5月30日2008/05/31 04:17

 昨日はネタ総ボツ。いかんねえ。少し不調だなあ。ま、いずれ回復するとは思うので、気にはしないでおこう。
 
 本日の話題は、雑誌の表紙について。先日某所で「偉そうなこと」語ってしまったので、フォローしておこうかなと。なお、こんな話題にしてはヘンな色を大量に使います。ご注意を。
 
 ヘンな色を使う理由は、そりゃもう「表紙について偉そうなコト書いた」対象が、ゲーム系の雑誌だから。よって、「ゲーム雑誌の表紙」についての話題が中心です。一応は他の雑誌についても触れる予定ですが。
 
 きっかけは、「プランサンセット」ってゲーム雑誌が「どの表紙が良いか、候補を公開して意見を公募していた」ことにある。私も一応候補を眺めてどれが良いか考えたところ、「どれも不満アリ」って結論が出てしまった。理由は単純。どれもこれも「ゲームの写真」なんだけど、雑誌記事とまるで関係ないのだ。
 
 ゲーム雑誌の表紙って、記事と関係あるゲームを使う必要があるのか?これに対し、私は「ある」と答えた。ただし、少しひねった観点から。「記事に入れたかった写真・図表を表紙に使った方が、合理的だから」ってのがその理由である。
 
 ゲーム関連の記事ってのは、実は「写真・図表と文字情報のバランス」が悩ましい。文字で説明するより、写真の方が「全体がわかりやすい」のは事実。しかし、これに頼りすぎると「写真ばかりで冗長」ってなことになる。この辺の苦労については、開き直って「写真を使ったことがない」ブログを運用してる私より、プレイ中に撮った写真を使ってブログ書いてる皆様の方がよくわかると思う。
 
 これが雑誌になると、更に話が複雑になる。よほど贅沢な作りにしない限り、全頁フルカラーなんてことはあり得ない。よって、写真・図表もモノクロのものが増える。これは正直言って「細部がよくわからない」ものになりがち。こんなものを大量に使うと、冗長かつ単調なものになってしまう。よって、実は雑誌の場合「自在にカラー写真を使えるブログより、文字情報が大事」ってことになりがち。文字ばかりってのも考えモノではあるけどね。
 
 そうやって考えてゆくと、ゲーム雑誌ってのは「もう少し写真・図表が欲しいなあ」って記事が増える。とはいえ、ここで実際に増やしてはイケナイ。モノクロって壁がある以上、写真・図表は腹八分に留めておく方がいいから。これはあくまで私の意見だけど、賛同してくれる方はいるんじゃないかなあ。
 
 ここで表紙に話を戻そう。表紙ってのは、貴重な「カラーページ」である。よって、ここに見栄えが良くて重要な写真・図表・絵を配置する余地がある。ならば、「記事と無関係な」ものにするより、「本当は記事に入れたかった」写真を使った方がいいのではないか?これが私の意見である。
 
 コレはある意味ケチくさい意見だと思う。本文もフルカラーで写真入れ放題にすれば、別に表紙で「記事をフォロー」する必要はない。でもねえ。そういう贅沢な作りは難しいよ。「どうせたくさん売れないんだから、むしろ贅沢に作って高く売る」方が勝るって考えもあるんだけど、限界はあるはず。それに、こういう作りにすれば「表紙の写真見て記事が読みたくなる」ってな効果も大いに期待できる。
 
 ちなみにだ。ゲーム雑誌全般がこういう作りをしてるわけではない。むしろ少数派だったりする。理由は単純。最近のゲーム雑誌は「付録ゲーム付き」がむしろ主流。こういう雑誌の表紙ってのは「ゲームのパッケージ」を兼ねるので、「やる気をかき立てる」イラストになることが多い。なまじゲームの写真なんて生々しいものを使ってしまうより、コッチの方が「早く中身が見たい!」って飢餓感を煽れるんじゃないかなあ。ゲーム雑誌の付録ゲームってのは、むしろ主役である。よって雑誌の作りは「如何に記事を読ませるか」よりも、「如何にゲームをプレイする気にさせるか」を優先させるわけだ。
 
 ゲーム以外の雑誌はどうか。まずマンガ雑誌だけど、掲載作品のカラーイラストかグラビアねーちゃんってのが主流。中身と無関係なイラストってのは、ビッグコミックとビッグコミックオリジナルがあるけどね。他にも数誌確認している。
 
 より深いトコロを語ると、「掲載作品のカラーイラスト」も2つに分けることが出来る。コミックスの表紙になるものと、そうならないものだ。私の印象では、週刊誌の場合は「コミックスの表紙になる」割合が増えるような。カラーイラストにかかる手間を考えたら、〆切に余裕のない週刊誌作家の方が「コミックス用の表紙なんて書いてられるか!」ってコトになりがちなんでしょ。
 
 一般総合誌はネーチャンの写真が多い。これも「グラビアページで使ったネーチャン」派と「表紙専門のネーチャン」派に分かれる。イラストを使う場合は確実に「記事とは無関係」なもの。これは話題が幅広い関係上、特定の記事と関連性の深い写真はむしろ使いにくいからではないかと。専門誌の場合は、特集もしくはニュース記事と関係のある写真・イラストが主流。とはいえ、実は例外もいっぱいあるけどね。
 
 こうやって見てゆくと、実は案外「記事と関係ない表紙」の雑誌は存在する。よって、ゲーム雑誌でも「記事と関係ない」ゲームの写真ってのは「アリ」ではないか…って意見もあるだろう。実は、私もこの見解に賛成する。あくまで私の好みは「記事と関係あるモノ」だけど、そうじゃないからって充分許容は出来る。
 
 代表例としては、「ニュース性の高いモノ」を使うこと。近日発売予定だとか、賞をもらったとか、ゲーム業界以外で採り上げられたとか、一般的な話題と関連性が深いとか、とにかく「特別に紹介する価値がある」ものを表紙にする。こういうゲームは本来「記事でも採り上げる」べきだと思うけど、そこは層が薄い世界の話、うまく記事が集まるとは限らない。だったら「表紙も記事の1つ」と割り切って、紹介に使ってしまうのだ。
 
 また、こういった話題性が無くても、「見た目が良いので」表紙に使うって発想もある。記事としてというより、「一枚絵としての完成度」で勝負って発想だ。どうせこれをやるなら「連載」にしてしばらく続けた方がいいと思うけど、それだけのネタを見つけるのは一応可能ではないかと。
 
 ただ…正直言おう。「プランサンセット」の表紙の場合、「記事と関係ないゲーム」を使いたいのなら、やっちゃイケナイことをやっちまったと思う。題材とするゲームが「美しくない」わけではない。構図やピントなど、写真技術上の問題があるわけではない。そういった「絵としての完成度」は悪くなかった。けど、表紙ってのは単に「美しい絵」ってだけじゃ駄目だ。別の「大事な点」が欠けていたと思う。
 
 欠けていたモノは何か?一言で言えば、「覚悟」かな。「表紙はこれにするんだぁ!」って情動がなかった。考えてみるといい。技術や発想のウエイトが重いイラスト・絵はともかく、写真の場合「誰が撮っても同じ」ではないかと思われがちだ。しかし、実際は違う。同じ道具を使っていたとしても、「プロが撮った写真」と「ド素人が撮った写真」はかなーり違う。ネーチャンの写真にしたって、「いい表情を引き出すコツ」だの「モデルと舞台に相応しい構図の選び方」だのといったトコロに「プロならではの工夫」を盛り込む余地がいっぱいある。
 
 そりゃあゲーム雑誌の場合、プロの写真家に頼んでどうこうって話にはならない。でも、「とりあえずユニット並べてパチッと撮りました」って写真と、「少しでも良くしようと思って色々工夫した」写真には差があるはずでしょ。それだけの工夫をしたのか?ここが疑問だったりするんだな。だから「覚悟」が足らない。
 
 いやね、私は別に「見る目がある」人間じゃない。だから実は、写真だけ見て「気合い入っている、覚悟のある」ものかどうか、必ずしも見抜けるワケじゃない。「覚悟足らない」などと断言したのは、写真そのものの出来じゃないんだよ。それとは別に、「覚悟足らない」って感じさせる理由があったんだよ。それは何かって?そりゃもう、「どの表紙が良いか、候補を公開して意見を公募していた」って部分だ。この時点で、記事と無関係なゲームの写真を使う権利を喪失したと思う。
 
 よーく考えてみて欲しい。記事と無関係なゲームの写真を使うってコトは、その写真は「単体の作品」として扱われる。言ってみれば掲載された記事と同格。しかも、重要な。「何をネタにするのか」公募ってのなら話はわかるけど、「どれがいい?」って読者に聞いちゃ駄目でしょ!「これなら喜んでもらえるはず」って自信が持てるくらい、完成度を高めた写真を持ってこないと。埋め草記事じゃないんだから。
 
 それに、どれがいいのか公募しちゃうってコトは、言ってみれば「ネタバラシ」だ。掲載記事の全てを発売前に公表して「誤字脱字はない?」って聞く編集者がドコにいる?表紙を記事と無関係なゲームにするってコトは、その表紙はそれだけで「作品」であり「記事」である。発売前には「お楽しみに!」って状態にしなくてどーすんの。
 
 雑誌の表紙ってのは、その雑誌の顔である。当然ながら大切に扱う必要がある。決まり切った約束事を守るだけじゃ駄目だけど、奇抜に走りすぎてもハズす。公開して意見を聞く必要性はあるかも知れないけど、全部公開したらワクワクしない。演出に関しては深く考えた方がいいんじゃないかなあ。
 
 なお、その後決定した(らしい)表紙は記事と関係が深いモノで、実によろしいと思う。「記事読んで、どういう経緯を経てああなったのか」確認したくなるものに仕上がっていると思うな。記事に関連させると、表紙だけだと「チラリズム刺激状態」になるって利点があるわけで。これなら公募してもOK…どころか、販促効果まであるんじゃないかなあ。少なくとも私はそう思います。
 
 もっとも、私自身は「表紙を一から作る」才能はない。単に批評するだけ。これは痛いぐらいわかっていることだ。なにせ昔作った私の同人誌は…それ以前に私のサイトのトップページがいかに「つまらん」ものか見てもらえば…ブツブツ…