6月27日2009/06/28 02:51

 本日の話題は、あえてロールプレイングゲームのシステム論を。最近プレイしてないのに、システム論もへったくれもないとは思うけど。一応コンシューマーのオフライン・オンラインにも関連する話題なので、基本この色で。
 
 RPGの基礎と言えばD&D。歴史的にそーなっているんだから仕方ない。現状のRPG(特にファンタジーもの)というのは、テーブルトーク・コンシューマーオフライン・オンラインを問わず、全て「D&Dのシステムを継承または発展させたもの」だと言っても過言じゃない。まあ、今現在だとほとんどが「間接的に」って話になるとは思うけど。
 
 そのD&Dは、「デスメイズ」っていうファンタジーボードゲームを「発展させる形で」出現したと言われている。「デスメイズ」はフツーのボードゲーム(当時のことなので、かなりシミョレーションゲームライク)なので、マップや敵味方はコンポーネントの制約があった。コレを取っ払って「迷宮管理側」が自由にダンジョンを作り、「攻略側」も1人1キャラクターを担当するってゲームにしたら…ってのが「D&D赤箱」である。ちなみに、赤箱しかない時代のダンジョンってのは、「諦めて途中で引き返す」「判断間違って全滅」なんてのがザラにあった。そーゆー時代だったのだ。
 
 これ以降のRPGの歴史は省略するけど、D&Dの「原型」は今なお色濃く残っている。キャラクターが種族だのクラス(職業)だのといった区分けをされ、それぞれ得意・不得意がある程度定められている…ってのは、要はこの頃からあった話だ。まあ、最近は職業固定とは限らないし、「上級職」なる概念が充実してきているようだけど。これとレベルアップシステムってのは、実のところ「ボードゲーム時代の産物」であり、ある意味では古臭い。だから駄目ってワケじゃないので、そこは誤解しないように。
 
 このD&Dが普及したことにより、PCやコンシューマーでもRPGをやってみようじゃないかって動きが出てきた。ウルティマとかウィザードリィだね。それが…って方向で話を進めるのがフツーだけど、ここで論じたい話はそうならない。あえて言おう。RPGの戦闘システムってのは、PCゲームになることにより「先祖返り」したのだと。
 
 これを一番実感できるのは、ウィザードリィだろうな。あのゲームを思い出してみてもらいたい。今で言うところの「シナリオ」は貧弱、プレイヤーが操るのは、単なる「戦闘マシーン」である。これを使って、迷宮の奥深くに潜む…ようにゲームデザイナーに配置された、ラスボスをブチ殺すのがゲームの目的。そのコンセプトは、ロールプレイングゲーム(今で言うテーブルトークRPG)より、「デスメイズ」のそれに近い。プレイヤーがパーティー全体を操る以上、そうなるのがむしろ当然なのだ。
 
 その後このジャンルは大発展を遂げて今に至っているんだけど、実は基本コンセプトにおいて「デスメイズの亜流」って部分は、オフラインのコンシューマーRPGに今も受け継がれている。そもそも変える必要がないし。将棋・囲碁が「古臭いけど面白い」のと同様の理屈により、この部分を変える必要性はあまりないと思われる。
 
 話がオフラインに留まっている限り、「コンシューマーRPGはD&Dの直径子孫か、デスメイズに先祖返りしたモノか」なんて話はどっちでもいい。ところがだ。オンラインゲームになると話は少し変わってくる。オフライン時代は「パーティー全体を管理する奴が1人」だったのに対し、オンラインは「1人1キャラクター」って時代になったからだ。つまり、オンライン化することにより、PC・コンシューマーゲームがやっと「D&Dに追いついた」わけだ。これは、「今までその必要性がなかったので追いついていなかったけど、システムの根幹部分が変化したので、追いつく必要性が出てきた」って話であり、別にドッチが善し悪しって話じゃない。
 
 ハッキリ言って、オンラインRPG黎明期に「PC・コンシューマーRPGのデスメイズ→D&D的変化」を気にした奴はあまりいないようだ。草分けの1つとされる「ウルティマオンライン」は戦闘中心のゲームじゃないからかもしれない。ただ、時が経ち色んなシステムが投入されてくるにつれ、段々と問題になっていったようだ。
 
 「デスメイズ」から「D&D」への変化って、何が問題になるのか?それはね、D&Dの抱えていた問題点を思い出すと、よくわかる。D&Dは「1人でパーティー全体を管理」から「1人1キャラを管理」という重要な進化を遂げていながら、「そこから生じる問題点」を解決してたとは言い難い(始祖とはそーゆーものだ)からね。
 
 昔のD&Dの魅力の1つに「キャラごとの役割分担」がある。キャラによりできること・できないことが異なり、できることは他人の分までやり、できないことは他人に頼るのが面白かったわけだ。しかし、これは問題もいくつか生み出した。「つまんない」役割の奴が出てくるのだ。そんでもって、D&D初版は最後までそれをうまく解決できなかったと思う。
 
 つまんない役割とは?たとえばだ。ほとんどの時間「何もしないか、ただ逃げ惑う」奴。初期のマジックユーザー(魔法使い)がこれに該当する。魔法は強いけど使用回数制限がキツいので、「肝心な時」以外は温存するしかない。魔法抜きではゴミのような戦闘能力しかないので、やれることがない。無理に参加しようものなら、「肝心の時」に魔法使えなくなる可能性が出るので、他の仲間から怒られる。
 
 マジックユーザーはまだいい。肝心の時には見せ場がもらえる。「回復役」であるクレリック(僧侶)は…魔法使いほど打たれ弱くないので、戦闘には普通に参加できる。でも打撃力は弱いので、さほど面白くない。仲間を回復させる時には感謝してもらえるけれど、正直地味である。
 
 じゃあ、ファイター(戦士)がいいのかと言うと…初期はともかく、後期になって皆のレベルが上がってくると、途端に「つまんない」存在に成り下がる。相手が強くなり、ついでに仲間の魔法も強くなるので、仕事が「生きた壁」になるから。
 
 私のように昔々テーブルトークRPGをやっていた人間は、これに対し「そんなものだ」と割り切っていた。それしか対処方がなかった時代の話なので。それに、テーブルトークRPGは「シナリオを進める」とか「怪しげな策を練る」といった、別方面の楽しみもあるので、割り切りやすかったからなあ。ただ、それでもこの「見せ場の不公平問題」ってのは、色々問題を引き起こしたモノよ。全部忘れたいけどな!
 
 もう1つの問題が、「パーティーバランス」だ。バランスの取れたパーティーのありがたさなんてのは、ウィザードリィでバランス悪い組み合わせでダンジョンに潜れば一発で悟る。「ドラクエ」でさえ、何の因果か特定の役割を担う奴が「全滅」した後のキツさって形で体験できる。けど、1人1キャラ制では、必ずしもバランスの取れた構成になるとは限らない。
 
 私の周囲の場合、D&Dでは「ファイターだらけ」だった。その理由は「パーティー人数が少なくても、何とか戦えるから」である。私個人の意見としては、1人だけで何とかしろと言われたら、やはり戦士が一番だ。2人でも戦士2人でいい。3人だと1人は他の職業を混ぜる余地が出てきて、4人以上だと「戦士ばかりじゃ弱い」となる。これは、相当レベルが上がって、マジックユーザーやクレリックが「バケモノじみた魔法を使える」ようになっても、ある程度言える話じゃないかな。
 
 テーブルトークRPGってのは「皆で一カ所に集まる」必要があったから、必ずしも「○○さんのキャラは必ずいる」とは言い難い。そういう「不完全なパーティー」が当たり前となると、自然と戦士が増える。しかも、出席率の良い奴が率先してそうする。出席率の良い奴だけで戦う日もあるんだから、そうなるのが自然でしょ。あげく、「そういや最近味方の僧侶って見ないなあ」って状態に陥った。これと「見せ場の不公平から来るキャラ選択の偏り」を組み合わせれば…
 
 総合的に見た場合、D&Dは名作だと思う。今の目から見てもそう思う。けど、弱点はあった。しかも、山ほど。テーブルトークRPGの世界では、そこを手直ししたシステムが色々生まれ、今に至っているんじゃないかな。そもそも、今のD&Dって「第二版以降」なので、かなり別物(共通部分は多いけど)だし。
 
 ところがだ。オフラインコンシューマーRPGでは、こういう問題を考えなくて良いまま今に至った。別の部分(演出面その他山ほど)は大発展を遂げた。それはいい。けど、それをそのままオンラインの世界に持ち込むのは、無茶がある。「役割分担の不公平とキャラの偏り」という、今まで考えなくて良かった部分を無視した発展をしてきたんだから、問題が起きる方が自然だ。
 
 私が仕入れた知識によると、どうやら初期の「FFXI」(オンラインのFF)はコレが問題になったらしい。そりゃまあ、基本コンセプトが「オンラインで遊べるFF」である以上、オフライン時代のシステムを引きずるのはむしろ当然だ。でないとプレイヤーが「別物じゃねえか!」と暴れかねない。でもその基本システムは「デスメイズのコンセプトを磨き上げたモノ」である以上、オフラインでは問題にならない(どころか、プラスだった)モノが脚を引っ張るコトになっても、文句は言えないわけで。ただ、そこを必死に手直しして今に至っているので、「今のFFオンラインが問題を抱えている」ワケではないらしい。いずれにせよ、詳しい話は知らないけど。ハマった時の被害が大きそうなので、この手のゲームには参加したくないのだ(苦笑)。
 
 FFは熱狂者が多いので、一応書いておこう。「初期に問題点を抱えていた」ことと、「今もって問題点を抱えている」は話が別だし、問題点がある=駄作、価値のないモノでもありません。問題点の性質によると「捨ててイチからやり直し」が早い場合もあるけれど、大抵の場合は地道な改善の方が勝ります。私は別にFFを「馬鹿にする」ようなことはしてません。この程度の指摘でそう感じるのは、「ゲームを改善・発展させる」上でかえってマイナスになる行為だと思います。そこはご了承の上お読みいただければと。
 
 私が言いたいのは、基本コンセプトに問題を抱えることと、FFXI及びFF全ての価値は別だってコト。基本コンセプトがデスメイズ互換の古いモノだとしても、FFとデスメイズは完全な別物です。ライトフライヤー1号(初の動力付き飛行機)と現在の飛行機が「基本コンセプトは同じだけど実際問題じゃ別物」なのと一緒ですがな。「どちらも宇宙は飛べない」けど、そう指摘されて「飛行機を馬鹿にするな!」とキレるのは間違いだ。FFXIは「飛行機の改良って形で宇宙に飛び出そうとして色々問題が見つかったので、改善して今に至りました」って話でしょ。
 
 閑話休題。私は総合的な「ゲームの進化」には興味があるので、あるゲームが抱えていた問題点と、その解決方法」なんて話は大いに興味がある。色々事情が違うので単純な当てはめはできないけど、「FFはD&Dと同じような問題を抱えた」って話は面白いと思うんだな。もちろん、解決方法は全く違うけど。
 
 そーゆーことを考えれば、実は「ボードゲーム」が抱えていた問題点とその解決方法ってなものは、案外「今のコンシューマーゲーム業界」の参考になるのかも。特に今は「オンラインゲーム」が流行りだし、「ソロプレイ」時代から「マルチプレイ」時代に移りつつあるわけで。マルチプレイ(広い意味では1:1の対戦型も含む)特有の問題点に関しては、ボードゲーマーは詳しいよ?昔も今もそーゆー問題点と付き合っているんだし。
 
 単にゲームをプレイして楽しんでいるだけなら、そんな話は関係ない。でも、世の中には開発者ってモノがいるわけで、こーゆー連中にとっては話が別でしょ。やはりゲーム開発者たるもの、ある程度は「ゲームの歴史」を、ボードゲームのことも含めて学ぶ価値がある(必ず学べ、って性質のモノではないと思うけど)のでは。ドコでそんなこと学ぶのかはともかくだ。
 
 ついでに言うなら、私に聞かないように。私は長いことボードウォーゲーマーやっているけど、この業界に詳しい人間じゃない。私より「この世界の歴史を語る」のに相応しい人間は山ほどいるはず。そんな話を振られても、対応不能だ。少なくとも、私本人はそう思っているんですけど、こかど殿(苦笑)。