3月20日2012/03/21 00:46

 先日の疲労と、ネタ総ボツが響いて久々の更新に。ま、色々あるんですよ。色々と。こちらも反省しているので、ご容赦いただければと。
 
 本日のネタは、「ボードウォーシミュレーションゲームのクソゲーについて」。いや、何かクソな作品に接したとかではなく、単に昨年のクソゲーオブザイヤーが確定したので。携帯はかなり前に確定していたんだけど、据置の方は色々難航していたようで。私はゲーム機持ってないに等しい(携帯機持っているけれど、完全に専用機)のでROMに留めているけれど、関係各位にはお疲れ様でしたと言いたい。
 
 一口にクソゲーと言っても、その幅は結構広い。単純に「つまらないゲーム」とした場合、ワケがわからなくなる。この場合省略されている主語は「オレにとって」であることが多いんだけど、コレを認めると何でもかんでもクソゲーとなる可能性がある。この趣味に入りたての人間からヒネまくっているベテランに至るまで「万人にとって面白い」ゲームなんてそうはない。「全く存在しない」と言ってもいいと思う。その逆はあり得ると思うけれど。
 
 かと言って、「万人にとってつまらないゲーム=クソゲー」とすると、これまた該当作はほとんど無くなると思う。特にボードゲームの世界では。ボードゲームの場合、その気になれば「ルールを無視したプレイ」が可能だ。この点はプログラムって形で楽しみ方が固定されている電源ゲームと大きく異なる点でしょ。イチから創作したのとあんまり変わらないレベルで改変…となるとどうかとは思うけれど、「不具合を見つけたら勝手に直し、ローカルルールでプレイする」ことを何とも思わない人間がこの業界にいることは間違いない。かといって、「不具合訂正」を全く認めないとすると、クソゲーじゃないモノは存在しなくなる。ルールエラッタ1つ出ただけでアウトってコトだからなあ。
 
 これらをふまえて物事を考えるのは結構ヤヤコシイので、「俺がツマラナイと思ったらとにかくクソゲー」という考え方で満足している人間も多い。この考えが全面的に駄目とは言わないけれど、問題点があるってコトは把握して欲しいかな。この世界、「対戦相手」ってのは重要だ。「オレが…」って考え方は「他人の気持ちなんか知らない」って思考に根ざしているので、行き過ぎると対戦相手がいなくなる。他の世界ならいざ知らず、狭いくせに我が強い人間ばかりのこの世界で「同じコト考えてくれる奴はきっといる」といった甘い考えは、通用しないと考えて良さそうな。
 
 誰かにとってのクソゲーは、別に万人にとってクソゲーではない。その逆に、誰かにとっての良いゲームは、他人にとってクソゲーたり得る…というのは、いくつも実例がある。わかりやすい例は、GMTの「Case Yellow」かな。コマンド誌103号とGJ42号(どちらも現時点での最新号)にレビューが掲載されているけれど、コマンドでは褒めていて、GJではケナしている。コマンドのレビューは前々からちょっと甘い傾向があるようで、「INVESION:Perl Harbor」って作品(日本軍のハワイ侵攻。架空戦)を95号でそれなりに評価していながら、96号の記事で自ら斬って捨てていたりする。とはいえ、GJも基本的には「レビューは手加減している」と思われるので、叩いているのは少し珍しい。
 
 面白いのは、このレビューは両方とも「キチンとプレイしてから」書かれたのではないかと思える点かな。褒めているように見えて、実は「プレイしてないんじゃ」ってレビューなんて腐るほどある。そーゆーレビューは…って議論はとりあえずさておき、「プレイしてないから褒めている」って話が当てはまるゲームがあるのは確かだけど、このゲームはそうじゃ無さそうだ。にもかかわらず、意見が割れている。
 
 これはつまり、「ゲームの評価軸」なんて個人個人で大きな違いがある…って話である。どんなモノを評価し、どんなモノを評価しないのかは、個々人の嗜好に強く依存する。それをふまえずに単純に「○○さんがイイと言った=神ゲー」「××さんがケナした=クソゲー」って議論をするのは、色んな意味でどうかと。あんまり言いたくはないけれど、この業界「自分の好みをゴリ押ししてくる」人間がいるってコトも事実なんだよね。相手の好みも考えず。かと言って、空気読んで周囲の評価に迎合しまくる…って姿が正しいとも思えないし。
 
 そう考えると、軍神鹿内殿がよく言っている、「自分の評価軸を作れ!そのために、ツマンナイって言われている作品もプレイしろ!」というのは、色んな意味で金言だとは思うな。自分の評価軸が見えてくれば、必然的に「他人の評価軸」も見えてくると思うので。そんでもって、「評価軸の違う人間とどう折り合うのか」を覚えれば、対戦相手に困ることはなくなると思う。業界が滅びなければ。ただまあ、こういう人間が増えれば、業界が滅びることはないんじゃないかなあ。
 
 なーんてコトを書くと、「クソゲーって感じるのは個人の主観。そんなものは評価軸次第でどうにでもなるんだから、この世にクソゲーなんて存在しない」ってなりそうではあるんだけど、実際のトコロは「このゲームを評価するためには、どんな評価軸を持ってくればいいのか」…ってレベルの作品もあるにはある。そーゆー作品の存在を否定するような意見は、正直好きじゃないな。駄目なモノには駄目と言わないと、再び駄目な作品が世に出る可能性が高まり、結果として全体のレベルが低下する。全体が栄えているのならともかく、この小さい業界でそんなコトやっているヒマあるか?「良い作品」の割合を増やすため、あえて鬼になって「駄目な作品は駄目」と言うべきではないかと。
 
 その意味では、建設的な方向で「駄目なゲーム」を語る場ってのが存在していてもいいとは思うんだけど、実際問題としてそんな場がうまく機能するかと言えば、かな~り難しいだろうね。どーしても感情的な意見のぶつけ合いになりがちなので。せいぜいが飲み会などでそーゆー方向の話題になる…って程度かな。飲んでる場なら、多少の暴言もアリだろうし。
 
 かく言う私の評価軸はどうなのか?う~ん、改めて述べようとすると難しいなあ。私の場合、「理屈は考えずにとりあえずやってみよう!」って意見の持ち主であり、おまけにプレイ中に「こういう部分を評価すれば良いんだな」って考えたりするので、あんまり評価軸がシッカリしてない感じがする。あえてしっかりさせてないと言うのかなあ。どちらかと言えば「歴史再現性」は重視してない気はするけれど、雰囲気すら感じられないのは流石にイヤかも。ゲーム性は重視してる方だと思うけれど、それでも「お互いにやるべきコトちゃんとやっていれば、勝敗はわかりきっている」クラスなら許すような。許せないのは「有利な方はただボンヤリ動かしているだけで勝っちゃう」ってレベルだね。いわゆる「運ゲー」(技量より運で勝負が決まるゲーム。嫌う人は嫌う)に対しては、案外評価緩い。とはいえ、「やることがかなり固定的」ってなったら流石にイヤだな。あと、「オカシなルールを発見することが生き甲斐であり、それを公式に訂正させるべく執拗に抗議し続ける」のも、ある種の評価軸だな。
 
 「自分にとってのクソ」が「世間一般にとってのクソ」かどうかはわからないし、それを認めさせようと思ったら「広くソレを認めてもらえるだけの根拠」を示す必要があり、その作業は決して楽じゃない…ってコトは、覚えておいて損はないと思う。毎年毎年そーゆー作業やっている(しかもいちいち検証する奴までいる)んだから、クソゲー選んでいる連中は偉いと思うな。我が業界も多少は見習うべきかも(笑)。