7月24日 ― 2009/07/25 00:25
わはははは、久々に大笑いしてしまった。いるんだろなとは思っていたけど、改めて目にすると笑ってしまいますね。つーわけで、今回の話題は「同人誌で儲ける方法」について。アレが儲かると思っている奴がいるとはね。
同人誌とは、要は「自費出版」の一種である。自分で本を作り、まあ普通は印刷所に持ち込み、自分で売るってのが基本。このうち、「目に見える経費」として一番重要なのは印刷代だ。そのため、時々「ちょっと印刷に関わりました」って人間が、「1冊あたりの単価がコレなら、ボロ儲けじゃね?」と思うことがある。まあ、こーゆー奴は大抵同人誌即売会に足を踏み入れたこともない奴だけど。
印刷経費ってのは、確かに思ったよりは高くない…大量に刷れば。コンビニのコピーなどと異なり、印刷ってのは「部数にかかわらず、ほぼ固定で発生する経費」が高いので、理論上は大量に刷れば刷るほど単価が安くなる。1,000部ほど刷ればかなり割安感が出ると思う。「同人誌って儲かる」と思っている奴は大抵が「企業絡みの印刷物発注」からそんな判断を下しているので、「これぐらい売れるだろ」などと考える。
現実はどうか?同人誌印刷に手慣れている印刷所が「基本」として勧めてくる部数は、おそらく100部。少部数向きのオンデマンド印刷でも30部からかなあ。こんな少部数だと単価は高くなるけど、だからって「不良在庫」抱えまくるよりはマシだ。この程度の部数だと、印刷単価は300~800円程度が「1つの目安」かな。本のサイズ・頁数・カラーの有無や割合などによって大きく変化するけど。
仮に100部刷って印刷単価が400円だとしよう。これだと…B5、表紙・裏表紙カラー、本文48頁いけるかなあ。ちなみに、私の知っている印刷社だとオンデマンド印刷で36頁が限界だった。料金以外の色んなトコロ(〆切とか仕上がりとか搬入手段とか)に妥協できるのなら、何とか達成できる数値ではないかと。なお、本気で同人誌作る奴は大抵「色んなトコロ」の方が基本料金よりも大事だと感じるはずだけどね。「〆切1日遅らせてくれるのなら、印刷代1万オーバーなんて余裕!」ってのがフツーなので(苦笑)。
ちなみに、頁数を減らすと単価は節約できる。けど、これまた「薄さに比例して単価が減る」なんてことはない。厚い方が強気の値段付けやすいことを考えれば、あんまりペラペラなものは作りにくいでしょ。ただ、原稿制作の手間を考えれば「可能な限り薄くしたくなる」と思うけど(苦笑)。
100部刷って印刷単価が400円。これを500円で売るとしよう。表紙のみカラーの同人誌じゃ、500円が相場ってトコロだし。これで全部売れると1万円の儲け。ここから即売会の参加費だの交通費だの何だかんだを引いてゆけば…まあ、赤字だわな。しかもこれ、「全部売れたと仮定して」の話だ。売れ残りが出れば、それだけ赤字幅が拡大する。「平均的な」同人誌サークルの経営感覚?なんて、こんなものよ。
もっと刷って売れば…なんて考えていないだろうな?言っておくけど、100部売るのはすご~く大変だよ?コミケだと開催時間は6時間。この間に100部売るとしたら、平均3分36秒に1冊売る計算になる。最近のコミケは閉館間際はかなり閑散とする(その分売り上げも落ちる)ので、もっと厳しい数字を想定する必要があるだろうね。「5分に1冊」じゃ間に合わないのだ。ごくごく一部のベストセラーを除き、都内の巨大書店でさえ「この本は5分に1冊売れてます」なんて本はないと思われる。そうだなあ、「IQ84」なら、都内の大型書店で達成できたんじゃない?「売ってる場所が腐るほどある」一般書物と一緒にされちゃ困る。
しかも、同人誌ってのは結構陳腐化が速い。普通は「瞬間風速」上げるため、「最初に売り出した時点でウケてるネタ」を扱うことが多いので。かな~り普遍的なネタ扱ったとしても、1年もすれば「内容が古いなあ…」などと言われても文句は言えない。長くコツコツ売れるモノを作るのがどれだけタイヘンなのかは、「やってみれば即わかる」ことだ。
単価を1,000円にすればいい?確かに最近は「表紙だけカラーで頁数ペラペラなのにこの値段」って同人誌も増えた。けど、この値段はハッキリ言って「割安感」が出ない。少なくとも「試しに買ってみるか」で買う奴が露骨に減る金額だと思う。これはチャンと理由がある。いわゆる「売れ筋」の同人誌であっても、おおむねこの値段だからだ。過去の経緯とかオツリの有無といった理由により、同人誌即売会では「単品で千円を越えるモノ」はかなり高いモノってイメージが出ちゃうのだ。更に言うなら、600円とか800円とかいう半端な値段は、「オツリがうぜえ」って理由から売り上げが落ちるとも言われている。
確かに、いわゆる「大手同人誌」の販売冊数はこんなモノじゃない。1万部ってトコロもチラホラあるって話だし。こーゆーサークルは確かに相当儲かっているとは思う。でも…正直言って、「名の知れた週刊雑誌で、ソコソコの人気がある作品描いている漫画家」の作品でさえ、非エロだと普通はそんなに売れない。アニメ化すれば大化けもあり得るかな。大手サークルってのは本当の意味で「怪物」レベルであり、なんつーか…並大抵の努力で何とかなるような世界じゃない。それこそ「人生賭ける」必要が出てくる。
印刷費用から計算して「同人誌はボロ儲けだ」などとヌカしている奴は、要は「それだけの数を買ってもらう」のがどれほどタイヘンなのか、理解できてないのだ。100部ってのは「コミケでは弱気な数字」だと思うけど、それでもド新人だったら達成するのはタイヘンな数字だ。ジャンルによっては「ベラボーな強気、まず達成できない」って数字だし。収支トントン、もしくはちょっと黒字って言えるのは「200部売れる」サークルからってのが目安であり、これだけ売るのは「売れ筋」と推測されるエロ系でも楽じゃない。
確かにコミケには1開催あたり50万人近くの人間がやってくる。けど、その「お目当ての品」はものすご~く分散している。その中で「売れ筋」に入るのがどれだけ難しいかは…そうだなあ、従業員千人規模の会社の社長になる方よりよっぽど難しいと思うけど。要は「一番上の目立つ部分」だけ見て物事考えているから「ボロ儲け」なんて発想が出てくるだけ。底辺はすごくタイヘンだし、誰だって最初は底辺から始める必要がある。
なお、各種データによると、コミケで「確定申告が必要」な20万以上の黒字があったと予想されるサークルは、全体の5%程度だとか。これは「実際申告した数」から割り出した数字じゃないので、脱税云々とは無関係。アナタ、3万5千サークル(去年の冬コミの参加サークル数)の上位5%に入り込むのが簡単だとでも?しかも、残り95%の半分くらいは実質赤字だろう。それでも同人誌作っているのは、「それが好きだから」である。どう考えても「儲かるから」ではない。
最近は一部書店で同人誌扱うようになったし、同人誌即売会の数も増えた。そのため、上手くやればソコソコの儲けを出せるとは思う。ただ、そのためにはとにかく「売れる本」を作らなければならない。結局はココに落ち着く。同人誌で儲ける方法とは、要は「売れる本を作る」だ。そのための手法はいくつか考えられるけど、どれも「マトモな手法」とは言い難い。ちょっとヲタク文化に知識があり、ちょっと絵が上手い…ってだけの人間がたどり着けるような領域だと思うなよ。それこそ「人生の大切な部分を、なんかヤバいトコロに売り飛ばして」やっと達成できる。しかも、そうまでしたからって「必ず」売れる物を作れるワケじゃねえ。
私が自前の同人誌作っていたのは相当前の話なので、「同人誌の経済論」も多少は変化していると思われる。けど、基本はこんな感じのはずだ。ちょっとエロいネーチャンの絵が描けるってだけでボロ儲けできるなんて、コミケの客を甘く見ているとしか言いようがない。現実はもっとシビアだ。コミケはたまに戦場にたとえられるけど、それも当然と思うほど「売り手にとっても買い手にとっても過酷な場所」なんですよ。
なお、本気で「同人で金儲けしたい」と考えるのなら、むしろ立体系(フィギュアやドール。要は「お人形」)の方が手っ取り早いかも。どう考えても大量生産できないけど、その分利益率を高く取りやすいので。コミケよりワンフェス(ワンダーフェスティバル。立体モノの祭典)の方が儲かるってコトだ。ただ、「競争時代が到来したので、フィギュアでボロ儲けできた時代はもう終わった」って説が流れているんだけどね。言うまでもないことだけど、「売れる同人フィギュアを作る」ことは、「売れる同人誌を作る」より更にタイヘンだ。
そーゆーわけで、「マトモな」人生送りたいのなら、同人誌で儲けようとは考えないことです。同人誌で儲けるコツ、それは「人生を思いっきり踏み外す」ですから。しかも、そこまでやっても必ず儲かるとは限りません。色々覚悟して下さい。つーか、何でこんな「基本のキ」も知らないような奴が同人誌語っているのやら。それだけ同人誌が身近になったってことなんだろうな。外から見てどうこう言ってる分には、何だって簡単に見える(実際がどうかについては言うに及ばず)ってことがわかんないのかねえ。
なお、「ブラックな手法を使って同人誌で儲ける」方法が「以下略」ってマンガ(平野耕太/ソフトバンククリエイティブ)で提唱されています。コレを実行したがっている奴がいるのは確実なので、そーゆー勢力と戦うこともヲタクには必要ですね。ちなみに具体的にどんな手法なのかは、このマンガ読んで自分で調べて下さい。ものすごく読み手を選ぶマンガだったりするけど。
ちなみに、私は一応自作同人誌を作る野望を捨ててはいません。捨ててないだけで、実現する可能性は低いけど。「文字だけ同人誌」がどれだけキツいのかは、私の買う同人誌の8割程度がそーゆー品(それが私の趣味だ)だけに、よく知ってます。売れないのは承知の上で作って売りたいんだけど、やっぱそれだけでもタイヘンなんだよな。ましてや儲けようだなんて考えたら…
7月25日 ― 2009/07/25 23:07
「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」というブログの中で、プロデザイナーから「誰がプレイしても同じになる選択肢は排除しましょう。」「失敗するとゲームが崩壊するオプションは排除しましょう。」ってなアドバイスが寄せられた…という話があった。うんうん、わかる。わかるけど…個人的見解としては「取り扱い要注意」って性質のアドバイスかなと思ったので、ここで長々語ってみようかと。
「誰がプレイしても同じになる選択肢は排除しましょう。」ってのは、要は「選択の余地がないのなら、選択肢でなく必然にしてあげた方が親切だ。」ってことだと思われる。片方が選択されないのであれば、「選択肢」である必然性が薄い。にもかかわらず、そこに選択の余地がある以上、ある程度は「この道を選ぶとどうなるのか」検討する必要がある。これは「結果としては無駄な思考」だ。こういうものは、可能な限り排除してあげた方がプレイヤーにとって親切である。特に初心者にとっては。
ただ…実際問題として考えてゆくと、「とにかく削り落としてしまえばいい」って話にはならないと思われる。理由その1は「結構プレイヤーの自由度を奪いかねないから」かな。一見冗長な選択肢に見えても、実は「それがあるからこそ、多彩な作戦を展開できる」ってモノは多いので。両立不能とは言わないけど、「やりすぎ」の可能性は(プレイヤーやデザイナー予備軍が思っているより)高いと思われるので。たとえとしては「日露戦争」(EP/CMJ)のセットアップ。作戦研究が進んだ今では、大半の人間が「全部1カ所にスタックさせて終わり」ってセットアップを選ぶと思うけど、「騎兵1部隊だけアサッテの方向に置いて、確実に逃がす」って手段を採用する人間もわずかながら残っている。改訂版を作る際にはこの点に注意が必要でしょ。もっとも、あのゲームを改訂しよう(ルール明確化は除く)なんて奴はいないと思うけどね。
もう1つの問題は、「儀式として意味がある場合」かな。たとえばだ。私が原稿書いた「ヒトラー電撃戦」のポーランド戦。ハッキリ言って、これ自体に選択の余地はあまりない。「誰がプレイしても同じになる選択肢」として削除してもいいくらいだ。ただ、流石にそれは寂しいと思われる。先の長いゲームのオープニングセレモニーとして考えるなら、こーゆーものがあっても「害は小さく、益は大きい」だろう。なお、「ヒト電」におけるこの戦いは、「選択肢」としての意味は限りなく薄いけど、逆にそれがゆえに「戦術会得のチュートリアル」として便利な存在であり、私が喜んで長々と記事にしたって話もある。
ついでに言うなら、第二次欧州大戦モノのポーランド戦は、「それ自体は選択肢とは言い難いけど、付随するモノに重要な選択肢が含まれている」戦いでもある。どーゆーことかって?確かにポーランド戦そのものは「独軍が速やかに勝つ」戦いであり、選択もへったくれもない。でも、「その裏で連合軍が何をするのか」とか、「ポーランド占領後の独軍の動き」ってな部分になると、選択の余地が出てくる。「ヒト電」の場合、第1ターンの連合軍が何をするのかは地味に重要であり、「ノルウェイに手を出す」「英の大陸派遣軍を増強する/引き抜く」「特別動かない」「独に逆侵攻する」などといった選択肢がある。これらはポーランド戦を省略しても選択させることが出来るけど、中途半端な形で盛り込むよりは「独に選択肢とは言い難いポーランド戦をやらせ、その裏で連合軍に選択肢を選ばせる」って形にした方が、かえってわかりやすいと思われる。
「失敗するとゲームが崩壊する選択肢は、排除しましょう。」ってのは、上記とほぼ同義語である。要は「失敗するとゲームが壊れるので、結果として誰がプレイしても同じ選択をする→だったら排除する」って方向に誘導することになるわけで。発見するための方向が違うだけで、排除する理由は同じと見なして良さそうだ。なお、たま~に「成功するとゲームが崩壊する選択肢」なるものがあったりするけど、コレも本来ならば排除すべきだろうね。
ただ…実はコチラの場合、より排除が難しいと思われる。理由は簡単。「ゲームを崩壊させる選択肢だけ」排除することが難しい場合があるからだ。たとえばだ。どこぞの包囲している要塞都市のことを考えてみる。ここにいきなり強襲をかけると、失敗したらゲームが終わっちゃうとする。ただ、だからって強襲を禁止して良いとはならないでしょ。ルールにもよるけど、「包囲継続していればそのうち弱る」コトもあり得るのだから、その時点で攻撃すれば、失敗してもゲームが壊れるほどではないかもしれない。この辺のバランス調整?は決して楽じゃない。実のところ、「どんな確率でどの程度の部隊が吹っ飛んだら、ゲームが壊れたと見なすのか」は、プレイヤーの個性によってかなり差があると思われるし。
この話を読んで真っ先に思い出したのは、昔読んだMacの記事。MacはUI(ユ-ザーインターフェイス。要は見た目や入力方法などの「使い方」)をデザインする際、意識的に「冗長な選択肢」を排除しているんだそうな。例としてあげられていたのが、「見ただけでは押せば開くのか、引けば開くのかわからないドア」だ。こーゆードアに「押す」「引く」という表示を付けるのが「親切設計」…ではない!押す側のドアには、引くことが出来ないよう取っ手を外してしまえばいい。そうすれば、パッと見ただけで、言葉がわからなくても「ドアを引く」馬鹿はいない。こういう思想が行き渡れば、引く側も「取っ手があるってコトは、引くんだな」とわかるようになる…ってものだ。Appleって会社の最も大きな企業価値が「洗練されたUI」にあるコトを考えれば、コレがどれだけ重要なのかわかると思う。
こうやって余計な選択肢を排除すれば、「選択肢がある=どちらを選ぶかはプレイヤーの決断次第」となる。これは大抵の場合、ゲームデザイナーが「プレイヤーはこういう部分で悩んで欲しい」ってポイントと一致するだろう。これぞ典型的な「省略と誇張」って手法だ。余計な選択肢をバッサリ省略することにより、重要な選択肢を際だたせることが可能になるのだ。ゲームデザインをする上で「省略と誇張」がすごく重要だってコトは、鈴木銀一郎大佐だけでなく、こかど殿と私のタッグ(これとかこれを参照)でも指摘できることだ。
かように、「余計な選択肢の排除」というのは大事である。様々な理由から「上手く取り除けない」場合が考えられるのだけど、だからってその価値は変わらない。後はこの原理原則と「取り除いてしまうとマズい理由」を天秤にかけ、どちらを重視すべきかデザイナーが決断してゆけばいい…というか、しなくちゃイケナイ。「アレもいらない、コレもいらない」といった感じで機械的に削り落とすのではなく、逆に「アレも必要、コレも必要」と盛り込むのでもなく、「何故そのような選択肢があるのか」をしっかり意識した上で、注意深く削ってゆく必要があるのだと思われる。私が冒頭で「取り扱い注意」だと言った理由がコレだ。原理原則をわきまえないで大ナタふるえばいいって話じゃないと思われる。
ついでに言うなら、「余計な選択肢の排除」それ自体は良いとしても、「具体的に排除する手法」も大切だ。特別ルールで「アレしなさい、コレするな」なんて縛るのは、どう考えても良くない。それぐらいだったら「多少余計な選択肢」が残る方がマシかもしれないぐらいだ。ただまあ、「じゃあどーしろと!」って部分は、ゲームデザイン&ゲームデヴェロップ経験がロクにない私が語るべき問題じゃないと思う。デザイナー各位で悩んで下さいませ。
まあ、実際ゲームをデザインした経験がある方なら、こういうコトは経験や勘によりわかっていることだと思う。ただ、このブログは「よろず評論ブログ」であり、言葉にしにくい「経験や勘」でどうこうってモノを、そーゆーモノを持たない人間に説明するため言葉に代えてゆくのが「存在価値の1つ」だからして、いちいち説明しているわけだ。「そんなことして、具体的に何の役に立つのか」なんて考えてはイケナイ。とりあえず、ある日いきなりこかど殿から「ゲームデザイン論についての原稿を添削して下さい」って趣旨のメールが送られてきても、対応しやすくなると思われる(苦笑)。そーゆー人間が増えれば、そんなメールが私に送られてくる確率は減るんじゃないかなあ…
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