7月31日2008/08/01 03:03

 本日は、休刊(廃刊)するヤングサンデー連載の「移籍先」について、思うところを語ってみようかと。いやまあ、なんかスゴいので。
 
 何がスゴいのか?最終号の目次に掲載された作品(数えたら25作品あった)のうち、連載終了がたったの2つ。残りは全部「移籍先アリ」ときたもんだ。なんだかなあ。だったら何で廃刊するの?って疑問が湧いてくるね。主要作品の移籍は予想していたけど、ここまで「残す」とは思っていなかった。
 
 「連載終了」した作品は、厳密には3つ。投稿コーナーにあったマンガ(しりあがり寿の作品?)も終了する。これはまあオマケみたいものだけど。残る2作品のうち、1つが4コマギャグ(「新青春くん」、とがしやすたか)で、もう1つがノンフィクション対談モノ(「絶望に効くクスリ」山田玲司)。ある意味「終わらせやすい」性質を持つモノだ。「続きはどうなる」ってな作品じゃないからね。逆に言えば、ストーリーマンガは全部「存続」させたのだ。
 
 移籍先についてだけど、ビッグコミックスピリッツ(以下スピリッツ)に9作品!が、ビッグコミックオリジナル(以下オリジナル)に1作品が移籍。あと月刊のIKKIに1つ、残りは1作品を除いてスピリッツ増刊の「YSスペシャル」(月刊の増刊になるようだ)に移籍。どの作品がドコに移籍したのか全部語るつもりはないので、必要ならば各自調べて下さい。なお、「残った」1作品(「まつろはぬもの~鬼の渡る古道~」木根ヲサム/恒川光太郎原作)は携帯サイト配信のみになる。
 
 やはり目を惹くのは、スピリッツへの9作品移籍。全部が全部週刊連載なのか、それとも隔週・月1連載を含むのかはわからないけど…こんなに受け入れて、スピリッツは大丈夫なのか?単純に分厚くなるとは考えにくいので、連載終了・休載・隔週連載への移行などをやって頁数を調整するつもりなのか?8~9月のスピリッツ連載作品の「動向」には注目が必要かもね。
 
 もう1つの注目は、「YSスペシャル」がどんな雑誌になるか。今のところ狙いが見えない。移籍作品のリストを眺めていると、いわゆる「ヤング誌らしい」作品がこちらに移されているように感じる。ということは、「月刊のヤング誌」を目指すのだろうか?移籍作品だけでは雑誌としてスカスカなので、「他にどういうモノを持ってくるのか」がポイントかな。
 
 単行本については、あまり心配する必要はないでしょう。雑誌廃刊に伴う「新雑誌への移行」なんて、今に始まった話じゃないからね。ちょっとばかり体裁を変えて「移籍先のコミックス」として続きが出るんでしょ。
 
 一応Webサイト情報も触れておくか。この雑誌の有料Webサイト(グラビアなどがあるらしい)は、タイトルだけ変えて完全存続する模様。まあ有料サイトだけに、閉鎖しにくかったのではないかと。それに、いちいち閉鎖する必要はなかったんでしょ。「どこで宣伝するのか」って問題は残る気がするけど、雑誌を山ほど抱える小学館なら、あまり気にはならないのでは。
 
 しかしねえ。普通雑誌の廃刊と言えば、巻き込まれて連載終了となる作品が大半となりそうなものだ。私の印象では、半分生き残ったら「立派なモノだ」となる。でも、ヤンサンは約9割が生存。これは正直、「何かあった」んじゃないかって気がするのは確か。「連載中止されてたまるか!」って運動があったんじゃないかねえ。いくつかの作品では「連載続くのに、一応のピリオドを打った」ものがあり、移籍失敗に備えたのでは…って邪推も可能になっている。まあ、一応は「雑誌の終了を記念して、作品にも1つの区切りを付けてみた」ってことなんだろうけど。
 
 作品の大半が生き延びた…ということは、会社の判断として「作品がツマラナイからヤンサンを潰したわけではない」ってことなのかねえ。だとすると、この雑誌が無くなった理由っていったい何?まあ、どう考えても「大人の事情」だな。特に臭うのが、広告関連。はっきり言って、雑誌は「つまらないから潰れる」のではなく、「広告取れないから潰れる」のだ。仮に面白くても、そこそこの売上があっても、広告が駄目なら雑誌は駄目になる。ま、雑誌がある程度の売上維持していれば、普通は広告が駄目ってコトはないはずだけど…私が広告で儲けるビジネスモデルをこよなく嫌う理由がここにある。雑誌が潰れるたびに、「雑誌は読者のモノじゃない、俺達広告主のモノだ」って言われている気がするんだよね。
 
 まあ、何にせよヤンサンという器はなくなった。作品は残ったけど。しかし、「ヤンサン廃刊に伴う動き」のウォッチングは終わったわけではない。大量移籍を引き受けるスピリッツはどうなるのか?事実上新創刊される「YSスペシャル」はどんな雑誌になるのか?この辺も追跡調査したいね。誰も読まなくても、こういうコトをしつこくやるのがココの持ち味だからして。

8月2日2008/08/03 04:12

 昨日はさしたる事情もナシに更新できなかった。いやまあ、ネタがなかったってことで許してちょ。
 
 日曜はおそらく更新不能なので、「私がゲーム雑誌に原稿を掲載するための道」を本日更新しておこうかなと。具体的には相変わらず「動きナシ」なんだけど、さすがにそろそろ方針を決めようって気にはなりました。来週中にはレジュメ書いて送付する予定です。
 
 とりあえずレジュメ送ってみるのは、「ヒトラー電撃戦」作戦研究。とりあえず、これなら「検討する必要すらない」って扱いにはならないはず。レジュメにまとめる前に、ここで長々と「何をどう書いてゆく予定なのか」を書いておこう。
 
 分量などは「4頁4号連続の集中連載」を希望してみる。実際これだけの頁を確保できるかはわからないけど、一応こう希望はしてみる。なお、これは私の考える「上限」でもある。これ以上書けと言われても、ちょっと対応不能かなあ。まあ、具体的には「レジュメ送ってからの交渉」次第になるのでは。
 
 内容の内訳だけど、まず第1回は紙面の約半分を「ゲームの解説とルールの整理」にあてる。ルール・マップにかなりの改訂が入ったゲームなので、紙面で整理しておく必要はあるはず。「初版との違い」などを説明するだけでこれぐらいの分量にはなりそうだ。
 
 残る半分は、ものすげー初歩的な戦場、すなわち「ポーランド戦」と「ソ・フィン戦争」に充てる。前者で「戦術の理解」、後者で「戦略の理解」を深めるのが目的。このゲームの「基本部分」を解説するのにうってつけではあるので、ある程度詳しく語る価値があると思う。
 
 第2回は、「バルバロッサへの道」として、対仏・ノルウェイ・バルカン半島を語る。本当は北アフリカもここで絡めたいんだけど、あえて軽く触れるだけに留める。これが1つのミソかな。何故そうするのか?は原稿本編の内容に密接な関係があるので、とりあえずはパスさせて下さい。
 
 第3回は「バルバロッサ・北アフリカ・そしてイタリア上陸とノルマンジー」を語る。この辺は私もまだ研究が進んでないけど、研究する時間はあるでしょ。1回あたりの頁数減らされた場合でも、この回は増やしてもらうか、あるいは分割して回数増やしてでも合計4頁は確保したい。むしろそれで足りるのか?って心配もあるけど、そこは「私の研究はまだ進んでない」って言葉で誤魔化すか(苦笑)。
 
 第4回は?「史実では行われなかった作戦」と題して、セーレーヴェや赤軍からの独本土侵攻などを語る。こうした作戦を実行しろと言うのではなく、むしろ「こうした作戦を見せることによって、相手に対応を強いる」って意味合いがあるからね。具体的な作戦の進め方より、むしろ「防ぐためには何が必要なのか」を語ることになる予定。
 
 「ヒト電」の魅力は、何と言っても自由度の高さ。どんな作戦であれ、「やりたきゃやれば?」って状態である。このため、「史実で行われた作戦」だけ注目するのは間違いだ。史実通りの展開にするためには、史実以外の作戦が行われる可能性を「消して」いく必要がある。安易な「対仏戦全力投球」「バルカン放置してバルバロッサ開始」といった作戦に対しては、相応の代償を支払ってもらう必要があるのだ。そのためにはどうすればいいのか?その辺を意識しつつ、各作戦の「進め方」を紹介してゆくのが「この短期集中連載の主目的」である。
 
 とまあ、内容面ではこの辺が「目安」となる。後はもう少し骨組みを細かく考え、もう少し細かい「頁割」を考える。図表類に関しても「この程度のモノを予定してます」って大まかな指定をした方がいいのかな?レジュメの分量は限られているので、余計な記述をそぎ落とすこともしないと。「清書」するまでには、まだ時間がかかるかな。でも、とりあえずは来週いっぱいで完成させ、盆休み(向こうにあるのか?)前に送付する。とりあえずはこういうスケジュールがいいのではないかなあ。
 
 正直言って、今回のこの「原稿」(まだ1行も完成してないけど)が採用されるかどうかはわからない。一応「採用される可能性が高い」ものをチョイスしたつもりではあるけれど、結果としてどうなるのかはさっぱりわからん。大切なのは「とりあえず挑戦してみること」である。こういうモノを送りつければ、たとえ不採用でも「不採用の理由」の一端は聞かせてもらえるはずだ。そうすれば、「右も左もわかりません」って状態から、「とりあえず右はわかるようになりました」ってな状態に進歩する。大事なのは、この地道な進歩だ。
 
 とりあえず「レジュメはこの方針で行く」と決まったので、しばらくこの連載はお休みとなる予定。流石にレジュメを公開するつもりはないので、来週は「送りました」以上のことは報告できないはず。「完成なかったんですけど…」となれば、言い訳をクドクド述べる必要が生じるけど(苦笑)。その後は送付先から返事が来るまで身動き取れない。原稿の基礎となる「ヒト電の作戦研究」を進める必要はあるけど、それとこれは話が別でしょ。それに、コミケも近い(再来週である)ことだし。
 
 もちろん、コマンド誌から採用の連絡が来れば(いくら何でも即答はないと思うけど…)、その時点で「具体的に原稿を書く」作業を報告することになる。不採用なら、「次の一手をどうするか」を考える。そしてまあ、それをココにネタとして書くわけだ。ま、この辺から「書けない」ことも増えてくるとは思うけど。
 
 思えば6月に「煽られて」開始したこの不定期連載、ここに至るまで長かった…これはひとえに私が「グチャグチャ言う割に、具体的作業が伴わない」からである。それじゃ駄目だって自覚はあるんだけど、直すのは大変でねえ。もうこの歳になると、こういう性格は治りませんよ。つーわけで、「ヘタレめ!」などと言わず、まだまだお付き合い願えればと。

8月4日2008/08/05 04:32

 本日は趣向を変えて、「小説っぽいリプレイ」をお届けしよう。昨日プレイした「Red Dragon Rising」(S&T誌付録)が「すげー」展開だったので。なお、真面目な小説風にすると長くなりそうなので、多少ギャグ調でお届けするつもり。フィクションのお約束として人名などは架空の存在ですから、誰かに似ててもそれは偶然ってコトで。
 
 20XX年、米国は突如台湾海峡に空母機動部隊を派遣した。これに過剰反応を示した中共政府は、密かに米国と一戦する決意を固めた…ことが、一応この事件の始まりとされている。(セットアップで米軍が空母を配置しただけ)
 
 しかし、目に見える「第一報」をもたらしたのは、実は中共でも米国でもない。シンガポールである。米中激突近しと見たこの政府は、これを「ドサクサ紛れに南沙諸島を占領するチャンス」とみなし、関連諸国、とりわけ中共に対し強硬な態度を表明した。これに対し中共は怒り狂い、他の全てを放置して最新鋭の原潜を差し向けたらしい。緊迫した情勢だというのに。ただ、これにビビったシンガポール政府が南沙諸島占領に軍を差し向けることを控えたため、真相は不明である。(この時派遣された潜水艦は、「南沙諸島防衛」のため最後まで何もせず。)
 
 シンガポールの強気は、米軍の動き以外にも根拠があった。英国軍である。宗主国気分が抜けきらぬこの国は、「米軍支援」と称して軽空母を含む有力な艦隊を太平洋に送り込んだ。シンガポールの行動を支援することによって、後の油田開発でオイシイ思いをするつもりだったらしい。フィリップス提督率いる東洋艦隊は、あえてパナマ経由で太平洋を進み、「米軍との連携」をアピールしつつ、フィリピン海にその姿を現した。
 「中国艦隊は出てくるかな?」フィリップス提督は、余裕を持った声でつぶやいた。衰えたりとはいえ大英帝国艦隊が、中国の、しかも最弱とされる南方艦隊ごときに遅れは取らない…その自信が言わせた台詞だろう。だがしかし。中国人だって歴史に学ぶ。彼らが東洋艦隊に差し向けたのは、九六陸攻と一式陸攻…ならぬ、爆撃機のバジャーとバックファイア、それに潜水艦隊であった。
 英国東洋艦隊がどうなったのか、説明は不要だろう。フィリップス提督最期の言葉は、「艦隊決戦してくれないなんて、これだから東洋の猿は…」だったとされる。
 
 英国艦隊壊滅とほぼ時を同じくして、中共は大規模な軍を北朝鮮に駐留させ始めた。これを「半島統一の好機」と見た北朝鮮は、当然の権利とばかりに南進を開始した。第二次朝鮮戦争の勃発である。しかし…
 「同志将軍、何故動かないニダ!」北朝鮮主席は声を荒げた。なにせ中共軍ときたら、平壌付近で塹壕を掘るばかりでちっとも前進しようとしないのだ。これで戦争に勝てるわけがない。
 「そうは言ってもですね、同志。これはうちの軍師…じゃなかった、総司令部から厳命されているんですよ。第一、突っ込んで勝てる保障はドコにもない。そうでしょう?」中共の張将軍はざっくばらんに応えた。台湾海峡とは別に黄海沖にも米空母機動部隊が派遣され韓国軍を支援している現状において、釜山最終防衛線に万歳突撃をかけても突破できるとは限らない。だったら上陸阻止部隊を並べて足止めすればいい…という作戦は、日本のウォーゲーム雑誌「日没計画」でも紹介されている。
 「大丈夫ですって同志主席。うちの軍師の話によると、東の風が2回吹けば勝てるんだそうな。1回目は東北の風。2回目の東南の風が吹く時に勝機が来るから、それまで塹壕掘って酒でも飲んでろ…ってことらしいですぜ。なあに、いざとなったら俺1人で米軍全てを足止めしてやりますよ」張将軍はそう言って豪快に笑った。
 後にわかったことだが、確かに張将軍にはこのような指令が出ていた。東の風が2回吹けば勝てるというものも含めて。ただ、より正確には、東南の風が吹いた時に「まだ進撃できるようなら、進撃しろ」という指示であって、釜山最終防衛線に突っ込めるとは一言も言っていない。この辺の区別が付きそうにない将軍の人選も軍師の策であったかどうかは、誰も知らない…
 
 フィリップス提督があれほど決戦を望んだ中国南方艦隊の水上艦艇は、米軍の攻撃によりあっさり壊滅した。南シナ海の制海権を握るべく出撃したところを台湾海峡から分派されてきた米軍艦隊に襲われ、あっさり壊滅したのだ。それが実力とはいえ、これにより中共は苦境に陥った。南方経由で台湾に上陸するにせよ、南沙諸島を目指すにせよ、輸送船団を護衛する戦力を失ったのだ。未だ台湾海峡をにらむ東方艦隊が健在とはいえ、米空母機動部隊に勝負を挑むには心許ない。それでも、米軍の戦力が分散したこのタイミングで動くのでは…そう予想した専門家は少なくない。
 
 動いたのは、中共ではなかった。チベット・イラン・果てはキューバといった連中が米中対決のドサクサに紛れて怪しげな動きを見せる中、ついにロシアまでが極東艦隊を動かしたのだ。狙いは黄海沖の米機動部隊。衰えたりとはいえ冷戦時代の遺産を数多く抱えるロシア海軍は、黄海沖の米軍機動部隊を壊滅に追い込む。ただ、その勝利も空しかった。勝ち誇るロシア海軍がウラジオストックへ帰還すべく対馬海峡にさしかかった時、これを待ち受けていたのが海上自衛隊の護衛艦隊であった。米機動部隊相手の戦闘で傷ついていたロシア艦隊には、もはや力は残されていなかった。ロシア艦隊、壊滅。対馬海峡は、やはり「天気晴朗ナレド波高シ」だったとか。なお、ロシアが極東においてこのような無謀な行動を採るに至った理由として、中国の諜報員、コードネーム「明石(ミンセキ)大佐」なる人物が密接に関わっていたという証拠がある。(ロシアは貴重な中共の戦力だけど、あまり使うと「核戦争が起きたので、発生させた中共側の負け」となる。よってあえて強大な米軍にぶつけて相打ちを狙った。)
 
 「何故動かないニダ!」これを発したのは、北朝鮮主席ではない。韓国大統領である。B2爆撃機の空爆により北朝鮮軍と中共の派遣軍が大打撃を受けているというのに、米軍は前進しようともしない。このままダラダラと戦争を続けられたら、韓国軍の損害は増えるばかりである。
 「マッカーサー提督みたいな戦争のやり方は、もう流行らないんですよ。」米軍の指揮官は、冷静に言い放った。確かに、北朝鮮にいる敵軍は大打撃を受けている。ここでひと押しすれば、この戦争に勝てるかもしれない。しかし、確実ではない。
 「21世紀の我が軍は、確実に勝てる戦しかやらないんですよ。第一、このまま空爆を続けていれば、いずれ勝つのは我々だ。そうでしょう?こうすれば我が軍の損害は最小限で済むじゃないですか。ここで損害を増やしたりしたら、ウチの大統領が次の選挙で勝てなくなっちゃうじゃないですか。」 
 韓国大統領は黙り込んだ。なにせ野党に勝たれたら逮捕されかねない国の大統領、選挙のことを言われたら、そうするしかなかった。(両軍とも結局「朝鮮戦争の解決」チェックを1度も振らず。)
 
 中共には打つ手が無くなったように思われた。艦艇の損害こそ少ないが、打てる手も少ない。黄海は米軍に代わって海自が居座り、台湾海峡には相変わらず機動部隊が居座っている。北朝鮮に派遣した軍は空爆で痛めつけられ、瀕死の状態。後は座して死すか、華々しく討ち死にするか選ぶだけ…世界中の専門家がそう考えた瞬間だった。
 
 風は東から吹いた。ロシア極東艦隊を壊滅させた日本は、北方領土の完全返還と中露の竹島領有承認をエサに、なんと日米安保条約を破棄、専守防衛と称してこの戦いから離脱したのだ…何故日本がこのような決断をしたのかは謎に包まれている。強いてヒントを挙げるなら、経団連会長の「サブプライム問題がまだ続いてる米国より、賃金の安い中国の方が大事だよね。」という言葉がある…(イベント発生でこうなった。)
 
 これと時を同じくして、台湾海峡にいた米空母の1隻が謎の大爆沈。数少ない生存者からは、「ショーリンジとニンジャが襲ってきた」という意味不明な証言が残るのみである。一部の「専門家と自称する連中」は、この事件の前後に某香港アクションスターの動向が不明だったこととこの証言に関連性を見出しているようだが、真相はおそらく原子炉の事故であろう。(イベント「中国特殊工作員の活躍」の結果。)
 
 この事故により、台湾海峡に浮いている米空母は1隻。中共軍は全軍を挙げてこの空母に襲いかかった。不沈を謳われた米空母だが、先に受けたロシア海軍所属のバックファイアによる体当たり攻撃の傷が癒えない中、中共海軍の総力攻撃を喰らってはどうしようもなかった。米機動部隊、ツイニ帰還セズ…これにより、台湾海峡は中共海軍のものとなった。
 
 「米空母、壊滅か。何でこうなるかなあ…」中華民国、つまり台湾総統はつぶやいた。そもそも、この戦いに台湾はあまり関与していなかった。米空母が台湾海峡に派遣されたのは、台湾からの要請ではない。米国の国内事情とやらで反中共の機運が盛り上がり、いわば勝手に派遣してきたのだ。そのあげく全滅ときては…だが、文句ばかりも言っていられない。こうなっては、中共が軍を台湾に上陸させてくることが確実。この戦いは、勝っても負けても被害は甚大だろう。おまけに最近の米軍は、「損害出したくないから」と空爆に頼ってばかり。そんな戦いをここ台湾でやられたらどうなるのかは、ダラダラと戦争を続けた…というより続けさせられた半島の連中を見ていれば察しが付く。
 
 米空母壊滅から数日後、台湾政府は「香港・マカオ同様の一国二制度」を条件に、中華人民共和国への帰属を認めたいとの意志を発表した。中共内部では「あくまでも完全併合」を主張する意見もあったものの、結果的にこれを受け入れた。台湾側としては「名より実を」、中共としては「実より名を」とった形となる。空母壊滅という大恥をかいた米国は、これを渋々認めざるを得なかった。(米空母壊滅により中共サドンデス勝利。)
 
 なお、第二次朝鮮戦争はまだ続いていた…米中が「勝手にやってろ」と見放したこの戦いが最後どうなったのか、北方領土と引き替えに日米安保条約を破棄してしまった日本がどうなったのか、南沙諸島は結局どうなったのか…それらを記すのは本書の役割ではない。
 
 ちなみにこのゲーム、ルールは簡単で「手軽にプレイできる」ものです。サイの目次第でキョーレツなイベントが発生するので、勝ち負けがどうだの作戦研究がこうだの…ってタイプのゲームじゃないけど、雰囲気は楽しめます。今回勝ったから言うワケじゃないけどさ。ウヒヒ…って、世界をグチャグチャにしたのはオレのせいかい!

8月5日2008/08/05 23:35

 本日の話題は、東京ビッグサイトのエスカレーター事故について。事故そのものについては詳しく語れないけど、とりあえず文句は言っておきたいかなと。色んな意味で。
 
 ちなみに、私はこの日ビッグサイトにはいなかった。いわゆる「事故を起こしたイベント」であるワンダーフェスティバル(以下ワンフェス)に私がいても何の不思議もない(「燃え」目的か「萌え」目的かはともかく)んだけど、この日はゲームやってたので。ごく一部の方々にはミョーな心配をおかけしたかもしれない。なお、秋葉原通り魔事件の時には「安田記念だから、間違いなく競馬場にいる」という的確な理由から、全く心配されなかったようだけど。
 
 事故に遭遇したワケでもないのに、何故文句を言うのか?そりゃもう、コミケ直前だからだよ。エスカレーターの使用方法にワケわからん規制かけられたら、たまったものじゃない。多分大丈夫だと思うけれど、油断は禁物だね。
 
 まあ、本来ならこんなことはコミケのスタッフが心配することではある。連中は私以上に青ざめたのでは。ワンフェスとコミケはそれなりに客層が被る(私のようにコミケだけ行く奴の方が圧倒的に多いはずだけど)ので、ワンフェスで発生した事故はコミケでも発生する可能性がある。いつも以上にピリピリしてるんじゃなかろーか。
 
 ただ、実を言えばコミケの方が「この手の事故が起きる可能性は低い」と推定される。何故かって?これはコミケを「知っている」人間なら一発でわかるけど、知らない人間には説明が必要でしょ。よって少し解説しようかと。
 
 一般の人は知らないと思うけど、コミケってのは基本的にはボランティアスタッフで運営されている。ボランティアなので無給。まあ、色んな事情から「それでもやる価値はある」って判断をしてる奴が山ほどいるので、あのイベントは成り立っているのだ。
 
 ボランティアスタッフなんて信用できるのか?正直に言いましょう。まるで信用できません。何かあった時、連中に頼ろうなんて考えちゃ駄目です。こんなことは「古くからコミケに出入りしている人間」にとっては常識だけど、最近はフツーの店と同じ感覚でコミケに来て、痛い目に遭っている連中が多いんだそうな。
 
 ただまあ、連中にもいいところはある。数は多い。そんでもって、ヒマさえあれば「走らないで下さい、エスカレーターで歩かないで下さい」といった注意事項をがなり立てている。1日10~15万人という「気が遠くなるような人数」の移動をさばこうと思ったら、スタッフの能力よりコレが一番効くんじゃないかなあ。
 
 わかる奴にはわかるんだけど、実はこの手のイベントは「一般人の度合いが高い」「キチンとした組織が運用している」ものほど混乱が生じやすい。ゲームショーなんかでは「なってない」対応の結果大混乱が生じていることも多いって聞くし。コミケが「キチンと運営されてる」とはカケラも思わないけど、「せめてコミケレベルの対応をして欲しい…」と感じることは結構あったりする。
 
 何でそうなるのか?この手のイベントの客なんて、「放置してれば暴走する」んだよ。一般人だろうがヲタクだろうが。にもかかわらず、一般人は「私は暴走しない」と思っているし、キチンとした組織は「まさか客が暴走したりはしない」って前提でいるんだよ。一般社会ならともかく、こういうイベント会場でそれは間違いだね。
 
 それに対し、コミケにいるヲタクは…いや、連中もまた「オレは暴走しない」と無根拠に思ってる馬鹿だらけだ。けど、「隣にいる奴は暴走するかも」って意識はある。スタッフもまた「客はいつ暴走するかわからない」って意識は強い。「同じ穴の狢」だからねえ。比べればヲタクの方が暴走しやすいとは思うけど、それでも「暴走の危険性」に対する意識はヲタクの方が高いでしょ。
 
 コミケにおいても、「一般度の高い企業」の方が対応が悪い。特に私は「カレンダーかい漁り」なる意味不明な行動を採るので、それはよーくわかる。エロゲーメーカーはエロパワーでものすげー長い列を作っていることがあるけど、消化は早い。これが普通のアニメ制作会社だの雑誌社だのになると、「列は短いのにちっとも動かない」ってな危険性がある。これははっきり言って「セット販売」してるかしてないかの差だ。
 
 そりゃあね、私も基本ビンボー人だ。カレンダー「だけ」欲しいのに、いらんオマケを山ほどつけられるのは迷惑って言えば迷惑だ。けど、コミケ会場でいちいち注文聞いてたら、列が消化できるわけがない。その方がよっぽどイヤなんだよ。いちいちレジ打ちしてるトコロに至っては、「ここがドコだかわかってんのか!」って吼えたくなるね。
 
 コミケに代表されるこの手のイベントは、立派な「非日常」だ。しかも、悪い意味でも。客は放置しとくと暴走する、細かい注文に応えてくれるぐらいなら抱き合わせで売ってくれ、レジ打ちなんて論外だ…ってな、「一般常識とは隔絶した法則」が正しい世界なんだよ。そして、一般性の高い客・企業ほどこの事実を認識できてない。「非日常」の中に「日常の常識」を持ち込もうとして、色んな意味で自滅しているわけだ。
 
 今回の事件を引き起こしたワンフェスは比較的歴史が古いイベントで、ある程度は「わかっている」ハズだったんだけど…正直言おう、以前行った時に多少不安を覚えたのは事実だね。客の捌き方なんかが「常識の範囲」だったので。新聞報道などによると「1段につき3人以上人が乗ったのが事故原因では」って話なので、コミケじゃ常識とされてる「エスカレーターで歩くな」って約束事を適用しなかったんじゃないかなあ。
 
 ああいう事故が起きた直後だけに油断は出来ないけど、コミケの方が「その辺はわかっている」対応をしているはずなので、「事故が起きて私が巻き込まれた」なんてコトは起こらないんじゃないかと。つーか、もしこれを読んでるコミケスタッフ(いるのか?)がいたら、行政当局や会場側が何をぬかそうと、「いつもの対応」をして欲しいかな。それで充分だと思うぞ。だいたいだなあ、あのコミケで「エスカレーター乗り入れ制限」なんてやられたら、たまらん…

8月6日2008/08/07 03:10

 旧聞に属するけど、赤塚不二夫先生、死去。いわゆる「トキワ荘世代」がまた…元気に連載を続けている藤子不二夫A先生には、この哀しみを乗り越えてまだまだ連載を続けて欲しいですね。
 
 本日のネタは、多少はこのニュースと関連を持たせて、「『アオイホノオ』をどう受け取るか悩んでいるF男」を語ろうかと。どこに関連性があるのかは、読んでいればわかります。
 
 「アオイホノオ」とは?先日廃刊した「ヤングサンデー」に不定期連載していた、島本和彦のマンガである。ちなみにこの作品、スピリッツ増刊「YSスペシャル」に移行するらしい。ただし創刊号からではなく、2号以降となっていた。
 
 内容は、フィクション・ノンフィクション取り混ぜて「作者の若い頃」を語るもの。ただ漫画家になるまでを語るのではなく、当時話題になっていたマンガ・アニメが山ほど登場していて、作者の分身(つまりこのマンガの主人公)が影響受けたり、批評を述べたりしているのがミソ。
 
 私は島本和彦のファンであり、とりあえず「定期連載を発見したら、その雑誌を読み始める」ことにしている。当然、この「アオイホノオ」も読んではいたし、読み続けると思う。ただ…「うーん、何だかなあ」って感じてしまうモノがあるのも事実なんだな。
 
 そう感じる理由は、「島本和彦が過去を語るのは10年早い」である。これは批判ではない。過去を語るのは、もう少し年配になって「第一線でバリバリ仕事するのは多少辛くなってから」でいいじゃん!ということである。さすがに週刊連載は辛いかもしれないけど、まだまだ「普通の漫画」でやっていけるのに、いつでもできる「過去を語る」って手法を使うのは…正直、「面白いけど、こんなものを認めて良いのか?」って感じちゃうんだな。
 
 私の考える「過去を語っていい漫画家」というのは、トキワ荘世代までである。あの世代は流石に「バリバリ仕事して下さい」ってワケにはいかないでしょ。まあ、もう少し下に広げてもいいとは思うけど、それでも島本和彦まで一気に若返るってことはない。80年代デビューの作家が老け込んでどーすんの。まだ早い…ってことにしておきたいんだな。
 
 ある意味シャレになってないのは、この作品に出てくるほとんどの作品を、私がリアルタイムに楽しんでいたという事実である。70年代末から80年代初期の作品ばかり出てくるから、ある意味不思議でも何でもないんだけど…幸いなことに?当時の私が「単純に楽しんでいた」のに対し、この漫画では「お手本かさもなくば具体的目標」として登場していて、明らかに楽しみ方が異なるんだけどね。世代を考えれば、それが当然でしょ。
 
 余談だけど、私の「ヲタク分類論」によると、島本和彦は「第一世代」に属する…はずである。「第0世代」が「団塊の世代、もしくはその上を中心とする層」で、今の漫画界の基礎を作った方々。「第一世代」ってのはコミケを創設した世代及び、「初期のコミケでネタになる作品を創ってきた層」である。島本和彦は年代的にこの辺に属するハズなんだけど…なお、「第二世代」ってのは私が属している層で、「コミケが開催不能に陥っても別に不思議と感じない」世代。初期のコミケがどんなもので、どういう経緯で幕張メッセを追い出されたのかよく知っている連中だね。コミケ=東京ビッグサイト時代しか知らない、ある意味「コミケが無くなるとはあまり思ってない」層が第三世代。ちなみに「年齢はともかく意識としては第三世代」って奴は少なくない。なお、「ヲタクなのに、コミケとアキバの区別がよくわかってない連中」(私みたいな人間には信じ難いけど、どうも実在するらしい)を「第四世代」と分類した方がいいのかなと考察中である。
 
 そりゃあ米沢コミケ代表もお亡くなりになり、いわゆる「第一世代」の方々も元気が薄れる年齢になってきたのは事実。とはいえ、「第0世代」の方々も「元気な方はまだまだ元気」なんだから、色んな意味で老け込まないで欲しい気がするんだな。「アオイホノオ」は、これ自体は「老け込んだ証」ではない…と思いたい気もするんだけど、私の心のどこかでそう扱っているんだろうなあ…
 
 もっと正直に言ってしまうと、すぐ上の世代に老け込まれると、「永遠の青二才」である私としては色んな意味で困るんだな。ちょっと前までこの称号は「現実を直視した結果」だったのに、今はもう「現実逃避した称号」ってことなのかねえ。ああいやだ。歳なんてとるもんじゃないですよ。トホホ…

8月7日2008/08/08 03:08

 本日は何となく「固い」話題を。「ルール違反」なるものについて語ってみたい。とっかかりはこの色なんだけど、むしろ別方面の話題が中心になりそうなのでこの色で。
 
 ルール違反とはどんなものなのか、イチイチ説明する必要はないでしょ。みんな直感的にわかっていることだと思う。それで片付けてしまっては話が面白くないので、あえて逆説的な意見を述べてみたい。「人々がルール違反だと言っている者の大半は、実はルールに従った行動である」と。
 
 何を馬鹿な…で片付けるのは簡単だ。でも、立場によってはこういう考え方も必要じゃないかなあ。よって、何でこんなコトが言えるのか、どんな立場の場合はこういう考え方が必要になるのかを解説したい。
 
 こういう場合、わかりやすいのはスポーツのルールだろう。大雑把なモノは誰でも知ってるから。野球は案外ルールが複雑なので、サッカーを例に出そう。ハンド。サッカーにおける有名な「反則」ですね。ハンドってのは「手(腕)でボールに触れること」であり、これをやっちゃったら、「相手に直接フリーキックを与える」ものだ。だって、ルールにそう書いてある…ってことは、ハンドは「ハンドとはどういう状態で、それが起きた時にはどう処理するのか」ルールに書いてあり、それに従った処理が行われているわけだ。あのー、これのドコがルール違反だって?ルールに従っているじゃん。
 
 いやまあそれは…と言いたい気持ちはわかるけど、しばらくその気持ちを堪えてもらいたい。スポーツにおいて我々が「反則」「ルール違反」だと思っているモノは、いわゆる「罰則規定」というルールに従った行動である。該当する状況になった(引き起こした)時に「罰」が与えられるので「反則」と呼ばれているけど、これもれっきとしたルールの一環であり、これに従った処理が行われるだけの話だ。この見解に従った「真の意味でのルール違反」は、たとえば罰則規定が適用される局面なのに、それを無視してプレイが継続するような場合を指す。これは「反則」と言うよりは「インチキ」扱いされるものだね。
 
 そう言われればそうかもしれないけどさあ…と反論したい?そりゃそーだ。私もまさか「こういうものをルール違反と呼ぶのは止めよう」なんて主張はしない。ただ、何で我々はそう呼ぶのか?これは、我々が「ルールを守る側」であって、「ルールを破りたい側」「ルールを作る側」「ルールを裁く側」でないから、そう感じるのだ。
 
 ルールを守る側にしてみれば、罰を受けるのは避けたい。当たり前の話だ。よって、罰則規定に触れる行動はなるべくやらない方がいい。こういう「ごく当たり前のこと」があるので、罰則規定に従ってしまうものは「ルール違反」と呼び、「やっちゃいけないもの」とされる。普通に考えるのなら、これでいい。
 
 ただし、「普通じゃない」場合は簡単に想定できる。まずは「ルールを破った方がマシな場合」。サッカーの例を続けよう。キーパーが飛び出した結果、躱されてしまいました。DFの1人が必死に走ってゴールマウスで1対1って状況に持ち込んだけど、シュート打たれました。このシュート、手を出せば止められそうです。この時、DFは「手を出して止める」べきか?
 
 実際のサッカーのことはとりあえず忘れ、ハンドのルール定義だけを考えよう。ここで手を出せばPKを与える。こうなったら1点は確実。けど、ここで手を出さなければ確実に1点だけど、PKは失敗する可能性が(多少は)ある。よって、「手を出すのが正しい行動」でしょ。例にあるような「1点確実」ってプレイの前には、PKすら「与えて大正解」となるのだ。なお、実際こんなコトした場合、PKより更に重い罰則を与えられる可能性がある(レッドカードで1発退場とか)ので、得失は相当ビミョーになってくる気がするんだけど。フツーはココまで追い込まれることは珍しいけど、あり得る話として想定することは可能だね。実際、サッカーはどちらかと言えば「反則も技術のうち」とされる。
 
 「ルールを作る側」なんてもっと希…と言いたいけれど、この色の話題について行ける人間はそうも言ってられない。「ゲームをデザインする」「テストプレイに付き合って、修正した方が良い点を見つける」「ルールブックを書く」といった作業を行う場合だけでなく、「このゲームはオカシイ点があるので、ルールの改定を提唱してみる」ってだけで「ルールを作る側」になっちゃうからねえ。
 
 ルールを作る側の場合、「罰則規定は、ルールに従った状態である」って意識は必要である。何故か?「罰則規定=やっちゃイケナイこと、誰もやらないこと」なんて意識でいると、「故意に罰則規定を適用することによって、状況を有利にするワザ」の存在に気がつきにくいので。これは、罰が重ければ回避できるとは限らない。下手をすると「罰が重いのでウラワザとして強力であり、対抗手段が存在しない」なんてコトになりかねないのだ。ゲームの場合、究極の罰である「違反したら反則負け扱い」とし、うっかりミスは状況が許す限りやり直しを認めてもいい…とした方がいいのかもね。
 
 ゲームの話をちょっと続けよう。この世界、「よ-く考えると奇妙な伝統」がある。スタック違反だ。スタックのルールに限って、「違反が見つかった場合、このように処理しなさい」って規定(大抵はユニット除去してスタック制限を守るようにしろってモノ)があるコトが多い。これは、よく考えてみるとヘンな話だ。たとえば「間違って移動力以上に移動した」とか、「戦闘比を勘違いした」場合どーしろこーしろって指示はないのが普通(暗黙のうちに反則負けかやり直しを求めていると考えられる)なのに、このルールだけ「違反時の規定」が設けられているものが多い。
 
 まあ、歴史的な理由はわかる気がする。チェス・将棋といったゲームにスタックって概念はないので、「うっかりミス」しやすかった(少なくとも、「する可能性が高い」って判断があった)こと、また「スタック違反をずっと続けてしまった結果、やり直しが利かない」って場合が結構多かったから、いちいち設けられたのではないかと。更に言うなら、このルールは「うっかりでも故意でもないけど、違反に追い込まれる」ことがあるし。
 
 ただ、今のゲーム界においてこのような規定が必要かどうかは、考察する余地がある。ある程度この趣味に慣れた人間なら、スタックを扱うことはさほど苦痛を感じない。「うっかりミス」の可能性はゼロではないけれど、このルールだけ特別扱いする意義は薄れているのでは。その結果、このルールは「故意のスタックオーバーを行って良いという許可」だと思っている人間も少なくない。罰則は決して軽くないけど、それでも「実行した方が利益が大きい」って局面は多いのだ。
 
 このルールを改善しろとまでは言わないけれど、「故意のスタックオーバー」と「うっかり・あるいは追い込まれてのスタックオーバー」の区別については意識した方がいいのかもしれない。「ルールはしつこいぐらいで丁度良い」って思想の私としてみれば、常に「このゲームは故意のスタックオーバーが許可されている/許可されてない」のどちらかを表記しろ!となるけど、そこまでしなくても記述方法次第で解決可能ではないかな。なお、スタックオーバーについて規定がある場合、故意のスタックオーバーが許されてると考えるべきか否かは…とりあえず私は「許されている」と思っている。
 
 追い込まれるコトなんて希、ゲームは趣味じゃないからルールを作るなんてあり得ない…って人間でも、「ルールに従って裁く側」になるコトはあり得る。まあ、草野球・草サッカーレベルの審判を務めるぐらいなら、こんな意識を持たなくても何とかなるだろう。プロの審判ともなると…って話は、さすがに無視して良いのでは。ただ、裁判員になった場合には話が別じゃないかな。
 
 実を言えば、刑法を理解する場合に、「我々が法律違反だと思っているモノは、実は法律に従った行動」って意識は役に立つ。たとえば殺人って行為は、刑事裁判では「ある人間がやったことが、殺人罪の規定(刑法199条)に当てはまる」場合にのみ適用される。また実際の裁判では、「訴求側(捜査・逮捕した警察や起訴した検察)が刑事訴訟法に従った手続きを遵守している」かどうかもポイントだ。
 
 このことと、意識の違いはどんな関係があるのかわからないって?簡単に言えばこうなる。チェック項目が10個あり、全部クリアすればOKとしよう。ここから1個でも「間違っています」ってものを含んでいれば、それは「エラー」であり、言ってみれば「規則に従ってない」状態になる。全てがクリアとなって初めてOK、つまり「規則に従っている」状態だ。刑事裁判の基本的な考えというのは、刑法・刑事訴訟法の「全てのチェック項目がオールクリアとなった場合に限り」罪を適用する、となる。1つでもエラーが発見されたなら、どんなに怪しくても…どころか、実際「人を殺していても」それは殺人罪に問われない。ま、あくまで原理原則論の話だけどね。実際の話となると、判例の紹介と解釈を山ほど行う必要がある(完璧に出来るなら、司法試験に合格できる)のでパス。
 
 殺人ってのは「法律に従った状態」のことを指す?これは、一般常識とは隔絶した概念だろう。けど、裁判員に選ばれたら、この概念に従って結論を出す必要が生じる。刑法・刑事訴訟法が要求しているのは、そういうものだから。裁判員に選ばれたことのない一般人やマスコミなんかはこういう概念を持ってない(持つ必要がない)ので、下手すると「世間の論調」と「裁判の結果」に大きな差が生じることになる。
 
 まあ、裁判員制度について突っ込んだ話をするのは今回の趣旨ではない。私が言いたかったのは、普通なら「ルール違反」だけで片付けるようなモノでも、ちょっと立場が変われば異なった受け取り方をする必要があるってことだ。特に裁判員制度は「極端な例であるにもかかわらず、選ばれちゃう可能性が否定できない」からね。大変だと思うよ、裁判員は。ま、私は「裁判員制度には反対であり、何とかして回避できないか全力で抵抗してみる」つもりなので、関係ないと思うけど(苦笑)。

8月9日2008/08/10 02:44

 あっちゃ~、やりやがったか!どーしてくれるんだ。大迷惑である。感情的になっても仕方ないので、ある程度冷静に語るけどさあ。
 
 コミックマーケット準備会(以下「準備会」)から緊急のお知らせ(一応リンク貼っておきました)によると、コミケに参加者手荷物検査だってさ。どーするおい。起きる時間をかなり前倒ししないと、タイヘンなことになりそうだ。ああ、頭痛い。
 
 もう1つのお知らせである、一部エレベーターの使用禁止はまだわかる。これも迷惑だけど、事故が起きた後だけに仕方ないと言えば仕方ない。混乱するほどの迷惑ではないだろうし、こちらが被る損失もさほどではないでしょ。しかし、手荷物検査とはねえ…成田の検査でさえ「うぜえ」のに、よりによってコミケかよ。はあ…
 
 ただまあ、どうも「シャレじゃ済まない」脅迫行為があったようなので、それも仕方ないのかなと。安田記念の日に何があったのかを考えればね。手荷物検査は大迷惑だけど、それでも中止になるよりはマシ。1つ間違えたら、コミケが消え去りかねないからなあ…
 
 先日ちょろっと書いたけど、私は「コミケなんて、いつ無くなるかわかったもんじゃない」って考えが抜けない世代に属している。過去に色々あったイベントだからねえ。ある程度は「協力」してやらないと、中止に追い込まれかねない…って意識はあるんだな。ただ、どちらかと言えば「お上」の意向により取り潰されるのでは…って恐怖が中心だけど。
 
 もっとも、コミケは過去にも何度か脅迫されてきた。そのあげく放火された(ボヤで済んだけど)からなあ。にもかかわらず、手荷物検査やるのは今回が初めて。それだけ「お上」が五月蠅く言ってきたってことなのかなあ。秋葉原の件の記憶が色濃く残る今、模倣犯の可能性はまだ高いだろうから、さすがに理不尽な言いがかりだとは思わないけどね。
 
 しかし…何故コミケを脅迫?これに関する理屈は色々考えられるんだけど、単なる当て推量を「公表」しちゃうと害も大きいと思うので、ここでは避けよう。ただまあ、「テロ行為の対象」として考えた場合、確かに効果的な目標だよな。それこそオリンピック並みに。正直不本意ではあるけれど、この点については認めざるを得ないかなあ。
 
 果たして、この脅迫が実行されちゃう可能性は?うーん…とりあえず、「みんなを信用してるから他はお任せするけど、未使用の同人便せんだけは必ず私と一緒に全部燃やせ」と書き残しておこう。念のためにね。実際にはたとえ脅迫が実行に移されても私が犠牲者になる確率は低い(分母がデカイからである)し、実行しても「不発に終わる」可能性が高いし、そもそも「単に言葉だけ」って可能性は相当高い。賭けろと言われたら、今年の冬コミ前にまたぞろ「コミケに対する文句」をブツクサと述べてる方に賭ける。なにせ冬はカレンダー買う必要があるし、どーせ東京大賞典との掛け持ちもあるし…けど、絶対大丈夫とは言えないなあ。
 
 それでもコミケに行くのは、止めた方がいいのでは?まあ、言いたいことはわかる。でも、そこはF男のことですから。私は「危険に気がつかない」ってタイプの馬鹿ではなく、「それでも行っちゃう」ってタイプの馬鹿なんですよ。つーわけで、終戦記念日に「東京ビッグサイトで…」って事件が起きたら、私のことは少し心配して下さい。まず間違いなくビッグサイトにいますから。
 
 ただまあ、むしろ心配すべきは「手荷物検査の手際の悪さに苛立った馬鹿が暴動起こした」ってことじゃないかと。なにせ10万以上の人間が「早く同人誌買わせろ!」と殺気立っているからねえ。規模の大小はともかく、何かしら騒動が起きる可能性は極めて高いはず。準備会スタッフの苦悩が忍ばれる。私だって他人事じゃありませんよ。一応暴動起こす側にならないよう努力はしますけど、場所が場所だけにどこまで理性を保っていられるやら…

8月10日2008/08/11 00:04

 おっ、「いちねんせいブログ」、仕事早いね。コマンド誌編集部の宮永殿の退職をいち早く伝えている。まあ、このニュースを最初に公開する「権利」があるとすればここだろうから、そこまで感心することじゃないんだろうけど。
 
 こんな書き出しで話を始めたのは、私がすでにこの事実を知っていたからである。原稿のレジュメをメールで送信した後、編集部との「打ち合わせ」が始まっているので。いや、実を言えば、その前に退職の挨拶状が届いていたりするんだけど。
 
 当人が読んでいる可能性が高い場で書くのは失礼かもしれないけれど、あえて言葉にしちゃいましょ。何故私に退職の挨拶状が?私は基本的には「単なる一読者」であり、宮永殿と「面識」があるのは事実だけど、確か直接お会いしたのって3~4回程度…そりゃまあ、「ヒトラー電撃戦」のルール確認絡みで「濃い」やりとりをしたのは事実だけど。これはきっと、私の人徳とやらのおかげだろう…って、そこ笑わないように(苦笑)。冗談抜きに語ると、挨拶状をいただけたことには感謝しております。今までお疲れ様でした。これからも頑張って下さい。
 
 ゲーマーとして気になるのは、「後任はどうなる」でしょ。こちらについては、中黒殿が復帰するとのこと。ご本人のブログでもそう語られている。ちなみに現段階で私がメールのやり取りをしているのは中黒殿とである。宮永殿には悪いけど、古くからのゲーマーである私にとっては嬉しい話かな。なにせ私、「嵐を呼ぶ男」(表記コレで良かったかな?中黒殿の同人誌である)を覚えているからねえ。私が買ったわけではなく、当時の知人に読ませてもらったものだけど。あれは面白かった…
 
 さて、本題である「私がゲーム雑誌に原稿を掲載するための道」に移ろう。上記理由により中黒殿とメールのやり取りが始まっている。これは、私の想定より1~2週間ほど動きが早い。「仕事早いなあ」と苦笑したくらいだ。
 
 まずは私の「想定」を語ろう。レジュメ送付は今週半ば。このブログがチェックされている可能性は極めて高いけど、編集部内での検討というか調整というか…でそれなりに時間を使うだろうから、盆休み(一応あると想定)前に何らかのリアクションが来るかどうかだろう、と思っていた。実際はあっさりと返事が来たけど。
 
 現時点では、私がレジュメに書いた部分に関する意見交換をしている段階。ただ、話の進みはベラボーに早いんでないかな。これは、中黒殿の「本質を掴む」能力が高いから…ってのもすごく重要なんだろうけど、主な理由となると「私のブログがチェックされてるから」じゃないかねえ。
 
 自分で実際書いて感じたんだけど、400字程度のレジュメなんて、「こんな少ししか書けないのか」って愚痴りたくなるような程度のモノ。自分が書こうとしているモノを相手にわかってもらうためのものと言うよりは、「やり取りのきっかけ作り」って意味合いが強いのかも知れない。以前「レジュメを募集しているコマンド誌は『投稿型』になるのでは」と語ったけど、コマンド誌のやり方でも打ち合わせが重要な点に変化はなさそうだ。
 
 ただ、私の場合はこのブログで色々書き殴った後にレジュメを送付しており、いわば「普通なら読んでもらえない、分厚いレジュメを送りつけた」のと同然の効果がある。別にソレを狙ってグダグダ書いていたワケではないんだけど、話が早くなるのはむしろ当然だよね。ブログにはそういう効果もあるとアタマでは知っていたけど、なんか少しばかり実感できたような。「これこそがWeb2.0時代の編集部との打ち合わせ」…なのか?
 
 このやり取りの結果、私の原稿は「話の進め方の方針」が一部変更された。今までは「よくある史実と似たようなゲーム進行」をキッチリ書くことに主眼を置き、そのための注意点として史実とはかけ離れた作戦を語る…という予定だったんだけど、より積極的に史実以外の展開を語っていくことにした。
 
 言われてみれば、確かにこの方が話として面白そうだ。史実に沿った作戦案なんて、言ってみれば「誰でも思いつく」ものである。そういう無難なものを語るより、「色々試してみたくなる」ような刺激を提唱した方が勝るはず。特に私は第一部で「戦術の基礎」と「戦略の基礎」を(ポーランドとソ・フィン戦というしょーもない戦場をケーススタディにして)キッチリ語る予定であり、細かい部分については「ケーススタディを参照しつつ、各自考えてもらいたい」って方針でも問題がないはずである。話を広げすぎてグダグダになる危険性もあるけど、現時点での方針としては話を広げておいていいと思われる。
 
 こういう意見をうかがうと、「やはり編集部との打ち合わせって重要だよな」と感じますね。まず重要なのは、「自分じゃなくて他人である」って部分ではないかと。私はこのブログの記事を制作する際、可能な限り「ライターである自分」と「編集者である自分」を意識してネタを選んだり校正したり…って作業をしているつもりだけど、しょせん同じ自分自身、限界は相当低いところにある。形になる前に他の人の意見を聞けるというのは、それだけで意味のある行動だなと痛感しましたね。
 
 こうした経験は、やはり自分の糧となる。今回「商業誌に原稿を書くため」やってきたことは、自分のブログに何かと反映されるんじゃないかと。特別目的を持って運用しているブログではないけれど、やはり「作るからには良いモノを」って意識は持ちたい。今回のチャレンジがそのために役立つのは間違いないけど、やはり実行段階まで来ると実感が強くなりますねえ。現段階で私が継続的に商業誌で原稿を書くようになるかどうかはわからないけど、とりえずこのブログは続いてゆく。だから、「ブログの参考にするため、商業誌に原稿掲載してもらえるようにチャレンジ」って発想をしても、「アホか」とはならないのでは。ま、あまり聞かない発想ではあるけどね。
 
 編集部とのやりとりが予定より早く始まったわけだけど、私の方の作業は別に前倒しになっているわけでもない。ルール読み返したり、作戦研究したり…って作業をしているだけ。これは疎かに出来るコトじゃないからね。ただ、そろそろ原稿に取りかかる必要がありそうなのも事実。来週中にはその作業に取りかかると同時に、いくつか質問事項を編集部に送付する予定です。ただ、具体的進展をお知らせするのは先の話になるでしょ。だって、来週はコミケだから(苦笑)。

8月11日2008/08/12 03:55

 本日の話題は、思い出したように繰り返される「このブログの外観について」を語ろうかと。正直今更いじくるつもりはないんだけど、まあ色々考えることはあるんですよ。
 
 このブログの管理元は、毎月新しいスタイルを発表している。「外観を変えて気分転換してはいかが?」って趣旨だろう。また、私が定期的に訪問しているいくつかのブログでも、たまに外観が一新されている。こういうのを見ていると、「私も…」と思うのが人情ってモノではないかな。
 
 もっとも、である。よりによって私F男がこんなこと言い出すなんて、悪いモノでも食ったのか!と思う人もいるかも知れない。こと私は「見た目」に関してはベラボーに保守的だから。今時、「上着を着てない姿で目の前に現れた」だけで「ビックリした」などと言われる奴は珍しいのでは。私はこの季節でも上着を手放さないからね。あれはクーラーと日差し対策という、外見以外の理由でああしているんだけど。
 
 このブログの外観も、正直機能だけ考えて決めたモノである。なにせココは「ネタごとの色分け」がウリなので、文字の色を目立たせる必要がある。そのためには、とにかくシンプルに徹して「白い」ものが好ましい。この原則は動かしようがないので、下手にこちょこちょいじっても「だから何?」って感じを受ける。昔いじくろうとして、結局気に入らなくて戻しちゃったくらいだ。
 
 その代わりと言っては何だけど、文字の間隔(特に行の高さ)にはそこそこ凝っている。自分が「活字中毒患者」だけに、読みやすさを心がけたので。あくまで自分の好みに過ぎないけれど、「これぞ適切」だと思っている。開設時に何度も調整して決定したからね。基本的に「見た目には無頓着」な私だけど、そんな私なりに「読ませる」ための工夫はしてるんですよ。
 
 ただ、自分が「ある種の」センスに乏しいのは自覚がある。ココの外観に全く変化がないのも、一部はそのせいだ。正直、どこをどう直せば良いのか、よくわかんないんだな。芸術センスとやらがあれば、「あーしてこーして…」ってアイデアを山ほど思いつくんだろうけど、私にはちょっと無理かなあ。
 
 あえて言い訳をさせてもらうと、「このブログのデザイン変更」は結構難しいのだ。元凶は何と言っても文字の色。あえてキツめの色を付けてる(必然性はわかるでしょ)ので、シンプルに徹さないといきなり「目に厳しい」感じが強まる。私の好みで語れば、罫線や枠囲みでさえ「五月蠅い感じがする」んだな。文字以外はとにかく白い方がいい…ってものに、どう変化を付けろと?それなりにデザインセンスがあるなら「あえて色々飾りを入れつつ、良いものに仕上げる」ことが可能かも知れないけれど、私のセンスでは無理だ。
 
 もう1つの元凶は、「他のサイトが参考にならない」である。フツーのブログなら、友人知人のサイトを真似てみるとか、「あっちが赤系ならこっちは緑系で…」ってな感じでデザイン変更できる。けど、私は「ネタごとの文字色変更」なる、「他にやってるトコロを見たことがない」アイデアを採用している。正直、どのサイトも参考にはならないんだな。「先人の知恵」を使えないのは、正直苦しいね。
 
 もっとも、だからって「ネタごとの色変更」を放棄するつもりはない。ドコまで効果があるのかはともかく、これはこのブログの「ウリ」だ。それに、これを採用しているからこそ、私はホントに好き勝手な話題を安心して書き殴ることができるのであって。「ブログの外観を変えたいからネタごとの色変更を止める」なんて、まさに本末転倒。そこは流石に理解している。
 
 そんなわけで、結局いじるのはやめました…と言いたいところだけど、実は1点だけ、デザイン変更というか何というか…を施すかもしれない。ネタの表題だ。現状単に日付だけが入っている、アレである。
 
 ここに日付だけ入れたのは、一応理由がある。普通表題って言うのは「どんなことを話題にしているのか」本文を読む前にあらかじめ示す…ってのが「主要な役割」だ。けど、ここはそれを文字の色がある程度担っている。そもそも雑多な話題が同居している関係上、表題からして見ただけじゃ「ついて行けない」可能性が高い。だったら、むしろシンプルで素っ気ない方がいいんじゃないか…と考えたのだ。その代わり、真の表題っぽいものは冒頭で述べていることがある。本日だと「このブログの外観について」だね。
 
 ただ、これには欠陥もある。表題だけ見たんじゃ、内容は全くワカラン。表題は検索結果なんかで表示されることがあるから、もう少し何とかした方がいいのかもしれない。私個人は「これはこれで気に入っている」んだけど、改善した方がいいのかもしれないね。
 
 現状では「表題の件も含めて何も変更しない」つもりではあるけれど、やはり独りよがりは良くない。そこでまあ、たまにこういう話題を振って「コメントが来るかどうか反応を見ている」わけだ。よほどのことがなけりゃ「コメント無し」で終わりだろうけど、それはそれでこちらとしても安心するからね。色んな意味で「キテレツな」ブログなので、たまーにこーゆーことが気になるんですよ。つーわけで、ご意見がありましたらコメント下さいませ。

8月13日2008/08/14 03:05

 ぐわぁ!オレはやっぱり文才がねえ!わかっちゃいたことだけど、どーしてくれよう…まいったね。いや本当に。
 
 まずは昨日更新できなかった理由を語ろう。現在執筆中の「ヒトラー電撃戦」作戦研究にハマったからである。行き詰まってうんうん唸っていた…のではなくて、その逆だ。ポーランド戦作戦研究で悩んでいた部分を解決し、「今日は気分良く書けそうだ」と集中して書き殴り続けた結果である。
 
 この原稿、今手がけている「第一部」は、さほど苦労せず書けるはずだった。ルール改正の意義なんぞちょろっと解説して、後はポーランド戦とソ・フィン戦争語るだけだから。ソ・フィン戦争の部分は正直「このブログで前に語ったことの焼き直し」に過ぎない(言い訳すると、その価値はあると思っているんだけど)し、ポーランド戦もおおむね結論は出ている。まずはここでビシッと基本を語っておいて…って構想に従ったモノなので、別に手抜きってつもりはないです。とりあえずはそーゆーことにしておいて下さい。
 
 筆の滑りは悪くない。もっと苦労するかと思っていたんだけど、今のところはスラスラと書き進めている。まあ、たかがブログとはいえ「ガンガン書き殴っていた」この私、普通の調子さえキープできていれば、「書けなくて困る」なんてコトにはなりにくい。
 
 問題は、筆の滑りすぎである。ポーランド戦研究の「小さな穴」をキッチリ埋めてドカドカ書き殴り、ついでにソ・フィン戦争も自分の過去のブログを参照してさらっとまとめた(ここから色々直してゆく予定)段階で気がついたのは、分量オーバー…まだルール改正関連について1行も書いてない(他にも色々書く予定が…)のに、すでに「予定分量」オーバーしてるんですけど。しかもだ。「図はあるはずだよな」って前提で、私としてはかなり簡略化して書いたつもりなのに。
 
 どれぐらいの分量オーバーなのか?何も考えず、今の調子で「よし、これで完成」って状態に持って行ったら、予定の倍程度になりそうです…って、こんなのどーやって「縮める」んだよ。だからこそ冒頭のような叫びを発しているわけだ。私には文才がない。その結果、物事を「簡潔に語る」ことができない。よって、文章の肥大化が止まらない…
 
 少し落ち着こう。今作成しているのは、別に「完成稿」ではない。これをキチンと見直して推敲したモノが「第一稿」であり、それを見た編集部から「ああしろ、こうしろ」ってな指示を仰ぐのだ。書くこと少なくて困るより、多すぎる方が手直ししやすいはず。まずは落ち着いて、無理に削ろうとするのではなく、とりあえず自分が「書きたい、書くべき」と思ったことをキッチリ書く。それが完成してから「どこを削れるのか」考えた方がいいでしょ。そんでもって、困ったら編集部に意見を聞けばいい。コミケで時間を取られることを考慮してさえ、まだ時間に余裕はあるのだ!
 
 しかしまあ、ある程度予想していたことではあるけれど、「予定分量に治める」って作業がこれほど辛いとは…いや、それ以前の問題かも。漠然と「こーゆーこと書けば4頁ぐらいでは」って見積もりからして甘かった可能性はある。いや、これも違うな。普通に考えれば正しい見積もりなんだけど、「文章書くのが、とにかく文章量が肥大しまくるF男」だってこと忘れていたのが問題なのかも。なにせこのブログ、大したこと書いてない日でも分量は膨らみがちだからなあ…
 
 というわけで課題抱えまくりではあるんだけど、とりあえず原稿は「進んで」います。分量に関しても、ある程度は解決の目処があるし。多分何とかなるんじゃないかな。とはいえ…改めて思ったけど、私の文章って「スゴい」のね。トホホ…
 
(注:本日は意図してちょっと短めにしてみました。)