12月16日2005/12/17 01:38

 仰木元監督死去…直前まで監督やって、しかもシーズン全うしてから倒れるとは、ある意味本望だったのでは。心残りがあるとするならば、シーズン終盤に体がきかなくて、思うように采配を振るえなかったことではないかと。でも、少し格好良すぎやしませんか?長い長い隠居生活を送って欲しかったですよ…
 
 まあ、こーゆー話題はこのサイト向きじゃない。とはいえ、フザけたネタを採り上げる気分じゃないのも事実。つーわけで、ちまたで話題の構造計算書偽造問題について吼えておきましょう。私なりの視点で。
 
 この問題に関しては、「誰が支持したことなのか」が熱心に追求されている。やれ建築士がやっただの、建設会社が強要しただの、コンサルタント会社が「節約しても大丈夫」と入れ知恵しただの…しかし、私に言わせるとそれはどーでもいい。
 
 確かに、被害にあった人々にとっては重要なことだと思う。「誰が弁償してくれるのか」に関わる問題なんだし。その点を考えると、今やってることが茶番劇だとは思わない。でも、その影で「真の問題点」が誤魔化されてるような気がする。
 
 私の考える「真の問題点」は、構造計算書を検査した会社である。イーホームズとか言ったなあ。よーく考えて欲しい。ここがしっかりしていれば、そもそもこんな問題は発生しなかったはずなのだ。
 
 悪意の有無を問題にするならば、多分ここが一番悪意が少ない。「もっと鉄筋増やせ」って支持したからって、この会社の懐は全く痛まないから。それでも、私はここが「一番悪い」と思う。私は「無能・無責任」ってのが大嫌いだから。
 
 一番許し難いのは、「性善説に従って検査していた」とヌカしやがったことかな。なんか聞こえのいい台詞ではある。「他人を信じる」ってのは確かに美徳だから。でも、騙されちゃイケナイ。性善説に従うのなら、そもそも検査なんて不要ではないか!書類の体裁と計算式の結果チェックだけなら、そこらの派遣社員でもできることでしょ。だったら、アンタラの存在意義って何?これぞ無能・無責任の極みだ。
 
 検査機関の存在意義は何か。ダメな書類をハネることである。それが単純なミスで生じたモノか、悪意あるモノなのかは問わない。それができるって言うから検査を行い、そのための費用を(どこからかは知らないけど)貰っている。なのに、山のような数のダメ書類を通しやがった。この時点でココは「検査機関失格」だ。強制的に解散させられても、文句言えた筋合いじゃないと思うね。
 
 こんな無能・無責任な検査機関が存在していたのは何故だ?「民営だからダメ」ってのは短絡的かもしれない。官だってダメな奴はダメなんだし。ましてや、小泉改革と直接は無関係でしょ。小泉改革は「民に出来ることは民に」とは言ってるけど、民に出来ないことまで民にとは言ってないんだから。ただ、民に出来ないことまで民営化しちまった可能性はあるね。それを検証する必要があるとは思うけど、今の政府・国会やマスコミにそれを期待するのは酷かも。なにせ民営化のメリットしか口にしない集団だから。
 
 民営化にはメリットもあるけど、当然デメリットもある。「何もかも良くなる」ってのは、大抵の場合都合のいい幻想だ。こんなクズ検査機関が登場したのが「民営だから」って理屈が正しいと仮定した場合でも、見直すかどうかは何とも言えない。元に戻すこともまたメリットとデメリットを伴うから。ただ、正直言ってみーんなメリットだけ見て、デメリットの検討ろくすっぽやってないような。これじゃあ何度見直ししたって無意味じゃないか?
 
 誰が騙したからこうなったのか?を追求するのは大切だ。でも、これは「被害者の方」だけにとって大切なことであって、我々第三者はまた別の立場で考える必要があるのでは。同情するのは大切だけど、それに肩入れしすぎて「冷静な視線」を忘れちゃいけないと思う。姉歯建築士は「アソコなら通ると思った」などと証言している。これがどんな意味を持つのか、真剣に考えてもらいたい。ダメ書類を通した実績があるか、あるいは怪しいカネ貰ったかのどっちかなんだから。

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