10月1日2012/10/02 00:36

 本日は諸般の事情により、マッタリできる日。よって軽く更新を。なんつーか、ちょっと調子が悪いんだけどね。いけないなあ。
 
 昨日は台風直撃の危険を冒して、中山へ。だってスプリンターズSだし。香港馬いるし。見ておいて損はないと判断した。仮に帰宅できなくなっても、問題ないってのが嬉しいね。
 
 私の本命はカレンチャン。まあそれはいい。当たる当たらないも当然気になったけれど、もう1つ別に気になることがあった。それは、香港からの遠征馬ラッキーナインの状態である。今回本命じゃないけれど、それはそれとして気になる存在ではあったのだ。だって、年末にまたコイツが走るレースの馬券買うから。
 
 私は年末の香港国際デーの馬券を買うのが当たり前である。何故とかいう問題じゃない。そーゆーモノなのだ。当然、出走しそうな馬の状態その他は気になる。カレンチャンはよほど大負けしない限り参加するだろうし、他の馬が勝てば遠征する可能性が出てくる。そんな日本調教馬も気になったけれど、やはり「迎え撃つ」香港馬が気になるのは当然でしょ。ホームアドバンテージあるんだし。
 
 今回ラッキーナインを本命からハズしたのは、やはり状態面の不安が大きい。シーズンオフ(香港では夏に競馬がない)明けなので、休み明けなのは別にいい。ただ、実戦形式の調教(バリアフリー)をビシっと決めて…というのならともかく、そこもパスしたらしい。おいおい、それで大丈夫なのかぁ?
 
 日本や欧州と違い、香港馬は数使ってナンボ。実戦を調教代わりにするって例も多いと推定される。これは日本馬でもやることがある(そもそも、カレンチャンがそう)ので、善し悪しの問題ではない。日本でも地方競馬は事情が似てくるし。それだけに、「これで本当に仕上がっているの?」って疑問はあったわけだ。
 
 ただ…私がモニター越しに見たパドックでは、「私の知っているラッキーナイン」だった。去年のロケットマンは「う~ん、オレの知ってるロケットマンより…」って状態だったけれどね。何故そんな区別が?と聞いてはイケナイ。私にも良くわからん。感覚的な問題である。
 
 そんな感覚、アテになるのか?う~ん、ある程度は。ある程度親しい人間の顔見ただけで、「調子良さそう」「体調悪いのかな?」と思ったことは、誰でもあるはず。その時、「どの辺が?」って聞かれて、即答できるとは限らない。顔色悪くて鼻水垂らして…なんて状態ならイッパツで指摘できるだろうけど、ビミョーすぎて指摘しにくい異変なんて腐るほどある。要は説明が難しいだけで、体調の善し悪しがわかる時はあるのだ。競走馬であっても。より小型で変化がわかりにくいハズの犬猫の体調だって、わかる時があるでしょ?
 
 見慣れている日本馬についてなら、話はわかる。けれど、何故香港馬の体調がわかるんだ?これを聞かれると耳が痛い。見慣れているはずの日本馬でも、かなりの回数「目の前で走って」くれないとソコまでわからないのに、香港馬はなんとな~くわかるのだ。気のせい、もしくはカン違いって可能性もあるんだけれど、結果としてやたら的確なのも事実でして。
 
 ラッキーナインの体調に問題はない。日本への遠征に問題がないことは去年の実績でわかっているし、実力も問題はない。でも本命に切り替えたりはしなかった。体調とは別の「実戦カン」がどこまで戻っているのか、気になったから。
 
 いわゆる実戦カンがどうこう…って話は、日本馬でも問題になる。よりわかりやすい例を出せば、人間様だって問題になる。競技の性質上、ポイントごとの集中が重要な野球より、流れの中の動きやペース配分が重要になるサッカーの方が問われやすい(野球だって重要だけど)かな。「叩いて叩いて叩きまくる」のが基本となる香港馬(&管理調教師)が、調教だけでその辺もクリアできるかと言われたら…そこは気になったんだな。
 
 結果は皆様ご存じの通り。かなり出遅れたんだけど、最後追い込んできて5着。この日の馬場は3分ドコロ(内に数頭分のスペースが空いた場所)を通った馬が有利かな?って状態だったので、出遅れて外回されたあげくあの着順なんだから、ゲートをマトモに出たら1・2着馬ときわどい勝負に持ち込めたとは思う。流石は香港屈指の実力馬。けど、実戦カン不足のせいで出遅れちゃ、あの着順も仕方ない…なんだ、ある意味予想通りじゃん。
 
 なお、この馬は一応連下には入れていたので、それは過大評価だったって話はある。けれど…あのね、香港馬は「叩くのが基本」なので、地元の人間はソレを基準に予想するのよ。だから、休養明けだったり、転入初戦(香港では、余所からの転入は多い)だったりすると、結構人気が落ちることがある。そんな馬を調教VTRで観察し、「問題ない」と判断したら買う…というのは、「香港でオイシイ馬券を的中させるコツ」だ。実践するのは楽じゃないけれど、狙ってみる価値はあるんだよ。私が確立した「香港馬の買い方」に従えば、「あえて狙うのが正解」となる。
 
 つまりまあ、ある意味何から何まで「覚悟したとおり」の結果であり、私の予想は錆び付いていなかったという結論になる。なんで香港競馬に関してはこうなんだろ?日本競馬だとすぐ錆び付くのに。今回もカレンチャン本命で、ロードカナロアにも色気があったにもかかわらず、「この馬が来ちゃったら配当安すぎる」と最後に切る有様。判断の是非はともかく、「カンが鈍い」と言われても反論しにくい。
 
 その昔々、フジヤマケンザン様につられて香港競馬を見に行き、そこで「地元香港の馬は日本馬に負けてない」ってコトを発見し、以後原居民様を筆頭(誰が何と言おうとも、筆頭はこの馬)に「良い馬」を見続けてきた私だけど、だからってこうも「香港馬診断」が的確なのは何故なのか、我ながら謎だ。いくら何でも日本馬の方がよっぽど馴染みが深いはずなのに、下手すると香港馬の方が良くわかるってレベルだからなあ…真面目な話、「馬の形をした他の何か(有力候補は神)」だと勝手に信じている原居民様が、何かワケわからん魔法でもかけたのかも。
 
 というわけで、今回はハズしたけれど、年末のレースの参考にはなると思う。そこでリベンジすればいい。スプリンターズSのカタキを香港スプリントで討つ」のは何か間違っている?いや、私の中では間違ってない。私にとって香港とは、そーゆー土地だ。
 
 間違っているのは、やっぱり香港ジョッキークラブでしょ。スプリンターズSの馬券に飽きたらず、他のレースまで馬券売り始めやがった。特別戦どころか、平場500万下の馬券(7~12R)まで売っているんですけれど…どーやって予想するんだ?確定オッズ見る限りじゃ、流石に多少のブレはあるけれど、おおむね的確な数字なんだよな。奥が深い。しかし、こうやって日本競馬の馬券が買いやすくなると、「年に数回しかないはずなのに、なんか地元のレースより日本のレースの方が当たるんだよな…」と文句をたれる香港人が登場する日も遠くないのか?うう、少なくとも1人逆のコト言ってる馬鹿がいる、ってのは「日本競馬文化が香港競馬文化より進んでいる証拠の1つ」だったのに、このジャンルで追いつかれる日が来てしまうのかも…

10月5日2012/10/06 01:24

 オルフェーヴルが大外枠らしい。それはわかった。けど、他が良くわからん。その辺もチャンと掲載しろと…
 
 つーわけで凱旋門賞展望。私にとって凱旋門賞は「キングジョージよりは軽い」レースではあるんだけど、大事なレースであることは間違いない。くそう、せめて香港行って馬券買ってくる(当然のように売っている)べきだったか?
 
 私の予想?キャメロット流し。香港に馬単はないので、馬連でオルフェーヴル・サオノワ・シャレータに流すかな。オルフェーヴルとの組み合わせで4倍以上行くなら、シームーンを買うかも。
 
 ロンシャンは一度だけ行ったことがある。とりあえず私の見立てでは、「魔物」が棲んでいるって感じではなかった。色んな意味で凄い競馬場だとは思ったけれど、馬場を見た瞬間なんか魂吸われた、アスコットで感じた感覚は受けなかったなあ。おそらくだけど、魔物はいないんだと思う。私が訪れた時にたまたま留守にしていただけかも知れないけれど。
 
 とはいえ、なんつーか…「スゴい」競馬場であることは間違いない。いかにも芝が重そうでねえ。ああいう馬場の適性に関しては、やっぱり日本馬は少し劣るんじゃないかとは思う。だからオルフェーヴルは本命から外した。
 
 じゃあ何を本命に?う~む…悩ましい時はジョッキーで買うのが私のパターン。とりあえず天才デットーリがいるなあ。じゃ、天才。オブライエン息子がどんなジョッキーかはよくわからないけれど、まさか「人間以外の何か」じゃあるまい。ならば鞍上強化と見なして良し。テン乗り?そこは天才の技量で何とかしてくれる。強いて不安を挙げるとするならば、「キャメロットが勝つのは面白くないなあ」と、天才のパトロンである殿下が呪いを掛けるかもしれない、ってくらい。
 
 もう1つ、不安要素…というか、ある意味どーしよーもないのが、「魔神ペリエもいる」ってことかな。また何かよくわからん反応を起こし、とてつもない結果になりそうではある。けど、打つ手がない。私と魔神の「相性の悪さ」は人智を超越するレベルだからなあ…ただ、今回は私が馬券買ってないので、フツーの結果に終わるんじゃないかな、という希望はあるけれど。
 
 本命であるキャメロットはモンジューの産駒。1999年にエルコンドルパサーを破って凱旋門賞を征した馬として有名だけど、個人的には2000年のキングジョージでエアシャカールを破った馬、という印象が強い。この時のモンジューは「呆れるほど強い」って感じでねえ。前年のJCで、地元日本のスペシャルウイークはともかく、原居民様にさえ先着された馬だってのに。「アレに勝たなきゃ、日本馬の欧州制覇はできないのか…」と、目の前が真っ暗になったくらい。その後、雪辱と称してハーツクライを観に行ったのだけど、モンジューの息子ハリケーンランに敗れた。ある意味宿敵の血統である。いつまでも憎たらしい敵であって欲しかったのだけど、今年3月にお亡くなりに…「もしモンジューの血を引く馬が府中2400のGⅠ勝ったら、モンジューの前で土下座してやる!その際に踏み殺されても本望だ!」と豪語していたのだけど、これからはお墓に向かって土下座するのね…
 
 キャメロットが今後どーするつもりなのかは知らないけれど、できれば来年も現役を続けて欲しいかな。そんでもって、キングジョージに来ると。ソコに日本馬が挑戦して、キャメロット相手に勝つと。その時は私がアスコットにいて、「アスコットの魔物討ち取ったり~!」と意味不明な名乗りを上げているはず。その時は儲けたカネ使ってモンジューの目の前にすっ飛んでいき、「リベンジだ、ザマーミロ!」と中指突き立てて来るつもり…だったんだけどなあ。
 
 正直、キャメロットがどんな馬なのか、詳しいことはわからない。やっぱり競走馬はナマで観ないと。けど、モンジューの血を引いている以上、欧州の馬場では無茶苦茶強いと思いたい。それこそ、エルコンドルパサーを破った時の親父のように。セントレジャー(価値の低いレースと思われているらしい)なんて使っちゃった反動が気になる(名馬ニジンスキーの陣営が「セントレジャーなんて使っちゃったから、凱旋門賞負けちゃった」と発言したって話がある)のは確かだけど、そこは天才の腕がナントカしちゃうと思う。4歳秋になると「並みの馬」に成り下がるってのが「モンジューの血を引く馬の特徴」だけど、3歳秋なら化け物じみて強いと思う。そうあって欲しい。
 
 ただまあ、オルフェーヴルには、そんなキャメロットすら撃破できるかも…ってポテンシャルがあるような気もする。その辺どうなのか、映像観て確認したいね。ただなあ…この馬は「池添をどっかに捨てる」という悪い趣味があってだなあ。レース中にコレをやりたくなったら、目も当てられないんだよな。スミヨンを捨てたくなるのかどうかはよくわからん。個人的には「どっかに捨ててきて欲しいジョッキー」の1人だけど。
 
 ま、月並みな表現だけど、日曜の夜が楽しみですね。何故か「天才いけ!」もしくは「魔神やめろぉ~!」と絶叫していそうだけど(苦笑)

10月7日2012/10/08 00:01

 取り急ぎ、コレだけは言っておく。これが魔神クオリティ…

10月22日2012/10/23 01:18

 本当は他に色々ネタが挟まるはずだったのだけど、諸般の事情により「猿遊会回顧」に。ま、緊急性?は一番高いので。
 
 猿遊会とは?実を言うと、細かい定義はよくわからん(苦笑)。とある人望あるゲーマー(としか表現しにくい…)主催の、オープンコンベンションと呼べばいいのだろうか。とりあえず、多彩な顔ぶれが集まるゲーム会ではある。
 
 今年、私は「サードワールドウォー」に参加。80年代後半に出た、「近未来に発生するかも知れない第三次世界大戦」を扱ったゲーム。今じゃ近過去になってしまったけれど。かなりタイヘンなゲームだけれども、ルールは案外複雑じゃない(比較論である)ので、今でも「プレイしたい」と考える人間はいる。冷戦終了直前くらいに出た関係上、出てくる兵器が案外古さを感じさせないのがナイス。
 
 私の担当はワルシャワ条約機構軍(以下WP軍)・南西方面。主要目標はイスタンブール。ココを奪取して黒海艦隊を地中海に出撃させるのだ!って狙いだね。なんか派手な任務に見えるけれど、内実は単なる脇役。だって、主役たる西独侵攻(中央戦線)はド派手だからねえ。
 
 この陣営・方面担当を希望したのは、少しばかり理由がある。私がこのゲームを他人とプレイしたことは1度しかなく、その時はNATO軍南西方面担当だった。その時喰らった作戦がどれぐらい有効なモノなのか、試してみたかったのだ。私がNATOで対戦相手がその作戦使ってくれる…ってのがベストではあるけれど、相手の作戦を強要するのはちょっと…だったら、自分がWP軍を担当するしかない。
 
 その作戦とは?実は単純なもので、「第1ターンからユーゴスラビア侵攻」である。中央だけを扱ったゲームでもユーゴはちょっとだけ入っていて、ココを通過してどうこう…って作戦が成立する。更に、南西方面だけを扱ったゲーム(ユーゴの大半が入っている)では、「中央戦線の都合により」第1ターンから強制的に侵攻義務が生じることがある。話だけ聞けば、別に特別な作戦ではない。
 
 とはいえ、ユーゴ侵攻を「WP軍全体の都合で考えて」選択できる統合シナリオにおいて、最初からユーゴ侵攻って手は意外だった。WP担当者の宣戦布告を聞いた時、当時私を含むNATO担当者(数人いた)の目が点になった記憶がある。もう20年くらい昔の話なので、記憶違いはありそうだけど。
 
 この時、WP軍は気持ちよくユーゴ軍を蹴散らしていた。そりゃそーだ。ユーゴ軍はかな~り弱いし、セットアップは固定されていて、西独で許されている「事前前進」もない。おまけに、「コレをやるってことは、圧力が弱まるんじゃ…」と期待したトルコ方面でも、それなりに前進してくる。コレも当たり前なんだけど。想定外の展開にNATO担当、特に私が若干パニックを起こした感じはあった。
 
 ユーゴを「通過」したWP軍は、そのまま伊に突っ込んでいったらしい。あの辺は中央戦線担当だったので、何が起きたのかはよくわかってない。ただ、ルーマニア軍主力を含むWP軍の猛攻は想定外だったらしく、「ユーゴがもっと抵抗してくれれば…」などという無茶な愚痴(出来るかそんなコト)が飛んできたのは覚えている。ちなみにこの時はペルシアンガルフとの統合ゲームで、そこからやって来たB-52(滅茶苦茶強い)を口八丁で私が強奪したにもかかわらず、担当戦域で大嵐(航空機飛べず…)を出すといった間抜けを演じたりもしたけれど、時間切れで途中終了。あのまま進めていればどうなったのかは、気になった。
 
 実はもう1つ、この作戦を採用したくなった理由がある。今回「やりましょう」と提唱されたもりつち殿のブログに掲載されたソロプレイのリプレイに、「イスタンブールを早期に陥落させたのが大きかった」と掲載されたのだ。このリプレイを今回の参加者がチェックしている可能性は高い。「なるほど。じゃあ、シッカリ守らないと。」と考えてくる可能性は、大いにあった。
 
 南西戦線単独なら、それでも「目標:イスタンブール」しかない。得点源が他にあんまりないので。それに、強引にゴリ押しすれば何とかなりそうだ。しかし、今回は統合ゲーム。ということは、他の戦線(多分中央)からシャレにならない増援が投入され、どうにもならなくなる可能性があったのだ。地上部隊は展開が難しいのでともかく、航空機がヤバい。過去私がB-52を強奪したように、何かしら凶悪な航空機が追加投入される可能性は高かった。
 
 あくまで私の印象&経験によればだけど、凶悪な航空機が投入されると、イスタンブールを抜くのは難しくなる。最悪、どーしよーもなくなるのでは…って心配はあった。そんなもの、攻撃テクニックで何とかするのが基本だろ!って言われそうだけど、あんな狭い戦線では工夫もへったくれもない。正直、全力攻撃しても苦しいです…って状態が予想されたし、そうなってから慌てるのはイヤだった。ならば、他の手を考えるしかない。
 
 理屈から言えば、イスタンブール方面に凶悪な航空機を引きつけているんだから、他方面の攻撃が楽になるはずである。けれど…なんつーか、自分の手で操れる範囲内でそーゆー場所を創り出したい、ってのが人情じゃないか?そう考えると、ユーゴ経由の伊侵攻は魅力的である。コレが上手くいけば、「イタリア防衛に使われるはずの航空戦力を、トルコ方面に引きつけたから…」と主張できるじゃないか(笑)。
 
 最後にもう1つ。この作戦を採用すると、ルーマニア軍は多分敵の航空機があんまりいない地域に投入される。よって、「空爆で一部ユニットが吹っ飛ばされて裏切るんじゃねーだろな」と怯えなくて済みそうなのだ。いや、これ冗談じゃない。昔々の対戦では「ルーマニアは裏切りの可能性アリ」だったので、「イスタンブール攻撃に使われて傷ついた部隊を、B-52の空爆で吹っ飛ばしてしまえ」って計画があったのだ。
 
 そんなワケで上級司令部に「第1ターンからのオーストリア・ユーゴ侵攻」を意見具申してみたところ、「大丈夫なのか?」というエクスキューズ付きながら許可が出た。多少迷ったけれど、昔の対戦相手を信じてユーゴに宣戦布告。中央の半端部隊とルーマニア軍主力でユーゴを攻め、そのまま伊方面に突っ込む。当座の目標はベネチア。
 
 トルコの攻め方は、過去に喰らった手を、覚えている範囲で臆面もなく真似た。実は色々問題があったことが判明したけれど、それはそれでいい。今回は知らなかったのだから仕方ない。次回以降(あるのか?)にその知識を活かせばいい。そのせいもあってイスタンブールはやたら固くなる。オマケにやっぱり「シャレにならない航空機増援」が投入される。米軍自慢のA-10攻撃機(対地支援力は最強)がやって来たのだ。実はトルコ・ギリシア空軍は結構強いので、正直歯が立ちそうもない。航空支援はアテにならないこともあるので、死んでも実害の少ないソビエト兵(同盟国で攻撃すると戦争脱落の危険がある)で攻撃してみたところ、いきなり半分が溶けて無くなってしまった…とはいえ、反撃されるほどではない。以後バルカン方面はにらみ合いに終始した。ある意味、NATO軍大勝利である。
 
 しか~し!伊方面は結構快調に進撃していた。序盤は私が担当してなかった(中央担当の方は忙しいので、後に引き継いだけど)ってのが大きいと思うけれど(苦笑)。なにせこの方面はNATOの航空機が弱い。数が少ないのだ。この方面の空を担当するのは伊空軍とユーゴ空軍だからなあ。そこを活かしてWP軍側が多方面から航空機を突っ込み、航空優勢を創り出す始末。結果、第4ターンに当座の目標であるベネチアを陥落させる。この時点でイタリア内にはロクに部隊が残ってない。仕方なしにアルプス方面の守備隊を引き抜いたが、これらは戦力的には弱い。山岳ならともかく、平野では屁の突っ張りにしかならない。真面目にイタリア全土占領が視野に入る。大戦果だ。
 
 もっとも、この大戦果にはカラクリがある。NATO軍中央戦線は序盤から大劣勢であり、この方面に部隊を回す余裕がなかったのだ。それどころか、伊軍を空輸して戦線を支えなければ…でもこの方面もヤバい…ってな感じ。あげく第4ターンに戦線が大崩壊をおこし、「何故マップ上にパリがない!」って有様。流石にこの時点でゲームエンドとした。
 
 一応勝利得点を計算してみたところ、トルコ方面の善戦が効いて「WP軍実質的勝利」止まり。でも、「実質的にNATO投了」もやむなしでしょ。ライン川戦線が大崩壊だもの。このゲーム、WP軍の優勢が続くと「止めようが無くなる」って話は聞いたことあるけれど、ココまで行けるのね。逆に劣勢に陥るとボロ負けすることも多いって話があるので、バランスが悪いってワケではないんだろうけど。
 
 私としては、とりあえず「第1ターンからのユーゴ侵攻」が「チャンと成立する手」と証明できて嬉しい。昔あの作戦にヤラれたのは、我々がヘボ過ぎて「どんな作戦でも成立させちゃう」レベルだったから…ってワケじゃなかったようだ。NATO側もユーゴ・イタリア方面にも航空機を突っ込めば対応できそうだけど、バルカン方面に加えてコッチにも航空機を回すと、中央にモロ響きそう。事前に緻密に想定していたならばともかく、ある意味「想定外の展開」だったので、その辺のバランス配分が難しかったのだろう。その昔々のプレイで、中央担当がボヤきまくっていた気持ちが、今になってやっとわかった気がする。当時はコチラも当事者としてテンパっていたので、そこまでわからなかった。でも、ユーゴの抵抗力に期待するのは、やり過ぎだ(笑)。
 
 ビッグゲームは何人かに分担してプレイされることが多く、しかも途中で終了してしまうことも多いので、どうしても「目の前の敵をやっつける」ことに終止しがちになる。いわゆる「作戦研究」が進んでいるモノなんて、数えるほどしかないと思うな。「サードワールドウォー」もかなりタフなゲームなので、「各戦線にどれだけ部隊をバラまけばいいのか」はあんまり考えられていないと思う。普通は検証しているヒマがない。そんな中で、過去の対戦相手がどーやって「イスタンブール軽視・イタリア重視」って作戦を編み出したのかはよくわからないけれど、喰らった私に強烈な印象が残ったのは間違いなく、今回他の方に「伝授」できたのはちょっと嬉しい。ま、だいぶ劣化してはいるんだろうけれど。
 
 今回は事実上このゲームにかかり切り…というわけではない。無茶苦茶忙しい中央と比べるとヒマなので、他の対戦なんぞも比較的ゆっくり眺めることが出来た。多少申し訳ない気持ちがあるけれど、まあある程度は仕方ないとしておこう。相変わらず楽しい週末でした。ただ、終わった後ドッと疲れが出たのは事実。負担はあんまりかかってないはずだから、自分でも知らないうちに緊張していたんだと思われる。「欧州を真っ赤に染める」のはタイヘンなのだ(笑)。
 
 最後に、このプレイに参加した各位、及び猿遊会主催者のgameape殿、更に全参加者の方々に、特別な感謝を捧げます。皆様あってのゲーム界だし、ゲーム界あっての私です。これからもシミュレーションゲームって世界で共に戦い続けましょう。

10月20日2012/10/27 23:26

 本日は、とある約束により「ゲームの勝利条件」について語る。ゲームルールの仕組み解説講座なので、専門性は極めて高いです。その点はご了承下さい。
 
 専門家向けなので、細かい説明は省こう。勝利条件というモノは、私に言わせると「はなはだしく誤解されている」と思う。基本的には「ゲーム終了時に、ドチラが勝ったのかを判定する基準」とだけ認識されているようだけど、実はもう1つ、より重要な意味があるというのが、私の見解だ。それは、「ゲームの進行を、デザイナーの想定した方向へ導くための動機」という役割だ。
 
 よ~く考えて欲しい。いわゆる東部戦線キャンペーンにおいて、独軍担当プレイヤーは何故攻撃に出るのか?確かに、攻撃しなきゃモスクワは獲れない。でも、大抵の場合攻撃したって獲れない。他の都市は占領できても、それだとゲームは「ドイツの勝ちです。おめでとう!」で終了したりしない。そうすると、最後はベルリンを巡る攻防に持ち込まれる。だったら何故攻勢に出る?最初から守ればいいではないか。
 
 このような「かみ合わないプレイ」にならないよう、普通は勝利条件って目標が与えられ、お互いがソレを達成する方向でゲームを進めることにより、「マトモな」プレイになる。これは勝利至上主義うんぬんとは関係がない。そりゃあね、「ぼくのだいじなそうこうぶたいがしぬのはいやだぁ」ってな思惑から、バルジの戦いを扱ったゲームなのに独軍が攻勢に出ない…なんてプレイをするのも自由だ。けど、対戦相手はソレで楽しめるのか?「勝ちにこだわる」と「勝利条件を追求する」は似ているようでいて、全くの別物だ。前者の否定は「負けという判定だと認めるけれど、気にしない」であるべきで、「勝利条件なんて気にしなくて良い」であってはならない。ソレを認めると、マトモなプレイが成立するかどうか、怪しくなる。
 
 この世には、自分勝手な勝利条件を追求して良いゲームがあることは事実。テーブルトークRPGがそうだよね。ただ、アレはマスターという「権限の大きい裁定者」がいるから、話にまとまりが出るのだ。ウォーゲームにそんな立場の人間はいない。それに代わるのが「ルールで定められた勝利条件」だ。つまり、勝利条件とは「適切な、面白いプレイにするためには、どんな方向でプレイすれば良いのか、定義する」役割もある。このことは、当たり前すぎて軽視されていると思う。
 
 そもそもだ。時々問題になる「勝利にこだわった結果生じる、論外なプレイ」が発生する原因は、「勝利条件がプレイヤーの目標設定に失敗してる」ことが第一要因であることが多い。まずゲームでやらせたいことと勝利条件の間に食い違いが生じていて、ソコを「勝利至上主義」の人間が利用した結果そうなる…というわけだ。逆に言えば、勝利条件が適切な目標設定に成功していれば、勝利至上主義者と言えども「マトモなプレイ」をする。それが勝つための手段であり方向性なんだから。勝利至上主義的な態度を擁護するつもりはないけれど、問題点をプレイヤーの態度にだけ求めるのはむしろ不毛だと思う。
 
 実際問題として、再現性が強く求められるウォーゲームでは、「目標としての勝利条件」は、「判定基準としての勝利条件」より重要である。攻撃側がボロ負けした戦いを考えてみると良い。最終的には猛反撃喰らって開始線より後方の都市を占領されたからって、ソコを守りきれば勝ち…なんて勝利条件にしたら、誰が攻撃するというのだ。流石に最終目標(大抵遠大すぎて達成不能)の達成を勝利条件にしろとまでは言わないけれど、せめて「攻撃しなければ達成できない」モノを勝利条件にする必要はあるだろう。その結果バランスが悪くなったとしても。個人差はあるだろうけれど、私は「奇跡でも起きなければ達成不能」って勝利条件でも許容範囲だと思うくらいだ。ただ、コレだと「どっちにせよ達成不能なら、攻撃してもしなくても同じなのでは?」って話になりかねないので、やはり「攻撃すれば希望はある」って程度に留まるよう、勝利条件を設定する必要はあるんだろうな。
 
 こうやって考えてゆくと、実は「勝利条件が遠大すぎて、バランスが悪い」という非難は、それだけ取り出してどうこうって話をしても無意味となる。デザイナーが「多少無理でも、ソレを目標にプレイしてもらう必要がある」と考えたならば、それはそれで適切な勝利条件だからだ。もちろん、「目標設定がキチンとされていて、なおかつ勝率が五分五分」がベストではある。ただ、それを達成するために「グチャグチャしていて、初見の人間はまず理解できない」とか、「丁寧に設定しすぎて、プレイの幅がない」なんてシロモノになっても困っちゃう。勝利条件とは多角的な視点から善し悪しを論じるべきであり、バランス云々はその一面を取り出しているだけに過ぎない。極端な話、万人に支持されるような勝利条件の設定が難しいのであるならば、立ち位置の違う人間から強い非難を浴びるような勝利条件を設定することもアリだろう。少なくとも私はそう思う。
 
 この「勝利条件の問題」は、私にとっては他人事じゃなかったりする。コマンド誌107号掲載の私の記事「空母決戦指南」で、勝利条件の改定を提唱したからだ。直接的な動機は、複数の人間から「バランスが悪い?じゃあプレイする価値無い」って趣旨の発言(直接ココまで強く言われてないけど、要約すればこう表現するしかない)を聞かされたから。言いたいコトは良くわかる。こんなコト言われちゃう以上、やはりバランスが悪いゲームってのは、それこそ「欠陥商品」呼ばわりされても当然なんだろう。そんな主張をする人間にもプレイしてもらおうと思ったら、なんとかバランスを取るしかない。
 
 手直しするとすればドコになるのか?このゲームはルールが単純(使いこなすのは難しいけれど)であり、ユニットの戦力やシステムをいじってどうこう…というのは、影響が大きすぎて破綻する可能性がある。だとしたら勝利条件をいじるしかない。けど、何故こんな勝利条件になっているのか、その理由もよくわかるのだ。更に、目標が変化することにより、プレイヤーの行動が滅茶苦茶になっても困る。成功しているのかどうかはともかく、その辺はキチンと考慮したつもりだ。安易に「バランスが悪い?じゃあ調整しよう」だけで改定したつもりはない。
 
 勝利条件の改定も大変だったけれど、よりタイヘンだったのは、原稿の中に「勝利条件を改定しても大丈夫な理由」を盛り込むことだった。嬉しいことに、これはある程度成功したんじゃないかと思われる。勝利条件の改定については、前編が1行も完成してない段階から「そこまで踏み込むこともあり得る」って構想があり、それを編集部に伝えたところ、「慎重に」って趣旨の発言が返ってきた。安易に直すなってことだね。にもかかわらず、改定を盛り込んだ後編の原稿を送りつけた後は、拍子抜けするほどアッサリ「問題なし」で通った。単に面倒くさかっただけかもしれないけれど、私としては「原稿内に散りばめた、改定についての説明を兼ねている部分」を評価してもらえたのかなと。とりあえず、安易に直したわけではないって部分が伝わったのであれば、これに勝る喜びはない。
 
 自ら改定を提案するくらいだ。ある意味では、私は「太平洋空母決戦」には欠陥がある!と主張したことになる。けれど、それを認めた上で、なおかつこのゲームはプレイして面白い、プレイする価値が大いにある…これが私の主張である。何故そう思うのかは、私の原稿を読んでもらえば、わかるはず。筆力不足からわかってもらえない可能性もあるけれど、本来盛り込めて当然の要素でしょ。だいたいだなあ、発行元自らが「どのようにプレイしたらよいゲームか掴みにくい」(「空母決戦指南」前編キャプションより引用。ちなみに私が書いた文ではない)ってな「欠陥がある」と認めているモノを擁護して欲しい、と原稿依頼が飛んできたのだ。程度問題はあるにせよ、その辺を何とかできそうだ…って期待(重かった…)をかけられていたはずである。「そんな難しいモノを任されたんだぞ、わかっているのか?」ってプレッシャーを自分にかけた。
 
 個人的な意見だけど、私は「本当に惚れてるモノなら、悪口をすらすら言えて当たり前」だと思っている。「完璧。欠点なんて見あたらない」なんて台詞は、一時的興奮から目が眩んでいる人間のものではないかと。仮に本当に欠陥がないんだとしたら、それは多分面白みもないと思う。立ち位置の異なる人間にしてみれば、ここは欠点と見なされるなあ…って部分をシッカリ理解できてこそ、本当の意味で惚れていると見なすべきじゃないかな。そう考えないと、保管場所をやたら食う・プレイ時間は長い・相手見つけるのに苦労する・ルール覚えるまでが大変で、使いこなすのはもっとタイヘン…という、欠点だらけのモノを趣味になんかできませんよ(苦笑)。