8月10日 ― 2009/08/11 00:19
昨日はMiddle-Earth東京支部例会。しかし、そこでプレイしたゲームは「諸般の事情により」説明するのはちょっと…でも、諸般の事情により本日はゲームネタ。20年前に行われた「TAC-CON軽井沢」の思い出話なんぞ。
龍虎殿が「ユニット競り落とした」と持ってきた古いタクテクス。それを「第7艦隊」の記事目当て(「横須賀に浮かぶ空母ミッドウェー」が懐かしい…)にパラパラ読んだところ、タクコン軽井沢の紹介記事が。「戦国の一番長い日」テストプレイが行われたと紹介してあったので、私が参加したモノで間違いない。いやあ、本当に懐かしい。もう20年前になるんだなあ…
あの軽井沢タクコンでは、色々あった。私は「参加登録〆切ギリギリ」にダメモトで申し込みをした。理由は思い出せない。当落通知が来るはずの日に何の連絡も来なかったので、「落ちた」と勝手に思い込んでいた。ところが、よりによって前日になって急に「参加できます」って連絡が…あの、連日肉体労働系のバイト入れてたので、ヘロヘロなんですが…でも、行きましたよ。この当時はまだ若かったから。
ただまあ、前日になっていきなり…っておかげで、交通手段調べてねえ。とりあえずは早起きして鈍行で行くことにしました。カネが無かったので。ところがだ。電車の接続が悪く、軽井沢の手前の横川で足止め。時刻表見たら、次に軽井沢に停車する電車は「延々待たされ、遅刻確定の時間に、特急が来る」らしい…ブチ切れて、碓氷峠を歩いて越えることにしました。体力だけは余っていたからなあ。
まあ、確かに直線距離だけ考えたら、横川~軽井沢は決して遠くない。でも、言うまでもなくココは峠道だ。行けども行けども上り坂。「こんなトコロを往復させられたんじゃ、武田勢が箕輪城攻略に手間取ったのもわかるわぁ~」などと愚痴りつつトボトボ歩いていたところ、何故か猿に襲われかけた…どうも、私の前に車で通過した観光客が猿にエサをやったらしい。それを食っている猿に不用意に近づきすぎたのだ。怖ろしい殺気むき出しでコッチに向かってこようとしてたので、慌てて逃げました。以来、私は「猿ってのは猛獣だ。あいつら人間を襲う」と思っております。
最後ほんのちょっとは通りがかった車に拾われたけど、大半は歩き通して軽井沢に到着。ちなみに、これでも「電車待つより早かった」です。この時の「碓氷峠越え」は、私が山ほどやらかした「アホな行為」の中でも、筆頭の1つですな。
さて、会場に着いた。流石に何だかんだ言ってヘロヘロだ。ここは1つライトなゲーム中心に参加して、ライブRPGにでも参加申し込みしようか…などとダレたコト考えていたら、「戦国の一番長い日」テストプレイヤー募集という話が…前言撤回。気がついたら、あの「バカでかい日本列島」目の当たりにしてカンドーしてました。
テスト版のユニットやルールを眺め、早速プレイ開始…の前にちょっとひと悶着が。いやね、このテスト版では、石田三成の戦闘能力が2だったのよ。西軍の宇喜多秀家の戦闘能力は3なので、「関ヶ原の合戦の指揮を執るのは、三成じゃなくて秀家」ってことに…「これは哀しい!どんなインチキ使ってでも3にして欲しい!」とデザイナーに抗議した奴がいたんだな。私だけど(苦笑)。「代償として島左近(石田家の強い家臣)を平武将(このゲームでは、大将か平武将かでベラボーに違う)に格下げしてもいい!」と主張したモノよ。なお、製品版では三成の戦闘能力は3になっている。別に私があの日抗議したからってだけじゃないんだろうけど、それでも嬉しかったなあ。
この日テストしたものは、製品版とはかなりルールやユニットの数値が異なっていた。単純に「発売直前にお試しプレイ」なのではなく、マジに「テストプレイ」だったのだろう。参加者がかなり多数だった(10人近くいたはず)こともあり、皆で好き勝手やり放題、感想も言い放題だった気もするんだけど…どこまで役に立てたのかはともかく、デザイナーズノートに謝意が述べられ、更にこの日の参加メンバーの名前が「協力」って欄に記載されていた。当然私の名前もある。当然誇りと言えば誇りではあるけれど、今から思うと色々恥ずかしいですなあ…
このテストプレイに参加した人間は、気合い入りまくっていた。なにせ、誰1人として「プレイを中止して部屋で寝た」奴がいない。み~んなマップ周辺に張り付きっぱなし。いくら何でもメシは食ったはずなのに、カケラも覚えてねえ。他で何やっていたのか、見に行った記憶もない…というより、「それどころじゃなかった」って記憶がある。「夜中になると、流石にうとうとする奴が出てきた(自分含む)」ってコトは覚えているのに。
このように楽しくも狂乱の日だったわけだけど、私は戻ってから熱出して倒れました(苦笑)。肉体も精神も極限まで酷使したんだから、ある意味当然だけど。ハッキリ言って、もうあんな無茶は出来ません…と言うより、当時の私にあんな無茶が出来たってコトの方が驚きだ。いくらゲームのためとはいえ、そこまでするかね当時のオレ。
この「TAC-CON軽井沢」があったのは、1989年。20年前ですよ。そんでもって、今に至っても相変わらずゲーマーであり続けているわけだ。時々「オレの人生はどっかで間違ったような気がする」ことがあるけど、この時点ですでに手遅れだったんだろうなあ(苦笑)。まあ、ゲーム人生なんてそんなものですよ。
時は流れ、今じゃシミュレーションゲームもテーブルトークRPGも下火になり、あれほどの「熱気」は期待できない気もする。JGC(Japan Game Convention)は頑張っているみたいだけどね。今じゃあ体力・気力共に衰えまくり、当時と同じコトは絶対出来なくなっている(多分碓氷峠で倒れる…以前に、歩いて越えようなんて考えない)けど、若い頃は私にも「これだけの馬鹿」ができたんだなあ…しみじみ。今の若い奴にも、同じくらいの馬鹿がいてもらいたいなと思います。若い頃なんてみんなそんなモノだよね、そうだと言って下さい(笑)。
なお、この時の写真がタクテクスに掲載されていて、そこに「戦国の一番長い日」卓の写真もあったんだけど、そこに私が写っているかもしれない…マップ眺めるため下向いている関係上、顔は確認できない。でも…体型(私は今も当時とほとんど体型変わらない)と服装は「いかにもF男」だし、何より「ワケわからん箱」持っているのが…「何だこりゃ?」と眺めたところ、どうもソ連の国旗(鎌とハンマーと星)っぽい。そーいやあ「Red Army」日本語版(白ロシア大作戦)の箱ってこんな感じだよなあ…確かこの時、抽選でこのゲームをもらったはずだよなあ…「戦国の一番長い日」参加者でアレが当たった奴は他にもいた(山ほど配っていた)ような気がするけど、その上体型と服装がコレだと…当時は気がつかなかったけど、今から思えばコレは…うわ、恥ずい。
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