1月28日2008/01/29 01:03

 韓国の同人誌即売会では、「便せん」売っているらしい…ふっふっふ、まだ見ぬ同人便せんが山ほどあるんだな!やる気倍増。狙いは11月(ソウル)か12月(釜山)だな。
 
 日曜はMiddle-Earth東京支部へ。そこでプレイした「天下強奪」がかなーり楽しい内容だったので、久々にリプレイなんぞお届けしようかと。考えてみれば、ド真正面からこのゲーム扱ったネタってなかったし。
 
 コマンド最新号の「天下強奪」は、関ヶ原の戦いを扱ったゲーム。ただし、ある意味「ドコが関ヶ原だ!」ってゲームだったりする。なにせ小早川は必ず裏切るし、島津にやる気がない。東軍が何かしらミスをしない限り、家康の首なんてまず獲れない。それを前提として、「停戦に至るまでどれだけ粘れるか」が西軍の目標なのだ。
 
 これでは石田三成の苦悩は描けてない…というのは、先日ちょろっと触れた。「張り子の虎」である西軍の連中をうまく操って「ひょっとして俺達勝てる?」と思わせ、家康目掛けて突っ込ませるってのが「三成の目標」であり、そこが最初から「やる気ナシ」「家康の味方です」じゃあ、確かに「関ヶ原の戦い」の大事な部分をスッパリ斬り落としているってことになる。
 
 ただ、ここを捨てることによって、案外うまく「三成の苦労」が描けているのも確か。大胆な割り切りが成功してる一例じゃないかな。全てを表現しようとして全てがうまく表現できてない…ってゲームになるより、ずっとマシではないかと。この辺は皆さんも是非参考にして欲しいですね。
 
 日曜の対戦相手は軍神鹿内氏。技量は言うに及ばず。しかも、テストプレイを豊富にやっているので、このゲームのことは知り尽くしている…まあ、「勝てそうもない」相手だな。だがいいのだ。そーゆー相手に挑むことこそ楽しいのだから。実は「East Front」のインスト(私の技量だと対戦にならない)してもらおうかと思ったんだけど、そればかりじゃ鹿内氏がつまらないだろうからねえ(苦笑)。
 
 小考した末、私が東軍をプレイする。先日DASREICH氏とプレイした時、東軍だったから。この時はグダグダだった(私の負け)ので、もう1度プレイして「チャンと学習」しようかと。
 
 鹿内西軍は、島津を岐阜城に突っ込ませる作戦を採用。ここの陥落を遅らせ、「秀頼出陣」を狙う策だ。これに対し、私はあえて「妨害しない」策を採用。単に妨害に失敗しただけって気もするけど(苦笑)。ただ、「あえて島津を岐阜城に入れる」策は決して悪いワケではない。理由は3つ。まず、西軍は岐阜城近辺に島津以外の武将を展開する余裕はないので、各個撃破の形に持ち込める。さらに、「秀頼出陣」はホントに有り難いコトなのか、ビミョーである。勝利条件のハードルがいきなりキツくなるので、むしろ負けやすいって話があるので。最後に、島津の移動を妨害しようとすると、部隊の前進が遅れ気味になる(福島だけを突出させるコトになる)ので、後々の進撃に支障を来す。私はせっせと後続部隊を前進させてました。
 
 しかし…序盤は私のダイス目が冴えなかったこともあり、予想以上に進撃に手間取る。普段から多い愚痴が、さらにその割合を増した。余談だけど、私も鹿内氏も、ゲーム中にグダグダと口数が多い方である。Middle-Earth東京支部は対戦中もにぎやかな人が主流だけど、この日はこの対戦が一番「五月蠅かった」ような(苦笑)。ま、私はそーゆープレイヤーなんだから仕方ない。
 
 進撃が遅れ気味…と判断した私は、ここである決断を下した。普通は家康率いる「本隊」が関ヶ原経由で畿内になだれ込み、本田忠勝率いる「高速別働隊」が伊勢路を南下するんだけど、「再編成するヒマが惜しい」と、本田を北に、家康を南に送り込んだのだ。西軍は島津がいないので、どーせ関ヶ原付近で「頑強な抵抗」ができるワケがない。だったら家康送り込むより本田を送り込んでも、何とかなると考えた。実を言えば石田三成のクビを獲るため本田を「北に深入り」させた関係上、再編成が面倒になっただけって話はあるけど。
 
 この策はそれなりに機能した。家康の大戦力を使って伊勢路の弱小部隊(城に籠もっている)をバキバキ踏みつぶし、快調に進撃できたので。さらに、伊勢路から伊賀・大和方面への山道を守る西軍が、みーんな「裏切り者」だと判明。後はコイツらを使って大阪城を踏みつぶすのみ…ってトコロまでいった。
 
 しかーし!天はそんな私に鉄槌を下した。4枚置かれた「秀頼出陣マーカー」のうち、最初の1枚が何と「ホンモノ」。いきなり秀頼公出陣。大チャンスがいきなり大ピンチに!ご丁寧に「ま、いいか」と家康の防りを「手抜き」してたので、家康が包囲される。マズい、これはマズいよ!
 
 でも、家康公は強かった…辛くも相手を退けて包囲が解けたので、とりあえずその場は逃げ出すことに成功。とはいえ、鹿内氏の目標は「家康の首」。その後はジリジリ下がりつつ「家康以外」のクビを次々差し出すことに。
 
 ここで私は考えた。とりあえず、家康の首は大丈夫と仮定する。辛くも味方と合流できたので、これは無理筋ではない。すると勝敗はどうなる?今オレは勝っているのか負けているのか?正直、サッパリわからない。事態の進展が急すぎて、状況が把握できてないのだ。とりあえず、勝利得点となる城を守らなくてはイケナイと思うんだけど…
 
 こーゆー時に限って「冴える」のが私。必死になって「伊勢路への穴を塞ぎ、朽木と福知山の城を守り抜く」策を練りました。家康防衛より知恵絞ったかも(苦笑)。いや、家康の周囲は「相手に拘束されて、動かしようがない部隊」だらけだから、考えるだけ無駄だし。そのおかげで、伊勢路の城も朽木・福知山の城も最後まで確保できました。
 
 しかし、最後の勝利判定は私の負け。いやまあ、途中からわかっていたことではあるんだけど。投了するとか、勝つために無謀な作戦を実行することも考えたんだけど、あえて「最後まで負けを小さくすることに集中する」手に出ました。そうするのが一番「楽しめた」と思うので。勝ち負けにこだわるのは当然だけど、勝ちが薄くなってからどう振る舞うのかも重要だからね。まして相手は鹿内氏。「無理筋を追究して負けを拡大させる」とか、「投げやりなプレイをして興を削ぐ」なんて醜態を見せるワケにはいかん。それが礼儀ってモノでしょ。
 
 負けはしたけど、プレイ自体は劇的で面白かった。私の「家康南下策」は思いっきりどうかと思うけど、それを言うなら鹿内氏の「島津岐阜籠城策」も、少なくとも当人は文句たらたらだった(苦笑)。組織的抵抗がやりにくいので、結局各個撃破されやすくなるからねえ。特に今回は序盤に石田三成の首が飛んでいるので、宇喜多秀家(コイツも死ぬとサドンデス)を積極活用しにくかったし。あれで秀頼公出陣がもう少し遅かったら、「今更出てくるな!」って状態になったと思われる。私の策よりはずっとマシだけどね。お互い作戦構想には問題があったようだけど、ド派手で手に汗握る展開になったんだから、良しとしよう。
 
 しかしだなあ…何で私は劣勢になると冴えるかね?「伊勢路の穴は、生半可な部隊じゃ埋まらない」と判断し、家康の首が涼しくなるのを承知の上で徳川秀忠(強いし自由に動ける)投入するし、福知山・朽木の攻防は「ユニット1つずつの、ダイス目勝負」じゃあ危ない…ってんでかなり無理をして救援部隊派遣するし…福知山の救援なんて、細川幽斎(果てしなく弱く、しかも使いにくい)ですぜ?しかも、最後シッカリ役に立った。このどーでもいい部分限定では、鹿内氏を出し抜いた気がする(苦笑)。
 
 こんな私でも、一応「勝つために」ゲームをプレイしている。「勝つために全力を尽くす」のが当然だと思っているので。ただ、しょせんゲームなんだから、「勝ちを目指す」ってのは「ゲームを楽しくプレイする」ための手段に過ぎないんだよね。これは大事な教訓じゃないかなあ。ま、今回は技量もプレイ経験も大きく劣る相手に、秀頼いきなり出陣という悪運があった以上、「負けるのは仕方ない」と簡単に割り切れた。だからこそ「せめて負けを小さく」って作業に没頭できたんでないかな。普段の私は、もっと見苦しいですから(苦笑)。