12月2日2009/12/03 02:56

 ここでは書けない「諸般の事情」の方が忙しくて、更新が疎かに。師走になると色々忙しいんですよ。色々とね。
 
 本日の話題は、あるデジタルガジェットがポシャった件について。私は特別期待していたワケじゃないけど、これはこれで悲しいニュースとして紹介する価値があるかなと。
 
 TechCrunchというサイトがある。主にネット関連のニュースを紹介するサイトだ。日本語版も存在しているので、私はたまに見ている。英語版にはいくつか関連サイトがあり、その中にはガジェット(わかりやすく言えばハードだな)を扱うモノもある。
 
 コトの始まりは、このサイトの人間が「タッチパネル使ったネット閲覧用のガジェットがあれば、便利なんじゃね?」と思ったコトにあるらしい。ちょっと大きめの画面にタッチパネルを付け、キーボードは付けない。文字を入力したい場合どーするのかは忘れたけど、これはまあ何とかなりそうだ。基本的には「ネットを見る」ためのものなので、文字入力なんてあまりやらない前提だし。
 
 ここから段々話が大きくなり、「実際作ってみよう」「それなりに売れるのではないか」って段階まで進んでいた。ちなみにこの話、Appleが類似品(要は「デカいiPhone」)を出すのではないか…って噂が本格的に流れるより前に、ある程度話が進んでいた。うまくいけば、先月には製品発表が行われる…ってトコロまでは行き着いた。「CrunchPad」って製品名も決まっていた。
 
 ところがだ。何だかよくわからんけど、実際の製造元と何かしらヤヤコしいトラブルが生じた結果、この製品はお蔵入りしてしまった。あくまでTechCrinch側の言い分によればだけど、どうやら製造元の株主の中に、「こんなもの作ったら面白いんじゃね?」と言っただけ(実際は色々やっているようだけど)の奴にカネ払う必要など無い!と考えた馬鹿がいたからだそうな。どちらの言い分が「筋が通っている」のかについては、そのうち開始されるであろう訴訟である程度解明するのでは。
 
 さてこのCrunchPad、どーゆー製品になるだったのか、より詳しく説明しよう。12インチのタッチスクリーン「だけ」のネット端末である。イメージとしては「デカいiPhone」が近いのでは。拡張性の有無(物理キーボードを付けられるのかどうかなど)についてはよく覚えてないけど、まあUSB端子の1つや2つは付いていたと思った。通信方式は…携帯電話回線を利用するモノではなかったはず。無線LANのホットスポット利用が前提だったような。より正確には、「デカいiPod Touch」の方が近いだろう。
 
 使用OSは、「とりあえず何でも」だそうな。実際にはWindows7もしくはGoogle Chrome OSのどちらかになったと思われるけど。狙いとしては「キーボードを取っ払ったネットブック」なので、専用OSなんて話にはしたくなかったんだろうと思われる。
 
 こういう製品は、とりあえず他にない。Appleが「似たような品」を出すんじゃねえかって話は根強いけど、どーせ「専用OS搭載で使い勝手は良いけど、その分高い」製品になりそうだ。当たり外れで考えればAppleの製品の方が「手堅い」のは間違いないけど、その代わりにそれなりの制約(気になるかどうかは別として)はありそうだ。ソレと比べて「安かろう悪かろう」になるのか、それとも「こんなもので十分」になるのかは、私の知識では何とも言い難い。
 
 ただまあ、いわゆる「ネット閲覧用端末」の選択肢として、それなりに面白い製品であったことは間違いない。私は「中途半端な製品だったら、ネットブックの方が便利なのでは」と思っていたけど、キーボードにどれだけこだわるかについては異論が分かれるところだろうし。最初から「そんなものだ」と割り切っていれば、キーボード無しでも問題にならないかもしれない。より小さいiPhoneなどと比較した場合、大きさ(持ち運びは不便になる)を我慢する価値があるのか…って話にはなるけれど、画面の大きさはやはり魅力的だ。「外出先でネットコミックや長文サイトを快適に閲覧できる」のであれば、あえてこのサイズの品を持ち歩く価値があるかも知れない。
 
 ただ…ビジネス面で考えた場合、ネックになりそうな点があったのは事実。コレがウケた場合、類似品が山ほど登場するのを防げそうにないのだ。Appleの場合は「似ている?だからどーした」で片付けるだけの裏付け(OSレベルからの最適化とか、ソフト販売チャンネルの充実とか)があるんだろうけど、この製品はそーゆーモノを狙ったワケじゃないからなあ。その辺が「よくわからんトラブル」の原因になったのかもしれない。
 
 あくまで私の予想としては、今後「ほとんど同等のモノ」が出てくる可能性は高い。Appleが似たような品を出すって噂が本当なら、真似しようとして「コレと同様の品」を出すメーカーが出そうなものだ。つーか、台湾のメーカーが「Appleのあれを真似しよう」と考えたら、そーゆーモノにしか行き着かないような。あえて冷酷なことを言わせてもらうなら、今回の件は「こういう製品の発売時期が遅れた」だけであり、いずれ出てくるに決まっている類似品を買えば何の問題もないと思う。
 
 でも、こういう「良さげな品」の開発がポシャったって話を聞くと、やはり残念ではあるよね。特に私は、こーゆー「オモチャ」の話は好きなので、その思いが強い。スペック表やレビューを見ていろいろ想像し、気になったら実物に触れ、自分のライフスタイルに当てはまる品なのか・価格性能比は購入するに足るのか…なんて色々考えるのは、楽しいからなあ。その意味では、「期待していたモノ」が製品化されもしないでお蔵入り、ってのはちょっと悲しい。
 
 もっとも…私がこの製品を買ってしまったら、「何も考えず大量にブラウザをインストールする」などというアホやらかし、それはそれでタイヘンなことになったかもしれない。PCのブラウザ群だけでも、管理に手を焼いている有様だってのに。えーと、Firefox3.6がβ4版で、Lunaccape6.0がRC1になったんだよな。いつになったらFirefox3.5とLunascape5.0をアンインストールできるのやら…

12月3日2009/12/04 01:12

 Google日本語入力、私も試しにインストールしてみました。結果は見事なまでに不合格。ローマ字カスタマイズ機能のないIMEじゃあね。私には昔懐かしPC88時代に身につけたクセがあるので、これができなきゃ使う気がしない。あくまで私にとっては、現時点では完全な役立たずです。
 
 本日の話題は、あえて藪をつつくような話をしてみようかと。お世話になっているサイト「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」に、「何故NATO兵科マークが嫌いなのか」を掲載してもらうため、まずは擁護派の私の方から書いてみようと思って。ただまあ、擁護になっているのかどうかは疑問だったりするけど。
 
 NATO兵科マークとは?軍事組織である北大西洋条約機構(略称はNATO)において、ある部隊が「どーゆー部隊なのよ?」ってのを示すための記号である。歩兵・装甲(機甲・戦車って呼ぶことも多い)・騎兵(今じゃ馬に乗ってないけど)などの記号があり、ウォーシミュレーションゲームではよく使われている。
 
 一部ではこよなく嫌われているこの記号、嫌う気持ちはわかる。長方形にナナメのバッテンで「歩兵」なんだけど、これのドコが歩兵なのか、わからん奴にはサッパリわからん。一応は昔々の「歩兵の制服」から来た記号って話だけど、私も昔は「何でコレが歩兵なんだろ?」とは考えた。
 
 とはいえ、慣れればアレが歩兵だってのはすぐわかる。私も慣れた。その結果、逆にイラスト使ったユニットが嫌いになった。いやね、全く許せないワケではない。戦術級ではソレが正解だとさえ思う。けど、作戦級ではなるべく使って欲しくない。戦車・装甲だけがイラストならまだ我慢できても、戦車も歩兵もイラストってのは、ちょっとイヤだ。
 
 コレには理由がある。作戦級のゲームをやっていると、様々な理由から「ちょっと引いた位置から全体を見渡す」って作業をしたくなる時がある。こうすると、余計な場所で遊んでいるユニットが見つかったり、敵の攻勢予備が投入されそうな位置が特定できたりするわけだ。この作業の際、イラストのユニットは「細部が良くわからない」ので、見ていてかえってイライラしてくるのだ。
 
 「歩兵のイラスト」と「戦車のイラスト」はかなり違うので、引いた位置から見たところで見間違えないとは思う。けど、問題は「見間違えるかどうか」じゃない。イラストは細部まで描いてあるので、無意識のうちに目が細部まで確認しようとするのだ。これが結構目の負担になる。私の場合、それが「イライラしてくる」って形になるんだな。ごく一部の人間にわかるように説明すると、「凄く汚れたメガネをかけている」のと同じような感覚になるのだ。
 
 「戦車だけイラスト」だってのなら、「ゴチャゴチャしてるモノ=戦車」だから、まだいい。歩兵も戦車も…ってゲームだと、無意識のうちに目が細部を確認しようとする。これは、おそらく人間の本能に根ざした行動だと思う。それゆえ、多少慣れたからってやはり「つい細部を目で追う」だろうし、その結果として私がある種のイライラを感じるのは間違いない。
 
 不思議なことに、同じゴチャゴチャしていても、「兵科記号をゴテゴテ飾ったモノ」は、思ったより目の負担にならない。私がプレイした「Napoleon at Leipzig」はそーゆーユニットだらけのゲームだけど、気にならなかった。これは、アタマのどこかで「細部なんてどーでもいいんだ」って処理されていたからだと思う。行書・草書を見るようなモノじゃないかな。
 
 私が思うに、NATO兵科マークってのは「表意文字の一種」である。アレをイラストのような意味で捉えると「覚える必要がある」「ドコが歩兵だ」なんて言いたくなると思うけど、それは西洋人が漢字に対して「何でこんなに文字の種類があるんだ」「どいつもこいつもゴチャゴチャしやがって」と感じるのと同じではなかろーか。NATO語?で「歩兵」ってのはあーゆー文字だと定められていて、それを母国語と同レベルで習得したか、そうでないかの差があるだけだと思う。作戦級メインの人間なら母国語レベルでもおかしくないし、そうでないゲーマーも結構いるとは思う。
 
 ゲーマーたるもの、NATO語を母国語レベルまで習得するべきか?多分その必要はない。昔はともかく、最近は印刷技術が発達し、イラストのユニットが増えてきた。こちらを好むゲーマーは、作戦級愛好者でも結構いる。流石に「いずれ廃れる」とは思わないけど、重要度は昔ほどじゃない。そもそも、ほとんどのゲーマーはアレを会得しようと意識したわけではなく、作戦級ゲームに慣れ親しんでいるうちに勝手に馴染んでいっただけだろう。戦術級主体にプレイする人間が「馴染めない」と発言するのは、むしろ自然であると思うな。なお、NATO語は事実上「作戦級シミュレーションゲーム語」なので、馴染む必要はなくても覚えた方が良いのは否定しない。
 
 ちなみに戦術級がユニットイラストにこだわるのは、作戦級よりも「細部の違いが重要」だからだ。作戦級の場合、とりあえず歩兵か装甲かが識別できれば用は足りる…って場合が多いけど、戦術級の場合は「細部までじっくり見て、相手の性能をキチンと把握」しないと役に立たないコトが多いからなあ。ついでに言えば、作戦級ほどは「引いた位置から見る」メリットはない(あくまで比較問題)と思うし。
 
 とりあえず私の場合、ナポレオン以前(日本の戦国時代含む)のゲームにまでNATO兵科マークを要求はしない。アレはアレで目がくらくらするんだけど、まだ我慢できる。ただ、NATO兵科マークを使っても違和感のないテーマのゲームで使わないのは、「わざわざ不便な方を使いやがって」とは思う。私はド乱視(メガネいらない奴が私のメガネかけたら、間違いなくモノが二重に見えるレベル)なので、さしたる理由もナシに「目に優しくない」ユニットは許容したくないのだ。まあ、あくまで「好みの差」の範疇での話だけど。
 
 文字には文字の、イラストにはイラストの良さがある。シミュレーションゲームのユニットの「表記方法」として、文字とイラストどちらが優秀か…ってのは、ある程度「考え方による」と思う。一般に文字の方がシンプルだから、ごちゃごちゃ~っとたくさん並んでいる場合は文字の方が見やすい。逆に密度が低ければ、シンプルすぎて面白味に欠ける文字よりも、イラストの方が勝るというのが一般論かな。あえて私がどちらを好むのかって話をするなら、このブログがどんな有様なのかを見れば、明らかでしょ。
 
 私は「目に優しいから」という理由で、NATO兵科マークを好む。別の方は、別の理由でイラストの方を好む。ま、ユニットの表記方法に関する限り、優劣と言うよりは好みの問題だとは思う。ただまあ、イラスト派の人間に「なんであんなに目に厳しいモノを好むのか」聞いてみたいとは思うかな。何言われたって「目に優しいのはどちらか」は言うまでもない以上、私が考えを変える可能性はゼロだ。ただ、「イラスト推進派は何を重視しているのか」をより深く知ることは、無駄じゃないはずだ。
 
 最後に、あえて今まで触れずにいた話題に言及しよう。いくら「より目に優しいぞ!」と言われても、私が「ドイツ参謀本部式ユニット表記」(AH「LONGEST DAY」で使われた奴。最近ではVPG「BULGE20」の独軍側だけコレだった)を支持するとは思えないんですが…

12月5日2009/12/05 23:57

 コミケカタログが発売された。現在色々チェック中。本来ならば極めて忙しいし、精神的余裕もないので、更新しているヒマはないのだけど…関連情報を漁っているうちに、ヘンな情報に突き当たったので更新する。放置しておくと、かえって私の精神が危ない。
 
 気になった話とは?とあるサイト(あえて伏せる)に、「東京ゲームショウは、手狭を理由に会場を東京ビッグサイトから幕張メッセに移した」という情報(ソースはWikipedia)って話から、「東京ビッグサイトより幕張メッセの方が施設が大きい」と主張していたのだ…あのなあ。
 
 そのWikipediaに書いてあるのだけど、展示会場の面積は東京ビッグサイトの方が大きい。日本最大である。つーか、コレに異を唱える意見は初めて聞いた。今後のことはどーだか知らないけど、とりあえず現時点での幕張メッセより東京ビッグサイトの方がデカいのは間違いない。
 
 じゃあ、何で「手狭」って話が出たのか?これもわかる気がする。東京ビッグサイトが日本最大なのは、東館と西館を全部合計すればの話。これを全部使おうと考えると、西館と東館を結ぶ通路が大混雑する。必ずしも使い勝手のいい会場ではないと思うな。
 
 ヲタクはよ~く知っているんだけど、コミケがビッグサイトで開かれる理由の1つに、「あそこよりデカい会場が存在しないから」がある。東京オリンピック誘致関連で、「もし東京開催になったら」って話の中で、幕張メッセでやったら?って話はあったからなあ。
 
 もっとも、実際問題として考えると、コミケは幕張メッセから「追い出された」って歴史がある。当時は色々あったので、「コミケが無くなるかも」って不安は、今よりずっと現実的だったものよ。
 
 とはいえ、現実問題として「東京ビッグサイトの代替地」になりうるようなイベントホールなんて、そう多くはない。昔を知らない世代から、「幕張でやったらどうか」って意見は出ていたようだ。もっとも、コレをやろうとすると「18禁同人誌は18禁エリアでしか売っちゃ駄目」って話になり、大騒ぎになるんだけど。東京ビッグサイトを追い出されたワンダーフェスティバル(通称ワンフェス。フィギュアなど立体造形中心のイベント)がやむなくコレを実行したって話は有名だ。
 
 東京ビッグサイトは巨大だ。諸般の事情から「全日全館制覇」を覚悟しなきゃならない私の場合、心底痛感させられる。この冬に関しては、今のところ初日の西館には用がない予定だけど、その代わりこの日は「それを差し引いても、一番忙しい日」になりそうだ。多分東京大賞典には行けそうもない…有馬記念とブツからなかっただけ、まだマシだけど。
 
 今回は諸般の事情により、色々と下準備が忙しい。早くもカリカリきている有様だ。必要な情報が揃うまではまだ時間がかかるので、本来ならば余裕はあるはずなんだけど…そんなわけで、本日はコレまで。だからぁ~!こんなことしている場合じゃないんだってば!

12月7日2009/12/08 02:55

 相変わらずコミケの予定が決まらない…元々確定には時間がかかると想定していたので、焦る必要はないんだけど。毎年恒例とはいえ、ついカリカリしてしまうことは否めませんなあ。
 
 昨日はMiddle-Earth東京支部にて、龍虎殿の自作ゲーム「河越夜戦」の新バージョンをプレイ。現在色々と試行錯誤している段階のようなので、ここではあえて無言を貫き、暖かく見守りたい。しかし、そーするとネタが…サクッといいネタ発見できるような精神状態じゃないんだよね。それじゃ、ややまとまりが悪いけど「宿題」に手を付けますか。
 
 先日こちらから「挑発」した甲斐があって、「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」に「ハリガネ弁当箱に思う」なる記事が掲載された。takoba39714殿の手による、NATO兵科記号否定論である。実に興味深い話なので、「挑発して良かった」と思っている。takoba殿にとっては迷惑だったかも知れないけど(苦笑)。
 
 takoba殿のことだから、「イラストの方がわかりやすい」ってだけの直球勝負ではなさそうだ…というトコロまでは予想していた。にもかかわらず、「予想外の方向から攻めてきた」ってのが、最初の感想。NATO兵科マークは「戦争という非人道的行為をゲームとして楽しんでいる後ろめたさを取り繕うため、さも高尚なものに見せかけるためのギミックだから」とは、鋭い一撃だと思うな。いくらバッサリ斬られるためのオトリとはいえ、「目に優しいから」などという、下らない擁護をしたコチラが恥ずかしくなる。
 
 とはいえ、「シミュレーションゲームを高尚なものに見せかけるため」NATO兵科マークを使う…という意見に対し、黙って「おみそれしました」で片付けてしまっては、面白くない。あえて私なりに思うところを書かないと。それが挑発をしかけた側の礼儀ってものじゃないかな。
 
 何事であれ、知識ってモノはあるに越したことはない。しかし、「オレはこんなコトまで知っているんだぜ」などとハナにかけると、嫌われる。いわゆる「俗物根性丸出し」って奴だな。正直言って、私にもそういう根性はあるんじゃないかと思う。もし仮にこーゆー感情が皆無だとしたら、多分こんなブログを書いたりしない。本質的にはみっともないことだな。
 
 ただ…少なくとも表面的な部分においては、私は「知っていても自慢にならない知識」を持っているだけであり、披露しても「オレってスゴい」って気分に浸るどころか、「知っていて済みません」と言いたくなるような知識ばかりだと思っている。このブログでそーゆー知識を語っているのは、ある意味では「自分の恥」をさらけ出しているのだと。もっっとも、にもかかわらずこんなブログやっているのは、やはり心の奥底に「こんなコト知っているなんて、偉いでしょ」ってな気持ちがあるから…なんだろうけど。実のところ、私はNATO兵科記号なんてモノは、この「自慢にならない、知っている方が恥ずかしい知識」の1つだと認識していた。
 
 考えても見て欲しい。この色の話題に食いついてくるような人間の大半にとって、私が持っている競馬の知識は、心底どーでもいいものだろう。コミケの話とか、ブラウザの使い勝手論もそうだと思われる。スワローズの話題は一部のゲーマーに好評だけどね(苦笑)。しかしながら、このブログには(割合は不明だけど)上記の話題こそが「重要」であるって人間がいて、そういう方にしてみれば、「ハリガネ弁当箱を歩兵と認識できる」なんて知識は、心底どーでもいい話題の1つに過ぎない。少なくとも、自慢できるような知識には分類できないと思う。
 
 いわゆるシミュレーションゲーマーではない人間にとって、ハリガネ弁当箱=歩兵という知識は、「ふ~ん」の一言で片付けて終わりである。友人知人や親類縁者にゲーマーがいる場合、深く考えず覚える場合もあるかな…ってなものだ。歩兵の絵が描いてあろうが、ハリガネ弁当箱であろうが、「邪魔な紙くず」以上の認識を持つ可能性はゼロ。「華美なイラストなら…」「フィギュアなら…」といった幻想を持っている人間もいるし、それが完全な間違いだとは思わないけれど、「興味がまるでない。興味を持とうとさえ思わない」人間相手に限定するのなら、何ら役に立たないだろう。それは「不幸なコト」なのだと主張している人もいるけれど、そんな理屈はゲーマー同士でしか通用しないのでは。
 
 そんなのイヤだ、できることならわかってもらいたい…って気持ちは、強弱はともかく誰にでもあると思う。それが人間ってモノだから。「自らを垣根や敷居で囲い込みする閉鎖性」なんてものも、実はこれを実現する手段の1つではないかと。話のわからない奴と会話しなくて済むんだから、ある意味究極の対策じゃないかな。もっとも、これにはデメリットも多い。そこでまあ、「多少なりともわかりやすくすれば…」って発想も出てくる。「ユニットをイラストにすれば、わかってもらえるのでは」ってなわけだ。
 
 ただ、私は「ゲーマーじゃない人間に対する不信」が強いらしく、そんなことをしたところで焼け石に水、「紙くず扱い」はやっぱり変わらないと思う。それゆえ、「ハリガネ弁当箱が歩兵とわかるなんて、なんてオレは知的なんだ」などというのは、ゲーマーの間でだけ通用する理屈ではないかと。私は、言い訳したい相手には一切通じず、言い訳する必要のない相手にだけ理解可能な言い訳に、価値があるとは思わない。
 
 もっとも、世間にはこういう「無価値な言い訳」が山ほどある。代表は「そんなの常識」かな。常識とは、それを常識と思っていない人間にはまるで通用しない。常識だと思っているのなら、いちいち「そんなの常識」だなんて説明されるまでもない。「内輪の空気」抜きにはまるで通用しないワザだけど、「内輪の空気」があって当たり前だと思っている人間はそう思わない。とはいえ、こう言われて「無価値なこと言いやがって」だけで片付けることが可能な人間は、そう多くない。私でさえ、表面上はヘコむ。
 
 takoba39714殿も、「ハリガネ弁当箱=高尚なモノ」と思っている人間こそが(その主張のみに着目するなら)クズなのであって、ハリガネ弁当箱それ自体は罪でも何でもない…といったトコロまで割り切ることが出来たならば、別にNATO兵科マーク嫌いにならなかったと思われる。とはいえ、ソコまで割り切れる奴は「逆に人間としてどこかオカシイ」かもしれないけど。私はNATO兵科記号擁護主義者ではあるけれど、アレを使う=知的、という意見にはついて行けない。そんな理屈が通用する相手と、そんな理屈を言わなきゃいけない相手がまるでかみ合っていない以上、ついて行く必要を感じない。
 
 実を言えば私が以前展開した擁護論とは別に、もっとマトモな「NATO兵科マーク擁護論」は存在する。前回はあえてソレをしなかったし、今回もあえてソレには触れないけど。それを承知の上でも、「知的に見えるから」って意見は無意味だと思うな。知的かどうかなんて、自分の思惑と無関係に周囲がそう判断するかどうかが全てであり、自分からそう主張したって無意味だと思うので。
 
 takoba39714殿のNATO兵科マーク否定論を読んで、1つ思い出したことがある。takoba殿にとっての「長方形にナナメバッテン」って、私にとってのサインコサイン記号みたいなものなんだろなと。アレで決定的に数学に躓いた私にしてみれば、「何故重要なのかもロクに説明されぬまま押しつけられた、意味不明な記号」だったからなあ。多少賢くなって、重要性がある程度わかるようになった今でさえ、アレを見ると「うへえ」って気持ちが…

12月9日2009/12/10 02:37

 なんかLunascape6.0が、こまめにバージョンアップしている…つい先日RC2が来たかと思ったら、今度はRC3だって。一気に正式版に行かないのは、何か問題でもあるのか?
 
 本日の話題は、ちょっと前から調べていた「GXロケット」について。事業仕分けとやらで削られそうな国産ロケットだ。これがどんなものかロクに報道されないまま騒いでる輩が結構多いので、私なりに「どんなロケットなのか」「何が狙いなのか」を書いてみようかと。
 
 GXロケットってのは、実は我々が考えるような「ロケット」とは少し異なる。いやまあ、ロケットはロケットなんだけど、2段目部分でしかない。1段目は別のロケットを買ってきて取り付ける。同じ国産ロケットのH-2Aが「ロケット全体でH-2A」だってのと比べると、ちと意味合いが違う。これは重要だ。
 
 主な特徴は、何と言っても燃料。LNG(液化天然ガスだな)を使用するのだ。世界初の試みらしい。この時点で、狙いの1つに「燃料費が安上がり」ってのがあるんだなとわかる。もしLNGが「打ち上げ燃料として効率の良い燃料」だってんなら、米ソが試作ぐらいしたはずだ。なにせ原子力エンジンやフッ素エンジンまで検討してた連中だからして。
 
 しかし…GXロケットは開発がうまくいかなかった。そのおかげで開発費がかさみ、経済性をウリにするはずなのに、カネがかかる」ってな有様に。そのため色々迷走したあげく、実は官僚(経産省と文科省)から「本当に必要かぁ?」ってなツッコミが入っていたのだ。にもかかわらず予算が付いたのは…自民党政権時代の「政治的判断」という奴らしい。つまり、GXロケットは「元々政治的判断とやらでかろうじて生き残っていた計画を、政権交代に伴う政治的判断で潰しただけ」って話は出来る。
 
 そもそも、何故LNG?ってのは、ちょっとわかりにくい。確かに、LNGなりケロシンなり…を使った液体燃料ロケットって、様々な理由から「これからの主力エンジン」になるんじゃないかとされている。それはいいんだけど、なんでまたケロシンではなくLNGを選んだのかは…「技術大国日本」なる思い込みから無茶した可能性も否定は出来ない。ただまあ、「米・ロと同じコトやってたんじゃ、永遠に追いつけない」ってのも大事だとは思うけど。
 
 ついでに言えば、政治的判断とやらが介入するようになった理由は、開発先の民間企業にあるらしい。GXロケットは石川島播磨重工(IHI)の産物で、H-2Aは三菱重工の製品。「あまり三菱重工にデカい顔されても…」とかいう思惑があったんでないかと言われている。これを「競争させるのは良いことだ」と考えるのか、「談合みたいなモノじゃねえか!」と考えるのかは、まあその人次第としておこう。
 
 とまあ否定的なこと中心に述べてきたワケだけど、官僚からも疑問符が付けられたシロモノだけに、ある程度は仕方ない。ここまではキチンと調べればすぐわかる。問題はここからだ。さらに突っ込んで調べてみると、色々面白い。
 
 GXロケットは2段目用のロケットだ。じゃあ1段目は?面白いことに、最初の計画ではロシアから買ってくる予定だったようだ。その昔ソ連が月着陸ロケット用に開発したエンジンが、ソ連崩壊に伴って安く大量に売り出される…って話があったので、コレを買ってくるつもりだったらしい。でも、これは米国の企業に先を越されて実現しなかった。そこで選ばれたのは、やはり米国製…なんだけど、ソ連/ロシアのエンジンを「なりふり構わず」買ってきてライセンス生産した(正確には「する予定」だけど)、RD-180ってモノ。
 
 結局ロシアの技術じゃん…ってのは、ある意味当たり前である。なにせ米国はスペースシャトルにイレ込みすぎたのか、「ケロシン使ったロケットエンジン」の開発に失敗し続けてきたのだ。その結果、米国の技術者に「アメリカのエンジン技術がロシアより上回っているどころか、同等ですらないことを認めるのは苦しかった」とまで言わしめたほど。欧州や米国でさえ「どーゆー形でロシアの技術を学ぶのか」に躍起になっている以上、日本もまた「この技術を学ぶ機会」を模索するのは決して悪いコトではないはずだ。
 
 逆に言えば、GXロケットってのは、ロシアの技術を学びもしないうちから、炭化水素(ケロシンもLNGもコレの1つだ)エンジンを作ろうとしたわけだ…「LNG使っているから、燃料費安いよ!」ってなアピールでもしない限り、イマイチなシロモノに終わっても不思議じゃないな。言っておくけど、アポロ宇宙船を打ち上げたサターンロケットの1段目も、ケロシン使っているんだよ?そういう実績のある米国が「勝てない」とヌカして輸入・ライセンス生産をしているんだよ?
 
 つまりだ。GXロケットは、これ自体がクソであったとしても、とりあえず「ロシアの技術を学ぶ良い機会」だってことは否定できない。液体水素燃料などという、「今現在高級品専用で、この先1段目としては先細りが予想される」エンジン使っているH-2Aに全てを託すのは不安だし、かといって、炭化水素使ったロケットエンジンで、日本がロシアに追いつくなんて夢物語(米国でさえ諦めたことなのに)としか思えない以上、どんな形でも良いから「ロシアの技術を導入する機会」は必要じゃないかなあ。
 
 別にGXロケットなんて使わなくても、ロシアの技術を学ぶことは可能だろう。理論上は。けど、ロシアのロケットエンジン技術について壮絶な誤解がまかり通っている上、一応は国内の技術者の顔も立ててやらなきゃイケナイ…ってな「日本社会」において、他にどーすりゃそういう機会が得られるんでしょうか?
 
 しかしだねえ。事業仕分け人とやらに面と向かって、「ロシアの技術を、日本国内の技術者のメンツが立つように導入するには、コレしかないんです。」なんて言えるワケがない。政治的判断とやらで予算を認めた自民党のお偉いさんだって、そこまで理解してなかったのは間違いなさそうだし。米国が「仮想敵国ロシアから、軍事衛星打ち上げ用に使うロケットエンジン買い、頭を下げてライセンス生産させてもらう」などという屈辱的…どころか「国防上それはどーなの?」ってコトやらかしてまで導入しようとしている技術を会得するためだもの、GXロケットがクソみたいな産物であっても、それぐらい安いモノじゃないかって気がして仕方ない。
 
 私はGXロケットそれ自体は「イマイチ」な産物であり、これが廃止されても「日本のロケット技術の大幅後退」だとは思わない。別の計画に切り替えた方が良いのではって気がする。しかし、おかげで「ロシアの技術に触れる機会」が遠のくことになりかねないのは事実。むしろソッチの方が「日本のロケット技術にとって深刻な問題」かも(苦笑)。見直すにしろ廃止するにせよ、いずれにしても「どーやったらロシアの技術を導入できるのか」は考えた方が良いと思うぞ。マジに。

12月12日2009/12/13 02:13

 おお、コーツィーが来てるじゃないか。コレは有り難いね。スミヨンもコッチか。おまけに天才まで。やっぱり天才はいいよなあ…とはいえ、魔神もいるけどな。ファロンのボケは何しに来たんだか…という話については、また後日。
 
 色々悩んだけど、とりあえずは「感想ぐらいなら、多少勝手に書いても問題は無かろう」と判断した。つーわけで、コミケ絡みで病んだ心をさらに病ませてくれた、フリーゲーム「zero-answers」通称「ゼロアン」について、書いてしまおう。作者の承諾とってないけど(苦笑)。
 
 正直「宣伝」と取られるとイヤなので、ダウンロード先は間接的に示す。ここに詳しい紹介と作者のサイトが示されているので、興味がある方はどーぞ。
 
 何故私はこのゲームを知ったのか?実のところ、同じ作者の前作が「そこそこ良かった」から。何気なく作者のサイトに行ったら新作が公開されていたので、軽い気持ちでダウンロードしてみたのだ。その結果、結構ハマった。
 
 ゼロアンは、「戦闘メインのRPG」である。ストーリーもあってそれなりに重要ではあるけれど、基本は「ひたすら戦っていくと、勝手に話が進む」ようなもの。その戦闘も、基本的には「ターンバトル」であり、ややこしいワケではない。「そーゆー単純なモノはつまらん」って声が聞こえてきそうなシロモノではあるかな。おまけに、「スロットが重要」だと紹介されていて、「目押しできないからオレには向かない」と思う奴もいると思う。
 
 正直言おう。上記感想は、私が当初考えたモノだったりする。ソコソコ軽く楽しめればいいや…ぐらいに考えていたのだ。私も目押しなんてできないので、「全く合わない」かもしれないとまで考えていた。けど、実際やってみたら、期待以上にハマってしまった。一応、なんでソコまでハマったのかを紹介しよう。
 
 まずこのゲーム、いわゆる「ターン制のコマンド式バトル」なんだけど、最大の特徴として「フルオート」なのだ。つまり、キャラは事前に設定した行動しかしてくれない。おまけに、原則として通常攻撃でもMPを消費する。MPが切れると完全な木偶だ。
 
 この手のRPGにありがちなことに、「回復呪文」だの「特別な攻撃」(魔法攻撃)だのもチャンとある。ただしフルオートなので、「用もないの時にも使い続ける」か、「どんなピンチでも使わない」かの二択。しかも戦闘にはターン制限があり、これまでに相手を倒しきれないと「敗北」扱い。このため、「どーゆーワザをセットして戦闘に挑むのか」をひたすら考えなければならない。ワザを節約しすぎれば時間オーバー、使いすぎればMP切れに泣かされる。
 
 しかもだ。戦闘に参加するキャラは、原則8人からランダムに選ばれた3人。どいつもこいつも特徴的で、いちいちワザの性質が異なる。特徴を理解するのは当然として、MPやらHPやらの減り具合を確認しつつ、「この組み合わせならイケる」「使うワザをいじれば何とか…」「駄目だこりゃ」ってなコトを判断しなくてはならないのだ。漫然と戦っていると、心が折れる。
 
 おまけにこいつら、レベルが上がっても打撃力はさほど強化されない。じゃあどーすんのかというと、カネ出して「味方の士気が上がるアイテム」買う必要があるのだ。こうすると攻撃力が上がる。しかも、原則士気に比例して。また、「相手の士気を低下させるアイテム」もあり、これらをうまく使わないと即詰みだ。なにせ相手の士気が高いと、ザコから即死攻撃が飛んでくる。カネの使い方もかな~り考える必要があるんだな。
 
 スロットはどう利用するのか?実はこのゲームのスロット、いわゆる「エンカウント」の内容を決める手段である。敵と遭遇するか、カネ拾うか、MPが回復するか…の三択。目押しは出来た方がいいけれど、出来なきゃ出来ないで何とかなる。それに、ゲーム進めてゆくと段々スロットが早くなるので、超人でもなきゃ目押しできない状態になるし。
 
 スロットには、もう1つ重要な要素がある。スロットの近くにはタイマーのような数字が出ていて、「スロットを回している時間」の合計が1分(だと思う)を超えると、ゲーム内での「1日」が終了する。してしまう。1日が終了すると、攻撃力アップ&ダウンアイテムの効果が切れ、また翌日改めて使い直し。さらに、手持ちのカネは自動的に全額上納。カネで買ったアイテムまでは没収されないので「買い物」に励むことになるんだけど、「何を買うのか」はかなり悩ましい。先を考えないと泣きの涙だ。
 
 いわゆる「マップ」はごく単純。1本道のマスを7歩進み、各階のボスと戦って勝てば次の階に進むだけ。ただ…1歩進むためには、パーティーの「先生」(言い忘れたけど、このゲームの主要キャラは「生徒」だ)のMPを消費して進む。そんでもって、先生のMPは「生徒が戦闘すると回復」なのだ。調子に乗ってカネの出目ばかり目押しで揃えていても、ゲームが進まない。なおこの先生、各階のボスと戦う時には戦闘に参加してくれる。コイツはフルオートではなく、プレイヤーが操れる。
 
 うまくプレイを進めるコツは、生徒を大切にすること。特に序盤は。HPゼロになった生徒が出なければ「ご褒美」として士気上昇&士気低下のアイテムがもらえるのだ。序盤は金欠で「そんな高いモノ買えない」ので、取り逃がすと大損になる。中盤以降も経済状況は楽じゃないので、いざとなったら「途中で1日を切り上げる」(選択できる)覚悟も必要になってくる。
 
 15階層あるダンジョンを突破するか、15日が経過すると、ゲームエンド…ではない。ここで担当教員が代わり、「ラスボス」と戦わされる。この時、アイテムの持ち越しは原則不可。買い物は「今まで上納したカネ」で行う必要がある。上納金をケチっていると思いっきり詰む。このラスボスは「どこまで進んだのか」によって相手の強さが変わる。ラスボスは中ボス4人+ボス1人が原則。中ボスはお供を連れている。いきなりボスに挑むと中ボスがお供に付くので、普通は中ボス倒してからボスに挑むことになる。この戦闘の時は、生徒もプレイヤーが操れる。
 
 
 このゲームには、やりこみ要素として「実績」ってものがある。様々な条件を満たしてゲームクリアすると、実績として表彰されるのだ。それをある程度貯めた時点で挑める(実績不足でも挑むことは出来るけど、自殺行為である)のが、隠しボス。ルールは基本ラスボスとの戦いと同じだけど、この時の買い物に必要なカネは「実績」の数に比例する。ちなみにこの隠しボス、滅茶苦茶強い。死ぬほど強い。心が折れるほど強い。実際何度も心が折れた。
 
 このゲームの特徴は、「スロット使うという運またはテクニックのゲームに見せかけて、実は戦略を考えるのが重要なゲーム」だってトコロにある。戦い方がわかってくると、真面目に「上達した」って実感が得られるのだ。実際、最初の頃は「できるワケねーだろ」と思っていたキツい実績も、最近は比較的楽にクリアできるようになった。目押し絡みは相変わらず運任せだってのに。ここ最近では、一番「自分の成長」を実感させてくれるモノだったな。
 
 ゲームに限らないけど、やはり「自分の成長が自分でわかる」ってのは楽しい。体重や血圧のように「器具で計って初めてわかる」のも悪くないけど、やはり基本は「以前出来なかったことが、どんどん出来るようになる」ことじゃないかなあ。RPGの戦闘なんて「強くなったのはキャラであって、操るプレイヤーは成長してない」のが当たり前だったりするけれど、まさかターン制のコマンドバトルをいじったモノでそういう実感を得られるとは。そこが新鮮で良かった。
 
 正直言ってものすご~くクセの強いゲームなので、万人にオススメできるってゲームではないと思う。ただまあ、私は気に入った。特に「スロットの目押しは重要ではあるんだけど、もっと大事なモノがある」ってトコロが。私は目押しはまるで駄目だけど、それがかえって「目押し抜きでドコまでイケるのか」ってなチャレンジ精神をかき立ててくれるんだな。そういう精神構造している人にはオススメかも。
 
 なお、このゲーム地味に音楽が良い。前作も「最も気に入ったのは何か」と聞かれたら、ためらいなしに「音楽」と即答できるレベルだったからなあ。もっとも、だからって「BGM代わりにサウンドテスト聴きまくっている」のはどうかと…

12月16日2009/12/17 01:23

 「Sleipnerが自動更新されません!2.9.2が出たはずなのに、2.9.1を最新だとヌカしてます!」「Firefox3.5.6が出ました!3.6導入済ですが、更新しますか?」「Avantの最新版がうまく更新できません!どうやらダウンロード先が危険サイトに分類されてしまったようです…」「Lunascape6.0が正式版になりました。共存している5.1.6は不要だと思うのですが、どーしましょう?」…どーすりゃいいんだ?ホントに。ブツブツブツ…
 
 香港の馬券はイマイチだわ、PO馬の成績はイマイチだわ…と、ロクなコト無かった先週の馬券ライフ。その憂さを晴らすべく?本日は競馬の話題。「有馬記念ファン投票を考える」としよう。以前から暖めていたネタなので。
 
 有馬記念と宝塚記念は、ファン投票を元に出走メンバーを決めるレースとして有名だ。しかし今年の有馬記念には、ファン投票で1位になったウオッカは出走しない。したくても出来ない。競馬のルールに従い、有馬記念への出走が禁じられたから。少し前に、知人のまくはりすいよう殿が自身のブログ(コチラ)で「これは問題だ」ってな趣旨の発言をしておられる。
 
 何故問題なのか?簡単に言うとこうなる。ウオッカが「有馬記念に出走できない」となったのは、JC直後ぐらい。にもかかわらず、その後も票を伸ばし続けて1位を保った。流石にペースは落ちたけど。仮にその票が全部ある特定の馬(それ以前は0票とする)に集中していたら、有馬記念へ出走できるだろうってぐらいだ。こういう死票が山ほど投じられながら、問題視されないのはおかしいと論じているわけだ。
 
 これに対し、私の個人的意見は真っ向から対立するモノだったりする。「それはちっとも問題じゃない」と思っているので。その理由を説明しよう。私は、有馬記念(&宝塚記念)のファン投票ってのは、競馬ファンの「こういう出走メンバーのレースが見たいなあ」という、「妄想に近い夢」を集計し、その中で名前が多く出てきた馬に出走権を…って性質のモノだと思っているのだ。よって、ファン投票に「問題視すべき点」があるとするならば、「JRA所属の現役馬に限る」って部分ではないかと。本質的には、「そんなメンバーのレースが実現可能かどうか」なんて無視して、地方海外はおろか現役を引退した馬(生死を問わず)、果ては「もはや競走馬じゃないモノ」まで含めるべきとさえ思っている。
 
 ただまあ、JRAは単なる「競馬会」であって、魔法使いではない。人間やらクルマやら自転車やらを出走させるのは無茶(そもそもゲートに入るか?)だし、あの世から馬を連れてくることもできない。種牡馬入りした馬でも問題だらけだし、現役競走馬であっても地方・海外勢をどうこう…ってのもタイヘンだろう。それに、対象を広げすぎると「この投票は有効票なのか?」ってのを調べるだけで気が遠くなってしまう。それを考えれば、まあ現在の投票対象ぐらいが適切なのかなと。「縛りは可能な限り緩く」が基本なので、これ以上の制限には反対だ。
 
 私とまくはり殿で、こうも意見が異なるのは何故か?おそらくは「ファンの投票」なるものをどう考えるのか…って部分の違いではないかと。私の場合、ファン投票ってのは「夢というか妄想というか」ってな産物でかまわないと思っている。有馬記念の出走メンバーって形で実現するかどうかは、レース主催者のJRAが実際の出走メンバー決める際に考える問題であって、投票するファンが考える問題じゃねーだろと。「オレはこんなメンバーのレースが見たい!」と思うのは勝手であって、そこに水を掛けるような制度にする必要はないし、して欲しくない。
 
 これに対し、まくはり殿は「実際に出走しそうな馬」から選ぶべきだと考えているようだ。確かに、ファン投票の内容次第では出走できるかも…って馬がいる以上、真面目に考え真面目に投票するのがスジだという見解もできる。単純に「正しい・正しくない」で区分けするのなら、正しいのはむしろコチラだとは思う。でも、私は「正しい」とは言えても、共感は出来ない。
 
 こんなコトを書くと、「有識者の投票」で決まる年度代表馬に対する「攻撃的な姿勢」(私はケチを付けることが多い)と違うじゃねえか…と言われそうなので、ここで弁解しておこう。ファンの直接投票の場合、「どんな的外れだろうとそれはそれで尊重すべき」だけど、有識者ってことで「特権的な地位」にある奴が的外れな投票をしたのなら、「何でお前が特権持っているんだ?」って話になる。無責任であって問題ない人間と、無責任じゃ困る人間を混同するのは、色んな意味で良くないと思うから、アッチにはケチつけることもあるのだ。
 
 あくまで私の基準に従えばだけど、「死票が山ほど出る」のは問題じゃないのだ。多数決ってのは、そーゆーモノでしょ。全員一致でない限り死票は必ず出る。でも、それはある意味では「健全な証拠」だ。「常に全員一致」という、死票のない社会とは…を考えてみれば、それはわかるはず。多すぎたらそれはそれで問題ではあるだろうけど、有馬記念という「遊び心優先の企画」において、ファン投票1位の馬に投じられた票が「出走できないから死票」だったからと言って、私は問題だとは思わない。むしろ私は「無効票扱い」の増大を嫌う。死票は「投票は認められたけど、結果が出走メンバーに反映されなかった」だけど、無効票は「投票行為そのものが否定された」ことになるから。だから、まくはり殿がウオッカへの投票を「実質は無効票」と呼んでいることには、「違う!」と言いたい。声を大にして。あれはあくまで死票であって、無効票の同類ではない。「オレはウオッカに出走してもらいたい」って思いは公表されたのだから。
 
 実質は無効票ってのは、たとえば「投票総数が一定数に満たなかった馬への票」に対して使う言葉だと思う。まるで結果が公表されない以上、「最初から投票しなかった」場合とどこが違うのか、サッパリわからないからね。そういう「実質無効票」を「死票」に替えるべく活動してきた同人サークルがあって、私はその活動をずっと応援してきたのだ。ごくささやかにではあるけれど。ウオッカへの投票を問題視するかについては「見解の相違」の範疇だと思うけど、無効票と死票の混同は「有馬グランプリ」殿14年の同人活動をおとしめるような行為であり、私にケンカ売ってるようなものです。これだけはやめて下さい。真面目にとても哀しいです。
 
 出走できないことが確定した後に投じられたウオッカ票や、「1票の馬への票」の大半は、深く考えずに投じられた「不真面目な票」かもしれない。けど、私はそこに「誰が何と言おうと、オレはこの馬が有馬記念で走る姿を見たい!」というアツい魂の1票が混じっている可能性がある限り、そういう投票全てを尊重すべきだと思う。「大半がクズなんだから、多少大事なモノが削られてもかまわない」と考えるべきなのか、「大半がクズであっても、大事なモノは何1つ落とさないようにすべきだ」と考えるべきなのかは、議論の余地があることかもしれないけど。
 
 有馬記念&宝塚記念のファン投票については、JRAも何かしら見直しを考えているらしい。具体的にどうするのかはともかく、「良い方向」へと見直されて欲しいな。私は、その気持ちが人一倍強い。だって、その代償として14年の歴史を誇る「有馬グランプリ」殿の活動が停止したんだよ…私が「同人競馬文化の至宝の1つ」と賞賛し、いつもいつも応援してきたサークルなのに…

12月21日2009/12/21 23:00

 土曜に飲み過ぎ、日曜は倒れていました。駄目だね、色々と。最近胃が弱くなったもんだ…
 
 本日の話題は、私にしては珍しく「喧嘩は買えません、すいません」って話。どこが売ってきた喧嘩なのかって?いやね、「カノッサ 冬の特別講習 ゲームの歴史 ゲーム宗教改革と民衆の勃興」のシミュレーションゲーム版が欲しいって話があったモノですから…
 
 ここで言う「カノッサの屈辱」とは、皇帝が法王に…って話ではなく、TV番組の方。現代の風俗その他の流れを、多少強引に「史実の出来事」っぽく紹介するって奴だね。昔の番組だけど、今も特別版が出る。ギャグとしては秀逸ではないかと。
 
 これのシミュレーションゲーム版を作るのは、無理ではないと思う。ゲーマーにしかウケないけど。TVでそんな「誰得」なモノ作るワケには行かないと思うけど、あらすじ作ってブログで発表するってだけなら、不可能ってワケではない。不可能ではないんだけど、私は諦めました。熟考の末。
 
 何故諦めたのか?才能がないから…じゃ、答えとして弱いですね。よりマトモな?言い訳をすると、実は私は「さほどシミュレーションゲーム史に詳しくないから」かな。以下わかんない人置き去りに話をしますので、ご注意を。
 
 私がゲームを覚えたのは、ある意味この業界が衰退期に入りかけていた頃だったと思う。バンダイは活動の末期、エポックも大半の作品を出した後だったからなあ。ツクダとホビージャパンはそれなりに頑張っていたと思うけど。
 
 それゆえ、実のところ「日本シミュレーションゲーム史」の黎明期~最盛期に当たる部分について、案外知識が欠落している。ホビージャパンと喜屋通商(で良かったっけ?)の抗争(なのだろうか)もよく知らないし、バンダイ・エポック・ツクダが「どんな流れで」こんなものを出したのかもよくわからん。それゆえ、この辺を「どの史実に当てはめると適切なのか」もわからん。ホビージャパンがある意味「最大勢力」であったのは間違いなさそうだけど、ここを「外来勢力(輸入元だから)」とすべきなのか、「正当王朝」とすべきなのか…私には判断が付かない。
 
 更にワケわかんないのは、実はこの世界「メーカー」を軸にして話を進めるべきなのか、「デザイナー集団」で捉えるのかによって、話がかなり変わってくるところ。アドテクノスの流れをくむデザイナーが「どこからゲームを出したのか」を考えるだけで、結構アタマが痛いからなあ。
 
 近・現代のウォーゲーム史もまたアタマが痛い。なにせこの業界、一度「絶滅」に近いトコロまで落ち込んでいるだけに、流れで捉えるのが難しいのだ。コマンド誌はまだ強引に「レックカンパニー(エポック)~翔企画」って系列に組み込めるとしても、GJやサンセットの登場をどう捉えるべきなのかとか、シックスアングルの位置づけとかは「解釈」が難しい。全てまとめて「新興勢力」呼ばわりしてもいいのかもしれないけど…
 
 ついでに言うのなら、「何故一度絶滅したのか、そこから何故復興したのか」を語るのも難しい。一部の古参ゲーマー(正直言って私も含む)は「テーブルトークRPG」が衰退の理由だと思ってきたようだけど、どうもそれだけじゃ説明がつかないんだよね。この説では、衰退を説明できても復興を説明しにくい。今から考えてみれば、むしろ真の敵はファミコンに代表されるコンシューマーゲーム機って気もするし。
 
 要はこの業界、「どう発展してどう衰退して、どう復興したのか」ってな「日本シミュレーションゲーム史」が、あんまり整理されていないのだ。そんな状況の中で、ホビージャパン」やレックカンパニーをどう位置づけるのか…と言われても難しい。細部はともかく、大まかな同意を得られる範囲で「そうそう、そんな位置づけ」と共感を得られるようにしないと、「強引に歴史の流れに当てはめる」のは難しいんじゃないかなあ。
 
 考えてみれば当たり前なんだけど、ゲーマーってのは、ある程度デザイナーの影響を受ける。「面白いゲームとは…」「勝利条件とは…」なんて意見は、プレイしたゲームと無関係に出てくるワケがない。そんでもって、デザイナーもまた他のデザイナーの影響を受ける。そういう「思想の体系」を整理することには一定の意義はあるんだろうけど、今のところあんまりまとまってない気がする。ま、物理的に大変な作業が必要だし、その割に需要はないし、下手すると「いらん対立」引き起こすだけって話があるので、誰も手を付けないのは当然って気もするんだけど。
 
 とはいえ、ゲーマーってのは理屈っぽい上にやたら史実に詳しい。だから、そのうち誰かが「売られたケンカ」買うんじゃないかとは思う。けど、私はとりあえず無理だ。「誰もやらないのなら、オレがやる」をモットーにしている私だけど、これはちょっと手に負える問題じゃない。一応は「いつか何とかしてやる」という気持ちを持ちつつも、「いつまとまるのかサッパリわからないので、他にやる奴がいるのならお任せしたい」としておこう。
 
 ちなみに、土曜の飲み会でもそんな話は出ていたんだけど、酔った上での話なのでかなり「怪しげな」記憶しか残ってないんだよね(苦笑)それに、ものすげー嬉しいお土産もらっちゃったから、気持ちがソッチに飛んでいて…いやあ、「韓国同人カレンダー群」入手はスゲー嬉しいです。「今年は不作か?」と蒼くなっていただけに…

12月23日2009/12/23 22:51

 コミケの「予定」が決まらない…いやまあ、想定の範囲内ではあるんだけど。それでもものすげーカリカリきてます。
 
 そーゆーわけで、本日は比較的気楽に語れるネタを。日本人宇宙飛行士が利用した記念ってことで、ソユーズロケットを語ります。今更私ごときが語るようなモノじゃねえって気もするけど。
 
 ソユーズロケットは、疑いようもなく「大傑作」である。ド派手な実績こそないけれど、それでも「人類の宇宙開発史」において重要な位置を占める機体だ。特に、長年使われ続けた実績は太刀打ちしようがない。
 
 1段目に使われているRD-107ロケットエンジンは、怖ろしいことにスプートニク1号を打ち上げ、ヴォストーク1号でガガーリン少佐を打ち上げたモノと基本的に同じ。いくらロケットエンジンが「基本構造はむしろシンプル」とはいえ、今もって現役…どころか最前線で使われているとは。ある意味呆れてしまうね。
 
 ソユーズは確かに「大傑作」だけど、明白な限界も抱えている。コイツでは「月着陸」は無理なのだ。それは開発当時から、ある程度わかっていた。要は月着陸が可能なほど大きな質量を打ち上げるには、出力不足なのだ。RD-107ロケットにそんな能力がないってのは、おそらく開発当時からわかっていたことだろう。それゆえ、このロケットはあくまで「月着陸ロケットへのツナギ」として開発されたはずだった。
 
 しかし、ソ連は結局月着陸ロケットの開発に失敗した。技術的な問題もあったし、「どう頑張ってもアポロに先を越される」って理由もあっただろう。それを思えば、ソユーズが今も使われているってのは、開発当時のソ連からしてみれば「完全に想定外」だったはずだ。実際、米国の宇宙船でソユーズと似たような位置づけのモノは「ジェミニ宇宙船」になると思うんだけど、コッチはアポロに道を譲って退役している。
 
 しかし、ソ連/ロシアにしてみれば、「人間を宇宙に送り出す」機体はこれしかない。「宇宙空間で軌道を変更する」「何かとドッキングする」なんて基本的な機能は達成できているから、決して使い勝手が悪いワケじゃないし。宇宙開発が下火になった以上、いちいち新型ロケットを開発する必要も薄い。それゆえ、このロケットは「退役する理由」がなくなってしまった。だから、今もって使われている。
 
 ただ…「実績から来る信頼感」を得ようと思ったら、とにかく実績を積み重ねるしかない。逆に言えば、何であれ実績を積み重ね続ければ、コレが生じてくる。おまけにこのロケット、元がICBMだった関係からか「悪天候に強い」って特徴もあり、どんどん退役させる理由が無くなっていった。「多少の不満はあるけれど、全体的にはソコソコ使える」モノを置き換えるのがどれだけ難しいかは、今もってIE6が「現役」なことを考えればわかるんじゃないかな。
 
 とはいえ、普通は「新製品ゆえの良さ」を全面に打ち出した新作が、結局は旧作を駆逐する。開発に失敗しなければ。ソ連/ロシアは月ロケット開発に失敗、その後に選んだ「有人打ち上げシステム」は、スペースシャトルの構想を真似したブラン…最近の研究によると、ソ連はシャトルを「あんな贅沢品、軍事用にしか使えない」と思っていたらしいんだけど、にもかかわらず真似しちゃうのが軍事国家の悲しさ。ブラン開発にかかったカネを他に転用していれば、多分ソユーズ後継機がすでに誕生していたんじゃないかなあ。ただまあ、「軍事用途でなけりゃ、ソユーズがあるじゃん」ってな理由でブラン開発に踏み切ったのかもしれない。
 
 もっとも、シャトルに全てを託していた米国NASAは…そりゃあ、総合力で見れば今でも米国が「宇宙開発に関する技術は世界一」なのは間違いない。でも、次世代有人宇宙船については、色々問題が起きているようだ。とりあえず、最初の有人飛行は2015年以降って予定で、シャトル引退から5年以上の空白が生じる有様。しかも、これすら「開発が順調に進めば」の話だ。時代が違うし「有人宇宙飛行」って分野限定とはいえ、「スプートニクショック」並みのド派手な敗北だと思うな。
 
 ソユーズの基本設計は古臭いモノで、その限界もハッキリしている。にもかかわらず「大傑作」扱いされるに至った最大の理由は、「ライバルが勝手にコケたから」に過ぎないと言うことは出来る。ただし、コケたライバル達は皆「使い勝手」の部分が良くなかったのに対し、ソユーズは使い勝手がものすごく良かったのは否定できない。アポロ宇宙船はカネ食いムシだったし、スペースシャトルやブランもある意味ソレは同じ。限界をわきまえて使う分には使い勝手がいいから…ってんで黙々と実績を積み重ねていった結果、今の地位を獲得したのだと思う。
 
 新しいモノによって駆逐される旧製品…って図式が当たり前の世の中において、ソユーズのあり方はある意味異質である。技術者にしてみたら、「新製品が売れないほどの傑作はむしろ困る」って話になりそうだな。資本主義国が作った製品じゃないから仕方ないのかも知れないけれど(苦笑)。ただ、「何故ソユーズは傑作と呼ばれるようになったのか」を学ぶことは、製品開発やらサービス開発やらにとって参考になる気がする。「織田信長に学ぶ経営術」「坂本龍馬に学ぶ…」なんてモノ(これはこれで役に立つのかも知れないけど)より、ずっと。ひょっとすると、そーゆー発想が出てこないところが、「日本経営陣」とやらの問題点なのかも知れない(笑)。
 
 何はともあれ、ソユーズは今現在「最も安全に人類が宇宙に行き、帰還する方法」である。案の定、日本人宇宙飛行士も無事にISSに到着したようだ。ホントにタイヘンなのは帰還する時だって話はある(ソユーズが出した死者は全て帰還時。打ち上げ失敗例もあるけど、脱出に成功している)けどね。コレを機に、日本でももう少しソユーズロケットの偉大さが知られて欲しいんだけどな。知ってる奴は知っているけど、ロケットネタはどーしてもマイナーだからなあ…

12月28日2009/12/28 22:24

 おそらくは今年最後の更新。ネタは当然「コミケの備忘録」。コレが終わらないとマジに年越せないからして。それが「東京近郊に生息するヲタク」って生物だ。
 
 今回は忙しい…諸般の事情により、東京大賞典行きを諦めたほど。アレを当てて…って思いはあるんだけど、こればっかりはどーしよーもない。歯ぎしりしながらラジオにかじりつく予定です。
 
 初日。店番&取材&「外せない」買い物。当初の予想と異なり、外せない買い物に時間をさほど使わなくて済みそうなので、取材は多少楽になりそう。現在取材の準備中だけどな。だからぁ~、こんなコトしてる場合じゃねー!
 
 2日目。「外せない買い物」続きと旅行・メカミリ、それと便せん。結構タイヘンかも。自分のための「企業ブースの買い物」(要はカレンダー狙い)はこの日になるのかな。
 
 3日目。スポーツ。競馬。今の時点では、何も言いたくありません。
 
 つーわけで、カリカリしまくっているのでここまで。ヲタク歴が長いと、色々あるんですよホントに。これはこれで「お気楽極楽」って趣味じゃないのよ。とりあえず準備だけはしっかりやらないと…って、こんなことしてる場合じゃねえ!