4月1日 ― 2009/04/02 03:23
諸般の事情から更新が遅れてしまった。申し訳ない。特別な事情があったワケじゃないんだけど…
本日の話題は、ふと気になったコトを書いてみようかと。一応はここの読者の方への「依頼」ではあるんだけど、まあ形式的なモノだと考えて下さいな。
きっかけは、「ウォーゲーム日本史」誌である。先日書泉グランデでめでたく入手できた。ブックタワーにも置いてあったんだけど、それを確認したのは買った後の話(水道橋で馬券とPOG資料買い、その後神保町経由で秋葉原に至ったから)だったのだ。これを読んでいるうちに、ふと「過去のウォーゲーム雑誌全てにその記事が掲載されたライターって、いるのかな?」ってのが気になった。
そもそも、ゲーム雑誌の対象とは?うーん…正しいか自信ないけど、列挙してみよう。対象は商業誌のみとする。私が思いついた順なので、事実上順不同。面倒なので、発行元はとりあえず省略します。ホビージャパン(タクテクス創刊前)・タクテクス・シミュレーター(旧)・シミュレーター(新)・オペレーション・コマンドマガジン(コマンドマガジン日本語版含む)・ゲームジャーナル(同人時代はあえて除く)・プランサンセット、とりあえず以上だ。
シックスアングルはどーしたのかって?あれは「ゲーム雑誌」ではなく、「ゲーム単体」とみなした。形式的には雑誌なのかも知れないけれど、「ライター」って立場から見たら雑誌とは呼べないでしょ。なお、言うまでもなく、だからってこの雑誌?の価値がどうこうって話にはなりません。
余談だけど、上記の雑誌のいくつかは「正式な発行元がよくわからん」状態だ。旧シミュレーターって、発行元どこになっていたっけ?オペレーションもツクダでいいのかどうか、未確認。これらについては、もし知っていたら教えて下さい。マジに。
これら全てに原稿を書いたライターなんて…多分いない。推測ではあるけれど、それなりに有力だと思う。かなーり譲って「ゲーム関連であれば、ハガキ投稿採用でもOK」としても、駄目じゃないかなあ。
難関その1は、言うまでもなくホビージャパン。ウォーゲーム黎明期の産物だから、かなりの古参兵でないとリアルタイムで読んですらいない。当然私もリアルタイムでは読んでない。そもそも、タクテクスだってリアルタイムに読んだのは「月刊化直前」なのだ。
難関その2はプランサンセット。「ゲームサークルMiddle-Earthの機関誌」に限りなく近い存在だからなあ。ライターの大半が「この世界じゃ中堅程度」までなので、ゲーム雑誌時代のホビージャパンをリアルタイムで読んでいたかどうかすら怪しい人間ばかり。よって、この2つに原稿が採用された人間は、おそらくいない。まあ、この2つはあえて除外して考えてもいいとは思うけど。
難関その3は、オペレーション。実は私、その昔ちらっと読んだことがあるくらいで…中身がどーなっているのか、詳しくは知らない。知らないけれど、とりあえず「ツクダのゲームに関する記事がメインのハズなので、それなりにハードルが高いような。
逆に楽なところとなると、実はコマンドマガジンが筆頭に来るような。単純に号数の問題である。どこかの時点で総頁数がタクテクスを超えていると思われる。それだけ記事があれば、ライターの数も多いはず。また、現在も発行中なので「いずれ採用される」可能性もある。
総頁数は多いタクテクスだけど、案外「この雑誌専門の」ライター率が高いような気もする。この雑誌が消えた後、ゲーム界からは少し距離を置いている(完全に足ヌケしたかどうかはさておき)人が多いように感じるんですが。風の噂によると、「歴史群像」(学習研究社)などに「昔タクテクスに書いていました」ってライターの方を見かけるとか。
今度は視点を変えて、私が思いつく有名ライターの方から「推定採用実績」を考察してみよう。日本で最も多くのゲーム雑誌に記事が掲載された方は、私の推定では高梨俊一先生。つーか、他の方は「オペレーション」に記事掲載されたがどうかが怪しい。高梨先生だって怪しいけれど、まだ可能性はある。
では、難関3つを除くとどうなる?高梨先生はほぼ確実。鈴木銀一郎大佐や大木毅先生はどうだっけ?むしろ可能性があるのは柿崎唯先生かも…とまあ、何名がお名前は思いつくけれど、正直記憶に頼っているので、かなーり怪しい。もし「調べてみました」って奇特な方(流石にそう呼ばざるを得ない)がいましたら、ご一報いただければと。
色んな雑誌に記事が掲載されたからって、別に偉いワケじゃない。大切なのは「どこに」掲載されたかではなく、「どんな」記事が採用されたかどうかだ。でもまあ、新創刊されたゲーム雑誌を入手できたので、ふとそーゆーコトが気になったってだけの話だ。
他人のことばかり語るとツッコミが入りそうなので、私のことも白状しておこう。私は一応新シミュレーター・プランサンセット・コマンドマガジン(掲載年月順)に掲載されたことがあります。何気に多いな。でも、タクテクスには投稿すら採用されなかったんだよな。この雑誌が消え失せた今から思えば、ちょっとだけ悔しいかも。旧シミュレーターは一応リアルタイムに知っているけど、初めて自分で買った号が最終号だった記憶が…
「ウォーゲーム日本史」がどんな雑誌に育っていくのかは、これからの話だ。しかし、これが「ウォーゲーム史に新たな頁を刻んだ」ことは間違いない。それを記念して過去を振り返ってみようと思ったんだけど…なんかグダグダになっちゃいましたねえ。より役に立って面白い話は、手元に古い雑誌を持っている方々に丸投げします(苦笑)。
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