1月1日2008/01/02 05:16

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。正直まだ年越した実感がない(年末忙しかったからなあ…)けど、挨拶はしておかないと。
 
 狂乱の3日間を乗り越え、私の手元に残ったのは大量のカレンダーと便せん。カレンダーの方はやっと全部貼り替えました。色々あったので、始末記をお届けしよう。いやもう、大変な3日間だった…
 
 コミケ初日の29日。諸般の事情により入場チケット(本来売り手しか手に出来ない)を持っている私。朝早くから出かけていきました。この日の目的は…企業ブースにスポーツ(競馬含む)にメカミリタリーにゲーム…ま、とにかく「大変な日」。広いコミケ会場(東京ビッグサイト全館だものなあ)をかけずり回る必要がある。
 
 まず最初に向かったのは、企業ブース。ここが一番混雑するので。私は大抵のヲタクと欲しいものが異なるんだけど、ある意味当然のことながら一部は一致する。カレンダーを求める必要があるので、ここにも踏み込む必要があるんだな。ここでモーレツな計算違いが。頼まれたので購入予定のあった京都アニメーションの列が、ベラボーに長くて進みが遅い。最初に買っておくんだったと気がついたときには後の祭り。仕方なくパスして翌日に回す。2日目は企業に行く予定無かったんだけどなあ…あと、同じく頼まれていたフロンティアワークスも列が長い。やたらと。こちらは人が多少減る午後に再アタックしようと思ったけど、ちっとも人減ってない。1時間は覚悟してたけど、2時間だと困る…ってんでこちらもパス。
 
 そんなわけで、予定より早く着いた大井競馬場。知人を捜したところ、「ふるさと馬券コーナー」に張り付いている。ばんえいの馬券を買うためだ。面白そうなので、私もばんえい中心に馬券を買うことに。この日のばんえいはスゴかった。大雪積もっている関係上、タイムがやたら速いのだ。普通ばんえいは1分台、デカいレースでそりの重量重くなると2分台も珍しくないってのに、40秒台だの50秒台の決着ばかり。普段以上に迫力があったんでないかな。
 
 面白い見せ物だ…と喜んでばかりもいられない。おかげで新聞の印がほとんど役に立たないのだ。普通ばんえいは馬が息切れして「ひと休み」入れ、そこからいつ回復するか…ってのが重要なんだけど、どいつもこいつも休まない。休んだら負ける。多少は雪の影響を見込んで印付けてるのかもしれないけど、ここまで積もるとは予想してないでしょ。
 
 そうなるとむしろ元気になるのが私。「新聞に頼らない馬券の買い方」ってのは、海外競馬で馬券を当てるための極意だからね。この日はオッズ板だけ見て馬券買っていました。そのおかげか、ばんえいの収支はわずかとはいえプラス。東京大賞典も的中。儲かったうちに入らない程度だけど、プラスってのは重要ですね。私の奥義「オッズ解析」を使った関係上、強引にアタマの中身が競馬モードに切り替わったようだ。
 
 さて2日目。本来予定になかった企業ブースに行く必要があるってんで、気分はややブルー。それがイケなかった。やや遅刻気味だったのが一番の原因とはいえ、またも京都アニメーションの「らきスタ」セット買えず!ちょっと待て。開始1時間待たずして売り切れってのはどーゆーことだ!さらに、フロンティアワークスでは「明日の分もなくなった」とかいう、ふざけた品が続出。頼まれた品の1部がコレに引っかかった。並んだあげく売り切れ…ってのに振り回され、この日の企業ブースではロクに買い物できず。あまりの悔しさに、電話で頭を下げて3日目も企業へ出撃することに。
 
 アタマに血が上っていたので、「創作(少女)」「FC(少女)」といったジャンルで山ほど便せんを買ってしまった…普段は抑制してるのに。ま、別にあって困る品じゃないからいいんだけど。とはいえ、これはこれで正解だったはず。この日の夕方には「相当飲む」忘年会があったのだ。下手に鬱屈解消しないで臨んだら、飲み過ぎたかも(笑)。
 
 3日目。前日派手に飲んだにもかかわらず、興奮のため状態は良い。こういう「好調」は後で反動が出るんだけど、そんなこと気にしていられるか!この日はうまく立ち回ったため、やっとこさ頼まれた品を買えた。しかし…正直京都アニメーションのブースでは買い物したくないなあ。去年の冬も感じたんだけど、売り方がなってない。結局大事なのは「売り物」なので、また買い物する可能性は高いんだけど…抜本的に改善して欲しいですね。
 
 それと、この日は「嬉しい珍事」に遭遇した。ある人気商品の「最後の1個」を購入できたのだ。在庫少ないとは言っていたけど、まさかそこまで「危険な状態」だったとは。危なかった…とホッとした私の目に飛び込んできたのは、列の後方集団からの突き刺さるような視線(苦笑)。思わずアタマ下げました。
 
 この後は家に戻りもせず、年越しのHPL(ゲームサークル)例会。事実上1年に1度しかない。楽しかったけど、私を含む「コミケに行っていた奴」に疲れが見えたのは仕方ない(苦笑)。なお、今年は「くるくるぱっX」の年らしい。「停滞の年」ってことか?そんなこんなで「旧年がずっと続いている」状態だったんだけど、カレンダー貼り替えてやっと多少は新年っぽくなったかな…って感じです。
 
 嵐のような3日間だったけど、常に「末は吉」だったから良しとしよう。自分が購入予定の品は全部買えたし、買い逃した頼まれモノはコミケ限定品ではなく、コミケ先行発売品。比較的被害は小さかったような。毎回何かしら「被害」が出ているコトを考えれば、これぐらいは仕方ないとするべきでしょう。ただ…充実はしていたけど、代償も大きい。金銭面はまあ笑って誤魔化すとして、問題は健康面。無茶した反動が出るのは確定。実は既に鼻水止まらない状態だし。後はコレがドコまで尾を引くかだな。金杯までには何とかしたいけどねえ(笑)。
 
 年が明けたからって、私の何が変わったわけでもない。今年もまた遊び呆ける日々がやってくる…といいなあ(苦笑)。そう考えれば、コミケが終わったからって「狂乱の日々」はおわってないのかもしれませんね。そんなわけで、今年も私らしく限界まで遊び呆けようと思ってますので、よろしくお願いします。

1月3日2008/01/04 01:47

 案の定風邪気味である。だから年末に無理するのはいい加減にしないと…って、そこで自制できるような性格ではないからなあ。ま、気にしないことにしよう。
 
 やや元気が無くネタもないので、とりあえず今年のカレンダーでも語るか。今年は特に「ドコに貼るのか」苦労したし。なお、「説明は加えない代わり、隠し事はしない」でいきます。必要を感じたら自分で調べてください。なお、結局話の主役がカレンダーなので、競馬などに関連するモノでもこの色にしておきます。うむ、珍しく単色だ。
 
 まず全般的な感想。1点大きな不満アリ。結局「卓上版週末集約カレンダー」を入手しそびれた。オマケの卓上カレンダー目当てに競馬新聞社のカレンダー買うべきだったかと後悔しているくらいだ。仕方がないので、JRA無料配布版カレンダー(壁掛け)を少し特別な位置に貼って「代用」している。おかげで絵の部分がかなり見えにくい。
 
 もう1つ不満を述べるとすれば、案外日付配置のバリエーションが少ないこと。日付6段のものが1つは欲しかったんだけど…ここに「こだわり」があるってのが、私がカレンダーを漁っている理由だからねえ。絵は私の好みを外さない範囲なら、この際何でも良いんだよ。ま、不満を言っても始まらないけど。
 
 今年の「私のカレンダー」は、通年が1、季節めくりが1、2ヶ月めくりが4、月めくりがなんと17。さすがに買いすぎた(笑)。ただ、壁飾りタイプはともかく、卓上タイプはもう少しあっても…コミケで入手する品に多くを頼っている以上、どうしても計画性が足らなくなるんだよな。とはいえ、足らないよりは多すぎの方がマシなので、これで良しとする。
 
 一番「大事な」位置、すなわち私がPCに向かって座っているとき一番見やすいモノは、コットンカレンダー。日付部分がシンプルで目に優しいのが理由。12月の絵柄にちょっと問題があるので、他の品にしようと考えたんだけど…まあいいだろ。大事なのは日付だ(笑)。
 
 去年「大事な」位置にあったのは、市販のFateカレンダー。今年はとらのあなで同テーマのものが出ていたので、「コレを流用か」と思っていたんだけど、却下された。理由は簡単、日付部分が黒地に白文字だったのだ…これは近くで見ると目に厳しい。よって私の椅子から遠い位置に変更された。ただ、遠くにある分には見やすくてよろしい。来年も日付部分がこの配色のモノを入手したいなあ。厳しいテーマだけど(苦笑)。
 
 JRA無料配布版は逆にコントラストが弱い。目から遠いトコロに置くと役にたたん。よって、ヘンな位置に無理矢理貼り付け、卓上カレンダー感覚で「利用」できるようにした。おかげで絵が見にくい。また「近寄ってじっくり観る」ことを想定してない位置なので、ウリである浅田次郎氏の文章は事実上読めない。とはいえ、これが私なりの「ベストの位置」だ。週末集約型は貴重かつ重要なのだよ。
 
 オーガストカレンダーが「机に座った状態で2番目に目にする」位置。諸般の事情によりココに貼るのは「めくって減って軽くならない」ものが望ましく、なおかつ「前月と翌月がついた月めくりがベスト」って事情があるので、多分ここがこのデザインのカレンダー売り続ける限り、この位置に飾られる。なお、私はココのゲームをプレイしたことがない(笑)。
 
 去年までカレンダーがなかったけど、「ココにも欲しいなあ」と思っていたスペースについにカレンダーが導入された。座っている位置からは完全な死角だけど、外出の準備してる時(カレンダーを確かめたくなる瞬間の1つ)には利用しやすい。ここに導入されたのは、コミケで見つけた同人版。なぜかハングル文字が散りばめてあるので、おそらく作者サイドに韓国人がいるようだ。導入された最大の理由は、サイズが適切だったから。来年も同じサイズの品見つけられるかな…
 
 クラナドカレンダーは限りなくポスターに近い扱いを受けている。貼る場所に困った末に無理矢理貼ったからなあ。ま、カレンダーとしての機能は低い(バリエーションを増やすという観点からは、そこがまた重要なんだが)ので、こんなもんだろ。ちなみにこの作品、ゲームもアニメも知らない。単に「私の目の前で売り切れるという狼藉をはたらいた罰」として導入された(苦笑)。
 
 部屋を出る直前に目にするのが、JRA市販版カレンダー。眺めている時間はむしろ少ないけど、重要度は極めて高い。これはJRAがカレンダーを発売している限り、いやJRAが発売を止めても競馬マスコミ各社が類似品を発売する限り、この位置に競走馬カレンダーが導入されるはず。
 
 やや扱いに困った結果、ポスターよろしく飾られたのがsaga planetsの通年カレンダー。買う時にカン違いして、卓上モノかと思って買ってしまったのだ…ま、邪魔にはならないけど。おかげで日付は事実上見えない。カレンダーとしては無意味に近い。
 
 ベッドの横にあり、寝る前に眺めるのが熱帯魚カレンダー。「フィッシュマガジン」のオマケ。この雑誌は毎号読んでいるわけではないけど、カレンダーが付く号だけは買っている。毎年アジアアロワナ特集だし。本当なら「アジアアロワナカレンダー」が欲しいんだけど、とりあえず見たことがないのでこれで我慢している。やはりここは熱帯魚屋に入手しに行くべきか?
 
 完全な計算外の品が大井競馬場無料配布カレンダー。まさか週末集約タイプじゃないとは…地方競馬にとって土日はさほど重要じゃない(平日開催の方が多いし)ので意図的にこうしたのかもしれないけど、ただ何となく、カレンダーってそーゆーものだから…でやっているんなら、速攻改善をオススメする。大井競馬場に馬券買いに来る奴が、中央競馬と無縁って可能性は低いんだから。
 
 絵>日付ではあるけど、一応日付も重要…って位置にあるのが、ハヤテのごとく!カレンダー。市販品だけあってかなり早くから「計算された」位置に貼ってある。「ポスター同然」って品は他にもあるけど、その中ではコレが一番「機能的」だからね。もっとも、ドングリの背比べではあるんだが。
 
 朝、目覚めて起きあがった時に目にするのが、毎年導入されている同人カレンダー。そーゆー位置に貼ってある。見慣れてしまった関係上、年末のコミケにおける重要ターゲットの1つになっている。ある意味一番「替えが効かない」モノだな。日付部分のデザイン変更しないで欲しい…
 
 昨年からの課題となっていた「掛け時計の近く」には、WORKING!!カレンダーが。ここにはこんな品が良い…というイメージに近い品だったので。多分コレが私の部屋の中で一番「大人しい」品。
 
 諸般の事情から「別室」に飾られたのがkeyカレンダー。導入してからスクールカレンダー(4~翌年3月)だと気がついた(苦笑)。ま、カレンダーとしての機能はさほど求められていないので、良しとしよう。
 
 この「別室」にも週末集約型カレンダーが欲しい…ってんで選ばれたのが、同人の猫カレンダー。いや別に週末集約型にこだわったわけではない(しょせん別室の話だから)けど、あればあったで嬉しいので。
 
 こっから卓上版。卓上版は気分によって置き場所を替えたりするのが楽しい。その意味ではより気軽に導入できるハズなんだけど…今年はやや不作だった。
 
 毎年導入してるのが、コミックブレイドカレンダー。ブックタイプという変則的なデザインが楽しいので。今年はtacticsとEREMENTAR GERADにしてみました。何故2つ?最初は1つだけの予定だったんだけど、「なんか卓上版が不足しそう」ってんで増やしてみたのだ。アホですな。
 
 異彩を放っているのが、香港ジョッキークラブカレンダー。向こうでの市販品。祝日が思いっきりヘン。いや向こうではコレが正しいんだけど。一応2008年12月まで収録してあるけど、本来は向こうの競馬シーズンに合わせ2007年9月~2008年8月のカレンダーである。やはりこういう品は8月に入手したいよね。通販やってねえかな(苦笑)。
 
 ある意味フツーなのが、とらのあな無料配布カレンダー。今年のカレンダーの中で最も最初に入手した品である。もう少しトンガった品でも良かったような。なお、これは日付部分についての感想なので、一般人が見たら「ドコがトンガってないのか」苦悩するような品ではある。
 
 アホっぷりがナイスなセカンドファクトリーカレンダー。コミケ2日目に「この分だと壁掛けタイプが余って卓上版が不足する!」ってことが確定したので、○都アニメーションの品を蹴飛ばしてこちらを導入してみたのだ。現時点で判明している同人誌即売会の開催予定日が入っているのがアホである。
 
 この他に同人の卓上版が4つ。もう2つぐらい欲しかったな(笑)。先に書いたように「気分によって取り替える」のが前提なので、多くても困りはしないのだ。とはいえ、もちろん私のメガネにかなう品であればこそ。それが少ないってのは計算外かなあ。もう少し同人でいい品が見つかる予定だったんだけど…今年は何故か卓上版が不作、壁掛け版が豊作だった。
 
 この他に番外として、PCのデスクトップカレンダーがある。つまらんフリーソフトなんだけど。こちらも年が改まったからってんで絵柄を入れ替えた。何となく…で購入した同人のCG集を加工して、叩き込んだ。ま、その程度の画像編集能力はあるぞと。
 
 さて、こうしてカレンダーに埋もれてみると…うん、これぐらいが適当かな(笑)。最終的に「全てを入手できる」のが相当遅い(今年は改善されるのか?)以上、事前の計画は必ず崩れる。そんな中、「ここにはこういう品が…」って要求を満たそうとすると、どうしたって供給過剰になるんだよな。さらに、卓上版は事実上「あればある程嬉しい」状態だし。ま、来年も似たような数が導入されるでしょう。マニアとはそーゆーものだからして。

1月6日2008/01/06 23:41

 正直、まだ体調が復活しない。明日から仕事だってのに。ま、これぐらいの体調不良は良くある話なので、さほど気にしないようにしよう。一時期よりは遙かにマシなんだし。
 
 本日のお題は、「兵器としての90式戦車」を私なりに語ってみようかと。先日コミケで「車両としての90式戦車」を語っている本(MTH/創作同人「百」、サイトはこちらを見つけたので。いわゆる友人知人の作品なので、宣伝も兼ねて語ってみようかと。
 
 90式戦車。陸自の正式装備。国産。三菱重工製。120mm滑腔砲に複合装甲といった、「先進的な」装備を持っている。ある1点を除いて、評判は良いらしい。ちなみに悪い点は「値段がやたら高い」である。
 
 値段の点については、一応ある程度擁護しておく必要がありそうだ。兵器産業って観点から考えた場合、日本って国は「どーしても兵器が割高になる」のだ。その理由は「需要が半端だから」である。この「半端」ってトコロがミソかな。
 
 兵器ってのは、需要が多いワケではない。もちろん民間と比べての話だけど。そのくせどいつもこいつも「特注品」だ。需要と供給の法則を考えた場合、割高にしかならないでしょ。そこで兵器大国は、大抵輸出だのライセンス生産契約だのを考える。需要を増やせば多少価格を落とせるからね。
 
 自国の軍事産業を育成するのは大変だ。カネはかかるし、信用を得られないと売り込んでも買ってもらえないわけで。そこで、かなりの国がそんなことを諦めて兵器を輸入している。兵器の供給を外国に頼るのは問題が大きい(肝心なときに引き渡しを拒まれる危険がある)んだけど、「とりあえずの」体裁だけ整えておけば、ちょっとした紛争ぐらいは戦える。どうせ近隣諸国も似たり寄ったりの装備なんだし。
 
 ところが、日本は兵器を輸出できない。したらアジアの某国どころか、米国でさえいい顔をしない(商売敵が増えて喜ぶ奴がいるか?)からねえ。そのくせ、輸入兵器だけで帳尻を合わせる「なんちゃって」軍備で誤魔化すのは無理があるほど重要な国(経済大国なんだから当然だ)である。需給原則により割高になるのを承知の上で自国のみが装備する兵器を開発するか、足元見られて値段つり上げられるのを承知の上でライセンス生産契約を結ぶか…って話になりがちだ。ま、だからって日本の兵器産業に責任がないとは思わないけど。ただ、同じ問題は兵器を輸入するときにも生じるんだよね…だからこそ防衛次官が…(以下略)。
 
 多少値段が高くても、ある程度は仕方がない。問題は性能だ…としよう。90式戦車は「役に立って」いるのだろうか?う~ん…少し微妙としておこうか。これは90式戦車に限らず、米のM1エイブラムズや独のレオパルドⅡなども含めての話になる。こいつらは揃いも揃って「今後必要な戦車なのか」ちょっとビミョーなんだな。強い弱いだけ考えたら、こいつらは強い。その意味では役立たずってコトはあり得ない。しかし、兵器ってのは強い弱いだけでは語りきれないからねえ。
 
 これら「戦後第三世代」の戦車ってのは、基本的に戦車同士が殴り合った時に勝つことを目指して造られている。「戦車に対抗するには戦車」ってのは、第二次世界大戦の重要な戦訓だし。冷戦時代でソビエト連合の大戦車軍団と雌雄を決する必要がある…って時代はそれで良かった。
 
 ところが、ソ連って国はなくなった。その結果明らかになったことの1つに、「実は赤軍は張り子の虎だった」って事実がある。西独に戦車軍団で突っ込む…って計画は実在していて、ある程度本気で考えていたようだけど、西側が警戒したほど現実的なモノではなかった。ソ連の後継としてロシアって国があり、何だか軍事強化してるのは事実だけど、そもそもソ連時代にすら「空想同然、単なるハッタリ」に近かったものを現実に移せるとは…なお、北海道上陸作戦に至っては、ほぼ妄想レベルだそうな。仮に北海道に上陸することがあっても、せいぜい「海峡通過を安全にするための拠点防衛用」であり、札幌に向けて突撃できるとはとても…
 
 その結果、第三世代戦車は見事に戦う相手を失った。もちろん「戦車戦が起こりそうな局面」は今後も生じるとは思うけど、少なくとも想定された「ソ連の戦車軍団」とは色々違う。戦車戦に勝つために造られた戦車なのに、戦車戦が無くなりそう…となったら、そりゃあ必要性は微妙だよね。
 
 ただまあ、これは「シャカリキになって装備する必要が薄れた」だけであって、全くの用ナシだから廃棄しろ…ってレベルではない。けど、「こんな豪華な戦車が必要でしょうか!」って聞かれたら、色んな意味で返答に困るのは事実。そのため、米国や日本では「次世代戦車」として、もう少し弱くてリーズナブルで使いやすい(軽くて輸送しやすいとか)ものを想定しているようだ。
 
 もっとも、これは「第三世代」戦車全てに共通するモノ。多少時代の変化に対応できない部分があったからって、それは90式戦車の罪とは言えない。では、第三世代戦車の中で90式戦車は「強い」のか?あまり起こりそうもないけど、戦車戦に参加して90式戦車は勝てるのか?肝心なところはココでしょ。
 
 兵器ってのは当たり前だけど謎な部分が多く、90式戦車についてもそれは言える。特に複合装甲とやらは謎だらけで、どれぐらい効果があるのかはよくわかってない。それゆえ単なる推測ではあるんだけど、今のところ90式戦車はチャンと強いんじゃないかなあ。ただし…あえて言おう。ソ連が崩壊して戦車戦が発生しにくい時代になったからこその話である。
 
 先に書いたとおり、日本の兵器需要ってのは「中途半端」である。部品から何から何まで輸入しちゃう(あっさり使えなくなることを覚悟する)ことを許容できるワケではなく、かといって輸出するほど生産も出来ない。おそらくコレが原因だと思うけど、日本の兵器ってのは「改善が遅い」のだ。
 
 良い例が74式戦車だろう。90式の前の陸自の正式戦車。登場した時は良い戦車だった。今の目で見ても良い点は結構ある。けど、はっきり言って現時点では「恐くて使えない」戦車だ。何故?防御力に深刻な問題があるから。だって、登場してから今に至るまでロクな改善されてないんだもの。
 
 74式を含む第二世代戦車は、今も結構使われている。もちろん74式も。それどころか、90式は諸般の事情(つーか、デカすぎ)からほぼ「北海道専用」であり、本州では74式しか使えないって話があるし。にもかかわらず、ちっとも改善されてない。平時でさえ日進月歩である兵器の世界でコレは、「危険なほど怠惰」と言われても仕方がない。
 
 他の国の第二世代戦車は、大抵「リアクティブアーマー」なるものを装備するのが常識となっている。このリアクティブアーマー、実態は「戦車砲が命中すると爆発する爆薬」である。そんなことしてどーすんのかと言えば、爆発によって弾を破壊して…って効果があるらしい。これまた詳細は謎に包まれている。74式戦車にも有効な装備だとは思うけど、今のところコレをつけた74式戦車は見たことがない。なお、ロシア本国の戦車は最新型でさえコレに埋め尽くされている。
 
 これをもって「防衛省の怠惰だ!」と言うのは…一部当たっているけど、一部は仕方ない。防衛省はその昔から、手持ち兵器の半端な性能アップより最新兵器導入に熱心だったから。まあ、気持ちはわかる。予算は有限だからね。わかるんだけど…「本気で戦争する気があるのか」って気がするのも事実かな。ただまあ、「本気で戦争するつもりなんてあるワケない」と主張されたら、返す言葉がないような気もする。
 
 兵器ってのは、必ずしも「戦場で使うため」あるワケじゃない。「ウチにはこういう兵器があるから、戦争すると痛い目に遭うよ」と思わせるだけで大きな効果があるからね。それを考えたら、チマチマと手持ちの兵器を改善するより、宣伝効果のデッカイ新兵器導入に予算を使った方が効率はいい。似たようなことは兵器大国である米国やロシア・中国でさえもやっている。新兵器売った方が儲かるし。「完全な秘密兵器」なんてのは、よく考えるとアホらしいのだ。
 
 防衛省がそういう方針で兵器を装備している以上、本来なら90式戦車も「他の戦車より速いペースで」陳腐化するはずだった。実際、90式戦車は登場以来派手なアップグレードがない。M1もレオパルドもやってることなのに。これは90式戦車の罪ではない。罪ではないけど…じゃあ悪いのは防衛省?確かにココの方針には問題があるような気がするけど…「じゃあどうしろと?」と聞かれたら、返答に困るなあ。
 
 にもかかわらず、今現在も90式は必要充分な性能を確保できている。これは…はっきり言って、ソ連がなくなったからだ。もしソ連が今も健在なら、そろそろ新型戦車が登場して、それに対抗するためには…って話になっていたはず。ロシアが軍備にも力を入れ始めたのは事実だけど、2007年には何とか公開に…って噂のあった新型戦車はまだ登場してない。ついでに言えば新型戦闘機も2007年には公開を…って話があったハズなんだけど。そう言えば新型原潜はどうなったんだ?昔みたいに政治的圧力で外国が買ってくれた時代じゃないんだから、この手の公約違反は好ましくないドコロの話じゃないのに…ロシアの軍備拡張なんて、そんなものよ。ソ連時代がイジョーだっただけって話はあるけど。
 
 兵器ってのは、戦争をするための道具である。よって、「どことどういう戦いをするのか」がハッキリしないと、使えるかどうかは何とも言い難い。戦争ってのは相手があって初めて成立するわけで。さらに、現場の意見だの予算の都合だの…といった事情が絡んでくる。色々大変なのよ。もっとも、私よりこの分野に詳しい奴(この間逮捕された防衛次官とか)に言わせたら、「お前が言うな」なんだろうけど。
 
 ちなみに、シミュレイションゲーマーはこの話題と無縁じゃない。「兵器の評価」をしないとゲームにならないからね。カタログデータが豊富にあり、なおかつ実戦で使ったときの体験談も豊富にある第二次世界大戦の兵器でさえ、「どう評価するか」は頭の痛い問題。カタログデータなんて実戦では「参考」以上の意味を持たないし、かといって実戦は「ドコまでが偶然でドコまでが必然か」わかりにくい。それを一般化しないとゲームにならないってんだから…ましてやカタログデータがよくわからん戦国時代の合戦(実は謎だらけ)だとか、カタログデータ「しか」ない近未来架空戦(ソ連の北海道侵攻など)をゲームにするとなったら…その上無責任なプレイヤーから「この数字はオカシイ」なんて批判が飛んでくるんだから。ま、この趣味に関わっている人間なら誰でもわかってることだとは思うけど。
 
 最後に1つ。兵器ってのは、しょせん道具に過ぎない。大切なのはいつだって道具そのものより、使う人間である。90式戦車がどんなに優れていても、乗ってる戦車兵にやる気がなけりゃ「使えない兵器」。さらに命令を下す司令官とか、人事とか予算を管理してる防衛省のお偉いさんとか、そいつらにアレコレ言ってくる政治家とか、そいつらを選んでる政党および選挙民とか…の方が、90式戦車そのものより重要なのだ。兵器ってのはそれらを映す鏡みたいなもの。90式戦車がどうこう言うのは悪くないけど、その背景にあるモノについても忘れないようにして欲しい。戦争ってのはシステムなんだよ。だからこそ評価するのが難しいわけで…ブツブツ…

1月7日2008/01/08 01:54

 たまに訪問しているブログに面白いネタがあった。これは私も1つ語っておきたい…と思ったので、本日のネタに。ちなみにゲームネタです。
 
 お題を簡潔に述べるなら、「指揮官の血液型をゲームに盛り込むべきとの指摘があった場合、どう対処するか」である。アホネタだ…で片付けるのは簡単だ。しかし、少なくとも私には笑えない。これはこれでアタマの痛い問題があるからだ。
 
 まず最初にお断りしておく。私は学生時代「血液型占いを信じたりしません」って誓いを代償に心理学(一般教養)の単位をもらった関係上、血液型占いはまるで信じていない…どころか、積極的否定論者である。アレがクズ・クソである論拠は山ほど叩き込まれ、一部は未だ忘れることが出来ない。なにせ試験に出てきたからなあ。他人が何を信じようと勝手だけど、私はソレを信じることは出来ない。
 
 ただ…「私が信じていないこと」と、「論理的科学的必然性があること」はイコールではない。ドコの誰が何を言おうと…どころか、自分自身でも「迷信のたぐい」だと薄々感じてはいても、魔神ペリエのいる競馬場に行くのは勇気がいるわけで(苦笑)。だから、他人がどんなアホらしい(と私には思える)コトを信じていても、無視する気にはなれないんだな。私もソイツも結局「同じ穴のムジナ」だと思うので。
 
 問題は血液型占いが正しいかどうかじゃない。私に言わせれば、「信じていることが正しいかどうか」ってのは、実は重要度が低い。むしろ重要なのは、「ソイツがそれをどれだけ信じていて、それにどれだけ影響された行動を取っているか」だ。シミュレイションゲームをデザインする立場からは、この時点で無視できないファクターになるのでは。
 
 まあ、はっきり言って血液型占いってのはドマイナーな占いである。ABO式の血液型が発見されて実は日が浅いし、アレコレ騒ぐのは日本人だけって話も聞いたことがある。だから、血液型占いに関しては、おそらく無視して問題ない。どーせ戦国武将や三国志の英傑の血液型なんてわからんし、わかりそうな第二次世界大戦の将軍達もそんなもの信じてないから。
 
 ただ…これが星占いなどになってくると、無視して良いのかどうか微妙になってくる。星占いの結果で自分の行動を決めた将軍なんて、山ほどいる(大半は古代の人だろうけど)わけで。近代戦になるとそんなものより「より現実的な諸々の都合」の方が重要になってくるけど、別にシミュレイションゲームの「対象」は近代戦ばかりじゃない。ファンタジー世界を題材にしたら、立派な「必然」になる。
 
 占いなんて信じない…って立場の人間にしてみれば、こういう要素は切り捨ての対象としか思えないかもしれない。ただ、戦争ってのは結局「計画するのも実行するのも人間」である。占いに影響されて行動を決める馬鹿が将軍やっていたんだとしたら、それに色々振り回されるのがむしろ「必要」なことになる。こういう考えは無視しちゃイケナイと思うな。
 
 もっとも、だからってド真正面から「血液型が…」「星占いが…」って形でルールを作れ、とは言わない。特殊な事例を除き、そんな必要はないから。間接的に盛り込む手はいくらでもあるからね。占いを信じていない人間ってのも山ほどいて、なおかつ占いの影響を定量化するのが難しい以上、こうした「間接的な盛り込み」こそがスマートな解決法でしょ。
 
 具体的にはどーするのか?一番手っ取り早いのが、「将軍の能力を落とす」かな。私が思いつく例としては、Nalopeon at Leipzig(NAL)がある。このゲームのネイ将軍とミュラー将軍は「しょーもない」能力を持っている。戦況と無関係に突撃したがったり、拠点防御を命じたり、撤退しようとしたり…あげく「朝寝坊」までする始末。栄光の大陸軍の将軍様とは思えないしょーもなさだ。これらのルールが「贅沢に慣れた結果」「時差ボケ」なのか、「星占いの結果に左右された」のかは知らないけど、とにかく「そーゆーものだ」としてしまう。
 
 そもそも、将軍ってのは案外「目の前の戦場に専念できない」存在である。大抵の場合上司(国王だの大臣だの)がいるし、補給がどうだの味方がこうだの…といった、「戦場以外の都合」に振り回されるのが当然。これは誰だってそうでしょ。実生活で「目の前の状況とまるで関係ない都合に振り回された」経験がない奴がいるとは思えないなあ。広く考えれば、「ゲームやってる最中に会社か家庭から電話が来て、集中欠いてミスした」だってこれに該当する。私の「東京大賞典の馬券を買うため、コミケから泣く泣く撤退した」も似たような…
 
 そう考えると、いわゆる「カードドリブン」のような「カード引きが重要なゲーム」や、何かしらのランダムイベントを盛り込んでいるゲームは、その構造上占いの結果もゲームに含まれていると考えて良い。「幸運・不運の発生確率」ってものを考える必要があるからなあ。ただ、残念なことに?血液型占いの結果なのか星占いの結果なのか、それともそんなの無視して決められた数値なのか…ってトコロがわからないだけだ(笑)。
 
 そもそも、こういう要素は特別なルールを設けなくても取り込まれている、って話はある。シミュレイションゲームってのは「おおむね史実通りの結果になりやすい」ようデザインするのが基本だ。そうならないからって、「史実が間違っている」で片付ける度胸がある奴は少数派でしょ。この時点で「数値化しにくい数々の要素」(占いの結果や血液型も含まれる)は間接的に盛り込まれているわけだ。影響がでかいのかゼロに近いのかは知らないけど。また、戦闘解決などでダイス振ってランダム性を取り込んでいるのも、こうした「数字以外のモヤモヤ」を取り入れる手段だ。「だから、いちいち複雑なルール採用する必要なんて無い」と某ゲームデザイナー(悪名知名度高い)が主張している姿を何度も見たことがある(笑)。
 
 ただまあ、全てをソレで片付けてしまうと、なんか味気ないのも事実。そこであえて一部の要素を複雑化して表面に出し、プレイヤーに「この要素が重要だったんだよ」と知らしめたり、余計な知恵使ってもらってゲームを面白くしたりするワケだ。つまり、演出上のテクニックって奴だね。
 
 はっきり言おう。「このゲームはオカシイ!」って意見の大半は、この「演出部分」について言及されている。今時シミュレイションゲームをデザインしようなんて奴は、「この戦いがどーゆー戦いで、どんな過程を経てどんな結果に終わったか」について、相当詳しい知識を持っている。それを再現しようとしている以上、実は「骨格部分」は滅多に外さない。ただ、再現するに当たって自分なりの演出を盛り込もうとする。それは当然のことであり、デザイナーの義務だと言ってもいい。けど、その演出を「面白いと思う」のか、「つまらない、あるいは違和感を感じる」のかは、実は受け手側の問題だ。
 
 指揮官の血液型がどうこう…って問題も、最後はココに帰結する。「おおむね史実通りの結果になりやすいようデザインされ、なおかつある程度のランダム性を持つゲームであれば、その時点で実質的に「大きく欠落した」要素はないと言ってもいい。後は「何をわかりやすく見せ、何を省き、何を誇張し、何を無視するか」といった、演出上の問題ではないだろうか。よって、私は「指揮官の血液型が重要な意味を占める」シミュレイションゲームも、「アリ」だと考える。しょせん演出上の問題なんだから、「アリ・ナシ」で区別するのはやり過ぎでは?
 
 もちろん、「アリ・ナシ」と、「面白いと思うかどうか」は別問題だ。演出ってのはそーゆーものでしょ?好みってのはある意味いかんともし難いわけで。もちろん商売のこと考えたら「世間に受け入れられそうな」演出をするべきだってのはある。ただそれだけじゃ「陳腐だ」って言われるのは確実。最後は「批判される危険を承知の上で、公表して世に問うてみる」必要もあるのでは。私は血液型占いに批判的なので、コレを演出に盛り込んだゲームを「面白い」と思う可能性は低い。ただ、「チャレンジする価値すらない」とは言わないだけだ。
 
 何だかんだ言って、結構血液型占いに同情的じゃないかって?いやまあそれは…実を言えば、似たような要素を盛り込みたいゲームのデザインを「抱えて」いるからなあ。ルネサンス期イタリアをテーマにすると、「信仰」を演出として盛り込みたくなるんだよ。血液型占いを「非科学的だから盛り込まなくて良い」のなら、「キリスト信仰」だって似たり寄ったり。「盛り込まなくて良い、いや盛り込むべきではない」って見解に反論するのはちょっと難しい。
 
 でもそれじゃあ、何でフランスが法王庁にあれだけ振り回されたのか、うまく説明しにくいのだ。そういう時代だったんだよ。それに、「法王プレイヤーに祝福されたと心底舞い上がって喜ぶフランスプレイヤーを冷ややかに眺める、破門されてもケロっとしてるヴェネツィアプレイヤー」という図式を無理なく再現できたら、素晴らしいと思わないか?キリシタンでない日本人プレイヤーにこんなコト期待するのは、血液型占いを無理なくシミュレイションゲームに組み込むのと同じくらい大変な気がするんだけど…やはり無謀なんだろうか…
 
 この時代をテーマにしたからって「信仰」は無視して問題ないってことは、「マキャベリ」ってゲームが証明している。法王庁のルールはしょせんオプションだし、導入したとしてもごく単純なモノだからねえ。ただ、私は「演出として盛り込めないかなあ」と思っている。それだけの話だ。成功するかどうかは…その前に完成するのかこのゲーム(笑)。
 
 ゲームデザインというと、論理だの科学だの…といった論調が幅をきかせる。その重要性は私も認めるけど、もっと文系っぽい思考でとらえてもいいのでは。私は典型的文系人間なので、特にそう思うんですが。そうじゃないと、いつまで経ってもゲームが完成しない…いや、それ以前にもっと熱心に仕事しないと…いやまあ、色々忙しいモノですから…

1月11日2008/01/11 23:10

 本日のネタは本来「年度代表馬」の予定だったけど、後日に回す。顔ぶれに大きな不満がないから。それでもあえてツッコみたい部分はあるんだけど、ソコを採り上げるのにはまとまりが悪いので。ま、近日中に何とかします。
 
 というわけで、本日のお題は「自費出版」。これは本来ものすご~く「深い」ネタであり、気軽に扱えるようなモノじゃない。ただ、煮詰まるのを待っていたら永遠に使えそうもないので、とりあえず「軽く世間に放り投げ」してみる。よってこのネタ、またポツポツと採り上げると思います。
 
 ネタになったキッカケは、自費出版大手の新風社倒産。新聞などで褒められていた会社ではあったけど、「サギだ!」という評判が高まり、行き詰まったんだとか。話を聞く限りでは、確かにこの会社のビジネスモデルは相当「オカシイ」ものだったからなあ。
 
 ドコがオカシイのかって?この会社の自費出版ってのは、厳密には自費出版ではない。自費出版ってのは、おおむね「経費自分持ち、営業その他も原則は自分で、その代わり利益も自分」って仕組みである。出版社の役割は、限りなく「印刷会社」に近い。これはあくまで原則だけど、まあこの図式が基本だと考えてもイイでしょ。
 
 新風社の仕組みは、コレとは少し違うってのが「ウリ」だった。営業は原則出版社。全国の書店に置かれるよう努力はします。その代わり利益は…ってモノらしい。詳しい仕組みは私にはよくわからん。当たり前だけど、利用したことはないので。
 
 この仕組みのドコが問題なのか?より簡単に言ってしまうと、「著者からカネ集めるのが目的で、最初から売るつもりが無かった」からとなる。確かにそう言われても仕方ない部分はあるね。なにせ著者からもらう「出版協力費」が、本の書店単価×初版部数より高いってんだから。極端なこと言えば、1冊も売れなくても利益が出ちゃうんだもの。
 
 とはいえ、実のところココが「サギっぽい」部分ではない。本当にサギっぽいのは、「価格設定の関係上、増刷しにくい」コトにある。最初から赤字確定で、なおかつ増刷しにくい…では、著者の利益はゼロ。これのドコがまともなビジネスなんだ?ってことになる。そのくせ、出版社は最初から利益確保できてる(それだけカネ取ってる)んだから。
 
 何で増刷しにくいか?そりゃもう、最初の定価が同人誌も真っ青の「お買い得価格」だから。印刷ってのは案外「固定費」が大きく、刷る数増やしてもコストがさほど上昇しない。つまり、少部数しか刷らないと「相当割高」になる。にもかかわらず「たくさん刷った」時と変わらない価格を付けていたら…ま、かといって印刷部数から算出された「適正価格」だと誰も買わないだろうし、まともな値段になるほど刷ったら、不良在庫の山だけどね。
 
 同人誌に脚を突っ込んでいる(洗った覚えはない。最近活動してないけど)私に言わせれば、新風社の要求する「出版協力費」はアホらしいレベルだ。あえて増刷を無視して考えた場合、「赤字幅」は同人誌の方が遙かに小さくできる。もちろん、同人誌と書店流通書物を一緒には出来ない。「出した本を書店に置いてもらう」のは、すごーく大変だからねえ。ただ、期待売り上げ数が「同人誌と同レベル」ならば、あえてこんなシステムを使って本を出す理由って何?って感じてしまうね。
 
 幸か不幸かはともかく、私はこんなシステムを使って本を出す必要はない。それぐらいだったら同人誌即売会で売るから。私が扱うネタってのは、基本的に「同人誌即売会で売られていて違和感がないモノ」だからね。そこで売り上げに手応えを(私なりに)感じたら、「マトモな」手段での書店流通(出版社への持ち込みとか、賞に応募するとか)を考える。全国の書店で流通してる本を出すのは「最終的な夢」かもしれないけど、ソコに至るまでの「中間目標」として同人誌ってのがあるわけだ。現状、そのレベルですらないわけだけど。
 
 もっとも、私がこんなモノを中間目標に出来るのは、「東京近郊在住だから」ってのはある。こと同人誌即売会での活動に限定すれば、東京近郊の有利さはベラボーだからね。歴史的経緯その他を考えれば「コミケが東京近郊から離れることはあり得ない」以上、世界レベルで「最も恵まれた環境」でしょ。コミケで売る売らないは別にしたとしても、他の同人誌即売会もコミケの影響を受けてるからねえ。
 
 同人誌活動をさておくとしても、ブログだの何だのがある昨今、あえて「書店流通を目指す」意味はドコに?って考えもある。そりゃあ確かに「書店流通」は素晴らしい。私も憧れる。けど、それは「まともな形での」書店流通であり、形式は書店流通だけど実質は…って制度を使ってまでこだわる必要はないような。「騙された」と騒いでいる人間は、ここへのこだわりを利用されたって側面はあるんだろうね。
 
 新風社のビジネスモデルが詐欺なのか、これはこれでマトモだったのかを判断する能力は、私にはない。「同人誌で売った方がマシ」と思うのは確かだけど、そりゃあ私なら…ってレベルの話だ。強いて言うなら、ココの読者はある意味「私と似たような立場」の人間が中心であり、なおかつ曲がりなりにも私の影響を受ける以上、「売れなくても、あえて本って形で世に出したい」と考えたのなら、同人誌即売会を選ぶ傾向があると思うけど。もちろん、マトモな手段で商用ルートの書籍に本を出せる人は除いて。ゲーム系の人は(業界の広さを考えたら)下手に同人誌出すより、コマンドマガジン・ゲームジャーナル・プランサンセットを利用した方が早いでしょ。
 
 私は本が好きであり、本屋が好きだ。それゆえ、今の「書物流通システム」に大きな不満はない。それはいいんだけど、「そこから漏れてしまう何か」があり、そこに商売のタネが転がっている気がするのも確か。自費出版ブーム(あったらしい)がその一環であることは間違いないんだろうね。その正体が「詐欺臭いビジネス」だったとしてもだ。少子化にもかかわらず何故か拡大傾向が止まらない同人誌即売会とか、日本語ブログが英語ブログより多いらしい(人口比考えたら異常だ)ってのも、実はこの一環として分析し直す必要があるのかもね。
 
 ということはだ。ココに「納得できる」モノを提示できれば、大儲けも夢ではない…のか?おそらくはそうだろう。新風社はそれなりに「当たった」会社である。最終的に倒産に至ったとはいえ。大赤字確定でも本を出したい…って需要はあるんでしょ。ただ、私にはそこをどーすりゃ儲かるのか、さっぱりわかんないんだけど。
 
 コレは推定だけど、この分野、つまり「売れなくてもイイから本出したい!」って欲求(それが自己満足なのか、「売れる本を出すための修行」なのかはさておき)を狙ったビジネスは今後も現れるのでは。もちろん、玉石混淆で。大半はサギ同然って気がするけど、ひょっとするとホンモノの「うまい話」が転がっているかも知れない。そーゆーことは覚えておいて損しないんじゃないかなあ。
 
 なお、私は現状「ブログで文章書きまくり、自信が出たら同人誌を出し、そこで飽き足らなくなったら出版社と交渉してみる」って道を歩むつもりである。この路線に特に不満はないからね。別に本気で作家目指しているワケじゃないので、この路線で駄目ならそれまでよ…って割り切りは出来てる。それゆえ、この手の「抜け道」を利用することはなさそうだ。でも、もし何かいい手を思いついたら教えてください。儲かりそうだから私も一枚加えて(笑)。そんでもって儲けた金で同人誌作って…

1月14日2008/01/15 02:26

 祝日だけどお仕事。ま、仕方ない…で済ませたくないんだけどなあ。ま、文句を言ったからってどーなるワケでもないし。ブツブツ…
 
 先日の訂正を1つ。新風社→新風舎でした。誤変換を見逃してしまいました。いけませんねえ。ニュースサイトじゃないとはいえ、こーゆートコロはもっと正確にしないと。
 
 さて本日の話題。先日に引き続いて「知的財産」関連の話題。とはいえ、前回に輪を掛けて浅いものです。つーわけで、あまり深くツッコまないで下さい(苦笑)。
 
 聞いた話によると、米国だかどこかで、「CDでカネ取りません」ってバンドが登場したんだそうな。どーせ違法コピーが大量に出回るだけだって理由で。それじゃあどーやって食っていくのか?CDだのネット配信(コッチがメインだろ)だのは「宣伝」と割り切り、ライブコンサート活動でゼニ稼ぐんだと。
 
 大宮駅近辺という土地に住む人間にしてみると、このニュースは唸らされる。詳しくは知らないけど、大宮駅近辺は若手ミュージシャンが「宣伝のためギター担いで歌ってる」ことで有名らしい。さすがにCD直売りはしてない(さすがに禁じられてるのか?)けど、「今度出たCD買って下さい」と言ってる奴はたまに見かける。それと真逆の行動をするバンドが登場したとはねえ。
 
 私は音楽活動に詳しいわけではないので、この業界のゼニの流れのことはよくわからん。ただまあ、「生演奏を宣伝に使い、音源を買ってもらう」って活動があることは知っている。昔々は「スナックで無料演奏して、カセット買ってもらってメシのタネにする」って活動があったようだし。大宮駅近辺で歌ってる連中の大半はCDを出してすらいない連中が大半のようだけど、「おひねり」もらうのが目的の奴はむしろ少数派のようだ。「オレの歌を聴かせたい」って欲求を満たすのも目的だろうけど、基本は「デビューさせて」「CD買って」といった宣伝活動じゃないかな。
 
 何で「音源は宣伝、ライブで稼ぐ」なんて発想が出てきたのか?そりゃまあ、デジタル化の推進だね。デジタルコピーは劣化が少ない。放置しておくとネズミ算式に増殖しうる存在だ。孫コピー・ひ孫コピーのように「代を重ねてのコピー」が可能になると、指数(何かのx乗って奴)計算で数が増える。これはモーレツな勢いで増えてゆくんだよな。それこそ、宇宙の原子総数と同じ数に達するまで、さほど時間を要しないほど。もちろんあくまで机上の計算だけど。
 
 現在のトコロ、音源の発売元(レコードレーベル)はこの流れを食い止めようと色々やっている。しかし、どうも旗色は悪い。詳しいことは割愛するけど。「音源を売って金を儲ける」って図式が完全崩壊するのかどうか…って話も視野に入ってきたんじゃないかな。実際そうなるかどうかは別として。
 
 しかしだ。「音源売ってもカネにならない」のだとしたら、レコードレーベルだけでなくミュージシャンも干上がる。そうなったら音楽活動する奴のレベルが落ちる。そりゃもう、確実に。コレを回避するにはどーするかって考えたら…確かにライブで稼ぐしかない。
 
 ライブ至上主義ってのは、私にとっては「わかりやすい」理屈である。いや別にジャンルにかかわらずコンサート行ったりしないけど、別の「ライブ」はよく行くからね。競馬だけど(苦笑)。ただ、コレは単なるギャグってワケでもないんだな。
 
 競馬に関する限り、私は「ライブ至上主義者」である。そりゃもう、疑いなく。競馬場に行く回数は決して多くない(趣味が多いからなあ)けど、海外競馬観戦があるからなあ。「競馬観戦に掛ける費用」はベラボーだ。「そうしないと馬券が買えない」のは事実だけど、それだけじゃない。JRAがトチ狂って香港国際競走の馬券売るようになったとしても、私は「沙田で買わなきゃ駄目なんだ!」と吼えて香港に飛んでいくね。2回に1回ぐらいは。毎回出かけないのは、そりゃあキングジョージもあるし、凱旋門賞も行きたいし、米国に豪州に、麗しのドバイ…といった土地があるからだ。全部行ったら破産だ破産。
 
 何でそうまでしてライブなのか?これは説明が難しい。「わかる奴には言わなくてもわかる、わからん奴には何言っても無駄」だからねえ。強いて言うなら「空気が違う」からかなあ。競馬場に漂う独特の殺気がないと、寂しいんだよ。これは国ごとにかなーり違うので、日本の競馬場で中継映像見たからって感じ取れるモノじゃないんだよ。まあ私は相当極端ではあるけど、スポーツ観戦を趣味としてる人間にとっては、「ライブ至上主義」はむしろ当然のことじゃないかなあ。そうでなけりゃ、家に帰ってTVで見れば「無料」だとわかっていながら、各種球場にあれだけの観客が出没する理由がない。競馬場だって入場料取るんだから。安い(JRAで100~200円から)とはいえ。
 
 市場経済原則を単純に当てはめた場合、「お値段高くなる」可能性があるのはむしろライブじゃないかと。デジタル時代の場合、「記憶媒体」はモーレツに増殖する。それに対し、ライブには明白な限界がある。どう頑張っても10万人ってのが「1つの目安」じゃないの?過去有馬記念やダービーにはそれを越える観客が押し寄せたけど、ありゃあ明らかに「入れすぎ」だった。希少価値ってモノを考えた場合、実はライブの方が強気の値段設定が可能なのかもしれない。
 
 もちろん、「ライブの必要がない、音源の方が良い」って意見があるのはわかる。特に音楽の場合、その傾向が強いのでは。コンサートだと周囲が五月蠅かったり、下手すると席の関係で音が悪かったりするからねえ。ただ、それはスポーツ観戦でも言えることだ。競馬を趣味としていながら、「競馬場なんぞに行く奴の気が知れない」と公言してる奴もいるわけで。
 
 今まで述べてきたことは、実は「単純極まりない算術の問題」に過ぎない。実際は著作権がうんたら、コピーガードがこーたら…って話が絡んでくるので、「音源は果てしなく安くなり、ライブの価値が上昇する」ってコトにはならないのかもしれない。少なくともレコードレーベルなどは「そうならないよう」全力で抵抗している。質の良いモノを「握って」いるのが連中である以上、音源の価値を死守できる可能性は否定できない。しかし、この手の単純な算術問題、つまり「オソロシイ勢いで増殖するコピーと戦う」のは難しい気がするのも確か。違法コピーに手を出す奴は後を絶たないだろうし、「音源はタダでもいい、ライブ来てくれ」って考えをする奴が増えたら、「音楽レーベル正規品?高いからいらない」って時代が来るかも知れないわけで。
 
 私はこの流れに対して、特別な意見はない。とりあえず「そーゆーものらしい」って話を紹介してるだけだ。本来ならココで「音楽ビジネスとは」とか「著作権保護と私的複製の権利」とか、「コピーガードの功罪」みたいなことを語り、世のため人のために役立つべきなのかもしれないけどね。私に言えることは、「スナックで弾き語りして、カセット買ってもらう」ってビジネスモデルが存在していたことを知る世代としては、「時代は変わったんだな、オレも年を取ったなあ」かなあ(苦笑)。

1月17日2008/01/18 02:19

 本日はMacWorld Expo 2008の話題。少しだけガッカリしたので。何でガッカリしたのかを軸に、少し語ってみようかと。
 
 ガッカリした理由は単純。可能性は低めだったけど、日本でのiPhoneキャリアが発表されるかも知れないと期待してたから。今使っているauが「獲得する」可能性は皆無に近いので、キャリア変更はほぼ確定的。それはいいんだけど、ドッチに乗り換えればいいのやら。なお、「iPod touchでいいじゃん」って意見は却下。香港でこれ見よがしに私を「挑発」しやがったiPhoneがいいんだよ(笑)。
 
 私は地味にMac信者である。つーか、Windows嫌い(苦笑)。フォントの振る舞いがオカシイのは許し難い。その点、Appleの製品は「わかってる」からねえ。先日ふと思いついてSafari(Macのブラウザ。Windows版がある)をダウンロードしてしまったんだけど、フォントが綺麗でねえ…まだベータ版(試作版)なので使い勝手が悪い部分もある(メニュー全部英語だし)し、「IEしか駄目」ってサイトもあるからメインブラウザにはしてないけど、なんか病みつきになりそうな。やはり次はVistaではなくLeopardか。
 
 とはいえ、「じゃあ、どのMacを買う?」って考えると…正直なところ、iMacは考えちゃうんだよね。グラフィックが弱そうで…ディスプレイ一体型なので、Windows XPもインストールしてゲームもプレイすることになりそうだ。そう考えると、マシン買い換えを決断する前に1回は「グラフィック強化」したくなると思う。けど、ソコを強化できるマシンじゃないからねえ。
 
 じゃあ、もっといいマシン買えば…って、PowerMac?そりゃあ無茶ってものでしょ。性能良すぎる。アレはアレで「悪くないお値段」ではあるんだけど、それはあくまで「似た性能のモデルと比べた場合」の話。Xeon搭載モデルだけあって、値段高すぎる…何で中間モデルがないんだ。ブツブツ…
 
 ただまあ、この勢いだと妥協してiMac買ってしまいそうな気がする。Vistaはホントにいい話聞かないからねえ。私が求めるタイプのゲームがXPを「見捨てる」のは相当先だと思われるので、「XP対応マシン」としては必要十分なiMacで何とかなるような…とはいえ、無駄に高速なPowerMac買って、「Mac OS XでWindows XPゲームをプレイ」(エミュレーター使えば動かせる)するって計画にも魅力が…あのスペックなら、エミュレーターでも今のマシン程度の速度は確保できるし…
 
 閑話休題。私はノートPCを持ち歩くって習慣を身につけるつもりはない(使用頻度の割に不満が多い)ので、Macbook Airなる「薄型ノート」に興味はない。スゴいなあとは思うけど。よってこの話題はパス。コレをパスする以上、Time Capsule(自動バックアップ装置…みたいなモノ)もいらん。これまた話題からパス。
 
 そうなると、残りはApple TV。私はTV見ないから…でパスできるシロモノではありませんね。うーむ、ついに来たかって感じ。「映画をネット上で流通させる」ビジネスモデルの「本命」だからなあ。これについては少し語っておきましょう。
 
 なんでApple TVが映画ネット流通の本命なのか?基本的には「iTune Storeが巨大だから」だね。今やMac使って無くてもココにアクセスして音楽ダウンロードしてる奴が「当たり前」になってきた(iPod偉大なり…)。そこに映画が投入された以上、やはり「本命」扱いは当然でしょ。
 
 ただ、私が思うに、今回に限っては「他に理由がない」となる。音楽の場合、iTune Storeのデカさに加え、「Appleのやることだから」という強力な理由があった。あの会社のやることは「基本は」間違ってないからね。応用部分では色々と問題があるような気もするけど(苦笑)。しかし、今回は多少「らしくないかな?」って部分が含まれている。
 
 その理由は簡単。ダウンロード「販売」ではなく、「レンタル」だから。どちらかと言えば「過激な」会社であるAppleにしては、権利者寄りの手法を選んだなと。動くカネや歴史的経緯を考えれば、音楽ほど過激にはなれなかったのかも知れないけど。
 
 レンタルが悪いワケじゃない。品揃えが無茶苦茶良くて「全部貸し出し中」があり得ない以上、わざわざカネ出して買うより便利で安上がりかもしれない。でもねえ…アタマが古い私のような人間は、「所有する」って欲望が強いからなあ。どうしても「これが本命でいいのかなあ…」って気持ちが入りますね。
 
 しかしだ。Appleがこの方向で「動き出した」意義は大きい。ビデオテープ・DVDに継ぐ「家庭で映画を楽しむ手段」になる可能性は低くない。AmazonだのYahoo!だのといったネット系企業が「ウチもこの方式で…」と動き出す可能性は高いので。なにせ権利持ってる映画配給元が、「この方式ならダウンロードOK」って認めてるワケだ。別方式を探るのも1つの手ではあるけど、真似するのも相当有力だからねえ。
 
 ただ、本当にコレが本命なのかは多少考慮の余地がある。前のApple TVはあまり売れなかった。Apple自らそう認めたからなあ。iPodがバカ売れしてiTunes市場がデカくなり…ってサイクルで覇権を握った音楽とは、多少事情が違う。未だにビデオ・DVDすら「他人に頼まないと再生すら出来ない」人間がいる以上、ああいう「PCモドキ」がリビングに入り込むことに抵抗がある(正確には、仮にあっても使わない)家庭ってのは多いのでは。音楽は「個人で楽しめればOK」だろうけど、映像は「みんなで楽しむモノ」って意識があるような。だとすると、「何でこんな複雑そうなモノの操作を覚える必要が…」って導入反対意見に対抗するのは、結構難しいかもね。
 
 それと、もう1つ重要なのが「次世代映像メディア抗争」にケリがつきそうだ…ってコトではないかと。BDとHD DVDの争いである。これはBD優勢が伝えられている。少なくともHD DVD陣営が「逆転の一手」をブチかまさない限り、フェードアウトが近いと思われる。そういう手は往々にして逆効果(βのトドメはSonyのCMと言われてる)だったりするんだけど(苦笑)。
 
 DVDの「次」に来るのは何か?普通に考えればBDかHD DVDなんだろうけど、「ダウンロードが来る」って意見も有力だった。昨今のネット社会の発展ぶりを考えたら、相当有力な意見だね。BD陣営にしてみれば、ダウンロード陣営の強豪が初手を差す前に「似たようなライバル」HD DVDを振り切れそうだ…となる。さて、勝つのはドッチでしょ?
 
 まあ、とりあえず私の予想は「BDかなあ」ってことにしておこう。何だかんだ言って、「所有してる」嬉しさってのは強いと思うので。「レンタルならディスク管理しなくて済むから有り難い」って意見もあるけど、多少コレクター入っている私にしてみれば、そんな意見よりも「自分で持ってる」ことの方が重要なんでね。「所有欲」を満たしてくれないダウンロードレンタルには抵抗があるなあ。
 
 コレと対極の意見を持つ奴、つまり「掃除の度に片付けなければイケナイ品が減れば減るほど喜ぶ」人間にとっても、ダウンロードレンタルは歓迎されないかもしれない。ディスクの山が減るのに何故? そりゃあもう、そういう感性を持った人間のうち、かなりの部分が「メカ音痴」だから(笑)。
 
 しかし…これでHD DVDは相当苦しくなりましたね。ダウンロードビジネスの「本命」が動き出した時点で劣勢じゃあねえ。この後盛り返してBD陣営に勝ったと仮定しても、まさか無傷の勝利とはいかないでしょ。そうなると、「ディスク両派の混乱に乗じて勢いを増した」ダウンロードに太刀打ちできそうもない。いっそのこと、ダウンロードにオイシイところ持って行かれる前にBDへ降伏した方がいいのかも。そんなコトができるくらいなら規格争いやってないとは思うけどね。
 
 とまあ、色々語ってきたけど、実はこのダウンロード映画レンタル、日本は未対応。日本人には関係がない。将来はきっと対応するはず…だといいなあ(苦笑)。日本は米国以上に権利関係五月蠅そうだからなあ。ま、とりあえず「こういう流れがある」ってことは記憶しておいていいと思うぞ。ま、映像にカネ掛けるくらいなら他のことにカネ掛ける私には関係ないんだけどね。それ以前にPCにカネかけなきゃ駄目でしょうが。Vista対応どーすんだよ…

1月19日2008/01/19 22:54

 ちょっと面白いサイトを見つけたので、紹介しようと思う。ま、とりあえず試しにアクセスして見て欲しい。なお、調査には結構時間がかかります。ご注意ください。
 
 
 もちろん、こんなものを紹介をする以上、「F男」の調査結果は発表すべきでしょう。私が調べた時点での結果は以下の通り。
 
・F男はfをダシに笑を口説いていた。
・F男が竹下景子と出会ったときにはすでにF男と名乗っていた。
・寅次郎はF男のことを「ただの男さん狂だった。」と当時を振り返って言った。
・酩酊したF男は「仕事…、コメント…」とつぶやいていた。
・天童よしみベスト全集はF男の過去を知っている。
・F男は、平成について何かを掴んでいるいるらしい。
・男eについて調べると、必ずF男に行き当たる。
・F男といえばー。
・F男は、話とe男の関係について何か知っているようだ。
・コートについて一家言あるらしい。
・F男は、言語性ldの世界ではそこそこ名の通った人物である。
・F男の謎をとく鍵、それは母、d男、名前、愛知学院大学大学院経営学研究科、北海道。
・F男は、自分について聞いて回っていた。
・F男は父なしでは生きていけない。
・f男の歴史にはF男の影が見え隠れしている。
 
 ワケわからん(苦笑)。あまり良い例じゃないなあ。入力した名前次第では「ヤケに的確」な結果が出てビビるんだけどね。なお、以下はネタバレ含む「解説」なので、調査結果が出るまで読まないのも1つの手です。ご留意を。
 
 ここの調査結果が「ヤケに的確」なのは、おそらくWeb検索と連動してるから。どうやら、Web検索で引っかかった情報を参照して調査結果を作成してるらしい。この手の調べ物は「ある種の姓名判断」ってことが多いけど、それとは全く違う存在だ。
 
 私の調査結果がなんかツマランのは、私の「Web上の活動」がヘンだから…ではなく、この名前で検索かけると「F男(仮名)」って用例が引っかかって上の方に来るからだろう。ちなみに本名でも調査してみたけど、輪を掛けて意味不明。私本人の活動とは全くと言っていいほど無関係。おそらく別人(少し珍しい姓だけど、それなりにはいるからねえ)の活動結果?を拾ってきている。私はWeb上では「無名」ってことだね。
 
 ただ…同じ程度に無名だとしても、「無関係の事象を拾いにくい」名前を調べると、途端に「何で知っているんだ」って調査結果が出てくる。実は友人知人を何人か調べてみたんだけど、「スゴい的確な」結果が出たこともある。あえて誰とは言わないけどさあ。
 
 そう考えると…実はこのサイト、場合によるとシャレでは済まない。Web上での「あまり他人に知られたくない活動」が、バレてしまうかもしれないのだ。それぐらいならまだいい。自分の知らないところで名前使われているのがわかっちゃうかも…これぞ「知りたくなかった真実」だね。う~ん、オソロシイ。
 
 とはいえ、冷静に考えてみると、そんなことは普通の検索エンジンに「調べたい名前」突っ込んで検索かければわかるはず。なんか「気まずい」真実見つけたからって、気にする必要はないでしょう。もう手遅れだから(笑)。いやあ、検索エンジンってそーゆー使い方もあったんだねえ…
 
 実生活と異なり、Web上の活動は痕跡が残る。そこを検索エンジンに拾われたら、色んなコトがバレちゃう。わかっていたともりではあったけど、こうやって形にされるとちょっと恐くなりますね。幸か不幸か私は「なんか馬鹿馬鹿しいデータ拾っているなあ」で済んだけど…
 
 つーわけで、各自色々調べてみてください。ふっふっふ…(←自分の結果が大したことないので、余裕がある)

1月21日2008/01/21 23:46

 どーも「ここ」らしくない内容が続いた。その間に知人のブログでウチみたいな内容(笑)のものを書かれてるし…いかん、いかんよ!「F男らしさ」を取り戻さないと!そんなもの取り戻してどーすんだって話はさておき。つーわけで、本日は「韓国遠征…かぁ?」と題して、いかにもF男って話に終始しようかと。体裁「だけ」は一般的にこの色で。すぐに正体露呈するけど。
 
 韓国遠征?F男が?何しに?こう思う人は多いのでは。なにせ私は「海外に行く理由は競馬」って人。にもかかわらず、韓国にも競馬はあるけど「大レース」はない。まだ見ぬ「天才」フランキー・デットーリ様が騎乗なさる競馬場でさえ山ほどあるってのに、何故韓国?本来、その前にやるべきコトは山ほどある。
 
 結論から言えば、「韓国行きたい」って動機と競馬は無関係。そう、我が生涯初の「競馬と無関係な遠征計画」である。それだけに、まだ実行するかどうかは決めてない。あくまで計画段階である。なにせこの遠征計画、「競走馬につれられて海外旅行」よりもアホな目的だからねえ。
 
 韓国旅行の目標は…「同人カレンダー入手」である。我ながらアホだ。まあ、今年の秋頃に予定してる「凱旋門賞遠征計画」もこれに匹敵するけど。この時期に休めそうな場合、「TGV堪能しつつチューリッヒに行って、おチョコ様(チョコレート)買ってくる」ってオプション付ける予定だからなあ。
 
 何で韓国で同人カレンダー?いやね、先日買った「2007-2008 マンガ論争勃発」(マイクロマガジン社)って本の中に、「海外のマンガ事情」ってものがありまして。それ目当てに買ったんだけど。それによるとだ。韓国にも同人誌即売会があり、そこは「カネ持ってない女子学生向けの、ファンシーグッズが流行してる」そうな。
 
 女子学生向けのファンシーグッズ?そりゃあ大多数は私にも無関係。けどアナタ、便せんとカレンダーは話が別でしょ。便せんは扱っているかどうか不明(レターセットは一応世界中で需要があると思うけど)だけど、カレンダーはあるに違いない。別方面の証拠もある。
 
 別方面の証拠とは、我が家に導入された同人カレンダーである。これは向こうの祝日とおぼしき日に、何故かハングルが書いてある。これはひょっとすると「向こうで売っている品の一部日本語化」かもしれない。くそう、これ売ってたサークルからもらった宣伝ペーパーどこいった。さすがに整理してないからなあ…
 
 向こうで売ってる同人カレンダーなんてどーすんだって?飾るんだよ。部屋に。元ネタわからんなんてのは、気にならない。強いて言うなら絵柄の好みが一致するかだけど、私の守備範囲は結構広いし、最悪でもペット系カレンダーはあるはず。この系列のモノは「珍しい生き物を扱っているか、特別な工夫がある」モノしか買わないと決めているけど、多少採点甘くして探せば何かしら見つかるでしょ。
 
 いや、もっと言ってしまえば、好みの品が「あるかもしれない」ってのが許せない。自分でチェックして、「好みの品ナシ、韓国同人カレンダー業界もまだまだ」って納得したのならともかく、実態がわからんってのはとてつもなくイヤだ。でも、「韓国の同人カレンダー事情」なるものを私に日本語で解説してくれる奴がいるとはとても…ならば仕方ない、自分で調べに行くしかないでしょ。
 
 クソマイナーな趣味が「手に負えない」のは、こーゆートコロだ。先人がいない。徒然草のギャグエピソードに「何事にも先達はあらまほしきことなり」(どこぞの神社へ行って、入り口だけ拝んで帰った話)ってのがあるけど、私みたいな人間にとってはギャグじゃ済まない。どんな下らないことであっても…いや下らないモノだからこそ、己で何とかしなくちゃイケナイのだ!何でオレが…と嘆いても始まらない。そんなことやる奴は、周囲にいやしない。
 
 つーわけで、「韓国の同人誌即売会に行きたい」という目標を設定したワケだけど…どーすりゃいいんでしょーか(苦笑)。ハングルちんぷんかんぷんの私に、どーやって同人誌即売会の日程と開催場所を調べろと。おそらくソウルのどこかだろうけど…競馬なら「日程と大まかな場所を掴めば、後は何とでもなる」って自信がある。「馬券オヤジ」は万国共通のニオイを発しているから。けど、「韓国のヲタク」はどうなんだ?エロが弱いとされる(儒教文化の影響らしい)関係上、日本のコミケには腐るほどいる「同人誌即売会に行きそうな奴」がいない可能性は高い。にもかかわらず、韓国の同人誌即売会に行こうって奴を、私は発見できるのか?そこからしてよくわからん。
 
 よって、この計画は現在「調査・計画段階」である。今年実行に移すかどうか、ちょっと微妙だな。まあ「カレンダー購入」なんて年末の話なので、時間的余裕はあるけど。ただまあ、ネタがネタだけに、調べればある程度情報が得られるのではと期待しているんですが。日本のヲタクは向こうに無関心…ってことはないし、向こうのヲタクは日本を「先進国」として認識してるのは間違いないので。旅行系同人誌だのサイトだのを探しまくれば、何かしら情報落ちているんじゃない?
 
 なお、せっかくソウルに行くならば…って計画も当然ある。問題は、競馬と軍事博物館の両方を堪能する余裕があるかだな。動物園または水族館も行きたいねえ。サッカーはかなり上手いとわかっているので、むしろ野球の方が興味深いかな。それと…えーと、すいません、ソウルって他に何があるの?(苦笑)

1月22日2008/01/23 04:23

 諸般の事情により、明日は休み。代わりに土曜に仕事(苦笑)。つーわけで、本日更新しておこうかと。
 
 本日のネタは、「スイスの有力騎手、香港回避」って話題を。と言っても、競馬の話じゃない。オリンピック馬術の話。でもまあ、馬の話だから基本はこの色だね。
 
 今年は北京オリンピックが開催される。大抵の競技は北京周辺でやるんだろうけど、馬術は香港が会場。沙田競馬場の隣だ。先日調教コースを下見に行っている。私が下見したからって何がどうなるワケじゃないけど。
 
 何で香港なのか?そりゃまあ、似たようなモノ扱ってる土地だからじゃないかと。香港競馬は有名だからねえ。競走馬と馬術用乗用馬は色々違うけど、「鍛え上げられた繊細な芸術品」ってトコロに代わりがあるワケではない。下手に扱ったら大騒ぎだからねえ。それに、観客動員の問題もある。香港の競馬ファンは「馬券優先主義者」の割合が高いと思う(だからアツい)けど、何だかんだ言って「いい馬を眺めて楽しむ」文化は定着してるのでは。その方が観客動員数は増えるでしょ。
 
 しかしだ。香港には1つ弱点がある。暑さだ。なにしろ沖縄より南にある土地、夏は相当暑い…はず。夏に行ったことないので、良く知らないけど。馬は元々「暑がり」なので、これはかなりキツいはず。実際、香港競馬は夏休み期間中だ。
 
 スイスの騎手が出走回避…じゃない、出場辞退した理由がこれだ。「あんな暑い土地で馬術競技やったら、馬の健康を害する」そうな。香港側は「日中に競技やらないし、厩舎・室内練習場の空調も整ってる。大丈夫なはずだ」と反論しているようだけど。下手にボイコット広がったら大変だからね。欧州は競技馬術の本場だし。
 
 これに対する私の意見は…馬のことを考えた場合、確かに夏の香港は「恵まれた土地」ではない。それはわかる。おまけに輸送時間は長い。さらに、「水が気に入らない」「飼い葉が不味い」などという不満を示す可能性がある。馬ってのは繊細で贅沢だからねえ(苦笑)。これを言われたら、確かに反論しようがない。馬術は何だかんだ言って「馬が頼り」だからねえ。
 
 けど、「それを言ったらおしめえよぉ!」って気がするのも確か。こなす馬はチャンとこなすからねえ。確かに香港は暑い。夏の香港は相当なモノだと見当が付く。でも、夏の小倉でも競馬やっているんですよ?私は小倉に行ったことはないけど、夏の新潟がどんだけ暑いのかは知っている。ついでに言えば夏の福島もかなり暑いんですが。にもかかわらず、ド真っ昼間に競馬やっていて、走る馬はそれでも走る。しかもだ。競技時間は一応早朝か夕刻。大井のナイターと同程度には「過ごしやすい」のでは?なのに、「暑いからヤダ」って言われてもねえ。
 
 私が直接知ってる「一番気温が高い時間帯に暑かった土地」で考えた場合、最悪はおそらくドバイ。3月末だったけど、もう殺人的。真夏の新潟競馬場よりヒドかった印象がある。まあ、新潟と違って競馬やるのは夕方からだけど。あそこで昼間競馬やったら、馬も外国人観客も死んじゃうね。暑さに比較的強く、真夏でも上着を手放さない私が「暑くて死にかけた」んだから相当なモノ。そんな土地でも競走馬は走っているのだ。
 
 それにだ。欧州ってそんなに涼しいか?いやまあ涼しいとは思う。9月上旬のスイス・チューリッヒは涼しかったからなあ。日本じゃまだまだ暑いってのに。けど、伝え聞く範囲ではイタリアだのスペインだのは相当暑いそうですが。そりゃまあ「暑さの質が違う」って言われればそれまでだ。けど、それを言い出したら最後は「地元から一歩も出られない」ってことになる。
 
 海外で馬を走らせるってのは、本当に大変なことだ。それは私もある程度知っている。JCを長年観てきて、加えて日本馬の海外遠征に何度も同行したのだ。長時間の輸送、気候に代表される環境の変化、加えて競馬の場合は「馬場の違い」もある。力を出し切れずに敗れ去った馬なんて、それこそ腐るほどいるのだ。とにかく、「マトモに走ってくれるかどうか」ってトコロからしてすでに「戦い」ってのが遠征だ。
 
 私は海外競馬観戦を趣味としているだけに、「遠征馬」には頑張ってもらいたい。それは「遠征に行く日本馬」だけじゃなく、「日本に来る外国馬」にも。力出し切れないヘロヘロの馬に勝って何が嬉しい?強い相手が万全の時に勝ってこそ嬉しいんじゃないか。そりゃあ私も「あんな化け物に勝たなくちゃいけないのか…」と、目の前が真っ暗になることがある。それぐらいキングジョージのモンジューは強かった。でも、だからこそ日本馬の応援に行きたくなるんだよ。そんでもって、「使っちゃイケナイ金」突っ込むんだよ(笑)。「惚れた馬を信じる」ってのは、そーゆーことでしょ?
 
 夏の香港で乗馬競技をする…それは大変だと思う。馬の健康を気遣う気持ちもわかる。ただ…「だからオリンピック辞退する」ってのは、それは「自分の馬が信用できない」って言ってるのと同じじゃないか?私に言わせると、それはこの騎手が「弱い」からだと思う。自分を含む(競馬のジョッキーより馬の世話に関する責任は重い)「調教スタッフ」に自信がない、馬の「環境を乗り越える」力を信用できない…私に言わせれば、その時点で「アンタは弱い」だ。世界ランキング4位らしいけど、だからどーした。
 
 世界ランク4位に向かって「アンタは弱い」たあ、私もスゲーことぬかすなあ…と思う。けど、これは仕方ない。私が言う「強さの基準」とは、「大事な勝負の時、きちんと力を発揮できる状態で参加し、本気で勝ちに行くこと」だからだ。勝敗?そんなものは時の運。「参加することに意義がある」ってのは、そーゆーことじゃないのか。馬に乗る技術がいかに優れていようとも、心が弱い奴は弱い。誰が何と言おうと、私の中でこの基準が揺らぐことはない。
 
 とまあ、偉そうなことを書いてきたわけだけど…さすがに言い過ぎかなあ。本来私は「馬を気遣って遠征しないって選択もアリ」って考えの持ち主だからなあ。ただまあ、私の好みは「それでもあえて遠征」って考えだからね。それにだ。こーゆー理由で「出走回避」しやがるジョッキーの馬券買えますか?私は買えないね。それこそ、「そいつを外して馬券を買ってしまったがために、涙流してカップ麺すする」って思いしてでも。ま、これで馬術競技の予想が少し楽に…って、馬券は売ってないんだっけ?(笑)