5月2日 ― 2008/05/03 01:43
5月である。カレンダーめくった結果、また部屋の様子が一変した。ま、「同じだ同じ」って意見に反対はしないけど。
昨日は「イケるか?」と思ったネタがスベり、総ボツ。うーん…少し切り口考えよう。まとまりが悪ければ、良くなるまで温存する。それがココだからして。
本日のネタは、比較的マジメに「ヲタクとは」を語ってみよう。知人が似たようなネタ扱おうとして「失敗」したので、リベンジしようと思って。それに、先日立ち読みで「オタクはもう死んでいる」(新潮新書・著者岡田斗司夫)を読んで感じたこともあるし。
ヲタクとはなんぞや?この問いへの「世間一般向けの」回答は単純。「マンガ・アニメ・ゲームと言った、子供向けとされるモノを大人になっても熱心に追究する奴」だ。この世界に脚を踏み入れる必要のない人々に対しては、こう説明しておけばいい。大きな嘘は言ってない。実を言えば、このブログで言う「ヲタクネタ」とは、これを指している。
ただ…実は、この定義には致命的欠陥がある。「浦安ネズミの国」にハマっている方々も該当しちゃうのだ。だってそうでしょーが。あそこのホストは米国アニメーションの産物。原理原則論から言えば、「日本アニメ以上に子供向け」だ。それに遊園地ってのも、原則論で言えば子供向け。お互いに「一緒にするな!」と言いそうだけど、この定義からは区別不能だ。
じゃあ、その辺を区別できる精密な定義はどうなるのか?これは簡単に答えにくい。感覚的にはわかってもらえると思うけど、言葉にすると結構大変なのよ。ま、本日はあえてソコにチャレンジするんだけどさ。
そもそも、「ヲタク」の語源は、単なる「マンガ・アニメマニア」ではない。そういうものを趣味としてる連中の中でも「社交性がやたら低い奴」に対する蔑称だったのだ。こういう連中は、他人のことを「おたく」と呼びかけることが多かったので。
当時は携帯もインターネットもない時代だ。クラスメートなどと話が合わない場合、即時に「コミュニケーション不全」に陥る。今の「ネットだけで人間関係構築してる連中」もどうかと思うのは確かだけど、当時の「真性ヲタク」に比べれば百倍マシじゃないかなあ。とにかくスゴかったんだから。私も他人のことは言えないけど。
それから時が流れて今現在。「ヲタク」は当時に比べればよほど市民権を得ている。理由は単純。まず、「いい年してマンガ・アニメ・ゲームにハマっている奴」の絶対数が増えた。次に、裾野が広がった。コンシューマーで「ファンタジーRPGの大作」をプレイするのはフツーのことだし、ついにパチンコも「染まった」からねえ。最後に、携帯電話やネットのおかげで、相互にコミュニケーションを取る機会が増えた。
これらの結果として登場したのが、「ライトなヲタク」である。一昔前の「同族とさえ話が出来ない」ヲタクではなく、ヘンな趣味を持っている以外はフツーの人、ってのが増えたのだ。もちろん古いタイプのヲタクもまだいるはずだけど、露骨に目立たなくなった。数が減ったからというより、他が増えた関係で。その結果、今現在は「昔だったらヲタクと呼ばれなかった」レベルの連中もヲタク扱いされている…というより、ヲタクを自称する(信じがたい現象である)ようになった。つまり、ヲタクは一般化した。
これゆえ、今現在のヲタクを定義するなら、「その昔ヲタクと呼ばれていた人種と好みのジャンルが似ている奴」となる。似たようなモノを好む以上共通点は多いけど、それでも「昔で言うヲタク」と「今のヲタク」は別物だ。でも、「昔のヲタク」を解説しないと、何言ってるのかわからないんだよねえ…これが「言葉で説明するのが難しい」理由だ。
昔のヲタクってのは、ある意味では筋金が入っていた。そりゃそーだ。周囲と話が合わない→好きな世界に閉じこもる→一般的な話題に疎くなる→周囲と話が合わない…ってスパイラル起こして、行き着くところまで行っちゃった連中だからねえ。基本的に欠陥だらけの人種ではあったけど、「求道的」って良いトコロがあったのは事実だ。
それに対し、今のヲタクはどうか?さすがに求道的な奴は減ったね。絶対的にはさほど減ってない気がする(簡単に脚洗う人種じゃないから)けど、相対的な減少はデカイ。その昔はコミケに来る連中なんて「日頃の行いが悪いので、コミケという生き地獄(ホントに地獄だった…)に堕とされた」って言葉がお似合いだったのに、今の参加者にはそこまで言ったら可哀想かな。ま、生きたまま地獄に堕とされた方がいい連中も相変わらずいるけど。
ただ…どんなジャンルであれ、「意味不明なまでに求道的」な奴は今も昔も存在する。目立つかどうかは、そのジャンルにいる「ヌルい連中」の数次第って気がするけど。その意味では「ヲタクは死んだ」って言葉は正しくないような。むしろ、「ヲタクは死なず、ただ目立たなくなるのみ」なんじゃないかな。
ちなみに、求道的なのが「良いこと」なのかは…まずは皆さん自身で考えてみて下さい。だって、ここの読者の皆様は、大抵が「何かしらに無用なレベルにまで詳しい奴」だからして。そうでなければ、ここの話題に何1つとしてついて行けないはず。私としては手加減しているつもりなんだけど、それでも、ねえ…
私自身の見解を言えば、「いいことなんてあるわきゃない」ってなるかなあ。良いか悪いかで言ったら、そうなるんじゃないかと。とはいえ、「じゃあ止めよう」ってコトはあり得ない。良いか悪いかじゃないんだよ。私がF男であり続けるためには、自然とそうなっちゃう。悪いことだろーが何だろーが、「だからどうした、関係ないね」で片付けるしかない。
まあ、私は何にせよレベルが浅い(広く浅くがモットーだ)けど、余計な領域にまで踏み込むクセがあるのは事実。そういう生き方は決して他人に勧めないけど、否定する気もない。そもそも、「他人に勧められたから」どうこうなんて言ってる時点で、「旧来型ヲタク」とは言い難い。他人を気にせず突っ走りまくるトコロに意義があるのだからして。
つーわけで、私はとにかく突っ走っているわけです。その割には底浅いけど、これは「広く浅く」って主義だから仕方がない。要は何事につけ半端物に過ぎないんだけど、だからどーした。そんなことさほど気にせず「我が道を行く」のが私。結果なんて気にしていられるか。とりあえずネタになって笑いが取れれば、それでいいんだよ…って、これが真性ヲタクの「いいこと」だな(苦笑)。
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