10月17日 ― 2010/10/17 22:56
本日の話題は、イグノーベル賞関連。先月末に発表されていたんだけど、研究内容などを把握するのに時間を喰いまして。今回紹介するのは、経営学賞を受賞した「昇進させる人物をランダムに選んだ方が、組織はより効率的になることを数学的に証明したこと」について。単に調べやすかったからって話はあるけど。
えーと、まずは「限界効用逓減の法則」からいきましょ。これは経済学のイロハで、「あるモノ(主に食べ物など)を何度もまとめて消費すると、その効用(満腹感とか味を楽しむとか)は少しずつ減ってゆく」ってものだ。とりあえずは原則論なので、細かいことは気にしないように。とりあえず、オニギリでたとえよう。最初の1個を食べた直後より、2個目を食べた後の方が「オニギリ食いたい!」って気持ちが薄れ、3個目を食べた後は「もういいかな」って気持ちになり、4個目を食べた後は「これ以上食べるのは苦痛なんですけど」って状態になる…という現象?を説明したモノだ。
このたとえにおいて、この人はオニギリを何個買うべきか?答えは3個である。2個食べた後は、薄れているとは言え「オニギリ食いたい」って気持ちがまだ残っている。4個食べた後は苦痛というマイナスがある。つまり、「オニギリ食いたい」って気持ちがゼロになり、なおかつ苦痛にならない状態になるまで「オニギリを消費する」のがベストだってことだ。これはつまり、「少しずつ減ってゆく(=逓減する)効用がプラスマイナスゼロになる個数まで消費するのが、利益を最大にする方法」ということになる。「限界効用逓減の法則」なんて書くと難しそうだけど、感覚的にはわかってもらえるのでは。
この「プラスマイナスゼロになるまで消費する」って部分、実は「ある品物・手段を色んな用途に応用しちゃう」場合にも当てはまるのでは…と考えた奴がいた。つまりはこうだ。何か「上手くいった」手段がある場合、人間はそれが「他のことにも応用できるのでは?」と考え、実際やってみる。しかし、それは本来の用途と異なるので、大抵の場合は「ソコソコ使える」程度の話になる。それでもプラスがあるのなら「まだ応用できそうだ」と用途を広げてゆく。ただ、「駄目だこりゃ」となったモノ(マイナスになるモノ)の場合、当然使うのを止める。かくして、ある手段は「可もなく不可もなく」、とりあえずその場は誤魔化しておけるけど、適切とは言い難い」って用途(プラスマイナスゼロの状態)に使われるまで広まり、そこで止まる…というわけだ。
この話は例を見つけるのが難しいんだけど、私は大いに納得できる。「私が購入するカレンダーの数」が、おおむねこの法則に従っているからだ(笑)。カレンダーマニアである私は、どこを眺めても「視界のどこかにカレンダーが見える」って状態になるまでカレンダーを増やし、それを越えると「流石に多すぎた」って気分になる。カレンダーがいっぱい見えたからって実害はない…と言いたいけど、私は「カレンダーってのは買うものだ」と固く信じているので、財布の中に被害が出る。ま、実際は明らかに「カレンダー過多」だけど。足りないよりは多すぎる方がマシなので。
この「ある手段は、より困難な応用に適用されてゆき、やがて失敗してその直前の状態に戻る」という「モノ・手段」に対する法則は、実は「人事」にも応用できちゃう。これが「ピーターの法則」だ。人間、有能であれば出世する。有害ならば降格する。これを突き詰めてゆくと、「全ての役職は、その立場を何とかこなせる程度の存在、つまり無能な奴によって埋め尽くされる」となっちゃう…ってものだ。これは「出世すると仕事がタイヘンになり、より高い能力を要求されるから」ではない!単純に「仕事の質が変化するので、以前の役職において役に立った技能・経験が役に立つとは限らなくなるから」である。
そりゃあね、現実はモデル通りにはならない。ただ、それは「現実はより複雑で、他のことも考慮する必要があるから」ではなく、「社員の数はたかだか数十万、1人の社員の勤務可能年数はどう頑張っても60年(役員も含めて考えるので、定年退職は考える必要がない)程度」なので、「バラつき」が無視できないからである。役職の段階もそんなに多くないし。ただ、「有能と判定されれば出世し、有害と判定されれば降格する」という「素朴な能力主義」を採用するってコトは、「その役職に留まり続ける=可もなく不可もなく」を意味する。これじゃ駄目だ…ってのが「ピーターの法則」だ。
この「素朴な能力主義」が悪質なのは、組織が「有害な奴」ではなく、「可もなく不可もない奴」、つまり無能によって占められるってトコロにある。とりあえずその場その場はしのげるので、「ココが駄目だ」と指摘されにくい。そもそも、組織の上層部(普通はその組織に長年いた奴)ほど「安定した状態」、つまり無能状態に陥っている可能性が高いので、改革もやりにくい。かくして組織全体が「無能」になり、「素晴らしい仕事」は「まだ無能を露呈する地位まで出世していない社員」(大抵地位が低い)によって行われることになる。
この法則から逃れるためには、どーすりゃいいのか?実は解決策の1つに「階級制の復活」がある。平社員は有能でも無能でも生涯平社員、管理職も経営職もず~っと同じ職務…という状態ならば、「有能な奴が出世して別の仕事を要求され、いずれ無能の壁に突き当たる」って現象は避けることが出来る。これに近いことやってんのが公務員だな。キャリアは腐ってもキャリア、ノンキャリは未来永劫ノンキャリという「階層」があるからね。もちろん、単純に階級社会を復活させると弊害の方が大きいので、本来ならば「無能な貴族(管理職・経営者)より有能な平民の方が高給取り」みたいな制度を設ける必要があるけど。
そんでもって…同じく「ピーターの法則」から脱却する方法として提唱されたのが「昇進させる奴はランダムに選ぶ」である。あくまで数学的モデル上の話ではあるけれど、実はコレ「かなり上手くいく方法」という結論が出ちゃった。まあ、「有能な奴を出世させる」ってコトは「ある役職から有能な奴を取り除き、適切かどうかわからない役職に送り込む」ってマイナスがあるので、ランダムより劣っても仕方ない気はするけど…いわゆる「会社人間」が持つ常識と真っ向から反する結論を導き出したのだから、イグノーベル賞受賞もわかる気はするな。
なお、この法則に従うのなら、「年功序列」なるシステムは「捨てたモノじゃない」となる。勤続年数と「その人が、現在いる役職で示した能力」&「出世した役職で必要な能力」は直接関係があるワケじゃない(間接的にはあるんだろうけど)ので、「単純素朴な能力主義」を採用した場合よりランダム性が出てくるから。「年功序列じゃ駄目だ!」と「成果主義」を導入した企業がうまくいかなかったのも、ある意味当然って気はするね。駄目な制度をより駄目な制度に変えたわけだから。
実際問題として、「昇進する奴はくじ引きで決める」なんて会社が誕生するかどうかは、わからない。数学モデル上はその方が有利だとしても、「直感的感覚」に反するだけに、問題だらけって話になるだろうからね。間違っているのは直感的感覚の方であっても。ただまあ、コレを機に「人事制度なるモノの見直し」が進むかもしれない。とりあえず、その方が世のため人のためだとは思う。
ちなみにだ。「ピーターの法則」なるものが提唱されたのは、40年以上前。にもかかわらず、日本で「この法則から逃れるための人事制度とは」って話が盛り上がったって話は聞かない。「年功序列じゃ駄目だ、これからは成果主義だ!」などという、ある意味愚劣な議論は盛り上がったけどね。この辺にも「日本経済がいつまで経っても元気にならない理由」があるのかも。ま、この辺を見直すのは大変だと思うので、仕方ない側面も強いとは思うけど。
私はウォーゲーマーなので、「いい働きをしたので出世させてみたら、無能でした」って例については、それなりに詳しい。「どう考えても出世すべきじゃなかったよ、キミ」って言いたくなるような将軍って、古今東西問わずいたからね。それを考えると、今回の話はこの色の話題について行ける人間の方が「なるほど」と思ってもらえるかも知れない。ということは、やはり「ウォーゲームを知ることは、実生活の役にも立つ」ってことに…なるんだろうか?どう考えても「正しいかも知れないけれど、空気読んで黙っておくべき」と分類される知識に詳しくたって、むしろ有害なだけなんじゃ…
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