9月11日2011/09/12 00:53

 色々あって久々の更新。まいったね。誤記訂正とか放置しちゃってたし。色々あるんですよ私にも。はあ。
 
 本日のネタは、放置しまくっていた凱旋門賞ネタ。流石になかなか書く気になれなくて…結論から言います。今年の凱旋門賞行きはキャンセルしました。理由は、ヴィクトワールピサが回避したから。普通だったら色々悩んでどうするのか決めると思うんですけど、今回は全く悩みませんでした。
 
 悩まなかった理由?朝起きて、「よし、今日は仏旅行の申し込みを…」と思ったその日に「ヴィクトワールピサ回避」ってニュースが飛び込んできたから。これは「何か」が私に行くなと言っている…そう判断しました。
 
 これは、私にしては珍しい行為である。今までの私は「それでも行く」ってコトをやらかしてきたのだ。元も顕著な例は…あれはいつだったかなあ。口蹄疫騒ぎのおかげで日本馬が香港行きを残らずキャンセルした時のことだ。にもかかわらず、私は香港に行った。「香港馬が見られればそれでいい」って言って。他にも、原居民様が行く「かも」ってだけでバーデン大賞を観に行ったこともあるなあ。本来の私は、そーゆー人だ。
 
 海外遠征応援旅行には、この手のリスクがつきまとう。それはよーく知っている。応援している対象の馬が実際パドックを歩いている姿を見ただけで受ける感動は、今も昔も変わらない。「万難を排してココに来てくれたんだ」ってコトは、自分がソコにたどり着くまでの苦労(当然、色々ある)を思い出しただけで想像できる。にもかかわらず、いつもと同じ姿を見せてくれる競走馬の頼もしいことと言ったら…私がフジヤマケンザンを尊敬しているのは、香港国際カップ(当時表記)を勝ったからではない。あの当時の海外遠征にもかかわらず、勝ち負け出来る姿をパドックで見せてくれたからである。
 
 そうやって考えてゆくと、本来ならば今回も私は凱旋門賞に行くべきだったかも知れない。そりゃあヴィクトワールピサ不在は哀しい。現地に行っても、「何でこんなトコロまで…」って思いをするのは間違いない。けれど、スタッフはもっと口惜しい思いをしているのだ。その気持ちを万分の一でも味わうため、遠征に行く…というのも、1つの考え方だと思うな。少なくとも、今まで私はそうしてきた。これからも基本的にはそうするつもりだ。
 
 なのに今回日本に残ったのは、「無事に戻ってこい」って気持ちが強かったから。初の取り消しだったら、今まで通りにしたような気がする。香港に続いて二度目だからなあ。無事を祈ることの方が優先だ…ってワケじゃないな。変な話だけど、「オレが危ない橋を渡るワケにはいかない」って意識が働いた気がする。
 
 今年の中山記念の日、私は中山の馬頭観音に「ヴィクトワールピサが無事戻ってきて、再び日本で元気に走る姿を拝めますように」と願を掛けていた。そりゃあ勝って欲しい。けれど、まず最初に心配すべきはこの点だ。私と似たような競馬歴を持つ人なら、その思いは強いんじゃないかな。ホクトベガの件をリアルタイムで知っているから。まずは無事にレースを終えて欲しい。勝ち負けはその次の話。海外遠征が今以上に冒険だった昔を知る身としては、こういう想いが強い。
 
 そんなこちらの想いをどう受け取ったのか、ヴィクトワールピサはドバイで勝った。にもかかわらず、香港で取り消し・凱旋門賞も取り消し…無事な姿を見て安心したい、ってのが本音としてある。勝ち負けも大切だ。リスクを避けて安全策をとることが、競走馬として正しい姿とは思えない。けれど、ここは無理しないで欲しい、とにかく日本の競馬場に元気な姿を見せてもらいたい。そう思うのは自然なことではないかと。
 
 にもかかわらずだ。私自身が海外遠征などと言う「無茶」ぶちかまして、ヴィクトワールピサが戻ってきた姿を見られなくなったらどうする。「生涯の悔い」とはこのことでしょ。死んでも死にきれない。カッコ悪くてあの世になんて行けねーぜ…てなもんだ。たかが仏旅行で大袈裟な?あのね、競走馬が故障を知らずにレース使ったら、どうなるものかわかったものじゃないんだよ?そう考えると、今回ヴィクトワールピサは2度も「命を落としかねない」領域に脚を踏み入れていたと言える。それを思い知らされていながら、「自分は大丈夫」なんて言えるか?
 
 私は日本人だからして、義理ってのは大切にしている。そりゃまあ色々限度はあるけれど、出来る限りは大切にしたい。たとえ向こうが何とも思っていなくても。義理ってのはそーゆーモノじゃないか?しょせん人ではなくて畜生かもしれないけれど、競走馬相手だからって義理は欠きたくない。私はヴィクトワールピサが日本のレースを使う時、その姿を拝むという「義理」がある。少なくとも私はそう思っている。だから、その時に私は万難を排して競馬場に駆けつけなくてはならない。墓場に入っているなんてのは論外だ。そりゃあ日本にいたって、私が無事だとは限らない。限らないけれど、余計なリスクは排除しておきたいよね。普段はそう思うから、応援している馬が回避しても遠征する。今回は、遠征しない方が義理を守ることになる…そう判断した。
 
 正直、この決断は辛かった…行くも地獄・行かぬも地獄とはこのことだ。ただ、角居調教師を筆頭とする関係者は、もっとやりきれない想いをしているわけだ。そういう想いも共有できてこそ、「惚れた馬」じゃないかな。勝っている時に一緒になって喜ぶだけなら、誰でも出来る。負けた時、苦しい時、口惜しい時にも想いを共有しなくては。それが、ハーツクライがキングジョージ負けた後、ホントにカネが無くなって貧しい食事をする羽目に陥り、安宿のベッドで「この借りは必ずや返す!アイシャルリターンだ!」と涙した私の意見だ(苦笑)。
 
 つーわけで、私は今年凱旋門賞に行きません。本当に口惜しいけれど。「ヴィクトワールピサが元気に日本で走る姿を見る」って義理を果たすためには、仕方ありません。実を言えばまだ割り切れてるワケじゃないんだけど、もう流石に色々タイムオーバーだろ。今からじゃ、まず休みからして確保できそうにない。
 
 しかしだねえ。ヴィクトワールピサの次走はおそらくJC。毎年観ているレースだから別に問題はない…と言いたい所だけど、今年もゲームマーケット(秋)と重なっているんだよな…こちらにも義理が山ほどあるので、まさかすっぽかすワケにはいかない。連闘決定。まあレース自体に義理があるってレベル(私がナマで見た最初の大レースがコレで、以降必ず観ている。コレがいかにトンデモネーのか、知ってる人は知っている)だから、連闘は当たり前なんだけど…ああ、何故私の体にはスペアがないのでしょーか。あればロンシャン競馬場に送り込むんだけどなあ…