9月10日2008/09/11 01:01

 「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」(池谷祐二/講談社ブルーバックス)という本をパラ読みした。ぶっちゃけ言えば「英語は要は発音だ」として、正確な発音に近いカタカナに置き換えて覚えよう!ってもの。なるほどねえ。英語については私も思うところがあるので、少し語ってみようかと。
 
 私は多少英語を話せる…としておこう。学生時代の成績は「聞くな」ってレベルではあるんだけど、少なくとも1人で海外に短期間出かけて、無事戻って来る程度には話せる。学生時代の成績などに関わらず、「実践じゃからきし駄目」って人間が少なくないことを考えれば、多少話せると主張してもいいんじゃないかなあ。正直、難しいコトじゃない気がするんだけど。ただし、慣れさえすれば。
 
 英語習得最大の問題は、やはり「慣れ」だとは思う。高校卒業程度の英語力があれば、私のように「1人で海外に飛び出し、無事帰ってくる」ぐらいなら何とかなるはずなんだけど、だからってこれを実践するのは度胸がいる。でも、こうやって「活きた英語」使わないと、確かに「英語話せません」ってなるのは仕方ない気がする。
 
 あくまで私の見解で言えば、実は英語は発音じゃない。確かに、日本人の話す英語はヒドいと思う。私もLとRの発音は滅茶苦茶だし、他にも「ホントにこれでいいのかぁ?」って発音は山ほどあると思う。けど、だからどーした?世界には、「ヘンな発音の英語」なんて山ほどある。
 
 私が考える「最悪の英語」は、フランス人の話す英語。イントネーションやら発音(特にR)はまんま仏語で、単に使っている単語だけが英語って奴がゴロゴロしてる。おかげで、ぼんやり聞いていると仏語にしか聞こえない。日本語で言えば、外国人の話すカタコト日本語よりヒドいんじゃないかと思う。まあ、フランス人は「仏語最高!」と信じて疑ってない民族なので、アレでいいと思っているんじゃないかと(苦笑)。ちなみに、魔神ペリエはあれでもフランス人にしては「英語っぽい英語」を話す方。最近だとサルコジ首相がヒドかった。
 
 英語を母国語とする連中でも、発音は必ずしも一致しない。オーストラリア人(オージー)の英語はヒドいって聞くし。そもそも、実は英国人の英語と米国人の英語はかなーり違う。日本人が学校で教わるのは、おおむね米語だ。そのため、私は米国人の言ってることはわかる時があるんだけど、英国人になるとチンプンカンプン。代表例はJCや香港国際開催の時の調教コメント(笑)。
 
 香港人と英会話するのも厳しい。私は「日本語なまりの米国英語」を使い、向こうは「広東語なまりの英国英語」を使うからだろう。ただ、それでも頑張ればコミュニケーション可能だ。発音は重要だけど、どうもそれが全てってわけじゃなさそうだ。
 
 ちなみに、発音は英語で会話しまくっていると「伝染」する。この辺、たとえば東京モノが関西人と会話してると「関西弁が一部伝染する」のと変わらない。私は何故か「イエス」の代わりに「イヤァ」を使うというヘンなクセがあるんだけど、これはどっかで伝染したからだと思われる。私の英語は習い覚えた米国英語がベースだけど、多分他にも意味不明なクセが染みついているはずだ。でもまあ、通じる分にはそれでいいんだけど。
 
 私の考える「日本人が英語を苦手なわけ」は、発音でも文法でもない。それ以前の問題がデッカイと思う。説明不足だ。要は「言葉が足らない」から話からして通じていないのであって、英語がどうとかいう問題じゃないと思うんだな。
 
 私が英会話の際に心がけていることに、「常に理由を説明する」ってのがある。たとえばだ。「最寄りのバス停はドコですか?」(Where's the nearest bus stop?)と言うだけではなく、「駅へ行こうと思っているんですが、バス停はドコですか?」(I'd like to go to a station. Where's the nearest bus stop?)と言うようにしている。これは結構重要なことだと思っているんですが。
 
 こういう習慣を身につけようと思った動機は、実は単純なもの。こう聞くと「聞き返される」可能性が多少減るのだ。この可能性を減らせば、相手が「何て返事をしてくるのか」予想しやすくなる。そうすると、相手の言ってることが理解しやすくなるんだよ。英語で会話してて予想外の返事が返ってくると、やっぱりまごつくからねえ。
 
 この習慣は、自分が思っていた以上に効果があったと思う。「What?」って聞き返される回数が露骨に減ったのだ。理屈はわかるでしょ。あえてクドクド語ることにより、怪しい発音が一部あっても「コイツは何を言いたいのか、何をしてもらいたいのか」理解してもらいやすくなったのだ。言ってみれば、「質が駄目なら、量で勝負」ってわけだ。
 
 これは、正直言って「自力で気がつく」のは多少難しい気がする。私も当初そうだったんだけど、「英語は苦手だ」って思いがあると、つい「話す言葉を減らそう」と考えてしまう。でも、よく考えればこれは間違いだ。英語が苦手なら、その分「たくさん話す」よう努力すべきなのだ。そうすりゃあ「コイツの発音は滅茶苦茶だけど、かろうじてわかる単語から推理してゆくと、多分こう言いたいんだろう」とわかってもらいやすくなる。身振り手振りを加え、クドいくらい知ってる単語を並べて説明しまくれば、よほど複雑なことでもない限りわかってもらえるはず。でも、そこに気がつかない日本人は多いんじゃないかなあ。
 
 確かに、必要最小限の単語だけ並べて会話を成立させようと思ったら、正しい発音が欠かせない。それは事実だ。けど、実は会話ってモノは「相手の話す単語が意味不明でも、場合によっては何とかなっちゃう」のだ。事実、私は「英語も日本語もわかりません」って相手と会話する必要に迫られたことが何度かあったけど、その都度かろうじて何とかしてきた。大変だったけどね。それを考えれば、発音の正しさを気にするよりは、発音のことあまり気にせずしゃべりまくる方がいいような。
 
 なお、ヒアリングの場合もコツは一緒。わからなければ、とにかく色んな言葉を並べてもらう。一般市民ならともかく、ホテルマンなどは「わかるまで根気よく説明してくれる」はずだ。言葉1つ1つを追いかけるのではなく、「いったい何を言わんとしているのか」を掴むよう努力する。ビジネスなどの複雑な会話ならともかく、単なる観光旅行なら、「単語わかんなくてまるで話が通じない」なんてコトはないはずだ。
 
 「英語は度胸」というのは、真実だと思う。これは何も「的外れな過信を持つ」ことを意味しない。経験がないとわかりにくいかもしれないけど、「自分の話したことが通じない」って、すごーくキツい精神的打撃である。そこで腰が引けて話す言葉が少なくなると、余計話が通じない。間違いやら怪しげな発音は承知の上で、とにかく「わかってもらえるまで話しまくる」必要があるんだけど、これは結構度胸が必要だ。「間違えたらどうしよう」「わかってもらえなかったら大変だ」なんて気持ちを打ち破らないといけないからね。
 
 もっとも私の場合、海外旅行の目的はまず競馬であり、馬券さえ買えれば後はどうとでも…ってのが大きいと思われる。私の知る限り、馬体の良し悪しや調教診断なんて万国共通(当たり前だ)だからねえ。競馬新聞が意味不明で、走っている馬を一度も見たことなくても、予想は出来る。競馬場の見つけ方?これは「馬券オヤジ」を見つけて尾行すればOK。実は言葉が通じなくてもかなり何とかなるんだな。それがわかっているだけに、開き直りしやすかったのが「勝因」だろう。つーわけで、競馬目的で海外に行くのは大いにオススメしたいですね!(おい)