10月4日2010/10/05 00:46

 諸般の事情により、更新がえらく遅れてしまった。この色関係で語りたいことがあるんだけど、10月最初の更新は祭りに参加」と決めていたので、「祭:日露戦争」第1弾をお届けします。
 
 とはいえ…私は日露戦争(EP/国通)について、あまり語れることはない。最新の作戦研究について行けるワケじゃないし。そこでちょっとばかりヒネって、「このゲームの罪」を語ってみようかと。
 
 このゲームの罪?そんなものあるのか?まあ、あえて大げさに書いただけなので、深く気にする必要は無いと思う。基本このゲームは出来が良く、プレイ人口も多い。フツーの人間が考えるトコロの罪はないと思う。
 
 それでも、だ。一応このゲームに罪はあると思う。まずこのゲーム、面白すぎる。そのおかげで、「同じテーマの別ゲーム」の注目度がえらく低い。結果として「実際の日露戦争はどうだったのか」って部分が、かなりどーでも良くなってしまっている。それが問題だとは言わないけれど、「そうなっている」と認識してもいいんじゃないかと思うんだな。
 
 私は一応、「他の日露戦争ゲーム」をプレイしたことがある。SPIの「Russo-Japanese War」だったかな?ウラジオストックが入っていたのを覚えている。どんなもんなんだ…と日本軍担当でプレイしてみて、とりあえず「違い」に戸惑い、案の定負けた。アレはアレで面白かったのだけど。
 
 敗因分析はしてある。「旅順艦隊対策」だ。あのゲームの旅順艦隊は、かなり強くて積極的に活用可能だ。コイツに輸送船をかなり沈められちゃったのが痛い。最後は奉天に「勝率1/9の戦い」(要は1/3で成功って攻撃を3回連続で成功させること)を挑むしか無くなり、案の定クリアできなかった。
 
 このゲームの感想は、「エポック日露とはかなり違うな」だ。「戦闘後前進で挟んでポン」ってゲームじゃないので、お互いものすごく消耗する。旅順艦隊は積極的に出てきて「死んで元々」って攻撃かけてくる。最初から営口に上陸可能だけど、効果はかなり限定的。正直言って、かなり雰囲気が違う。
 
 たとえばだ。WW2の東部戦線を扱ったゲームの場合、ルールはかなり違っても「東部戦線らしさ」を出そうとするのが普通であり、通常それに成功したゲームが褒められる。けど、「SPI日露」と「エポック日露」は「雰囲気的に共通する部分」を見つけるのに苦労するレベルで違う。
 
 私は日露戦争の史実に詳しいワケじゃないので、「ドチラの方がより雰囲気が出ているのか」はわからない。ただ、コマンド誌のオマケになった「更に別のゲーム」のリプレイなどを読む限りにおいては、「エポック日露」の方が「間違って」いるんだろうなぁ~って気はする。あの頃の戦いは、野戦でも消耗戦になりがちだったみたいだから。
 
 ただ、「エポック日露」は、結果のつじつまは合っているような気はする。露助の戦略がかなり消極的だったので、結果としてズルズル下がっているからね。「面白ければ、それでいい」という考え方に立つのならば、アレで問題はない。
 
 私はどちらかと言えば「面白ければ、それでいい」派なので、エポック日露に不満はない。ただ、それでもやっぱり「欠陥」は認識しておくべきかと。ウォーゲーム…に限らずゲーム全般…いや、「創作物全般」において、「省略と誇張」は欠かせない。どんな傑作でも、何かしら「抜け落ちているモノ」はあると考えて良い。そーゆー部分に注目するべきとは言わないけれど、「何かしらそーゆーモノはあるんだろうな」と思っておいた方が良いような。
 
 とにかくこのゲーム、1にユニットさばき、2にユニットさばき、3・4が無くて5がユニットさばき…ってゲームである。私もこのゲームで「ユニットさばき」を覚えたクチであり、その点は感謝している。ただ、欠点を認識しない「盲目的な信仰」よりも、欠点を理解した上での「深い愛情」の方が健全ではないかなって気はする。にもかかわらず、他のゲームが「色んな意味でイマイチ」な関係上、そこに気がつきにくいゲームになっちゃっている気はするな。とはいえ、今更そこをどうこうしたゲームが出るとは思えないけど。
 
 ただ…「つまんないゲーム」であっても、プレイする意味はある…ってのが、先日軍神鹿内氏の普段からの主張である。その意味では、他の「日露戦争をテーマにしたゲーム」をプレイしようって人間がもう少し増えても良いんじゃないかな。「エポック日露」の理解を深めるためにも。もちろん、私はお相手…しません。いくら何でも理解が足らなすぎる。ソレを承知の上で一緒に「わからん同士でク○ゲーをプレイしてみる」なる冥府魔道に踏み込もうって野望があるのなら、つき合ってもイイですけどね(苦笑)。

10月11日2010/10/12 00:49

 久々に麻雀なんぞ打った関係上、ヘロヘロに。それにめげずに更新しなくちゃね。「宿題」多いからして。今回はその1つ「凱旋門賞雑感」。
 
 諸般の事情により、行きたかったのに行けなかった今年の凱旋門賞。自分のPO馬ヴィクトワールピサが参加しているのに、行けなかったってことがどれだけ「論外」なのかは、多分世界で一番私自身が知っている。世が世なら切腹モノだ。
 
 でもね、伝え聞く結果を見た限り、正直言って「行かなくて良かったかもな」って気持ちがあるのも事実。ヴィクトワールピサが負けたから…ではない。負けるところも見なくてどーする。同じ日本馬ナカヤマフェスタが2着止まりだから…でもない。フェイムアンドグローリーが予想通り「惨敗」ぶっこきやがったからだ。
 
 この馬の惨敗は、正直予想していた。確かに、この馬は強い。凱旋門賞で人気背負うのもわかる。わかるけど、コイツはモンジュー産駒だ。親父がそうだったように、親父の代表産駒ハリケーンランがそうだったように、「4歳秋の凱旋門賞では、完全に燃え尽きている」可能性は高かった。それが「血統」ってモノでしょ。
 
 その意味では「完璧に予想通り」であり、勝ったワークフォースを買えたかどうかはともかく、「フェイムアンドグローリーが来ない!」って部分だけは的中したわけだ。けど、正直モンジュー産駒のそんな姿は見たくなかった。何故か?そりゃもう、私にとってモンジュー及びその産駒ってのは、「日本馬の前に立ちふさがる、圧倒的に凶悪な壁」であって欲しいから。私にとってのモンジューとその産駒ってのは、そういう存在だ。
 
 私はアスコット病患者である。あの競馬場のこと、キングジョージのことを考えると理性が吹っ飛ぶ。あげく「財布の中から使っちゃイケナイ金が消え去る」有様だ。日本人のくせにこの病に罹ってしまった患者としては、橋口調教師が「最悪の症例」だと思うけど、私もそれなりのモノだと思う。あの競馬場・あのレースで日本馬が勝つ姿を見るのが私の悲願であり、その可能性が少しでもある(出走するだけでそれを満たす)のであれば、万難を排してあそこまで行くのが私の義務だと思っている。
 
 そんな私にとって、「日本馬に立ちはだかる壁」は、モンジューとその産駒である。最初に行った時はモンジューが勝ち、2度目はハリケーンランが勝ったのだから、当然だろう。両方とも「スゴい」競馬を見せてくれた。アレを打ち破らなければ、日本馬のキングジョージ制覇はあり得ないのか…と考えると、目の前が真っ暗になるほど。
 
 私にとって「モンジューの血を引く馬」とは、「欧州競馬を代表する存在」だ。欧州の馬場で欧州馬に勝つことがいかに辛いことか、その具体的な姿がアレだと思っている。そんな存在だけに、「燃え尽きた」姿は見たくないのだ。
 
 そりゃあね、私はモンジューが情けなく負けるところも見た。JCで。ただ、アレは遠征して日本の馬場で戦った時の話。そこで「役に立たない」のはいいんだよ。けど、欧州の馬場で駄目駄目な姿を見たくはない。愛嬌だの何だので誤魔化せるレースじゃないだけに、なおさらだ。私が見たいのは「憎たらしいほど強いモンジューの血を引く馬を、日本馬が上回る姿」であって、燃え尽きたモンジュー産駒に先着する姿を見たところで、あんまり嬉しくない。
 
 その意味では、フェイムアンドグローリーには「私の小賢しい予想を覆す姿」を見せてもらいたかったんだけど、やっぱり駄目だった。それが競馬ってものだ。それは私も良くわかっている。わかっているけれど、目の前で見たい姿じゃないでしょ。だから、「行かなくて良かったのかな」って感想が出てくるワケだ。
 
 ただ…そういう「見たくない姿」を見るってのも、競馬なのかなって気がする。実際、元PO馬のヴィクトワールピサに関しては「負ける姿を見なくてどーする」って意見なのだから。そんでもって、ヴィクトワールピサ&フェイムアンドグローリーが惨敗する姿を見て、哀愁漂わせながら秋のパリを散策するという、「絵になるんだかならないんだか、よくわからん姿」を周囲に晒すと(笑)。
 
 ただまあ、私にとって最優先事項はやはりキングジョージだ。私は哀愁って言葉が似合う枯れたオヤジではなく、烈火のごとき気合いをぶつけて砕け、「この恨み、晴らさずにおくべきか!」と意味不明なコト吼えている「ヘンなオヤジ」でありたい。体はともかく、気持ちは老け込むには早すぎる。
 
 そんなわけで、できれば凱旋門賞は「心身ともに枯れてきた」って気持ちになってから観戦したい気分。ただまあ、休みが取れて応援したい馬が出走するっているのなら、そんなこと気にせずすっ飛んでいきそうではあるけれど。競馬に関しては「世界を相手に戦える男」でありたいからね。
 
 なお、この感想はスプリンターズSの結果とは一応無関係です。いやまあ、ウルトラファンタジーにはお世話になったんだけどね。「実は逃げ切りが決まりにくい沙田でいい逃げ馬と呼ばれているのなら、ローレルゲレイロが空気読んで暴走しそうもない今回はハナ切って逃げ切れるのでは」と読んで馬券押さえておいたのが…いやはや、日本にいて良かった(苦笑)。

10月17日2010/10/17 22:56

 本日の話題は、イグノーベル賞関連。先月末に発表されていたんだけど、研究内容などを把握するのに時間を喰いまして。今回紹介するのは、経営学賞を受賞した「昇進させる人物をランダムに選んだ方が、組織はより効率的になることを数学的に証明したこと」について。単に調べやすかったからって話はあるけど。
 
 えーと、まずは「限界効用逓減の法則」からいきましょ。これは経済学のイロハで、「あるモノ(主に食べ物など)を何度もまとめて消費すると、その効用(満腹感とか味を楽しむとか)は少しずつ減ってゆく」ってものだ。とりあえずは原則論なので、細かいことは気にしないように。とりあえず、オニギリでたとえよう。最初の1個を食べた直後より、2個目を食べた後の方が「オニギリ食いたい!」って気持ちが薄れ、3個目を食べた後は「もういいかな」って気持ちになり、4個目を食べた後は「これ以上食べるのは苦痛なんですけど」って状態になる…という現象?を説明したモノだ。
 
 このたとえにおいて、この人はオニギリを何個買うべきか?答えは3個である。2個食べた後は、薄れているとは言え「オニギリ食いたい」って気持ちがまだ残っている。4個食べた後は苦痛というマイナスがある。つまり、「オニギリ食いたい」って気持ちがゼロになり、なおかつ苦痛にならない状態になるまで「オニギリを消費する」のがベストだってことだ。これはつまり、「少しずつ減ってゆく(=逓減する)効用がプラスマイナスゼロになる個数まで消費するのが、利益を最大にする方法」ということになる。「限界効用逓減の法則」なんて書くと難しそうだけど、感覚的にはわかってもらえるのでは。
 
 この「プラスマイナスゼロになるまで消費する」って部分、実は「ある品物・手段を色んな用途に応用しちゃう」場合にも当てはまるのでは…と考えた奴がいた。つまりはこうだ。何か「上手くいった」手段がある場合、人間はそれが「他のことにも応用できるのでは?」と考え、実際やってみる。しかし、それは本来の用途と異なるので、大抵の場合は「ソコソコ使える」程度の話になる。それでもプラスがあるのなら「まだ応用できそうだ」と用途を広げてゆく。ただ、「駄目だこりゃ」となったモノ(マイナスになるモノ)の場合、当然使うのを止める。かくして、ある手段は「可もなく不可もなく」、とりあえずその場は誤魔化しておけるけど、適切とは言い難い」って用途(プラスマイナスゼロの状態)に使われるまで広まり、そこで止まる…というわけだ。
 
 この話は例を見つけるのが難しいんだけど、私は大いに納得できる。「私が購入するカレンダーの数」が、おおむねこの法則に従っているからだ(笑)。カレンダーマニアである私は、どこを眺めても「視界のどこかにカレンダーが見える」って状態になるまでカレンダーを増やし、それを越えると「流石に多すぎた」って気分になる。カレンダーがいっぱい見えたからって実害はない…と言いたいけど、私は「カレンダーってのは買うものだ」と固く信じているので、財布の中に被害が出る。ま、実際は明らかに「カレンダー過多」だけど。足りないよりは多すぎる方がマシなので。
 
 この「ある手段は、より困難な応用に適用されてゆき、やがて失敗してその直前の状態に戻る」という「モノ・手段」に対する法則は、実は「人事」にも応用できちゃう。これが「ピーターの法則」だ。人間、有能であれば出世する。有害ならば降格する。これを突き詰めてゆくと、「全ての役職は、その立場を何とかこなせる程度の存在、つまり無能な奴によって埋め尽くされる」となっちゃう…ってものだ。これは「出世すると仕事がタイヘンになり、より高い能力を要求されるから」ではない!単純に「仕事の質が変化するので、以前の役職において役に立った技能・経験が役に立つとは限らなくなるから」である。
 
 そりゃあね、現実はモデル通りにはならない。ただ、それは「現実はより複雑で、他のことも考慮する必要があるから」ではなく、「社員の数はたかだか数十万、1人の社員の勤務可能年数はどう頑張っても60年(役員も含めて考えるので、定年退職は考える必要がない)程度」なので、「バラつき」が無視できないからである。役職の段階もそんなに多くないし。ただ、「有能と判定されれば出世し、有害と判定されれば降格する」という「素朴な能力主義」を採用するってコトは、「その役職に留まり続ける=可もなく不可もなく」を意味する。これじゃ駄目だ…ってのが「ピーターの法則」だ。
 
 この「素朴な能力主義」が悪質なのは、組織が「有害な奴」ではなく、「可もなく不可もない奴」、つまり無能によって占められるってトコロにある。とりあえずその場その場はしのげるので、「ココが駄目だ」と指摘されにくい。そもそも、組織の上層部(普通はその組織に長年いた奴)ほど「安定した状態」、つまり無能状態に陥っている可能性が高いので、改革もやりにくい。かくして組織全体が「無能」になり、「素晴らしい仕事」は「まだ無能を露呈する地位まで出世していない社員」(大抵地位が低い)によって行われることになる。
 
 この法則から逃れるためには、どーすりゃいいのか?実は解決策の1つに「階級制の復活」がある。平社員は有能でも無能でも生涯平社員、管理職も経営職もず~っと同じ職務…という状態ならば、「有能な奴が出世して別の仕事を要求され、いずれ無能の壁に突き当たる」って現象は避けることが出来る。これに近いことやってんのが公務員だな。キャリアは腐ってもキャリア、ノンキャリは未来永劫ノンキャリという「階層」があるからね。もちろん、単純に階級社会を復活させると弊害の方が大きいので、本来ならば「無能な貴族(管理職・経営者)より有能な平民の方が高給取り」みたいな制度を設ける必要があるけど。
 
 そんでもって…同じく「ピーターの法則」から脱却する方法として提唱されたのが「昇進させる奴はランダムに選ぶ」である。あくまで数学的モデル上の話ではあるけれど、実はコレ「かなり上手くいく方法」という結論が出ちゃった。まあ、「有能な奴を出世させる」ってコトは「ある役職から有能な奴を取り除き、適切かどうかわからない役職に送り込む」ってマイナスがあるので、ランダムより劣っても仕方ない気はするけど…いわゆる「会社人間」が持つ常識と真っ向から反する結論を導き出したのだから、イグノーベル賞受賞もわかる気はするな。
 
 なお、この法則に従うのなら、「年功序列」なるシステムは「捨てたモノじゃない」となる。勤続年数と「その人が、現在いる役職で示した能力」&「出世した役職で必要な能力」は直接関係があるワケじゃない(間接的にはあるんだろうけど)ので、「単純素朴な能力主義」を採用した場合よりランダム性が出てくるから。「年功序列じゃ駄目だ!」と「成果主義」を導入した企業がうまくいかなかったのも、ある意味当然って気はするね。駄目な制度をより駄目な制度に変えたわけだから。
 
 実際問題として、「昇進する奴はくじ引きで決める」なんて会社が誕生するかどうかは、わからない。数学モデル上はその方が有利だとしても、「直感的感覚」に反するだけに、問題だらけって話になるだろうからね。間違っているのは直感的感覚の方であっても。ただまあ、コレを機に「人事制度なるモノの見直し」が進むかもしれない。とりあえず、その方が世のため人のためだとは思う。
 
 ちなみにだ。「ピーターの法則」なるものが提唱されたのは、40年以上前。にもかかわらず、日本で「この法則から逃れるための人事制度とは」って話が盛り上がったって話は聞かない。「年功序列じゃ駄目だ、これからは成果主義だ!」などという、ある意味愚劣な議論は盛り上がったけどね。この辺にも「日本経済がいつまで経っても元気にならない理由」があるのかも。ま、この辺を見直すのは大変だと思うので、仕方ない側面も強いとは思うけど。
 
 私はウォーゲーマーなので、「いい働きをしたので出世させてみたら、無能でした」って例については、それなりに詳しい。「どう考えても出世すべきじゃなかったよ、キミ」って言いたくなるような将軍って、古今東西問わずいたからね。それを考えると、今回の話はこの色の話題について行ける人間の方が「なるほど」と思ってもらえるかも知れない。ということは、やはり「ウォーゲームを知ることは、実生活の役にも立つ」ってことに…なるんだろうか?どう考えても「正しいかも知れないけれど、空気読んで黙っておくべき」と分類される知識に詳しくたって、むしろ有害なだけなんじゃ…

10月20日2010/10/21 00:30

 コマンドマガジン最新号が届いた。今回私はコミケレポートを掲載しているので、献本である。どれどれと確認してみたところ、カラーページ(巻末カラー部分の最初)に掲載されている。これは単純に嬉しいな。特に、本文中で紹介した同人ゲーム&同人誌のタイトルが赤い字になっているのが嬉しい。私の趣味がよくわかっている…って、このブログを見ればそんなことはすぐわかるけど。
 
 しかーし!浮かれてばかりもいられない。先ほどコマンド誌のサイトを覗いたら、アンケートなるものが設置されている…おまけに、「つまらなかった記事」だけじゃなく、「興味の無かった記事」まで回答しろときたもんだ。今日からしばらく「つまんねーぞ!」「興味ないね」といった罵声を浴びせられる夢を見そうな…
 
 多少マジな話をすると、私の記事はこの手のアンケートで好評になるとは思えない。それどころか、「つまらない」「興味がない」の上位に来ても何の不思議もない。それだけ内容に自信がないから…ではない。そもそもからして「どちらかと言えば、一部の読者のみをターゲットにしている」記事だからだ。その上、広く浅く紹介するのが主目的である以上、どーしたって「毒にも薬にもならない」文章になりがち。こんな記事がアンケートで上位に来るのは、不可能じゃないかも知れないけど相当難しいと思う。
 
 こういう記事は、逆に「ものすごくつまらない」モノを書くのも難しい。そりゃまあ、取材サボりまくって「紹介するようなゲームがありませんでした。ゴメンナサイ」で片付ければ読者の怒りを買うだろうけど、「そんなことやるわきゃねえ」と脚下見透かされて?この記事担当しているのだ。「最低限のクオリティ」は維持できているはず。ソレを考えれば、「つまらない」のトップってことは流石に考えにくい。考えにくいけど、消去法的に「ロクに読まなかったから、これも入れておくか。」ってな理由で票を投じるのに適切な記事って気も…
 
 まあ、本当に「つまらない」「興味がない」記事の上位にランクされたとしても、私の不定期連載が即座に消えて無くなったりはしない…のでは。「同人ゲームの創り手を支援する」という、政策的意味合いがある記事だからね。編集部側の負担と効果を考えた場合、今のところ他にいい手段があるとは思えない(あくまで個人的推測だけど)以上、「読者からそう評価されても仕方ない」と割り切ってもらえると思う。とりあえず、同人ゲーム&同人誌の創り手からは「紹介してもらえて有り難い」ってエールをもらっている(お世辞はあるだろうけど)ので、政策的な目的はある程度果たしていると判断できる。
 
 ただまあ、本当に「つまらん」「興味ない」と判定されちゃったら、ヘコむことも事実かなあ。いくら「わかってくれる奴にわかってもらえればいい」と割り切って書いている記事とは言え、一応はアタマ振り絞って「少しでも面白くしよう」としているわけで。もっとも、私の記事のキモは取材であり、取材中は故意にアタマのネジ吹っ飛ばして「考えるな、感じるんだ」って状態で即売会会場をうろついているので、多少ヘコんだところで「やる気失ってつまらん記事になり…」ってな負のスパイラルに陥ることはないと思うけど。
 
 今回の記事に関しては、取材面では「かなり頑張った」と自惚れて、もとい自負している。私自身を除く全ての「コミケに出入りするゲーマー」に、「こんなモノがあったのか」と思わせちゃる!ってな気合いを込めて取材したからねえ。だって、それぐらい気合い入れないとネタ不足に陥りそうだったから…だから、もし仮に「つまらなかった」票が多かったとしたら、取材じゃなくて文章に問題があったからでしょ。そこは…色々努力はしているんだけどねえ。「興味ない」票はネタの関係上どーしよーもないとしても、「つまらん」票上位は…
 
 「興味ない」票も、本来ならば上位になりたくない。けど、これは現時点ではどーしよーもないでしょ。「同人ゲームに興味を持っていない読者が大半」って現状を何とかするため、「こんな品があるんですよ、面白そうでしょ?」と騒ぎ立てるってのが、私の記事の使命だ。連載回数が浅い今現在じゃ、「興味ない」と言われちゃうのは覚悟しないと。
 
 とまあ愚痴を述べてきたけれど、本当のところどうなのかは、蓋を開けてみないとわからない。とりあえず、最終的な結果は知りたいかな。たとえどんな「審判」が下っていたとしても。それを糧にしてより良い記事にしきたい…って気持ちは持たないと。
 
 次回の「取材先」は、今回のコマンド誌に広告?が載った「テーブルゲームフェスティバル2010」で、開催日の関係から冬のコミケ(もうすぐなんだよな…)と合わせて紹介することになりそう。なんつーか…色々大変な気がする(おまけにTGF2010はJCと、冬コミは東京大賞典とバッティング…)けど、気力振り絞って頑張らないと。ただまあ、それに加えて「アンケート結果の惨憺たる評価にめげない」なんてコトに気力使うのは…ココをお読みの皆様、せめて「つまらん」「興味ない」に私の記事を入れないで。焼け石に水って気もするけど。