9月13日 ― 2009/09/14 00:50
先日「戦国大名」を語った後、ふと気になったコトがあったのでそれを採り上げる。題して、「マルチにおいて『1位以外はビリと同じ』って姿勢は、現代的ではないのかも?」である。あらかじめ言っておくけど、今回は「結論」はない。トップになるため無茶苦茶な冒険ぶちかまそうとも、大人しく2着で我慢してチキンとののしられようとも、それは各個人の自由だ。それをふまえた上でお読み下さいませ。
私は「勝つ」ことが大好きであり、勝利のためになら何度負けたってかまやしない…という、結構特異な思考をする人間だ。マルチゲームでもこの思考はあんまり変わらない。無茶苦茶な劣勢であっても、常に「ここから勝つにはどーすりゃいいのか」を忘れないようにしている。そりゃまあ、私の精神力は「惑星面でニケを拾っても、役に立たない」(ゲーム「超人ロック」の話)程度に低いので、時にめげることもあるけれど。正直言って、今更この姿勢を変える気にはならない。
ただ…こういう姿勢が「現代的」かどうかは別問題。いや、プレイヤーの意識としては現代的も何もないと思うけど、今風のマルチゲームって、こういう「トップ以外は負け」って考えでは、プレイしにくいシステムを持つものが主流かも…って話だ。
「プレイしにくい」とは?うーん…感覚ではすぐわかるんだけど、説明するのは難しいなあ。「現代的な」マルチは、「他のプレイヤーを圧倒するような存在になること」を目指すのではなく、「ゲームエンドターンに他の人より少し抜け出していれば勝ち」を目指すモノが多い気がするんだよね。その結果として、「とにかくトップを!」と意識し、そこから逆算してどうこう…って戦略を練るより、もう少し地道にゲームを進めた方が得策になっているような。
この分野の始祖の1つと言われる「ディプロマシー」では、勝利条件は「全欧州制覇」などという、とてつもないものだった。当然、1人のプレイヤー以外はみんな滅ぼされる。実際そこまでプレイするのは大変で、残り3~4人になった段階で一番デカい国が「勝った」としてたように思うけど。「戦国大名」はこれよりマシだけど、他を圧倒して「天下はコイツのものだな」ってプレイヤーが出るまでとことん戦うもの。こーゆーゲームにおいては、「勝ち以外は負け同然」って言葉に説得力がある。だって、本当に同じなんだもの。
コレに対し、より現代的なマルチゲームは、もう少し「地に足付いた」勝利条件を要求することが多い。プレイヤーが滅びるなんてことはごく希で、言ってみれば「ゲーム終了時に、他のどのプレイヤーより少しだけ大きくなる」ことを目指すものが多い気がする。
日本の戦国時代に話を限定するのなら、「天下統一」の野望を叶えてくれるゲームってのは、「戦国大名」ぐらいなものである。「戦国ふぁいと」(ツクダ)も天下統一できたような気がするけど…流石にあまり覚えてないなあ。後は「戦国合戦絵巻」(アドテクノス)も、「天下布武」(GJ別冊)も、「新・戦国大名」(ウォーゲーム日本史2号付録)も、「天下を統一する」ゲームじゃない。
何故そうなのか?これは先日「戦国大名」を語った時に説明したような。「天下統一」は時間がかかるし、「つまんねー!」とブチ切れるプレイヤーを生み、高度な技量を必要とする。これは戦国時代の日本に限らず、いつどの世界を舞台にしたって当てはまる話だ。それともう1つ。「天下統一」って、案外ヒストリカルじゃない。実際問題としては「そんなものは見果てぬ夢」で終わり…ってことが多いからねえ。ヒストリカルな雰囲気に浸りたい…ってプレイヤーなら、天下統一より「史実と比べてどれだけ頑張ったか」が評価されるようなゲーム(「パックス・ブリタニカ」とか)の方がウケるでしょ。
もっとも、「ナポレオニック・ウォー」(GMT)みたいに、ヒストリカルっぽい味付けが強い(カードドリブンだし)上に滅亡なんてしないにもかかわらず、「1位以外は負けです」とルールに堂々と書いてあるゲームもあるけどね。あれは全プレイヤーが馬鹿…もとい、漢じゃないと面白くない。ナポレオンは欧州制覇の野望を、墺・普・露はパリ占領の夢を最後まで追求しなくちゃ。ついでに言えば、ナポレオンは勝利が絶望的になったとしても、芸術的とまで言われた「国内戦役」を再現すべく、気合いを入れる必要がある。何?そんなテンション高いのはお前だけだって?
現実では、「1番でなけりゃビリと同じ」と考える奴は少数派である。その意味では、昔のそーゆー勝利条件になっていたゲームの方がヘンだって話はある。おそらくは「ゲームだからこそ、そこまでやらないと」って発想の産物なんだろうな。ただ、これはどうやら現代的じゃないようだ。流行り廃りとは無縁そうなこの業界だけど、何だかんだ言って「時代」を感じることもあるんですよ。
もっとも…システムがどうであろうと、「やっぱり1位でなきゃ!」と考えるのは勝手だ。私の場合で言えば、「勝たなきゃ意味がない」競馬を趣味としているだけに、そーゆー意識は強いですね。多分この先ずっとそうだ。多少やりがいが無くなったのかもしれないけれど、それでも「勝利」という称号の価値は不変だと思うなあ。
とはいえ、ゲームをデザインする場合には、これは多少意識した方が良さそうだ。「1位以外なんて、単なる負けだろ?」って意識だけでマルチゲームをデザインすると、ウケないシロモノになりかねないので。カネが全てとは言わないけど、デザインするからにはある程度売れて欲しいからね。
もっとも、私としては「1位以外は全部負け」ってゲームをデザインして欲しい。私はそーゆー人間だから。世間の評価がどうこうって話は関係ない。私は評価する。「だからどーした」って話は大いにあるけれど、それを考えたら負けだ。「新・戦国大名」をプレイして、「面白いゲームだけど、何かが違う!」と感じたアナタ、私同様そーゆー気持ちを大切にして、「現代的じゃない」ゲームを待ち望んでみては如何。
なお、本日もオチは「だから、オレに期待するな」である。もう少しヒネリはねーのかと言われそうだけど、他に思いつかないんだから仕方ない。私の才能なんてその程度であり、変な期待をかけられるのは…(以下略)。
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