12月16日2009/12/17 01:23

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 香港の馬券はイマイチだわ、PO馬の成績はイマイチだわ…と、ロクなコト無かった先週の馬券ライフ。その憂さを晴らすべく?本日は競馬の話題。「有馬記念ファン投票を考える」としよう。以前から暖めていたネタなので。
 
 有馬記念と宝塚記念は、ファン投票を元に出走メンバーを決めるレースとして有名だ。しかし今年の有馬記念には、ファン投票で1位になったウオッカは出走しない。したくても出来ない。競馬のルールに従い、有馬記念への出走が禁じられたから。少し前に、知人のまくはりすいよう殿が自身のブログ(コチラ)で「これは問題だ」ってな趣旨の発言をしておられる。
 
 何故問題なのか?簡単に言うとこうなる。ウオッカが「有馬記念に出走できない」となったのは、JC直後ぐらい。にもかかわらず、その後も票を伸ばし続けて1位を保った。流石にペースは落ちたけど。仮にその票が全部ある特定の馬(それ以前は0票とする)に集中していたら、有馬記念へ出走できるだろうってぐらいだ。こういう死票が山ほど投じられながら、問題視されないのはおかしいと論じているわけだ。
 
 これに対し、私の個人的意見は真っ向から対立するモノだったりする。「それはちっとも問題じゃない」と思っているので。その理由を説明しよう。私は、有馬記念(&宝塚記念)のファン投票ってのは、競馬ファンの「こういう出走メンバーのレースが見たいなあ」という、「妄想に近い夢」を集計し、その中で名前が多く出てきた馬に出走権を…って性質のモノだと思っているのだ。よって、ファン投票に「問題視すべき点」があるとするならば、「JRA所属の現役馬に限る」って部分ではないかと。本質的には、「そんなメンバーのレースが実現可能かどうか」なんて無視して、地方海外はおろか現役を引退した馬(生死を問わず)、果ては「もはや競走馬じゃないモノ」まで含めるべきとさえ思っている。
 
 ただまあ、JRAは単なる「競馬会」であって、魔法使いではない。人間やらクルマやら自転車やらを出走させるのは無茶(そもそもゲートに入るか?)だし、あの世から馬を連れてくることもできない。種牡馬入りした馬でも問題だらけだし、現役競走馬であっても地方・海外勢をどうこう…ってのもタイヘンだろう。それに、対象を広げすぎると「この投票は有効票なのか?」ってのを調べるだけで気が遠くなってしまう。それを考えれば、まあ現在の投票対象ぐらいが適切なのかなと。「縛りは可能な限り緩く」が基本なので、これ以上の制限には反対だ。
 
 私とまくはり殿で、こうも意見が異なるのは何故か?おそらくは「ファンの投票」なるものをどう考えるのか…って部分の違いではないかと。私の場合、ファン投票ってのは「夢というか妄想というか」ってな産物でかまわないと思っている。有馬記念の出走メンバーって形で実現するかどうかは、レース主催者のJRAが実際の出走メンバー決める際に考える問題であって、投票するファンが考える問題じゃねーだろと。「オレはこんなメンバーのレースが見たい!」と思うのは勝手であって、そこに水を掛けるような制度にする必要はないし、して欲しくない。
 
 これに対し、まくはり殿は「実際に出走しそうな馬」から選ぶべきだと考えているようだ。確かに、ファン投票の内容次第では出走できるかも…って馬がいる以上、真面目に考え真面目に投票するのがスジだという見解もできる。単純に「正しい・正しくない」で区分けするのなら、正しいのはむしろコチラだとは思う。でも、私は「正しい」とは言えても、共感は出来ない。
 
 こんなコトを書くと、「有識者の投票」で決まる年度代表馬に対する「攻撃的な姿勢」(私はケチを付けることが多い)と違うじゃねえか…と言われそうなので、ここで弁解しておこう。ファンの直接投票の場合、「どんな的外れだろうとそれはそれで尊重すべき」だけど、有識者ってことで「特権的な地位」にある奴が的外れな投票をしたのなら、「何でお前が特権持っているんだ?」って話になる。無責任であって問題ない人間と、無責任じゃ困る人間を混同するのは、色んな意味で良くないと思うから、アッチにはケチつけることもあるのだ。
 
 あくまで私の基準に従えばだけど、「死票が山ほど出る」のは問題じゃないのだ。多数決ってのは、そーゆーモノでしょ。全員一致でない限り死票は必ず出る。でも、それはある意味では「健全な証拠」だ。「常に全員一致」という、死票のない社会とは…を考えてみれば、それはわかるはず。多すぎたらそれはそれで問題ではあるだろうけど、有馬記念という「遊び心優先の企画」において、ファン投票1位の馬に投じられた票が「出走できないから死票」だったからと言って、私は問題だとは思わない。むしろ私は「無効票扱い」の増大を嫌う。死票は「投票は認められたけど、結果が出走メンバーに反映されなかった」だけど、無効票は「投票行為そのものが否定された」ことになるから。だから、まくはり殿がウオッカへの投票を「実質は無効票」と呼んでいることには、「違う!」と言いたい。声を大にして。あれはあくまで死票であって、無効票の同類ではない。「オレはウオッカに出走してもらいたい」って思いは公表されたのだから。
 
 実質は無効票ってのは、たとえば「投票総数が一定数に満たなかった馬への票」に対して使う言葉だと思う。まるで結果が公表されない以上、「最初から投票しなかった」場合とどこが違うのか、サッパリわからないからね。そういう「実質無効票」を「死票」に替えるべく活動してきた同人サークルがあって、私はその活動をずっと応援してきたのだ。ごくささやかにではあるけれど。ウオッカへの投票を問題視するかについては「見解の相違」の範疇だと思うけど、無効票と死票の混同は「有馬グランプリ」殿14年の同人活動をおとしめるような行為であり、私にケンカ売ってるようなものです。これだけはやめて下さい。真面目にとても哀しいです。
 
 出走できないことが確定した後に投じられたウオッカ票や、「1票の馬への票」の大半は、深く考えずに投じられた「不真面目な票」かもしれない。けど、私はそこに「誰が何と言おうと、オレはこの馬が有馬記念で走る姿を見たい!」というアツい魂の1票が混じっている可能性がある限り、そういう投票全てを尊重すべきだと思う。「大半がクズなんだから、多少大事なモノが削られてもかまわない」と考えるべきなのか、「大半がクズであっても、大事なモノは何1つ落とさないようにすべきだ」と考えるべきなのかは、議論の余地があることかもしれないけど。
 
 有馬記念&宝塚記念のファン投票については、JRAも何かしら見直しを考えているらしい。具体的にどうするのかはともかく、「良い方向」へと見直されて欲しいな。私は、その気持ちが人一倍強い。だって、その代償として14年の歴史を誇る「有馬グランプリ」殿の活動が停止したんだよ…私が「同人競馬文化の至宝の1つ」と賞賛し、いつもいつも応援してきたサークルなのに…

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