7月11日2008/07/12 03:46

 ネタゲット!。本日は本来「七夕賞」を語る予定だったけど、これは後日でいい。なにせ月曜にはこの件で山ほど語る予定だからして。つーわけで、コメント欄に寄せられた「ゲーム会社に在庫を望むのは高望みか?」という問いかけに対し、私なりの回答を書こうかと。なお、ゲーム関連ではあるけどゲームの話はカケラ程度にしか出てこないので、色はこの色で。
 
 コトの始まりは、7月5日の話題に付けられた、松澤殿のコメント。内容を要約すると、「消費者の立場からすれば、在庫はあった方が望ましいはずだけど、国内ゲーム会社にそれを望むのは高望みなのか?」ってなものだ。これに対し、私なりの回答を書こうかと思ったんだけど、長くなりそうだったのでこちらで語ることにした。
 
 消費者にとって在庫は望ましいのか?答えはイエスだね。出版元に注文すれば、すぐ手に入るわけだから。逆に言えば、在庫がなければ入手に苦労する。一口に在庫と言っても、出版元の手元にある「在庫」と、書店などの小売店にある「在庫」(いわゆる流通在庫)は多少意味が異なる。普通は出版元の在庫から無くなり、「後は流通在庫だけ」ってな状態になるのだ。こうなると、「在庫求めて色んな店を放浪する」ことになる。これは正直楽ではない。だから、消費者の立場からすれば「在庫はあった方が有り難い」となる。
 
 ただし。制作側にしてみれば、在庫なんて悪夢でしかない。考えても見て欲しい。そこに製品があるってコトは、制作コストは全部支払った後だ。にもかかわらず手元にあるってコトは、イコール「制作費は全部支払ったのに、売れてないからカネが回収できてない」ものだってことだ。ゲームに限らず、何だって「売れて初めてカネが回収できる」のだから、在庫なんてのは要は「売れ残り」。コレがある限り、本来回収できるはずのカネが未回収であり続ける。
 
 単に「回収できるはずのカネが…」ってだけならいい。普通に考えれば、在庫を管理するためにも経費がかかる。商品である以上、いい加減な管理をするわけにはいかないから。商品1つ1つで見たら「大したカネではない」かもしれないけれど、積み重なれば膨大な額になる。こうした経費のことを考えれば、在庫なんて無い方がいいに決まっている。
 
 ちょっと待て。でも、普通の書籍なんかは結構在庫抱えていて、直販だの注文だのに対応してくれるではないか…と思ったアナタ、鋭いです。あくまで一般的な話をすると、ある程度は手持ちの在庫を抱えるようにしている「商品」ってのは少なくないです。なくなりそうになったら増産してでも。
 
 これは何故かと言えばだ。世の中には「利益率より売上高重視」って法則があるから。極端に言えば、経費50で売上100って状態より、経費100で売上150って状態の方が好ましかったりするんだな。もちろん利益率だって大事なんだけど、売上に余計な悪影響を及ぼすくらいなら、多少なら下げてもOKって理屈が存在するのだ。何故かと言えば会計学がうんたらこーたら、経営学があーたらこーたら…って話が絡むらしいんだけど、私は詳しくないのでパス(苦笑)。
 
 ただし。これはあくまで「ある程度以上規模が大きい」会社絡みの話だと思った方がいい。中小を通り越して弱小になると、利益率を落とすのは自殺行為。そもそもが「赤字を必至に防いでいる」レベルだろうし。日本国内のゲーム会社がどちらに属するのかは…言うまでもないことだと思う。
 
 そもそも論を言えば、私はゲームそのもの・もしくはゲーム雑誌が「増刷」したって話を聞いたことがない。増刷ってのは、内容まるで一緒のものを印刷して数を増やすことを言う。何かしら重要な改訂が入る「版次のアップ」(第二版などを出すこと)は聞いたことがあるけどね。つまり、どれだけ売れても「最初に刷った数以上に売る気がない」わけだ。
 
 これは、出版モデルで考えると「効率が良くない」と言うことが出来る。書籍などの場合、まずは少な目に刷って様子を見て、好評のようなら増刷する…とした方が、無駄な在庫を抱えずに済む。こうやって在庫をある程度コントロールできるようになれば、「在庫があるので注文はいつでも引き受けますよ」ってな状態に出来るわけだ。
 
 じゃあ、国内ゲーム会社は何故そうしないのか?そりゃーアナタ、「期待売上高」がかなり低いレベルにあるから。印刷ってのは、一般に「数を刷れば刷るほど単価が安くなる」のだ。私の手元にあるのは「同人誌印刷経費」だけど、これによると50部から100部に刷る数を増やしても、経費は1.2倍に満たない。刷った部数におおむね比例して料金が上がるのは、200部以上刷った場合だ。作りがチャチな同人誌でコレである。ましてやゲームに至っては。マップは普通フルカラー。ユニットは両面カラーが普通…ってことを考えれば、「最初の1部」を刷るための経費はかなりなものだ。にもかかわらず、刷る数が少なければ単価も高くなる。これを回避しようと思ったら、最初に数多く刷るしかない。
 
 実はこの論理、同人誌に関する理屈と一緒である。多少の失礼を承知の上で言ってしまえば、「増刷を前提としない出版計画」なんてものは、同人誌の理屈とさほど変わらないのだ。強いて言うなら、同人誌には利益ゼロ…どころか、「全部売れても印刷経費が回収できない」なんてダンピングが許されるけど、商業誌でコレは明らかにマズい…ってところかな。「増刷をためらう理屈」だの、「在庫と通販対応の二律背反性」だのといった部分は、同人誌印刷経験から「ある程度察する」ことが可能である。
 
 同人誌がたとえとして失礼なら、カレンダーはどうだ?これまた、普通は増刷を考えない。タイムリミットがキツいからね。9月以前に来年のカレンダー買おうとする奴はまずいないし、1月以降にカレンダー買う奴も希だ。よって、「手元に置いておけば、コツコツ売れていつか完売する」って理屈すら通用しない。増刷してくれるなんて、よほどのことだ。よって出版社の手元にある分は、普通の在庫と言うよりは「通販対応用の流通在庫」に限りなく近い。こんなモノに対し、「在庫があった方が消費者としては楽なんだけど…」なんて考えが通用するとでも?それがわかっているからこそ、私は香港で奇跡信じて買いそびれたカレンダー物色して、見事発見して大喜び…なんてアホ演じてたわけだ。
 
 ゲーム会社の話をすると、「完売を視野に入れて」はいるものの、必ずしも現実的な目標には設定していないと思われる。完売したら通販に対応しにくくなるし、「これなら完売するだろう」って部数しか刷らないと印刷単価的に厳しくなりかねないので。「かなり好評ならば完売するけど、おおむね売れ残りが出る」ってな部数を設定しているんじゃないかなあ。よって、「なかなか完売しない!」と焦る必要はないだろう。すぐさま完売が当たり前…なんてのは、それはそれでマズい面もあるので。
 
 ただ…製作者サイドが「完売して欲しい」と願うのは当然のことであり、多少時間がかかっても最終的にはそこまで行って欲しいもの。「いつでも買えるから」などと在庫をアテにしていつまでも買わないのは、消費者の甘えと言われても仕方ないような。いずれは「管理費の無駄」だと判断され、不良在庫として廃棄されても文句は言えないのだから。
 
 それに…こう言っては何だけど、在庫を売るのは大変だよ?雑誌付録なら「記事の一部が陳腐化する」のは避けられないから、それだけ「買いたい」意欲が削がれる。おまけにヤフオクなどで中古が出回る世の中だ。にもかかわらず「古い新品」を売る苦労を考えたら…「もっと在庫が出にくいよう、印刷部数を抑えるべき。印刷単価上昇は価格に転嫁しろ」と言われても仕方ないような。そう考えると、国内ゲーム各社は「甘い経営」してるんだろうな。ただ、どこも「金儲けが目的じゃない」のだから、非難するのはどうかと思うけど。
 
 つーわけで、国産ゲームに限って言えば、「いずれ買うことになるだろう」って思ったら、即買うべきです。売れ残りを期待しちゃいけません。この辺、「自分が欲しい同人誌の新刊が出ていて、完売してしまう可能性が否定できない」って理屈だけで同人誌即売会に毎回足を運ぶアホウを見習うべきです。「増刷なんて期待するだけ無駄」って商品を買おうとしていることは共通しているのだから。ま、だからって「同人誌即売会及び同人誌扱っている書店をハシゴしまくる」(同人版「萌えるヘッドホン読本」入手時)だの、「香港へ言ったついでに、ヲタクグッズ扱ってる店で本気の捜索をする」(「CLANNAD」カレンダー入手時)って領域にまで行く必要はないと思うけどね(苦笑)。