5月15日 ― 2009/05/16 02:53
いつも楽しみにしている「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」にて私の記事が「引用」されたいたので、あえて返し技を。題して、「単純でわかりやすい勝利条件ってのは、実はすごく難しいと思う」だ。ある意味ワケわからん話題にすっ飛ぶ予定なので、その点ご注意下さい。
その是非はあえてさておき、シミュレーションゲームの中でも一般的な作戦級ゲームは、「直感と直結しない」勝利条件を採用していることが多い。ぱっと見は「優勢」であってもゲーム上は敗北、あるいはその逆なんてのは「当たり前」だ。
何故そうなるのか?理由は単純。大抵の戦いは「史実で勝利した側」が存在し、一般に史実で勝った側が「有利」である。そのため、単純明快な「見た目が優勢な側が勝ち」って勝利条件にすると、ほとんどの場合結果がミエミエになってしまう。それじゃあプレイする価値が薄い。そのため、実際勝った側に「ハンデ」が与えられるのだ。
私はどちらかと言えば「こういうハンデはアリでしょ」って趣味の持ち主ではあるけど、世の中にはこれを嫌う人間もいる。その代表はゲームデザイナー兼評論家の高梨先生か。「勝利条件における高梨イズム」については、前回勝利条件を論じた時に触れたとおりだ。
高梨先生の主張するような「盤上で優勢な側が勝ったという実感を得るべき」という主張は、私も「なるほど」と思う。そういう「直感的わかりやすさ」を追求する姿勢ってのは、やはり忘れてはイケナイと思うので。ただ、「現実問題として」どうなのかと言われると、難しい…というか、かなり無茶がある。高梨先生の意見も、実践面では「敗北する」(つまり、直感ではわかりにくい勝利条件にしてしまうこと)ことを視野に入れて述べておられるわけで。
これに対し、戦術級ゲームは「直感的にわかりやすい」勝利条件を採用している場合が多い。そのため、「だから戦術級ゲームが好き」って人間が少なからず存在するし、私も「直感的にわかりやすい戦術級こそが入門用に向いているんじゃ」って意見を展開したこともある。ただ…あえて言おう、実は「どちらが自然なのか」を考えた場合、実は勝利条件がわかりやすい方が不自然ではないかと。ここに「勝利条件」の難しさがあると思うな。
確かに、野球やサッカーでは「点を多く取った方が勝ち」という、わかりやすい勝利条件がある。それゆえ、我々は「それが当たり前」だと感じる。しかしだ。冷静によくよく考えてみると、この意見からして「必ずしもそうとは言えない」ことに気がつく。あえて言おう。野球やサッカーと言えども、「点を多く取った方が勝ち」とは限らない。
いやね、野球もサッカーも、「ルール上の勝利」は点多く取った方だ。けど、「勝利の実感」って、必ずしもルール上の勝利とイコールじゃないでしょ?言っちゃあ何だけど、野球では「どちらかと言えば弱小球団」スワローズを、サッカーでは「上位争いして当然」レッズを応援している私としては、そう言わざるを得ない。
まずは野球の話。我がスワローズは、毎年毎年本気で「優勝だ!」などと言えるような球団じゃない。「これはイケる!」と思う年もあるけれど、ヒドい時には「せめて最下位脱出してくれれば…」って年も多い。今年も正直言って、優勝できるとは…なにせ「石川・館山を特に苦手としていない」ジャイが上にいるからなあ。直接対決なんて、憂鬱なだけですよ。こんなスワローズがジャイと当たった時、私は正直言って「1勝2敗で止まってくれれば…」と思いながら試合を眺めている。負けた後の屈辱感はドコ相手でも一緒と言えば一緒だけど、ジャイ相手の方が「負けても仕方ない」と割り切りやすいのも事実。
また、同じ負けでも「ローテーションの谷間で先発投手が打ち崩されました」と、「クローザーが打たれました」じゃあ、意味が違う。スワローズの場合、高市だのユウキだので負けても「あっそ」で片付けやすい(それだけに、勝ったのはデカい)。でも、林昌勇が打たれるのは…WBC決勝戦、イチローの逆転打はせつなかった…日本代表に勝って欲しかったのは事実だけど、それでも、たとえ韓国代表として投げていても、林昌勇が打たれるシーンは見たくなかった…ついでに告白しよう。あの後追加点までは阻止した時、つい小さくガッツポーズしました(苦笑)。
野球はまだいい。実は野球ってのは、あれでも結構「戦力均衡」が進んでいるので。サッカーはもっとヒドいからねえ。「レッズがノンタイトルだと文句が言いたくなる」ってのは、別に贅沢な話だとは思わない(アントラーズやガンバなどのファンにもそう言う権利はあると思うので)し、「大宮アルディージャの正直な目標は、開幕当初から『残留』だ」ってのも仕方ないかな…ってなるわけで。中堅チーム、たとえば名古屋なんかと試合した場合、レッズだと引き分けでも飯が不味くて仕方ないし、アルディージャだと引き分けならメシウマだ。まあ、ある程度は試合展開にもよるわけだけど。
もっと言えば、「点を多く取った方が勝ち」ってスポーツであっても、「点の取り方がわかりにくい」ものだと、観戦しても何が何だかサッパリわからなくなる。私は以前、「アメフトって、何で点が入ったわけでもないのにあんなに騒ぐのかわからん」と真顔で言われて返答に困ったことがある。野球で言えばヒットみたいなもの(ヒットだけじゃ点は入らないけど、攻撃側のファンは喜ぶのがフツー)なんだけど…これをもって「アメフトってわかりにくい」と文句を言われても、「いや、そういうスポーツだから」としか言いようがない。
そもそもだ。「自然状態」では、優劣は勝負の前からわかりきっている…って方が多い。「食うか食われるか」って関係なら食う側が優位なのは分かりきった話だし、「雌を巡る戦い」でも、優劣は戦う前からほぼ決まっている。ただし、「優劣は決まっている」と「勝敗の行方」は必ずしもイコールじゃない(自然界でも「ジャイアントキリング」は起こりうる)から、ダメモトで戦う例はあるけど。
「直感的にわかりやすい勝利条件」こそが不自然というなら、戦術級はどうしてそれを実践出来るのか?これはカンタン。そういう「数少ない事例」を切り取ってくることが可能だし、それが当たり前だから。実戦においては、戦術級のシナリオにならないくらい「一方的な」状況が当たり前のように生じていたはずだけど、それらは「つまらない」のでシナリオにならないのだ。
「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」内には「B-29を零戦52型で撃墜できるかできないかで勝ち負けがきまる」という例が出てくるけど、これもまた「そういう部分が勝敗の対象となりうる事例を切り取ってきたから」に過ぎない。考えても見て欲しい。「零戦1機でP-51の大編隊を振り切り、なおかつB-29を撃墜しろ」ってコトを要求されたら、「このシナリオはオカシイ!」と言いたくならないか?でも、当時どちらが「一般的」だったのかを考えれば、実は「零戦でB-29を撃墜できれば勝ち」ってシナリオの方がむしろ「オカシイ」のだ。
話が作戦級・戦略級規模になると、さらにややこしい話が関係してくる。この規模の戦いにおいては、「お互い五分の状態で、ドチラも勝ち負けがあり得る」って状態だと、両軍とも全く動かないって場合が出てくる…というか、その可能性の方が高い。五分の状態での激突があり得たのは、どう頑張ってもナポレオン時代まで。それ以降になると、「お互い五分なら、先に動いた方が滅茶苦茶不利」って話になってくる。「勝負の大半が引き分け」なんてモノは、どう考えてもプレイして楽しくない。
戦術級ゲームでも、切り取り方を間違えると悲惨な話になる。その代表は「アニメの戦術級ゲーム」だ。アニメの主人公メカというのは「強い!絶対に強い!」のが当然であり、結果として「ザコは墜として当たり前」になる。エネルギー満載のビームライフル持った、マグネットコーティング済みのガンダム(当然パイロットはアムロ)相手に、学徒兵のザク単騎で何をしろと?これではタダの虐殺だ。ハルトマン(独空軍の、300機以上撃墜した大エース)でさえ、あの領域にあったかどうかは大いに疑問である。
かといって、ザコに多少なりとも勝機を与えると、それはそれで問題視されることもある。コンスコンのリックドム12機とガンダムが戦って、ジャイアントバズの「ラッキーヒット」でガンダムが1機も墜とさずに撃墜されたら、間違いなく文句が出る。そうは言っても、コンスコン隊としてみれば「まだ1機も墜とされていない段階」が一応は最強なのだから、ガンダムを撃墜できるとすればこの段階…って可能性はむしろ高いはずだ。これを解決するのは…「そんなシナリオはプレイしないでくれるに違いない」と信じる(実際、シャアのゲルググと戦うシナリオがあれば、多分みんなソッチをメインにプレイしてくれるはずである)か、ジオン側を「ガンダムはまず墜ちないので、12機やられる前にホワイトベースかガンタンクを墜としてね」ってトコロに誘導するか…って話になる。後者は立派な「わかりにくい勝利条件」の仲間だね。
そもそもだ。勝利条件設定が「すごく難しいモノ」の代表は、実は「戦術色の濃い」海戦や空母戦だって話がある。直感的には空戦よろしく「翔鶴がエンタープライズ沈めれば勝ち」とすればいい…と思いがちだけど、本当にソレだけで良いのかはかな~り疑問である。「お互い逃げ腰だったらどうなるんだ」って問題が絡むから。空戦の場合は「殺らなきゃ殺られる」って状況に持ち込みやすいけど、空母戦の場合は「どうやったらそんな状況に持ち込めるのか」を工夫しないとイケナイのだ。そこを安易に考えると、「米空母をつり出すためとはいえ、真っ昼間から戦艦隊でミッドウェー島を砲撃しに行くってのは、どうなのよ!」って問題が生じるわけで。海戦の場合だって、「最後の1隻まで戦うのは、何か違う気がする」って問題がありましたね。
良かれ悪しかれ、勝利条件ってのはプレイヤーを誘導する役目がある。プレイヤーってのは普通勝利を目指すので、「この戦いにおいて、自分は何をすればいいの?」ってコトを明確化する役割があるのだ。この「プレイヤーが何をするべきなのか」が直感的にわかりやすいものの場合、勝利条件は単純化できるし、そうすべきだ。しかし、ちょっと複雑な事例になってくると、勝利条件を単純化するのはすごく難しい。無理矢理単純化すると、「バルジの戦い」を連合軍反撃まで扱ったゲームにおいて、「いずれここまで下がるんだから」と、最初のラインから一歩も動かないドイツ軍をどう考えるのか?みたいな話が出てきかねない。実を言えば、勝利条件の「最も重要な存在意義」は、この「プレイヤーに何をやらせたいのか」を提示することではないかと思う。
その次に来るのが、誰にでもわかりやすい「バランス」である。お互いある程度の技量を持つプレイヤーが、ダイス目に極端な偏りもなく、影響のでかいミスもやらかさなかったと仮定した場合、勝敗が五分五分であって欲しいわけだ。引き分けって結果でも良いけど、「それが露骨にミエミエ」なのはあまりよろしくない。更に言うなら、この前提が崩れた場合、たとえば「私が軍神と対戦した」とか「何の因果か、ダイス運が滅茶苦茶悪かった」とか、「うっかり戦線に大穴開けた」とかいった場合、負けって結果が出るようにする必要もあるだろう。もっとも、これは要するに「ド素人は絶対勝てない=初心者に敷居が高い」となりかねないわけだけど。その上更に、「最初から引き分け狙い」などという消極的プレイが難しいと望ましい。サッカーの場合、最後の条件はあまり満たせていないことに注意。
そして…残念ながら?最後に来るのが「直感的わかりやすさ」だ。「勝利条件なるものに何を要求するのか」を考えてゆくと、そうならざるを得ないと思う。実際、スポーツを見たってそうなっているような。野球やサッカーはわかりやすいけど、「判定が重要な格闘技」(ボクシングとか)だと「素人ではわかりにくい試合が出てくる」し、ましてや「判定が全て」の競技(体操だのフィギュアスケートだの)になると、ド下手とメダリストの違いまではわかるけど…って世界になってくる。
もっとも、だからといって「直感的わかりやすさは犠牲にして良い」とまでは言えない。レース系の競技は「最初にゴールした奴が一番」という「わかりやすさ」を維持しつつ、競技が成立する程度に平等にしようと頑張っているモノもあるわけで。F1はこれをやりすぎた?結果「ホンダが見捨てたチームが独走状態」とかいう、ある意味ワケわからん結果に陥ったぐらいだ。一部では「ホンダが見捨てたから勝てるようになったんじゃ?」とまで言われているらしいけど。
レース系の競技の場合、「勝敗の直感的わかりやすさ」を優先したあげく、ものすごい不平等がまかり通っている世界もある。競馬だ。競走馬の値段で考えた場合、不平等もいいところである。野球やサッカーでさえ「球団単位の年俸格差は数倍程度」なのに、高い競走馬と安い競走馬だと百倍近い差があるワケで。その値段が競走成績に直結するとは限らない(そこが面白いところである)けど、どう考えても無関係ではない。これは露骨なまでの「不平等」ではあるけれど、だからってこれを是正しようと考える馬鹿はいないはずだ。それもまた競馬だからして。
勝利条件は、平等(バランスが良いという意味で)で、わかりやすい方が良い。これは間違いない。ゲームデザイナーとしては、そういう勝利条件を追求するよう、努力すべきだと思う。ただ、それは実は簡単にできることではなく、下手にやろうとすると別の何かが犠牲になりかねない…って部分は、ある程度覚悟する必要があるだろう。最悪の場合、その犠牲になるモノが「大事な部分」ってなりかねないわけで。それやこれやを考えた場合、「勝利条件ってのは、単純でわかりやすいに越したことはないけれど、無理にそうしてはイケナイ。でも、可能な限り単純でわかりやすくなるよう、努力するのは忘れないでね」という、「何が言いたいのかサッパリわからないんですけど」みたいな結論になっちゃうのかなと。これは、私の「文章をまとめる力」がないから…じゃないと思ってイイでしょうか?
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