1月7日2008/01/08 01:54

 たまに訪問しているブログに面白いネタがあった。これは私も1つ語っておきたい…と思ったので、本日のネタに。ちなみにゲームネタです。
 
 お題を簡潔に述べるなら、「指揮官の血液型をゲームに盛り込むべきとの指摘があった場合、どう対処するか」である。アホネタだ…で片付けるのは簡単だ。しかし、少なくとも私には笑えない。これはこれでアタマの痛い問題があるからだ。
 
 まず最初にお断りしておく。私は学生時代「血液型占いを信じたりしません」って誓いを代償に心理学(一般教養)の単位をもらった関係上、血液型占いはまるで信じていない…どころか、積極的否定論者である。アレがクズ・クソである論拠は山ほど叩き込まれ、一部は未だ忘れることが出来ない。なにせ試験に出てきたからなあ。他人が何を信じようと勝手だけど、私はソレを信じることは出来ない。
 
 ただ…「私が信じていないこと」と、「論理的科学的必然性があること」はイコールではない。ドコの誰が何を言おうと…どころか、自分自身でも「迷信のたぐい」だと薄々感じてはいても、魔神ペリエのいる競馬場に行くのは勇気がいるわけで(苦笑)。だから、他人がどんなアホらしい(と私には思える)コトを信じていても、無視する気にはなれないんだな。私もソイツも結局「同じ穴のムジナ」だと思うので。
 
 問題は血液型占いが正しいかどうかじゃない。私に言わせれば、「信じていることが正しいかどうか」ってのは、実は重要度が低い。むしろ重要なのは、「ソイツがそれをどれだけ信じていて、それにどれだけ影響された行動を取っているか」だ。シミュレイションゲームをデザインする立場からは、この時点で無視できないファクターになるのでは。
 
 まあ、はっきり言って血液型占いってのはドマイナーな占いである。ABO式の血液型が発見されて実は日が浅いし、アレコレ騒ぐのは日本人だけって話も聞いたことがある。だから、血液型占いに関しては、おそらく無視して問題ない。どーせ戦国武将や三国志の英傑の血液型なんてわからんし、わかりそうな第二次世界大戦の将軍達もそんなもの信じてないから。
 
 ただ…これが星占いなどになってくると、無視して良いのかどうか微妙になってくる。星占いの結果で自分の行動を決めた将軍なんて、山ほどいる(大半は古代の人だろうけど)わけで。近代戦になるとそんなものより「より現実的な諸々の都合」の方が重要になってくるけど、別にシミュレイションゲームの「対象」は近代戦ばかりじゃない。ファンタジー世界を題材にしたら、立派な「必然」になる。
 
 占いなんて信じない…って立場の人間にしてみれば、こういう要素は切り捨ての対象としか思えないかもしれない。ただ、戦争ってのは結局「計画するのも実行するのも人間」である。占いに影響されて行動を決める馬鹿が将軍やっていたんだとしたら、それに色々振り回されるのがむしろ「必要」なことになる。こういう考えは無視しちゃイケナイと思うな。
 
 もっとも、だからってド真正面から「血液型が…」「星占いが…」って形でルールを作れ、とは言わない。特殊な事例を除き、そんな必要はないから。間接的に盛り込む手はいくらでもあるからね。占いを信じていない人間ってのも山ほどいて、なおかつ占いの影響を定量化するのが難しい以上、こうした「間接的な盛り込み」こそがスマートな解決法でしょ。
 
 具体的にはどーするのか?一番手っ取り早いのが、「将軍の能力を落とす」かな。私が思いつく例としては、Nalopeon at Leipzig(NAL)がある。このゲームのネイ将軍とミュラー将軍は「しょーもない」能力を持っている。戦況と無関係に突撃したがったり、拠点防御を命じたり、撤退しようとしたり…あげく「朝寝坊」までする始末。栄光の大陸軍の将軍様とは思えないしょーもなさだ。これらのルールが「贅沢に慣れた結果」「時差ボケ」なのか、「星占いの結果に左右された」のかは知らないけど、とにかく「そーゆーものだ」としてしまう。
 
 そもそも、将軍ってのは案外「目の前の戦場に専念できない」存在である。大抵の場合上司(国王だの大臣だの)がいるし、補給がどうだの味方がこうだの…といった、「戦場以外の都合」に振り回されるのが当然。これは誰だってそうでしょ。実生活で「目の前の状況とまるで関係ない都合に振り回された」経験がない奴がいるとは思えないなあ。広く考えれば、「ゲームやってる最中に会社か家庭から電話が来て、集中欠いてミスした」だってこれに該当する。私の「東京大賞典の馬券を買うため、コミケから泣く泣く撤退した」も似たような…
 
 そう考えると、いわゆる「カードドリブン」のような「カード引きが重要なゲーム」や、何かしらのランダムイベントを盛り込んでいるゲームは、その構造上占いの結果もゲームに含まれていると考えて良い。「幸運・不運の発生確率」ってものを考える必要があるからなあ。ただ、残念なことに?血液型占いの結果なのか星占いの結果なのか、それともそんなの無視して決められた数値なのか…ってトコロがわからないだけだ(笑)。
 
 そもそも、こういう要素は特別なルールを設けなくても取り込まれている、って話はある。シミュレイションゲームってのは「おおむね史実通りの結果になりやすい」ようデザインするのが基本だ。そうならないからって、「史実が間違っている」で片付ける度胸がある奴は少数派でしょ。この時点で「数値化しにくい数々の要素」(占いの結果や血液型も含まれる)は間接的に盛り込まれているわけだ。影響がでかいのかゼロに近いのかは知らないけど。また、戦闘解決などでダイス振ってランダム性を取り込んでいるのも、こうした「数字以外のモヤモヤ」を取り入れる手段だ。「だから、いちいち複雑なルール採用する必要なんて無い」と某ゲームデザイナー(悪名知名度高い)が主張している姿を何度も見たことがある(笑)。
 
 ただまあ、全てをソレで片付けてしまうと、なんか味気ないのも事実。そこであえて一部の要素を複雑化して表面に出し、プレイヤーに「この要素が重要だったんだよ」と知らしめたり、余計な知恵使ってもらってゲームを面白くしたりするワケだ。つまり、演出上のテクニックって奴だね。
 
 はっきり言おう。「このゲームはオカシイ!」って意見の大半は、この「演出部分」について言及されている。今時シミュレイションゲームをデザインしようなんて奴は、「この戦いがどーゆー戦いで、どんな過程を経てどんな結果に終わったか」について、相当詳しい知識を持っている。それを再現しようとしている以上、実は「骨格部分」は滅多に外さない。ただ、再現するに当たって自分なりの演出を盛り込もうとする。それは当然のことであり、デザイナーの義務だと言ってもいい。けど、その演出を「面白いと思う」のか、「つまらない、あるいは違和感を感じる」のかは、実は受け手側の問題だ。
 
 指揮官の血液型がどうこう…って問題も、最後はココに帰結する。「おおむね史実通りの結果になりやすいようデザインされ、なおかつある程度のランダム性を持つゲームであれば、その時点で実質的に「大きく欠落した」要素はないと言ってもいい。後は「何をわかりやすく見せ、何を省き、何を誇張し、何を無視するか」といった、演出上の問題ではないだろうか。よって、私は「指揮官の血液型が重要な意味を占める」シミュレイションゲームも、「アリ」だと考える。しょせん演出上の問題なんだから、「アリ・ナシ」で区別するのはやり過ぎでは?
 
 もちろん、「アリ・ナシ」と、「面白いと思うかどうか」は別問題だ。演出ってのはそーゆーものでしょ?好みってのはある意味いかんともし難いわけで。もちろん商売のこと考えたら「世間に受け入れられそうな」演出をするべきだってのはある。ただそれだけじゃ「陳腐だ」って言われるのは確実。最後は「批判される危険を承知の上で、公表して世に問うてみる」必要もあるのでは。私は血液型占いに批判的なので、コレを演出に盛り込んだゲームを「面白い」と思う可能性は低い。ただ、「チャレンジする価値すらない」とは言わないだけだ。
 
 何だかんだ言って、結構血液型占いに同情的じゃないかって?いやまあそれは…実を言えば、似たような要素を盛り込みたいゲームのデザインを「抱えて」いるからなあ。ルネサンス期イタリアをテーマにすると、「信仰」を演出として盛り込みたくなるんだよ。血液型占いを「非科学的だから盛り込まなくて良い」のなら、「キリスト信仰」だって似たり寄ったり。「盛り込まなくて良い、いや盛り込むべきではない」って見解に反論するのはちょっと難しい。
 
 でもそれじゃあ、何でフランスが法王庁にあれだけ振り回されたのか、うまく説明しにくいのだ。そういう時代だったんだよ。それに、「法王プレイヤーに祝福されたと心底舞い上がって喜ぶフランスプレイヤーを冷ややかに眺める、破門されてもケロっとしてるヴェネツィアプレイヤー」という図式を無理なく再現できたら、素晴らしいと思わないか?キリシタンでない日本人プレイヤーにこんなコト期待するのは、血液型占いを無理なくシミュレイションゲームに組み込むのと同じくらい大変な気がするんだけど…やはり無謀なんだろうか…
 
 この時代をテーマにしたからって「信仰」は無視して問題ないってことは、「マキャベリ」ってゲームが証明している。法王庁のルールはしょせんオプションだし、導入したとしてもごく単純なモノだからねえ。ただ、私は「演出として盛り込めないかなあ」と思っている。それだけの話だ。成功するかどうかは…その前に完成するのかこのゲーム(笑)。
 
 ゲームデザインというと、論理だの科学だの…といった論調が幅をきかせる。その重要性は私も認めるけど、もっと文系っぽい思考でとらえてもいいのでは。私は典型的文系人間なので、特にそう思うんですが。そうじゃないと、いつまで経ってもゲームが完成しない…いや、それ以前にもっと熱心に仕事しないと…いやまあ、色々忙しいモノですから…

コメント

_ takoba39714 ― 2008/01/08 23:33

>もっと文系っぽい思考でとらえてもいいのでは
名言だと思います。SLGは歴史の意訳だと言った人もいましたね。

_ F男 ― 2008/01/09 00:09

褒めていただいてくすぐったいです。まあ、ゲームデザインには色んなアプローチがある、と思っていただければ。

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