7月22日 ― 2008/07/23 01:19
うーん、話題として難しいかなあ。関西旅行
は楽しかったけど、ここのネタとしてどうこう…って話になると、「酒飲ん
で、ゲームして、寝た」系の話で終わってしまいそうな。まあ、それを承知の
上でいってみましょーかね。
19日朝。ちょっと早めに起床し、まずは池袋
に。何故関西旅行で池袋?コミケカタログ買う必要があったので。秋葉原でも
良かったんだけど、この辺は私の趣味が絡む。旅行の前にいちいちこんなもの
仕入れたのは、この連休中に「コミケ関連の」連絡がありそうだったので。今
年の夏コミは…ってのは、後日の話題としますか。
14:00頃東京駅で待ち合わせして、一路関西
へ。メンバーは私の他、庭猟師殿と有楽斎殿。途中新横浜で龍虎殿とも合流。
「濃い」メンバーかな。関西に到着して荷物置いた後、向かったのはホルモン
焼きの店。有楽斎殿が「どーしても食いたい」モノがあると店を探したんだそ
うな。ここで現地のさばげ隊長殿、及びコマンドマガジン編集長の宮永殿と合
流。「激しく」飲み・食う。後に関西在住にしてMiddle-Earth東京支部長の<
麿>殿と合流…したはずなんだけど、この頃から早くも記憶が怪しい。確かそ
の後はカラオケ(中盤から何故かアニメ・特撮縛り)して、バーで酒飲んで〆
たはず。まあ、飲み食いしたと言っても私は「強い酒」は避けていたので、多
少の余裕はあったけど。まさか旅行中に救急車はイカンでしょ(苦笑)。
翌朝はMiddle-Earthへ。ここでゲームするの
が目的だからね。私は庭猟師殿に誘われ、「パウルス第六軍」の赤軍南方をプ
レイ。対戦相手は小野SLG部長殿。このゲームは始めてプレイしたけど、覚え
やすくてシステムは悪くない。ただ、そこは初プレイ。ドコを目標にすればい
いのか、よくわからん。「とりあえずドン河(マップ中央付近を東西に流れて
る感じ)を目指して下さい」と言われたので、とりあえず攻撃開始。
ちなみにこのゲームの元となった戦いは、ド
イツ第六軍がスターリングラードって場所で包囲された戦いである。敵国指導
者であるスターリンの名前が付いた場所を占領するんだ!と意地になったあげ
く大反攻喰らって包囲されそうになり、それでも意地張って逃げ出さなかった
結果タイヘンなことになった…って戦いである。でも、このゲームは独軍に移
動制限なんぞない。スターリングラードなんて無視して、自在に逃げ出すこと
が出来る。それだけに、余計「どう攻めたらいいのか」よくわからなかったん
だよね。
何がマズかったのかは、自分でもよくわか
る。いつもの調子で「ドンドン行ったれ~!」ってなノリで前進しなかったん
だよね。初期のダイス目悪かったし、組んで戦っている庭猟師殿への遠慮(暴
走して戦線崩壊したら申し訳ない)があったし。そのため、攻撃はかなり慎
重。あえて意識してそうしてた。これがマズかったようだ。
モンティよろしく「確実な攻撃・確実な前
進」なんてプレイをしていたら、庭猟師殿から「もっと延翼して、相手側面を
攻撃して下さい!」って強力な意見具申がされる。いや、今更そんなこと言わ
れても…最初に「とりあえずの目標はこの辺」って、カラチ=ナ=ドヌーの辺
りを指さしたのは、そっちじゃん!まあ、いつもの私なら、側面に弱い部隊を
展開しつつコテルニコヴォ向けて突進し、側面食い破られて大包囲喰らって攻
勢終了…って展開になって終わりだったと思うけど(苦笑)。
そこでまあ、一応延翼する方向に向けて攻勢
方向をシフト…ってなところでゲーム終了。とりあえず戦術的なことはわかっ
たので、次回はもう少し作戦のことを研究してからプレイしたいな。ま、初プ
レイなんてそんなものだ。ただ…当初の計画通りに「側面なんて敵に気にさせ
ておけばいいんだぁ!」って攻勢仕掛けていたら、間違いなく反撃でヒドい目
に遭っただろう。それがわかっただけでも作戦は立てられるかな(苦笑)。
周囲でプレイされていたのは、バトルフォー
ジアルデンヌ(二日間で最後までプレイしていた)、関ヶ原(自称エース殿と
有楽斎殿の東西対決)、幸村外伝など。3日目にはダブルブラインドの「英第
八軍」「ヒトラー電撃戦」などもあった。二日連続例会だからか、関東より
「重め」のゲームがよくプレイされていたような。あと、久々にテーブルトー
クRPGのプレイ風景を見られたのも新鮮だったかな。
なお、この日の〆は新世界の串カツ。私と庭
猟師殿・有楽斎殿に加え、こかど殿とちょろ殿での会食。案内していただいた
こかど殿は「関東者として、こういうモノはアリですか?」と気にしていたよ
うだけど、まあフツーに考えればアリでしょ。関東にも似たようなモノを出す
店はあるみたいだし。ただ、「トンカツに薄くてサラっとしたソース」をどう
考えるのか…と悩む余地はありそうな気が。私は「濃くて粘りのあるソースを
ちょっとだけ」ってのが好みなのは確かだし。もっとも、本来は私の方が「邪
道」ではないかと。「トンカツにはソースをジャブジャブかけて食え」って御
言葉(立川談志家元だったかな?)もあることだし。
3日目は小野部長と「シンガポール陥落」を
プレイ。両方とも初プレイだけあって感覚がまるで掴めず、英軍が大敗。お互
いに前で守りすぎたらしい。当たり前だけど、ドコに陣地掘って守るのかチャ
ンと考えないとイケナイってことだね。このゲームに詳しい人は東京支部にい
るはずなので、今度話を聞いてみよう。
帰りの新幹線は、ある意味当然なのかもしれ
ないけれど混んでいた。「もし可能ならば一緒に東京へ…」って話をしていた
INB殿と田村殿は、同じ新幹線乗れなかったからなあ。まあ、仕方ない。私は
道中爆睡してました。おかげで、庭猟師殿(新横浜か品川で降りたはず)に最
後の挨拶できず。何やってんだか。
関西遠征の意義。それは「いつもと違う」メ
ンツと会ってメシ食ってゲームして…ってな交流でしょ。やっぱりたまにはこ
ういう機会を設けないと。色んな意味で刺激になってよろしい。まあ、そのた
めに周囲に迷惑かけまくるのはどうかと思うけど、ソコはソレと言うことで
(苦笑)。
なお、本日は総括的なモノに終始したけど、
次回以降何とか記憶を振り絞り、「飲み会の時に出た話」などをネタに細かく
語っていけたらと…思っているんだけど、とにかく記憶が怪しくて…やはり飲
み過ぎはいけませんね。旅先だからって。
最後に、今回の旅行で出会った全ての方に感
謝を捧げます。実は私、この旅行中に誕生日を迎えたんですよ。皆様との出会
い・会話・プレイしたゲーム、その他全てが最高の探訪日プレゼントでした。
感謝いたします。
追伸:プレイレポート、なるべく早く送ります
ね。ああ、またなんか〆切が…
7月24日 ― 2008/07/24 22:40
本日のネタは、関西遠征時にちょろっと話が出たネタとして「萌えを取り入れたゲーム」を採り上げよう。アホバカな話題ではあるけど、私の中ではかなーり分析が進んでいたりするので。
萌えを取り入れたゲームとは…典型例の1つとしては、「ユニットをネーチャンの絵に置き換えた」ものかな。「ロシアンキャンペーン」「East Front」「Victory at Sea」…などなど、元となるゲームはこの際何でもいい。ルールも基本的には変えない。ただ、ユニットがネーチャンのイラスト。ルールブックの文体がネーチャンの説明。まあ、補足説明やQ&Aは充実させるかもしれないけど。果たして、今のゲーム界にこーゆーものは必要なのか?ってことだね。
まず言っておこう。上記の例は、イメージしやすそうなので出してみたけど、基本的には「駄目な例」である。こんなモノが出たら、比較的ゲーマーの中で萌え適性が強いと推定される私ですら、激怒しかねない。何故か?まずはその「理由」を語ろう。
現在、シミュレーションゲーマーの「主流」は、この手の萌えを理解しない層だと推定される。本来こういう人間に向けて販売されるはずの商品に「萌え」を追加するのは、明白にマイナスだ。本来買ってくれるはずの人間が買い控える可能性が出てくるし、買ったとしても文句を言ってくる。
ただ、私の怪しげな分析によると、実は「萌えを理解するゲーマー」は結構いる。主流ではないにせよ。「いちいち表に出さない」だけで、飲み会などでつつけばこの手の話題について来るゲーマーは案外多いのだ。こういうゲーマーの中でも「本当にこんなの出して大丈夫?」なんて疑問は出てくると思うけど、まあこの場では「アリと認める」「本来買わないつもりなのに、つい買ってしまった」なんて行動を取ると仮定しよう。
問題は、ゲームのことを理解しない一般人である。こういう連中に対する訴求力は、萌えテイストがあった方が飛躍的に高い。元々がゼロ同然だから…って理由に過ぎないけど。世の中には「○○さん(例となったユニットの絵を描いた人)の作品は、この際どんなモノでも買わなきゃ気が済まない」ってなコレクター気質を持った奴が一応いると推定されるので、こうした連中が買う。この点に限って言えば、萌えの効果は絶大である。
さて、例の対象となった「ゲーム」を見直してみよう。萌えイラストがあろうがなかろうが、本質は「立派なシミュレーションゲーム」である。つまり、主流・非主流を問わず「ゲーマー」に売らないとあまり意味がない。イラスト目当てに購入した馬鹿(そもそも多くない)の大多数は、買ってもプレイしないでしょ。それじゃあ意味が薄い。本格的なシミュレーションゲームにただ「萌えの要素」をブチ込むのは、大いに間違った行動ではなかろうか。
ただ…一般人、つまり「ゲーマーじゃない奴」への訴求力に限って言えば、かなりの効果が期待できるのは事実だ。つまり、「初心者獲得の手段だと割り切って考えた場合、萌えに走るのは一定の効果が期待できる」のでは。よって私は、「萌え要素をブチ込んだ、準シミュレーションゲーム」なら、出す意味があるのではと思っている。
準シミュレーションゲームとは?まあ、明確な定義があるワケじゃない。我々現在のゲーマーが好むようなモノに比べれば「ルール簡単・ゲーム展開単純・何をシミュレートしてるのかサッパリわからん」かもしれないけど、ルールや「作戦の基本」といった部分にシミュレーションゲームっぽい要素が入っているモノ…ってなるかな。
実を言えば、昔はこういうモノがあった。ツクダのアニメゲームは、基本的にはこのジャンルに入れてもいいだろう。日本で最も売れたシミュレーションゲームって噂のある「連合艦隊」に代表されるバンダイのゲームも、コレに含まれるモノが多いのでは。そもそも、私は「超人ロック」(エポック)がなければ、ゲーマーなんてやってない。これも当然含めて良いでしょ。こういったものをとっかかりにしてゲーマーになりました…って連中は、かなりの数になるはず。
しかしだ。今現在、こういうゲームは事実上絶滅している。需要が無くなったから…ではない。いわゆる「萌え」+「ゲームという知的遊戯」を組み合わせた商品ってのは今もって山ほど存在していて、なおかつ「ゲーム要素を強めた、本格的なモノ」へのステップアップ役を果たしている。ただ、昔はその対象が「シミュレーションゲーム」だったのに対して、今現在その地位には「マジック・ザ・ギャザリング」(以下「マジック」)が君臨しているだけの話。トレーディングカードゲーム(以下「トレカゲーム」)業界が今もって一定の勢力を持っていることを考えれば、準シミュレーションゲームを開発する意味は今でもあると思われる。
正直言って、本気で「この業界に初心者を呼び込もう!」などと考えるのなら、まずここから手を付けるべき…ってのが、私の意見だ。人間、「自分がよくわからないもの」に対する敵対心はモーレツに強いのが普通である。私は「よくわかんないからこそ面白い」などと考えることが多めだけど、それでも限界は低い。
こうした敵対心は、事実上取り払えない。よって、「良く知ってる何か」をダシにして未知のモノに挑戦させ…って手法を採るしかない。問題は、この「良く知ってる」とはどの程度のことを言うか、である。ハッキリ言おう。単に名前を知ってる…ってだけじゃ駄目。飲み屋で1時間語れるクラスのものでないと。現時点で「初心者です」なんて人間がそれだけのネタをいくつ持っているって?「萌え」以外に何があるのか、私の方こそ紹介してもらいたいくらいだ。
ただ…理論面についてはともかく、実際問題としては「相当厳しい」と言わざるを得ない。まず、「ゲームという商品」として考えた場合、トレカゲームはシミュレーションゲームより優秀だと認めざるを得ない。シミュレーションゲームの場合、プレイしたければ「あまり安くない」ゲームを1つ買うしかない。また、かなりハマっている人間であっても「2つ買う」なんて行動は基本的には取らない。2つ買うのは、相当特殊な動機がある場合に限られる。しかし、トレカゲームは比較的安い「基本セット」があれば、プレイはできる。つまり、気軽に始めてもらえるわけだ。更に、ハマった奴は「必要なカードのコンプリート」を求めて大枚を叩く。このように「熱意という名の需要に見合った金額の商品を提供できる」ってメリットは、商品として考えたらかなり優秀だ。
商品として優秀なライバルが存在しているってことは、いわゆる「版権獲得」において不利な立場にならざるを得ない。版権問題は語り出すと止まらないので詳細は割愛するけど、版元が考えるところの「メディアミックス」(アニメ・漫画・ゲームなど複数のジャンルに展開すること)に入れてもらえない可能性が高まるんだな。商業ベースでの展開を考えたら、これはかなり痛い。結果として、今現在「萌え要素を取り入れた準シミュレーションゲーム」なるものを見つけようと思ったら、版権問題を誤魔化せる同人誌即売会に足を運ぶしかない。
それに…「萌え要素のある準シミュレーションゲーム」を作ろうと考えた場合、これは言ってみれば「現在のシミュレーションゲームのライバルにもなり得る存在」を作ることになる。家庭ZOCを無理矢理突破して月1回プレイ相手を探している…ってな業界において、好敵手の1人が「新たにこういうモノも始めたので、スケジュール合わせるのが難しくなりました」なんてのは、立派な実害レベルだ。いわゆる「主流派」の、萌えを理解しない方々に「露骨な敵意」を浴びせられても、文句は言えない。まあ、それぐらいを承知の上でなおかつ…って気合いがないと、そもそも成り立つわけがないと思うけど。
作る話題が出たので、「実際こういうモノを作る」話も考えてみよう。具体的に誰がデザインするって?軽いモノだからデザイナー予備軍が…ってな発想では、うまくいかない。こういうものは、むしろ「ゲームとしての本質部分」をキチンと理解できている人間が作らない限り、絶対面白くならない。より問題になるのは、デザインの基本部分についてではなく、デベロップ部分だ。準が付くとはいえシミュレーションゲームテイストなモノなら、ゲームデベロッパーとして優秀な人間がデベロップしないと良いモノに仕上がらない。これを要約すると、「シミュレーションゲーム業界から優秀なデザイナーとデベロッパーを引き抜く形で仕事させる必要がある」ってことになる。コレのドコがゲーマーのためになるって?そんなヒマがあるんなら、フツーのシミュレーションゲームをデザインしてくれた方がずっと有り難いでしょ。
実際問題としてこれだけの「障害」がある以上、あえてこの分野にチャレンジするのは「無謀」だろう。多分、育つ前に潰れる。実を言えば、この方面への「色気」とでもいうモノは、CMJ・GJ共にゼロではないと推定可能だ。この辺は両誌を注意深く読んでいれば感じ取ることが出来る。しかし、実行しようとは思ってないでしょ。特にCMJの場合、「育て方によっては」この分野を担える可能性を持った雑誌(RPGなんちゃら。タイトル忘れた)が事実上廃刊に追い込まれているからねえ…
可能性だけで言ったら、むしろサンセットゲームズに期待すべきなのかもね。これは単純に販路の問題。「シミュレーションゲーマーじゃない奴」が購入可能な販路に対して商品を供給しようとしているので。もっとも、この会社にそのつもりがあるのなら、とっくの昔に「超人ロック」が再版されてるはず…と考えると、やはり難しいのかな。
つまりはまあ、結論だけ言えば「シミュレーションゲームに萌えの導入はうまくいかない」となる。ある意味わかりきった結論だけど、「総論部分ではなく、各論部分で駄目」というのは、フツーの否定論とはひと味違うんじゃないかなあ。
なお、普段の私なら「問題が各論部分なら、根性と気合いで克服可能」という結論を出す。しかし…今回に限ってはねえ。そもそも私個人がどうこうって話じゃないし、私が何かしたからどうなるってレベルの話でもないし。コトはゲーム界内部の問題じゃないからねえ。より一般的な世界にケンカ売って何とかなるとは、とてもとても…ただ、「初心者勧誘」ってのはそういう一般的な世界に飛び出してどうこうって話であり、ゲーム界内部に留まって話をしている限り、永遠にダメダメだとは言っておこうかな。昔のゲーム界にはその活力があったと思うんだけど、あれは幻だったんだろうなあ…(遠い目)。
7月25日 ― 2008/07/26 01:21
関西遠征の折にプレイした「East Front」の記述が抜けてる…という指摘があった。これについては、素直に「書き忘れました」と言うしかない。ただ、どーせ書いたとしても1行程度。何故かって?そりゃもう、機を見てみっちり書くからに決まっているじゃないですか。
でも、本日は別の話題。今年の夏コミについて。事前にある程度「書いて」おかないと、色々落ち着かないから。まだカタログチェックは終わってないけど、あまり細かく語っても意味がないので、本日語ります。
今年の夏コミこと、コミックマーケット74は、8月15・16・17の三日間開催。いわゆる「お盆」の時期だ。諸般の事情から「お盆ジャストミートは難しいのでは」ってな噂もあったようだけど、杞憂だったようだ。つーか、世間の方がコミケとのバッティングを避けてもらいたいんだけどねえ。ま、これは言っても無駄か。
私は例によって3日間とも出撃予定。競馬を含むスポーツが初日で、シミュレーションゲーム含むゲーム(電源不要)が2日目で、3日目には鉄道・旅行・メカミリがある。その他諸般の事情を考えれば、省略可能な日はない。「マイナージャンルを幅広く」回る私だからこそのボヤキだね。
東西の区分けだけど…体力が許すならば、3日間とも東西に顔を出すことになりそう。一応初日西館・2日目西館・3日目東館は「省略してもいい」と分類しているけど…初日西館には「特撮・SF・ファンタジー」がある。SF・ファンタジー小説には多少クビ突っ込んでいるので、ぶらつく価値はある。2日目西館は「同人ソフト」を見てみようかと。いやね、同人音源ってココなのよ。買う買わないはともかく、訪れてみる価値はある。
むしろ問題は3日目東館か。いわゆる「不健全なる男子」向けの同人誌に満ちていて、混雑するのは確実。よって本来ならば近寄りたくもないんだけど、何故か「歴史」がココに…このためだけに東館に行くのはアホらしい気もするんだよね。ココに置いてある同人誌って、私に言わせると「そんなの知ってる」どころか、「分析が甘い!」と一喝したくなるようなレベルのモノが多くて…ただ、時々見つかる素晴らしいモノは他で得難いこともまた事実。一応は「残った体力次第」としておこう。
企業ブースについては、思いっきり手抜きできる。なにせ今回は冬じゃない。カレンダー買わなくていいのだ。ややこしいものを「買ってきて」と頼まれる可能性はあるけど、それでも基本的には1日だけで対応可能でしょう。まあ、この手の予想が外れる可能性は高いんだけど…
こうやって分析してみると、今回はかなり余裕がありそうな感じ。元々カレンダーが絡む冬より楽なのはわかっていたけど、特に今回は楽かなあ。ジャンル配置がいつもより多少「私に都合良く」なっている感じだ。つーわけで、浮いた余力は便せんの吟味に向けられる。うむうむ。
余談だけど、先日「同人便せんと言われても、どんなものなのかわからない」と言われてしまった。一般人の考える便せんなんて、ごくごくフツーの、つまらない便せんだけだろうからね。本来ならばココに画像などをアップすべきかもしれないけれど、それはちょっと…曲がりなりにも他人の著作物を、無断でこーゆートコロにアップするのはどうかと。同人誌なら「表紙だけ掲載」すれば何とかセーフかな…って気もするけど、便せんは本当に「アップした情報が全て」となるので、思いっきり気が引けて…
つーわけで、私の便せんコレクションについては、「基本的には謎」としておきたい。私から手紙(メールではなく)をもらった人間だけが、一部を垣間見るチャンスが与えられたということで。なお、もし私が「あと余命半年」などと宣言された場合には、とりあえず必死に使います。それでも使い切れなかった残りは、私と一緒に燃やすように。価値を理解できるのは私だけだろうから、何の問題も無いはず。
同人誌即売会というのは、何だかんだ言って「一般人には敷居の高い」存在…のはずなんだけど、最近は何も知らない奴が増えて困っているんだとか。私のような比較的古くからの参加者は、「日頃の行いが悪いから、生きたままコミケという地獄巡りを命じられた」ってな意識があったりするんだけど、こういう感覚はもう「古い」んだろうなあ。コトの良し悪しはともかく、「世代格差」なるものはヲタク世界でも感じますよ。
それでもまあ、コミケが基本的に「ヲタクにとって大事なイベント」であることは間違いない。色んな意味で。こういうモノは大切にしておきたいよね…って、3日間トータルで50万人以上が参加する、日本最大級のイベントの1つに対する感想じゃねえな。やっぱりありゃあ生き地獄だよな…
7月26日 ― 2008/07/27 05:19
関西遠征絡みのネタは、簡単に消化できるモノではない。つーわけで第二弾。East frontの話…は第三弾用なので、今回は「プランサンセットの感想」といきましょ。諸般の事情により、関西遠征でやっと手にしたので。
何故関西で手にしたのか?色々事情はあるんだけど、一番大きいのは「タダでもらえるから」だ。私には原稿料という名の献本もらう権利があるので。関東で受け取る手段もあったんだけど、諸般の事情から関西旅行までその機会がなかったのだ。
掲載された私の記事は、ここで過去に書いたモノの焼き直し…というより、「このブログ特有の言葉遣い」などを訂正しただけのモノ。ある日突然「使ってよろしいでしょうか」ってなメールが来たので、ちょっとばかり手直しして送っただけ。手を抜いたってワケではないけど、手間はかかってない。無意味な写真や大きめの表題などで水増ししているとはいえ、これで2頁埋まっちゃうたあ、私のブログが如何に「長い」のかってことだね。
こんなモノを商業誌に掲載して良いのか?うーん…私個人の見解としては、「編集部が掲載したいと言っているんだから、それで良し」かな。これは皮肉でも判断停止でもなく。このブログに掲載されている文章は、私個人の見解では「同人誌にする価値すらない」となる。ただ、これは内容や文章がどうこうではなく、「まとまりがないから」である。まとめてどうこうって発想で記事書いているワケじゃないからね。ただ、いわゆる「箸休め」的なコラムとしてなら、モノによっては使えるかもしれない。もっとも、「実際問題としてコラムとして使用に耐える存在かどうか」ってのは、正直あまり考えたことがないのだ。私のような立場の人間が「箸休めコラム」書くなんてフツー考えにくいので。
ま、私の記事について語るのはこれぐらいにしよう。内容面などは自分で語っちゃ意味がない。意見・感想などはこのブログでも受け付けます…と言いたいところだけど、そもそもココを読んでる方の大半は、「オリジナルの」記事をココで読んでいるはずだから、改めて意見・感想を述べる意味あるのか?って気が…まあ、それでもあえて言いたいことがある方は、遠慮無くどうぞ。
さて、肝心の「私の記事以外」を語りましょ。私はこういう雑誌好きです。以上終わり…じゃ、説明になってませんね(苦笑)。ただ、最終的な結論としてはこれに帰結すると思うんだな。それに、ある意味一番大切なのはコレだって気がする。
「プランサンセット」は、基本的には作戦研究とプレイレポート(リプレイ)の雑誌である。今回はデザイナーズノートが2本ほどあるけど、これはプレイレポートの補足と考えて良いような。まだ未発売のゲームのプレイレポートを掲載する以上、この手の説明があると嬉しいのは確かだから。こういう雑誌の感想って、まず大事なのは「このような記事を好むかどうか」である…ってのが、私の見解。
そりゃあ確かに、レベルが高い・低いとか、採り上げるゲームがメジャー・マイナーなどといった部分にツッコミを入れることは出来る。そういう視点も重要だとは思う。けど、そこを五月蠅く言っても、あまり生産性がない気がするんだよね。ゲーマーのレベルや嗜好なんて相当バラツキがあるんだから、誰かにとって「初歩的な内容」は、別の誰かにとって「高度すぎてついて行けない」ものである。テーマだって同じ。そこをいちいち指摘したところで、改善しようがない。誰かにとっての「改善」は、別の誰かにとって「改悪」になるのは間違いないんだから。
こんなことを書くと、「平均的なゲーマーにとって…」って意見を言う奴がいる。私に言わせれば、そんな意見に意味はない。ある程度層が厚い世界ならともかく、シミュレーションゲーム業界などという薄っぺらなクセに多様性の高い世界で「平均」に何の意味がある?結局のトコロ、「平均」という言葉を使って「自分にとって」どうこうって話を正当化しているだけだね。
ただ、「初歩的すぎるモノと難しすぎるモノでは、難しすぎるモノの方がまだ読んで面白いのでは」って指摘はもっともと言わざるを得ない。これを否定されると、私のブログの存在意義がなくなっちゃう。「いかについて行けない話題を面白く読ませるか」がこのブログ最大のテーマだってのは、何度も吼えてきたことだ。そう考えると、やはり内容は高度なモノが望ましいのは確か。
とはいえ、そういう「高度な」記事を書くことがいかに難しいかを考えれば、「一定水準に達していれば、目くじら立てるのは大人気ない」のでは…って気がする。要は読者にとって何かしら「良い刺激」になればいいのであり、刺激を受ける・受けないは記事の内容そのものより、「作戦研究・リプレイを読むのが好きかどうか」に依存するんじゃないかなあ。
たまーに勘違いしているのでは…って意見にぶつかるんだけど、作戦研究やリプレイは「コンシューマーゲームなどの攻略本」ではない。かなり高度なモノでさえ、しょせんは「指針の1つ」でしょ。それを考えれば、採り上げたゲームがどうだの、内容のレベルがこうだのといった評価は、ある意味的外れではないかと思われる。論じることに意味はあるけど、「主要な部分ではないことを論じているのだ」って意識は持って欲しいかな。
コマンド誌やGJは「ゲーム付き雑誌」であり、必然的に付録ゲームの作戦研究やリプレイが中心となる。このような記事は、残念ながら高度なモノになりにくい。どう頑張ってもプレイの蓄積が少なくなるし、「ゲームの紹介」を兼ねている関係上、一般性の低い作戦も採用しにくい。それは仕方のないことではあるけど、こういう記事ばかり読んでいると、「たまには本格的な作戦研究でも…」って気になる。プランサンセットはそういう欲求をある程度満たしてくれるレベルの記事を掲載することに成功しているんじゃないかなあ。まあ、要は「私はこういう雑誌好き」だってことだね。
なお、作戦研究でもリプレイでもない「古角博昭インタビュー」については色々考えること・言いたいことがあるけど、これはまた後日のネタってコトで。どうせ書くなら、自分なりに考えが煮詰まってから書きたいので。良い意味での刺激になっているのは間違いないんだけど、それだけで片付けるほど、私は素直じゃない(苦笑)。
しかしだねえ。こういう雑誌に、私のブログ「丸写し同然」の記事が掲載されているのは、正直どうかと。恥ずかしいです。すごく。「献本のみ」などという、同人誌並みの原稿料の雑誌だってコトとは無関係に。何で私のブログがこんな目に…ブツブツ…
7月27日 ― 2008/07/28 03:06
更新可能な日曜である。よって、久しぶりに不定期連載「私がゲーム雑誌に原稿を掲載するための道」について語らないと。実は、まるで進展なかったりするんだけど。
7月初めにグチャグチャ書いてから3週間近くが経過した。にもかかわらず、動きナシ…我ながら怠惰だなと。まあ、色々あったとしておいて下さい。ただ、一応「先週の関西遠征までは、あえて動かない」ようにしてたんだけどね。
関西遠征ではコマンド誌編集の宮永殿と「飲んだ」わけだけど、どちらかと言えばヨタ話に終始して、「私の書く記事」の話はあまりしなかった。向こうがあまり熱心ではないってこともあるんだろうけど、私の方から別の話題ばかり話していたような記憶が…いやまあ、ヨタ話も重要なんだってことでカンベンしてもらいたい。
実は、コレとは全く別に「連載に関する有力アイデアをもらい、色々検討した結果、放棄するに至る」という過程をたどっていたりもする。よって、今回はこの件について語りたい。「何も考えず放棄した」ワケじゃないよ…って言い訳をするためにも(苦笑)。
関西行き新幹線の中で出た話である。私が連載を持つなら、「東部戦線酔いどれ日誌」の続編をやらないかという提唱があった。提唱者はもちろん有楽斎殿。以前コマンド誌にこの表題で「East Front」対戦日誌を連載していた方である。
この提案に対し、その場では特にどうこうって話にはならなかった。移動中に出た話だからねえ。飲み会の席で検討すれば良かったかも知れないけど、それは他の同行者やら迎撃していただいた方々に失礼でしょ。つーわけで、正直あまり深く考えず、「要検討」って付箋貼ってアタマの中にしまっておいたわけだ。
結局この案は深く検討する前に「放棄すべきだ」という結論を出したんだけど、あえて今検討を加えてみよう。私の意見としては、この案は「かなり難しい」となる。East Frontはいいゲームだ。連載記事を書く意義はあるだろう。でも、オリジナルの「東部戦線酔いどれ日誌」がある以上、私に「二番煎じ」じゃない記事を書けるのか?私個人の意見としては「無理じゃない?」なんだけど、この意見には余計な逃げも入っている。よって自己診断はアテにならないとしておこう。
むしろ問題になるのは、「コマンド誌はそんな記事を本当に欲しがっているのか?」かな。以前あった連載の焼き直しみたいなモノを掲載する気があるのか。対象が名作なので、「視点を変えて語ってみる」意義はある。あるけれど、いちいち掲載するほどかどうかは、ちょっと検討が必要じゃないかなあ。少なくとも、軽々しく「そういうモノを求めていたんですよ」などとは言ってこないような。
ただ、それを承知の上であえてチャレンジしてみるのも「1つの手」である。掲載されなかったからって、私が何か不利益被るわけではない。「こういうモノを書いてみようと思うんですが」とコマンド誌にブン投げ、実際掲載されるかどうかは向こうの編集がどう思うか次第…って話はある。私が編集なら、とりあえず「二番煎じねえ…」といったエクスキューズを投げかけ、それでも掲載するだけの価値があるか色々つついて診断してみるんじゃないかな。これに対し、ライターの私は「前任者の推薦」「自分のブログから推測される文章力」「多彩な対戦相手」といった武器?を使って説得にかかるわけだ。
だがしかし、私の中でこの案は正式に放棄された。理由?先が読めなくなったからである。私の「East Front赤軍戦略」に、重要なキズが発見されてしまったのだ。このキズは「私の赤軍戦略を根本から見直す必要がある」ってレベルであり、現状「あと数ヶ月プレイすれば是正される」って手応えがない。こんな半端な状態から「一人前になるまでの道」を連載するのは、正直どうかと。それぐらいだったら、当時の有楽斎殿のように「まあユニットの動かし方はわかる」ってレベルの人間が上達するまでを描いた方がいいだろう。もっとも、コレは本当の二番煎じであり、掲載する意味はより薄くなってしまうだろうけど。
このキズを発見したのは、関西遠征時に有楽斎殿と「East Front」の対戦を行った時である。諸般の事情からあえて関西でも「いつもできる」対戦をやったのだ。ここで私は、「自分の戦略を根本から見直さなければ駄目」と結論を出した。根本からどころか、多分イチからやり直す必要がある。たとえて言うなら、「仮免のまま半年が過ぎ、もう一度やり直し」ってな状態である。
ドコがマズかったのかって?うーん…説明が難しいんだけど、いわゆる「思考の袋小路」に入り込んじゃったんだよね。具体的には「ロストフの守り方がよくわからない」って状態であり、他人(対戦相手含む)が見たら、別に大きなハマリには見えないと思う。でも、私にしてみれば結構大きな問題だ。なにせ、「司令部の配置」という、このゲームで最も重要な部分に「巨大な問題がある」コトを発見しちゃったのだから。
詳しい人のために詳細に語ると、こうなる。私は「司令部が撃破されるのを防ぐため、南方の司令部は早期にモスクワ近辺に疎開させる」べきだと思っていた。南方は時間稼ぎに徹し、なるべく独軍に手間を掛けさせつつ失点を防げばそれで良しとしていた。この戦略に根本的な欠陥が発見されたのだ。これに対する対処方法は2つ。1つは、時間稼ぎなんて考えない。南方は最初から何もかも中央に引き抜き、移動だけで都市・資源を占領されてかまわないと割り切る。もう1つは司令部をより長く南方に留め、より効果的に時間を稼ぐ。いずれにせよ、私の赤軍戦略を根本から見直さないと実行できない。
問題とその対処方法がわかっているのなら、とにかくその方向に進むしかない…ってのはわかる。だから、「East Front」をプレイすること自体に問題はない。自分なりの苦悩を盤上にぶつけてみれば良いだけの話だ。ただ、おそらく改善には時間がかかる。下手すれば数年近く堂々巡りしかねない。「何度もプレイしてるけど、どうも進歩が見られない」って状態が延々続くようでは、雑誌記事としては問題があるでしょ。
人間の成長ってのは、「時間と手間を掛ければそれに比例して伸びる」なんてモノじゃない。急成長する時期・停滞する時期がある方が普通だ。それは仕方ない。ただ、停滞期のコトは語っても面白い話になりにくい。自分が「壁にぶつかり、おそらく停滞期に入った」って手応えがある状態なのに、「自分の成長を語る連載」なんてできるワケがない。おそらく、今の私は一番「東部戦線酔いどれ日記の続編を書いてはイケナイ」人間だ。停滞期に入るのが確実なので、あまり参考にならないモノしか書けないから。
私がライターを職業としているのなら、「それでも何とかする」のが正しいのかも知れない。とにかく原稿書かないとメシが食えないのだから。しかし、現状私はライターを職業としているわけではない。名前が売れているワケでもないから、「停滞して苦悩している様」という、本質的にあまり面白くない話でも読んでもらえるとは思えない。さらに、私自身そういう「つまらない話を面白く読んでもらう」なんてコトが成功するだけの文章力があるとは、とてもとても…最後の部分は私の努力目標であり、このブログの存在理由である「ついて行けない話を面白く読ませる」と似ているだけに、「今の自分のその力はない」のは、よーくわかっている。
というわけで、ライターとしては大先輩からアイデアをいただいたにもかかわらず、このネタはボツと決定したわけだ。いやまあ、「それでもやれ!」と言われたのならそうするけど、まあソコまで非情なこと言ってくることはないでしょ。正直、「East Front」ネタは私自身も言われる前から軽く検討していただけに、「無理だ」って結論は痛い。痛いけど、「良いモノ」を書くためには仕方ないんじゃないかな。誰だってダブルファイヤー12発+シングルファイヤー4発が見えてるシングルディフェンスの土地で粘ろうとは考えないわけで。「戦略的後退」ってことで許して下さいよ~。
7月28日 ― 2008/07/29 04:36
諸般の事情から、久しぶりに科学ネタを2本ほどやりたくなったので、そのうち1本は本日やることにする。とりあえず、本日は「水よりお湯の方が早く凍る」ってネタにしようかと。
水よりお湯の方が早く凍る?一見意外に思えるかも知れないけれど、どうもこれは「事実らしい」って報告がある。冷凍庫にお湯と水を入れて比較してみると、お湯の方が早く凍るらしいのだ。1963年にタンザニアの中学生!であるムベンバ氏が「発見」し、69年に研究報告をまとめたそうな。実のところ、「理屈はともかく、実験してみるとそうなることが多い」って現象のようだ。
なんでこんなネタを?と聞かれれば、某国営放送が某番組でこの話を採り上げてガッテンして、それを都の西北にある大学の、ゴルフ好きの某教授が自分のブログで批判したからである。つーわけで、私も便乗して色々語ってみようかと。
まず、この現象について「本当なのか?」という疑問が湧く。これについては、非公式の実験は山のように行われ、そのうちかなりの例が成功しているようだ…って話を出しておこう。ハヤカワ文庫NFにあった、米国の「身近な科学的疑問にお答えする」ってラジオ番組をまとめた本(第一弾の「つかぬことをうかがいますが…」だったかな?)にも紹介され、「不思議だけど実際そうなった」ってな報告がいくつか紹介されている。実は結構有名だと思っていたんだけど。
ただ、「何故そうなるのか」って理屈はよくわかってない。諸説あるんだけど、どれが正しいのかさっぱりわかっていないんだそうな。ただ、これは考えてみれば当然である。こういう「一般家庭などで起きる現象」ってのは、単純に見えても様々な要因が絡んだ、複雑な事象であることが多い。そこから「この現象が起きるのは、これこれこういう理由です」なんて原因を探ろうと思ったら、結構大変ではないかな。しかも、正直手間の割には「だからどーした」で片付けられそうな話だし。いくら科学者でも、ゼニにも名誉にもなりにくい「研究」はあまりやりたがらないからねえ。
それにだ。実を言えば、「水が凍る」って現象は、「専門家は知っているけど、一般にはあまり知られてない」部分が山ほど存在する。たとえばだ。水から氷、氷から水って変化に必要な熱量は、同じ量の水を0℃から80℃!に変化させるのに必要な熱量と同程度なんだとか。ということはだ。この部分に必要なエネルギーを「効率良く取り除く」ことができるのなら、水よりお湯の方が凍りやすくても別段不思議ってワケではない。「トータルで2倍程度のエネルギー効率」なら、ちょっとした工夫で達成できなくもないからね。おかしいなあ。こんなことは某教授は知っていそうなモノなのに。まさかと思うけど、熱力学にはあまり詳しくないのか?
さて、私の知っている「ムベンバ現象が発生する理屈」を述べてみよう。どれがホントか嘘かはわからないし、そもそもこの中に正解があるとは限らない。ただ、それを承知の上なら紹介してもいいんじゃないかなあ。
まず考えられるのは、「冷蔵庫のパワーが上がるから」ってもの。「冷蔵庫のサーモスタットが刺激されて温度をより下げるようにするので、結果として冷蔵庫がよりパワーを出すから」ってのが代表例。ただ、これだけでは「水とお湯を同じ冷蔵庫に入れても、先に凍るのはお湯だった方」って説明にはならない。とはいえ、何らかの理屈で「局所的にパワーが上がりやすくなるのでは」って可能性はある。「冷凍庫の表面にある細かい霜が溶けるので、より熱が伝わりやすくなるのが原因ではないか」って提唱もあった。
対流に理屈を求めたものもある。お湯の方が水より「周囲との温度差が激しい」のはわかるでしょ。その結果、対流の勢いが増しそうなものである。これが結果として「早く凍るほど冷えやすくなる」理由ではないかってもの。水は実は熱伝導率が極めて低い物質なので、この理屈は有力なのかもね。
空気の対流が理由なのでは…って説もある。お湯は当然温かいから、その周囲の空気も暖かくなる。その結果空気が対流を起こし、結果として冷たい空気がより当たりやすくなるのでは…ってものだ。
水は温めると溶けている空気が抜ける。これ自体は良く知られた現象だ。これが原因では…って提唱もある。一般に水の中に細かい不純物(要はゴミ)が含まれているほど凍りやすい…ってのは良く知られた話らしいけど、水に含まれた空気はどちらに作用するのか、キチンとした研究が行われたって話は(少なくとも私は)聞いてない。空気が多く含まれてると凍りにくいのかも…って意見は、ある程度説得力があるような。
国営放送は、「気化熱が原因では?」って説を紹介していたようだ。水(お湯含む)は、蒸発する際に周囲から熱を奪う。お湯は気化しやすいので、温度が下がった際にも「気化しやすい状態が続く」のかもしれない。その結果温度がガクンと落ち…って説だね。
分子構造の変化…って説については、正直何とも言い難い。某教授は「分子構造の変化なんて、ものすげーエネルギーが必要なはず」などと言っていたけど、そりゃー間違いである。核反応じゃあるまいし、「分子間の構造」を変化させるだけなら、必ずしも大量のエネルギーを投入する必要はない。だってそうでしょうが。氷と水と水蒸気は「同じモノ」だけど、分子間構造が一緒だとでも?同じだと言いたいのなら、どうして固体と液体と気体って違いがあるんでしょ?黒鉛からダイヤモンド(どちらも炭素)作るのが大変だからって、全てそうとは限らない。ただまあ、「水とお湯のビミョーな分子構造の違いがムベンバ現象の理由である」かどうかは、私の知識では何とも…
残念ながら、私の知識はココまでである。自分で実験したことないからね(苦笑)。ただまあ、自分で実験したところで、これ以上のことはわからないでしょ。私に原因究明に繋がるような、本格的な実験が出来るとは思えないし。ただまあ、国営放送には私よりはマシな実験行うだけの財力と設備があるはず。よって、徹底追試してもらいたいね。少なくとも、冷凍庫にサーモグラフ付きカメラブチ込んで、水とお湯がどのように「冷える」のか観察する…って実験は出来るはずだ。これやるだけでもかなり違うと思うんだけど。他にも、「人が入れるほど巨大な冷凍庫でも同様の結果が出るのか?」「エアレーションして空気を多めに含ませた水と多少空気が抜けてる湯冷ましでは、どちらが早く凍るか?」「液体窒素などを使って超急速冷凍した場合、どんな結果が出るのか?」などなど、この現象の解明のため「やってみる価値がある」実験はあるような。なお、最後の実験はおそらくかなり危険なので、実行する場合は注意して下さい。
なお、この現象、現状では「ある冷蔵庫にある成分(不純物などは含まれていると考えた方がいい)の水を入れ、比較的急速に冷凍した場合、水よりお湯の方が早く凍る場合が多い」としか言いようがない。よって、「ほとんど変わらない」「水の方が早く凍った」という実験結果が得られる可能性もある。更に、凍るのが早いからって「氷を作るために必要な電気代が節約できている」保障はゼロ…どころか、「サーモスタットが無意味に刺激され、電力を無駄遣いしている」可能性は高まる。この現象が起きる理由とは無関係にだ。よって、「理屈を解明してイグノーベル賞を受賞するのだ!」という野望(ムベンバ氏が受賞してないのは、むしろ不思議だ)があるのならともかく、地球環境と電気代を考えたら、とりあえず実行はオススメしません。電気を大切にね!
7月29日 ― 2008/07/30 00:57
科学ネタ第二弾。ネタは「宇宙人問題」。私も「鼻から牛乳」状態に陥ったからなあ…まあ、とりあえずは「ここの科学ネタ」らしくお届けできればと。
「米政府は宇宙人に関する情報を隠している!」という主張自体は、珍しいモノではない。またか、はいはい…で片付ければいい話だ。問題は、発言主がアポロ14号の宇宙飛行士だってコト。こういう立場の人間がこんなコト言った以上、ココで検証する価値があると判断した。
この発言の信憑性をどう考えるべきなのか…うーん、正直難しい。だって、アポロ宇宙船の宇宙飛行士だよ?「ライト・スタッフ」の頂点とも言うべき存在だよ?しかも、ご丁寧に米国の宇宙飛行士。米国の宇宙飛行士はソビエト・ロシアの宇宙飛行士と比べ、「宇宙飛行士の資質をより重視する」傾向がある。そんな人物の発言だ。悪質なデマや冗談を語るような人物ではないと思う。
ただ、だからってあの発言を信じるワケにはいかない。未確認飛行物体が存在していること、「宇宙人」が存在していることと、「宇宙人がUFOで地球に来ていて、米国政府がソレを隠蔽している」ことを信じるのは、全然話が違うのだ。たとえ誰がそう主張しても、私は信じない。色んな意味で「ありそうもない」ことだから。
何故「ありそうもない」ことなのかは、色んなところで色んな説明がされている。よって、ここでは「私なりにひねった」理由を紹介しておこう。米国政府と言えども、宇宙人の存在を隠蔽できるとは思えないからだ。「真面目な意図で」宇宙を覗いている連中を誤魔化せるとは、とても思えないんですけど。それに、英国政府に隠しておけるとでも?英国政府は絶対大真面目に発表する。政府関係者の公金横領や王室のスキャンダルは隠蔽しても、宇宙人の存在は隠蔽しない。それが大英帝国気質ってモノである(笑)。
私が「鼻から牛乳」状態に陥ったのは、アポロ宇宙飛行士という存在が「こんな馬鹿げた話を信じているらしい」という事実に対してである。うーむ…宇宙に行った人間は、その影響でエキセントリックな人間になることがある…って話は聞いていたけど、その一環なんだろうか?
まあ、ありがちな話としては「何らかの詐欺に遭って騙されている」ってことじゃないかな。詐欺話に「まさか」って人がコロッと引っかかっている…って話は有名だからね。米国政府で当時それなりの地位にあった「米国政府が宇宙人情報を隠蔽していると信じている」奴が、NASAからそれに関する情報を引き出そうとして「もっともらしい話を語ってみた」のではないかと。
しかしまあ、「米国政府が宇宙人に関する情報を隠蔽している」って妄想は、かなり根強いんだなと改めて確認させられた。私のような人間にとっては、この妄想が何故こうも根強いのか、ソッチの方が気になる。そこでまあ、これについて少し語ってみたい。
世の中には、「宇宙人は実在して、私を襲った」という確信を持っている人間が実在している。この妄想に取り組んだ本を以前紹介したはずだ。この妄想を持った奴は世界中にいるはずだけど、中心となると米国になるようだ。よって、この妄想に取り憑かれた人間が「宇宙人はいる。だって私を襲ったから。なのに、政府は何で宇宙人について何も語らない?」という疑問を持ち、結論として「政府が隠蔽しているのだ」という結論に達するのはわかる。こういう連中にとっては、「宇宙人が地球に来ているわけが無い」という意見は受け入れ不能なのだ。であれば、他にどんな結論を出せと?
しかし、これだけじゃあ説明が付かないのも事実。「宇宙人に襲われた」って妄想は、さすがにソコまでありふれたモノではないようだから。日本の事情を考えてみると良い。私の仮説に従えば、米国では「宇宙人に襲われた」という妄想のキッカケとなる現象は、日本だと「幽霊・妖怪との遭遇」という妄想として扱われるのでは…となる。全部が全部妄想なのかについては、あえて判断しないけど。実際、「幽霊を見た」「霊感がある」と主張する人間ってのは、それなりにいたりする。にもかかわらず、「日本政府は幽霊の存在を隠蔽している!」って主張する奴の話は聞かない。
いわゆる「TVなどのマスコミの影響」は当然あると思われる。ただ、これもまた説明不足だ。作り話として「米国政府が宇宙人の存在を…」なんて話がある、それはいい。創り手が「面白い話を創る」ため、色々アイデア絞ったってだけの話だ。問題は、それが「ある程度以上ウケ、主要テーマになりうるほどの説得力を持っている」ところにある。「日本政府が悪い妖怪と手を結んでいる」って話は、作品の主要テーマにはなっていない(水木しげるの作品にそんな話はあったと思ったけど)のだ。おそらく説得力がない。「幽霊・妖怪ってのは、そういうモノじゃない」って意識が我々にあるからだろう。なのに、宇宙人はそうじゃない。コレは何故?
私なりの仮説を述べれば、1つには「米国人の、お上に対する根強い不信」が影響しているのでは…となる。米国で銃規制がちっとも進まない理由の1つがコレだと思われる。この不信は、我々日本人が「政治家なんて…」と文句を言う場合とは別物だろう。日本人の政治家に対する愚痴というのは、「こちらはお上に従うしかないんだから、もっと俺達のこと考えてくれ」といったニュアンスが強い。おそらくは欧州でもこういうニュアンスが強いのでは。しかし、米国は違う。「政府とは、得体の知れぬ敵みたいなモノ」ってニュアンスがあるんじゃないかなあ。
この不信感は、いわゆる「国に対する不信感」ではない。米国人の「愛国心信仰」は強い。ただ、米国人の愛国心ってのは、「自分が属しているコミュニティ」に対する愛であって、政府は「共に米国を支えている存在…のはずなんだけど、生意気なことばかり言っている連中」って意識があるんじゃないかなあ。そう考えなければ、「強盗が武装して襲ってくるかも知れないのに、銃を捨てられるか!」って発想にはならないのでは。日本人にこう言ったら、間違いなく「それを取り締まるのが警察(お上である)の仕事でしょ」となるわけで。
この手の「政府に対する不信感」ってのは、欧州や日本にもある。「陰謀史観」ってのは、これが根源にあるのは間違いないからね。それが極端に歪んだのが「米国政府は宇宙人情報を隠している!」って話になるのでは。その証拠?ってわけではないけど、そんなアホなことしてると非難されてる政府ってのは、米国しかない。英国政府がこっそり隠しているとか、仏国では…とか、悪の共催主義国が…って話は聞いたことがない。これは米国人特有の妄想が、ハリウッドの影響力の関係で全世界にばらまかれているから…って推測は可能ではないかと。
「宇宙人が地球に来てる?なんて馬鹿馬鹿しい」と思うのは簡単である。ただ、「何故コイツはそんなヨタ話を信じているのか?」を分析するのは、大切とは言わないけれど面白かったりする。まあ、細かい学術的な分析は他人に任せるとして、私としては「そーゆーものなんだよ」ってコトを紹介すればいいかなと。
しかし…よりによってアポロの宇宙飛行士がねえ…こんなコト言い出すような人間を月に送るなんて、NASAの考える「宇宙飛行士の資格」はどーなっているんだか。やはり、これは何かの陰謀じゃないのか?いや、きっとそうだ。これは「国民の目を宇宙人騒動にそらして、その隙にサブプライム問題を責任うやむやのまま解決しちまおう」という高度な情報戦略に…(以下略)。
7月30日 ― 2008/07/31 04:34
関西遠征関連話題の最終回として、プランサンセット4号に掲載された「古角博昭インタビュー」に対するツッコミをお届けしたい。何でこんな記事が…って方向じゃなく、ここで語られている内容について。かなり挑発的な内容なので、黙っているのはもったいないからねえ。
まず最初に「あえて声を大にして言いたい」ことを。『ルールブックの明確な書き方や記述不足の発見』を指摘する方法を『詳しいことは企業秘密なので言えませんけど。』で片付けるのは、正直どうかと。同じ雑誌に載っている私の記事の主張は、「そういうものをまとめて、どっかで公開すべきでは」って主張を含んでいるモノなので、この点については真っ向から対立する主張となっている。
まあ、言われてみれば確かに、「そんなことはデザインサイドの一部の人間(デザイナーそのものより、デベロッパーやルールライター)が知っていればいいことであり、公開するメリットは小さい」のかもしれない。そう言われてしまうと、正直グウの音も出ない。ただ、私は「ゲーム業界全体を考えた場合、ルールブックの曖昧さは何とかすべきであり、ここを改善できれば業界全体として多少は発展性が見込める」と思っているので、できれば公開してもらいたいですね。少なくとも、本日のネタがそういう方向へのプレッシャーになれば幸いかなと。
ただ、向こうは「私がそう言うのはわかっている」ことじゃないかな。でなけりゃ、いくら穴埋めっぽいとはいえ「私の、よりによってあの日のネタ」を同じ雑誌に転載しないでしょ。うーむ、なんか「仏様の手のひらであがく孫悟空」みたいな気分だ…
まあ、この件に関しては「立場の違い」もあると思われるので、とりあえず「意見表明はしたぞ」ってところで終わりにしたい。うかつなこと書くと、「お前が中心にそう言うモノをまとめて公開すればいいだけの話」ってなりかねないから(苦笑)。私にはそうするだけの能力も権威もないので、「公開すべきだ!」なんて無理強いは出来ないからね。後はゲーム界全体がどういう動きを見せるか次第でしょ。
これに続く部分として語られている『ウォーゲームのエラッタが減らないという問題はどうお考えですか?』という問いに対して、『まずは初版をユーザーの皆さんに遊んでいただいて、その意見を吸い上げて改訂を繰り返す方法が最も有効でしょう。』といった回答をしている部分については、「悠長だなあ」としか言いようがない。
この点については、実は私も似たような意見を持っている。他に対処方法があるとは思えないし、それだけの価値があるモノなのだと。ただ、こう考えているのはむしろ少数派じゃない?つまらんエラーの存在を理由に「プレイ不能だ」「駄作だ」などと決めつけられ、忘れ去られた作品がどれだけあるのかと。初版の評価が一定以上にならなければ、第二版なんて出るわけがない。「本質を見ようとしないゲーマーが悪い」という議論はさておき、「本質をわかってもらえるよう、メーカー側がもっと努力すべき」ではないかなあ。
実を言えば、私は「本質をわかってもらうためには、一般ユーザーのルール修復能力を向上させるべきでは」と思っている。やや過激な発想だけどね。つまらないエラーは、ユーザー自身が「ここはこういう風に直せばいいんだな」と判断できるようにする。つまらない誤字脱字があっても大意は読み取れるように、つまらないエラー(消しても消しても発見されるんだよ)はユーザーが勝手に直せるようにする。この時、訂正方法が一致してないと「バラバラのルールでプレイされちゃう」という問題が生じるけど、そうなりにくいように「ゲームルールの常識を厳密に定義して、どっかで公開する」ってのが、私の主張だったりするんだな。「まず遊んでもらわなきゃ、第二版なんて出せっこない」ことを考えれば、これぐらいやってもいいんじゃないかと。ただ、先に述べたように、これは「単なる私個人の意見」の域を出ないわけだけど。
悠長と言えば、一番悠長だと思うのは、『20年くらいしたら、またブームがやってきますから。』って発言じゃないかなあ。何を根拠に。いや、実は言いたいことはわかる。それぐらい経てば、ゲーマーのうちかなりの割合が「定年退職」すると想定される。つまり、ヒマになるわけだ。この年代になれば、いわゆる「家庭ZOC」もある程度弱まるだろう。そうなればプレイ頻度が増えて「ブーム再来」となるのでは。この予想がこの発言の下地になっているってのは、私にもわかる。
問題は、この図式には「疑う余地のある前提条件」が2つあることだ。それは何か?1つは「今のゲーマーがその年代になってもゲーマーであり続ける」だ。これは…うーん、私は実は結構厳しい見積もりをしている。確かに、ちょっと前の「ちょっとしたブーム」を支えたのは「出戻り組」であり、この時点で戻ってきた以上、ヒマが増えたら再度戻ってくると期待して良いのかも知れない。
でもねえ。実は「本当の意味での出戻り組」ってのは、案外少ないんじゃないかと思うんだな。プレイする機会が無かっただけで、ゲーマーであり続けた奴が「プレイできる場所」に顔を出すようになっただけじゃないかと。つまり、表面上は「出戻り」でも、実質は「そもそも離れてない」のでは…ってことだね。実際、私がそうだ。プレイ機会が激減した時期はあったけど、私が「ゲーマーじゃなくなった」時はない。
この業界、「冬の時代」があったのは事実であり、その時期を乗り越えてもゲーマーであり続けた奴はずっとゲーマーだろう…と推測することは出来る。ただ、それは「適切なる刺激が与えられれば」じゃないかなあ。興味深い新作ゲームが出たと「知る」とか、対戦相手が見つかるとか。こういうモノがないと、やはり脱落してゆく奴は出るんじゃないかな。そして、二度と戻ってこない。
問題は、いわゆる「冬の時代」と今ではかなーり環境が異なる点にある。冬の時代当時はインターネット黎明期であり、新作ゲームの話題や対戦相手に関する情報を探し出すのは簡単なことではなかった。しかし、今は違う。紙媒体である雑誌に頼らなくても、この手の情報を得るのはさほど難しくない。にもかかわらずゲーマーじゃなくなった奴は、二度と戻ってこない奴が中心になるのでは…って推測が成り立つような気がするんだな。
もう1つの「前提条件」は、「その頃のゲーマーに、業界を再活性化できるだけの活力がある」だ。定年退職したジジイしかいないってことだからね。まあ、この頃のジジイはまだまだ元気なことが多いから、いわゆる「年齢から来る体力的な衰え」は気にしなくていいと思う。問題は気力の方でしょ。こちらも衰えないのが普通…と言いたいけれど、そもそもの気力が低ければ、「まだ衰えてない」程度じゃ駄目でしょ。
どんな業界もそうだと思うけど、この業界も「与えられるのを待っているだけの、受け身な奴」ばかりである。これは当たり前の話であり、別に問題ではない。ただ、そういう奴ばかりではうまく回っていかないのも事実。極端な話を言えば、「あえて人柱になる覚悟のある馬鹿」が必要なのだ。どんな業界も、一定の割合でそんな奴がいるからこそ回っている。
そういう馬鹿英雄は、当然ゲーム業界にも一定割合存在するはずだ。しかし、層が薄いこの世界において、「必要なだけの絶対数」が確保できるか?うーん…とりあえず、私は数に入れないで下さい。覚悟だけじゃなくて能力も必要だからね。そもそも、定年退職するような年齢の人間に、「新たにキツいこと始める」気力があるのだろうか。この業界が冬の時代を脱した理由の1つに、「主流となる年代のゲーマーが、そういうコトが可能なだけの能力が身についたから」ということがあるんじゃないかと思っているので、その能力が(まだ若い今に比べれば)低下する20年後に再度ブームが起こせるかなあ。
確かに、20年後にはブームの下地が整う。それは事実だ。しかし、それに甘んじていては「下地はあるんだけど」で終わってしまう。よって、今現在「その下地を活かせる」だけの何かを整える必要があるのでは…ってのが、私の意見かな。多少縮小してでも「今現在の火を灯し続ける」べきなのか、それとも「20年後に定年退職していない新規参入者」を探すのか…といった方法論はさておき。
もっとも、じゃあどうするんだ…という具体策が伴わない私では、吼えるだけ無駄なんだけどね。正直言って、私は自分が20年後もゲーマーであり続けられるのか、自信がない。自分の性格その他から言って「ゲーマーであり続けている確率は高い」と思うけど、止めている可能性は無視できない程度にデッカイからね。私に出来ることは、とにかく「自分がゲーマーであり続けられるよう、頑張ってみる」ことじゃないかなあ。それ以上の貢献ができればそれに越したことはないし、そうすべく努力している最中ではある(このブログの存在と商業誌掲載へのチャレンジ)ではあるけど、一番大切なのはコレじゃないかと。
つーわけで、今現最前線で戦っている古角殿には、もう少し強い危機感を持ってもらいたいかなと。貴方がゲーム出版から手を引くような状態になったら、それは「誰もかもがこの業界でそんなことをやろうと思わなくなる」ような状態だってのと同義語ですよ?貴方の後ろに予備なんていません。突破されたら、ベルリンまで走られます。その程度の戦力しか持ってないんですよ我々は。私?おそらくとっくの昔に逃げ出しているんじゃないかなあ(苦笑)。
最近のコメント