それだけに、私の個人的意見もこの調査結果と一致する。ただ、何で世間一般の人々もこんな結論を出したのかについては、多少考える価値があると思う。
 
 主な理由としてすぐ思いつくのは、「機械音痴だから」ってのがある。TV・ラジオならともかく、PCなんてわからん!って人はまだ多いだろう。そこまでいかなくても、「ネット接続時間なんて可能な限り少ない方がいい」と考える人もいると思われる。こういった人達は、時が経つにつれ少しずつ減ってくるとは思う。ただし、正直言ってこれが主要因だとは思えない。あくまで私見だけどね。
 
 では、何が原因なのか?私が思うに、「新聞はニュースの重要度がわかりやすいから」ではないかと。一般紙の場合、重要なニュースは1面にデカデカと掲載される。その他のニュースも重要なモノは大きく、そうじゃないものは小さく掲載される。コレを見るだけで、とりあえずそのニュースの「世間的重要度」がわかる。
 
 ネット上のニュースも、多少はこうした「重要なニュースは大きく、そうじゃないニュースは小さく」って表示方式になっているだろう。しかし、ネット上の情報ってのは「つまらんニュースでも詳細に調べられる」ってのが利点の1つ。世間的重要度による扱いの大きさより、アクセスしてる人個人が「そのニュースを詳しく知りたいと思うかどうか」にウエイトがあると思われる。
 
 もちろん、新聞によって「何を重要と思うか」は多少違う。けど、読売が1面なのに朝日がベタ記事だけってことはありえない。特ダネなんかは別だけど。この手の違いは重要といえば重要だけど、「しょせん誤差レベル」という極論も成立しうると思うな。
 
 こういった「世間的重要度」ってのは重要である。人によってニュースの重要性が大きく異なると、話題を合わせるのも大変だからね。何だかんだ言っても常識ってのは大切だ。ただ、私に言わせると、日本人ってのは常識に対するこだわりが強すぎるような。価値観の多様性を否定する傾向があるからね。
 
 TVやラジオのニュースも、扱い量によって「重要度」を示している。ただ、こういうメディアは「重要度=放送時間」となるので、重要度を認めつつもナナメ読みってことがやりにくい。「重要なニュース」には延々と、時にうんざりするほど付き合わされる。さらに、チャンネル切り替えにより「見たくないものはほぼ無視」ってことができちゃう。これはこれで問題があるってコトはわかるでしょ。
 
 このように見てゆくと、新聞ってのは「ニュースの重要度」を判断する際、実に便利だと言うことがわかる。これは、新聞の扱い量=ニュースの重要度っていう共通認識、つまり新聞がニュースの重要度判断の権威だってことを意味する。ネット情報は本来「多彩なニュースの中から自分で重要度を判断する」って性質のモノだし、歴史の浅さから重要度判断の権威になるにはモノ足らない。そーゆーことじゃないかな。
 
 新聞ってのは、権威があるからすたれない。ある意味当たり前の結論だ。面白みはない。けど、これは重要な認識だと思う。権威ってのは、「理屈を超えた問答無用の存在」だ。便利で重要な反面、暴走の危険性を秘めている。大切にするのはいいけれど、盲信するようになったらヤバい。
 
 私が思うに、「あれは権威ある存在だ」という意識があるうちは大丈夫だと思う。しかし、権威の存在が当たり前になり過ぎ、もはや「権威ある存在」っていう意識さえしなくなったら…特にマスコミに対してこんな状態になるのは危険だろう。情報操作されても文句言えないのだから。
 
 ネットなどを使い、自分だけが興味あるニュースしか読まない。これは明らかに良くない。けど、ニュースの重要度判断を新聞に頼り切り、全く疑わない。こーゆーのもさほど良くないのでは。何も片っ端から疑えとは言わない。「疑う余地がある」ことを意識するだけでだいぶ違うと思うな。
 
 繰り返しになるけど、私は活字中毒で紙媒体信者なので、新聞は必要不可欠である。けど、皆さんはどうなの?新聞って本当に必要?「新聞じゃなきゃ駄目」って具体的理由が何かありますか?そこのところはよーく考えてみた方がいいと思うぞ。マスコミに操られる前に。

10月19日2005/10/20 00:49

 昨日の続編ってワケじゃないけど、多少関連性のあるネタで。本当はまとめて1つにする予定だったんだけど、分量の関係で妥協したんですよ。
 
 ネットをうろついていたところ、「楽天がTBSを買うのは、コンテンツ育成をサボってるだけ」「何でオールド・ブランドにしがみつくのか」といった論調の文章を見かけた。わかってて書いているのか、わかってねえのか…本当は多分前者なんだろうけど、あえて後者だと解釈して反論してみましょ。
 
 ブランドって何か。権威である。勝って使う前から「良い品だ、ハズさない」と信用できるってのがブランド。もちろん裏付けはあるんだけど、それと同じくらい「信仰」が必要だったりする。
 
 本来良い品かどうかは、買って使ってみて初めてわかる。けど、これだと「ハズしたぁ~」と思ったときには手遅れだ。昼飯の定食ぐらいだったら笑い話で済むけど、高い買い物でコレをやらかすのは痛い。そこで、世間の評判だの噂話だのを仕入れたりしてアタリをつけたり、ブランドに頼ったりするわけだ。
 
 ブランドってのは、キョーレツな付加価値だ。同じ値段同じ品質って商品じゃ、ノーブランド品はブランド品に太刀打ちできない。だからフツーは「値段が安い」って付加価値を付ける。それが世の中の仕組みだね。
 
 楽天はTBSに、ライブドアはフジTVに「コンテンツが欲しいから」手を出したとされている。これは半分間違いだ。より正確には、「ブランド価値があり、視聴者が見てくれるコンテンツが欲しいから」手を出したのだ。単にコンテンツが欲しいだけなら、直接制作サイドに手を出した方が安いでしょ。
 
 確かに制作プロダクションなんて腐るほどあり、中には冷や飯食ってる連中もいるだろう。そんな連中に声をかければ、それなりのコンテンツを制作できるのは間違いない。中には素晴らしい作品作るポテンシャルがあるのに干されてる所もあるだろうし、育成すれば大化けするところもあるだろう。
 
 ただ、こうしたコンテンツには欠けてるモノがある。権威だ。ブランド価値だ。「TVで放送された」という錦の御旗がない。そんなコンテンツを、ドコの誰が見てくれるって言うのか。少なくとも特殊な需要か、ある種の勇気が必要だ。
 
 コレに関しては、偉そうな顔してる評論家よりもコンシューマーゲーマーの方がわかりやすいかも。「このゲーム面白いよ、絵も綺麗だし。でもX-boxオンリー(笑)」ってのと同じコト。ネットで動画を見ようと思ったら、それなりの初期投資(家庭内インフラ整備だけでなく、知識獲得も含む)が必要だ。それに踏み切るだけの動機付けってのは、ちょっと面白い番組があるってだけじゃ駄目でしょ。コンシューマーで言えば「ドラクエ」「FF」並のキラーコンテンツが必要じゃないかな。
 
 もちろん、地道にコンテンツ制作者を育成して…ってのも大事だ。プレステが覇権を握ったきっかけの1つはこれなんだから。でも、これは正直言って成功率が低い。ビッグネームを引き抜くか、それが無理なら「ウチにも作って」って姿勢を打ち出す方が早いでしょ。TV番組の場合、そのカネがあるんならTV局そのものを買った方が早いってだけの話だ。
 
 ライブドア騒動の時に書いたけど、ハードのポテンシャルだけ考えると、ネットの方が優れてる面もある。おまけにTV局は「地上波デジタル移行」絡みでズッコける可能性もある。放置しておいても、そのうちTV局側からネットにすり寄ってくる可能性が高い。じゃあ何でライブドア・楽天はそれを待たないのか?TV局がすり寄ってくるのは、結局yahooやmsnといった「大ブランド」だから。その前に手を打たないと負け組確定だと思っているんでしょ。地道にやっていれば勝ち組に入れるってんなら、今頃SE○Aはサ○ーなんぞに吸収されなくても…
 
 私は日本人のブランド信仰には言いたいことが山ほどあるけど、それでもブランドの威力は否定しない。いや、ブランド信仰が弱いからこそ、ブランドの威力を知ってると言うべきなのかも。昨日も書いたように、「権威の存在が当たり前になると、権威の存在を意識しなくなる」と思っているので。年食ってて今偉い奴にとって、権威ってのは「当たり前で、疑うことすらない」に違いない。そんな連中が権威に無頓着なのは、むしろ当然なのでは。
 
 ライブドアや楽天の手法をけなすのは簡単だ。私も「もっといい手があったんじゃ?」と思うし。けど、なんで連中がこんな手段を使ったのか、そこのところはちゃんと理解した方がいいと思う。建設的な議論ってのは、そこから始まるんだから。

10月24日2005/10/25 00:48

 何だかんだで久々の更新に。いかんねえ。別にサボってたワケじゃないんだけど…ま、色々あってね色々と。
 
 とりあえず話題は貯め込んだけど、何から語るか迷うなあ。ま、今日語っておかないと後が大変そうな野球ネタいくか。当然日本シリーズ関連で。
 
 第1戦が濃霧中止とはいえ10-1。第2戦は10-0。マリーンズの大差勝ちとなった日本シリーズ。マリーンズ打線は破壊力よりつなぎのうまさが身上だっただけに、少し意外な結果かな。
 
 こうなった主要因は、やはりプレーオフからの勢いでしょ。ここまで間隔なしに緊張感を保っているだけに、確かに勢いは感じる。対する虎は消化試合がやや少なかった関係上、ちょっと調整が難しかったかも。
 
 こうしてみると、プレーオフってのもかなり興味深い制度だねえ。「日本シリーズに、勝てるチームを送り込む」って役割は果たしてる気がする。なにしろ勢いはつくし、「ドコが出てくるか断言できない」って事情があるから、セリーグ側はスカウトやりにくいし。セリーグ側がケチをつけてる理由の1つがコレかもしれない。確かにやりにくそうだ。
 
 とはいえ、ここで休養挟んで甲子園入りとなるので、流れが変わる可能性はある。大差負けで雰囲気壊しているのならともかく、冷静に考えると「虎の野球」をやって負けたワケじゃない。自慢のJFK打たれて僅差負けするより、ダメージは小さいのでは。
 
 虎が流れを変えるためには、とにかく「諦めない、先にミスしない」野球を心がけるべきではないかと。今のマリーンズは、仮に1戦落とした程度じゃ再び盛り返してきそうなほど勢いがある。まずは粘って勢いを止め、そこからじわっと流れを掴むべきでは。第3戦は勝ち負けよりも内容が重要だと読む。流れさえ止めれば、虎ならそこから4つ返す力があると思うので。
 
 ただなあ。虎ってのは地味に「打つ・投げる・守る」のは上手いと思うけど、「野球」はさほど上手くない気がする。多少淡泊なところがあるような気がするんだよね。長いペナントなら「下手に粘るより、自力で勝負」って考え方で大丈夫だと思うけど、短期決戦は「どう流れを掴むか、それをどう止めるのか」が大事になってくるからなあ。そこが少しだけ心配。
 
 虎の野球が淡泊なのは、どうも監督のせいじゃないかと…いや総合的に見たらいい監督だと思うんだけど、こと野球に関する限り、ちょっとボンボン入ってる気がして…球団再編騒ぎを「やっていけない球団があるんやから、しゃーないやろ」で片付けるとか、予告先発をあっさり受けるとか…そこがまた魅力かつ長所にもなってる、ってのは大いに認めるんだけど、場合によると欠陥になりうるんじゃないかな。
 
 ひょっとすると、この監督の性格が大敗の遠因になったかもしれない。確かに間隔空くのは不利だ。ただ、ある程度は中間の調整次第で解消できた気がするんだよね。競馬でも最近は休み明けの調整技術が発達してるワケだし(笑)。ここで「泥臭い」調整を選択しなかったことが響いているのかも。少なくとも2戦目の大敗は避けられたのでは。
 
 ただ、こういう性格の監督は大差負けを引きずらない傾向がある。焦って自滅っていう最悪のパターンはないのでは。後はいかに些細なミス(第2戦では尾を引いた)を減らし、流れを掴むか。さすがに2敗は痛いけど、自力を考えたらまだまだ追いつめられた感じはしない。
 
 マリーンズの課題は、とにかく勢いを消さないことでしょ。2つ、いや3つ負けるまではイケイケドンドンでもいいと思う。下手に「基本に返って…」などと言い出すと、勢い止まっちゃうからね。がっぷり組んで戦ったらさすがに不利だと思うので、勝っても負けても相手に「野球がかみ合わない」と思わせ続けるのがいいのでは。
 
 今回の両チーム、応援が派手なことでも有名だ。その点を考えると、虎は千葉マリンの応援に戸惑ったのかも知れない。なにせセリーグで唯一「甲子園でのアウェイ」を知らないチームだからね(苦笑)。地元に戻れば「いつもの」野球ができるのでは。対するマリーンズは甲子園に戸惑うのか、それとも福岡ヤフードームで罵声を浴び続けた経験を生かして乗り切るのか、実に興味深いと思うな。
 
 去年で消滅しても不思議の無かった日本シリーズ。また何かときな臭い話が出てきている昨今、「あって当然のモノ」ではなく、「常に守ってゆく覚悟」が必要じゃないかな。それだけに、試合してる球団のファンだけでなく、全ての野球ファンを熱くさせる試合をしてもらいたいもの。とにかく両軍とも頑張れ!

10月25日2005/10/25 23:20

 本日はゲームの話題。菊花賞だってのにゲームの方に顔出したから…ってわけじゃなく、少し他の話題で。題して「ユニットの種類の和訳」。一応は部外者向けの話題だけど、そんな奴はこの色の話題読まないでしょ(苦笑)。
 
 将棋に「飛車」「角行」があるように、シミュレイションゲームにも色んな種類の駒がある。将棋と違うのは、見た目同じでもゲームによって色々「できること」が異なる点。ま、「戦車は2回動ける」とか、「攻撃しながら前進できる」なんてのが代表。だからルールをいっぱい読む必要がある。
 
 そーゆー区分けとはまた別に、国籍が異なると「本質的に同じなんだけど呼び名が変わる」駒がある。これは単に雰囲気の問題。当時米軍が何て名前付けてたのか、独軍はどう呼んでいたのかで使い分けてるだけ。ただ、ゲーマーの間じゃ無意味に常識と化してるようなので、一応紹介してみようかと。
 
 フツーの歩兵中心の部隊ってのは、おおむね「歩兵」と呼ばれる。これは大抵基本となる部隊なので、駒1つ1つを指すときは「第1師団」などと「歩兵」を略すことが多い。例外は赤軍ことソ連軍。「狙撃兵師団」などの長い名前で呼ばれることが多い。これは別にゴルゴ13みたいなのがいっぱいいるワケじゃなく、「ライフル師団」の完全和訳がこうなるだけ。
 
 フツーの歩兵が単なるトラックに乗って移動する場合、「自動車化歩兵」と呼ばれる。ただ、米軍では普通この名前は使わない。大抵トラック乗ってるから。英軍もこの名前で呼ぶことはないのがフツーだけど、別に全部トラック乗ってたワケじゃないようだ。英軍は長い期間世界中で戦ってたから、ワケわからん。
 
 問題はココから。装甲版のある頑丈なトラックに歩兵を乗せた部隊(実際は戦車とかもそこそこ持ってるけど)の場合、独軍だと「装甲擲弾兵」、英米または赤軍だと「機械化歩兵」と呼ばれる。「擲弾兵」って何かって?要は手榴弾投げる人のこと。かなり昔、まだ歩兵が槍持つことも多かった時代から使ってる区分らしいので、実態とさほど関係ないようだ。
 
 戦車中心の部隊はややこしい。英米軍が「機甲」、独軍が「装甲」、赤軍が「戦車」になるらしい。少なくとも「第3帝国」ってゲーム(古典的名作の1つ)じゃそうなっていた。英語でも「アーマー」「パンツァー」「タンク」って区別されてる。どいつもこいつも要は戦車のことなんだけどねえ。まあ少なくともゲームの本場アメリカの大メーカーがこう呼ぶと決めたので、日本でも区別するのが一般的のようだ。ちなみに日本軍は「戦車」を使う。ほとんど出てこないけど。
 
 もっとややこしいのは、ちょっと強い兵隊の部隊。英軍・日本軍が「近衛」、独軍・赤軍が「親衛」になる。けど、英語だと英軍・日本軍・赤軍が「ガーズ」で、独軍が「SS」なんだな。要は親衛隊のことなんだけど、英軍・日本軍の「ガーズ」は「王宮(皇宮)を護衛するための連中」ってだけで後はフツーの部隊と大きく変わらないのに対し、独軍・赤軍の場合は「特別に強い連中」がこれを名乗った。独軍のSSってのは日本語でもそのまま使うことが多い。
 
 こいつらが実際の盤上でどう動くのかはゲームごとに違うけど、名前はこんな感じになる。プレイしていればそのうち自然と覚えるんだけど、そこそこのベテランでも時々勘違いするんだよね。別に覚えたからどうってワケじゃないけど、とりあえずは紹介してみました。
 
 なお、日曜は「賭けオンスロート」なる無謀な対戦から逃げ、「関ヶ原」って別のゲームをプレイしてました。これがまたヘロヘロで…色んな意味でバチが当たったのかも。ま、月が変わればツキも変わると言うことで(苦笑)。

10月26日2005/10/27 01:36

 競馬のことを語るの予定だったけど、明日移行に回す。だって千葉ロッテマリーンズ4連勝ですよ。虎が1つも返せないとは、予想してなかった…というわけで、オーソドックスにマリーンズネタを。
 
 今から10年前(もうそんなになるのか)、ロッテフロントはGMに広岡氏を招聘することにした。この時広岡氏が連れてきたのがバレンタイン監督。野球に詳しいフロントと外国人監督の組み合わせってのは、なんかやる気を感じさせたモノだ。
 
 その効果はいきなり現れた。この年マリーンズは2位と躍進。イチローが打ちまくったオリックスに優勝こそ譲ったけど、少なくとも「今までとは違うのでは」という雰囲気を漂わせた。
 
 ところが、広岡GMは、「監督がヘボだったから2位だった」と主張して強引に監督を交代。噂によると「満たせなかったらクビ」って条件を設けた契約で、コレを全てクリアしたのに、違約金払ってまでクビにしたとか。当時これに納得した奴はどれだけいたんだろう?私は当時「広岡もしょせん監督までの器」と吐き捨てたモノだ。この後、マリーンズは再び低迷期を迎えることになる。
 
 そんな中、バレンタイン監督はマリーンズに帰ってきた。これには正直少し驚いたものだ。だって、チームを浮上させておきながら、石ころで追われるような形で解任された人だよ?しかもプライド高いメジャー監督経験者。「あの時」が忘れられないマリーンズファンが待望論出してたって話は聞いたことあるけど、まさか本当に戻ってくるとは。
 
 復帰1年目の去年はその効果が出たとは言い難く、惜しかったとはいえ4位まで。しかし、今年はついに念願の日本一を成し遂げた。長いこと待たされたマリーンズファンはもとより、10年前の忘れ物を取り戻した監督の喜びはひとしおだったのでは。インタビューの場で涙ぐんでいたのも当然でしょ。
 
 私はここに「真の意味のハングリー精神とは」を見ることができると思う。考えてみて欲しい。バレンタイン監督ってのはメジャーでもそこそこ定評のある監督で、条件さえ合えばいつメジャー監督になっても不思議はない。そんな立場を考えれば、日本ごときで優勝なんて「しょせんローカルの話」で片付けられても何の不思議もない。
 
 しかし、ボビーは再び日本にやってきた。むろん「都落ち」って側面はあっただろう。でも、それが全てじゃないのは誰が見たってわかる。明らかに日本球界に対するリスペクトが感じられたからねえ。聞かれもしないうちから相手チームを褒めるって、相手けなさないのが美徳の日本人でもなかなか出来ないことだと思うぞ。
 
 日本人が考えるハングリー精神ってのは、「下のモノが上にはい上がる」時にのみ使われることが多い。でもって、ちょっと金持ちになると「失われる」ととらえる。実際そう考えたくなるような例は少なくない。けど、これは単に「ハングリーな金持ち」の恐ろしさを知らないからじゃないかと。
 
 ホンモノの金持ちってのは、カネより名誉、名誉より自己満足を求めるようだ。カネは「あるのが当然」だからね。だから、一度ムキになったら妥協ゼロである。我ら凡人が「何もそこまで」と言いたくなるようなことを、平然とやる。断固としてやる。日本じゃこーゆーのは「大人気ない」として嫌われるかもしれないけど、世界にそんな常識は通用しない。心底そう思う。
 
 わかりやすい例が、ジーコ日本代表監督じゃないかな。「日本をサッカーの一流国にする」なんて、日本人が言ったら妄想扱いされるでしょ。ジーコはJリーグ発足して来日した当初から、ずーっとこれを言い続けている。「自分が関わったモノ」が一流じゃないことに我慢が出来ないんでしょ。ドコをどう考えても道半ばだけど、この情熱だけは認めざるを得ないね。
 
 競馬の世界じゃ、ドバイの殿下が猛烈にハングリーである。欧州の大レースで常連になるのはわかる。けど、賞金安い上に勝っても名誉にならない南関東へ、ドコをどう考えても「元とれそうにない」馬を送り込んでくるってのはスゴいの一言。いくら将来への布石とはいえ、「ソコまでやるか」ってレベルである。
 
 バレンタイン監督も、この手のハングリー精神を持ち合わせていると思う。だからこそ再びマリーンズの監督を引き受けたのでは。その執念が実っての優勝・日本一。これは色んな意味で見習うべきコトだと思う。
 
 世の中気合いだけで何とかなるほど甘くはないけど、気合い抜きで何とかなるほど甘くもない。そして、すぐ諦めるのは論外だとしても、考えることを放棄して空虚にただ「成せば成る!」とだけ唱えるってのも、立派な「気合い不足」じゃないかな。本当の執念とは何なのか、バレンタイン監督に学ぶことは多いと思う。おめでとう、ボビー!

10月28日2005/10/29 02:41

 予告通り競馬ネタ。ここらで出しておかないと、傷んじゃうネタだからね。今週末のことはさておいて(どーせ週明けはこのネタだ)、先週を振り返ります。
 
 先週のネタと言えば、ディープインパクト三冠。単勝100円元返しですかぁ。読みが甘かったというか何というか…個人的見解ではサイレントウイットネス様よりも危なかったと思うんだけど、コレかよ。配当気にしない記念馬券組がいる分、元返しの危険性が高いこと忘れてた。
 
 先週はもう1つ重要な話がある。土曜の府中で三連単1,800万というスゴい馬券が登場したことだ。こりゃすごい。私は原則として三連単は買わない主義なので「他人事」なんだけど、それでも感心したことは事実。
 
 この2つ、被害?を別にして考えれば、どっちも競馬界のビッグニュースである。ただし、フツーは次元が違う話題として扱われるので、この2つを比べてどうこうって話はしない。しかし、某大手新聞はコラムであえてそれにチャレンジしやがった。
 
 その内容はどんなものかといえば、「単勝100円のディープインパクトは記憶されるけど、三連単1,800万の馬は記憶されない」ってもの。そりゃそーだ。当然のことと言える。けど、こーゆーことをさらっと語ってしまうところを見ると、こいつ競馬の何たるかがよくわかってなさそーだ。そう思う。
 
 私が思うに、普通大万馬券を出した馬というのは記憶されない。数字だけが一人歩きするからね。それは大いに認めよう。でも、それは馬券師にとって「ちょっぴり悔しいこと」だと思う。勝った馬を記憶してないってコトは、「カスリもしなかった」のとイコールだからね。
 
 競馬は記憶のスポーツである。他の誰が何と言おうと、「この馬は買う価値がある!」と感じたら馬券を買う。その根拠となるのは、大抵の場合何らかの記憶だ。だから、普通馬券師は役に立ちそうな記憶を残す。何でもかんでも覚えてるってのは無理だとしても、「この馬は強かった。次も買おう」とか、「こんな感じのレースだと穴が開きやすい」とかいった情報を記憶している。
 
 にもかかわらず「勝った馬は記憶してない」というのは、要は「ロクに検討すらしてない、あっさり斬った」馬が勝った時だ。こんな時は確かに記憶できない。けど、世の中には「検討してた、注目してた」奴がいるのだ。そうでなきゃ的中馬券が出るわけない。全員払い戻し(特配という)扱いになる。はっきり言えば、記憶できない奴は記憶できた奴に負けてるわけだ。
 
 競馬ってのは、単に「勝つ馬を予言する」ものじゃない。配当ってのが大切だ。そして配当ってのは人気がないほど高い。つまり、「他人と同じ考えばかりしてる」ってのはさほど偉くない。独自のヒネリを入れ、他人と違ったモノを見る。コレが偉いわけだ。ディープインパクト自体は偉大かも知れないけど、単勝買ってた奴はちっとも偉くない。
 
 大万馬券を出した馬を覚えてる奴ってのは、何も的中させた奴だけとは限らない。カスっただけ…という哀しい奴もいるはずだ。これはトラウマになる。下手すりゃ生涯の傷だ。この私にもそーゆー記憶はあります。「テンジンショウグン生涯最高の出来」を見抜いていながら馬券買ってなかった時のことは、忘れたいのに忘れられませんよ。トホホ…
 
 今回の穴馬券に関しても、1着ゼンノエキスプレス・2着カネスベネフィットについてはともかく、3着のケイアイカールトンに関しては言いたいことがある。松山厩舎の馬だからね。藤田テメー何考えていやがんだ。人気の馬沈んでるんだからオメーが勝たなきゃ駄目だろが!私が競馬場にいたら、猛烈にヤジってただろう。私は情け容赦なく罵声を浴びせるからね。
 
 こういう高額配当の話を聞くと、やはり競馬は「好きな馬から買う」べきだと思う。「惚れたはれたで馬券買うのは素人」なんて格言もあるけど、それでもやっぱり惚れた馬から買うべきだと思う。だって、惚れてるのに斬り飛ばして、それで今回みたいな配当出されたら発狂モノだもの。テンジンショウグンが大万馬券出したとき、私はショックでマジにおかしくなりかけた。あんな思いをするぐらいなら、まだ「買って来なかった」方がマシだと思うなあ。
 
 というわけで、ここで無謀な予告。この秋、JCか有馬記念のどちらかで、私はディープインパクトに逆らうでしょう。スゴい馬だとは思うけど、惚れた馬じゃないもの。じゃあ何を買うのかと言われても困る(ゼンノロブロイじゃないのは確実)けど、なんかそうやりそうな自分がいるんだよね。ま、それが競馬ってモノだ…で片付けて本当にいいのかぁ?

10月29日2005/10/30 02:26

 Googleの電卓機能強化を記念して、なんか数学系の話題でもお届けしようかと。つーわけで、ちょっと前にしつこくやった「封筒交換のパラドックス」を蒸し返す。
 
 封筒交換のパラドックスとは?問題は簡単。封筒が2つあります。1つはもう片方の倍の金額のカネが入ってます。選んで金額見た後、封筒を交換してもかまいません。さて、交換すべきでしょうか?というもの。
 
 どこがパラドックスなのか?直感だけで考えると、交換してもしなくても同じようなモノと思える。しかし、それを否定する理屈がある。封筒を交換した場合、運が良ければ金額倍。運が悪くても金額半分。ということは、何度も繰り返すと期待値で1.25倍になる。よって交換した方が得である、というもの。
 
 ちょっと前に、私はこの理屈を完全に否定した。交換してもしなくても期待値同じだと。ただ、あの時の理屈には穴があった。「ダイス振って倍か半分になる」って場合との違いがわかりにくかったのだ。よって再チャレンジする。
 
 色々考えてみたんだけど、「封筒交換の場合、何で期待値1.25倍にならないのか」を説明するには、ある程度金額を固定して考えた方が早いようだ。よって、ここでは仮に500円-1,000円の組み合わせと、1,000円-2,000円の組み合わせに限定して考える。これを50回ずつランダムに混ぜて行い、全て期待値通りの結果になったと仮定する。
 
 まず、1,000円が見えた場合を考える。100回中50回この金額が見え、うち25回が500円に、25回が2,000円になる。交換しなければ合計金額5万円。交換した場合、合計金額は6万2,500円。1.25倍の儲けとなる。素晴らしい。さらに、500円を目撃した場合、交換しなければ1万2,500円、交換すると2万5,000円。大儲けである。
 
 しかし、2,000円を目撃した場合、交換しなければ5万円、交換すると2万5,000円と大損となる。この損は、丁度500円目撃して得した分+1,000円目撃して得した分に等しい。つまり、交換してもしなくても同じってコトだ。
 
 「いや、それは2,000円-4,000円って組み合わせがないからであって…」と言いたくなるかも知れない。でも、結局は同じである。2,000円-4,000円の組み合わせを導入すると、確かに2,000円が見えたときも1.25倍儲かる。でも、その儲けは4,000円見えて交換しちゃった時の負けで消えて無くなるだけ。いくら金額を上に拡張しても、結局は同じである。
 
 これに対し、ダイスで「金額倍か半分」という場合、最初に見た金額がいくらだろうと倍になる可能性がある。ここが封筒の場合と異なる。つまり、封筒の場合はダイスと異なり、「絶対勝てない金額」ってものが存在する。にもかかわらず、逆に絶対勝てる金額も存在する(ダイスの場合そんなものは存在しない)ので、「勝ち負けの期待値は1/2であり、交換してもしなくても同じ」って理屈になるのだ。
 
 この「封筒のパラドックス」、実はパラドックスでも何でもない。交換してもしなくても気分とヨミの問題。「交換した方が絶対お得」って理屈は単なる勘違いであり、そこに矛盾は何もない。ただ、一部の数学者・論理学者(つまりこの問題の専門家)に思いっきり勘違いしてる奴がいるってだけの話である。
 
 何でこんな勘違いが生じるのか?私が思うに、「目の前に見えたモノを基準に物事を考える」のがイケナイのでは。封筒交換の場合、目の前で見えた金額ってのは「アテにならない」のである。片方の金額だけ見えたからって、両方の金額見えてないのと状態は全く変わらない。にもかかわらず、なんか目の前の金額がアテになるかのように考えたくなるんだな。これは立派な錯覚である。
 
 人間の直感ってのは、実はかなりアテになる。大抵の場合においては直感通りの結論が出るからね。ただ、直感ってのは「常に正しい答えを出す」ためのものじゃない。動物の貧弱な思考能力で「おおむね正しい」結論を出すために備わった機能なんだから。
 
 この封筒問題が面白いのは、直感だけで出る結論「交換してもしなくても同じ」が正しく、下手に理屈を交えると直感が足を引っ張って間違った結論が出るところにある。理屈をこねくり回すってのはそれだけ難しいってコトですね。こういう「理屈が通っているように見えて、実はアテにならない直感に引きずられている」理論を振り回す輩は多いので、皆さん注意しましょう…と言われてもどーしよーもないと思うけど(苦笑)。