10月1日2007/10/02 01:33

 マルコメのGⅠ制覇はいい。問題は香港に向かうのかどうか。行けば間違いなく、「マルコメ~!」という、現地民には全くもって理解不能なヤジが飛ぶ。恥ずかしい話だなあ。なお、暮れの香港に行きそうな日本人は山ほどいるけど、本当にこんなコト叫びそうな奴は自分自身しか知らない(笑)。
 
 マルコメ&アストンマーチャンを差し置いて、本日の話題は「ゴドルフィンの世界制覇」について。先月語るつもりだったのに、延び延びになっていたからなあ。ある意味ワケわからん話題なので、注意して下さい。
 
 私に言わせれば、ゴドルフィンは悪である。その理由は、競馬界だけとはいえ「世界制覇」をたくらんでいるから。この野望を持ってる奴は、何であれ悪と呼ぶに値する。
 
 ただし。迎え撃つ社台グループもまた「悪」なのかは微妙。こっちはとりあえず日本制覇を目指している(達成したって話はあるけど)けど、世界制覇と違って日本制覇は悪と呼ぶべきかどうかビミョーなんだな。これは単なるスケールの問題じゃない。
 
 世界制覇が何故悪か?世界ってのは、単純に言って色んな価値観に満ちあふれている。「日本の常識、世界の非常識」なんてのは、ごく当たり前のことだ。世界制覇ってのは、この価値観を1つに塗りつぶすことを意味する。これは確かに悪でしょ。日本は「1つの価値観に塗りつぶされるのが悪いこと」なのかビミョーな国だから、社台の野望も微妙となる。
 
 なんでゴドルフィンは世界制覇なんて考えているのか?私にもよくわからん。とりあえず目先のゼニカネの問題ではなさそうだ。その他色々と考えても、なんか違う気がする。結局のトコロ、「世界を制覇してやるのだ!」という、ある意味ガキっぽい野望が全てなのかもしれない。
 
 ゴドルフィンが世界の競馬界を支配するとどうなるのか?単純に言って、ドバイの殿下が「いい馬だ」と思う馬が、かなりの高率で世界中の大レースを制覇する。ただそれだけ。ただ…これは、ある意味とてつもないコトである。
 
 その昔英国のチャーチル首相は「ダービー馬を所有するのは、首相になるより難しい」と言ったそうな。これが真実かどうかはともかく、この手の名誉ってのは確かに入手しにくい。ある意味では市場経済原理に反しているから。どんなにカネ積もうとも、「ダービー馬の馬主」って権利そのものを買うことは出来ないからね。
 
 いやね、確かにカネ持ちはダービー馬の馬主になりやすい。カネにあかせていい馬買いまくっていれば、そのうちダービー馬をツモる可能性が高まるわけで。そもそも、ダービー出走馬の半数以上を「自分の馬」にしてしまえば、数年以内にダービーは獲れるでしょ。しかし、そのためにかかる費用は「何でそんなことしなくちゃイケナイのか」説明が必要なレベル。「カネを出せば、値段相応の品が手に出来る」という市場原理の基本法則(あくまで基本)を超越してるレベルではあると思うね。
 
 ましてや競馬である。競走馬ってのは、ある意味市場経済原則にケンカ売ってるような商品だ。「値段の高いクズ」が山のようにいやがる世界だからなあ。野球やサッカーでも時々「値段の高いクズ」の話が出るけど、正直競走馬に比べたらよほど計算できると思うな。人間と違ってカネの価値理解してないクセに、機械と違って繊細ときてるからねえ。「世界制覇」の野望を満たしたいって言うのなら、スペインかイングランドのサッカーチーム買収する方を選んだ方が手っ取り早いと思う。
 
 にもかかわらず、何で競馬界制覇?うーん、これはやはり何かしら独特の美学が関係していると思われる。そこから先になると、この私にも理解不能だ。ドバイの殿下の気持ちがそこまで理解できるんんなら、私は今頃こんなことしてない。ダーレージャパンの一員として働かされてるでしょ(笑)。現代表でさえ、どこまで理解しているのか未知数だってのに。
 
 そんなゴドルフィンを迎え撃つ「世界」の方だけど…とりあえず、欧州競馬は半ば乗っ取られた(苦笑)。ま、クールモアがいるから完全制覇はできてないようだけど。ガリレオについては良く知らないけど、モンジューはスゴい奴だからなあ…あいつの一族に「ギャフンと言わせたい」って気持ちに関しては、ドバイの殿下は私に匹敵するんじゃないかと。ファンタスティックライト様が当人にトンコロ喰らい、エレクトロキューショニストが息子にひねられたからねえ。ただ、「使っちゃイケナイ金」吸い上げられた私だって恨みは深いけど(笑)。
 
 欧州はともかく、問題は日本だ。ゴドルフィンは日本乗っ取りに成功するか?うーん…案外何とかなりそうな。このままで行けば、軽く乗っ取れちゃうレベルにまで日本競馬が落ち込みそうなので。むしろ、乗っ取られた方が日本競馬のためかもしれない。それぐらい日本競馬界は病んできているからねえ。まあ、今回は深く踏み込まないけど。
 
 とはいえ、冒頭でも述べたように、ゴドルフィンは本質的には「悪」だ。簡単に屈しちゃイケナイはずである。これは「心情的にはゴドルフィンの手先」である私にもわかる。わかるけど、「ゴドルフィンは悪だ、悪だから追い出さなきゃ」なんて理屈だけで追い出せると思ったら、多分間違いだ。仮に追い出せたとしても、そんな理屈だけでゴドルフィンを排斥しているようじゃ、日本競馬に未来はない。
 
 じゃあどうしろと?まあ簡単に言えば、ゴドルフィンに対抗しうるモノが必要だろうね。真っ向勝負して勝つとか、「ゴドルフィンの馬作りの理屈」に対抗できる馬作りの理屈とか。少なくとも「ゴドルフィンの力を借りなくても今の日本競馬を立て直す」ことぐらいはできないとマズいんだけど…
 
 その昔、ある調教師は著書の中で「日本馬が外国馬に挑戦するなんて無駄だ。そこには大きな差があるのだ」ってな趣旨のことを書いた。でも、それに続けてこうも書いている。その差は縮めることが可能だと。そういう努力をしている者こそが残っていくのだと。うーん、やはり「鍛えて最強馬をつくる」(故戸山調教師)はいいこと書いてあるよねえ。日本馬が海外で勝つなんてさほど珍しくはなくなったけど、それでも決して時代遅れな発言ではないと思う。ゴドルフィンと「戦う」ことになった昨今、日本の競馬関係者はこの言葉をもう一度深く噛みしめる必要があるんじゃないかな。
 
 なお、私は心情的にはゴドルフィンの手先であり、最終的には日本がゴドルフィンに屈することを心底望んでいる。体にゴドルフィンブルーの青い血が流れていないのが悔しいぐらいだ。だからこそ日本競馬には頑張ってもらいたいんだよ。ボロボロですぐ占領できちゃうような日本競馬界を征服して何が楽しい?やはりここは、ライスシャワーに交わされながらも最後まで踏ん張って2着死守したミホノブルボンのごとく、見事な抵抗を見せてくれないと。し・か・し、最後に笑うのは必ずや殿下である!日本の競馬関係者は、その日が一刻でも遅くなるよう、せいぜい頑張るがいい。わはははは…

10月4日2007/10/05 01:15

 古田の置き土産・浦和のACL準決勝初戦・スイープトウショウ京都大賞典回避など、語ることが多いはずなんですが、体調不良(咳が止まらない…)により本日はココまで。

10月5日2007/10/06 07:30

 注文したCDが届いた…のはいいんだけど、そいつをインストールするディスク容量が不足気味。いらんファイルを削除するのに時間かけてしまった。いかんね。普段からチャンと管理してれば…ちなみに、届いたのは音楽CD。ドアホウなシロモノです。ジャンルは色から想像してください。
 
 本日の話題は…少しだけ気合いが乗ったので、温存してたネタである「理想の師弟関係」なるものを語ろうかと。本来は色んな方面に関連する話題だけど、基調は昨日に引き続きこの色でいきます。
 
 現状、私は「師匠筋」の方々多数・「弟子」ゼロだと認識している。弟子についてはともかく、私に「師匠」扱いされることに文句を言ってきそうな人は山ほどいるけど、そこはあくまで「私の認識」ですから。なお、具体的に誰が該当するのかは一応伏せておく。余計な波風立てるつもりはないので(苦笑)。
 
 師匠筋の人間は、当然各方面に存在する。「そんなものいやしない、我こそ最強」と断言できるのは、立ち読みに関してだけ(笑)。競馬・ゲーム・ヲタク・PCといった、ココで扱う主なネタについて、私は権威でも何でもない。世間的にどうこうだけでなく、私の中でそうなっている。よって「偉そうなこと書き散らしてるけど、しょせん…」って意識があるのは否定できないなあ。先日「オチで自分を落とすことが多い」って指摘を受けたけど、その理由はココにあるんだろう。
 
 私がヘタレで、周囲にいる相手が「巨人」だからって、これは必ずしも「師匠として尊敬しなければならない」ことにはならない。世の中とはそーゆーものだ。でも私の場合、原則として「師匠筋」と扱って尊敬することにしている。序列は序列として厳然と存在する以上、キチンと認める方が精神衛生上よろしいので。そういうモノを認めないのは、いかなる理屈があるにせよ「逃げてる」ような気がするんだな。
 
 ただし。これは重要なことだけど、私が言うところの「師匠筋」ってのは、大半が「いつか乗り越えてやる」って野望の対象である。そりゃあ中には「スゴいことはスゴいけど、その分野で勝負しようとは思わない」って人もいるけどさあ。その代表は競馬関係かなあ。私の周囲にいる方々は(私も含めて)相当ブッ飛んでいるので、進む方向が分化しまくっているんだな。そのため、直接的に「乗り越えてやる」って対象になりにくい。総合的に考えた「格」なるものは一応存在するんだけど、これは逆に「競馬以外の要素」、年功序列とかオゴリ・オゴられ関係(経済力が影響する)も含めたものなので、多少アテになりにくい。
 
 師匠ってのは永遠に師匠であり、決して超えられないモノって意見もある。ただ…私に言わせると、この考えは寂しいかな。弟子が師匠を乗り越えない限り、どんどんスケールダウンしてゆくことになるからねえ。あくまで私の考えだけど、弟子は師匠を超えるべく努力する義務があると思うんだな。そうやって乗り越えたって、結局師匠は永遠に師匠である。「何かを教わった」恩は、消えることがないのだから。
 
 私は「不肖の弟子」もいいところであり、師匠を超えたって実感を持ったことは皆無。さらに弟子もいない。よって、「師匠を乗り越えるとは」どんなことなのか語る資格はない…はずなんだけど、ド派手な「師匠越え」を目撃しているからねえ。あの師弟関係を理想としている以上、「やはり弟子たる者、師匠を超えなくては!」って意識が強いんだな。その師弟関係とは、戸山調教師とフジヤマケンザンである。
 
 フジヤマケンザンが香港国際カップ(当時表記)に挑戦した頃は、「日本馬は外国馬にかなわない」が常識だった。正直私もそう思っていたし、何を隠そう、フジヤマケンザンを鍛えた戸山調教師がそう断言している。しかしだ。フジヤマケンザンは香港カップに勝つことによって、「戸山調教師は間違っていた!」と咆吼したのだ。戸山調教師の馬なら、戸山が鍛えた馬ならば世界相手に勝てるんだと。これを成し遂げたからこそ、フジヤマケンザンは偉大なんだと思うな。
 
 この時点で既に戸山調教師はお亡くなりになっていた。それゆえ、戸山調教師がどう思ったのかを知るすべはない。けれど、嬉しかっただろうなと想像することは出来る。自分が鍛えた弟子が自分を乗り越えてくれて。おそらく、師匠と呼ばれる人間にとって最高の醍醐味がコレではないかと。
 
 もっとも、こんなことは簡単に実行できるわけではない。どんなに師匠が優れていても、弟子が駄目ならどーしよーもないからねえ。また、あまり優秀すぎる弟子も「オレを越えて当然」となるので、あの感動はないような気がする。少なくとも「滅多にない」ことじゃないかな。
 
 でも、だからってそれを諦めたらいかん。少なくとも私は諦める権利がない。フジヤマケンザンに「理想の師弟関係とはこういうものだ」ってのを叩き込まれちゃったからね。よって、私は無謀を承知で師匠筋を超えるべく日夜精進しなくてはいけない。実際はヘタレである以上、無理・無駄ではあるんだろうけど。ただまあ、気持ちだけはちゃんと持っておきたい。つーわけで、私の「師匠筋」は首を洗って待っていて欲しい。いつか私が倒しますから(笑)。
 
 ついでに言えば、私は弟子にも同じコトを要求する。私の弟子だと名乗りたいのなら、私を倒すべく向かってきて欲しい。それができなければ、弟子とは認めない。今のところ「打倒F男!」と公言してる存在は知らないので、私には弟子なんていないことになる。こんな私の弟子になろうなんて奴がいるとも思えない上、さらにこんな難しいこと要求してるんじゃ、弟子なんて永遠にできそうもないんだけどね。ま、私も師匠筋から弟子と思われているワケじゃない(勝手にそう思っているだけ)ので、勝手に「師匠」呼ばわりされてる可能性は否定できないけど。そーゆー人には、「目標が低すぎ。その上乗り越えるつもりがないなんて、そんな志の低いこと言ってたら駄目」と言っておこう。
 
 本当はここに書かなかったコトも色々あるんだけど、周囲に公言可能な「私の考える師弟論」ってのはこれに尽きるかな。ああそうだ。最後に1つ言っておこう。私は年齢その他に関係なく「コイツはスゴい」と思ったら、もう私の中では師匠筋ですから。これを読んで他人事みたいな顔してるアナタも、ひょっとすると私のターゲットとしてロックオンされてるかもしれませんよ。つーわけで、とりあえず首を洗っておいてください。何度も言うけど、いずれ私が倒しますから。そうだなあ、20年後ぐらいに?(笑)←やっぱり落としてるなあ。この方がまとめやすいんだよね。

10月8日2007/10/09 00:10

 凱旋門賞と、本日の府中での新馬戦を見逃したのは痛いなあ…ブツブツ。おかげでノリが悪く、予定していたネタが総ボツ。つーわけで、本日の更新はコレまで。ブツブツブツブツブツブツ…

10月11日2007/10/11 23:52

 セリーグのレギュラーシーズンが終わった。まだCSが残ってはいるけど、記録面では区切りがついている。よって、色々と総括しておこうかと。
 
 今期のスワローズは最下位。何と21年ぶりだとか。へー、前の最下位ってそんな前だったんだ…オレも年を取るわけだ(苦笑)。ま、その頃からこの球団のファンをやっている関係上、「さすがに悔しいねえ」ってな程度だ。そもそも、今期については覚悟できてたし。
 
 とはいえ、個人記録はスゴい。首位打者(青木)がいて、打点王(ラミレス)がいて、最多勝投手(グライシンガー)がいるんだから。本塁打王も僅差の2位(ガイエル)がいる。それで最下位ってのは…さすがに何かオカシイでしょ。
 
 まあ、カラクリは明白である。グライシンガー以外の先発投手がアレで、中継ぎ・抑えがコレじゃねえ。特に深刻なのは中継ぎ・抑え。もうボロボロ。おかげで接戦での競り負けがやたら多く、個人成績の割に順位が伸びなかった。采配うんぬんが無関係とは言わないけど、あれでどうしろと。石井弘・五十嵐・河端・吉川が誰1人としてマトモに使えないのでは…
 
 とはいえ、采配面も威張れたモノではない。野手はともかく、若手投手の育成には「失敗した」としか言いようがないからなあ。もう少し上手く「捨てゲーム」を作って、そこで若手投手使って景気良く打たれる…ってシーンがもっとあっても良かったのでは。「短所に目をつぶり、長所を生かす」ってことがうまくできなかった気がするね。この点はやはり古田監督が「まだ青かった」からではないかと。
 
 若手野手育成に関しても、少し不満が…田中浩・飯原を戦力として育てたのはいい。けど、畠山・武内・宮出といった「長距離砲」が結局モノになってない。おかげでかなーりバランスの悪い打線になった感がある。こいつら全員「守備で高度なこと要求され、戸惑ったあげく打撃の調子も落とした」ってニオイがするんだな。ただ…古田監督の言い分もよくわかる。なにせ私は岩村の守備をまるで信用できず、「何でこんなバカ使うんだ!」と愚痴ってたぐらいだから。ちなみに、メジャーに行った今でさえ、私の岩村の評価は「あのクソバカ」であり、ジョッキー後○の次に首締めてやりたい男である(苦笑)。
 
 現時点での「来期の展望」だけど…とりあえず、五十嵐・河端・吉川が戻ってきそうな感じ。ひょっとするとシーズン終盤に石井弘が戻ってくるかも。この時点でかなり頼もしい…んだけど、問題は何と言っても外国人。ラミレスとグライシンガーは残ってもらいたいけど、引き留められるかなあ…一応希望はあるんだけどね。ラミレスにはJrという「人質」がいるし、以前「カネ優先じゃなく、残留優先にしろ!」と代理人を一喝して残留したって経歴がある。グライシンガーは元が安そうなので、来期分までは出せるんじゃないかなあ。とはいえ…はあ…
 
 しかしまあ、スワローズは外国人発掘能力が異様に高いので、何とかなるかも知れない。リグスは今期大ハズレだったけど、シーズン中に色々あったので同情の余地はある。契約交渉次第では残留させて問題ないと思うな。ガイエルは打率こそ低いけど、一応は本塁打王争いを展開してるわけで。アレをハズレと言っちゃあ可哀想でしょ。
 
 後は監督人事かねえ。誰がやるんだろ?秋季キャンプはフロント入り予定の伊東コーチが指揮するとか。この時点でまだ発表できないってことは、今現在「身動きとれない」人かもしれない。するってえと、内部昇格とか評論家招聘じゃなさそうだな…まあ、いくら何でも来月までには発表がありそうなので、それまで気長に待ちますか。
 
 ストーブリーグにはストーブリーグの楽しみってモノがある。じっくりと今期を反省し、来るべき来期に思いをはせるのは、結構楽しいものだ。ここをじっくり味わえてこそのプロ野球ファンってものでしょ。人気低下とか言われてるプロ野球だけど、浮ついた「ニセモノの」ファンが減っただけだと思うなあ。人気回復の努力は必要だけど、本筋を外さないようお願いしたいところだね。とりあえず来期は何とかしてくれ、スワローズ。三位以内に入れば、どーせ他は短期決戦苦手なチームだろ(苦笑)。

10月12日2007/10/13 02:07

 本日のネタはゲーム関連。ある意味、ものすごーく長い間暖め続けてきたネタを語ってみようかと。題して、「この趣味のドコが問題か」。ある意味しょーもないネタではあるんだけど、まあ語る意味はあるんでないかと。
 
 現在、このホビーは3つの要素が重要視されている。それは「ヒストリカル性」=歴史通りの展開になるか、「シミュレイション性」=ああするとこうなる、という法則が現実と一致しているか、「ゲーム性」=対戦型の娯楽として楽しいか、である。この三者を高いバランスでミックスしたものが「良いゲーム」と呼ばれる。この趣味に詳しくない人には悪いけど、何でそう呼ばれるのかは省略。
 
 ここまではいい。問題は、それを実現するのがベラボーに難しいところ。お互いにある程度矛盾してるので。大抵のプレイヤーは「史実ではどうなったのか」を知っているので、史実通り行動しようとしない。少なくとも負けた側は。そこをあえて史実通り行動させようと工夫すればヒストリカル性は高まるけど、「史実と別のことをやれば別の結果になる」というシミュレイション性を損なうことになりかねない。まして「何をやっても史実通り」では、ゲームとしてどうなのよ!ってことになる。
 
 指揮官(プレイヤー)が敵味方の事情に精通してる上、後知恵で「こうすりゃ良かった」ってことを知っている関係上、プレイヤーは史実で見られた失敗を繰り返さない。その分効率良く戦うことが出来る。シミュレイション性を高めていった場合、むしろそうならないとマズい。しかしこの展開はおそらくヒストリカルではないし、「強い方が勝つ」という身も蓋もない結論が出てゲームとしてもつまらなくなりかねない。
 
 ゲーム性を高め、「どっちが勝つかわからない」ようにするのは重要だ。しかし、そこにヒストリカル性があるのかは疑問だし、シミュレイション性すら「無関係」である。両軍共に手に汗握る展開…ってのは、これらを犠牲にしたところにしか存在しない。
 
 わかりやすくするため、たとえ話をしよう。そうだなあ、「桶狭間の戦い」のゲームを作ろうと考えたと仮定する。有名な戦いだけど、この三者のバランスを取りにくいテーマなので。極端な例だと思うけど、その方が私の言わんとすることがわかりやすいかなと。
 
 桶狭間の戦いで、「とにかくヒストリカル性を重視」したとしよう。今川プレイヤーの意に反し、今川義元ユニットは田楽狭間で「油断して」いる状態になる。そこに織田信長が奇襲をかけてくる。来るとわかっている奇襲をかわせないのはシミュレイション性に反するし、ゲームとして面白いのかが問題になる。
 
 じゃあ、シミュレイション性を重視すると?今川プレイヤーは油断しない。奇襲の可能性を考えつつ行動する。そうなれば兵力の多い今川が圧勝する。しなきゃオカシイ。これはヒストリカルな結果ではないし、ゲームとして楽しくもない。
 
 色々工夫して、今川プレイヤーが「奇襲されそうだ」って警戒してもバランスが良いゲームにしたとしよう。この場合、田楽狭間で今川義元が奇襲されるワケではないのでヒストリカルではなく、その上「圧倒的兵力を持ち、兵の質も低くないはずの今川勢が、何故か織田ごときに翻弄される」という、シミュレイション性にも問題がある展開になることを意味する。
 
 これを解決する方法は…まあ、簡単に言えば「バランス」である。何かを重視しすぎると、残りが「成立しない」ってことになりかねない。どれも適度に犠牲にしつつ、全体として「まあこんあものか」って範囲に収めれば、ボードシミュレイションゲームとして成立することになる。ま、ごく当たり前の話ですな。
 
 とはいえ、このバランスを取るのは大変だ。そもそも「どの状態がバランス良いのか」ってところが個々人によって微妙に異なる。だからこそ同じテーマでいくつものゲームが作られ、その多様性がこの趣味の良いトコロだったりするんだけど、同時に不毛な対立点を生み出し、さらに「わかる奴にしかわからない」入り口の狭い趣味へと成り果てた(実のところ、コレがこの趣味の欠陥である)のも事実だ。
 
 要はバランスだよバランス…ってのは、実は昔々から言われてきたことである。この趣味を比較的長く続けてきた奴なら、誰でも認めるんじゃないかな?そう考えると、「正しい結論」はとっくの昔に出ていることになる。ただし、その割には今なお「不毛な趣味」であり続けているような。
 
 何でそうなるのか?これはあくまで私見だけど、結論が「バランス」にあるのはマズいと思うんだな。この言葉はかなりのクセモノだ。「どんな状態が理想なのか」に対し、あまりにも多様な解釈が可能である。その結果、どっちも「バランスだよ」と語っていながら、実は相当食い違う主張をしていた…って事態が生じやすい。コレを防ぐためには「何をもってバランスが取れてると呼ぶのか」をすり合わせる必要があるんだけど、これはそもそも共通見解を期待できないモノだ。「バランスが大事」って主張は、間違ってはいないけど少し空虚な発言でもある。そう思う。
 
 コレを放置した結果は…果てしない混沌と分裂かな。「こういうものが良いモノだ」ってすり合わせがさほど行われていない結果、ゲーマーにとって「わかりやすい」モノだけを崇める傾向が強まり、「ついて行けない」人間を片っ端からふるい落としてきた。最近では多少反省しているけど、それでも「昔ゲームやってた経験がある」人間にアピールする程度。新規参入者などという「理解不能な」存在と何かをすり合わせようという気力すらない。
 
 そりゃあね、「わかる奴だけわかればいい」のは事実だ。でも、そうやって内に内に籠もってばかりいると、どうしても不健全な方向に走るんだよ。「健全な方向」がどっちなのかがわからなくなるからね。その結果進化の袋小路に突入し、「最近つまらない」などという愚痴が増え、この趣味を見捨てる奴が増え…ってことになる。
 
 これを回避するには…まあ、今の生き残りは一度「真のどん底」を経験した連中ばかりであり、その意味ではみんな「オトナ」である。だから、こういう問題点を抱えつつもこの趣味を継続しそうな連中ばかりだ。その意味では、「栄えもしないけど絶滅もしない」ような。オウムガイとかカブトガニみたいなものだな(笑)。
 
 とはいえだなあ。そーゆー状態に甘えていたら、良くないと思う。この私でさえ、10年後もゲーマーかどうか断言できない。10年は結構長いからねえ。私の周囲には「10年後どころか…」って主張しそうな連中に満ちているけど、実際は…かなーり条件に恵まれて9割ってところか。誰がどんな理由で離脱するのかはわからないけど。世の中とはそーゆーものよ。ついでに言えば、「生存最低数」(種が存続するため、最低限これぐらいは必要だろって頭数)下回ると絶滅早いよ。
 
 まあ改善の見込みがあるとも思えないので、嘆くだけ無駄ではある。その意味ではノー天気に「ノビノビ楽しくやればいい」ってのも事実。それで痛い目に遭うのも結局自分なんだし。私はそーゆー意味ではこの趣味の先行きは悲観的に捉えているだけど、まだまだやれることがあるのも事実。せめてそれまではいい夢でも見ますかねえ。とりあえず、軍神にEAST FRONTで勝つまでは消えないでもらいたいんだけど、どうかなあ(苦笑)。

10月13日2007/10/14 02:44

 昨日は暗い話題になったので、同じテーマで明るい話題に行ってみよう。題して、「新規ゲーマーはドコで探すのか」。ま、あまり本気にしないで下さい。
 
 新規ゲーマーなる存在を見なくなって久しい。生き残っている大学サークルもあるらしいので、軽々しいことは言わない方が良いのかも知れないけど…でも、「周囲のドコを見渡しても70~80年代にこの趣味始めた連中」って現状では、少し考えた方が良いのは事実。ま、これ自体はいつも私が主張してることだ。
 
 ここで問題になるのは、「どんな奴をこの趣味に引きずり込むのか」だ。そこらの道歩いている連中を片っ端から連行して、「独ソ戦」やらすわけにはいかないでしょ(笑)。なんとか「この趣味に興味持ってくれそうな奴」を発見し、そいつらを騙して…ってのが基本となるはず。そこで、そんなバカは今現在何を趣味としているのか、ちょっと考えてみた。なお、一応中・高・大学生を対象としているモノとします。こんな連中のことは良く知らないんだけど。
 
 私にとって、今時の中高大学生なんてエイリアン並に理解不能である。周囲に大学院生が山ほどいるんだけど、これがまた昔の学生とは異質な存在で…ってのは、あえて深く考えないこととする。そりゃあ違う点ばかりだけど、共通点もあるはずだから。囲碁・将棋が多少の浮き沈みがありつつも「新規参入者」が枯渇して困ったって話は聞かないところを見ると、ボードシミュレイションゲームを始めようって奴がいても不思議はないのだから。
 
 まず候補となるのが、「歴史に興味がある奴」かな。日本史もしくは世界史にかなり詳しく、時代によっては授業を受ける前から「知ってるよ」って状態の奴。大河ドラマなどの影響で、日本の戦国時代にむやみやたらと詳しい…なんて奴はいても不思議はないでしょ?こういう奴を引きずり込むことを狙ってみる。
 
 実を言えば、私はこの見解にあまり賛成しない。母数こそ多そうだけど、多分そのほとんどがゲームに興味を示さないと思われる。理由は単純、こういう連中は結構「受け身」なのだ。大量に与えられる小説やドラマを楽しむだけなら、受け身でも何とかなるからね。ボードシミュレイションゲームは対戦型の趣味なので、ある程度主体性を持った奴(平たく言えばワガママで人の話聞かない奴)でないと付いて来れないと思うんだな。別に歴史好きだから受け身なのではなく、対戦型ゲームを趣味としそうな程度に主体性を持った人間が「抽出」されていないってこと。これは巨大なハンデだと思うなあ。
 
 さらに言えば、最近の大河ドラマは昔と描き方がかなり変わってきていて、「舞台背景以外は普通のドラマ」に近くなってきている。よって、大河ドラマ好きだからって闘争本能旺盛ではありません…って奴の割合が多くなっているような。ここにゲーマーを求めるのは、そこらの道歩いている奴にゲーマーの資質を求めるのと似たような困難があると思う。資質のある奴の割合が少なくてはねえ…
 
 似たような連中ではあるけど、「ミリメカ(ミリタリーメカ。戦車や戦闘機など)好き」の方が多少はマシではないかと思う。この分野に興味がある奴で「俺の手で動かしてみたい…」って欲求を持たない奴は、むしろ少な目だろう。これはある種の主体性があることを意味する。初期においてこの趣味を普及させたのは、本質的にプラモデル雑誌である「ホビージャパン」だったことを考えれば、むしろ王道はこれかもしれない。
 
 ただ、難点はある。その昔々と異なりコンピュータ技術が発展した関係上、「そういう」欲望はPC・コンシューマーゲームで満たすことが可能になった。こういうゲームは「敵味方がクソバカ」という欠点があるんだけど、そんなこと気にしない連中が多そうだからねえ…ただ、指揮官・司令官といった「上の話」に関する知識を仕入れる機会も多いはずなので、より「一般人」に近い(と私は思っている)歴史ファンより多少マシかも知れない。
 
 「ゲーマーとしての資質が…」なんて言うのなら、最初からゲーマーを相手にすればいいじゃん。そういう意見はある。少し難しいボードゲームやカードゲームをプレイする若い連中はちゃんといるんだから、そーゆー連中を育成すれば…確かにそれは正しい。実は私もこの系列に属する。「超人ロック」はシミュレイションゲームではないからね(笑)。
 
 ただ、冷厳な事実がある。こういう「より一般的な」ゲームをデザインしたりプロデュースしてる連中の中には、少なからず「この趣味」を知っている奴が含まれている。いやまあ、歴史雑誌だのプラモ雑誌だのにも「この趣味知ってる」奴はいるはずだけど、あまり表に出てこないからねえ。それやこれやから考えると、今まで採り上げた分野より「門戸が開放されている」はずなのだ。にもかかわらず、参入者はほとんどいない。
 
 なんでそうなるのか?色々分析してみた結果、この趣味には必然的に存在する「不公平」が気に入らないようなのだ。有利不利どころか、「攻撃側と防御側が存在する」ことすら違和感があるらしい。うーむ。ただ、言われてみればわかる気もする。ボードシミュレイションゲームでは、勝ち負けは対戦相手とだけ競うモノではなく、「史実と比べてどれだけ頑張ったか」って視点が存在する。たとえマップ上の状態がボロボロでも、「ナポレオンより長くパリを守った」となりゃあ喜ぶし、相手を圧倒していても「アイゼンハワー(英米連合軍の最高指揮官。後に米大統領)よりライン川渡るのが遅かった」となりゃあオカンムリだ。こういう知識に乏しい場合、「不平等が当たり前」のシミュレイションゲームに違和感を抱くのは当然かも。
 
 とまあ、どのジャンルも「問題アリ」と指摘したわけだけど…考えてみればこれは「当然」である。昨日、私は「ボードシミュレイションゲームはヒストリカル性・シミュレイション性・ゲーム性のバランスだ」って話をした。そして、ココで採り上げた趣味にハマっているってことは、いずれも「どれか1つを際だたせたもの」を求めてるってことになる。歴史好きはヒストリカル性を、メカ好きはシミュレイション性を、ゲーム好きはゲーム性を追求している。それらを「弱め」て「他の要素」を加えたモノに対し、どれだけ魅力を感じてもらえるのか。
 
 誤解しないでもらいたいんだけど、私はここで「ボードシミュレイションゲームなんてヘンなものを趣味にしてるのは、どっかオカシイ奴だけ」と主張したいわけではない。歴史好き・メカ好き・ゲーム好きの中に、自分がやってることに対しある種の違和感を抱いている奴はきっといる。ごくごく少数だろうけどね。本来なら、そういう連中が「自然と」この趣味に流れてくるはず…というより、そうならなければイケナイ。なのに、現状そうなってない。
 
 なんでそうなのか?まず糾弾されるべきは、外部への説明不足でしょ。「この世にはこーゆーモノがあるんですよ」ってことが知られていない。ただ、それを「宣伝広告費を出せない、ビンボーな業界が悪いんだ」で片付けては駄目だ。「しょせん理解されない」ってことを口実に、我々個々のゲーマーもまた宣伝をサボっては来なかったか?まあ、細かくは追求しないけどさ。
 
 もっとも、参入候補者側にも問題はありそうだ。「さほどの苦労なく入手できるモノ」、実質的には「単に与えられたモノ」で我慢してないか?我々ゲーマーの間に漂う「ある種の諦め感」から推測する限りの話だけど、そんな奴は結構多いと思うなあ。ジジイばかりの現役ゲーマー(何しろ私が若手である)と「今時の若者」を比較するのは問題なんだけどさ。
 
 私がたまに「初心者獲得」を主張するのは、「潜在的にボードシミュレイションゲームを楽しめそうな奴が、この世界の存在すら知らない・知ってても始めるとっかかりを掴めない」って状態を「もったいない」と思うからだ。私がゲーマーなのは、別に私がゲーマーとして優秀だったからではない。単にその存在を知る機会があったからに過ぎない。言ってみれば単なるツキの問題だ。今現在そんな機会があるか?正直言おう。私が現時点で高校生だったら、シミュレイションゲーマになってないと思う。私だけではない。軍神を含む全てのゲーマー(私なんぞより相当ディープな方々)であっても、この趣味を発見できるかどうか疑問だね。
 
 そりゃあね、総論としてはともかく、具体的なことになると私も「そこはそれ…」で逃げ回ってはいる。それじゃイカンと言われればそれまでだし、「みんなそれでいいんだよ」と言われれば納得してしまいそうだ。けど…いわゆる「出戻り」だけ相手にしていればいいって発想はどうかと思うのも事実なんだよね。
 
 結局のトコロ、我々が新規ゲーマーを獲得できないのは「ある種の排他性」ではないかと思う。これはどんな分野にも存在するけど、メジャーなモノはそれを打ち破るパワーがある。しかし、ボードシミュレイションゲームにそのパワーはない。何か打開策があるとすれば、この排他性を弱めるよう努力するしかないんだろうけど…難しいよね。でも、他に手があるとでも?
 
 こういう排他性を弱めて考えれば、ボードシミュレイションゲームを趣味としそうな奴は、そこら中にいると思う。いや、確かに確率はやたら低い。けど、資質を持った奴は色んなトコロにいるんじゃないかと。大切なのは、そういう人間に出会いの機会を与えてやるコトじゃないかな。「新規ゲーマーはドコで探すのか」って問の答えは、「ドコにでもいる。そう見えないのは、我々がカベを作っているから」としておこう。それではどうすりゃいいのか…えーと、とりあえず道行く人に無理矢理ゲームやらせてみるのはどうかな?1万人に1人ぐらいは「面白い、もっとやりたい」って言ってくれるんじゃないかと。後は残りの9,999人から訴えられるのをどうにかするだけだ(笑)。

10月15日2007/10/16 02:26

 本日は柄にもなく、「格闘技」について語ってみようかと。思いっきり門外漢ではあるんだけどね。ただ、あえて言うなら「門外漢だからこそ語れることがある」気がするので。
 
 こんなことを語りたくなったのは、2つほど「後味の悪い」ニュースがあったから。1つはボクシングの内藤-亀田大戦。もう1つはPRIDEの解散。私は亀田信者でもPRIDE信者でもないけど、この2つがある意味「夢の終わり」だって気がするのも事実。これはやはり哀しいよね。たとえそれが「悪い夢」であったと仮定しても。
 
 両方とも、内実は何となくわかる気がする。PRIDEは「まだ価値がある」と判断して買った人間がいたのに、「実はクズ掴まされた」と気がついたからこうなったのではと。亀田一家に関しては、現時点での次男坊の実力が「あの程度」ってことに尽きるかなと。後になって振り返ってみれば、「何でみんな気がつかなかったかなあ」と言われても仕方ない、ごく当然の「冷徹なる結論」が出ただけって気がする。
 
 まずはPRIDEから。諸般の事情により地上波TVでの放映が出来なくなった時点で、ある意味この結末は見えていた。「経営者が変われば放映してくれるかも」ってヨミはあったのかもしれないけど、そこまで甘くはいかなかったようだ。
 
 誤解しないで欲しいんだけど、「地上波TV中継のないPRIDEはクズ」ってワケではない。ただ…ガソリンが一滴も存在しない場所において、どんなに出来が良くてもガソリン車はクズ同然でしょ。PRIDEって「器」がどれほど良い品であっても、「地上波TV中継がもたらす大金」って名の燃料がなけりゃ、結局はクズ扱いして放り出すしかなかったような気がする。慈善事業じゃないんだから。アラブの王族だのロシアの石油成金だのが買っていれば話は別だったかも知れないけど…
 
 亀田一家については、「増長したあげくのカン違い」の一言で全て片付いてしまう…ところが、むしろもの哀しい。ひと昔前のマンガに出てくる、薄っぺらい敵役のようだ。正直言うと、あの一家については前々から密かに同情していたりする。いずれホンモノに遭遇して破局に至ることが読めたからねえ。今の「地獄」から復帰してくるようなら大したものだけど、どうかねえ。そういう「ホンモノ」なら、あんな言動してないような気もするけど。
 
 とまあ、冷静に振り返ればこんな分析が可能である。しかし、これだけじゃコトの本質の半分も語っていない気がするな。ここはあえて「PRIDE復活は無理だ」「亀田一家は痛い」という「事実」から、強引に目を背けさせた「何か」について語らないと。
 
 正直言って、私は格闘技はさほど好きではない。いやまあ、スポーツ新聞のプロレス欄なんかを丹念に読む程度のことはしているんだけど、競馬みたいに「燃える」モノを感じるほどではない。理由は色々あるんだけど、一番大きいのは「最強伝説」っていう名の幻想に酔えないことかな。
 
 私は「強いから勝つ」とは考えない。「勝った奴が強い」と考える。どんなに強い奴でも負ける可能性は決して低くないと考える。「それでも馬券を買う」ってのは完全に別次元の話だ。私の知る限りでは、それが競馬である。けど、格闘技はすぐ「最強の証明」「最強伝説」なる概念を持ち出す。私はそれに納得できないモノを感じちゃうんだな。これは、どっちが正しいとかいう話ではない。私の意見だって立派な「幻想」だ。それこそ「日本酒で酔うか、ワインで酔うか」ってレベルの話に過ぎない。
 
 ただ…興行元にとって、この「最強伝説」なる幻想は甘美なものだろう。競馬界でさえこの幻想に酔うことがある(ディープインパクトとか。実力ある馬だったけど、あの騒動はこの幻想抜きでは語れないでしょ)し、ましてや格闘技においては何をか言わんや。そもそも、格闘技ってのはこの幻想抜きではあまり楽しくない。「真の」ノールールマッチなら、鉄砲持った兵隊さん多数が強いに決まっている(笑)。「1対1」「凶器無し」ってのも立派なルールだからねえ。そして、そこにルールがある以上、「ルールに習熟してる奴が強い」って大原則がある。
 
 ここで言うルールとは、「ルールブックに書かれているルール」と必ずしもイコールではない。「タックル有りだから、チャンと警戒する」「ヒジは禁止だから、あまり警戒しなくて良い」といった、ルールブックのルールから導かれる「戦い方」全般を意味する。囲碁・将棋やボードシミュレイションゲームのような「対戦型頭脳遊技」に詳しい人なら、常識に属する話だね。格闘技の場合は当然身体能力もモーレツに重要だけど、こうした「戦い方」も重要だ。まあ格闘技の場合、アタマを振り絞って考えるのではなく、日々の練習で鍛えた、脊髄反射レベルの動きの方が重要(知能の問題ではない。反応速度の問題である)ではあるんだろうけど。頭脳遊技はメインメモリ(容量多いけど遅い)搭載量が、格闘技はL1キャッシュ(容量少ないけど速い)搭載量が重要、と言ってもいいかも。
 
 閑話休題。格闘技には「強いなあ」って幻想はつきものだ。特に日本人はこの幻想が大好きなんじゃないかなあ。日本柔道が「一本」にこだわるのは、この辺も理由じゃないかと思うし。醒めた実態分析なんて何の価値がある?ただ、この幻想に「悪酔い」した結果、裏切られて後味が悪い思いをしてしまう可能性があることは否めないような。
 
 PRIDEは「ガソリン無き名車」だった。でも、そこに何らかの価値があるように考え、復活を信じた人間がいた。実際カネ出して購入した奴(ガラクタなのは織り込み済みって気もするけど…)も、何らかの形で「復活はあり得る」って騙されるだけの何かがあったと思えるわけで。そこに「PRIDE最強!」と信じるファンの声が無関係だったとは思えないね。「PRIDEは最強だ。最高だ。だから、きっと地上波TV放映権(カネ)がついて来る」って意見は、結構根強かったのでは。でも、実際は「TV放映権って名のカネあってこそのPRIDE」だったわけだけど…
 
 亀田一家も似たようなモノだ。ビッグマウスに派手な戦績。そこにあったのは、「強い」ってイメージ以外の何者でもない。「ボクシングが上手かどうか」よりもコッチの方が話題になるのは間違いない…トコロが哀しいねえ。信者・アンチの両方ともこの幻想に酔った人間に分類できる。その結果「どう考えても単なる素材」に過ぎない次男坊が、ホンモノに挑まなくちゃイケナイところまで追い込まれていったわけだ。確かに自業自得ではあるけど、あおり立てた周囲にも責任はあるような気がするね。
 
 もっとも亀田一家の場合、同情する必要はないかも知れない。反則野郎だからではない。「長男を出す」って選択肢もあり得たのに、それを採用しなかったからだ。怪しげな判定でベルト巻いたのは確かだけど、次男に比べれば遙かにマトモなボクサーだからね。少なくとも、あそこまでグダグダな試合にはならなかったはず。ただ、長男で負けたら後がないのも事実。だから投入をためらったんだろうけど…こういう時に「力の出し惜しみ」するのは良くないと思うんだけどなあ。「最初から全力で叩き潰せばいいはずなのに、勇者のLvが上がるまで戦おうとしないRPGのラスボス」じゃないんだから。「栗田艦隊、謎の反転」を思い出す(苦笑)。
 
 PRIDE復活も「亀田神話」も、どっちも正直「悪い夢」だった。「冷厳なる現実」に叩き潰されてしまったのは事実。世の中なんてそんなものよ。ただ…正直言って、この夢に酔った人間を責める気になれないのも事実かなあ。私は格闘技に対して「そういう」幻想をあまり持たない(全く持たないわけではない)人間だけど、やはり根っこはドリーマーだからねえ。夢が無惨に砕け散る様には、独特の悲しさを感じる。たとえ自分の夢ではなくても。
 
 そりゃあ私も人並みに利己的な人間だ。他人の夢より現実の方が大切であり、それよりも自分の夢が大事である(苦笑)。でも、夢敗れた人間に対し、「当然だ」「ザマミロ」って言葉をかけるのはどうも…もちろん、容赦なく報いは受けるべきだ。ただ、それと「一片の同情を捧げる」ってのは両立しうることだと思うんだけど、どうかね。
 
 悪いか良いかはともかく、夢を見るのは大変なことだ。何の疑いも不安もなく夢に向かって突っ走るのはアホだけど、そんな連中を見て冷笑を浮かべてるのもどうかと思うぞ。ただまあ、夢ってのは砕け散る予感に身を震わせつつ、それに打ち勝って一歩前に踏み出してこそ見る権利があるんだと思う。そう考えると、格闘技ファンの一部は安易な夢を見すぎって気がするのも事実かな。とはいえ、そうやって安易な夢を見て現実とやらに裏切られ、血の涙を流さないと「ホンモノの夢」は見られないと思う。
 
 最近やや下火になりつつある格闘技。PRIDE消滅・亀田伝説崩壊はその流れに拍車をかけることになりそうだ。ブームなんてしょせん「何もわからんド素人」をどれだけ巻き込んだかどうかって話ではあるけど、それがないとカネが回らず、結果的にホンモノのファンも色々辛い目に遭うんだよね…でも、そこでメゲてはいけないし、現実逃避してもいけない。そういう辛いときに、現実を見据えながらも見る夢こそが「ホンモノの夢」なんだから。だから…私が欧州の馬場でのモンジューの実力をよーく知っていながら、その息子のハリケーンランではなくハーツクライを選んでしまい、しかも「使っちゃイケナイ金」盛大に投入してオケラ以下になり、ヤケ酒一杯引っかけるカネさえ残らず、涙を流しつつカップ麺モドキをすするという報いを受けながらも、それでも「いつかアスコットとモンジュー一族にリベンジだ!」って野望を捨てなかったからって、笑わないで欲しい…

10月18日2007/10/19 01:26

 本日は、ある人物に「まいった」を言わせたくて考えたネタ。ま、言わせたい当人はおそらくここを見ていないので、意味はないんだけど。
 
 その対象は、将棋界の先崎学八段。棋力も大したもの(今期はB級2組だけど…)だけど、エッセイストとしても有名。木曜発売の週刊文春に「先ちゃんの浮いたり沈んだり」ってコラムを連載している。私は気が向くとこれを読んでいる。まあ、それだけの話だ。
 
 本日気が向いたのでこのエッセイを読んだところ、将棋の駒を並べる話をしていた。自分が今まで「生涯に駒を並べる時間をどれだけ使ったのか」を計算し(イチイチ計算するところが棋士である)、それがかなーりの時間になることを発見した。それで「全自動で並べてくれる将棋盤って開発されないかな?」などと締めている。ま、麻雀好きでも有名なこの人らしい。
 
 私は諸般の事情からこの発言に少し感じ入るところがあったので、お返し?に「全自動将棋盤」ってものを真剣に考えてみることにした。どういう仕組みなら可能で、どんな特徴を持ち、どんな難点があり、結局モノになりそうなのかどうか、マジに考察した。以下それを長々と記す。
 
 全自動将棋盤の具体的な機能は?まあ、盤の上に駒をぶちまけ、スイッチを入れると自動的に並べてくれるってことでしょ。麻雀の全自動卓と似たようなモノだ。たかがその程度…と思われるのは間違いない(先崎八段も自分でそう言っている)けど、欲しいって言うんだから仕方ない。色々と考えてみました。なお、「駒並べるのが面倒ならパソコン使え」と言ってはイケナイ。
 
 この場合、参考になるのはやはり麻雀の全自動卓だ。他に類似品がない以上、どう考えてもそうなる。とりあえず私のアタマでは、これを参考にしたモノしか思いつかなかった。フルオリジナルを考えつくのは大変でしょ。その点、先例がないのに麻雀の全自動卓を完成させたメーカーは偉いとしか言いようがない。「やはり麻雀は牌がないと!」と思う奴(実は私もそう)は感謝すべきだな。
 
 まず考えられるのは、初期の半自動卓と似たようなモノ。若い奴(ここの読者にそんなのいるのか)は知らないかもしれないけど、その昔は「麻雀牌を自動的に全部伏せ、洗牌してくれるだけ」って卓があったんだよ。これを応用すれば、「将棋盤の上に駒をぶちまけると、自動的に正しく並べてくれる」って機能を実現できるのでは?
 
 そう思って色々考えてみたんだけど…正直難しい。麻雀牌は「ただ牌を伏せ、かき混ぜる」だけで一定の用をなす。しかし、将棋の場合は「キチンと並べる」必要が…しかもだ。歩は歩の位置に、玉は玉の位置に並べないとイケナイ。さらに向きまで揃える必要まである。駒にマイクロチップ仕込むといった複雑怪奇な仕組みを採用するならともかく、自動卓程度のメカニズムでは実現が難しいのでは。
 
 これが駄目なら…仕方ない、今の全自動卓と似た仕組みを使おう。スイッチを押すとどっかに穴が開くのでそこに駒を投入し、もう一度スイッチを押すと駒が「並んだまませり上がってくる」ようにするのだ。この方式なら何とかなるのでは?
 
 なんで「穴に駒を落とす」だけで可能性が広がるのか?そりゃもう、盤の上と違って怪しげなメカニズムを仕込む余地があるから。磁石・ベルトコンベアーなどといったメカニズムを仕込めば、将棋の駒を並べるくらい何とかなりそうな気がするね。
 
 将棋盤にそんなスペースあるのかって?そりゃまあ、素人が使っている薄っぺらい将棋盤なら無理だ。けど、「使いたい」とヌカしたのは幸いプロ。プロは分厚い将棋盤使うのに慣れているはず。多少サイズがでかくなったり、今より更に分厚くなるのも見逃してもらおうじゃないか。
 
 「F男式全自動将棋盤」は、こんな感じになる。スイッチを押すと、お互いの3段目(駒が並ぶ位置)が盤の中に「収納」され、穴が開く。そこに(どちら側からでも良いので)駒をテキトーにぶち込む。そうやって投入された駒はまず1カ所に集められ、ふるいと磁石を利用して駒の種類を識別される。後はベルトコンベアーなどを使ってその駒を収納された配置スペースに配置し、最後にせり上げる。基本構想部分だけ考えれば、決して実現不能じゃなさそうな気がしてこないか?
 
 もちろん、色々と難点はある。技術面も大変そうだけど、他の部分にも色々と難点が出そうなのだ。まず問題になるのが、「駒の識別」。これは基本的にふるいに頼ることになりそうだ。幸い将棋の駒は種類ごとに微妙に大きさが異なるので、これで何とかなりそう…と言いたいところだけど、いくつかネックはある。現状では飛車と角はほとんど(全く?)同じ大きさだ。金と銀も違いが小さい。これらを変更してもらわないといけない。大きさの違いだけでは区別を付けにくいので、厚さを変更する必要があるかもしれない。
 
 「盤上にできる細かい段差」も問題かな。私の提唱する方式によると、盤のどこかに「並べ終えた駒がせり上がってくる部分」が必要だ。そうなると、その周辺に必ず小さい段差ができる。麻雀の場合は投入穴周辺及び牌がせり上がってくる部分は「あまり使わない部分」だけど、将棋の場合はそう言っていられない。そうなると「駒が引っかかる」だの「余計な力がかかって故障しやすい」だのといった問題が出そうだ。
 
 駒音も気になるんじゃないかなあ。今の将棋盤は「ドコに駒を動かしても、駒音は似たり寄ったり」だが、全自動将棋盤は下に空白があり、「色々詰まっている場所」と「スカスカの場所」ができる。にもかかわらず「5五と9九が同じ音」ってのは無理でしょ。いっそのこと音が出にくいようにして、電子音でも鳴らすか。
 
 本当のことを言えば、こんなものより巨大極まりない問題が1つある。「時間」だ。四風子連打や天和・地和・人和などで「あっさり」流局するとわかるけど、全自動卓が牌を並べるのは結構時間がかかる。単純に時間だけ考えたら、手積みの方が早そうなくらいだ。全自動卓が手積みよりサクサク進むのは、人が打っている間に必要な作業を平行してやってくれるからに過ぎない。
 
 将棋の場合はどうか?駒を2セット使えば、確かに「スイッチ押すだけで並べ終わる」ように見せかけることが可能だ。しかし、「F男式」はあえてそれを採用していない。そのため、スイッチ入れてボケーっとただ待つ時間が存在する。しかも、えらく長く。気の短い奴ならキレて自分で並べ出したくなるほど。なにせ確実に自動卓より時間がかかるからなあ。
 
 何で駒を2セット使わなかったのか?「それが将棋の作法」だからだ。将棋はあらかじめ駒を並べない。対局者が席に着いてから初めて駒を並べる。この作法を崩すのはかなりよろしくないと思うんだな。「伝統」が大事なモノなんだし。
 
 そんな作法はやめちまえ?…それを言ったらお終いよぉ!この作法をやめていいのなら、全自動将棋盤を開発するよりもっと手っ取り早く、楽な手段がある。秒読みしてる連中(正体は「プロ予備軍」の奨励会員)に並べさせればいいのだ!どうせ連中は将棋盤をセットし、秒読み用の時計や棋譜の記録用紙を用意しなくてはならない。ついでに駒を並べさせて何が悪い?素人同士の対戦じゃないんだから。プロ野球選手が、草野球よろしく試合前のグランド整備やってるか?それと同じである。振り駒はどうするのかって?振り駒専用の駒(一目でわかるようにする)を用意すればいいだけの話だ。
 
 この結論は、心底身も蓋もない。そうじゃなくてだねえ…って声が聞こえてきそうだ。ただ、「並べるのがただ面倒だ」ってことを深く深く追求してゆくと、ごく簡単に出る結論の筈。「全自動将棋盤」がネタとして面白いことは認めても、結局「深く追究していくと究極の結論が出てしまい、途端に白ける」性質のネタであることは間違いない。それでもまだ「全自動将棋盤」欲しいんですか先崎八段?ん~?
 
 普段の私なら、こういう「身も蓋もない結論」発見してもココでこんなアタックかけたりしない。「アホだなあ」とクスリと笑ってそれまでだ。にもかかわらずこのネタは何でここまで?そりゃもう、この色のネタに詳しい人ならわかるでしょ。ボードシミュレイションゲームのセットアップは将棋より遙かに大変だ。私がゲームした回数は先崎八段が将棋指した回数より滅茶苦茶少ないはずだけど、「セットアップに費やした時間」はさほど劣ってないんじゃないか?将棋の駒セットアップするぐらいで「面倒だ」なんて言うな!ガタガタぬかすと「Operation Typhoon」のセットアップ(すげー大変)1人でやらせるぞ!

10月19日2007/10/20 05:53

 気がついたら?この色のネタをやってない。いけませんね~。よって、先日仕入れたネタに基づいて、「香港におけるメイド喫茶に関する考察」でもぶちかまそう。
 
 日本はもちろん、実は東アジアに増殖中のメイド喫茶。台湾・バンコクなどに実在すると聞いているからねえ。この先どうなるのかはともかく、ある程度流行っているようだ。
 
 何でそんなものが…と思うのは、ある意味認識不足。「日本のサブカルチャー」(ヲタク文化と限らないのがミソ)ってものは、結構影響力が大きいのだ。特に地理的に日本と近く、民族的にも近いモノがある東アジアにおいては。「ローマがギリシア文化の影響を受けた」だの、「フランス文化はイタリアの模倣を母体としてる」だのといったコトと本質的に変わらない現象だな。
 
 香港もまた日本のサブカルチャーの影響は濃い。なにせTVでフツーに日本の番組が流れるくらいだ。ましてやヲタク文化に至っては…向こうのコンシューマーゲーム事情だのマンガ・アニメ事情などはスゴいよ~。私はさほど詳しくなかったりするんだけど、知り合いに専門家(笑)がいるので色々と話は仕入れているんだな。
 
 そうなると、香港にも当然メイド喫茶があっても…と思うのがむしろ当然である。日本でこれだけ流行ったんだから、影響受けない方がむしろオカシイ。にもかかわらず、今現在香港にメイド喫茶は確認されていない。話題のインパクト考えれば、あれば私の耳には届いても不思議はないのに。
 
 実を言えば、これはわかる気がする。香港故の特殊事情があるからだ。実を言えば、香港は「ホンモノの」メイドがうじゃうじゃいるのである!なにせ元英国植民地、英国文化の影響ってのはそれなりに残っている。メイドってのもその一環だろう。おまけに経済力もそこそこあるので、メイド雇うだけの経済的余裕がある奴が多い。メイド喫茶はないけど、実は香港はメイド天国なのだ。
 
 それは素晴らしい、じゃあ向こうへ行って…と思ったアナタ、ちょっと待って欲しい。向こうにいるのは、「ホンモノの」メイド。使用人としてのメイドだ。その大半はフィリピン辺りのオバチャンだったりする。日本における「間違った」メイド観を持っている人間は「何じゃそりゃ!」と思うかも知れないけど、実のところコッチの方が正しい姿である。
 
 メイドって結局使用人だから、フィリピーナってのはわかる。けど、何でオバチャン…ここは香港の個別事情が絡む。香港におけるメイドってのは、ものすごーく一般的存在だ。それこそ、日本で言うところの中流家庭がフツーに雇っている。向こうは日本より共働きの割合が多いそうなので、家事・子守をメイドにやらせるのはフツーのことだったりするのだ。さて問題です。「子供はそのうち」と思ってる共働き夫婦2人暮らしの家があります。この夫婦がメイドを雇おうとしました。若いネーチャンとオバチャン、どっちを採用すると思いますか?コレは間違いなくオバチャンでしょ。どこをどう考えても「浮気の種」になりそうな若いネーチャンを雇うことに賛成する奥さんなんて、いるわけない。
 
 「メイドが若いネーチャン」ってのは、実を言えば「女は家庭にいるモノ」って時代の概念である。家には奥様を筆頭に執事・庭師・運転手…って人間が山ほどいて監視してるから、まあ普通は浮気相手にならない(あくまでタテマエ。「お手つき」はたまにあったらしい)し、そもそもメイドってのは「使用人人生」のふりだしだからだ。男性使用人の場合、単なる使い走りに始まって執事か従者に終わる…って人生設計があるわけだけど、女性の場合はメイドに始まり、位が上がる前に結婚でドロップアウトするのが一般的だって話。家事が一部機械化され、「結婚していても働くことができる」って世の中では、むしろオバチャンを雇う方が「自然な流れ」ではないかと。
 
 こんな香港でメイド喫茶ってのは、確かに少し無理がある。「メイド=オバチャン」という「正しい固定概念」があってはねえ。幻想をはぎ取って考えれば、メイドなんてそーゆーものでしょ。メイド喫茶がもてはやされるのは、あそこにいるメイドが「異文化に対するカン違いの産物」だからなのだ。その意味で、メイド喫茶に「萌え~」などとヌカしてる奴だけでなく、「そーゆーものに入れ込むなんて…」と小馬鹿にしてる奴も含め、「日本には今でもニンジャがいるんだろ?」などと真顔で言ってくる外国人と同列だったりする(苦笑)。
 
 そーゆーわけで、香港には未来永劫メイド喫茶なんてできない…と言っていいのかは疑問かな。私は「工夫次第では」立派に成立すると思う。日本のメイド喫茶にいるメイドは、確かに「ニセモノ」だ。しかし、それはあくまで「メイド本来の用途を考えた」場合の話である。メイド喫茶に必要とされているのは、ホンモノのメイドではない。言ってみれば「和風のメイド」こそが必要とされているのだ。そして、こういうモノは「メイドの本場」香港であっても、需要はあると推測される。
 
 香港ならば、良いモノはニセモノであっても受け入れられるはずである。良い例がラーメンではないかな。日本のラーメンってのは、本場のそれとは完全に別の食い物である。こんなラーメンを、香港人は「日式拉麺」として楽しんでいる。外国風にアレンジされた和食に抵抗感が強い(わかる気はするけど…)日本とはそこが違う。そんな連中なら、周囲に「ホンモノの」メイドが山ほどいたからって、「和風メイド」ってモノを認めるんじゃないかなあ。
 
 ただ…「メイド喫茶にいるのは、普通のメイドじゃなく和風メイドだ」ってことを上手くアピールするのは大変だと思う。「ホンモノのメイドとの差別化を打ち出す」なんて、真剣に考えたことある奴いるのか?さらに、現地民の好み・流行なども無視できない。日本と香港のサブカル両方に相当通じている奴がプロデュースしないと駄目なんじゃないかな。少なくとも、「日本でウケたんだから、香港でもウケそうだ」って気持ちだけで開店してもやっていけないような…だからこそ香港にはメイド喫茶がないんでしょ。
 
 もっとも、香港には「逸材」がゴロゴロしているんじゃないかと思う。「和風メイドをいかにして香港に持ち込むか」という難題に対しても、いずれ答えを出せるんじゃないかな。それに、「輸出する」日本側だって逸材はいるでしょ。それを思えば、いずれ香港にもメイド喫茶は出来るんじゃないかと。日本におけるメイド喫茶は単なる流行ではなく、どうもある程度定着しそうな勢いだからねえ。私は実は認めたくない(純メイドにこそ萌えるから)けど、「和風メイド」はホンモノっぽいので。
 
 なお、日本における「逸材」の話だけど…私は違うよ?純メイド党だから「和風メイド」に対する理解は乏しいし、香港サブカルにだってそれほど詳しくないし。そもそも、私より適任だって奴を特定可能な気がするんだけど、気のせいかな。私個人としては「ホンモノのメイド天国であるはずの香港にあるメイド喫茶」なるものは見てみたい気がするので、誰かさんには頑張ってもらいたい(笑)。