8月3日 ― 2009/08/03 23:43
本日のネタは、分類の難しい話を。「愛と売れ筋テンプレート」について。まとまりは極めて悪いけれど、未来永劫まとまりそうもない話なので、それを承知で語ってみます。一応私がこの話を考えるキッカケに敬意を表して、この色で。
なんでこんな話をしているのか?最近、「売れる努力をするべきだ」って意見と、「それを追求することは、愛がない」って意見の対立を何度か目にしたので。私は「どちらも空しい意見だ」と思うけど、何故そう思うのか、説明しておきたくなったのだ。
私は「偉い人」でも「株に手を染めている人」でもないので、マンガ・アニメだろーがゲームだろーが、基本的に「自分にとって」どうこうって視点で語る。世間様が何と言おうと「私にとって面白くない」と思えば投げ出すし、私が「面白い」と思えば評価する。世間での評判がどうこう…って話は、入手の際に売り切れや行列を覚悟するかどうかって観点しか気にしたためしがない。
もっと言ってしまうと、私の好みは必ずしも「世間の好み」と一致しない…どころか、相当なズレがあるようなので、売れ筋商品に対して「狙いはわかるけど、私の好みじゃない」だけで片付けるコトも多い。強いて言うならシミュレーションゲームは「世間一般のゲーマーの好みと一致する」モノを選ぶ傾向があるかも…って程度だ。この趣味の存在自体が…って話はさておけば。
それゆえ、実は私は「この約束を守っていれば売れる」というテンプレートに従ったモノに対する評価は低い。世間一般、あるいは「主要購入層」の好みに合っているのだとしても、それは私の「ミートゾーン」とは限らないのだ。もちろん、一部は重なっているけどね。
このため、私は「テンプレートから外れた部分」の出来がどうこうって部分をイチイチチェックする。あくまで傾向で言えば、私にとって大事なのはソコだから。これは好みというか趣味というか…の問題なので、ある意味いかんともし難い。そのため、「単にテンプレートに従っていればいい」って作品のアラは見つけやすい。普通の人間だと気にしない部分を気にするから。
もっとも、だからって「F男の好むテンプレート」なるものは存在する。コレに従っていさえすれば、私は自動的に評価する…と思う。普通の人間だと気にするモノを気にしないってコトも多いと思うな。実のところ、私は「絵に味がある」と判断すれば、一般人なら単に「ド下手」と分類するモノでも評価する。この点、別に世間一般の人間と大きく変わるワケじゃない。単に「好みのストライクゾーン」が異なるだけであり、ストライクゾーンにある作品は評価し、そうじゃない作品は評価しないだけ。正直、「その作品に愛があるか」なんてのは、基本的にどーでもいい。
私はこのブログで心底好き勝手なコトほざいていて、ハッキリ言って「売れるため」の努力はほとんど(全く?)やってない。まあ、コレはある意味当然なんだけど。ここはあくまで「アクセス数がどうこう」なんて話と無関係に運用されているから。世のため人のために役立つかどうかって視点すらどーでもいい。だから、このブログが「売れる」とは思っていないし、そうなろうって気持ちも皆無に等しい。大事なのは「私が好き勝手にほざく」だから。
そんな私が言うのは何だけど、もし「売れるモノ」を作りたい、そーゆーモノを作って金儲けしたいとか、自分の知名度なり影響力なりを向上させたいとか言うのであれば、そのための努力はすべきだと思う。「愛があるかどうか」なんて、単なる自己満足に過ぎないコトが多いのだから。「売れる作品」ってのは幅広く共感を集める作品ってコトであり、それはつまり「自分と自分と似たような奴に留まらず、より幅の広い層に共感してもらえる」よう、何かしら工夫がしてあるってコトだからして。「オレが面白いと思えば、世間が何と言おうと面白いんだ!」なんてコトは、「売れ筋テンプレート」を創る側になってから初めて言える台詞である。
ただねえ。私が思うに、「小手先の」テクニックだけで売れる品を作れると思ったら、世間を甘く見ていると思う。「売れ筋」テンプレートに従ったモノなんて山ほどあるので、その中から「コレがいい」と選んでもらえるだけの「何か」が無いと厳しいと思うな。もっとも、それが「努力の末に獲得されたモノ」なのか、「ちょろっと細工するだけで達成された」のかは知ったコトではない。要は「何かしら秀でていればいい」のだ。
もっとも、「売れ筋テンプレートに従ったライバルの中で、自分の作品を選んでもらうための何か」なんてモノは、フツーは簡単に獲得できるモノではない。創作の世界でも、「素質」だけで何とかなるワケではなく、ある程度は経験とかも必要だからね。そのためのモチベーションが低いと、ハッキリ言ってどーしよーもない。このモチベーションの原動力となるのが、「愛」だって例は多いと思う。ただ、私に言わせれば、「売れたい、有名になりたい」って気持ちだけであっても、「ある程度の下積み修業時代」に耐えられる動機になりうるのであれば、それでかまわないのでは。
作品を鑑賞する立場にしてみれば、その作品が「自分にとって良い物と感じるかどうか」が重要なのであって、他はど-でもいい。ただ、「良いと思われるモノ」を創るためには高いモチベーションが必要なことが多い。モチベーションがあったからって良い作品になるとは限らないけど、これ抜きで良い品を作ることは難しそうだ。とはいえ、そのモチベーションとなるモノが「愛」なのか、「売れたい」という俗っぽい話なのかは、心底どーでもいい。
もっともだ。読者ってのは必ずしも「作品を楽しみ、評価する」だけじゃなくて、「おだてたり苦言を述べたりして、作り手を育てる」場合もある。特にマイナージャンルの同人誌の作り手なんて、いつ「心が折れるか」わかったモノじゃない。そんな場合は相手のモチベーションが上がるよう、「相手のモチベーション源は何なのか」を見抜いて褒める必要がありそうだな。ここで褒め方間違うと、舞い上がって「別のトコロ」に行っちゃう可能性もあるわけだけど。更に言うなら、「建設的な苦言」なんて、かな~り難しい。建設的じゃない苦言なんて「言うだけ無駄」なコトが多いから、まあ苦言を使うのは控えめにすべきなんだろな、本当は(苦笑)。
私は創作系の人間と言うよりは評論系の人間であり、グダグダ文句を言うだけで「自分自身でやってみろ!」と言われても反論不能だ。その意味では、創り手の苦労なんてまるでわかっちゃいない。ただ、作品の評価に限定するなら、「創り手の苦労」なんて心底どーでもいいモノのはずだし、そうあるべきだと思う。どんな苦労の末に生まれようとも、クズはクズ。そう言えない社会ってのは、やはり歪んでいると思うので。ただ…なんつーか、日本人は特に「苦労の末の産物です」ってモノだと評価が甘くなるような。「愛」もこれと同じ。大事なのは「作品に対するモチベーションの高さ」であって、それが愛なのか、別の何かなのかは知ったコトじゃないと思うんだけどなあ。
まあ、とにかく大事なのは「評価して欲しいなら、作品を世に問え」ってことかな。ここからして実行に移さないようじゃ、マジに論評に値しない。そんでもって、「実行に移す」ためには結構高いモチベーションが必要だ。それが無いような奴は、何を言っても無駄じゃないかな。つーわけで、私も色々頑張らないと…「短期集中連載1つ仕上げただけじゃ、ゲーム界に貢献したとは言い難い」からなあ…
コメント
_ 庭猟師 ― 2009/08/04 03:40
_ manicure ― 2017/05/04 16:10
Pretty! This has been a really wonderful post. Many thanks for providing these details.
_ choc ― 2018/05/02 14:40
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以下若干失礼な書き方をしますがご容赦を。実は昨夜、「F男も割と面白いことを書くようになったね」というようなやりとりをしておりましたので。敢えてエールの意味を込めて。
このコラムの各回について、ボクなりに面白いと思うときの特徴を考えてみましたが、やっぱり「実体験がベースにある回」「むやみに仮説を用いない回」の印象が良いように思います。私にとって親しみやすいテーマであることはもちろんですが、足場がしっかりしているだけに「ついていける話」になっているんです。
「仮説を立てて私見を展開し、最後は『ボヤキ+(苦笑)』で締める」…F王道パターンも個性だとは思いますが、どうも空中でグルグルしてるだけに見えてしまいます。
ここはもうひとつ読み手に届くものにまともに取り組んでみてはどうでしょうか。「ついていけない話」っていうタイトルそのまんまでは、やっぱり。。。こういうのはギャグにするから面白いんだって。
やればできると思うだけにもったいないね、と私は思っています。