7月30日2008/07/31 04:34

 関西遠征関連話題の最終回として、プランサンセット4号に掲載された「古角博昭インタビュー」に対するツッコミをお届けしたい。何でこんな記事が…って方向じゃなく、ここで語られている内容について。かなり挑発的な内容なので、黙っているのはもったいないからねえ。
 
 まず最初に「あえて声を大にして言いたい」ことを。『ルールブックの明確な書き方や記述不足の発見』を指摘する方法を『詳しいことは企業秘密なので言えませんけど。』で片付けるのは、正直どうかと。同じ雑誌に載っている私の記事の主張は、「そういうものをまとめて、どっかで公開すべきでは」って主張を含んでいるモノなので、この点については真っ向から対立する主張となっている。
 
 まあ、言われてみれば確かに、「そんなことはデザインサイドの一部の人間(デザイナーそのものより、デベロッパーやルールライター)が知っていればいいことであり、公開するメリットは小さい」のかもしれない。そう言われてしまうと、正直グウの音も出ない。ただ、私は「ゲーム業界全体を考えた場合、ルールブックの曖昧さは何とかすべきであり、ここを改善できれば業界全体として多少は発展性が見込める」と思っているので、できれば公開してもらいたいですね。少なくとも、本日のネタがそういう方向へのプレッシャーになれば幸いかなと。
 
 ただ、向こうは「私がそう言うのはわかっている」ことじゃないかな。でなけりゃ、いくら穴埋めっぽいとはいえ「私の、よりによってあの日のネタ」を同じ雑誌に転載しないでしょ。うーむ、なんか「仏様の手のひらであがく孫悟空」みたいな気分だ…
 
 まあ、この件に関しては「立場の違い」もあると思われるので、とりあえず「意見表明はしたぞ」ってところで終わりにしたい。うかつなこと書くと、「お前が中心にそう言うモノをまとめて公開すればいいだけの話」ってなりかねないから(苦笑)。私にはそうするだけの能力も権威もないので、「公開すべきだ!」なんて無理強いは出来ないからね。後はゲーム界全体がどういう動きを見せるか次第でしょ。
 
 これに続く部分として語られている『ウォーゲームのエラッタが減らないという問題はどうお考えですか?』という問いに対して、『まずは初版をユーザーの皆さんに遊んでいただいて、その意見を吸い上げて改訂を繰り返す方法が最も有効でしょう。』といった回答をしている部分については、「悠長だなあ」としか言いようがない。
 
 この点については、実は私も似たような意見を持っている。他に対処方法があるとは思えないし、それだけの価値があるモノなのだと。ただ、こう考えているのはむしろ少数派じゃない?つまらんエラーの存在を理由に「プレイ不能だ」「駄作だ」などと決めつけられ、忘れ去られた作品がどれだけあるのかと。初版の評価が一定以上にならなければ、第二版なんて出るわけがない。「本質を見ようとしないゲーマーが悪い」という議論はさておき、「本質をわかってもらえるよう、メーカー側がもっと努力すべき」ではないかなあ。
 
 実を言えば、私は「本質をわかってもらうためには、一般ユーザーのルール修復能力を向上させるべきでは」と思っている。やや過激な発想だけどね。つまらないエラーは、ユーザー自身が「ここはこういう風に直せばいいんだな」と判断できるようにする。つまらない誤字脱字があっても大意は読み取れるように、つまらないエラー(消しても消しても発見されるんだよ)はユーザーが勝手に直せるようにする。この時、訂正方法が一致してないと「バラバラのルールでプレイされちゃう」という問題が生じるけど、そうなりにくいように「ゲームルールの常識を厳密に定義して、どっかで公開する」ってのが、私の主張だったりするんだな。「まず遊んでもらわなきゃ、第二版なんて出せっこない」ことを考えれば、これぐらいやってもいいんじゃないかと。ただ、先に述べたように、これは「単なる私個人の意見」の域を出ないわけだけど。
 
 悠長と言えば、一番悠長だと思うのは、『20年くらいしたら、またブームがやってきますから。』って発言じゃないかなあ。何を根拠に。いや、実は言いたいことはわかる。それぐらい経てば、ゲーマーのうちかなりの割合が「定年退職」すると想定される。つまり、ヒマになるわけだ。この年代になれば、いわゆる「家庭ZOC」もある程度弱まるだろう。そうなればプレイ頻度が増えて「ブーム再来」となるのでは。この予想がこの発言の下地になっているってのは、私にもわかる。
 
 問題は、この図式には「疑う余地のある前提条件」が2つあることだ。それは何か?1つは「今のゲーマーがその年代になってもゲーマーであり続ける」だ。これは…うーん、私は実は結構厳しい見積もりをしている。確かに、ちょっと前の「ちょっとしたブーム」を支えたのは「出戻り組」であり、この時点で戻ってきた以上、ヒマが増えたら再度戻ってくると期待して良いのかも知れない。
 
 でもねえ。実は「本当の意味での出戻り組」ってのは、案外少ないんじゃないかと思うんだな。プレイする機会が無かっただけで、ゲーマーであり続けた奴が「プレイできる場所」に顔を出すようになっただけじゃないかと。つまり、表面上は「出戻り」でも、実質は「そもそも離れてない」のでは…ってことだね。実際、私がそうだ。プレイ機会が激減した時期はあったけど、私が「ゲーマーじゃなくなった」時はない。
 
 この業界、「冬の時代」があったのは事実であり、その時期を乗り越えてもゲーマーであり続けた奴はずっとゲーマーだろう…と推測することは出来る。ただ、それは「適切なる刺激が与えられれば」じゃないかなあ。興味深い新作ゲームが出たと「知る」とか、対戦相手が見つかるとか。こういうモノがないと、やはり脱落してゆく奴は出るんじゃないかな。そして、二度と戻ってこない。
 
 問題は、いわゆる「冬の時代」と今ではかなーり環境が異なる点にある。冬の時代当時はインターネット黎明期であり、新作ゲームの話題や対戦相手に関する情報を探し出すのは簡単なことではなかった。しかし、今は違う。紙媒体である雑誌に頼らなくても、この手の情報を得るのはさほど難しくない。にもかかわらずゲーマーじゃなくなった奴は、二度と戻ってこない奴が中心になるのでは…って推測が成り立つような気がするんだな。
 
 もう1つの「前提条件」は、「その頃のゲーマーに、業界を再活性化できるだけの活力がある」だ。定年退職したジジイしかいないってことだからね。まあ、この頃のジジイはまだまだ元気なことが多いから、いわゆる「年齢から来る体力的な衰え」は気にしなくていいと思う。問題は気力の方でしょ。こちらも衰えないのが普通…と言いたいけれど、そもそもの気力が低ければ、「まだ衰えてない」程度じゃ駄目でしょ。
 
 どんな業界もそうだと思うけど、この業界も「与えられるのを待っているだけの、受け身な奴」ばかりである。これは当たり前の話であり、別に問題ではない。ただ、そういう奴ばかりではうまく回っていかないのも事実。極端な話を言えば、「あえて人柱になる覚悟のある馬鹿」が必要なのだ。どんな業界も、一定の割合でそんな奴がいるからこそ回っている。
 
 そういう馬鹿英雄は、当然ゲーム業界にも一定割合存在するはずだ。しかし、層が薄いこの世界において、「必要なだけの絶対数」が確保できるか?うーん…とりあえず、私は数に入れないで下さい。覚悟だけじゃなくて能力も必要だからね。そもそも、定年退職するような年齢の人間に、「新たにキツいこと始める」気力があるのだろうか。この業界が冬の時代を脱した理由の1つに、「主流となる年代のゲーマーが、そういうコトが可能なだけの能力が身についたから」ということがあるんじゃないかと思っているので、その能力が(まだ若い今に比べれば)低下する20年後に再度ブームが起こせるかなあ。
 
 確かに、20年後にはブームの下地が整う。それは事実だ。しかし、それに甘んじていては「下地はあるんだけど」で終わってしまう。よって、今現在「その下地を活かせる」だけの何かを整える必要があるのでは…ってのが、私の意見かな。多少縮小してでも「今現在の火を灯し続ける」べきなのか、それとも「20年後に定年退職していない新規参入者」を探すのか…といった方法論はさておき。
 
 もっとも、じゃあどうするんだ…という具体策が伴わない私では、吼えるだけ無駄なんだけどね。正直言って、私は自分が20年後もゲーマーであり続けられるのか、自信がない。自分の性格その他から言って「ゲーマーであり続けている確率は高い」と思うけど、止めている可能性は無視できない程度にデッカイからね。私に出来ることは、とにかく「自分がゲーマーであり続けられるよう、頑張ってみる」ことじゃないかなあ。それ以上の貢献ができればそれに越したことはないし、そうすべく努力している最中ではある(このブログの存在と商業誌掲載へのチャレンジ)ではあるけど、一番大切なのはコレじゃないかと。
 
 つーわけで、今現最前線で戦っている古角殿には、もう少し強い危機感を持ってもらいたいかなと。貴方がゲーム出版から手を引くような状態になったら、それは「誰もかもがこの業界でそんなことをやろうと思わなくなる」ような状態だってのと同義語ですよ?貴方の後ろに予備なんていません。突破されたら、ベルリンまで走られます。その程度の戦力しか持ってないんですよ我々は。私?おそらくとっくの昔に逃げ出しているんじゃないかなあ(苦笑)。