6月30日 ― 2008/07/01 03:01
魔物は、人が油断している隙を狙って襲ってくる。わかっちゃいたつもりだけど…どうしよう。正直、すごく困ってしまったんですけど。
日曜は宝塚記念。お目当ては「私を凱旋門賞に連れて行ってくれる」はずのメイショウサムソン…と言うよりは、ロックドゥカンプ。何故かって?そりゃあもう、この馬がキングジョージに登録してたから。
何度も何度も主張していることだけど、私は「日本馬がキングジョージに出走している時は、自分もソコにいるべきだ」と主張している。出走する以上、勝っちゃう可能性があるんだから。「日本馬初のキングジョージ制覇!」なんてコトが起きたにもかかわらず、自分がアスコットで馬券買ってないなんて事態は許せない。
でもまあ、今年は凱旋門賞行きたいよねえ…と思っていた。英国が悪いってワケじゃないけれど、何故か「サイフから使っちゃイケナイ金が消える」んだよね(苦笑)。パリもまた行ってみたいし。何より、パリの方が確実に飯が美味い。「高速鉄道TGV堪能しつつ、チューリッヒへ行っておチョコ様(すげー美味い)買ってこようかな」なんてアホな計画まで立てていた。
それでもだ。キングジョージ出走は話が別である。これはもう、どーしよーもない。私はあそこに忘れてきた、大事なモノを取り返しに行く必要がある。つーか、カネ返せ(笑)。「アスコットの魔物」にリベンジする日が来るまで、私はチャレンジし続ける義務があるのだ!これはもう理屈じゃない。
そんなわけでWINSに出かけたわけだけど…正直、「まあ、かなりの確率で出走しないだろうな」とは思っていた。ロックドゥカンプが弱いから…ではない。「宝塚記念で好走しタラ、1着になレバ」って遠征は、結局遠征行かないってことになりがちなので。正直言って、この手のタラレバを言ってる時点で「心が弱い」。そうじゃないんだよ。もう最初っから「行く」って決めて、そこから逆算して物事決めないと。ロックドゥカンプは重賞勝っている馬なので、タラレバ抜きで「アスコット行くんだ!今回はそのための調整だ!」と公言しないと。それぐらいブッ飛んでないと、海外遠征なんてできないよ。まして勝つなんて。
宝塚記念の結果は、まあJRAのサイトでも見て下さい。メイショウサムソンは2着というビミョーな結果。ロックドゥカンプは…故障は流石に可哀想かな。でも、ここで故障するようでは、やはり「海外遠征のこと考えてないも同然」ではないかと。繰り返しになるけど、「宝塚記念は単なる調整台」と考えた仕上げをするのが、「海外で勝てるバカ調教師」の仕上げってものだと思うので。アスコットの魔物に取り憑かれると、「それが当たり前のことだ」って思えるから恐ろしい(苦笑)。
経緯はともあれ、ロックドゥカンプのキングジョージ遠征って話は消え去った。これでもう「私がキングジョージに行く必然性」は消え去ったわけだ。さーて、これで腰を据えて凱旋門賞遠征の計画を…と思っていたんですよ、私は。甘かった…
私はPOGをやっている。しかも、相当ヘンな。昨シーズンは海外競馬アリで、英・愛2000ギニー連覇した馬が仲間内から出た…って話は先日した。それはいい。問題は、私も海外馬持っているってトコロだ。一応マトモに選んだ馬もいるけど、かなりの数を「キングジョージ出走馬が欲しいから、英ダービー登録馬の中から選んでみました!」なんてオフザケ路線の馬が占めるけど。約1年前のダービー登録馬なんて、それこそ「馬主の妄想はデッカイ」ってだけだからねえ。
このオフザケ路線の馬の中に、一応「アタリ」がいた。チャンと英ダービーに出走したからねえ。ちなみに英ダービーは結果集計期間外だけど、だからどーした。そうじゃなくて、英ダービー勝ってキングジョージに出るような馬を「POGで指名していた」って称号が…なんて野望を抱いていたんだけど、結果はクソ負け。夢も希望もない2ケタ着順。ま、そんなものだよね世の中は…と思っていました。はい。
ところがだ。この馬、何を考えたか愛ダービーを勝ちやがった…日本時間日曜深夜(正確には月曜未明)に!コチラが「キングジョージに行く理由はなくなったな」などと油断している最中だ。くそう、アスコットの魔物は何考えているんだ!そんなにオレのサイフの中身をカラにしたいのかぁぁ!
しかもだ。このFrozen Fireって馬、すごーくビミョーな馬である。厩舎はトッチャンボーヤ(A P O'brien)。オヤジはよりによってモンジュー。本来、私にとって「敵役」である。そもそもだ。この馬を獲得した理由ってのが、「日本からオレの選んだ3歳馬がキングジョージに挑戦して、立ち塞がるのがこの馬」などという無茶な妄想の産物である。そりゃあ確かに、「トッチャンボーヤのところのモンジュー産駒を打ち破ってこそ、真の意味でのキングジョージ制覇である!」とは思うけどさあ。だからってPOGで指名するバカは私だけだろ。
ちなみに、実力もビミョー。英ダービーは惨敗。正直、「掲示板に引っかかれば御の字」だと思っていました。しかも、今回英ダービー馬で大本命のNew Aproachって馬は出走取り消しで不在。「相手弱かっただけじゃね?」って言われても、反論できない。仮にキングジョージに出走しても、そんなに人気にはならないんじゃないでしょーか。あ、あのー、こういう馬のために私は英国行くわけ?確かに、考えようによってはエアシャカールやハーツクライより「可能性がありそう」ではあるけど…
私自身、まだ事態が良く飲み込めていない。だってそーでしょーが!英ダービーをクソ負けした馬だよ?そんな馬が愛ダービー勝つなんて、普通考えない。皐月賞大惨敗した馬が巻き返すって方がまだ「期待が持てそう」な気がするくらいだ。でも、勝ってしまいました。こうなれば、次走はおそらくキングジョージ…現時点では断言できないけど、可能性はすごーく高い。
まあ、冷静に考えれば、Frozen Fireが凱旋門賞にいる可能性もかなり高い。だから、別に凱旋門賞でいい…って話はある。冷静になれるのならね。キングジョージってレースが絡む以上、私がドコまで冷静になれるのか、多いに疑問です。それに…確かに厩舎はトッチャンボーヤで親父は宿敵モンジュー。でもでも、東洋の片隅日本の、ごくごく限られた仲間内だけでの勝手な決めごとであっても、この馬は「オレの馬」なんだよ…それが、よりによってキングジョージに出走しそうなんだよ…
幸いにして?私はこの馬を良く知らない。当たり前だ。馬体写真を見たのは、今回が初めてだし。だから、おそらくこの馬が私の夢に出てきて「応援に来てくれよぉ~」などとヌカす心配はない。しかし…モンジューの夢は見そうだなあ。「アスコットに来ないだと?それのドコがお前の馬だって?」などと悪態をつくのならまだいい。「オレの血を引く馬がアスコットでどういう走りをするのか、お前は知ってるはずだ」って言われたら、どうしよう…モンジューとハリケーンランのスゴさは、脳裏に焼き付いているからなあ…産駒の全てがああだとは思わないけど、あの一族は憎たらしいほどスゴいんだよ…
実際どーするのかは、自分でも良くわからん。宿は前回泊まったところ(値段の割には悪くない)でいいとして、今から航空券手配できるのか?しかも今は燃料高いから、金額はすげー高そうだし…その他諸々、障害はデカイ。しかもだ。行ったら結局「使っちゃイケナイ金」突っ込むのを我慢できないのは確実。「そこは我慢しなきゃ」なんてのは、「アスコットの魔物」の怖ろしさ知らないから言えることなんだよ!それでFrozen Fireが勝ってくれればいいけど、負けたらどうなるのか…いやまあ、それはよーく知っているんだけどね(苦笑)。
しかしだなあ。私も心底ワケわからんことで悩んでいるよな。世界中の競馬ファンの中でも、こんな悩みを抱えるのは私だけじゃなかろーか。競馬バカなんてこの世には山ほどいて、総合的に見れば私より上って奴は少なくないハズなんだけど、それでも「ある1点に限って考えれば、私が一番バカ」ってことなんだろうな。いやあ、我ながらスゴいなあ。とりあえずはそーゆーコトにしておいて下さい。しっかし、ホントにどうしよう…まさか勝つとは思ってなかった…
7月3日 ― 2008/07/04 03:35
狂乱の?6月が去り、7月がやってきた。カ
レンダーの模様は完全に夏。これから暑くなるんだろうな。そうなると涼しい欧州に逃亡したくなるのが人情…とはいえ
…(以下略)。
諸般の事情から、本日は更新に失敗。ダビン
グ10について語ろうかと思ったんだけど、グダグダになったあげく、自分でも
何が言いたいのかわからなくなってしまった…うーむ。申し訳ない。
7月4日 ― 2008/07/05 04:26
コメント欄の「炎上」から約1週間が経過した。これだけ時間をおけば、関係各位も多少は落ち着いたのではないかと思われる。よって、私なりに「思うところ」を補足しておこうかと。
私が「炎上」だと定義しているのは、6月28日のネタに付けられたコメントのうち、最初の2つを除くモノである。炎上と呼ぶにはささやかなものだと思うけど、扱いを間違えると「全焼」する危険性が見受けられたのは事実。
正直言って、私としては片っ端からコメントつけたかった。子細に読むとツッコミどころ満載のものばかりで。ただ、これは典型的な「火に油」。私を置き去りにして行われているケンカ?に、私が首を突っ込んでどーする。たとえ直接はケンカと無関係な内容であっても、刺激することになるのは間違いない。双方頭に血が上っているような状態でこんなことやってしまっては、「ブログの管理人」として問題がある…と判断した。
そこでまあ、「ブログ管理者」って立場から、「全コメントに対し、管理者である私の返信コメント無し」という処置をとったわけだ。発言内容を無価値だとか反社会的だとか決めつけて削除することはしないけど、正直放置できるものでもないぞと。この処置が正しかったのかどうかはよくわからない。ただ、とりあえずここの「平和」は戻ったようだ。
もっとも、私としては「このブログが平穏無事かどうかより、熱い議論が交わされるのが望ましい」という気持ちが多少あるのも事実。その意味では、私にケンカふっかけてくるのは「歓迎はしないけど、迎撃する覚悟は出来ている」のだ。とはいえ、管理人である私を完全に置き去りにして話を進めまくるのは、ちょっとマナーが悪いのでは。コメントのコメントを禁止はしないけど、行儀の悪いことなので控えめにはしてもらいたいね。
とはいえ、私が何かしら「きっかけ」になったのはおそらく間違いない。最初のコメントのハンドルネームは「かつてあなたに散々言われた者」だからね。「普段からこの名前で通している」方かもしれないけれど、普通に考えればここに書き込むためのスペシャルネームでしょ。
このブログは私が好き勝手吼えているだけであり、別に社会的意義がどうこうってコトを考えているワケではない。批評・批判も遠慮無くやっているつもりだ。まあ、「社会人として当然」って程度の節度は保つよう努力している(成功してるかどうかは別にして)けど。私が「散々に言った」対象なんて、そう少なくはない。その意味では、反論が飛んでくることはある程度覚悟している。強いて言うなら、私がいつどういう趣旨で「散々言った」のか、きちんと特定してくれた方が有り難いけど、これはこちらから無理強いするような性質のモノでもない。
もっともだ。最初のコメントを読む限りでは、「とりあえず皮肉のスパイスは効きまくっている」ってだけで、私を強く非難しているとか、誹謗中傷しているとかいう内容ではない。このコメントに私ではない方からのコメントが入ったのは「ちょっと行儀が悪い」ことだと思われるけど、この時点で目くじら立てる性質のモノではないし、内容もまあ許容範囲…ってのが、とりあえずの私のジャッジである。
問題は、そこから「私を置き去りにしたコメントの応酬」が発生したことでしょ。これはさすがによろしくない。管理人としてどうこうと言うより、「第三者がこのコメントを見た場合、どう思うのか?」を考えたら、このようにジャッジするしかなかった。これはあくまで私個人の意見だけどね。論争の内容についての判断は、全く別である。
これは、ある意味ではこのブログ特有の判断なのかもしれない。ちょっと読めばわかると思うけど、このブログは「ゲーマー向けの」ブログではない。ゲーマーだけでなく、競馬マニアだの、ヲタクだのにも向けられたブログだ。よって、ここのコメントは「ゲームのことちっともわかんない」人間も目にする。じっくり読むかどうかはともかく。よって、管理人の私は「そういう人間が目にしたらどう思うか」を無視できない。「内容が細かくて理解できない」ってのはいい。人間誰しもそういうものは存在する。ここの目標が「ついて行けなくても、つい読んでしまう」ものだってのは、何度も書いているはず。しかし、「醜いケンカしている」ってのは、誰でもわかることだ。そこだけわかっちゃうのである。
ゲーム掲示板などでは、そこを見ているのは「ゲームのことに詳しい奴、ゲームの話題には原則としてついて行ける奴」だけである。そういう場所なら、ゲームのことについてケンカ同然の議論を展開するのも「愛嬌だ」で片付けられるかも知れない。けど、ここはそうじゃない。よって、「議論」なのか「ケンカ」なのか…ってジャッジは、多少厳しくなる。議論は当然OKだけど、どういうものが「議論」で、どういうものが「ケンカ」なのかって区別はちと厳しいよ…ってことだね。正直、そうしなきゃ「やって行けない」のだ。
そりゃあ私も至らぬトコロだらけの人間だ。ついアツくなって我を忘れて…って経験は多い。だから、本来ならば他人のことを言えるような立場ではない。でも、だからって私がココの管理責任者であり、他人を律する立場にあるのも事実である。至らぬ身を承知の上で、何かしら手を打つしかない。色々意見はあると思うけど、これが私の「総合的な」意見である。だから、先日「管理人として」コメント付けない宣言を出したのだ。
本日の話題は、「管理人」F男ではなく「素の」F男の発言である。本来ならば「炎上した」直後にこーゆーことを書くべきだったんだろうけど、当事者の頭に血が上ってる段階でグチャグチャ言うのは危険と判断し、少し時間をおいて書いてみたわけだ。つーわけで、本日の話題にはコメントありです。私に言いたいことがある方はどうぞ。ただし、ココのコメントは「皆に読まれる」んだってことは、多少意識して下さいね。
7月5日 ― 2008/07/06 04:12
とりあえず土・日のどちらかは不定期連載「私がゲーム雑誌に原稿を掲載するための道」を採り上げたいなと。ドコまで続くかわからない…どころか、おそらく来週途切れる(土日共に予定あり)んだけどね。
前回は、「とりあえず、コマンド誌に採用されることを前提としたレジュメを送るのが良い」という結論が出た。では、具体的にどんなものを送るべきなんだろ?これまた色々と考察してみたい。
まずはコマンド誌を詳細に眺めてみよう。何事につけ「敵を知り、己を知る」ことが第一だからね。すると、案外「連載」の割合が多いことに気がつく。可能ならば、最新81号の目次を参照してもらいたい。まず「特集」が来る。これは付録ゲーム関連記事なので、毎号何かしらこういう記事が来るのは確実。「連載の一種」とみなすことも可能だろう。これに続くのが「ゲーム関連情報」。ここに連載ではない記事として、「Red Storm over the Reich」のレビュー4頁と「7 Ages」ゲーム研究6頁がある。それと、別冊の「大祖国戦争」を紹介している3頁も「スポット枠」と見なせるかな。その代わり、ここにある「ゲーマーいちねんせい放浪記」は、事実上の連載。そして次に「連載」が来て、目次は終わる。この中では「Information」2頁はスポット枠に近い…って、よく見たら目次に間違い発見…
一応、発見してしまった「目次のミス」について語っておくかな。「発売直前『大祖国戦争』」が54頁からとなっているけど、これは51頁から。この記事と、すぐ後に来る「Fifth Blitzkrieg」仮想設定シナリオの2つで「Information」を形成しているので、「information」が51頁からってのはミスじゃない…けど、少しヘンかな。ま、誤字脱字レベルのミスだ。笑って誤魔化すべきでしょ。
閑話休題。コマンド誌81号は表紙から裏表紙まで含めて76頁あり、うちスポット枠は15頁程度。私は「印象よりスポット枠は少ないな」と感じた。まあ、これはある意味当然である。付録ゲーム関連記事の「特集」って、読んでいる分にはスポット枠っぽいからね。ただ、「コマンド誌にスポット枠で割り込めるのか?」って観点で見てみると、これも連載の一種と見なせるのだ。
この分析から、どんな情報を見出すことが出来るか?まず、「スポット枠で16頁以上確保するのは、ちと難しい」ってことだ。コマンド誌には不定期連載も数多くあるので、スポット枠自体は多少増減するかも知れない。でも、限界はある。まさかコマンド誌のスポット枠を独占しちゃうワケにはいかないでしょ。
ちょっと待て。私は16頁も原稿書けるのか?これに対する答えは「場合によっては」である。ネタによっては「16頁に収める方が難しい」ってことを忘れてはイケナイ。極端な話、「War in Europe」(SPI/HJ)だの「War in the Pacific」(SPI/HJ)だのといったゲームのリプレイを書こうなどと考えた場合、16頁なんてあっという間に消費するはずだ。これは極端な例…と言いたいところだけど、私に限ってはある程度深刻な問題である。
何で私には深刻なのかって?ちょっと考えてみて欲しい。私がコマンド誌にスポットで何か原稿を書く場合、「ヒトラー電撃戦」を題材に…って選択肢は有力だ。少なくともこのブログで色々吼えまくったんだし。ところがこのゲーム、ユニット数やマップの広さの割に「ビッグな」ゲームだ。ネタが欧州大戦で、しかもウリが「プレイヤーの自由度が高い」だからねえ。しっかりしたモノを書こう…と考えただけで、分量を抑える方が大変になるはず。しかも、以前このブログで、作戦もクソもない「ソ・フィン戦争」だけで長々と語った私が手がけるんだよ?16頁と言えども、「どうやって16頁に縮めるのか」が問題になる可能性はある。
それと、もう1つ。「コマンド誌に掲載を目指すのなら、むしろ連載を目指した方が早いのでは?」って問題もある。単純に頁数の割合だけ考えれば…って話だけど。私のような新人に連載持たせるなんて本来「あり得ない」レベルの話だけど、この世界の層の薄さを考えれば、無視できる話じゃない。竹槍で「米軍と戦え」って命令するよりは現実味があるわけで。
とまあ、「コマンド誌の台割りから見た、コマンド誌が欲しがっていそうな原稿とは」を分析してみたわけだけど、これだけじゃ意味がない。これらをふまえた上で「自分はどんな形で頁を確保できそうなのか?」を分析してみないと。敵だけ知って己を知らなきゃ、意味はないからね。
まず「連載を視野に入れた方が早い」って問題について。これについては、答えは明白。いくらコマンド誌が欲しがっていようとも、私の側で対応不能。「連載できないライターなんていらん」と言われようとも、無理なモノは無理だ。これにつては、あえて細かい説明を付けたい。
実を言えば、私は今現在「恵まれた立場にいる」ゲーマーだという自覚がある。毎月1度ぐらい対戦を楽しんでいるってだけで「うらやましい」と言われても不思議がない(そーゆー世界なんだよ)し、対戦相手のバリエーションも比較的豊富だ。この程度で恵まれていると言われても…って気がするのは確かだけど、平均的ゲーマーが「仕事と家族サービスをかいくぐってゲームしようとしているんだけど、対戦相手とスケジュールが合うとは限らないのが悩み」だってコトを考えれば…それを考えれば、「その恵まれた立場を活かしてだなあ…」って意見も出るかもしれない。
もっとも、私が恵まれていると言っても、「世間一般のゲーマーから比べれば」ってだけで、「連載に対応できるレベルなのか」と聞かれれば、答えは否。仮に私が「馬券買わない」「同人誌即売会に行かない」「秋葉原でPCパーツ漁ったりしない」といった生活にシフトしたとしても、無茶がある。現状私の「ゲームに投入している時間」は連載に対応できるほどではないし、仮にそれだけ時間を確保したところで、周囲にかける迷惑などを考えれば、連載に対応できる環境ではない。みんな趣味でやっているのであって、仕事じゃないのだから。申し訳ないけど、私もそうだ。「ゲームと競馬、どっちが大事だ」なんて聞かれても困る。
もちろん、企画次第では連載を持つことも不可能ではないだろう。多少恵まれた環境にいるのは確かであり、それを活かしつつどうこう…ってな企画を考えることは、やりようによっては可能だろう。でも、現状私にそんなアイデアはない。コマンド編集部にもそんなアイデアはないはず。まあ、ア・バオア・クー攻略に来襲する連邦軍艦隊をソーラレイシステムで迎撃するがごとく、「ブログでグダグダ言ってやがるF男とやらが原稿書くなんて言って時のために」企画を練っているコマンド編集部ってものを想定することも可能だとは思う(ここがチェックされてる可能性は否定できないので)けど、連中そこまでヒマじゃないでしょ。真田さん(もちろん、「宇宙戦艦ヤマト」の)じゃあるまいし(笑)。
そりゃあ、単にスポットで原稿書いたからって、「ゲーム雑誌の絶望的な現状」に与えるインパクトは少ない。それを考えれば、連載も視野に入れる必要はあるだろう。ただ、現状それは色んな意味で無茶だ。私では知識も経験も、おそらく文才も熱意も足らない。「それでも誰かがやらないと…」ってことで人柱になる必要があるのかもしれないけれど、とりあえず私が考える「現状」は、さすがにソコまでヒドくはない。この点、「自分が原稿書かない限り、話が全く進まない」ブログや同人誌とは一緒に出来ないでしょ。
というわけで、「いきなり連載を持つ」は却下。当然の結論だけど、それをいちいちグダグダ語るのがココのスタイル。しかし、スポット枠が案外少ないっって壁が存在してるのも事実。これをどうするか?私が思うに、対応策は2つあると思う。
1つは、ごく単純な結論。最初から少ない頁で仕上がりそうなネタで勝負する。まあ、初心者ライターなら王道だね。そうやって実績と経験を積んで、より重要な仕事にチャレンジ…ってわけだ。
もう1つは、少しひねったモノ。「短期集中連載にしてもらう」のだ。実を言えば、これはこれで有力である。他に適切なネタがないので、またも「ヒト電」を例えに出そう。「ヒト電」の作戦研究なりリプレイなり…を書くとして、分量はどれぐらいになるか?このゲームはルールの大改定が行われており、単純に「ルール準拠のモノ」ってだけで一定の価値はある。そう考えれば、80号に掲載されたリプレイまたは作戦研究を「置き換える」と想定して頁数を割り出すことが可能だ。少なくとも、それぐらいやるつもりじゃないと原稿書く意味が薄くなる。当然掲載する意味もだ。
しかしだ。80号の記事を置き換えるってことは、特集記事並みの頁数が必要だってコトになる。これを一気に掲載すると、その号の特集記事(何かしらゲームが付く以上、必ず存在するはず)を「食って」しまう…80号を持っていることが前提の記事が、付録ゲームのフォロー記事並みにデカい顔してるのは、正直あまりよろしくない。
そこで、短期集中連載にするのだ。リプレイなら、まず対仏戦が終了した時点で区切り、バルバロッサが一段落した時点で区切り、西側連合の大陸反攻とベルリン攻防で終わる…ってな「ラフ」が想定可能だ。作戦研究も然り。2~4号程度にわたって2~4頁ぐらいの記事を書き続ければ、全部で4~16頁。このセンで交渉してみるのは、悪くない考えだと思う。
実際どうなるのかは、まだ深く考えてない。ここで書いたことなんて、しょせん「この1週間、ヒマな時にぼんやり考えて出たこと」を軸に、キーボードで文字打ちながら細部を煮詰めたってだけ。説明不要だから記述が減ったけど、「2~4頁ぐらいの記事を書く」って路線が最有力ってコトに変化はないのだ。自分の力量・経験を考えれば、これが適切なのは間違いないんだし。ただ、それにこだわる必要はないってコト。大切なのは、「とりあえず考えてみる」ことじゃないかな。
ここまで来て、はじめて「具体的にレジュメ書いてみるか」って話が来る。わかりきったことをグダグダ書き続けてきただけって気がするけど。ただまあ、それが「F男スタイル」である。私はそーゆー奴なんだから仕方がない。しかしだねえ。このブログは私が管理人兼ねてるからこのスタイルでいいとして、商業誌に書くとなると…うーん、私が編集なら、「何書いてきても、アナタのスタイルはウチと合いません」でボツだな…
7月8日 ― 2008/07/09 03:24
月曜は、諸般の事情から「別件で力を入れた文章を書いた」関係で更新できず。商業誌向け原稿じゃありません。ある意味どーでもいいことに手を抜かないのが私。ついでに言えば、大切なモノほど手を抜くのが…
本日の話題は、日曜にプレイした「East Front」について。何度も語ったゲームではあるんだけど、今回はちょっと特別なプレイだった。
どこが特別なのか?私が迎え撃つ立場だったのだ。Middle-Earth東京支部最弱の私が「迎え撃つ」?いやまあ、対戦相手が「このゲーム初めて」のasasin殿ですから。全体的な技量はともかく、いくら何でもこのゲーム初めてという相手では、私が「格上」になる。
ルールはざっと読んだことがあるようなので、あまり説明せずにセットアップ。担当は私が赤軍。初心者が「ある程度わかっている」相手に赤軍受け持つのは、自殺行為以外の何物でもないからねえ。多分、トラウマ残るほど負ける。
観戦武官及び教育係?は庭猟師殿。私は名人上手から「手取り足取り基本を叩き込まれながら」覚えたけど、庭猟師殿はあまりアドバイスをしない。とりあえずは「システムに慣れてもらう」のが目的のようだ。まあ、私のように「修行してとりあえず形にしてもらう」ようなプレイより、コチラの方が「楽しめる」プレイになるのではと思う。
ただまあ、初心者がさほどアドバイス受けずにプレイすると…案の定、部隊が思うように動かせず苦労していたようだった。突破方向もややアサッテの方向で、後方に取り残される部隊が続出。これは私も似たような経験がある。私はこの時点で「はい、やり直し」と赤点喰らったけど、庭猟師殿は黙ってみている。ま、これがフツーだけど。
その後何とか部隊をまとめて進撃を開始した独軍だったけど、攻撃目標がバレバレ。突破地点がかなーり北方だったので、目標はモスクワかレニングラード。誰がどんな作戦で来ようとも、この方面の防衛に手抜きはあり得ない(間違って突破されるとタイヘンなことになるから)以上、とりあえず万全の態勢で迎え撃ちました。あくまで私なりの「万全の態勢」なので、実際はスキだらけだったかもしれないけど。
このゲームをプレイした経験があればわかると思うけど、モスクワ正面攻撃はまず抜けない。素早く進撃できていれば「防衛体制が整う前に」攻撃できて何とかなるかも知れないけど、ゲーム序盤に「司令部を連携させて前進させる」ことに失敗した独軍では…
とまあ、こんな感じで9月前半に途中終了したわけだけど、多分あれ以上どーしよーもなかったと思われる。こちらがわざと開けておいたモスクワの南側面に回り込めば、攻勢自体は継続できたかもしれない。けど、それだけ。10・11月がベストの天候でも、モスクワ後方に回り込むのはまず無理だった。
まあ、当然と言えば当然の結果だね。私がどうこうではなく、対戦相手の経験が不足しすぎている。普通のウォーゲームで言ったら、「戦線の張り方さえ知らない」相手には、まず負けない…ってレベル。基本を学習しない限り、勝負になるワケがない。
とまあ、ある意味しょーもない対戦ではあったんだけど、教訓は大きかったのでは。私が得た教訓は、まず「赤軍の踏ん張り方」が学習できたことかな。このゲーム、独軍は急な方針転換ができない。そのため、「次はこの辺に来るはず」って読むこと自体はさほど難しくない。赤軍はそれを読んで効率良く部隊を送り込めば「踏ん張れる」わけだ。ただまあ、今までは「逃げる」か「時間稼ぎ」が精一杯だった(普通独軍はそうなるように攻撃するので)ので、「粘って死守する」ってな経験が不足していたんだな。今までなんとなーくわかっていた…ってものが、多少なりともしっかりわかったのは大きい。ま、だからって私の赤軍がダメダメだってコトに変化があったとは思えないけど。
Middle-Earth東京支部は、East Frontのレベルが恐ろしく高い。「日本最凶」と言ってもいいんじゃないかなあ。なにせ軍神がいるし、有楽斎殿もいるからねえ。こういった「頂点」から比べれば、私なんてまだまだ「話にならないレベル」。初心者マークどころか、仮免状態である。ただ、それに甘んじていてはイケナイ。かなり遠い未来の話になりそうだけど、「お互い本気の」勝負を挑めるようになりたいって野望はある。
とはいえ、私は一応「基本は学習した」状態だ。asasin殿のように、その状態に至ってないプレイヤーも当然いるわけだ。そういう方に、どーやってゲーム覚えてもらうのかも大事と言えば大事だよね。その辺、私はどうだったんだろ。ま、とりあえず「キチンと学習しなきゃ」と思ってもらえたのなら、成功なんだろうけど。その意味では、「キチンと教えることは大事」ってのも、教訓だな。
まあ正直に言って、教育係としては私は「失格」だろう。基礎学力がない。その意味では基礎学力あるプレイヤーに「基本が理解できるよう」キッチリ教わった方がいいんじゃないかと。つまり、平たく言えば「軍神・鹿内氏か有楽斎殿に、キッチリ基本を教わりつつ修得した方がいいのでは」ってことだね。私もそうやって覚えたんだし。ま、「East Front覚えたいって人がいる」ってニュースはそのうち広まるはずなので、私が何もしなくても両巨頭のどちらかが「捕獲」するのではないかと(笑)。
7月10日 ― 2008/07/11 02:43
ブツブツブツブツ…いやあ、色々考えることがあってアタマ痛いです。とりあえず、先送りできないものから片付けていかないと…
本日の話題は、「今更ながらSecond Life」としよう。本当に今更だなあ。ま、なんとなく書いてみたくなったということで。
私の周囲から、Second Lifeの情報が消えて久しい。相変わらず存在はしているはず(閉鎖は流石にニュースになりそうなので)だから、単純に「宣伝をしなくなった」ってことかな。
何故宣伝しなくなったのか。その必要がないほど人を集めることに成功したから…ってことはないでしょ。私のアンテナはさほど感度が良くないはずだけど、どっちゃり人が集まったのなら、宣伝とは別に色々話が聞こえてきそうなもの。それが感じ取れないってコトは、現時点でそこまで人間が集まっていないのだと推測される。
まあ、おそらくは「宣伝していたトコロ」が諦めたんだと思われる。これから流行りそうだ、だから流行らせよう…って考えていた組織があったのは間違いないからねえ。これが運用元なのか、それとも別組織なのかについては、私は良く知らないので割愛。
とまあ、これだけ語ってしまうと「現時点で私が語れる、Second Lifeの情報」は終わってしまう。これじゃ意味がないと言われても仕方ない。なのに、何でこのネタを?そりゃあもう、「流行の作り方」について考えたかったからだ。みんな成功例は覚えているだろうけど、失敗例も分析しないと。
少なくとも日本ではSecond Lifeは流行らなかった。これは、残念ながら間違いなさそうだ。何故流行らなかったのか?って分析は興味深いけど、私の手には余る。ハードがうんたらこーたら、運用先の日本語化熱意があーたらこーたら…って話は盛り上がっていた時からあったけど、実態をカケラも知らない私が語っても意味がない。
ただ、これだけは言える。流行らなかった理由がいかなるものであれ、それは「あの大規模な宣伝をもってすら克服できない」ものだったのだ。にもかかわらずあれだけ宣伝したってのは…宣伝にゴーサイン出した奴のクビが心配になるくらいだ(苦笑)。まあ、あれだけの宣伝となると「いくらでも誤魔化しが効く」奴のゴーサインかも知れないけど。
いや、それは違うな。その気になってキッチリ調査すれば、「コイツが流行るって決めつけた」ってな戦犯を見つけることも可能かも知れない。ただ、その正体は「何の権限も持たない奴」か、「決まったことを粛々と実行してゆくだけの奴」のいずれかじゃないかなあ。特にココは日本。前もって責任の所在は曖昧にしておくのが当たり前ってお国柄。小説などのような「ヒール」は、そもそも存在していないのでは。
むしろ注目したいのは、宣伝した側にあったとおぼしき「空気」じゃないかな。流行りそうだから宣伝する、宣伝してるから流行りそうだ…って空気があったんじゃないかなあ。この空気が一般人に伝染した時、それは流行になるんだろう。けど、何故かSecond Lifeはこの流れを起こせなかった。宣伝側にこういう空気があったのは感じられたけど、そこで止まってしまったのだ。
私は広告宣伝は好きじゃないし、流行にも否定的。だから、ここで「流行なんて追いかけるから…」って結論を出したくなる。でも、それじゃ駄目なんだろうな。こう言っては何だけど、私は「マイナーの悲哀」もよーく知っているからねえ。メジャーになることが良いこととまでは言わないけど、ある程度は「同好の士」が欲しい。
とはいえ、私に分析可能なのはここまで。マスコミだの、流行だのに詳しいワケじゃないからね。研究してみれば面白そうだ…ってのは事実だけど、色んな意味で私がそれをやるのは不適当でしょ。ただ、「じゃあ誰がやるのか」って効かれても困る…多分、この手の問題の「本質論」は、誰も知りたがらない…どころか、「世間に広まったら困る」ものじゃないかと思うので。
なお、当たり前だけどSecond Lifeは今でも存在していて、参加してる奴はそれなりにいるはずだ。その中には「流行りそうだから」って動機で始めた奴もいるんだろうけど、今現在も続けているのは、「流行」とは無関係に「Second Life自体が楽しいから」って連中が中心じゃないかな。結局、「ある業界」を支えるのは、そーゆー連中じゃないかと。風が吹いた吹かない、吹かせるにはどーする…ってことも大事かも知れないけれど、まずは地道な活動が重要なんじゃないかなあ。私はそう思います。
…だから、各方面に対して私が「やらなきゃイケナイこと」サボっちゃ駄目ってことなんだろうな。いやまあ、色々サボりまくってヤバいんですけど…
7月11日 ― 2008/07/12 03:46
ネタゲット!。本日は本来「七夕賞」を語る予定だったけど、これは後日でいい。なにせ月曜にはこの件で山ほど語る予定だからして。つーわけで、コメント欄に寄せられた「ゲーム会社に在庫を望むのは高望みか?」という問いかけに対し、私なりの回答を書こうかと。なお、ゲーム関連ではあるけどゲームの話はカケラ程度にしか出てこないので、色はこの色で。
コトの始まりは、7月5日の話題に付けられた、松澤殿のコメント。内容を要約すると、「消費者の立場からすれば、在庫はあった方が望ましいはずだけど、国内ゲーム会社にそれを望むのは高望みなのか?」ってなものだ。これに対し、私なりの回答を書こうかと思ったんだけど、長くなりそうだったのでこちらで語ることにした。
消費者にとって在庫は望ましいのか?答えはイエスだね。出版元に注文すれば、すぐ手に入るわけだから。逆に言えば、在庫がなければ入手に苦労する。一口に在庫と言っても、出版元の手元にある「在庫」と、書店などの小売店にある「在庫」(いわゆる流通在庫)は多少意味が異なる。普通は出版元の在庫から無くなり、「後は流通在庫だけ」ってな状態になるのだ。こうなると、「在庫求めて色んな店を放浪する」ことになる。これは正直楽ではない。だから、消費者の立場からすれば「在庫はあった方が有り難い」となる。
ただし。制作側にしてみれば、在庫なんて悪夢でしかない。考えても見て欲しい。そこに製品があるってコトは、制作コストは全部支払った後だ。にもかかわらず手元にあるってコトは、イコール「制作費は全部支払ったのに、売れてないからカネが回収できてない」ものだってことだ。ゲームに限らず、何だって「売れて初めてカネが回収できる」のだから、在庫なんてのは要は「売れ残り」。コレがある限り、本来回収できるはずのカネが未回収であり続ける。
単に「回収できるはずのカネが…」ってだけならいい。普通に考えれば、在庫を管理するためにも経費がかかる。商品である以上、いい加減な管理をするわけにはいかないから。商品1つ1つで見たら「大したカネではない」かもしれないけれど、積み重なれば膨大な額になる。こうした経費のことを考えれば、在庫なんて無い方がいいに決まっている。
ちょっと待て。でも、普通の書籍なんかは結構在庫抱えていて、直販だの注文だのに対応してくれるではないか…と思ったアナタ、鋭いです。あくまで一般的な話をすると、ある程度は手持ちの在庫を抱えるようにしている「商品」ってのは少なくないです。なくなりそうになったら増産してでも。
これは何故かと言えばだ。世の中には「利益率より売上高重視」って法則があるから。極端に言えば、経費50で売上100って状態より、経費100で売上150って状態の方が好ましかったりするんだな。もちろん利益率だって大事なんだけど、売上に余計な悪影響を及ぼすくらいなら、多少なら下げてもOKって理屈が存在するのだ。何故かと言えば会計学がうんたらこーたら、経営学があーたらこーたら…って話が絡むらしいんだけど、私は詳しくないのでパス(苦笑)。
ただし。これはあくまで「ある程度以上規模が大きい」会社絡みの話だと思った方がいい。中小を通り越して弱小になると、利益率を落とすのは自殺行為。そもそもが「赤字を必至に防いでいる」レベルだろうし。日本国内のゲーム会社がどちらに属するのかは…言うまでもないことだと思う。
そもそも論を言えば、私はゲームそのもの・もしくはゲーム雑誌が「増刷」したって話を聞いたことがない。増刷ってのは、内容まるで一緒のものを印刷して数を増やすことを言う。何かしら重要な改訂が入る「版次のアップ」(第二版などを出すこと)は聞いたことがあるけどね。つまり、どれだけ売れても「最初に刷った数以上に売る気がない」わけだ。
これは、出版モデルで考えると「効率が良くない」と言うことが出来る。書籍などの場合、まずは少な目に刷って様子を見て、好評のようなら増刷する…とした方が、無駄な在庫を抱えずに済む。こうやって在庫をある程度コントロールできるようになれば、「在庫があるので注文はいつでも引き受けますよ」ってな状態に出来るわけだ。
じゃあ、国内ゲーム会社は何故そうしないのか?そりゃーアナタ、「期待売上高」がかなり低いレベルにあるから。印刷ってのは、一般に「数を刷れば刷るほど単価が安くなる」のだ。私の手元にあるのは「同人誌印刷経費」だけど、これによると50部から100部に刷る数を増やしても、経費は1.2倍に満たない。刷った部数におおむね比例して料金が上がるのは、200部以上刷った場合だ。作りがチャチな同人誌でコレである。ましてやゲームに至っては。マップは普通フルカラー。ユニットは両面カラーが普通…ってことを考えれば、「最初の1部」を刷るための経費はかなりなものだ。にもかかわらず、刷る数が少なければ単価も高くなる。これを回避しようと思ったら、最初に数多く刷るしかない。
実はこの論理、同人誌に関する理屈と一緒である。多少の失礼を承知の上で言ってしまえば、「増刷を前提としない出版計画」なんてものは、同人誌の理屈とさほど変わらないのだ。強いて言うなら、同人誌には利益ゼロ…どころか、「全部売れても印刷経費が回収できない」なんてダンピングが許されるけど、商業誌でコレは明らかにマズい…ってところかな。「増刷をためらう理屈」だの、「在庫と通販対応の二律背反性」だのといった部分は、同人誌印刷経験から「ある程度察する」ことが可能である。
同人誌がたとえとして失礼なら、カレンダーはどうだ?これまた、普通は増刷を考えない。タイムリミットがキツいからね。9月以前に来年のカレンダー買おうとする奴はまずいないし、1月以降にカレンダー買う奴も希だ。よって、「手元に置いておけば、コツコツ売れていつか完売する」って理屈すら通用しない。増刷してくれるなんて、よほどのことだ。よって出版社の手元にある分は、普通の在庫と言うよりは「通販対応用の流通在庫」に限りなく近い。こんなモノに対し、「在庫があった方が消費者としては楽なんだけど…」なんて考えが通用するとでも?それがわかっているからこそ、私は香港で奇跡信じて買いそびれたカレンダー物色して、見事発見して大喜び…なんてアホ演じてたわけだ。
ゲーム会社の話をすると、「完売を視野に入れて」はいるものの、必ずしも現実的な目標には設定していないと思われる。完売したら通販に対応しにくくなるし、「これなら完売するだろう」って部数しか刷らないと印刷単価的に厳しくなりかねないので。「かなり好評ならば完売するけど、おおむね売れ残りが出る」ってな部数を設定しているんじゃないかなあ。よって、「なかなか完売しない!」と焦る必要はないだろう。すぐさま完売が当たり前…なんてのは、それはそれでマズい面もあるので。
ただ…製作者サイドが「完売して欲しい」と願うのは当然のことであり、多少時間がかかっても最終的にはそこまで行って欲しいもの。「いつでも買えるから」などと在庫をアテにしていつまでも買わないのは、消費者の甘えと言われても仕方ないような。いずれは「管理費の無駄」だと判断され、不良在庫として廃棄されても文句は言えないのだから。
それに…こう言っては何だけど、在庫を売るのは大変だよ?雑誌付録なら「記事の一部が陳腐化する」のは避けられないから、それだけ「買いたい」意欲が削がれる。おまけにヤフオクなどで中古が出回る世の中だ。にもかかわらず「古い新品」を売る苦労を考えたら…「もっと在庫が出にくいよう、印刷部数を抑えるべき。印刷単価上昇は価格に転嫁しろ」と言われても仕方ないような。そう考えると、国内ゲーム各社は「甘い経営」してるんだろうな。ただ、どこも「金儲けが目的じゃない」のだから、非難するのはどうかと思うけど。
つーわけで、国産ゲームに限って言えば、「いずれ買うことになるだろう」って思ったら、即買うべきです。売れ残りを期待しちゃいけません。この辺、「自分が欲しい同人誌の新刊が出ていて、完売してしまう可能性が否定できない」って理屈だけで同人誌即売会に毎回足を運ぶアホウを見習うべきです。「増刷なんて期待するだけ無駄」って商品を買おうとしていることは共通しているのだから。ま、だからって「同人誌即売会及び同人誌扱っている書店をハシゴしまくる」(同人版「萌えるヘッドホン読本」入手時)だの、「香港へ言ったついでに、ヲタクグッズ扱ってる店で本気の捜索をする」(「CLANNAD」カレンダー入手時)って領域にまで行く必要はないと思うけどね(苦笑)。
7月14日 ― 2008/07/15 04:43
本日のネタは、やはり土日の旅行記でしょ。毎年恒例の福島旅行なので。私の中ではすごく大事な行事である。ま、関係各位以外にはツマランネタになってしまうかもしれないけれど、我慢して下さいな。
まずはちょっとした愚痴から。今年は宿泊人数が少なかった…そんなに気にするようなコトじゃないのは確かだけど、これはこれで寂しいよね。幹事だっただけに気になった。特に今回は「体調不良につき予定変更」ってのがあったので、宿泊人数3人…この際「宿泊は各自勝手に」とした方がいいのかなあ…
宿は「いつもの」湯左衛門ではなく、新飯坂って宿。記念すべき「第1回福島旅行」に使用された宿だ。宿に辿り着いた時、「大西後援会様」なる予約客の札を見て脱力したのが懐かしい。総合的には湯左衛門の方がずっといい宿だと思うけど、こちらはやや予算が高いからねえ。人数増やそうと思って新飯坂の方にしてみたんだけど…ちなみに、宿泊した3人は「湯左衛門でOK」って連中ばかり。この3人しか残らないってわかっていたら、最初から湯左衛門だった…
余談だけど、提案されたプランには様々なモノがあった。「宿泊は福島駅前のビジネスホテル、風呂はスーパー銭湯、メシは居酒屋」ってプランも検討されたくらいだ。ただ…現実問題として「私には」ソコまで踏み込めなかった。ま、こういう大胆な改革は来年以降の幹事に任せようかと。
土曜午後に福島競馬場に着く。ここで競馬を堪能したのは…私1人(苦笑)。うーむ、これで宿泊する意味あったのか?まあ、朝が弱い人間が多いので、「日曜だけ」とするといつまで経っても到着しない奴が山ほどいそうだけど。ちなみに馬券は全敗…特に、「腰が抜けるほど」買ったフラムドパシオンが負けたのが…
競馬が終わった後、飯坂温泉に向かう電車で「宿泊組」全員集合。当たり前のこと…ではない。私の想定では、各自バラバラに到着予定だったのだ。つーか、毎回そんな感じだし。宿泊組が全員揃って宿にチェックインしたのは、毎年やってる福島旅行の歴史の中で初だろう…ワガママな客だな…
宿泊組はたった3人なので、仕方なしに「ただ飲んでグダグダ話す」ことに。例年ならテキトーなタイミングで「雀卓囲む」となるのにねえ。もっとも、宿泊組が3人に減ったのは、幹事が「言い訳は聞かない。ツモ切りマシーンでいいから入れ」などと脅したプレッシャーのせいで体調不良を起こしたから…って説もあるんだけど(苦笑)。ちなみに、内容は紹介する価値ナシ。
ただ…ココで一応「来年の幹事は大貴族以外の誰かに任せても良いのでは…」って提案があったのは事実。提案者は私。とりあえず、反論は出なかった。まあ細かいことは来年話し合うとして、色々覚悟してもらいたいかな。とりあえず、私は今回の失態の責任取って「来年は幹事から外れる」ということで(笑)。
例によって朝はグダグダ過ごして競馬場へ。競馬場に着くと、すでに到着している人間が。東京からを含む遠征組だ。朝強いねえ…と思ったら、1人は夜行バス組。到着時間が朝4時だったので、カラオケボックスで寝た後、飯坂温泉の鯖湖湯(外湯)に入っていたとか。な、なんだかなあ…まあ、こーゆー珍妙な行動取るのが我々だ。
その後地元組や遅れてくる東京組も合流。今回は「みんな揃って競馬」できました。前回は「宿泊して酒飲んで、仕事行って競馬帰りの飲みに合流」って人がいたからなあ…今回は珍しく、集団行動の統制が取れていたのでは。まるで普通の旅行みたいだ(苦笑)。
なお、我々は多分「異様な外見の集団」だった。自覚症状有り。タイガースやロッテジャイアンツ(韓国の球団)のユニフォーム姿なんてまだマトモ。トップ・オブ・ヘンな奴は「上着を着て、アタマがアラブ人」の私。でも、あれ快適なんだよ。「炎天下に野外で過ごす」ために最良の装備だと、確信持っているんだけどなあ。ちなみに、私は「アラブの殿下の手先」なので、思想上も大きくは間違えてない。少なくとも競馬場では。
馬券?聞かないで欲しい…七夕賞は読みにくかったよ。まるで読めないとは言わないけどさあ。なお、最終Rで私は下らない失態を演じてました。「夏の福島リーディングは中館で決まり」だとばかり思っていたので、ジョッキーの気配にあまり気を配らなかったのだ。ちなみに、真の「夏の福島リーディング」は松岡。最終を勝った松岡。どうも、私が購入した競馬新聞が「何かカン違い」してたらしい…ま、最終勝つ前から決まっていたので、「だから気合いが入っていた」ワケじゃないんだろうけど…ブツブツ…
最終R終了後は、馬場解放。ついでに?クイズイベントがあったコトになっているけど、正直忘れて良し(苦笑)。ま、我々の仲間内が賞品ゲットしたんだけどね。賞品の内容は良かったです。ただイベントの内容は…(以下略)。馬場解放は、今年はターフだけじゃなくてダートの一部とバンケットも解放していました。ダートは結構深くて走りにくい。バンケットは駆け上がると腰にキます。あと、ゲートに入れたのも楽しかったかな。府中競馬場の競馬博物館で「狭さ」は知っていたけど、眺めの良い馬場でゲートに入るとより「狭いなあ」って感じますな。
その後例によって飲んでグダグダ話して帰路についたわけだけど、どうやら我々の乗る新幹線に「競馬界の重鎮」が山ほど乗っていたらしい。某競馬番組の女性キャスターとか、某競馬評論家とか…もし間違ってその新幹線が爆破でもされていたら、競馬界は大損失を被っただろう。中でも最大の損失は「世界レベルのバカ馬券師」であるF男…(以下略)。
まあ、今年も「色々あったけど、楽しい旅」だった。しかし、このイベントよく続いているよなあ…止める理由がないのは事実だけどさあ。もっとも、「止める理由がない」こと自体がマズいのではって話があるけど(苦笑)。ま、その辺は「結局そーゆー集団」だということで。
なお、最後の飲み会の席で、今年実は「あっぱれ倶楽部15周年記念」ではないかとの指摘があった…うわ、もうそんなになるのか。もはや人生の半分を超えた「ゲーマー歴」や、これまた半分を超えそうな「今の煙草愛用歴」ほどじゃないけど、長いよね。こういう付き合いが続いているのは、きっといいことなんだと思います。たとえそれが「ウケが狙える馬券師」という、謎の集団のことであっても。
7月17日 ― 2008/07/17 23:56
久々に大敗北。しかも、2連敗。やられました。シビれました。片方は「綺麗な負け」だからいいとして、もう1つは言い訳できない、自滅負け。こんなネタでこんなコトは黙っているのが常識人なんだろうけど、自らに対する罰としてあえてココでさらけ出すことにしました。
まずは「綺麗な」負け方をした方から。解散したはずの某エロゲーソフトメーカーが、何故か復活しました…いやまあ、何故かって言うのは失礼かもしれないけれど、「絶対あり得ない」と思っていたことなので。
このメーカー、形式的には「休止状態」だった。けど、これは単に「一応生存している(たまーに日記が更新される)公式サイトの運用を続けるための理屈」だとばかり…簡単に復活できるようなら、そもそも「活動休止」してないわけで。「必要だと判断したら、どこまでも待つ男」であるはずの私でさえ、ここの復活は諦めてました。これは立派な「負け」ですね。
「負けた」のは見逃せない事実として、このニュース自体は嬉しい話…だと思いたい。いやまあ、嬉しいか嬉しくないかハッキリしろと聞かれたら、嬉しい。そりゃあ間違いない。ただ…私にとってこの手のエロゲーって、単なる「クソ高いCD」なんだよね。要は音源CD(本体買うと特典でもらえる)がありゃあいいんだから。世間一般の評価はさておき、私の中ではそうなっちゃうのだ。
エロゲーってのは一応「PCゲーム」であり、1万円出してオツリが来るかどうか…って値段である。音楽CDとしてはクソ高いけど、だからどーした。世間の相場なんてどうでもいい、私が欲しいのはコレなんだから仕方ない。それに、こういう「良いモノを作る」存在は、コチラも頑張って支える価値がある。連中が「良い音楽作る」モチベーションは「本業であるところのエロゲー作るため」なんだから、そこもチャンと支えてやらないと。
ただ…正直言おう。「こういう」存在は、抱える数に限界がある。私は別にお大尽じゃないんだから。単価高いだけに、抱えすぎると出費で破産しかねない。メインの趣味だって言うのなら複数抱えても問題ないんだろうけど、私にとってはどう考えても「副次的趣味」だからねえ。この色の分野だけで考えてみても、私は「マンガ中心主義者」であり、アニメやゲームはどちらかと言えば後回しだ。
そこでまあ、「音楽CD目当てにゲーム買うのは、ココとココとココ」って取り決めがあったのだ。自分の中で。無制限に拡大すると、間違いなく破産するからね。これは自分の中で「厳正なる検討」を行った結果であり、むやみやたらと拡大するワケにはいかない…ハズだったのだ。
でも、解散したはずの某メーカーが復活したとなれば、話は全く別。いきなり「音源CD入手する機会があったら、常に無条件で入手する」という、最上級の座に納まる。その価値があるのは間違いない…とはいえ、今更「じゃあ、ココの買うのは止めよう」とはならないでしょ。純粋な出費増決定である。こ、この物価高のご時世に…
だいたいだなあ。このメーカー、解散した際に「主な連中が集まって」別メーカーを立ち上げたはずなのに。ソコはソコとして活動があって、なおかつ本体復活ってのは…これで活動量が倍になったら、こちらは「嬉しいけれど悲鳴が上がる」状態だ。まあ、元々が寡作だったので、ゲーム本体は笑って対応できるかもしれない。問題はコミケだコミケ!復活したタイミングからいってこの夏は無視していいけれど、今年の冬から「増殖」するのか?よりによって冬に?コッチがカレンダー求めて必死に飛び回っている冬に?下手すると予算組み直しだな…カネよりも、「回る順番」どーすんだよおい。
…ぜいはあ。落ち着こう。これだけでもアタマ抱えるニュースだけど、もう1つの「敗北」は…これも「音楽CD目当てのエロゲー」の話題。今月下旬に発売予定の某エロゲーの話だ。このエロゲー、私が「音楽CD目当てに買ってもいい」としてたトコロです。初回特典が何なのか長いこと不明だったので放置していたところ、待望の「音楽CD」だと判明しました。ならば買うか…と思って予約しようと思ったら、「好評につき、予約終了」だと…
これは私が悪い。もっとチャンとチェックしていれば!いやまあ、色々言い訳はあるんだけどさあ。甘く見てたつもりはないんだけど、結果として大甘だったようだ。前評判からいって「売り切れ要注意」な存在ではあったんだけど…まさか特典が音楽CDとは、予想してなかった。私は他の特典イラナイからねえ。「どーせ特典はテレカか抱き枕、音楽CDは別売りかコミケ限定販売」だと決めつけ、チェック甘かった…
私は別に「エロゲーサントラ集」の権威でも何でもない。けど、サントラ集中心全てを考えるという、「特異な」消費行動を取っているのは間違いない。こういう「似たような行動をする奴がいない、いるワケない」活動ってのは、これはこれでタイヘンなんだよ。他人の行動は参考にならないし、流れる情報もアテにならなかったりするし。結局行動指針はいちいち自分で考える必要がある。それゆえ、ちょっとチェックが甘いだけで、こんな目に…くそう、コミケでサントラCD単品発売してくれねえかなあ…もちろん、それ入手したところで「今回の失態」がチャラになるわけじゃないけど…
本日のネタは、正直「単なる愚痴」です。言い訳しようもなく。公共へ与える迷惑を考えたら、ここに書き込むべきじゃないのではと思うくらい。でも、それを語らずにいられないのが私と言うことで。なお、個別具体的な固有名詞が何になるのかについては、各自調べてみてください。某国民放送も「バレバレであってもあえて伏せている」ことを考えれば、ココがそうしてもいいでしょ…
7月18日 ― 2008/07/19 02:11
Frozen Fireはキングジョージ出走せず。トッチャンボーヤはユームザイン(去年の愛ダービー勝ち馬)にこのレースを任せるつもりらしい。当然、私も遠征中止。これで、去年のPOGにおける私の目標「キングジョージ出走馬を出す」が失敗に終わったわけだ。残念と言えば残念だけど、惜しいトコロまでいったことは認めよう。危なかった…
その代わりと言っては何だけど、明日から関西遠征に。大阪のMiddle-Earthに顔を出してこようかと。基本的には「ゲーム楽しんで、酒飲んで…」って旅行にするつもりだけどね。ゲーム目的での上洛は久々だなあ。
本日の話題は、その旅費について。国内旅行はやや割高感があるなと思って。先日の福島旅行の時にも感じたことではあったんだけど、関西旅行だと「なおさら」感じるなと。
誤解して欲しくないんだけど、私は別に「この旅行は割高だ」などと言うつもりはない。料金は適正なモノだと思う。問題は、「適正なる旅行代金」自体がやや高いなあ…ってトコロにある。そもそもの比較対象は海外なのだから。
いやね、絶対値で言えば、海外旅行の方が高い。そりゃあわかっている。けど、なんか香港の方が「値頃感」強いんだよな。遙かなる欧州だって、距離と満足度考えると割安って気がする。それに対し、福島だの関西だのは、距離考えると「なんか高いなあ」って感じちゃうんだな。
まあ、そう感じる理屈はわかる。私は海外旅行に行く時は、かなーりケチる。それこそ「バックパッカーよりはマシ」って程度に。国内旅行でも同じくらいケチれば割安感は出るはずだけど、それは正直イヤ。そもそもだ。海外旅行なんて、カネ出しても出さなくても「オレごときに違いはわからない」程度なのに対し、国内旅行は違いがわかるからね。
それにだ。私がよく行く香港は、普通とは別の意味で割安感が出る。現地での観光費用及びメシ代は香港ジョッキーズクラブが負担してくれるから(笑)。私が海外に行く理由は「競馬」なんだから、馬券代が回収できただけでも無茶苦茶割安感感じるからねえ。
逆に割高なはずなのが、英国。なにせ向こうは物価が高く、オマケに何故か「使っちゃイケナイ金が消え失せる」ときてる。ただ、あの国の場合「カネが無いなりの過ごし方」ってものが私の中で確立されている。これはものすごーくミジメだけど、「馬券で負けた」んだから当然の報いでしょ。だからこそリベンジする価値があるわけで…今年はともかく、来年はおそらく行かなきゃな…
しかしだ。よーく考えてみると、海外旅行に感じる「割安感」ってのは、馬券が当たった外れたとは違う部分で感じる気がする。それが当たり前だけどね。まず、海外旅行ってのは「覚悟と準備」が必要だ。これをガッツリ決めないと「そもそも行こうって思わない」ので、旅行代金が高い安いは正直どーでもよくなってくる。
さらに、現地に到着すると通貨が替わる。このため、自分の経済概念もかなーり変化する。日本円のように「自在に何にでも使える」って感覚が薄まるのだ。日本円だと「ここでちょっと節約すれば、欲しかったゲームが…」なんて考えがちだけど、外国通貨は「節約したところでどーした、浪費したところでどーした」って感覚が強くなる。そもそも、換金した現地通貨は「全部使ってナンボ」だからねえ。かといって、浪費しようにも色々と限界がある。正直、日本円を使うより「冷静に」カネを使える気がするな。
この感覚は、ある意味私独自のモノかも知れない。私の場合、「海外に行かなくてはならない」って感覚はむやみやたらと強いからなあ。海外の競馬場で馬券を買うってのは、それぐらいキョーレツな刺激なんですよ。国内旅行を否定するつもりはないけど、私はやはり「放置しておくと海外に行ってしまう」人なんですよ。アホだなあ。
そう考えると、今回も「英国に行って、関西旅行はキャンセル」すべきだったような気はする。でも、Frozen Fireいないからなあ…まあ、その代わりに凱旋門賞には来ると信じよう。一応それだけの価値がある馬だと思うぞ。愛ダービー馬なんだし。ちなみに、石油価格がちっとも下落傾向を見せず、オマケに「ロンドン土産は怪しげなカップ麺だけど、パリ土産はおチョコ様」ってコトを考えれば、金銭的にはパリ・ロンシャン旅行の方が高いって話はあるんだけど…だからどーした。そーゆー問題じゃないんだよ。
最後に、私が「海外旅行は割高感を感じない」真の理由も書いておこう。私は競馬目的で海外に行くので、海外通貨なんて全部「単なる張り駒」である。パチンコ玉やらスロットのメダルと同じだ。アツくなると全部溶けるところなんて、まさにこの典型例。割高割安を論じる以前の問題である。ガツンと張ってドカっと儲けてドーンと使えばいい…なんて考えているからなあ。要は両替した時点で、もう理性ブッ飛んでいるんですよ。割高云々以前の問題だなこりゃ。
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