9月2日 ― 2007/09/03 02:42
色んなところで評判の良かった「『世界征服』は可能か?」(岡田斗司夫著、ちくまプリマー新書)を買って読みました。実は以前に立ち読み済みだったりするんだけど(苦笑)、激しくツッコむからには買わないと。作者の傾向?に敬意を表して、あえて色はコレです。
内容は、漫画やアニメ・特撮などに出てくる「世界征服」を分析しつつ、「世界征服に必要なモノは」「征服した後どうなるか」ってなものを論じている。馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいけど、内容はそれなりに真面目。世界征服なんて馬鹿馬鹿しい…と思っている人にこそ読んでもらいたいね。
世界征服なんて、労多くして実入りが少ない。こんなことはわかりやすいことだけど、どう「労多くして」、どう「実入り少ない」のかを真正面から考える奴は滅多にいない。せいぜい「労多くして」の部分(一番わかりやすい)だけ浅く考えて「無理だ」って結論を下し、その後は深く考えない…ってレベルじゃなかろーか。
実を言えば、この考えは危険でもある。「ある日気がついたら、世界は征服されていた」って事態を迎えかねないのだ。世界征服は大変だ。少なくとも簡単にできるモノじゃない。そこはいい。しかし、誰かがその条件をクリアしちゃったら?一般的に言って、征服されてから文句を言っても遅い。その前に征服を阻止する方が手っ取り早いはずだ。そう考えると、世界征服について考えるのは決して無駄ってワケでもない。ま、おそらく役に立たないことは認めるけど。
著者はヲタク世界じゃかなりの有名人であり、世界征服についての分析はかなりのものである。ま、しょせんベースが漫画・アニメ・特撮レベルではあるけど。ただ、現実に「世界征服」なんて言い出してる奴はほとんどいない以上、この辺から入るのは間違ってはいないと思う。特に「バビル二世」の敵役ヨミに関する分析は秀逸だと思うな。
ちなみにこのヨミ様、漫画の上では「敵役」であり「悪」であるけど、ホントの意味で悪なのかと言われるとビミョーである。彼が悪なら、織田信長やカエサル(シーザー)だって立派な悪になる。伝統的に「敵役」だけど、単純な「悪」ではないって意味では「三国志演義」の曹操と同じような…ううむ、さすが横山光輝。「横山三国志」が面白いのも道理だ(笑)。
閑話休題。この本は良くできているけど、一応「大事なヌケ」が存在する。ま、こういうテーマを論じる人間が少ない以上、どうしたってそういうものが出てくるのは仕方ないんだけど。私の目から見ると、世界征服の動機として「ヒマ潰し」を挙げてないのは気になるし、世界を征服した後やるべきことに「部下の粛正」が入ってないのは問題かなと。
世界征服が「ヒマ潰し」ってのはどうなのよ…と思うかも知れないけど、実は結構現実的な動機である。いわゆる「愉快犯」の一種だね。実際にはここまでスケールの大きいバカはいない…と言いたいところだけど、インターネットの根幹部分や国家機密に対してアタックをかけてるハッカーは、ある種「ヒマ潰しとしての世界征服(ただしネットだけ)」に乗り出してると言えるかも。
こういう連中は、ある意味では始末に負えない。世界征服ってのは「征服した後にどんな世界を打ち立てるのか」が重要だったりするけれど、そんなビジョンはあまり考えてない。ただ単に世界を混乱させ、うろたえる様を観てればそれでOKだから。厳密な意味では世界征服をたくらんでるとは言い難い(征服後のビジョンなき征服行動は賛同者が得られにくいので、どうしてもスケールが小さくなる)けど、迷惑度は似たり寄ったり。
先に書いたように、こういう連中は「社会がうろたえている様を観ていればOK」って存在に過ぎないので、ある意味世界征服をたくらむ輩と同列には出来ないでしょ。もっと志の低い、一般犯罪者の拡大版としてとらえるべきかも。ただ、世界征服を語ろうと思ったら、やはり触れておいた方がいいと思う。何故か?色々志を持った組織でも、つい「世間を混乱させるだけで、実は自分達の得るモノが少ない」作戦を実行しちゃうことがあるから。オウムの地下鉄サリンテロだって、「あれで上手く逃げおおせたとして、教団にどんな利益があったのか」を考えると、典型的な「ハイリスク・ローリターン」な作戦だ。こういう作戦を好んでやる(というか、それしかやらない)存在を語ることによって、「志があるのなら、こういう作戦は駄目だ」ってコトをより強調できたんでないかな。
もう1つ書いてないのが、世界征服後の「部下の粛正」。これは是非キチンと書いて欲しかった。征服者にそのつもりが無くても、大抵結果的にやらざるを得ないことだし。「世界征服が成功した暁の暗黒面」筆頭だけど、だからこそ触れる価値があったと思うので。
手段・目的を問わず、とにかく世界を征服したとしよう。素晴らしい。今まで苦労をかけた部下にも報いてあげたい…と考える「人情型征服者」であっても、粛正と無縁ってコトは考えにくい。何故か?「征服するとき」に有能な奴ってのは、「征服した後」では無能で邪魔…どころか、「有害で排除する必要がある」奴ってことが多いのだ。
言うまでもなく、世界征服ってのは大変だ。色んな意味で「戦い続ける」必要があるし、古い秩序を破壊する必要がある。そのために必要な奴ってのは、結局「戦うのが上手い奴」「破壊が得意な奴」である。これはいい。しかし、新秩序を打ち立てて世界を征服した後では、こんな連中は不要である。もう戦う必要なんて無いし、破壊されるのは「征服者の秩序」なんだから。はっきり言って邪魔なだけである。
邪魔なだけならまだいい。こういう連中は征服過程では厚遇される。必要だから。しかし、征服が完了するとその才能を発揮する場がないので、結果として待遇が悪くなる。そこで「今は世界征服できたんだから」と大人しく冷遇に甘んじてくれる奴はそういない。不満をため込み、征服した後で必要な才能を持ってる奴を妬み、あげく反乱起こしたり敵に回ったり…とロクなことしない。しかも、そのくせ「自分がやってることは、征服者のためなんだ」などと本気で思っていたりするから始末に負えない。
結果として、征服者にそのつもりが無くても、一部の部下は始末されることになる。反乱起こされてから退治するのか、反乱される前に粛正するのかは別としてもだ。これに失敗した好例が豊臣政権だろう。福島正則・加藤清正といった「天下を統一する時には役だった連中」を始末する前に秀吉が死んでしまったので、石田三成のような「平和なときには役に立つ連中」と揉めたあげく徳川家康と仲良くなり、豊臣家を滅ぼすことに手を貸す有様。しかも、そこまでやった結果が「家康に邪魔者だと目を付けられ、お家取り潰し」である。「狡兎死シテ走狗煮ラル」ってのは、支配者にしてみれば必要不可欠なのだ。
ただ…この手の粛正は、実に難しいことである。やり過ぎると部下の離反を招いたり、「とにかく何でもかんでも粛正される」社会になったりする。かといって手を抜けば反乱の嵐。「天下統一したのは良いけれど、ちっとも世の中安定しない」なんて悲劇は、世界中の歴史に転がっている。漫画やアニメでは描く必要が薄い分野(そもそも悪の組織が世界征服に成功なんてしない)だけど、それだけにキッチリ説明して欲しかったかな。
なお、識者から見れば「ローマ帝国とアメリカ合衆国に対する歴史認識」とか「南北戦争の経緯」とか「階級社会のありよう」なんて部分にも山ほどツッコミが入ると思う。けど、これは「この本なりの結論を導くために、少し乱暴に題材を扱っている」って程度であり、新書では普遍的に見られるコトではないかな。よってココでは深く突っ込まない。
ちなみに、この本の結論部分では「古典的な悪の組織による世界征服なんてモノは、現代社会では現実味がない」という結論になっている。何故そうなのかは各自本書を読んで確認してもらいたい。しかし、少し見方を変え、なおかつジャンルを絞れば、今なお「正義に刃向かい、世界征服をたくらむ悪の組織」ってのは存在していると思う。その典型例が世界競馬界におけるゴドルフィングループだと思うんだけど、どうかな(笑)。
つーわけで、また後日「なぜゴドルフィンは悪なのか」をみっちり語ろうかと。なお、わかる人はわかっていると思うけど、私は大のゴドルフィン信者です。悪の手先ってワケだ。素晴らしい(笑)。他にも「私の考える世界征服論」なども語りたいので、このネタはしばらく引きずると思って欲しい。だからこそいちいち買って手元に置いておきたくなったんだよ。面白い本ってのは、単に「読んでみた、面白かった」だけじゃなく、自分なりに話をふくらませないともったいないと思うね。
9月4日 ― 2007/09/05 00:21
先週の土曜に私のPO馬である、ダイワアンリが勝った。正直さほど大きな期待はしていなかったんだけどね(苦笑)。その辺に思うところがあるので、今回はこの馬の父親であるマリエンバードって馬について語る。
私はこの馬の走りを2回もナマで見たことがある。日本で1回も走ってないのに。まあ、私程度の海外競馬観戦歴があれば、こーゆー馬がある程度出るのは当然なんだけどね。ただまあ、こんなことが「当然」なのはイジョーだってのは認めよう。
はっきり言おう。私はこの馬、「強い馬だ」と思ったことはない。いや悪い馬じゃなかったけど、「スゴいなあ、強いなあ」と感心したことはない。言っては何だけど、その程度の印象しかなかったのだ。
そもそも最初に出会ったとき、私はこの馬に「負けろ!」って念波送っている(笑)。場所は中東ドバイ。レースはシーマクラシック。香港のチャーミングシティが2着に粘ろうとしているところにこの馬が襲いかかってきたので、「そのままぁ!」と叫んだものよ。これが効いたかどうかは知らないけど、結果はわずかに届かず。あまり深く考えず、「うむうむ、良かった良かった」などとうなずいていたものよ。
そんな私がバーデン大賞に遠征したところ、そこにいたのがマリエンバード。何故バーデン大賞?いや、原居民様が遠征するかもしれないって話があったので…外国所属の馬が、行く「かもしれない」ってだけでドイツまで遠征したのかって?したんだよ。それが私なんだから。
原居民様は結局遠征中止。フツーに考えれば「知ってる馬ゼロ」のはずだったんだけど、何故か知ってる馬がチャンといた。いやまあ、ドバイだのアスコットだの行けば、その後しばらく「世界の大レースに知ってる馬が走ってる」って状態になるんだけどさあ。競馬の世界じゃメインストリートとは言い難いドイツでコレってのは…我ながら呆れたのは事実だ。
この時は「ドバイでの走りからして、この馬が勝つ」とマリエンバードから馬券購入し、見事勝利。この時も「うんうん、良かった良かった」で片付けた。今にして思えば、私は自分が観てきたモノが何なのか、壮絶な誤解をしていたようだ。
だからこそである。その年の凱旋門賞でマリエンバードが勝ったとき、思わず「ホントかよ」などとつぶやいてしまいました。福島とバーデンバーデンが姉妹都市で、福島競馬場で「バーデンバーデンC」ってレースがある関係上、レース観に行く前に冗談で「欧州のの七夕賞を観に行く」などと言っていたのは事実だけど、どうも私は本気でそう思っていたらしい(笑)。
冷静に考えれば、七夕賞よりもバーデン大賞の方が「後のデカいレースに直結しやすい」のは当然である。七夕賞は時期が半端なのでGⅠの叩き台にはしにくいけど、バーデン大賞は凱旋門賞への叩き台にピッタリだからねえ。何?そもそも格が違う?いやあ、七夕賞は東北在住の方々にとってはGⅠですよ(笑)。
私は時々「馬を見る目」があるようなことをここに書き散らしているけど、しょせん実態はこんなものである。マリエンバードがあそこまで強いとは、全く見抜けませんでした。息子のダイワアンリも「まあ、取っておいて悪くはなさそうだ」程度の期待しかしてない。どうも私はこの一族と「そーゆー星回り」のようだ。ま、カッコ良く言えばこれが「血統のロマン」って奴だね。
しかしだなあ…マリエンバードで「血統のロマン」語るかフツー。この馬を見たことある日本人は山ほどいるはず(ドバイや凱旋門賞には日本人が山ほどいるので)だから、別にオカシイことじゃないような気もするんだけど…ま、それが私ってことなんでしょ。単に「レース観てきました、楽しかった」で終わらず、何だか知らないけど後に引きずる。そんでもって、また海外へ出かけてしまう。海外競馬にハマるってのは、こーゆーことなんですね。今更ながら自分のビョーキっぷりが…
ちなみに、マリエンバードと遭遇した「ドバイ旅行」と「チューリッヒ&バーデンバーデン旅行」は、両方とも「すさまじい」旅だった。両方とも一人旅だったので、何に遠慮することなくブッとばしたからなあ。マリエンバードのことを思い出すと、その時の記憶がつられて蘇ってくるんだよね。うーん…我ながらアホだった(苦笑)。
そういう思い出深い馬の産駒なので、ダイワアンリには頑張ってもらいたいな。もちろん、できれば海外連れて行ってくれ。バーデンバーデンなんていいねえ。そこでガツンと儲かったら、パリにも付き合ってやろうじゃないの。ま、現実には日本のバーデン大賞ってことになりそうだけどね(笑)。
9月10日 ― 2007/09/11 03:13
色々あって予想以上に更新不能が続いた。ちょっと目が疲れる作業すると、更新作業するのも大変だからなあ。
色々書きたいことはあるんだけど、某氏からしつこく「自衛隊ネタは赤ではない」と指摘を受けたので、正真正銘の赤ネタで。お題は…お詫びってコトで「戦国時代のゲーム」としておこうか。
シミュレイションゲームは「戦争」を題材としている。コレに関する是非はさておき、日本人なら「太平洋戦争」とか「戦国時代」がメジャーテーマであり、コレを扱ったゲームなら…と考えがち。しかしだなあ。諸般の事情から、なかなか面白いゲームになりにくいネタだったりするんだよね。
太平洋戦争の方は話が単純。フネが主役のゲームってのは、独特の難しさがあるから。主な戦場が海に浮かぶ島周辺になるから、どうしたってフネが主役になるんだけど、フネがデカい顔してるゲームは色々と難しい面が…この辺については、私が細かく語っても仕方がないのでパス。なお、この「難しさ」を(少なくともある程度)解決したゲームがそれなりにあって、熱心なフリークがいるのも事実であると言っておこう。
戦国時代の方は、フネが主役ってワケじゃない(当たり前だ)。いくらでも面白いゲームが作れそうな気がする。けど…実際は色々と問題があるんだよなあ。実は色々と工夫されていて数は出ているんだけど、何かしら問題を抱えているモノが多い。
どの辺が難しいのか?1つ実例を出そう。長篠の合戦。織田・徳川連合軍が武田騎馬軍団を叩き伏せた合戦。シロートでも知っていそうな、メジャーな戦いだ。けど、かなり露骨にゲームには向いていない。何でそうなるのか。「一般的な」理屈を簡潔に言えばこうなる。「突っ込めば鉄砲隊に痛い目に遭わされるのがわかっていて、何で武田軍は突っ込まなきゃイケナイのか」。
長篠の戦いの場合、はっきり言って「結論」は出ている。馬防柵の後ろで鉄砲持って待ちかまえている織田・徳川連合軍に「突っ込まなきゃイケナイ」って時点で、武田家の負けだ。勝てるようなら、そりゃあウソ臭い。せいぜい「雨が降ったから鉄砲の威力弱まりました」って状況にしてしまうくらいだけど、それは「長篠の合戦」じゃない。
もちろん、勝利条件などで武田方に「ダメモトでとにかく突っ込め」って命令することはできる。ただ…「それがいいんだ」などと考える奴は少数派だろう。まあ、「鉄砲恐れて何もしないと勝てない」ってのはいいとしよう。しかし、選択肢が「じっとしてて負けるか、突っ込んで負けるか」しかないってのは、何かが違う。
実のところ、戦国時代のゲームが「難しい」真の理由はココにある。武田側が「留まっていたら駄目、突っ込んでも駄目」って結論を出したとしよう。じゃあどうすればいいのか?その解答はない。「どちらかしか選べない」って意味での「ない」ってワケじゃない。「武田方に他の選択肢はなかったのか?」って発想がないのだ。だって、資料にそんなことドコにも書いてないから。ヒントすらロクにない。
何でそうなるのか?おそらくは日本人の国民性である。日本人は「強いから勝つ、弱いから負ける」って考えが強い。「何でコイツは強いのか」「どこが駄目だったのか」ってことを深く考えない傾向があると思うんだな。権威主義的な考えが強いからねえ。いや、それだけじゃない。権威主義的な奴なんてのは世界全体で一般的(特に昔は)だ。もっと影響が大きそうなのは、「勝因」だの「敗因」だのを追求してゆくと、「手柄と責任」って問題にブチあたるから、である。
日本人は勝ったときによく言う。「皆さんのおかげです」と。これはこれで美徳だ。しかし、この発言によって「何故うまくいったのか」って原因、つまり手柄のありかがわかりにくくなっているのも事実じゃないか?この辺を明確にしようっていう発想に乏しいのだ。なお日本人が「無責任だ」って言われるのは、結果が出る前に「勝てばオレの手柄、負ければオレの責任」ってのを明確にしようって発想がないからではないかと。
長篠の戦いの場合、「勝因は鉄砲隊」ってのが一般的な理解だろう。しかし、私に言わせると「その段階に留まっているようじゃ駄目」である。何故武田騎馬軍団は鉄砲に向かって突っ込んできたのか?もし突っ込んでこなかったら織田・徳川はどんな手を打ったのか?その時予想される戦果は「武田が鉄砲に突っ込んできた」時より大きいのか小さいのか?本当なら、そこまで明確にすべきだ。しかし、歴史書を残した当時の人間に、そんな発想はない。「西欧文明に毒された」はずの今の日本人にすらないものを、当時の日本人に求めても無駄でしょ。
EP/SSの「関ヶ原」が良いゲームだと言われているのは、実はこの辺がうまく盛り込めているからではないかと。裏切ったのは何故?調略がうまくいかなかったからである。野戦で負けたのは何故?連携が取れなかったからである。そこを読み取り、「じゃあどうすれば良かったのか」って答えを出すのは簡単ではないけど、「工夫する余地」がそこにあるのは間違いない。そーゆーゲームでないかな。
関ヶ原の戦いだと、どうしてうまく盛り込めるのか?実は、この戦いは「責任のありかが明確」だからではないかと。それぞれ事情は異なるけど、東軍は徳川家康が、西軍は石田三成が「勝てばオレの手柄、負けたらオレの責任」ってのを明確にしているからね。
家康の場合、「勝てばオレの手柄」って部分にウエイトがある。自分の天下にしようって意図があったからねえ。三成の場合は逆に「負ければオレの責任」って部分にウエイトがある。周囲にやる気がないので、自分が積極的に周囲を引っ張る必要があるので。その割には「小早川の裏切りで勝負が決まった」ワケだけど、これは「あんな奴を信用したオレが悪い、あそこまでバカとは思わなかった」と割り切れる三成はともかく、家康にしてみれば「勝つには勝ったけど、オイシイところ持ってかれた…」って思いが強いのでは。もっとも、「裏切らせたのはオレのおかげ」と言えるので、豊臣恩顧の福島やら黒田やらが三成の首獲って「家康?何もしてないじゃん」って展開よりはマシだったと思うけど。
ただし…EP/SS「関ヶ原」は良く出来ているけど、「盛り込みすぎで重たい」のも事実。結果として「関ヶ原専用の」システムになってしまっている。調略をバッサリ切って他の戦いに応用したら…って意見が出ても不思議はないと思うんだけど、とりあえずそんな主張は聞いたことがない。言ったことはあるけど(笑)。これは「調略を抜いたら、ゲームとしてつまらない」からではないと思うな。
関ヶ原の戦いの場合、西軍だけでなく東軍も「雑多な寄せ集め」であり、各自自分勝手なことを考えながら「とりあえず敵が同じだから」一緒に戦っているだけ…だったりする。それゆえ、「あいつはやる気がある、あいつはやる気ゼロ」ってことを明確にしやすい。しかし、他の戦いではこの図式が通用しない。いや本当はそーゆーことは山ほどあるんだろうけど、後世の我々から見て「こうだったんだろうなあ」ってイメージが湧くような資料がない。みんな身内なので、「皆さんよく頑張りました、皆さんのおかげです」ってことになってしまうんだな。それだと関ヶ原システムは応用しにくいような。
ただ…「本当に応用できないのか」って考えてゆくと、そんなことはなさそうな気もする。豊臣秀吉が織田信長の後継者にのし上がった戦い、すなわち山崎(対明智)、賤ヶ岳(対柴田)、小牧長久手(対徳川)あたりは、あのシステムの応用でゲームが作れるんじゃないかぁ?関ヶ原ほど面白くならなくても、「調略がない分簡単で取っつきやすく、関ヶ原への入門ゲームになりうる」ものに仕上がれば、それはそれで価値が高いと思うんだけど…
とはいえ、こーゆーアイデアを出すのと、実際にゲームにするのとは全く別問題。少なくとも私にそんな才能はなさそうだ。「とにかく何でも盛り込んである」ゲームなので、形にするのがすごーく大変そうなんだよな。そう考えると、「別のシステムを使った方が」と考える方が正しいような。うーむ、そんなんじゃイケナイような気もするんだけどなあ。ま、とりあえず本来私に偉そうなことを言う資格がないのは間違いない。
聞いたトコロによると、つい最近「日本史ゲームを見直そう」って秘密結社?が結成されたらしい。私は構成員ではないので「どういう活動を行ってゆくつもりなのか」は良く知らないけど。ただ、このテーマのゲームが見直されれば、ゲーム業界に大きなプラスになりそうだってのはわかる。そんなわけで「援護射撃」の意味を込めて語ってみました。た・だ・し、私は別にこの結社の一員になった覚えはありませんよ?私より先に勧誘すべき人が山ほどいるんじゃないかなあ。あえて名前は出さないけど(笑)。
9月11日 ― 2007/09/12 00:39
本日のお題は、あえて「コミックヨシモト廃刊」を語ろうかと。あちこちで語られていることではあるんだろうけど、まあ私なりの視点で語る意味はあるかなと思って。
正直言おう。私はこの雑誌、コンセプトを聞いた段階で駄目だと思っていた。その昔の事例(日刊アスカを覚えている人はいるかな?)からして、そろそろ…と思っていたら、案の定。見た感じ売れてなさそうだったし、パラ読みした感想も「やっぱり…」だったので、まあこんなものでしょ。
ドコが駄目だったのか?この雑誌のコンセプトは、「吉本のお笑い芸人が原作のマンガを掲載した雑誌」である。つまり、芸能人が原作を担当したマンガが中心ってことになる。古くからマンガを読み続けている私に言わせると、これだけ聞けば「かなりの確率で駄目」である。こーゆー人間が原作担当したマンガってのは、大抵面白くないからねえ。
どうして面白くないのか?当たり前だけど、「お笑い芸人」ってのはマンガ原作のプロではない。他分野の経歴その他が何であれ、マンガ原作に関してはシロートである。しょせんシロートが作ったモノである以上、正直言って期待できないのは当然だ。
シロートでもいい作品を作れるかもしれないじゃないかって?そりゃあ確かに。自慢じゃないけど、私はそーゆー作品読むのは嫌いじゃない。マンガ雑誌の増刊・別冊(投稿作品とか新人の習作が多い)を好み、さらに同人誌即売会にまで出入りしている(グッズ漁り中心だけど)私だ。そんなことはわかっている。ただ、それだけに「シロウトに毛が生えたレベル」ゆえの限界ってものは良く知っているんだよ。
仮に「素人が原作担当したマンガの雑誌」ってものを創刊したとしよう。これならそこそこ面白いモノを作れるかも知れない。「使えない」原作はボツにして、使えそうなモノだけ作品にすればいいんだから。けど、原作者のネームバリューがどうこう…って時にはこの手が使えない。「そこそこ名前の通った吉本のお笑い芸人」ってのがどれくらいいるのか知らないけど、漫画家予備軍(自動的に漫画原作作家予備軍になりうる)全てに比べれば数は少ない。そこから面白いモノを抜き出せと言われてもねえ。
でも、お笑い芸人ってのは面白いんだから、面白いモノを書けるんじゃ…と思ったら大間違い。確かに一般人とは色々違うモノを持ってはいる。それゆえに、面白いモノを書ける可能性は、ごく普通の人より少し高いと言ってもいい。けど、しょせん「少し」である。母集団の数が少ない以上、「焼け石に水」ってレベルだろうね。
さらに言うなら、お笑いとマンガでは「空気の作り方」が違う。お笑いってのは、客の「この芸人は笑わせてくれそうだ」って期待がないと相当厳しい。そういう空気の作り方も芸のうちだ。けど、マンガ原作ではこれは通用しない。マンガも「笑わせてくれそうだ」って読者の期待が必要ではあるけど、それは絵で表現しなくてはいけない。作画は別の人が担当する以上、「笑わせる空気作り」って能力は全く通用しないのだ。
そもそも、お笑いとマンガは面白さの質が違う。お笑いってのは「ギャグ」であり、マンガの主流は「コメディ」(異論はあるだろうけど)だ。ギャグとコメディの違いってのは…語ると止まらないのでパス。もちろんギャグマンガってのはあるけれど、実はかなりの希少種でしょ。絶滅危惧種扱いしてもいいかも。「良質のギャグストーリーマンガ」なんて、なかなか見ないからなあ。私は「やっぱり『ろまんが』(「うまんが」後継。わかる奴にはこれだけでわかる。作者新井理恵)サイコー!」ってだけで雑誌を1つ買ってるくらいだ。
とまあ、私に言わせると「厳しいのはわかりきってる」雑誌だったコミックヨシモト。ここで終わるのがフツーだろう。しかし、私はそれじゃ面白くない。私が興味を持ったのはむしろ別の点である。すなわち、「何でこんな企画がまかり通ったのか」だ。
私は別にヲタク道評論家ではない。有識者(苦笑)の某氏には毎回厳しいツッコミを受けている有様だ。そんな私に「駄目だろう」と言われてしまうようなモノに、よく天下の吉本がカネ出す気になったなあ…ってのが、正直な意見である。何で誰も何も言わなかったんだ?
これは私の想像…というか妄想だけど、その原因は「島田洋七」ではないかと。「がばいばあちゃん」である。これがウケたことが、吉本興業に「コミックヨシモト」創刊に踏み切らせた理由ではないかなあ。
私は細かいこと知らないけれど、「がばい~」はそれなりにウケた。ゼニになった。このゼニが吉本興業と何らかのトラブルを引き起こしたらしい…ってのは結構有名である。芸能界には疎い私が知ってるくらいだし。これで吉本興業は考えたんだと思う。「他にもこんな奴がいるかも知れない」と。そこを逃さずに自分達もオイシク金儲け…ってもくろみがあったのでは。
いや、むしろ吉本興行にあったのは「恐怖」かもしれない。自分達が育てた芸人が、その知名度を活かして出版の世界で活躍したらどうしよう、それは困る…って感情だ。色んな意味でコントロールが効かなくなったら困るどころの話じゃないし、示しがつかなくなるからタガも緩む。だったらせめて自分の所で出版してもらい、カネの動きを自分達で押さえようと思ったんじゃないかと。この理屈に従うと、コミックヨシモトが駄目だったってことは、「第二の島田洋七はいなかった。少なくとも当分出てこない」ってことを確認できたわけで、吉本興業としては悪くない取引だったと言えそうな気がする。
そう考えないと、いくら何でもコンビニで普遍的に見かけた隔週マンガ雑誌が「たった7号で廃刊」って理由がわからない。吉本興業の売り上げから考えれば微々たるモノかもしれないけど、これだけの雑誌を創刊するのにかかったカネは相当なモノだろうからねえ。廃刊にしたって、コンビニ側からはイヤミの1つも言われたんじゃないかなあ。いくら競合誌(あくまで発売日がだけど)が「漫画アクション」しかない第1・3火曜日とはいえ。だからって吉本興業の屋台骨が歪むとは思えないけど、つきあわされたワニブックスはじめ、社会全体に生じた損失は決して小さくないような…
こうなると哀れなのは、漫画家や編集である。あの吉本興業が…っていう期待はあったはずなのに、これじゃあねえ。おそらく単行本も出せないだろうし。面白いモノを作れなかった直接的な責任者ではあるんだろうけど、「このコンセプトで他にどうしろと!」って思いはあるんじゃないかな。私はヲタクであり、お笑いはあまり好きではない。それだけに、今回の騒動のおかげで吉本興業を見る目が冷たくなった気がするね。7号で止めるんなら、隔週のマンガ雑誌なんて作るなよ。その程度の思い入れしかないような奴が本作ったって、どうにかなる世界だとでも思ったか?
9月13日 ― 2007/09/14 01:45
安倍首相電撃退陣の陰に隠れた形になったけど、本日は新司法試験の合格発表。当然のことながら私は特別に関心がある(仕事だ)ので、本日はこのネタで。なお、参考にするのは法務省発表の数字のみ。他の数字もある程度知っていたりするけど、そんな極秘事項を書けるわけない。悪しからず。
その前に、少しだけ制度をおさらいしておこう。新司法試験ってのは、法科大学院を卒業した人間だけが受験できる。法科大学院には既修コースと未修コースってのがあり、既修コースは法学部卒業した連中、未修コースは他の学部を卒業した連中が勉強する…ってことになっている。未修コースは卒業までに3年かかり、今年初めて試験を受けた。それだけに、去年より今年の方が「法科大学院の実力を知るためには」重要なんだよね。
合格者数1位は東京大学。去年は受験者の数が少なかったのでトップを譲ったけど、さすがは東大…と言いたいところだけどなあ。ここは日本一規模がデカい。受験者の総数が一番だもの、合格者数1番はある意味当然でしょ。合格率は悪くないけど、逆に言えばその程度でしかない。OB連中はカリカリしてるんじゃないかなあ。
2位は慶応。ここは先日「試験問題漏洩疑惑」を引き起こした。新司法試験の問題作成ってのは、法科大学院の先生方も加わって作られる。そうやって「教えてること」と「試験に出ること」に大きな差が生じないようにしているのだ。これ自体は旧司法試験時代からやってることだけど…その気になれば、「これがズバリ出ます」って教えられるのも事実。実際には「李下に冠を正しちゃった」(限りなく怪しいけど、一応セーフ)だけって判定が下ったようではあるけどね。ちなみに、合格率は悪くない。
3位は、去年1位の中央。東大に次いで図体がデカい上、短答式の合格者数では2位だったクセに最終合格者数は3位に落っこちた。去年1位とはいえ合格率はさほどでもなかったコトを考えれば、こんなものかもね。
4位は京大。ここは実は「カリキュラムに弱点があるのでは?」って噂があったらしいんだけど、まあ悪くない結果と言えるでしょ。ただ…天下の京大がこの合格率?って言われても仕方ないかも。
5位は早稲田。でもこの合格率はヤバいでしょ。トップグループから脱落するってほどじゃないけど、少し差が付いちゃったからなあ。「大半を未修コースに叩き込む」って方針は失敗だったかもしれない。上位陣の中では一番深刻なんじゃないかなあ。
ここまでの分析なら、はっきり言って誰でも出来る。おそらく一般紙ではこのレベルの解説をしているんじゃないかなあ。それじゃあ面白くないよね。そこで、既修・未修別の合格者数に注目してみましょう。法科大学院ごとの「特色」が見えてくるはずなので。
実のところ、未修コースってのはかなーり無茶がある。人間としては優秀かもしれないけど、「法律の勉強はあまりやってません」って連中を、たった1年で「法律家になるべく、真面目に法学部で勉強してました」って連中と互角にまで教育するってのがタテマエだから。実際には法学部出身者も多数いると思われるけど…
ただ、そんな制度だけに、未修コースにどれだけ力を入れ、どれぐらいの合格率を叩き出しているのかは重要でしょ。この手の合格率って、結局は「どれだけ質の良い教育をしてきたか」だけじゃなく、「どれだけ優秀な生徒を囲い込むことに成功したのか」も重要だからね。いくら人間として優秀でも、受けてきた教育内容でハンデを背負っている未修コースの合格率は、法科大学院の教育内容がより重要になるんじゃないかと思うので。
その観点から上位5校の合格率を見てゆくと…何故か慶応の数字が飛び抜けて良い。他は既修の方が高いか五分五分なのに、ここだけ未修の方が高いのだ。これはちょっと不思議。生徒数考えれば、早稲田のように「ウチは未修コースに力入れました」って方針とは思えないのになあ。「実は法学部出身でーす」って生徒が多いのかもしれないけど、教育期間が長いってコトはそれだけ学費もかかる。それを考えれば、未修コースに良い生徒を集めるって言っても限界がある筈なんだけどなあ。とりあえずここでは「不思議だなあ」と言うに留めておきましょう。
逆にヒドいのは中央。上位陣では飛び抜けて低い(苦笑)。だからってココの教育方針が間違ってるとまでは言わないけど、何かしら見直した方がいいんじゃない?目立ちにくいのは確かだけど、「見る奴はキッチリ見てくる」だろうから、放置しておくと法科大学院全体はおろか法学部にまで「名前で元々デキの良い奴集めてるだけ」ってレッテル貼られかねないぞ。
数字上は並だけど、それじゃマズいだろってのが早稲田。ここは「未修コースに力入れました」って方針だからねえ。やや目立ちにくいところに弱点がある中央と違い、露骨に目立つからなあ。今更方針変更はできないだろうから、とにかく頑張るしかないでしょ。ここでは「あーあ、やっちゃった」ではなく、「高い理想を掲げたんだから、なかなか結果が出ないのも仕方ない」ってことにしておいてあげよう(苦笑)。
今回の数字及び去年の数字を色々と見てゆくと、「日本一の法科大学院」はこれら5校ではなさそうだ。生徒数が少な目なので目立たないかも知れないけど、一橋の合格率が相当高い。はっきりと「ズバ抜けている」って言ってもいいくらい。まあ学閥ってのはどの世界にもあり、そこでは「数は力なり」って論理が働く。その他諸々考えると、だからって即「一橋が法曹界の覇者になる」わけではないんだろうけど…ただまあ、受験生はこういう数字に敏感だろうからなあ。今後の展開が楽しみだ。
大学なんてモノは、結局ブランド価値がモノを言う。有名校は「有名だから」良い生徒を集めやすく、そのため良い結果が出やすい。それがまたそこの価値を高めてゆくわけだ。それだけに簡単に「序列変動」は起きないはずだけど、何かしら制度が変わって「横一線でヨーイドン」となった場合、序列の大変動が生じる可能性が(わずかではあるんだろうけど)出てくる。法科大学院創設と新司法試験ってのは、その好例ではないかな。下手をすると大学全体の地位に影響が及びかねない(法学部ってのはどの大学でも「目玉」だからねえ)だけに、少し長い目で追跡調査してみるのも楽しいのではないかと。
もっともだねえ。大学なんて実は「生臭い話のカタマリ」だろうから、そのうちどこぞのマスコミがこのネタであることないこと書きまくるんじゃないかと。今回のネタは、その記事をより楽しむための予備知識として活用していただければ幸いです(笑)。
9月19日 ― 2007/09/20 01:32
連休中はまるで生産性のない生活を。その昔「ネット・携帯電話無しに1日過ごせるか?」って話があったけど、私にとっては楽勝である。ここの更新さえ考えなければ(笑)。
なんか景気良い話題がなかったので黙っていたけど、本日は野球の話題に行こう。古田監督辞任が決まったからねえ。うーむ、あの成績では仕方ないかなあ。
まあ、成績が成績なので弁護の余地は少ない。今期は久々に最下位フィニッシュまであるからなあ。ただ…あれでどうしろと(苦笑)。野手はまだ良い。岩村のバカが抜けた穴は巨大だけど、それで無茶苦茶困っているワケでもない。問題は投手でしょ…特に、若手投手の伸び悩みが痛い。高井だの坂元だのには言いたいことが山ほどあるんだけど、とりあえずそれは割愛。
こうなると、問題は次期監督。誰がやっても…今期よりはマシじゃないかぁ?河端が下で投げ始めたし、五十嵐もそのうち帰ってきそうだから。先発投手が苦しいまんまって話はあるけど、これはもう慢性的だからなあ。その意味では古田続投でも悪くはなかったんだけど、色んな意味で本人のためにならない気がする(外で勉強すべき)ので…
とはいえ、不安要素が投手であることは間違いない。よって、投手陣立て直しを主眼に置いた監督人事が望ましい。よって、投手出身の監督がよろしいのではないかと。一応理屈は合っているよな。てなわけで、私のイチオシは荒木大輔現ライオンズ投手コーチである。素晴らしい。
…正直に言おう。この答えは、結論が先にあります。思いっきり。だってえ、やっぱりスワローズのユニフォーム着た「大ちゃん」見たいんだもの!順位なんてどーでもいい。そもそも荒木が現役だった頃のスワローズは「スゴい」チームだったんだから。ライオンズから松阪がいなくなったことだし、そろそろ返して欲しい。
とまあ妄想を語るのはこれぐらいにして…他?誰でもいい(おい)。どうもOBの誰かになりそうだって話なので、文字通り誰でもOK。私としては何の屈託もなく、順位をさほど気にせず応援できると思われるので。その辺、覚悟は出来てます。
一応有力なのは栗山かぁ?どこぞが「決まり!」ってアドバルーン書いてたからなあ。ただ…指導者経験が不足してるのは少し気がかりなところ。監督よりはヘッド格のコーチにした方がいいような。ただ、その待遇でユニフォーム着るかどうかは微妙だけどね。
若松復帰って説もあったなあ。ただ、私はこれは「少し可能性薄い」と見る。ヒルマンの後釜として北海道で監督やりそうだから。かなり前から「ヒルマンの次」って言われていたからなあ。稲葉がファイターズに加入したのは、将来若松が監督やるからだって噂があったくらいだ。
個人的には、荒木以外なら尾花に期待したい。投手出身だし、手腕は言うに及ばず。それに、やはり巨人のコーチやってる姿には違和感が…敵に回るのがどうこうと言うより、巨人のユニフォームが似合わない(苦笑)。私の中では、世界一似合わない男の1人だからなあ。ホークス時代でさえ「尾花、お前が投げろ!」とか思ったのに、今はちっともそう思えないんだよね。あのユニフォームに景気良く打たれてこその尾花だろ(笑)。
他には八重樫って声もある。私のイメージとしては「監督向きじゃない」ような気もするんだけど…ただまあ、キャッチャーも「何とかしなくちゃイケナイ」ポジションなだけに、八重樫にこってり絞ってもらうのはいいかも。コーチ人事次第では面白いんじゃないかなあ。
あと、忘れちゃイケナイのが小川現二軍監督(笑)。下は別に好成績ってワケでもない以上、可能性は低そうだけど。ただ…一部若手投手に「下ではいいクセに、上だとまるで駄目」って奴がいるので、そーゆー連中にカツを入れる意味で上の監督やらせてみるのは面白いかも。
監督替えるとなると、コーチ人事も色々変わりそうなわけで…その辺含めてどうなるのかは期待半分・不安半分ではある。ただまあ、先に書いたように「来期は今期よりはマシ」だと思うので、劇的な変化はいらないんじゃないかなあ。下手にいじって「こんなのスワローズの野球じゃない!」ってなるよりはいいので。
私はスワローズのファンだけど、正直言って順位はあまり気にしない。そりゃあ負けると次の日の朝飯がマズくなるのは事実だけど、だからってギャアギャア騒ぐほどではないのだ。弱かった時代からずっと応援してるので、「弱くて当たり前」だとすり込まれているからねえ。今期だって、最下位にいることより若手投手の伸び悩みの方が腹立たしい有様。だから、「このままじゃイケナイ」などと考えられるのはかえって迷惑だ。ちょびっと変わってちょびっと良くなりゃ、後はどうとでもなるんじゃないかと。3位までに滑り込めば、後はどーせ短期決戦苦手なチームが上にいるはずだし(笑)。
日本野球界は、色々問題を抱えている。「このままじゃイケナイ」って危機意識は、私も持っている。ただし、こんな時代だからこそ「変わらない、今まで通り」ってことも必要じゃないかねえ。スワローズは私の贔屓のチームだけに、本質的な部分は変わらないままでいて欲しいですよ。その結果多少弱くてもかまわないから。ただ…最下位だけは脱出して欲しいかなあ。その昔は5位フィニッシュでガッツポーズしてただけに(苦笑)。
9月20日 ― 2007/09/21 01:06
本日はネタのまとまりが悪く、更新は無理…のはずだったんだけど、ヘンなネタが飛び込んできたので、それを語っておこう。小ネタだけど。
某サイトをぼんやり眺めていたら、「吉田戦車結婚」の文字が。私は漫画家の私生活はさほど興味がない(ネタとしてはともかく)ので、「ふ~ん」の一言で流そうとした。しかしまあ、誰と?ってのは気になったので、詳細を見てみた。お相手は、同じ漫画家の伊藤理佐。な、なにぃ~!私の中では、コッチの方が驚きである。
いやね、私は別に伊藤理佐のファンってワケではない。吉田戦車とどっちが好きかと問われても困る。ギャグマンガ作家(路線はだいぶ違うけど)として両名とも「読んで」いるのは確かだけどね。ごくごく普通に考えれば、これまた「ふ~ん」で片付けるような話である。
じゃあ、何で驚いたのかって?これは作品に理由がある。伊藤理佐には「やっちまったよ一戸建!!」(双葉社)って作品があり、そこで「家族なんて増えるワケがねえ!」って読みというか覚悟というかを決めて、「1人暮らし用一戸建」なる謎の家を建てちまった…ってのを知ってるからだ。おいおい、あの家どうなるんだよ。
体を張って痛い目に遭い、それをネタとしている「自爆系」ギャグマンガは数あれど、独身女性による一戸建てってのは普通ネタの領域じゃない。そこに踏み込んだだけあって、今でもこの作品の評価は高い。私も面白オカシク読ませてもらった。確か文庫が出ているはずなので、探してみるといい。私が紹介する作品にしては珍しく、一般的な感性を持った人間にこそオススメである(苦笑)。
作品自体の評価はともかくだ。ここで作者は、建築士(だったと思う)から「家族が増えるとか考えていないんですか?」と聞かれ、「そんなイメージ湧かねえ~」と苦悩した末、「そんなこと気にしません」って結論を出していたと記憶している。離婚歴がある以上、まあ「わかる」気がするのは確かだけど…なお、この会話は「将来人間の家族が増えたときのためのスペース考えなくていいのか」って流れで出てきた会話なので、別にモノ哀しいシーンではない。
今現在この家がどうなっているのかは良く知らないけど、おそらくは…というか、常識で考えれば、少なくとも最近まで「伊藤家」として使われていたはず。一戸建てってのはそんなものだ。簡単に手放せるモノじゃないからねえ。「不動産」って分類はダテじゃない。ましてや一戸建て。しかも、建物の設計は「独身女性用カスタム」という、何だかよくわからんもの。「売りたいんですけど」で買い手が現れるかぁ?探せばいるんだろうけど…ファンや友人知人が「おめでとうございます」の次に口にする台詞は、「家はどうする、どうなった」でしょ。オレも聞きたい(笑)。
この話の教訓その1。家造りってのは難しい。やはり色んな意味で「無難な」作りにした方が便利なのかねえ。一戸建てはまあ論外としても、自分のマンションに怪しげなカスタマイズを施そうとしてる人は、もう少しだけ考え直してみてはいかがでしょう(苦笑)。
この話の教訓その2。人生ってわからんものだねえ。家建てたときには結婚(再婚)する気なんてさらさらなかったはずなのに、コレだもの。まあ過去に結婚歴がある分、結婚に対する耐性(何だそりゃ)が少なかったんだろうけど…「我こそは大貴族なり」と自称してる方々、用心して下さい。ドコに落とし穴があるかわかったものじゃありませんぜ(笑)。ちなみに、伊藤理佐の年齢は女性漫画家には珍しく公開されていて、どこぞの大貴族の紅一点と同い年だとか。いやはや、怖いですねえ~(何が)
追記:なお、本日ネタの一部にヘンな色が使われておりますが、特定の個人・集団を対象としたものではない…ということにしておきます。公式には。
9月24日 ― 2007/09/25 00:49
昨日は疲れた。疲れるゲームを都合3回もやってしまったからなあ。しかも、対戦相手替えずに。色んな意味で「もうトシだ、気力体力衰えた」を連発してる私だけど、案外元気あったのね。さらに「オマケ」までやってるし。
疲れるゲームとは?「甲斐の虎」川中島シナリオ。そこそこ多いユニットを、ただひたすらガツーンとぶつけるゲーム。「あれをあいつにブツけて、これでこいつを倒すから…」ってことを必死に考えなきゃイケナイので、かなり気力を消耗する。
「甲斐の虎」はその昔々にちょろっとプレイしただけだったけど、ルールは簡単なのですぐ思い出した。「移動戦闘マストアタック」ってところまでは「フツー」だけど、隣接されるとZOCがなくなる点と、CRTが戦力差ってのが特徴。ZOCじゃなくても敵ユニットに隣接する場所には退却不能なので、「挟んでポン」ってのが通用する。
川中島の戦いってのは有名ですね。武田信玄と上杉謙信がガチンコでぶつかった戦いです。信玄が謙信の動きを読み損ね、別働隊を派遣して手薄なところに謙信が襲いかかってきたからさあ大変。山本勘助だの弟の信繁だのといった重要な家臣が討ち死にしちゃったんだけど、最後は別働隊が駆けつけてきて何とかなった…って戦いである。
3度やった感想としては、「面白いけどバランスは悪い」である。上杉方がかなり有利だってのが我々の意見。理屈はこうだ。まず、上杉方は武田方にガツーンと兵をぶつける。武田方はこれを何とか受け止めるんだけど、まず間違いなくどこかに隙ができる。そこに上杉方の第二波が押し寄せてきたら、武田方の戦線は崩れてしまう。兵力が少なくて予備が足らないので、穴を防ぎきれないからだ。
戦いの流れとしてはこれでいい。問題は、ものすごーく早い段階でこれが発生してしまうことにある。第1ターンの武田方攻撃(しなくてはいけない)の際、攻撃側後退や防御側後退(戦闘後前進が義務なので、コレはコレで頭が痛い)は必ず生じる。そこにできた穴に第二波を流し込まれると、武田方の戦線はもうボロボロ。2ターン目(1時間)で戦線が崩れてしまっては、武田方は苦しいよ。
増援は何してるのかって?実はすぐソコに見えているんだけど、こいつらは川を渡る必要があり、結局到着には時間がかかる。到着前に武田方が総崩れになっている可能性は極めて高い。せめてもう少し粘ってくれないと…
3回目は私が上杉方を担当し、下らないミスから武田方の増援がうまく合流した…んだけど、川を渡るのは大変(渡河点が1ヘクスの幅しかない)なので、増援はチョロチョロと合流するだけ。これでは戦局を覆すまでには至らない。あと少しで上杉軍敗走ってところまで追い込んだんだけど、結局武田方が敗走に追い込まれてしまった。私のかなり大きなミスがあり、なおかつ武田方が最善を尽くしたと思われるにもかかわらずである。これじゃあ「バランスが悪い」と言われても仕方あるまい。
ただ、だからといってつまらないワケではない。いや、それどころか結構面白い。まず勝てない武田方も、崩れそうな戦列を必死に支え、調子に乗って突出してきた上杉の武将を討ち取る…と、「負け確定」ながらも楽しむことはできる。どーせ敵味方の損害だけが勝利条件なので、「勝ち負けを考えずに最善を尽くす」と割り切れば楽しめるのだ。気分は「川中島の信玄」ではなく「三方原の家康」かな(苦笑)。
「甲斐の虎」には他に「上田原」と「三増峠」が入っているけど、どうせなら三方原シナリオが欲しかったかな。武田方圧勝の戦だけど、だからこそイイと思うんだな。一方的だからこそ燃えるって場合があるからねえ。武田方の勝利条件を「いかに速やかに徳川方を敗走させるか」とし、徳川方を「敗走するまでにどれだけ敵軍を痛めつけたか」とすれば、それなりに遊べるゲームになると思うんだけどなあ。
なお、このゲームの川中島シナリオをプレイする武田方は、是非とも山本勘助を景気良く戦死させて欲しい(笑)。コイツの作戦がマズかったおかげで「こうなった」んだから。上杉方は、もちろん「夢の信玄・謙信一騎打ち」にチャレンジしてもらいたい。「敵に隣接されてるとZOCがなくなる」ってシステムなので、うまくやれば敵中を切り開く感じで部隊を突入させることが出来る。シビれるねえ。なお、これを実行した結果戦闘結果がふるわず信玄の首を取り損ね、包囲攻撃で謙信の首が飛んでも文句を言わないこと(おい)。
9月27日 ― 2007/09/28 03:23
浦和レッズがACLでまた勝利。アジア制覇に近づいた。日程的には苦しくなる一方だけど、日本一だけでなくアジア一も目指して頑張って欲しい。けど、このネタの詳細はアジア一になったときに取っておきたい。
体調の関係(やや風邪気味)から、本日は小ネタ。少し前に報道された、「世界一高いスイーツ」について。どこぞのホテル(場所は忘れたが、東南アジアと記憶している)で、数百万円するスイーツを売り出したそうな。ちなみに注文はまだないけど、12月頃に日本人と見られる客が注文するかも…って話だそうな。
酒も飲むけど、基本的には甘党の私。どーゆー食い物か、少しだけ細かく調べてみました。高級なチョコ&果物たっぷり…ってのはいい。細工が見事…ってのもいい。でも、高額な理由はどうやら「飾りに使ってる金細工や宝石」のおかげのようだ。
私の感想は一言。「趣味悪い」だ。金細工や宝石は食えない。無理して食ってもさほど美味くない。そりゃあ「料理は器も重要」ってのは認める。見た目が美味そうかどうかは味に影響与えるから。でも、金銀細工や宝石で飾り立てるのは、本当に「美味しそう」かぁ?スイーツの主役は「食えるモノ」であって、皿じゃないでしょ。皿にあたるモノが主役でどーするの。
誤解しないで欲しいけど、私は「高級スイーツ」は否定しない。ただし、値段に見合う味がするなら。世界一高いのなら、世界一とまでは言わないけど十本の指に入る味がして欲しい。けど、食材から推定される味は「高級品なんだから、これぐらい当然」ってレベル。日本のホテルでそれなりのカネ出せば、似たようなレベルの味が楽しめそうなもの。それで「世界一」名乗ろうってのは、ちょっと…
高級品ってのは、実は理不尽である。ほんの少し良くするために、値段がベラボーに上がってゆくからだ。その「ほんのちょっと」が我慢できる人間から見れば、アホとしか言いようのない世界だと思う。ただまあ、世の中にはその「ほんのちょっと」が我慢できない人種ってモノが存在しているんだな。
実を言えば、私も「我慢できない」人種である。最近では1万円以下のヘッドフォンが我慢できなくなった。でも、代表格は海外競馬でしょ。日本のTVで見られるって知っていても、「やっぱりナマだ!」と海外にすっ飛んでいくからなあ。これはカネだけの問題じゃない。休みの問題はさておくとしても、往きの飛行機が滑走路に向かって動き出すたびに感じる「ホントに日本に帰ってこれるかなあ…」って不安と戦ってまで海外へ行っているのだ。それやこれやを含めた代償は、自慢じゃないけど小さくはない。それで得られるモノは、「その気になれば日本のTVで見られるモノを、ナマで見る」ってだけ。
私は「良いモノとはそういうものだ」とある程度割り切っている(完全に割り切れないのは、しょせん平民だから)ので、「リーズナブル」って言葉と無縁な存在にカネはたく奴を馬鹿にしようとは思わない。ただ…「他人からうらやましがられたい」ってことを主目的に大金出してる奴ってのは、ちょっと趣味が悪いと思うなあ。私には少し理解しにくい感情なので。
「世界一高いスイーツ」の狙いは、残念ながらココにあるような。「そんなものを食べるなんて、お金持ち」と思ってもらうため、世界一の値段を付けたんでしょ。だから、実は味は二の次である。それこそ「ガリガリ君」(私は傑作の1つだと思う)と同じ味であっても、「いや値段は高いけど、味はガリガリ君レベルだよ」なんて言えるのはしょせん食った経験がある奴だけなんだから、主目的は果たしてると言っていい。実際はずっと美味いんだろうけど。
「ホンモノの」スイーツ好きなら、こんなカネは使わない方がいいんじゃないかなあ。「この値段でコレ?」ってことになりそうで。さらに言うなら、私の場合は値段がどーとか見かけたレシピっぽいものがこーとかより、もっと確かな「別に憧れる必要がない」根拠がある。ドバイの殿下が食いに行ってないからね。
何故ドバイの殿下?そりゃあもう、甘い物に関する限り私と趣味が似てるからだ。殿下が惚れ込んだあまり、無理を言ってドバイに輸入代理店作らせたチョコレート、通称「おチョコ様」は本当に美味かったからなあ。「欧州の福島」こと独のバーデンバーデンに行く「ついで」に、チョコの箱に付いていた住所だけを頼りにチューリッヒへ行って店を探し、しこたま買ってくるほど美味かった(笑)。こと競走馬と甘い物に限り、「殿下が良いと言えばオレも良いと言うに決まっている」って確信があるんだな。逆はどうだか知らないけど。
ドバイの殿下のことだから、カネは何の問題にもならない。その価値があると判断すれば万難を排して「世界一のスイーツ」食いにいきそうなものだ。なのに、まだ注文してない。似たようなモノは外国を訪問する度に晩餐会で食えるだろ、って話があるけどね。世界一高級とか言っても、しょせんそんなレベルってことだ。だったら、私は別に食いに行く必要はない。チューリッヒに行っておチョコ様バクバク食ってる方が絶対満足できるはずだから。
そりゃあ趣味・嗜好なんてかなりの個人差がある。曲がりなりにも「世界一のお値段」なんだから、「味も世界一だ!」と主張する嗜好の人間がいても何の不思議もない。ただ、おそらく私はそう思わない。私の嗜好はそういうものだから。他の誰が何を言おうとも、ドバイの殿下が絶賛しない限り、私にとって数百万のカネ払う価値はない。いやあ、こういう「モノサシ」持ってると便利ですね(どこが)。
カネの使い道ってのは、案外難しいモノである。明確な基準があるようでないからねえ。余裕のないビンボー人はともかく、小金持ち以上になると「何に使うのが良いのか」ってのは悩ましくなってくる。今の生活に満足な人もそうでない人も、カネの使い道ってのは少し見直してみる価値があるんじゃないかなあ。ケチるばかりが「正しい使い方」でないのは確かだと思うので。
ただまあ、私ごときがカネの使い方で偉そうなことを言うのは…しょせんビンボー人だってのに。その割にワケわからん趣味を持っていてワケわからんカネ使っているよなあ。ちょっと考え直すか…ただ、私の場合色々考えた末に行き着いたのがコレなんだよね。多少考え直した程度では、結局何も変わらないような気が。間違っているのはカネの使い方ではなく、私という人間そのものかも(苦笑)。
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