4月21日2009/04/22 03:07

 リーチザクラウンは惨敗。あの負けっぷりなら、多分アスコットへは行かないと思うけど…それにだ。あの馬は「とにかくぶっ飛ばす」以外あり得ないタイプの逃げ馬っぽいので、アスコットでどうにかなるとは思えないんですけど。
 
 皐月賞回顧はこれぐらいにして、本日の話題に行こう。本日は、昨日届いた「コマンドマガジン」に影響を受けたので、この色のネタで他に語るべき話題(予定してるのがあるんだけど)を差し置いて、あえて「勝利条件」をテーマに語ってみようかと。
 
 ジャンルを問わず、ゲームの勝利条件というのは、実に重要なモノである。それはシミュレーションゲームでも変わらない…と言いたいところだけど、昔々は比較的軽視されていたような気がする。あくまで私の印象なんだけどね。
 
 何で軽視されてきたか?誤解を恐れず、ザックリ説明するとこうなる。シミュレーションゲームというのは、将棋や囲碁のような抽象度の高いゲームと異なり、大抵「比較対象としての史実&現実」ってモノが存在する。そのため、勝利条件なるものは、言ってみれば「常識で考えればわかること」を規定しただけに過ぎないモノ…と言うことも出来る。「軍隊ボロボロ、首都を含む主要都市全部占領された」なんて状態で勝ったか負けたかなんて、悩む問題じゃないわけで。
 
 とはいえ、このやり方だけでは問題もある。シミュレーションゲームは大抵イコールコンディションではなく、「攻撃側」「防御側」がある程度決まっているものが多い。独ソ戦初期において、赤軍側に「独本土へ反攻せよ!」なんて命令を下すプレイヤーはいないわけで。ただ、この場合も「史実との比較」ってモノサシがあるので、「史実と比べてより進んだら攻撃側の勝ち、それを阻止したから防御側の勝ち」でいいじゃん…ってわけだ。
 
 ところがだ。こうした「単純な」勝利条件を設定すると、問題があるケースも存在する。よくあるのが、「史実の最終進出線を越えた場合、そこで守りに入ってしまう」って問題だ。ゲームにもよるけど、攻勢を継続できるほど豊富な部隊を持つ側が守りに入った場合、相手方はなすすべがない。事実上そこでゲームは終わる。
 
 一般に、プレイヤーは「ゲームに勝つように」プレイする。そうじゃないプレイヤー(主に「歴史検証ツール」としてプレイし、勝利を度外視する人のこと)の割合が多い趣味ではあるけどね。それゆえ、勝利条件はある程度プレイヤーを誘導する性質がある。かなり無理そうな目標であっても、すぐ後に破滅的大反攻がやってきそうでも、勝利条件が「行け」と命じるなら突っ込むしかない…と、一般的なプレイヤーは考える。勝利条件にケチをつけるかどうかはともかくだ。
 
 このような「勝利条件によるプレイの誘導」って概念は、その昔はあまり理解されてなかったように思う。ただ単に「当時の私」がよくわかってなかっただけって話はあるんだけど。ゲームプレイヤーは「後知恵」があるので、単純に「史実と比べてどうこう」だけで勝利条件を決めると、賢いというか姑息というか…って手を使ってその条件を達成しようとする危険性がある。仮に後知恵が無くても、自然と「ココまで来たら、後は守っていればいいんでしょ」って手を使われるかもしれない。お互い何も知らないのならともかく、片方が史実に詳しいとケンカになりかねない話だ。
 
 とはいえ、勝利条件でうまくプレイヤーを誘導すればOK…って話になるとは限らない。この手法、プレイヤーを「誘導する」と書けば聞こえは良いけど、やりすぎると「プレイヤーを縛る」って状態になりかねない。その結果、いわゆる「なるようにしかならない」ゲームになっちゃう危険性もあるわけだ。
 
 あえて名前は出さないけど、世の中には「この勝利条件を達成するために、プレイヤーは何をすればよいのか」を発見するまでが楽しくて、それがわかっちゃったら「毎回同じようなプレイ展開でつまらない」ってゲームが存在する。勝利条件その他による「プレイの縛り」がキツいタイプのゲームだね。ある種の推理小説のように、「犯人がわかっちゃったら、もう読む価値がない」わけだ。そんでもって、「そういうゲーム」を好む人ってのも、存在している。あえて誰とは言わないけれど。
 
 その逆に、こうした「複雑な勝利条件」を「陰謀ルールの一環」ととらえ、より素朴な勝利条件、つまり「誰が見ても盤上が優勢なプレイヤーこそが勝ったという実感を得るべきだ」という意見を強く打ち出している方もいらっしゃる。その代表は高梨先生かな。高梨先生がコマンドマガジン84号で「1942年5月(ミッドウェー前)にゲームが終われば、日本軍必勝の太平洋戦争ゲームを作れる」という趣旨の発言(冗談に近いけど)をしたのは、この「勝利条件に対する高梨イズム」をふまえてのことだろう。
 
 これに対し、「日本の戦歴」の連載を再開した(正式には新連載らしい)堀場氏が、「この時期だけを扱うゲームがあっても良いのではないか、それは決して日本軍必勝ではないはずだ」と主張なさっておられる。まあ、これまた言いたいコトはわかる。あの当時の「日本軍の快進撃」を「義務」だととらえれば、ゲームにはなりそうな気はする。むしろそう考えるのが一般的かもしれない。
 
 ただまあ…私は高梨先生とはまた別の意味で「日本軍必勝」じゃねえかって気がする。当時の日本軍は「全てが計算通りになる」って前提で話を進めるクセがあり、ちょっとでもつまづくと全てがご破算になりかねない「危うさ」があった。それがハッキリと出たのがミッドウェーだのガ島だのの戦況だったわけで。それゆえ、「こんなトコロでつまづくのはオカシイ!」などという非難を受けるのがイヤなら、結局は「日本軍プレイヤーが勝つために必要な作業を発見してしまえば、必ず勝てる」ってトコロにバランスを持ってゆく必要がありそうで。もっとも、これはあくまで私個人の「感想」に過ぎないので、工夫の余地はあるのかも知れないけど。
 
 勝利条件をどう考えるのかは、実は結構「イズム」に左右されるんじゃないかと思う。もっとも、どんなイズムがあって…ってトコロまで整理できているワケじゃないので、「より細かく説明してくれ」と言われても困るワケだけど。ただまあ、デザイナーごとに「勝利条件のとらえ方」がビミョーに異なり、それに対してプレイヤーごとに好き・嫌いがあるのは間違いないので、キチンとまとめようと思えば可能じゃないかと。
 
 イズムがあったからどうこう…という話は面倒なので省略しよう。ただまあ、とりあえず、「自分はこう考える」ってな意見、つまり、「自分がどのイデオロギーに属しているのか」は、自覚して損はないような。少なくとも、「ゲーム批評」を本気でやりたいのなら、ある程度自覚しておいた方が良いんじゃないかなあ。そんな気がする。
 
 ちなみに私は…どんなイズムなのかねえ?改めて考えてみたけれど、よくわからん。おそらくあんまり一般的じゃないような気もするんだけど。ただまあ、私は「好き・嫌いという感想は述べても、ゲームの批評はしない。するのはルールブック批評」だと決めているので、とりあえずがコレでいいのかな。はは、ははは…