10月29日2009/10/30 03:44

 菊池君は外したか…でも、社会人左腕を競合ナシで指名できたのは大きいかな。近大の荒木君を3位で指名できたのも大きい。とりあえず現時点では合格点だけど、肝心なのはこれから。オープン戦が始まる頃まで「誰が先発候補なのか」で悩まされそうだ。ふう…
 
 本日の話題は、「クルマが売れないのはゲームのせいかもしれない」としよう。ちょっと前にトヨタの幹部?がそう発言したらしいので。世間一般じゃ「そんなワケねーだろ!」って反論が渦巻いているので、あえてここでは「私なりの思考に基づき」肯定してみる。色は、迷ったけどコッチで。
 
 普通に考えたら、最近の若者がクルマを買わないのは、ゲームのせいじゃない。経済状況だとか、ナンパの手段としての地位低下とか、各種交通機関や店舗の整備とか…といったモノの方が大きそうだ。「ゲームのせいにするな」という意見はもっともだ。
 
 ただ、こういう意見を単に「アホらしい」で片付けるのは、ちょっともったいないと思う。明るいか暗いかはともかく、「クルマの将来」「ゲームの将来」なるものを考えた場合、実は鋭い指摘なのかもしれないからね。アホな発言をやらかした奴の全てではないけど、ごくごく一部は「未来を正確に予見していた」場合もあるのだから。
 
 クルマ全体の売り上げから考えた場合、ゲームはクルマの売れ行きを左右しない。そもそも用途が違いすぎる。クルマは移動手段であり、ゲーム機はどう頑張っても移動手段ではない。いわゆる「ネット越しの付き合い」が重視される用になった今、相対的に移動手段の地位は低下しているワケだけど、それでもリアルな移動手段の必要性は消えたワケじゃない。それゆえ、「アホらしい」で片付けたところで、大きく間違っているとは思えない。
 
 ただ…クルマって単なる移動手段なのか?と聞かれれば、多分そうじゃない。従来クルマに対しては、「ステイタスシンボル」とか「ロマン」みたいなモノもセットで語られてきた。考えてみて欲しい。道具としてみた場合、「移動手段」だということは、鉄道もクルマも同じだ。でも、電車にロマンだの何だのを感じる奴は「鉄」として特別な扱いを受ける(少なくとも受けていた)のに対し、クルマについて「ステイタスシンボルとして…」だの、「ロマンが…」だのといったことは、むしろフツーに語られてきた。もちろん、電車はクルマと違って個人所有できない(これは地味に大きいと思う)分、思い入れを投入しにくい。ただ、それを考慮に入れてすら、今まで「大きな差があった」のは事実だ。
 
 そういった「クルマに対する思い入れ」の1つに、「娯楽としてのクルマ」があったのは間違いない。ドライブに出かけるとか、「峠を攻める」なんてのが代表的だけど、単に「いいクルマを見せびらかす」なんてのも立派な「娯楽」だな。つまりだ。クルマを持つって言うのは、立派な「娯楽」の1つであり、映画・TV・本などと同様、ゲーム機も「ある意味では商売敵」だったと考えることが出来る。
 
 単なる移動手段として考えた場合、クルマってのは相当贅沢に出来ている。「商用車」と「自家用車」の車種の差を考えて欲しい。「単なる移動手段」なら、車種なんて商用車並みで事足りるはずだ。それをしないのは、色んな意味で「それ以外の付加価値」をつけているから。消費者がソレを欲し、自動車メーカーがそういう要望をかきたてることに成功し続けてきた結果として、今の自動車界があるわけだ。
 
 クルマもゲームも確かに同じ娯楽かも知れないけど、どう考えても「別腹」じゃない?確かに。「全てを娯楽として考えて…」って視点はある意味重要かも知れないけれど、それは政治家とか官僚とかシンクタンクとかが「日本の娯楽産業の構造とは」なんて巨視的な分析をする上では重要かも知れないけれど、おそらく「自動車メーカーのお偉いさん」って段階で既に「そんな見方をするのはどうかと」って話だと思う。あくまで一般的に言えばね。
 
 そんな「関係なくもない」なんて話をされても…と決めつけるのは、早いと思う。私が思うに、1つ「密接にバッティングする」部分がある。そこに与える影響は、地味にデカいかもしれない。ゲーム機では、レースゲームが出来る。これは、地味にクルマと直接バッティングするのでは…今回私が言いたかったのは、コレである。
 
 おいおい、どんなにリアルって言ってもだなあ…という気持ちはわかる。わかるけど、考えてみて欲しい。F1マシンを運転できる奴なんて、この世にごくわずかしかいない。「ごく普通の奴」は、コーナー曲がった瞬間Gで失神する。まあ、トロトロ走らせるくらいならできるかもしれないけど。
 
 それを考えれば、実のところ「スポーツカーでドライブする」も、「ゲーム機でレースゲームを遊ぶ」も、F1を「疑似体験している」ことに違いはない。そして、「ドチラがよりF1マシンに近いのか」は、実はビミョーである。最近のゲームの場合、部分的には「クルマを運転する」より明らかに勝るから。少なくともエンジン音だけはゲームが勝るんじゃないかな。
 
 F1って日本じゃそんなに人気は…などと言ってはイケナイ。F1は「頂点」なので極端かも知れないけれど、「車を速く走らせたい」というロマンは、それなりに重要だ。コレを否定されたら、トヨタがF1マシン走らせている理由が否定されちゃう。けど、「クルマを速く走らせるなんて、ゲームの中でやればいいこと」などと思われたら?それが全てとは言わないけど、若者に「カッコイイ!オレも真似したい!」と思わせるためにやっているレース活動が、クルマの売り上げでなくゲームの売り上げに貢献しているだけ…となったら、自動車メーカーは辛い。
 
 かといって、自動車界としてレース活動を中止するわけにもいかない。「クルマを速く運転したい」というロマンは、今でもクルマを売るための重要な宣伝手段だ。コレを否定しだしたら、デフレスパイラルが発生する可能性がある。クルマが「単なる移動手段」に成り下がり、クルマにロマンを感じる奴なんて「鉄」か、PC(個人所有物だってコトではクルマと一緒)にこだわりを持つ奴と同程度になっちゃうまで、「縮小の流れ」が続くことになりかねない。そうなれば、自動車メーカーの天下は終わりでしょ。
 
 今現在、ド真正面から「スポーツカーの運転なんて、しょせん疑似レース体験。それだったらゲームでイイ」なんて答える奴はいないと思う。ただ、昔だったら「多少背伸びしてでもクルマを手に入れた」奴の一部が、身の丈にあったゲームで我慢しているって例は結構多いのでは。単に「クルマかゲームか」という意識が芽生える前の段階で「コッチ」と選択しているので、正面切って選択迫られても「別の問題としか思えない」だけじゃないかと。
 
 まあ、クルマが売れない「主要因」は、どう考えてもゲームじゃない。でも、それを考えるのは私のやることじゃないだろうな。私はクルマ乗らない人だし。ただ、「クルマの魅力」の一部がゲームに食われているのは間違いないし、むしろソレが当たり前だってコトは忘れちゃイケナイと思うな。どちらも「可処分所得を何に使うか」って選択肢だからして。田舎じゃクルマは生活必需品だけど、「あくまで生活必需品。それ以上ではない」と思われたら自動車メーカーはアウトだから、結局は「可処分所得」うんぬんとして考えてもらう必要があるってコトは変わりない。
 
 それを考えると、実は「ゲームの発達がクルマが売れなくなった理由」だというのは、むしろマトモな現状認識なのかも。少なくとも、「他の業界がどうなろうとも、消費者がクルマに出すカネを惜しむワケがねえ」などと考えてるよりはマトモな意見じゃない?いずれにせよ「クルマが魅力的だと思ってもらえるには、どーすりゃいいのか」を考えなきゃイケナイことに変化はないんだけどね。
 
 しかしだねえ。私はクルマに乗らないけど、それだからこそ「クルマが魅力的じゃない」ってのは、ちょっと違和感があるのも事実なんだよね。多少は「羨ましいな」って気持ちはするから。たとえ「入手費用が1万円で、維持経費が月500円」であったとしてもクルマなんて乗らないと思うけど、そんな自分を「つまらん奴だ」と思うし。ゲームがどーのこーの言うのが重要かどうかはさておき、「クルマの魅力」って何なのか、もう一度しっかりと考え直してもらいたいな。結局大切なのはソコでしょ。