2月19日2008/02/20 02:16

 某ミッション系大学の法科大学院、サイトショボすぎ。シンポジウム開催のお知らせとして、バカでけーポスター配るカネがあるんだったら、サイトに情報載せろよな。入試情報以外は放置情報(ほとんど更新する必要がないモノ)たあ、どーゆーことだ。
 
 本日の話題は、競馬新聞「ホースニュース・馬」休刊について。いやまあ、どーしたって寂しいよねえ…とはいえ、哀惜に浸りたくなる気持ちを少し堪えて、シビアにいってみようかなと。
 
 私は競馬新聞を買わない人である。スポーツ新聞と夕刊タブロイド紙で用が足りてしまうので。例外は福島旅行の時ぐらいかなあ。なにせあの旅行は「朝が弱い」参加者が多い(私もその1人)ので、我々が飯坂温泉駅に付いた頃にはスポーツ新聞が「絶滅」してることが多いので。あの季節に飯坂温泉行く奴は、かなりの割合で競馬狙いだし。
 
 確かに以前からずーっとそーゆースタイルで馬券買っていたんだけど、ある意味「決定打」になったのは、海外競馬覚えてから。なにせ向こうの新聞は情報が少ない。いや、掲載はされているんだろうけど、こちらの解読能力が低いのでワケわからん。それでも予想を展開できる自分を発見してしまったので、「スポーツ新聞程度の情報があれば、後はいらん」って状態になったのだ。
 
 競馬新聞ってのは、正直「衰退が約束された」メディアである。スポーツ新聞や夕刊タブロイド紙などが「負けないだけの」競馬情報を掲載するようになり、さらにはネットで予想してネットで馬券買う…ってスタイルが広まりつつある現在、とにかく旧態依然としていて値段が高い競馬新聞に、未来はなかったのは確か。これから先も減り続けるのは間違いなさそうだ。
 
 ただ…実は、競馬新聞が「旧態依然としている」ことは、ある程度仕方のないことではないかって気がするのも確か。競馬新聞最大の強みは何か。それはデータ量(確かに多い)でも的中率・回収率(スポーツ新聞より高いとされている)でもなく、「歴史が古いので、見慣れている奴が多い」ことではないか。私は真剣にそう思いますね。
 
 普段使い慣れてないメディアで予想を展開するのは、ものすごーく疲れる。この際意味不明な言葉の羅列であっても、「見慣れている」モノにすがりたくなる。なにせこの私、香港には立派な「愛用してる競馬新聞」があったりするのだ。広東語で書かれているので、内容は基本的にわからん。具体的に何かしら役に立っているのか、我ながら多いに疑問だったりする。けど、コレがないと不安なんだよ。「お守り」の一種だな。
 
 たまに国内遠征をしている人なんかは、「オレはいつもの新聞じゃなくても…」と思うかも知れない。そりゃあ日本語で書いてあるからだ。内容読み取れるのなら、何となく「コレでいいか」って気になる。外国語で書かれているものだと、内容ロクにわからんだけに余計「全体のレイアウト」だの「使っているフォント」だのが気になるんだよ。普段自分がどれだけこういうモノに依存してるのか、よ-くわかる。
 
 そりゃあね、実際は競馬新聞も色々変化してきた。昔と違って開催全場の馬券売るようになったし、馬券の種類も増えた。その度に細かい変化が要求されてきたことになる。でも、「全体の雰囲気」を替えないように努力してきたのは間違いない。だって、競馬新聞買う奴が求めているのは、「手にしたときの安心感」だから。
 
 安心感が売り物…って商品は、とにかく変化させにくい。うかつなことやると、常連筋が全部逃げ出す。そうなったら新規読者獲得にも悪影響でまくりでしょ。せめて価格で対抗できたのならともかく、競馬に興味ない層も買うスポーツ新聞などが相手では…
 
 競馬新聞というのは、実はアイデア自体は悪くなかったのではと思う。競馬に特化した紙面。広告なんてロクにありゃしない。ただただ「情報の質」がウリ。その代わり値段は高い。これは「広告収入に依存し、結果として広く浅く路線を歩まざるを得ず、焦点がぼやけがち」なスポーツ新聞などに対し、ある種のアドバンテージがあるのでは。
 
 ただ…競馬新聞側がそのアドバンテージを全く活かせてない。「質の良い競馬情報とは?」という問いかけに対し、結局的中率・回収率以外の答えを見いだせていない気がする。調教時計・調教評価はスポーツ新聞より…と言われるけど、平日の競馬面で蕩々と語ることが出来るスポーツ新聞相手にこのジャンルで勝負したって、大きな差を感じ取ってもらうのは難しかったような…
 
 その点を考えれば、むしろ競馬新聞は頑張っているのではないかな。ネットの普及に伴い、紙の新聞は全部そのうちヤバい…などと言われる世の中だってのに、未だ生き延びてきたんだから。ただ、その理由が「ギャンブラーが本質的に持つ安定志向」に過ぎないんだとしたら、これから先相当厳しいでしょ。競馬マスコミがこの先どーなってゆくのかは、実に興味深いね。どっかのバカが「Web2.0時代における競馬報道とは」を本気で研究してくれないものかね?(笑)

2月21日2008/02/22 00:59

 昨日はネタ練り直し。つーか、ここ最近ちょっとノリが悪い。ひょっとして疲れているのか?いかんねえ。
 
 本日のネタは、昨日まとめるのに失敗した「画質と音質」について。本来私如きが語るべきネタじゃないと思うけど、あえて語りたくなったので。つーわけで、テーマの割にろくでもない話に終始すると思うけど、よろしくお付き合いを。昨日はこの覚悟が足らなかったんだな…
 
 私はAV機器マニアではない。画質はどーでもいいし、音質にもさほどこだわりはない。ヘッドホンに多少凝ったのは事実だし、アンプつけたがってもいる。でも、こんなのは音にこだわってるウチに入らない。音にこだわるってのはなあ…(長いので以下略)。
 
 そんな私ではあるけど、ここで改めて考えてみたい。画質・音質って大事なのか?「こだわる」意味はドコにあって、どれぐらい効果があるのか?特に次世代映像フォーマットがBDに一本化されると決まった今、これについて考えてみるのも一興ではないかと。
 
 画質や音質ってのは、良い方がいいに決まっている。私が思うに、「違いがわからない」なんてのは大ウソだ。そりゃまあ、オーディオマニアの極限は「違いなんてない」と根強く囁かれるケーブルの違いにこだわるような人種であり、シロートにはわからん領域でどうこう…って生物かもしれない。けど、ショボいヘッドホンと高級オーディオの違いは誰でもわかる。画質だってそうだ。ハイビジョン映像は、誰が見たって良さはわかるでしょ。
 
 問題はいつだって、「その違いにどれぐらいの評価を付けるか」である。我慢しようと思えば相当ショボい映像だって我慢できるし、我慢できないとなればいくらカネかけたって納得できない。基本中の基本ではあるんだけど、みんな案外忘れがちなのではないかな。
 
 私の例で言えば、「我慢できる劣悪なモノ」は、我が家で観る香港競馬の映像かな。香港ジョッキーズクラブのサイトにある映像は、データ量の関係上画質はさほど良くない。でも、「だからどーした」である。そもそも劣悪でも香港競馬の映像が見られるだけでカンドーものだし、予想に役立てばOKと割り切れば、あれで十分役に立つ。おまけに結構使いやすい。実況音声が英語か広東語(当たり前だ)なのは欠点だけど、「だからどーした」である。
 
 逆に我慢できないモノは…「ピアノの音」かなあ。ヘッドホン替えてだいぶマシになったけど、まだまだ向上の余地があるし、向上して欲しい。私は一応「ピアノ好き」だからねえ。もっとも、理想を追求すると「タイヘンなことに」なってしまうのがわかりきっているので、必死に我慢しているんだけど。ただ、「アンプ付けて信号のパワー増やした方が良くなりそう」と判断したので、現在アンプを吟味中。つまり、現状に我慢できてない。
 
 上記見解に示されているように、画質・音質ってのは「コンテンツ」と密接な関係がある。人それぞれだけど、「これはいい画質で観たい」「これはショボい音質でOK」ってモノはあるでしょ。こうした論議をさしおいて、いきなり画質がどうのこうの…って話に持ってゆくのは、「何もわかってないか、わかりすぎてるかのどちらか」でないかな。ちなみに「わかりすぎてる」ってのは、自前のオーディオシステムの素晴らしさを確認するため、ホワイトノイズを聴くような領域を指す。これを「よくわからん」と思った奴は、自動的に「わかってない」だ(苦笑)。
 
 それともう1つ。「利便性」ってのも画質・音質と関連性が深い。ハイビジョン映像が「効く」のはある程度画面がデカいものであって、おそらく携帯電話サイズでは「あまり変わらない…」と思われてしまう。音質だってそう。音質の善し悪しは「デカい振動板とそれを鳴らすパワー」に依存する度合いが高い(これが全てではないけど)ので、持ち運び可能な小型機器の音はあまり信用できない。でも、「外で気軽に利用できる」って利便性を取る奴は少なくない。さらに言うなら、「PCで管理可能か」なんてのも重要な利便性だね。
 
 こうやって考えると、「画質・音質」なるものを一般化して「画質はみんなこだわるけど、音質はどーでもいいと思ってる」とか、「画質がいいからみんな買ってくれる」なんて考えるのは、少し危険なことでは?完全なピンボケとまで言わないけれど、なんか「人間の顔以外ピンぼけ」って状態ではないかと。人間の顔ってのは、普通写真において重要な部分だ。でも、他がダメダメじゃあ、「いい写真」かどうかは…
 
 何でこんな話をしたのかというと、ハイビジョンがどうこう、それをそのまま録画できるBDがどうこう…って話が盛り上がっているからだ。主に東芝のおかげ(苦笑)だけど、同じ日に「ダビング10でいきます!タイムリミットなんだから文句言うな」ってな宣言も出ていたことだし。この2つが出揃ったことにより、一応BDを「買い控える」要素はなくなったはず。ついでに言えば、PS3の普及がやっと進み、「ひょっとすると最終勝者になるのでは?」って観測まで出てきた。いよいよもって、BDの時代が到来するような印象を受ける。受けるんだけど…
 
 画質の善し悪しが及ぼす影響ってのは、実はコンシューマー機に置き換えて考えると話が早い。ファミコン~スーファミ~PS~PS2といった「ハードの性能向上」により、ゲームの絵は綺麗になった。これは誰でも認めることでしょ。けど、それはゲームの面白さとは直接無関係。そりゃあ「綺麗な絵だからこそ面白い」ゲームもある。同じゲームなら、絵がいい方が売れやすいのも事実。けど、それが全てではないでしょ。特にDSやらPSPやら、果ては携帯で出来るゲームといったモノがかなりウケてる現状において、PS3が期待ほどは売れてないコトを考えると、「画質より優先されるモノを持っている奴が一定数いる」って考えるのは、大事ではないかな?
 
 まあ、ゲーム機の場合は「プレイ可能なゲーム」って問題が絡んでくるので、単に画質だけで全ては語れない。それに対し、いわゆる「映像コンテンツ」は画質に対する依存度が高いからねえ。おそらくはBDが順調に普及するんでないかな。ただ…「DVDでいいじゃん」「これからはネット配信だよ」って意見が主流になる可能性も否定は出来ないね。
 
 なお、私は一応BDに対応したいと思ってはいる。PCに装着するドライブの話だけど。いくら何でも、HDDよりは「データが壊れる危険性が少ない」はずなので、データの退避先としては使えるはずなので。現状ではDVD系のメディアよりコストパフォーマンスが低いけど、将来逆転するのは間違いなさそうだし。ただ…だからって「これからはBDだ!」と言いにくいのも事実なんだよな…
 
 私は「映像を見ない」方に属する人間なので、私がどーしたこーしたってのは役に立たないことだと思う。それに、私は「どうせなら画質・音質にはこだわる」タイプであり、なおかつ「形に残るモノが大好き」なので、ネット配信がどうこうって時代よりBD全盛時代を応援したい。だから、本来「これからはBDだ!」って言ってる人間の足は引っ張りたくないんだけど…それでも、BD擁護派の意見聴いてるとなんか不安に思うのは止められないんだよね。その理屈で突っ走って大丈夫か?
 
 とまあ、役にも立たない意見を述べてきたワケだけど、これを読んでる皆様の意見はどーなんでしょ?そろそろBDプレイヤー買いですか?それともまだ待つ?いっそのことBD以外の手法でハイビジョン時代に突入?色々意見があると思うので、機会があったら教えてくださいな。そーゆー「流行で決めるのではなく、自分の好みで決める」って行動様式を広めるのが、ここの隠れた使命だと思うので。

2月22日2008/02/23 00:58

 今週で増沢調教師が引退か…ジョッキー時代からずいぶんとお世話になったもの。お疲れ様でした。でも、記念とはいえダイワマックワンをダートで使うのはどーなんですか?血統からは大丈夫だと思いますけど…それと、矢野進調教師も引退。あの、これを機に、前々からうかがいたかったことがあるんですが。センセ、どーしてシャコーグレイドはああだったんでしょう?ちなみに、返事はいりません。つーか、しないで下さい。されたら困ります。(笑)。
 
 引退する調教師の方々について語るのも悪くないけど、そーゆーネタは他に任せる。競馬系のブログ・サイトなんて山ほどあるので。どうしても言いたかったことは上で言った。本日の話題は、本来なら川崎記念の時に語るはずだった、「去年の年度代表馬考」である。
 
 やや旧聞に属するけど、去年の年度代表馬はアドマイヤムーン。まあ、これ自体に不満はない…と言いたいんだけど、何か忘れちゃいませんか?って気がしたのは確か。アドマイヤムーンは去年GⅠを3勝したけど、4勝した馬がいたではないか。それがヴァーミリアン。何でコイツじゃないのかね?
 
 とはいえ、選ばれなかったのはわかる気がする。アドマイヤムーンはドバイDF・宝塚記念・JCという「ハイソな」レースを勝ったのに対し、ヴァーミリアンは地方交流GⅠ中心に4勝だからねえ。でも、これってある意味おかしくない?
 
 年度代表馬ってのは、あくまで「JRA所属の馬から選ぶ」ことになっている。外国馬や地方馬が中央でボコスカ勝とうが、全く無関係。逆にJRA所属の馬が地方・海外で挙げた成績は…実は、基準がよくわからん。一応考慮してはいるんだろうけど。
 
 もっとも、これは仕方のないことではある。それなりに昔からあるシステムなので、「地方交流戦」だの「日本馬海外遠征」だのを想定していたワケじゃないからねえ。投票してる「有識者」の大半が「中央競馬に張り付きっぱなし」なので、この辺の評価が揺らいでいるのは、むしろ当然でしょ。
 
 私は、過去何度も年度代表馬にケチをつけ続けてきた。「何でだ!」と吼えたことのある競馬ファンは結構多いんじゃないかなあ。だから言うってワケではないけど、やはり現状のシステムは何かしら問題があるような。まあ、私ごときじゃ「問題ありそうだ」と指摘するのが精一杯で、ドコが悪いからどう直すべき…って論を展開できないんだけどさ。
 
 ただまあ、この手の改革は「なかなか進まない」ことはわかりきっている。投票権持っているマスコミ関係者ってのは案外保守的だし、「お上」のJRAに至っては…しょせん「半分役人」だからなあ。「今までのままでイイ」と信じ切っていることは間違いない。
 
 こういう連中の考えを改めるのは楽じゃないけど、不可能ってワケではないはず。そう考えると、折に触れて「これでいいのか?改善した方がいいのでは?」って意見を世に問う価値はあるような。その結果世論が盛り上がって…ってところまでいかないと、連中は動かないだろうからなあ。
 
 なお、アクセス数の少ないブログで吼えたからって、世の中変化するワケがない…のはおおむね事実。でも、世論ってのは何がキッカケでどう転ぶか、わからにものだからねえ。何もやらないよりは、「改善したら?」って意見をボソっと言ってみてもいいのでは。何かしら意味不明な波及効果があるかも知れないので。
 
 つーわけで、軽く文句を付けてみたんだけど…うーん、どうなのかねえ。私が感じるに、「何が年度代表馬に選ばれたか」を気にしてギャアギャア吼える奴は(私含めて)多数いるけど、選び方がどうこう…って持論を展開している奴はあまり聞かない。みんな何だかんだ言って満足しているのか、それとも「変えたいんなら、ここを語らないと」って意識が希薄なのか…だけど、年度代表馬に文句付けるんなら、本来ここまで踏み込まないと。せめてそういう意識は持ってもらいたいな。
 
 実はもう少し細かく語りたいんだけど、よく考えると色々ヤバイんだよな(苦笑)。キョーレツなマスコミ批判になりそうで。つーわけで、ヤバイ方向に走り出す前に、本日はココで終わり。続きは…中山開催の時にでも。日曜は別件があるので、競馬場にはいない予定ですから。

2月25日2008/02/25 23:53

 ブルーコンコルド有り難う。やっぱマイルだと信用できるなあ。ド本命を1着に連れて来た割に配当はオイシかった。人気の盲点だったらしい。イヒヒ…
 
 本日の話題は、フェブラリーSを放置してプレイしていた「30年戦争」について。グダグダではあったけど、今後への教訓は得られた。それを忘れないように、記録に残しておきましょ。
 
 30年戦争。日本で言えば江戸時代初期に、カトリックとプロテスタントが「気が済むまで戦争した」戦いである。その結果舞台となったドイツは滅茶苦茶になり、人口が激減したとまで言われている。この時代の狂気に比べれば、今の宗教・民族対立でさえカワイイもんだ。ま、そーゆー「アツい」戦いである。
 
 私は諸般の事情からこの時代に興味はあったので、大まかな背景は知っていた。ので、以前から試しにプレイしてみたい…と思っていたんだな。このたびゲームを持っている金吾殿をうまく口説き落とせたので、めでたくプレイできたわけだ。一応自分でも探しているのだけど…
 
 実はこのゲーム、ルールの基本部分は簡単。カードドリブンだもの。強いて言うなら、行軍の代償に「略奪」(しなくては兵が働かない)するのを忘れがちなだけ。この略奪をやりまくってマップ全土が荒れ野原…ってのがこの時代だ。忘れちゃいけませんね。なお、「進撃路のドコを略奪するのか」は結構重要だったりする。
 
 ルールは何とかぼんやり覚えた。後は聞きながらプレイすればいい。カードは全く覚えてないけど、まあ和訳あるから何とかなる。問題は…「勝つために」具体的に何すればいいのか、さっぱりわからないこと(苦笑)。実際、プレイ中は「何したらいいのか」大いに悩んだ。ただまあ、初プレイのゲームなんてそんなものだって。
 
 私の場合、実は「何をすれば勝てそうなのか」はあまり悩まなかった。カトリック側だったからね。カトリックは「最初優勢で、後からキビしくなる」だろ…ってのはわかっていた。ま、史実がそんな感じだし。だから、あれやってこれやって…ってなアイデアは山ほどあった。その意味では、「何やっていいかわからん」って状態ではなかった。
 
 問題は、「やりたいこと・やらなきゃイケナイこと」が山のようにあり、どれを優先するべきなのか判断に迷ったことだ。兵隊を集めたい、土地も占領しなくちゃいけない、相手の兵力も減らしたい、守るべき土地は守らないと…さらにスペイン軍(カトリック側である)をオランダに突っ込ませるとか、選帝侯のクビをすげ替えるとかいったイベントもやらないと…カードは有限だってのに!
 
 そのため焦った私は、兵力が揃わないうちに積極的に動いてしまい、大失敗をしてしまった。このゲームのカトリック側は、「神聖ローマ帝国軍」と「バヴァリア軍」が主力である。このうち、帝国軍を強化して使い潰し、点数を大幅に稼ぐ…って方針は、決して悪くなかったと思う。問題は、それにかまけてバヴァリア軍を放置していた(いや、忘れていたワケではないんだけど)関係上、なんか兵力がショボい…って段階で、相手の最強勢力であるスェーデン軍がやってくることになったのだ…うーん、いかん。完璧な方針ミスである。これはちょっと…って状態なので、残念ながら投了させてもらった。
 
 後から冷静になって考えてみれば、焦る必要はなかったんである。じっくり態勢を整えてから動き出せば、いくらでもやりようはあった。序盤プロテスタント側は「使える」スタックが少ないので、兵力貯め込んでそこそこ強力なスタックを複数作り、色々使い回してやれば黙っても勝利得点が入ってくる。それを計算して動けば、いくらでも何とかなったはずなのに…ま、この辺の「カンどころ」は、さすがにプレイしてみないと読めない。それを修得するための「練習プレイ」だと考えれば、こんなものだ。
 
 このゲーム、テーマは確かにマイナーだ。しかも、ドイツ全土を略奪して荒らしまくるという、「ダークな」プレイが要求される。おまけに武将はすぐ戦死する(そーゆールールなんだよ)ときてる。正直、とっつきは悪そうな。ただ、プレイしてみると面白いよ。要は、「いかに戦わずして機動だけで点を稼ぐか」を考えつつ、たまに相手をつついて戦死チェックを要求すると(苦笑)。色々作戦研究してみる価値があるんじゃないかなあ。
 
 マイナーテーマのゲームといかに向き合うか…ってのはそのうち語りたいと思うのでさておこう。とりあえず、私はわからなくてもわかんないなりに楽しめる。「何をしたら」いいのかわからない?そんな時はとりあえず何かやってみる。駄目だったら、多分それは「やっちゃイケナイ」こと。上手くいけば、「やっていい」こと。そーやって「どうプレイすればマトモになるのか」探ってゆくのも楽しいと思うんだけどな。
 
 私もいい加減トシくってきたけど、幸いなことに「とりあえずやってみる」って気持ちだけはやたら若々しいようだ。青いだけって気もするけど。こーゆー「やる気だけはあるヘボ」ってのはある意味迷惑な存在かもしれないけど、それが私なんだから仕方ない。これからもたまには「あまりプレイされてない」ゲームを楽しんでいきたいね。
 
 ちなみに、30年戦争は面白い。「あまりプレイされないゲーム」リストに入れておくのはモッタイナイ。よって、これからも機会があったらやりたいね。次はスェーデン軍が出てくるまでは戦えます。フランス軍が出てきたら知らないけど(苦笑)。いやもう、あちこちからケンカ売られて、カトリックは大変なんだよ!みんな知らないと思うけど…

2月26日2008/02/27 01:37

 本日のお題は、「初心者向けゲームのテーマとしてチンギス・ハンは適切か」としよう。コマンドマガジン最新号にトボけたこと書いてあったので。正直、「フン」とハナで笑って終わりにしていたのだけど、行きつけのブログでこれについて語っていたので、私も触れようかなと。
 
 コマンドマガジン最新号の付録ゲームのテーマは「チンギス・ハン」。いやベルリン市街戦もあるけど。この趣味を知っている人間に言わせると、ドマイナーテーマである。理由は後で説明するけど。
 
 しかし、デザイナー殿はそれが気に入らないらしい。ま、言いたいことはわかる。そんでもって、「一般人が知らない、ゲーマーの間でだけ良く知られてる存在をメジャー扱いし、一般人が誰でも知ってる存在をマイナー扱いしてるから、ゲーマーは駄目なんだ」といった趣旨の主張をしておられる。
 
 私の感想?冒頭にあるとおり、「フン」で終わり。いやね、私はコレでも一応、どちらかと言えば「初心者取り込みは考えた方が…」って意見の持ち主。世の中には、私よりカゲキな「初心者の相手なんてする必要なし」論者がいるからね。でも、この意見に対する感想は「フン」でいい。チンギス・ハンのゲームを作る意義は認めるけど、それとこれとは別物。この見解自体は、いいことを含んでいつつも、結論としては的外れだと思うな。
 
 何故そう思うのか。ゲーマーが「自分達の間でだけ知られてる存在をメジャー扱いしている」のは事実。それが初心者への参入障壁の1つになっているのも、認めて良いかもしれない。けど、だからってチンギス・ハンをゲーム化する対象に選ぶ必然性は薄い。いや、むしろ「そんなことやってちゃ駄目なんじゃないの?」とまで言ってしまおう。
 
 よーく考えて欲しい。確かにチンギス・ハンは有名だ。コイツが出てくるゲームなら、初心者も「知らないからやりません」って口実で断ることは出来ないでしょ。でも、単に「ウォーゲームのテーマになりうる、誰でも知ってる有名人」ってことで考えれば、他にも「誰でも知ってる奴」は山ほどいる。なのに、何故あえてチンギス・ハン?
 
 もっと言ってしまおう。この世界には、「我々ウォーゲーマーもメジャー扱いしていて、なおかつ一般人もよーく知ってる」奴がチャンといる。ナポレオンだ。確かに第二次大戦の陸戦モノほどメジャーではない。けど、まさかマイナーテーマ呼ばわりはしないでしょ。加えて、一般人への知名度は申し分ない。それを考えれば、「チンギス・ハンのゲームやる前に、ナポレオニックやりゃあいいじゃん」で終わり。そこをひねってチンギス・ハンだなんて言ってるようだから…(以下略)。
 
 ナポレオンが出てくるゲームは、山のようにある。確かに、どちらかと言えばルールの難しい、ベテラン向けのゲームが多い。でも、初心者向きのモノだってチャンとある。それどころか「初心者からベテランまで楽しめる」なんていう、傑作さえ存在する。代表は「マレンゴ」かなあ。これはいいよ!ルールは簡単だけど、奥が深くて。
 
 それに対し、チンギス・ハンが出てくるゲームは数が少ない。数が少ないと、やはり質も期待しにくいよね。少数ながらも傑作があれば…って話はあるけど、現状そういう話は聞かないなあ。コマンド付録はプレイしたら面白そうではあるけれど、どうなのかねえ。まだプレイしてないんだよな。とはいえ、この段階で「さすがに傑作じゃなさそうだ」って前提でモノ語ったからって、別に悪口言ってるとは思わないんですが。佳作・秀作くらいは期待しても、よほどのことがない限り傑作は期待しないでしょ。けど、「ナポレオンではなくチンギス・ハン」って主張をするのであれば、傑作を相手にする覚悟がいるのも事実。
 
 さらにだ。「チンギス・ハンでは駄目な理由」もチャンとある。簡単に紹介しておこう。まずその1。チンギス・ハンは実はメジャーじゃない。確かに本人はメジャーだ。けど、それだけでメジャーって言われても。部下や敵の連中知ってる奴がどれだけいると?自慢じゃないけど、私はよく知らなかった。私が思うに、「ソイツをテーマにしたゲームをプレイする気になる」ためには、部下や敵もある程度名前が通っている必要がある。「三国志演義」の魏、「銀河英雄伝説」の帝国側は記述細かいでしょ?だからチンギス・ハンはマイナーなんだよ。
 
 その2。チンギス・ハンのゲームを覚えた。で、その次は?そればっかりやってるとそのうち飽きる。かといって、「良く知らない」ゲームをプレイするにはまだ早いでしょ。ゲームで覚えた知識を応用する形で、似たようなテーマの別ゲームを遊ぶ…ってのは良くある話じゃないかな。けど、チンギス・ハンだとそうはいかない。コイツをテーマにしたゲームが少ないから。つまり、ステップアップを考えた場合、「過去の蓄積」が利用しにくいテーマを選ぶのはどうか…ってことになる。
 
 その3。実は私が一番重視してること。チンギス・ハンがテーマのゲームってコトは、「馬に乗った兵隊が弓撃って、突撃する」ゲームになる。モンゴル人ってのはそーゆー戦い方をした連中だし、時代からいってそうなる。戦車・飛行機どころか、マトモな鉄砲がないんだし。これはいい。けど、こーゆー戦いをゲームとしてまとめることが出来るのなら、それはチンギス・ハンをテーマにする必要があるのか。ここが問題になる。
 
 何を言っているのかって?つまりだ。「馬乗った兵隊が弓撃ってくる」ゲームなら、素直に日本を舞台にした方がよほど日本人ウケするし、適切なんじゃ?ってこと。時代が似てる「源平合戦」でもいいし、多少下った「太平記の時代」でもいい。鉄砲のルールを考慮する必要はあるだろうけど、戦国時代に応用できればもっといい。逆に弓の威力を弱めれば、三国志って手も考えられる。日本人限定でモノ考えるのなら、コッチの方がよりメジャーである。
 
 私が「そんなもとやってちゃ駄目なんじゃない?」とまで言うのは、これらが理由だ。何かしら一般人にとってメジャーなものをテーマにしたい。その気持ちはわかる。わかるけど、この業界の「過去の蓄積」と無縁なトコロで勝負しちゃ、意味ないでしょ。なんで第二次世界大戦モノがメジャーになったのか?その辺の流れを無視して独自路線で突っ走っても、この狭い業界よりもさらに狭い範囲でしか影響を及ぼさない可能性がある。それじゃあ、我々が今やっているコトと五十歩百歩だ。そーゆーことをやること自体は問題ないかもしれないけど、他人に推奨するほどのモノか?一般論で考えたら、害の方が大きいと思うんだけどな。
 
 なんで害の方が大きいのか。正直、ゲームってのはものすごーく「向き・不向き」がある。特に、実は「勝ち負けがある」って時点でダメって奴は多い。そう考えると、この業界にいる奴ってのはほぼ自動的に「どっかオカシイ奴選ばれた民」だ。そうじゃない奴を引きずり込もうとするのは、労多くしてお互い実りナシってことになると思う。この趣味と知り合うきっかけを作ってやることは大事だし、そのための工夫をするのは悪くない。でも、だからってヘンに媚びを売るようなマネは止めた方がいいと思うな。
 
 私は結構マイナーテーマのゲームも好きだ。だから、チンギス・ハンをテーマにしたゲームがあるってのは、悪くないと思う。けど、それと初心者勧誘を「強く」関連づけるのは適切ではない。ただそれだけの話だ。むしろ前号の付録である「天下強奪」の方が初心者向きでないかい?テーマがテーマだから。アレは確かに「面白いと思うけど、どうかと思う部分もある」ゲームではあるんだけど。
 
 もっともだ。仮にデザイナー殿にこの意見をぶつけたら、「そうは言っても、大切なのは実際勧誘した数であって…」と主張なさるであろう。これは一理ある。その点、私は偉そうなことを言う資格はない。認めよう。ここについてグダグダ語るのは正直色々辛いモノがある(色々あったんだよ私にも)ので、素直に白旗あげた方がいい。ただ、これは「その道を進むのはヤメロ」と言わないってだけの話。私は別の道を行くし、別の誰かが「チンギス・ハンの次はアレキサンダーかカエサルか…」などと考えるようなら、「止めた方がいいと思うよ」とそっと忠告する。無理強いはしないけど。
 
 まあ、実際はデザイナー殿も「わかってはいるけど、つい筆が滑った」んではないかな。そーゆートコロに目くじら立ててどうこうってのは、本来大人気ない。だからこそ最初は「フン」だけで片付けていたんだけど。ただまあ、今回はあえてドーンと突っ込んでみました。だって、ネタがなかったんだもの(苦笑)。