9月25日2009/09/26 03:04

 Google公式ブログ日本語版は更新遅いよ!テスト版のChrome(Devチャンネル)の最新版は4.0.213.1(勝手にアップデートしてた)なのに、まだ4.0.211.7の情報しか掲載してねえ。早く変更点をアップしやがれ。どーせいい給料もらっているんだから。
 
 知人のブログ(リンクあります)が「連続1000日更新」なるものを達成したらしい。普通なら「めでたいねえ」で終わりだけど、これを機に「ブログを更新するのは楽しいことなのか?」という疑問に答えを出したくなったんだそうな。そこでまあ、私なりの意見を述べてみようかと。もちろん、一般論で言えば長くなるので、向こうのコメント欄ではなくココで述べます。
 
 私は「継続は力なり」をモットーの1つにしているので、基本的に「続けるべきか?」と問われたら、続けるべきだと答える。何事も「継続して初めてわかること」がある以上、まずは続けるコトを考え、それが見えてきてからどうこう…って話だと思うので。そーゆー意味では、私に「ブログを続けるべきか?」と問うのは、あまり意味がない。返事はわかりきっているので。
 
 ただまあ、「そんなコトはわかっている」可能性は高い(そもそも私宛ってワケじゃないし)ので、ここでは少しヒネった回答を。何をもって「ブログを更新するのは本当に楽しいことなのか?」という疑問が湧いてきたのかは推測するしかないけど、「この辺じゃねえか?」って部分に私なりに意見を述べよう。
 
 まずは偶然発見した、このブログを見て欲しい。更新の大敵の1つ「マンネリから来る倦怠感」について語っている。知人のブログはここで言う「文系ブログ」に属するモノなので、更新が楽しいか疑問に感じるようになった理由がこの辺にあってもおかしくはない。なお言うまでもないことだけど、ここで言っている「マンネリ」は、更新している作者自身が感じているかどうかが問題になっている。よって、私が知人のブログに「マンネリだなあ」と感じているワケではない。そこは誤解しないように。読者の感じるマンネリ感も問題だけど、作者自身が感じるマンネリ感はより深刻でしょ。
 
 正直言って、「作者が感じるマンネリ感」は、このブログでも大敵だと認識している。そもそも、開設当初に「なるべく多彩な話題を」と志した理由からして、マンネリ感の打破が理由の1つだ。1つのテーマについて書き続けようとすると、飽きたりマンネリ感が出たりしかねないからなあ。「あまり構えず、気軽に更新し続けるには」どーすりゃいいのか考えた末、色んな話題を扱うと決めたのだ。
 
 もっとも…実を言えば、私も「マンネリ感」は感じている。それなりに長く続けてきたからなあ。いくらかは故意にやっている部分もあるんだけど、ある種のパターン化が生じ、「結局似たような話」に終始しているような…って感触を持つことは多い。時々色々試してみて打破を狙ってみたりもするけれど、正直成功しているとは…
 
 ただ、私はマンネリを比較的ポジティブに捉えている。要は「どこが悪い!」と開き直っているだけだって話はあるんだけど。ただ、こういう「マンネリ感」ってのは、結局「更新している奴が同一」だってことが原因である。多少目先を変えたって、「自分」から逃げることは出来ない。能力以上のことは出来やしないし、しょせん同一人物がやっている以上、ある種の「パターン化」から自由になるのは難しい。何かの拍子に「生まれ変わったように人格・思考・趣味が変化する」なんてことは不可能ではないけど、難しい。
 
 私がブログを続けている理由は、ごく簡単に説明するなら「それが楽しいから」である。今まで何度も「読者置き去り、オレが書いていて楽しいネタを扱うぜ!」と吼えているわけで。ただし、ここでいう「楽しい」は、ごく普通の趣味~読書なりTV鑑賞なりゲームなり競馬なり~といったモノとは少し異なる。「更新しなきゃ」という義務感とまるで無縁ではないし、「何でオレはこんな苦労を…」などと感じる日もある。正直、ごく単純な「楽しい」を目的にするのであれば、このブログはとっくに閉鎖していると思う。
 
 それじゃ何が「楽しい」のかって?言葉にすると誤解されそうではあるんだけど、それを承知であえて言おう。「自分の書いた文章を読むのは、楽しいから」だ。楽しいと言うよりは「ほっとする」とか「落ち着く」の方が近い気がするけど。出来によっては「更新失敗」扱いするし、アップしたとしても「出来が悪いなあ…」と落ち込むことは多いし、後日読み返して全部削除したくなることすらある。それでも、わかりやすく要約するならばこの言葉になる。時にマンネリを感じてうんざりすることもあるけれど、全体的には「誰が何と言おうとも、オレの書いた文章はオレにとって相変わらず面白い」と思うようにしている。
 
 ブログってのは、一応は「創作物」である。たとえパクリだらけであっても、「何をパクるのか」を決めるのは作者だから、広い意味では立派な創作物だ。こういうものは、時に残酷なまでに「自分」を反映する。「つまらんモノしか書けないのは、作者自身がつまらん人間だから」という言葉がある(良く聞く気がするんだけど、最初に言ったのは誰だろ?)けど、それはかなり当たっていると思うな。少なくとも、「読者があるブログを面白いと思うかどうかは、読者が作者を面白いと思うかどうかにある程度依存する」のではと思う。
 
 ということはだ。「マンネリ感を感じる」ってのは「つまらない」と似た意味を持つので、ブログ更新がつまらなくなったと言うことは、場合によると「読者である自分自身が、作者である自分自身をつまらなく感じているから」かもしれない。要は「最近自分自身がつまらなく感じているから」だってことだね。かつて面白かったけどつまらなくなったのか、実は元からつまらなかったのかはさておきだ。
 
 人間ってのは贅沢な生き物なので、何かの拍子に「自分自身がつまらなく感じる」ことはある。もっともソレを認めるのはイヤなことなので、直接認めることは少ないと思うけどね。ただ、「ブログ更新がつまらなく感じる」ってのは、自分自身が自分をどう感じているかのバロメーターになるかも。更新が苦痛になる理由なんてのは山ほどあるので、必ずしもコレに該当しないとは思うけど、それでも「最近の自分をつまらなく感じていないか?」と自問自答するキッカケにしてもいいような。
 
 かく言う私の場合、ネタが見つからない時は「最近つまんねー生活送っているからかなあ…」と自省することが多い。ただまあ、深く考えても何かが変わるワケじゃなさそうなので、「ネタ発見のため、感度上げなきゃ」と考えて終わりにしているけどね。ノリが悪い時には、あえて更新しない。気持ちのアップダウンなんて良くある話、「なんかつまんねええなあ…」と思ったら、無理はしない。下手に無理すると、深刻な自己嫌悪に陥りそうなので(苦笑)。
 
 とまあ、色々偉そうなことを語ってきたわけではあるけれど、よく読み返してみると「どーすればブログを続けられるか」って話にはなってないような気がする。もっとも、そんなものは純粋に個人の問題だ。叱咤激励が効きそうな理由でどうこうって話ならともかく、とりあえずはそーゆー理由で言い出したワケじゃなさそうだ…ってのは感じられるからなあ。とりあえず「アレが原因か?」と思い当たるフシはあったので、それを私なりの言葉にしてぶつけてみただけ。後は当人の問題だ。
 
 なお、今回の話は思いっきり「心に棚を作れ」(「炎の転校生」の名言)を実践した結果なので、私自身のことはスルーしていただければ。いやもう、さっきから心の棚がミシミシ言っているんですけどね…