8月30日2009/08/31 01:11

 スペースシャトル打ち上げのニュースが届いた。それを読んでいるうち、「そーいやあ、スペースシャトルについてもう少し語っておきたいなあ」って気分になったので、私なりに語ってみよう。あんまり役に立つ話は語れないと思うけど。
 
 スペースシャトルが傑作か駄作かと聞かれたら、私としては駄作と認定するしかない。理由は単純。「開発の目的をロクに達成できてない」から。この機体が成し遂げた業績は決して軽くはないけれど、それらは全て「開発の目的」の範囲内であり、ある意味「達成してくれなきゃ困る」レベルの話。本来はもっともっと活躍しなくてはイケナイ。
 
 もっとも…これは「シャトルを作った技術者が悪い」って話とは言えない。私が思うに、スペースシャトルが駄作になっちゃったのは、「そもそもの開発目標が欲張りすぎ」だったからではないかと。今から思えば、「年間20回は打ち上げる」「米国のロケット打ち上げの全てを担当する」「宇宙開発だけでなく、軍用としても使う」なんて話は、無茶苦茶だからなあ。
 
 普通、こういう機体は開発目的を達成するために設計・製造される。そのため、無茶な要求を満たそうとして全体がワケわからなくなった…なんてコトも多い。シャトルも当然「そんな部分」を引きずっている。その代表が翼だ。あれは「打ち上げの際は無駄な質量、宇宙空間ではあっても無くてもどーでもいい」ものである。帰還の際に便利なのは事実だけど、別に必須の品ではない。普通に考えれば、メリットよりもデメリットの方が大きいはずである。
 
 にもかかわらず、何でシャトルには翼があるのか?実はアレ、「軍事目的で使うから」である。シャトル開発当時、「ソ連の人工衛星をシャトルでかっぱらってくる」ってアイデアを真剣に考えていたからなのだ。普通の宇宙飛行なら、帰還時に突入軌道を選ぶので、翼が無くても「アサッテのトコロに降りちゃいました」なんてコトは起きにくい。でも、低い高度を飛んでいる軍事衛星をかっぱらおうとしたら、軌道突入を選べない場合が想定される。その結果「モスクワに着地しました」じゃあ、意味がない。だから翼を付けたのだ。地上攻撃衛星やキラー衛星(敵の人工衛星を攻撃するモノ)がまことしとやかに語られていた(注:今現在公式には、まだこんなものは存在しない)時代だからねえ。
 
 今から思えば、シャトルの設計がワケわかんなくなった最大の元凶は、「とにかく全ての用途に対応する」って部分ではないかと。フツーの人工衛星打ち上げ・ドデカイ人工衛星の打ち上げ・有人飛行・各種軍事目的の全てに対応しようなんてのは、明らかにムシが良すぎた。クルマで言えば、「F1マシンと戦車と商用トラックと買い物用の足を1台のクルマで賄え」と言われたようなモノだ。この場合、砲塔は戦車として使う以外の局面では「思いっきり邪魔」だけど、同じようなモノとして翼が付いている。
 
 何でこんな要求がまかり通ったのか?これもわかりやすい。開発当時、ロケットってのは「使い捨て」が当たり前だった。これを再利用可能なモノに変更すれば、多少贅沢なモノ作ってもコスト的に見合うはず…って思い込みがあったのだ。実際は…いくら使い回しできたとしても、つまらん人工衛星1個打ち上げるたびに「人間打ち上げレベルの安全性確保」なんてやってらんない、それぐらいだったら使い捨ての方が安い…となったわけだけど。これは「もったいない」が必ずしも正しくない例かもね(苦笑)。
 
 「気軽に打ち上げられる使い捨て」と「再利用できるけど、毎回人間打ち上げレベルの安全管理」のどちらが良いのかは、今の目から見れば一目瞭然である。でも、当時の人間はそう考えなかった…ワケでもない。ソ連はシャトルを「利点は認めるけど、全体としてはアホくさい」と考えていたフシがある。ソ連版のシャトル「ブラン」は、実はほぼ純粋に軍事用途(人工衛星かっぱらい)に使うことを考えて作られたらしいって話があるくらいで。ついでに言えば、スペースシャトルは「有人じゃないと飛べない」のに対し、こちらは無人飛行が可能になっていた。いずれにせよ1回飛ばしただけで見切り付けられたけど。「どうもアホくさそうだ」とわかっていながら真似しちゃうってのが、当時の「軍事大国ソ連」の間が抜けていた部分だろうな。
 
 それともう1つ重要だと思われるのが、米国ってやっぱり「人工衛星打ち上げも、人間の操縦でやりたい」って意識が強いんだろうなってトコロか。ロボットのような「人間じゃないモノ」への恐怖は日本人より西洋人の方が強いとされているけど、この背景にはキリスト教がある。そんでもって、米国のプロテスタントって実は「原理主義的な色が濃い」ものだから、「自動機械なんぞに任せたくない」って思いはより強いんだろうな。また、鉄道より自家用車を好む国民性なんかも根底にあるのでは。
 
 米国の「人間を、宇宙飛行士の操縦技術を信じる」姿勢ってのは、時々「人間を信じてない」ソ連・ロシアの姿勢と対比される。ソ連・ロシアの宇宙船は「無人飛行が原則であり、無人でできないことは有人でもできない」のが原則で、柔軟性に欠ける(最近は多少変わってきたようだけど)ところがある。この姿勢は「月へのレース」で米国が勝利した大きな要因と言われているんだけど、スペースシャトルでは思いっきり裏目に出たのかも。
 
 それにしても、もう少し用途を絞ってだなあ…と言うのは簡単だけど、当時のNASAはそうもいかなかったんだろうな。なにせ「アポロ計画の次」だもの。変にショボい計画を出せば、失望されたあげく「予算あげない」と言われかねない。そんなこんなで、どこかで「地道な積み重ねよりもデカい飛躍」だと考えちゃったんだろうな。技術的には勝っているはず(これは実はソ連側も認めていた)なのに、「最初の人工衛星」も「最初の有人宇宙飛行」も負けたという悔しさから月着陸を成し遂げたけど、その代償として「着実な一歩の大切さ」を忘れることになってしまった…ってのは、言い過ぎかな。
 
 スペースシャトルの「罪」としてわかりやすいのは「二度の大事故」だけど、もう1つ「とてつもない罪」があるってのが私の意見。「スカイラブ墜落」だ。米国が打ち上げた巨大宇宙実験室「スカイラブ」は、本来スペースシャトルを使って機材や人間を送り込んで…って構想になっていた。ところが、スペースシャトルの開発が難航した上、予想外に地球大気が膨らんだ結果、「このままでは地上に落っこちちゃうんだけど、軌道修正どころかドコに落ちるのかさえ制御不能」って事態に陥った。スペースシャトルが順調に完成していれば問題にはならなかったはずだし、シャトル開発を優先するあまり他のロケットをないがしろにしていたツケがこんな形で出たわけだ。これは幸い大惨事を引き起こさなかったけど、「ニューヨークに落っこちる」「モスクワや北京を直撃し、核戦争が始まる」なんてコトになっても文句が言えなかった…ってことを考えれば、NASAがやらかした最大の失敗の1つではないかと。これも間接的にはスペースシャトルの責任だと思うな。
 
 構造面で言えば、何と言っても「最初から液体水素エンジン使う」のが…宇宙空間では効率良いけど、重力と空気抵抗がある地上じゃ使いにくいだけって話があるからなあ。確かに、「1段目と2段目以降で燃料変える」なんてのは、開発が大変だ。アポロ計画ではこれやったけど。それにしても、ブランみたいに「1段目は別のロケットに担当させる」ってやり方にすれば良かったような気がする。性能は良いんだけどねえ…ちなみに、当初の予定では「新型ロケットで使用する」予定だったけど。製造費用の関係からか別のエンジン(これまた液体水素エンジンだけど)に差し替えられたようだ。
 
 ちなみに、シャトルのメインエンジンに関しては、性能とは別の「罪」がある。あまりにも頑張ったエンジンを造った(造る必要があった)おかげか、その後のエンジン開発が滞りまくったのだ。「何度も使う」前提だから、量産がほとんど無いし、改良もあまり進んでない。シャトルに続く米国の宇宙飛行計画「コンステレーション計画」が、「シャトル計画とアポロ計画のツギハギ」っぽいのは、要はNASAには「それしかない」からだ。こうしてみるとシャトルって、宇宙開発計画を飛躍的に推進させるはずだったのに、停滞させたような…あげくロシア製エンジンを輸入して使っている有様だ。
 
 もっとも、シャトルが駄作なのは技術者が悪いからではない。むしろ、「駄作にしかなりようもない要求の中、アノ程度で済んでいる」と評価すべきではないかと。いつまで経っても完成しないとか、まるで使い物にならないとか、「1回飛ばしただけで公園のオブジェ」(ブランはこうなった)とか、「エンジン大爆発してどこぞの大都市に墜落する」とかいう事故を通り越して災害起こすとか、そういう「悲惨なモノ」にはなってない。私が思うに、シャトルってのはそんなレベルのモノであっても不思議じゃないくらい、最初の出発点が間違っていた。そんなものを「論評に値せず」ではなく「駄作」に留めたのは、米国の技術力の高さなんだろうな。ただ、それでも駄作にしかならないんだよね…
 
 スペースシャトルを「駄作だ」と評価することによってわかった「教訓」は2つ。まず、「最初の構想が間違っていれば、どんな良い物を造ってもクズ」ってこと。上からの命令が間違っているので、現場がいくら頑張ってもロクな結果にならない…ってのは、どんな世界でも「良くある話」だね。もう1つは、「大きな飛躍を狙うと、ロクなことはない」ってこと。技術なんてモノは、やはりコツコツと地道に改良を積み重ねてゆく方が勝るのだろう。シャトルはその反面教師として記憶する価値があるだろうな。もっとも、だからってソユーズが今でも宇宙を飛んでるのはどうかって話ではあるけど。
 
 スペースシャトルは駄作だと思う。でも、「偉大なる駄作」ではないかと。駄作だけど偉大、偉大だけど駄作ってモノがこの世にはあるんだよ。実は私、そーゆーモノは嫌いじゃない。ただ駄目なだけとか、ただ素晴らしいだけってモノにはない味があると思うので。シャトルの功績は言うに及ばずだから、ここではあえて「影」中心に語ったけれど、アレは偉大なんだよ。それは忘れちゃいけませんね。
 
 もっとも…日本人である私としてみれば、「退役後はどーすんだ」ってのは気になりますね。日本の有人宇宙飛行って、米国のシャトルが全てだったからなあ…コレも立派な「初期構想の誤り」の1つだと思うけど、どうかね。