10月17日2009/10/18 02:53

 本日、私のトコロにコマンド誌最新号が届いた。先日ちょろっと語ったように、今回は私の「コミケレポート」なるものが掲載されている。そこでまあ、「コマンド誌に掲載されるコミケレポート」なるものについて、色々と語っておこうと思う。冬のコミケが近いので。夏から冬はかなり間隔短いからね。
 
 独立した記事をカラーページに掲載してもらいながらこう言うのはどうかと思うけど、今回の私のレポートは、正直出来が良くない。文章力の問題ではない。それについてはとりあえずさておき、取材が足らなかった。実は「もう少し真面目に取材しておくんだった…」と、アタマ抱えながら書いたモノだったりする。いくら「大半の読者にはどーでもイイ記事」とはいえ、とても申し訳ない。
 
 何故取材不足なのか?私が悪い。だって、そもそもコマンド誌編集部に「必要ならコミケレポート書くけど、どーします?」と打診したのが、コミケ直前。以前自分が「同人ゲーム紹介するんだったら、ドコで売っていたのか情報を…」ってな文句をつけたことを思い出し、「どーせだったら現地取材した方がいいのでは?」と考えたのだ。コミケ直前になってやっと。もっと早く思いつけよな。
 
 ただまあ、だからって「執筆依頼が届いたのは、コミケ終了後」というコマンド編集部も…おかげで「いらないと判断されたんだな」と勝手に独り合点し、自分のブログでブツクサ語るに足る程度の取材しかしてない。なにせカメラ持って行かなかったし。私はコスプレイヤーを撮影する趣味はないので、カメラのような「荷物になるモノ」を持ってコミケに行こうなどと考えない。メモも全くとってない。ただ、幸いなことにコミケカタログが残っていた(普通はビッグサイトのゴミ箱に捨てる)関係上、色々と役に立ってくれた。
 
 このように、夏の取材は思いっきりバタバタした。一時は取材不足を理由に、執筆断ろうかと考えたくらいだ。ただ、せっかくコマンド誌が同人ゲームを紹介しようとしている以上、ものすげー内容の薄いものであってもコミケレポートが存在する意義はあるし、とりあえず私の他にそんなモノを書こうって人間がいない現状を考えれば、「ここは書くしか!」と思い直した。
 
 そんなわけで、今回の記事は、私としてはちょっと不本意である。あらかじめこーゆーモノを書くとわかっていたら、もう少しやれたことがあったのに…って気がして仕方ない。そこで、自省を兼ねて「次はどーするのか」を少し書いておこう。別に次も私がレポート書くと決まったワケじゃないけど、その可能性があるのは間違いないからなあ。
 
 今回私が紹介したゲームは、何1つ「同人SLG CROSS REVIEW」で紹介されたものと被っていない。私がそうなるように配慮した事実は全くないし、コマンド編集部が配慮したとは極めて考えにくい(普通私の記事から削るはず)以上、クロスレビューで紹介されたゲームは「コミケで販売していなかったか、私の目をすり抜けた」かのどちらか。可能性としては後者の方が高いんだよね。この時点で「何やってんだF男」である。そりゃまあ重複はしない方がいいに決まっているけど、「結果的にそうなっただけ」ってのはマズい。私はコミケでは何かと忙しいので、「通常対応」だとこうなってしまう。対策はとにかく「真剣に探す」しかない。
 
 それと、私が重要だと考えているのは、「かつて同人SLG CROSS REVIEWに採り上げられたサークルのチェック」である。新作が出たら紹介する価値はあると思うので。「同人…」との役割分担を考えた場合、重視すべきは新サークル発見よりこちらかもしれないくらいだ。連絡先はコマンド誌に書いてあるので、問い合わせのメールぐらい送るべき。私は今回コレすらやってなかった。「フツーの参加者」なら、それで問題はないからねえ。だからって…ブツブツ…
 
 あと、「版権問題から、大々的に紹介しにくいゲーム」、平たく言えばアニメなどを題材としたゲームの紹介も大切でしょ。今回はいくつか「そーゆーもの」をチラっと紹介した。これには「ドコまで踏み込めるのか」って問題がつきまとうけど、他の記事ではより紹介しにくいだけに、多少踏み込めるだけでも意義はある。一定の需要と供給があるのはわかっているだけに、探して紹介を試みる価値があるのでは。
 
 もっと踏み込んで考えた場合、「果たして次回も私がレポートを担当すべきか」って問題がある。今回の取材・記事内容からしてクビ…ってのは半分冗談(半分本気)としても、「掘り出し物」を発見しようと思ったら、やはり多彩な視点があった方がいいと思う。私に紹介できるのは、あくまで「私個人にとっての掘り出し物」だからして。趣味その他の関係上私の目にとまらなかったからって、それが「紹介する価値のないゲーム」とは限らない。偏りを防ぐため、「別の人の目で判断してもらう」のも悪くない。
 
 ただ…私以外の人間を取材に派遣するのは、何かとタイヘンなのは事実。「F男なんぞに任せるくらいなら、このオレが…」と名乗り出る奇特な人間がいるのならともかく、現時点ではそんな奴がいない以上、私に任せた方が「手間がかからない」からなあ。記事の性質を考えれば、ヘンにテコ入れする意義は薄い。そもそも、今月末にはサークルの当落通知が発表されることを考えれば、準備期間はかな~り短い。別の人間なんて探している余裕はないと考えた方が良いのかも。
 
 いずれにせよ、私としては「頼まれれば今回も取材して原稿書く。頼まれなくても、取材は勝手にやる」のは間違いない。それが私の習性だからして。後はそれでいいのか、もう少しヒネるのか、そもそも不要なのか、コマンド編集部が判断することになると思う。ただまあ、いずれにせよ「冬のコミケはタイヘン」なんだろうな…冬のコミケと言えばカレンダー。元々夏より忙しい。なお、幸いなことにコミケとバッティングしなかった有馬記念はともかく、諸般の事情(レポートとは無関係)により東京大賞典は諦めざるを得ないと判断している。
 
 コマンド誌におけるコミケレポートなんて、本質的には「どーでもいい」ものである。私でさえ「同人ゲームを採り上げているんだから、あってもいいんじゃない?」とは思うけど、「あって欲しい」とまでは言えない。そんなもののために「コミケという生き地獄」に行くような奴は…少なくともあんまりいないと思う。まあ、とりあえず私は色んな意味で覚悟は出来てます。でも、「代わってやるぜ!」って私並みに馬鹿な方がいらっしゃったら、喜んで押しつけて交替しますので、遠慮無く申しつけて下さいな。

10月20日2009/10/21 02:28

 諸般の事情により、今回はものすごーく軽いネタで。「2=1」。ネット上で見かけたアホネタの説明と簡単な解説を。
 
 とりあえずはこちらのリンクを参照して下さい。アホな数式が掲載されていて、「2=1」だと「証明」している。一応ここでも数式は書いておこう。なお、「aの二乗」はa`2と表記します。
 
a = b
a`2 = ab
a`2-b`2 = ab-b`2
(a+b)(a-b) = b(a-b)  
a+b = b 
2b = b
2 = 1
 
 一見すると、なんか2=1を証明しているように見える。でも、実際は2=1ではあり得ない。これを認めると「全ての数は1に等しい」ことが証明でき、ついでに「あらゆる命題は真であり偽でもある」という、ワケわからん状態を認めることになる。つまり、この数式はどこかに間違いもしくはインチキがある。それはすぐわかると思う。でも、それがどこなのかはちょっとわかりにくい。
 
 実はこの数式、結構有名なモノだと思う。私は以前見た記憶があるからね。種明かしをすると、この数式は数学における禁止事項、すなわち「ゼロで割る」をやらかしている。どんな数であれ、ゼロを掛けてゼロで割ればイコールになるから、2=1を証明できるわけ。ただまあ、単純にゼロを掛けてゼロで割るとバレるので、うまく誤魔化してあるわけだ。
 
 ドコで「ゼロで割って」いるのかって?4つ目の式から5つ目の式に移行する時、すなわち両辺を「a-b」で割っている時にやらかしている。a=bだから、a-b=ゼロ。この式は実は3つ目の時点で「要は0=0」になっているので、それをゼロで割って…ってな操作をやらかせば2=1が証明できちゃう。
 
 タネを明かされれば「なーんだ」で終わりだけど、ぱっと見ただけでは問題なさそうに見える、良くできた「アホな式」だ。高校程度で数学に挫折した奴(私もそうです)程度なら、かなり長い時間「ドコがオカシイのか」悩ませることが可能じゃないかなあ。私がこの式を覚えているのは、かな~り時間をかけて「ドコがオカシイのか」検討した記憶が残っているからだ(苦笑)。
 
 ただ…面白いことに、「数学的に2=1と証明されることはあり得ない」と断言することはできない。それは未来永劫無理だっていう証明があるから。「おそらく、2=1って証明はできないんじゃないかなあ」と言うことは出来ても、「あり得ないことだから安心しろ」とは言えないのだ。ゲーデルの不確定性原理ってものがあり、それにより「どう頑張っても、そういう証明は出来ない」ことがわかっているので。
 
 ちなみに、私は「数学的に間違っていないやり方で、1=2を証明できてしまうんでないか」という妄想を抱いていたりする。ただこれは、カントールって数学者が切り開いた「無限の取り扱い方」に関する部分であり、要は「選択公理」(ウィキペディアのリンクはこちら)はオカシイんじゃ…って世界の話。「選択公理はオカシイ!」って主張している奴は、数学者の中でも(少数派ではあるんだけど)いるので、これは妄想ではないかもしれない。ただまあ、おそらくは「選択公理を認める多数派の数学者の中では、とっくに解決済み」の話だとは思うけど。
 
 1=2の証明というものは、基本的には「怪しげなトリックを使った、アホネタ」である。でも、この先「そんな証明が出来てしまう」可能性はある。これを完全に否定することは誰にも出来ないからね。とはいえ、我々が日常的に使っている計算式が完全崩壊するって話ではないと推定される(あくまで推定。断言は出来ないんだってばさ)ので、仮に1=2が証明されちゃったとしても、相変わらず数学嫌いが数学に悩まされることに変化はないと思う。
 
 でも…数学に苦しめられた身としては、たとえ「数学のごくごく一部にだけ関係がある話であり、世の大半には微塵も影響を及ぼさない」ものであったとしても、「1=2が証明されてしまい、発狂する数学者」なるものを見てみたい気がするな。数学が数学嫌いにどう思われているのかを考えれば、期待するだけならバチは当たらないと思うぞ。

10月22日2009/10/22 21:22

 Windows7が発売された。私は以前書いたとおり、近々には対応せず、様子を見てから導入予定。その前にPCの機能強化に取り組むかもしれないけど。いずれにせよ、発売後の評判は確認しようかと。なお、Home Premiumを導入しようと考えている。正直、コレでさえ「いらん機能が入ったバージョンだ」とは思うけど。
 
 本日の話題は、スワローズのストーブリーグについて。なんか最近「怪しげな噂話」が出ているので、ちょっと整理しておこうかと思って。ドラフトも近いことだし。
 
 去年FAで相川を獲得したおかげで、スワローズも一応「FA選手獲得に乗り出す球団」扱いされ始めたようだ。一部報道で「虎の藤本獲得か?」なんて話が出ている。他にも数人「獲得に乗り出すんじゃねえか」って名前が出ているようだ。
 
 ただ…長年この球団を見てきた私が思うに、とりあえずド派手な動きはなさそうに感じる。理由は単純。この手の報道は「ポジションは?」って疑問を解消するため、「ガイエルもしくはデントナの解雇」がセットになっている。しかし、私の見たところ、今年のあの成績ならば、両者の解雇はちょっと考えにくい。昨年アノ成績なのに残したガイエルはもちろん、デントナもあの成績ならば「引き続き来年も」と考えそうなモノだ。契約面で無茶なコト言われない限り、「外国人は我慢して使う」のが基本なので。
 
 もっとも、中堅程度の選手のトレードはあるかも。その辺は積極的にやるってのが高田流らしいし。ただこれは「お互いプラスになりそうな話があれば」ってコトだろうから、「やってもおかしくない」以上のことは言えないかと。
 
 現状手薄なのは、とにかく投手。野手は一応メドはついている。強いて言うならショート・サードは補強したいってくらいか。ただ、これは「宮本をこれ以上使い続けるのは、色んな意味でどうかと」って話なので、出場試合数が計算しにくい選手を無理に引っ張ってくることはなさそうだ。それだったら宮本使えばいいんだもの。その方が守備・攻撃双方で計算できるし。
 
 投手は…まあ先発投手が欲しいけど、実は中継ぎも…五十嵐は「駄目だろう」と計算しているので。残ってくれればそれに越したことはないんだけど、まあメジャーへ行っちゃうでしょ。計算できる先発投手獲得は難しいけど、それなりに計算できる中継ぎならトレードで何とかなるかも。その辺が地味に注目点だと思われる。
 
 課題の先発投手は…とりあえずは「若手の底上げ」もしくは「川島亮の復活」待ちなんだろうな。計算できる先発投手が「落ちている」とは思えないので。メジャーやら金持ち球団やらとマネーゲームやって勝てるワケないし。トレードも成立するとは思えない。一場クラスなら何とかなるかもしれないけど、そのレベルの投手ばかり数揃えてもねえ。
 
 先発投手補強となると、「ドラフトで即戦力引っ張ってくる」って手もあるけど…現状、「すごく評価の高い即戦力投手」がいるってワケではないらしい。一部の噂じゃ、「大学・社会人は不作気味」とされているし。高校生はいくら何でも「即戦力」を期待するのは酷だ。
 
 ドラフトに関しては、一応菊池君の様子を見て…って噂が流れている。この球団はドラフトに関しては「事前情報通り」ってコトが多い(くじの内容は別にして)ので、評価の高い高校生投手(菊池君かどうかは当人の希望次第)を指名しに行き、くじで外れたらそこで考える…となるんじゃないかなあ。
 
 外国人に関しては…とりあえず、今までの傾向からすれば打者は入れ替えない。投手に関しても「無理矢理解雇する」なんてコトはやらないので、李も残すと思う。林昌勇は言うに及ばず。どっかから「先発できそうな格安外国人」引っ張ってくる可能性は高いけど、あまり大きな期待はしない方が良いと思う。それだったらまだ「李が先発として計算できるようになる」を期待した方が…
 
 そんな「今年と変わらない顔ぶれ」で優勝できるのか?さあ。とりあえず相手のあることなので、現時点でどうこう言っても仕方がない。ただ、先発投手として高木・内野手として鬼崎が「それなりに計算できる」と判明したので、そう悲観したものではないと思う。去年の順位を考えれば、いきなり優勝争いできるなんて考える方が間違いではないかと。
 
 案の定CSでは敗退した(1つ勝っただけでもめっけもん)けど、現有戦力で「来期が真っ暗」だとは思わない。その意味では、下手に「誰かを切って誰かを補強する」のは賛成できないかな。バランス調整の意味で「中堅選手のトレード」ぐらいはあってもおかしくないし、話次第ではやるべきだと思うけど。良くも悪くも、それがこの球団らしい姿だと思うなあ。
 
 そもそもだなあ。今期公式戦最終試合(対ジャイ)は、「外国人除けば下の選手ばかり」状態で、「ここは戸田(二軍球場がある)ですか?」ってメンバーで一応勝っている。打つ方はまだ何とかなるのだ。ただ問題は、下も「投手陣が壊滅状態」だったってことで…イースタンでもチーム防御率メタクソだったらしいですよ。どーしましょ…

10月25日2009/10/26 00:23

 そーいやあ、去年の菊花賞もここ(秋葉原のドトール)で競馬中継聞きながら「馬券当たったら、購入するカレンダーを追加しようか」なんて考えてなかったか?するとこの流れは…と気がつくのが遅かった。スリーロールズは買えなかった…でもまあ、POGでガッツリ稼げた(ポイントだけに過ぎないけど)ので、まあ良しとしよう。やはり松山センセは偉大だ。
 
 競馬系の話題からちと遠ざかっているので、本日はコレで。本日の勝利を記念して、「何故私は松山康久調教師を尊敬するのか」としよう。しょーもない話に終始すると思うけど。
 
 Q:何故私は松山調教師を尊敬するのか?A:当たり前のことであり、説明の必要を感じない。以上証明終わり…じゃ話が続かない。でも、私に言わせればコレがむしろ当然なんだな。特別な事由がない限り、「国家元首」とか「歴史上の偉人」を尊敬するのがフツーだってのと同様、松山調教師は「尊敬するのが当たり前」の存在だからして。
 
 「松山調教師は偉大だ」って意識をすり込まれたのは、やはりミスターシービーの管理調教師だったからだと思われる。流石にシンザンの現役時代は競馬見てないので、私が最初に知った「三冠馬」はこの馬だからね。それ以来、「ものすげー偉大な調教師である」ってな認識が埋め込まれ、そのまま今に至っているようだ。
 
 普通は、競馬を本格的に始めると同時に、この手の「幻想」は崩れる。馬券でヤラれたら文句言いたくなるからね。ただ、私の場合松山調教師だけは「ヤラれたオレが馬鹿だった」としか思わない。どう頑張ってもそうとしか思えないのだ。何故ココまで強固な信仰が形成されたのか、私自身が知りたいくらいだ。
 
 強いて言うなら、馬の使い方が私にとって「納得のいく」ものだってことか。だけど、そもそも私は「納得のいく馬の使い方」なるものを誰に教わったのかと言えば…松山調教師にってことになる。競馬を始めた当初、松山調教師の馬の使い方を観察し、「コレが正しい馬の使い方なんだな」と学習した記憶があるからなあ。それを疑わずに信じている以上、文句を付ける理由がない。
 
 他の調教師は、尊敬している方もそうでない方も含めて、何かしらの「根拠」があって自分自身の態度を決めている。果敢なチャレンジ精神や大いに共感できる哲学をお持ちだとか、「どっかがヌケてやがる」とか。でも、松山調教師はそうじゃない。自分の中のスタンダードなのだ。強固にそう確立しているので、「何故尊敬するのか?」ってことすらロクに考えたこともない。キリスト教徒に向かって「何故イエスを尊敬するのか?」と聞くようなモノである。
 
 最近じゃちょっと影が薄くなってしまった(すごく哀しい…)けど、松山厩舎は名門中の名門である。不思議なことに、今でも「松山厩舎だから」って理由でオッズが下がっているフシがある。若い連中が私のような妄想?を抱いているとは思えないので、ジジイ連中(私含む)が未だにバカスカ馬券買っているからではないかと推測しているんだけど。松山調教師に不満があるとするなら、この「未だ衰えない、なんかスゴい人気」だな。
 
 とはいえ、私も「松山教」の信者だけに、そこまで支持し続ける理由はわかる気がする。ちょっとやそっとヤラれただけで見捨てたくなるような「甘っちょろい存在」じゃないからねえ。なんつーか…「信じて報われた」とか、「信じてたのに、報われなかった」とか言った理由で態度が変わるような「功利的な信仰」じゃないのだ。馬券が当たろうが外れようが、松山調教師は「松山調教師」であり、尊敬と信仰の対象であり続ける…それが当たり前だと思えるような調教師なんだよ。
 
 実際のお人柄はどうだか知らないけど、私にとって松山調教師は「鬼」である。過酷な稽古を命じるからではない。「見切りの鬼」なのだ。松山調教師が「駄目だ」と言ったら、どんな馬も「駄目」、GⅠ馬でさえ平気で見切る。そりゃまあ色んな理由から「お金は咥えてくる」可能性があるから、レースに出走はさせる。でも、「駄目だな」「まだまだ」と言いたげなコメントが出たら、そいつはまあ勝てない。直接「駄目だ」なんてコトは言わないけど、長年信者やっていると、なんとな~くわかってくる。特に、松山調教師のコメントを見て「背筋が寒くなるような感覚」を覚えたら、ソイツはそのレースじゃ駄目だ。
 
 もっとも、松山調教師はただ冷たいだけではない。その馬なりに「賞金咥えてくる」レースを上手く使う。競走馬を猫かわいがりするわけではなく、かといって「駄目だ」と見捨てて見向きもしないわけでもなく、ただただ「その馬なりのレース」を使ってその馬なりの賞金を稼ぐ。そーゆー人だと私は勝手に思っている。
 
 だから…正直言おう。松山厩舎の馬は、POG向きではない。「まだまだ」などと判断されてしまったら、ロクに使われない可能性が高い。かといって「後先考えずとにかく使う」なんてコトはやらないので、使う馬でも出走回数は増えない。調教本数がどうだとか仕上がりがこうだとかといった、わかりやすい数字だけ見てどうこう…ってタイプの調教師じゃないので、ド素人には不可解な判断(いきなり登録抹消とか)を平気でブチかます。今風の「わかりやすい」調教師じゃないのだ。何だかんだ言って「POGは嫌い」だと噂される松山調教師だけど、それもわかるような気はする。
 
 POGてゲームは、単に指名した馬が走る走らないだけではない。調教過程などを見て、「順調だな」「遅れ気味だな、これだとデビューは…」といった妄想を抱くのが、楽しみ方の1つだと思う。けど、松山調教師の場合は「全て任せました。煮るなり焼くなり好きにして下さい。走らなかったら、期間中に限っては駄目な馬なんだと諦めます。」という、「昔のPOG」と同様の態度を取るしかない。良くも悪くも、それが松山イズムである。それについて行けないような奴が手を出す厩舎じゃないと思うなあ。
 
 かく言う私が松山調教師の馬を指名するのは何故か?信者だから。任せておけば心配ないので。結果が出なければ哀しいけど、「それもまた競馬」だと割り切れるので。それこそが「正常」であり、ド素人がアレコレぬかすのは「異常」だと感じちゃうんだな。まあ、今風の厩舎の馬に関しては私も調教で一喜一憂したりするけど、そーゆー馬ばかり指名するのは「疲れる」んだな。松山厩舎にお任せして、結果が出れば万々歳、結果が出なければ「苦しみを松山調教師と分かち合う」ってスタイルの馬が「私のPOGライフ」には必要なのだ。
 
 本日、私が「POGで指名した、松山調教師の馬」は2頭出走し、2頭とも勝った。1頭は未勝利戦だけどね。他の厩舎の馬なら「次はドコ使うんだろ、ワクワク」などと思ったりするけど、松山厩舎の馬は少し話が別。一切合切松山調教師に任せるつもりで指名したのだ。連闘で重賞にチャレンジしようが、故障でもないのにPOG期間を過ぎるまで休ませようが、「わかりました」しか言いようがない。まあ、どちらもやらないタイプの調教師ではあるけどね。ただまあ、久々に松山調教師のクラシック制覇が見たいのは間違いないので、そうなるように使ってくれれば嬉しい。松山調教師は、そんなことは言われずともわかっているはずなので、「そのように」使おうとはしてくれると思う。実際どうなるかは馬次第だ。
 
 しかしだなあ…コッチが勝手に「ダート向き」と勘違いしただけとはいえ、まさかカフェオリンポス(ダート馬)の下のシャラントレディを芝で使うとは…今年はこんなのばかりなんですが。他の厩舎所属の連中についてはさておき、松山調教師が管理しているこの馬についてだけは、「己の馬を見る目の無さ」を痛感させられますなあ。おかげで色々予定が狂って青ざめているんだけどね。はは、ははは…

10月26日2009/10/26 23:30

 本日は、あえて「普段の私と反する主張」をする。テーマはシミュレーションゲーム。専門性は極めて高い。そこのところご注意下さい。わからない方は置き去りにします。
 
 私は普段、「常識は疑え」って主張をしている。常識という名に安心し、深く考えずに受け入れるのは良くないと。この主張の正当性はともかく、一応はコレが私の見解だ。でも、本日はあえて「コレを常識にしよう!」ってな主張を行う。その価値がある…というより、フツーは「常識だと思ってないのはお前だけだ」ってモノに関してだけど。その常識とは?「後退における、カニ後退の禁止」である。
 
 カニ後退とは?後退の結果は、「nヘクスユニットを動かせ」と規定されている。この時、最終的な後退終了位置が、そのユニットが元いたヘクスからnヘクス未満しか離れていない(例:2ヘクス退却した結果、元いたヘクスから1ヘクスだけ離れた場所で後退を終了させた)ものを指す。言葉にするとややこしいけど、大半のウォーゲーマーには、どんな状態を指すのかわかると思う。
 
 最近のゲームの場合、カニ後退はルールにより明確に禁じられている。そうしないと「やっていいのか」って質問メールがすっ飛んできて、エラッタを出す羽目に陥るからだ。つーか、そう書いてなけりゃF男からの質問メールを覚悟して欲しい。回答内容が分かりきっていても、私は気になったら質問するようにしている。今回「カニ退却禁止は常識だ!」と主張したにもかかわらず、今後もそうし続けるつもりだ。現時点で現役のゲーマーにとっては「常識」かもしれないけれど、新規・出戻りゲーマーにとっては関係のない話である以上、ルールブックに明記すべき事項だと思うので。
 
 新規ゲームについてはまだいい。質問することが出来る。しかし、古いゲームの場合そうはいかない。昔はルールブックの書き方が甘かったから、明記していないモノは山ほどある。有名なところでは、EP版の「日露戦争」ではルールブックでは禁じられていない。その後出たエラッタなどで禁止された。探せば、エラッタが出てないとか、もしくは出たんだけど、今では極めて入手しにくい資料に発表された(ツクダ「オペレーション」掲載のエラッタをどーしろと?)なんてゲームもありそうだ。
 
 カニ後退を何故禁止するのか?ここでは深く踏み込まないけれど、今現在ウォーゲーマーの間では「直感的にオカシイと感じる」ものであるのは、ほぼ間違いない。コレを禁止してないルールブックを見かけたら、大半のゲーマーが「やっていいんだな」とは考えず、「ルールブックがヘンなんだな」と考えるものと思われる。後で出たエラッタにより禁止された例が山ほどあるからねえ。
 
 私が「カニ後退禁止」を常識にすべしと主張しているのは、少なくとも私は「カニ後退はOKだと、明記して認めたゲーム」を知らないからだ。「禁止していない以上、できるはず」という主張に基づく例はともかく、「やっていいです。ドンドンおやりなさい」とルールブックに明記したとか、エラッタでそう回答したって例は知らない。私が知らないだけかも知れないけれど、実例があるのなら是非教えて欲しい。カニ後退に関しては、「禁止してないけど、やっていいんですか?」「駄目」ってやりとりをひたすら繰り返してきた印象しかない。
 
 そこでだ。私はついに重い腰を上げて、「カニ後退禁止は、常識である」と宣言することを思いついた。明記してある場合はともかく、コレに関する禁止規定が一切欠けているモノであっても、常に「カニ後退が許可されているのではなく、ルールブックのミスである」と推定するべきだと。どこかで明確に「可能である」と書いたモノ(ルールブックなりエラッタなり)があって、初めて許可されていると考えるべきだと。
 
 何故今更こんな宣言を?コマンド誌89号付録に付いた「ベダ・フォム」のせいである。古いゲームの再版だけあって、やっぱりルールブックじゃカニ後退を禁止してねえ。コマンド編集部に問い合わせたら、案の定禁止された。そこでまあ、「カニ後退って、不文律として常に禁止されていると考えていいんじゃね?」と思ったわけだ。
 
 この宣言、一見すると「当たり前のことを」で終わりだ。私もある程度「今更」だと思う。けど、実は私個人にとっては「シャレじゃ済まない」って意識があるんだな。「武田騎馬軍団」があるから。このゲーム、ルールブックではカニ後退を禁止してない。エラッタでさえ問題にされなかった。発売された時期が時期だったので、その辺のツッコミが甘かったようだ。
 
 しかもご丁寧なことに、「武田騎馬軍団」の後退はヘンだ。ペナルティがあるとはいえ、敵ZOCでも退却できる…というか、しなくてはならない。あげく、ごく限られた局面で生じる話とはいえ、「退却を開始したヘクスに戻らなければならない」という現象まで発見された。最初のヘクスを退却先に含めてはイケナイって規定がドコにも書いてない以上、そうしなければならない(このゲームの退却先は様々な優先順位が存在する)場合が発生しうるのだ。
 
 もちろん、コレはどう考えてもルールがオカシイ。「退却した結果、元いた場所に戻ってきました」なんて、「イッタイナニヲシミュレートシテイルノデスカ!」って話だ。純粋なゲームとして考えても、なんかヘンなルールでしょ。ただ、コレを「オカシイから」と禁じる以上、「カニ後退」も同様の理由により「できない。後退経路を決める際の選択肢から外すべき」としていいのでは?って問題が生じる。
 
 この部分をどーするのかは、現在一応「検討中」のはずである。完全に禁止の他、「普通はやっちゃイケナイけど、ソレが一番優先順位が高いのならアリ」って意見もある。先ほど私は「カニ後退を明文で許可したゲームは見たことない」と書いたが、それに近いモノ、「ソレが当たり前のように受け止められていて、そうプレイされていた」ゲームがあるとすれば、この「武田騎馬軍団」かもしれない。私も詳しいことは知らないんだけど。
 
 武田騎馬軍団におけるカニ後退をどう扱うべきか?う~ん…正直わからない。私個人の見解としては、「カニ後退がアリってのは、ウォーゲームとしてオカシイ。よって、ルールブックとかエラッタとか過去のプレイとかデザイナーの見解とかがどうであれ、一切禁止すべきだ」と思う。ただこれは、要は「ルールブックにアリと書いてあり、確認の質問を受けて出たエラッタでもできると明記され、過去公式のリプレイとしてできることが示され、デザイナー自身が出来ると公言している」場合でも、「それでもオレは出来ないとすべきだと思う」って話だ。ルールブックがどうこうではなく、明白に「ゲーム批判」に踏み込むべき問題になる。再版スタッフがこれに固執した場合、再版もへったくれも無いのはわかってもらえるんじゃないかなあ。
 
 かといって…「カニ後退はアリだ!」ってルールにすると、「再版されたらルールが変わった!」と文句を付ける奴が出てくる可能性が高い。普通のウォーゲームの場合、カニ後退を禁じたからってこの文句を付けてくる奴は「無視しても良心が痛まない程度」かもしれないけれど、「武田騎馬軍団」はそうだと断言しにくい。数少ない「そういうゲームの1つ」だろう。じゃあ、そんなリクエストにお応えして、「カニ後退はアリだ!」としたら?私同様「ソレはオカシイと思う」って意見を述べるゲーマーは、それなりの数になると推定される。
 
 どっちにせよ文句を言われるのであれば、この問題については極力関わらず、「文句はオレのせいじゃない」と逃げるのがオトナの対応だとは思う。その意味では、カニ後退問題については「とにかく黙っている」のが正解のハズだ。ただ…それは私の流儀じゃない。「武田騎馬軍団」の後退ルールが最終的にどーなるのかはともかく、ウォーゲーム全般に通じる問題として、「明文で許可されていない場合、カニ後退は一切不可」とすべきだ…という意見は表明しておきたい。少なくとも、「武田騎馬軍団」以外でコレが問題になるケースは、ちょっと考えにくいのだからして。再版される武田騎馬軍団については、明文で許可するか、明文で否定するかのどちらかになるはずだから、現時点で「ドッチ」とは言えない。いずれにせよハッキリと「できる」「できない」と明記するので、私が提唱する「常識」と直接矛盾はしないはずだ。
 
 武田騎馬軍団についての話は蛇足みたいなモノだけど、カニ後退についてはやはり「常識として出来ない」としておいていいんじゃないかなあ。昔のルールブックって、この辺が実にいい加減だったんだよね…まあ、今のルールブックだって「多少はマシ」程度に過ぎないんだけど。ブツブツ…

10月29日2009/10/30 03:44

 菊池君は外したか…でも、社会人左腕を競合ナシで指名できたのは大きいかな。近大の荒木君を3位で指名できたのも大きい。とりあえず現時点では合格点だけど、肝心なのはこれから。オープン戦が始まる頃まで「誰が先発候補なのか」で悩まされそうだ。ふう…
 
 本日の話題は、「クルマが売れないのはゲームのせいかもしれない」としよう。ちょっと前にトヨタの幹部?がそう発言したらしいので。世間一般じゃ「そんなワケねーだろ!」って反論が渦巻いているので、あえてここでは「私なりの思考に基づき」肯定してみる。色は、迷ったけどコッチで。
 
 普通に考えたら、最近の若者がクルマを買わないのは、ゲームのせいじゃない。経済状況だとか、ナンパの手段としての地位低下とか、各種交通機関や店舗の整備とか…といったモノの方が大きそうだ。「ゲームのせいにするな」という意見はもっともだ。
 
 ただ、こういう意見を単に「アホらしい」で片付けるのは、ちょっともったいないと思う。明るいか暗いかはともかく、「クルマの将来」「ゲームの将来」なるものを考えた場合、実は鋭い指摘なのかもしれないからね。アホな発言をやらかした奴の全てではないけど、ごくごく一部は「未来を正確に予見していた」場合もあるのだから。
 
 クルマ全体の売り上げから考えた場合、ゲームはクルマの売れ行きを左右しない。そもそも用途が違いすぎる。クルマは移動手段であり、ゲーム機はどう頑張っても移動手段ではない。いわゆる「ネット越しの付き合い」が重視される用になった今、相対的に移動手段の地位は低下しているワケだけど、それでもリアルな移動手段の必要性は消えたワケじゃない。それゆえ、「アホらしい」で片付けたところで、大きく間違っているとは思えない。
 
 ただ…クルマって単なる移動手段なのか?と聞かれれば、多分そうじゃない。従来クルマに対しては、「ステイタスシンボル」とか「ロマン」みたいなモノもセットで語られてきた。考えてみて欲しい。道具としてみた場合、「移動手段」だということは、鉄道もクルマも同じだ。でも、電車にロマンだの何だのを感じる奴は「鉄」として特別な扱いを受ける(少なくとも受けていた)のに対し、クルマについて「ステイタスシンボルとして…」だの、「ロマンが…」だのといったことは、むしろフツーに語られてきた。もちろん、電車はクルマと違って個人所有できない(これは地味に大きいと思う)分、思い入れを投入しにくい。ただ、それを考慮に入れてすら、今まで「大きな差があった」のは事実だ。
 
 そういった「クルマに対する思い入れ」の1つに、「娯楽としてのクルマ」があったのは間違いない。ドライブに出かけるとか、「峠を攻める」なんてのが代表的だけど、単に「いいクルマを見せびらかす」なんてのも立派な「娯楽」だな。つまりだ。クルマを持つって言うのは、立派な「娯楽」の1つであり、映画・TV・本などと同様、ゲーム機も「ある意味では商売敵」だったと考えることが出来る。
 
 単なる移動手段として考えた場合、クルマってのは相当贅沢に出来ている。「商用車」と「自家用車」の車種の差を考えて欲しい。「単なる移動手段」なら、車種なんて商用車並みで事足りるはずだ。それをしないのは、色んな意味で「それ以外の付加価値」をつけているから。消費者がソレを欲し、自動車メーカーがそういう要望をかきたてることに成功し続けてきた結果として、今の自動車界があるわけだ。
 
 クルマもゲームも確かに同じ娯楽かも知れないけど、どう考えても「別腹」じゃない?確かに。「全てを娯楽として考えて…」って視点はある意味重要かも知れないけれど、それは政治家とか官僚とかシンクタンクとかが「日本の娯楽産業の構造とは」なんて巨視的な分析をする上では重要かも知れないけれど、おそらく「自動車メーカーのお偉いさん」って段階で既に「そんな見方をするのはどうかと」って話だと思う。あくまで一般的に言えばね。
 
 そんな「関係なくもない」なんて話をされても…と決めつけるのは、早いと思う。私が思うに、1つ「密接にバッティングする」部分がある。そこに与える影響は、地味にデカいかもしれない。ゲーム機では、レースゲームが出来る。これは、地味にクルマと直接バッティングするのでは…今回私が言いたかったのは、コレである。
 
 おいおい、どんなにリアルって言ってもだなあ…という気持ちはわかる。わかるけど、考えてみて欲しい。F1マシンを運転できる奴なんて、この世にごくわずかしかいない。「ごく普通の奴」は、コーナー曲がった瞬間Gで失神する。まあ、トロトロ走らせるくらいならできるかもしれないけど。
 
 それを考えれば、実のところ「スポーツカーでドライブする」も、「ゲーム機でレースゲームを遊ぶ」も、F1を「疑似体験している」ことに違いはない。そして、「ドチラがよりF1マシンに近いのか」は、実はビミョーである。最近のゲームの場合、部分的には「クルマを運転する」より明らかに勝るから。少なくともエンジン音だけはゲームが勝るんじゃないかな。
 
 F1って日本じゃそんなに人気は…などと言ってはイケナイ。F1は「頂点」なので極端かも知れないけれど、「車を速く走らせたい」というロマンは、それなりに重要だ。コレを否定されたら、トヨタがF1マシン走らせている理由が否定されちゃう。けど、「クルマを速く走らせるなんて、ゲームの中でやればいいこと」などと思われたら?それが全てとは言わないけど、若者に「カッコイイ!オレも真似したい!」と思わせるためにやっているレース活動が、クルマの売り上げでなくゲームの売り上げに貢献しているだけ…となったら、自動車メーカーは辛い。
 
 かといって、自動車界としてレース活動を中止するわけにもいかない。「クルマを速く運転したい」というロマンは、今でもクルマを売るための重要な宣伝手段だ。コレを否定しだしたら、デフレスパイラルが発生する可能性がある。クルマが「単なる移動手段」に成り下がり、クルマにロマンを感じる奴なんて「鉄」か、PC(個人所有物だってコトではクルマと一緒)にこだわりを持つ奴と同程度になっちゃうまで、「縮小の流れ」が続くことになりかねない。そうなれば、自動車メーカーの天下は終わりでしょ。
 
 今現在、ド真正面から「スポーツカーの運転なんて、しょせん疑似レース体験。それだったらゲームでイイ」なんて答える奴はいないと思う。ただ、昔だったら「多少背伸びしてでもクルマを手に入れた」奴の一部が、身の丈にあったゲームで我慢しているって例は結構多いのでは。単に「クルマかゲームか」という意識が芽生える前の段階で「コッチ」と選択しているので、正面切って選択迫られても「別の問題としか思えない」だけじゃないかと。
 
 まあ、クルマが売れない「主要因」は、どう考えてもゲームじゃない。でも、それを考えるのは私のやることじゃないだろうな。私はクルマ乗らない人だし。ただ、「クルマの魅力」の一部がゲームに食われているのは間違いないし、むしろソレが当たり前だってコトは忘れちゃイケナイと思うな。どちらも「可処分所得を何に使うか」って選択肢だからして。田舎じゃクルマは生活必需品だけど、「あくまで生活必需品。それ以上ではない」と思われたら自動車メーカーはアウトだから、結局は「可処分所得」うんぬんとして考えてもらう必要があるってコトは変わりない。
 
 それを考えると、実は「ゲームの発達がクルマが売れなくなった理由」だというのは、むしろマトモな現状認識なのかも。少なくとも、「他の業界がどうなろうとも、消費者がクルマに出すカネを惜しむワケがねえ」などと考えてるよりはマトモな意見じゃない?いずれにせよ「クルマが魅力的だと思ってもらえるには、どーすりゃいいのか」を考えなきゃイケナイことに変化はないんだけどね。
 
 しかしだねえ。私はクルマに乗らないけど、それだからこそ「クルマが魅力的じゃない」ってのは、ちょっと違和感があるのも事実なんだよね。多少は「羨ましいな」って気持ちはするから。たとえ「入手費用が1万円で、維持経費が月500円」であったとしてもクルマなんて乗らないと思うけど、そんな自分を「つまらん奴だ」と思うし。ゲームがどーのこーの言うのが重要かどうかはさておき、「クルマの魅力」って何なのか、もう一度しっかりと考え直してもらいたいな。結局大切なのはソコでしょ。