10月18日2005/10/19 00:19

 ちょっと前、「ニュースはやはり新聞で」という調査結果が発表された。今時ニュースなんて様々な方法で入手できるけど、主に新聞とネットを比較して「やはり新聞」という回答を出したらしい。本日はこれについて考えてみようかと。
 
 私は活字中毒患者であり、何だかんだ言って紙媒体が大好きだ。それだけに、私の個人的意見もこの調査結果と一致する。ただ、何で世間一般の人々もこんな結論を出したのかについては、多少考える価値があると思う。
 
 主な理由としてすぐ思いつくのは、「機械音痴だから」ってのがある。TV・ラジオならともかく、PCなんてわからん!って人はまだ多いだろう。そこまでいかなくても、「ネット接続時間なんて可能な限り少ない方がいい」と考える人もいると思われる。こういった人達は、時が経つにつれ少しずつ減ってくるとは思う。ただし、正直言ってこれが主要因だとは思えない。あくまで私見だけどね。
 
 では、何が原因なのか?私が思うに、「新聞はニュースの重要度がわかりやすいから」ではないかと。一般紙の場合、重要なニュースは1面にデカデカと掲載される。その他のニュースも重要なモノは大きく、そうじゃないものは小さく掲載される。コレを見るだけで、とりあえずそのニュースの「世間的重要度」がわかる。
 
 ネット上のニュースも、多少はこうした「重要なニュースは大きく、そうじゃないニュースは小さく」って表示方式になっているだろう。しかし、ネット上の情報ってのは「つまらんニュースでも詳細に調べられる」ってのが利点の1つ。世間的重要度による扱いの大きさより、アクセスしてる人個人が「そのニュースを詳しく知りたいと思うかどうか」にウエイトがあると思われる。
 
 もちろん、新聞によって「何を重要と思うか」は多少違う。けど、読売が1面なのに朝日がベタ記事だけってことはありえない。特ダネなんかは別だけど。この手の違いは重要といえば重要だけど、「しょせん誤差レベル」という極論も成立しうると思うな。
 
 こういった「世間的重要度」ってのは重要である。人によってニュースの重要性が大きく異なると、話題を合わせるのも大変だからね。何だかんだ言っても常識ってのは大切だ。ただ、私に言わせると、日本人ってのは常識に対するこだわりが強すぎるような。価値観の多様性を否定する傾向があるからね。
 
 TVやラジオのニュースも、扱い量によって「重要度」を示している。ただ、こういうメディアは「重要度=放送時間」となるので、重要度を認めつつもナナメ読みってことがやりにくい。「重要なニュース」には延々と、時にうんざりするほど付き合わされる。さらに、チャンネル切り替えにより「見たくないものはほぼ無視」ってことができちゃう。これはこれで問題があるってコトはわかるでしょ。
 
 このように見てゆくと、新聞ってのは「ニュースの重要度」を判断する際、実に便利だと言うことがわかる。これは、新聞の扱い量=ニュースの重要度っていう共通認識、つまり新聞がニュースの重要度判断の権威だってことを意味する。ネット情報は本来「多彩なニュースの中から自分で重要度を判断する」って性質のモノだし、歴史の浅さから重要度判断の権威になるにはモノ足らない。そーゆーことじゃないかな。
 
 新聞ってのは、権威があるからすたれない。ある意味当たり前の結論だ。面白みはない。けど、これは重要な認識だと思う。権威ってのは、「理屈を超えた問答無用の存在」だ。便利で重要な反面、暴走の危険性を秘めている。大切にするのはいいけれど、盲信するようになったらヤバい。
 
 私が思うに、「あれは権威ある存在だ」という意識があるうちは大丈夫だと思う。しかし、権威の存在が当たり前になり過ぎ、もはや「権威ある存在」っていう意識さえしなくなったら…特にマスコミに対してこんな状態になるのは危険だろう。情報操作されても文句言えないのだから。
 
 ネットなどを使い、自分だけが興味あるニュースしか読まない。これは明らかに良くない。けど、ニュースの重要度判断を新聞に頼り切り、全く疑わない。こーゆーのもさほど良くないのでは。何も片っ端から疑えとは言わない。「疑う余地がある」ことを意識するだけでだいぶ違うと思うな。
 
 繰り返しになるけど、私は活字中毒で紙媒体信者なので、新聞は必要不可欠である。けど、皆さんはどうなの?新聞って本当に必要?「新聞じゃなきゃ駄目」って具体的理由が何かありますか?そこのところはよーく考えてみた方がいいと思うぞ。マスコミに操られる前に。