8月2日2007/08/03 03:07

 実に下らないことを思いついたので、本日のネタは今話題の?セカンドライフ。珍しく「タイムリーな」話題ではないかな。ま、当然ヒネくれた話になる予定なんだけど(笑)。
 
 セカンドライフって何か?一応は「ネットゲーム」に分類されるんだと思う。ただ、ゲーム的な部分はかなりそぎ落としてあるようだ。その代わり、自分でアイテム(ゲーム内の服とかだけど)を作成でき、さらにゲーム内通貨が現金に変更できる。詳しくは各自調べてみてください。ネット上だけでなく、本屋にも情報源転がっているはずなので。
 
 ある意味信じがたいことに、セカンドライフに関する情報は山のようにある。まあネット上のモノなので、ネット世界が騒ぐのはわからなくもない。しかし、本や雑誌の形で山のように扱っているのは驚きだ。しかも、ヲタクやゲーマー向けではないモノでも扱っている。某経済雑誌で特集組んでいたし、私が毎日読んでる夕刊紙にもさらっと名前が出てきた。これは確かにスゴいかも。
 
 しかし。知名度上昇中のセカンドライフだけど、実態はまるで大したことがない。確かに「先進的」だ。これからのネットコミュニケーションは、こんな感じになってゆくのかも知れない。その点のスゴさは認めてもいい。けど、それは「おそらくやってくるであろう将来」の話。現時点でのユーザー数は相当ショボいらしい。
 
 どれぐらいショボいのかって?うーん…条件が違うので数値の比較が難しいんだけど、私の印象(不正確だと思うけど)で強引に「似たような人気のモノ」を探してくるとこうなる。ボードシミュレイションゲームよりは多少人気あります。笠松競馬場と同程度じゃないかなあ。中堅程度の同人誌即売会には負けるでしょう。いくら将来性がありそうだからって、その程度のモノを祭り上げてるマスコミって一体…
 
 何故マスコミが騒いでいるのか?を考えるのも楽しそうだけど、正直私の手に負えないのでさておく。次に考えるべきは「私が参加するかどうか」でしょ。結論から言えば、「近い将来に私がプレイすることはない」となる。理由は要求されるハードスペック。この間日本語版が出たので「言葉のカベ」はなくなった。しかし、ハードウェアのカベがあるようなのだ。快適に動かそうと思ったら、「かなりお高い」ってレベルのPCを、光回線接続で運用して…ってことになりそう。私は現状PCにそこまでのスペックを要求していないので、そんな環境を入手するまで「待ち」が正解だろう。しかし、それだけで片付けるのは面白くない。よって、最終結論とは別に「私にとって面白いのか?」ってことを考えてみました。
 
 しかし…正直に言おう。セカンドライフに関しては、抽象的で空虚な紹介記事が多い。これはおそらく「上手く言葉で伝えられない」ってレベルの問題じゃないな。記事書いてる人間が「ドコが面白いのか、さっぱりわかってない」んじゃないかって気がして仕方がない。おかげで、そもそもどんな空間なのかもさっぱりわからん。
 
 そんな状況の中で私が出した結論はこうだ。「同好の士」同士の語り合いという「別にセカンドライフじゃなくてもできるだろ」って部分を除くと、どうも「各人が作ったモノを互いに売り買いする」ことが楽しい空間のようだ。これは…正直、わかる気がする。
 
 そりゃあ、良い物を作るには才能だの技術だのが必要だ。凡人はそんなもの持ってない。しかしだ。そんな奴でも「どれが良い品でどれが悪い品なのか、自分自身の価値観で決める」って楽しみがある。良い作り手を見つけたら、そこの品を買って「頑張ってくださいね」と声をかける。そーゆーことが楽しい空間なんじゃないかなあ。あくまで私個人の印象なんだけど。
 
 実はつい最近、これと似たようなことをここで書いている。コミケをテーマとして。ということはだ、「私が考えるセカンドライフの面白さ」とは、コミケに通じるモノがあるってことになりそうだ。おそらく今の肥大化したコミケではなく、その昔々私が出入りを始めた頃の雰囲気に近いんじゃないかなあ。「自分で作ったモノを買ってもらう」「それができなくても、自分好みの作り手を応援する」ってのは、同人誌即売会最大の楽しみと思うんだけど、どうだろう。カワイイネーチャンが脱いでいればいいってワケじゃないんだよ(笑)。
 
 まあ、これはあくまで私の想像…というか、妄想だ。実態はどうか知らない。けど、こういう妄想がなけりゃ「参加しよう」って意欲は永遠に沸かないでしょ。実態は参加したときに知ればいい。どーせ私の妄想とは色々違うけど、そのギャップもまた楽しいわけで。なるほど、結構楽しそうじゃん。
 
 ただまあ…こういう楽しみは「わかる奴を選ぶ」と思うんだけどなあ。コミケだって優秀な管理者が長年かけてじっくり育て上げたから今の姿があるのであって、未熟な段階で無理矢理盛り上げるのはむしろマイナスのような。そう考えると、この先「つまらん」空間に堕する危険性はある。ソレは心配だね。しかし、別に今すぐどうこうってわけでもないから、とりあえずは見守っていこうかなと。今のマスコミの過熱ぶりを考えると「生暖かく」ってことになりそうだけど(苦笑)。

8月4日2007/08/05 02:12

 レスで予告した通り、献辞を。はねだ殿へ。ここで展開される、かなーり意味不明な話題にことごとく「ついてこれる」のはスゴいの一言です。それを考えれば、私なんてまだまだですね。いつか「まいった」と言っていただけるネタを書けるよう、これからも精進しますので、よろしく。
 
 本日の話題は、そのはねだ殿に「ついて行けない」と言わしめるべく、「ジュンク堂について」を語ろうかと。ヲタクっぽい話題ではあるけど、一応この色で。
 
 ジュンク堂。全国展開?してる巨大本屋。「座り読みOK」ってことで有名。最近私が愛用している本屋である。ま、「立ち読み大魔王」なんだから当然かな。
 
 立ち読み客ってのは、長年本屋の敵とされてきた。まあ当然でしょ。ソレを逆手に取った「座り読みOK」という戦略は、新鮮だったね。とりあえず、私の知る限りでは成功しているようだ。なにせ私が最近購入する本の、8割はジュンク堂(池袋もしくは大宮)で購入してるからね。
 
 ジュンク堂の特徴は、「とにかくデカい」である。その巨体を活かし、当然品揃えもいい。ドマイナーな本もかなり置いてある。そうやって「本が好き」って人間を普段から集めるようにして、本を買ってもらうのが狙いなんだと思われる。サイズが小さい本屋はどうしてもマイナーな本の品揃えが悪くなるからねえ。私は小学生の頃から「本屋はデカいトコロに限る」と公言していたんだけど、その思想に沿った存在だね。私が愛用するのも当然かな。
 
 ただまあ、ジュンク堂もしょせんはフツーの本屋の延長。売り場に置いてない新刊本は山ほどある。最近はそーゆー本との付き合いが増えた(仕事の関係である)ので、これはキチンと言っておこうかと。ただ、世間一般の人間にとってはほとんど無意味である。こーゆー本は「専門家のための」ものだからねえ。それと、ネット上で本の情報漁るときも、ジュンク堂のはさほど役に立たない。コレに関しては紀伊国屋の方が充実してる。アマゾン?和書の専門書は案外弱く、ある種のムック(雑誌でもあり本でもあるので、他では一覧を呼び出すのが結構難しい)を調べるときに使える程度かな。
 
 閑話休題。「一般人に用がなさそうな」本はともかく、いわゆるフツーの本は何でも置いてありそうなジュンク堂。実際、「ココに置いてない本なんてないんじゃねえ?」などと甘っちょろいコトぬかす奴をジュンク堂池袋店で見かけたことあるし。しかしまあ、私の目は誤魔化せない。結構メジャーなところに「ヌケ」があったりする。常識人はそんなもの探してみようとは思わないだろうから、ここで紹介してみましょ。ただし、池袋店と大宮店、それと何故か訪れて弱点を発見しちゃった仙台店についてだけ。他はさすがによくわからないので。
 
 まずは私が愛用してる、大宮店。大宮駅東口のロフト(余談だが、西口そごう8Fにもロフトを名乗るスペースがある。何考えているんだか)1.5フロア(0.5フロアはコミック専門)を占める。総合的に見たら大宮で一番の広さか?品揃えで太刀打ちできるのは、コミック部門限定で大宮アニメイトが…って程度ではないかと思われる。地方都市の書店としては、相当デカい。
 
 ここの「弱点」は、何故か一般雑誌。それなりのスペースを取ってそれなりに置いてあるんだけど、ミョーにヌケが多い。きちんと調べてはいないけど、多分三省堂大宮店に劣る。「何でも置いてある」ってイメージから考えれば、ちょっと意外。
 
 仙台店。オミヤゲ購入タイムの際、ふらっと足を伸ばしてみた。仙台ロフトの1フロア。大宮店より少し手狭かな。品揃えは、「私以外の奴は暴れない」としておきましょう。仙台の事情がよくわからないので、他の書店と比べてどうこう…ってのは不明。強いて言うなら、駅にある本屋は大きめだったかと。
 
 ここの弱点は、マンガ雑誌。弱点どころか、ゼロである。「店員に尋ねる」(注:私にとっては屈辱的行動である!)ことはしなかったので、本当は扱っているかもしれない。しかし、売り場に置いてないことだけは確信を持って言える。面白いことに、コミックスは置いてあるのに雑誌がない。コミックス売り場をぶらついていて違和感を感じ、時間の許す限り探したんだけどなあ。オミヤゲ買う時間削って(笑)。
 
 「コミックスはあるけど、マンガ雑誌が乏しい」って本屋に遭遇するのは、これが初めてってワケではない。都内にある比較的大きめの本屋では、渋谷パルコパート1地下のLIBRO(私の定義だと「小さな本屋」だけど)がそうだ。しかし、ゼロとはね。
 
 さて、最後は池袋店。地上8F地下1Fの巨大本屋。単体で考えたら、三省堂本店(神保町)や紀伊国屋本店(新宿)といった「老舗巨大本屋」より大きい。記憶が正しければ、都内最大ではなかったかと。普通に考えれば、わかりやすい死角なんてなさそうに思える。
 
 正直、ここの弱点は探すのに苦労した。確かに、モーレツに細かい死角はある。けど、そんなのはあって当たり前。もっと一般人でもわかりやすい弱点はないのか…と鵜の目鷹の目で何度も探したところ、やっと見つけました。あります。かなりわかりやすい弱点。
 
 その弱点とは、「グラビア写真集」である!…いやまあ、一般的と言えば一般的なんだけどさあ(苦笑)。都内でも充実している方だと思われる書泉ブックマート(私は別の理由から愛用)と比較してどうこう…ってワケじゃない。そりゃあ「負けて当然」だ。そうじゃなくて、ジュンク堂大宮店に劣るのだ。「大宮店で平積みしてた写真集が池袋店に置いてなかった」って事例を確認してるので、ほぼ間違いない。
 
 まあ、理由はわからなくもない。雑誌や写真集ってのは「座り読みOK」って店の特徴と相性が悪い(全部読ませたら買ってもらえないだけだし、読ませないなら「座り読みOK」の意味が薄い)わけで。巨大店だけあって他店との競合必至な場所に出店するから、「ソレが欲しけりゃ、ヨソで買ってくれ」と言いやすい。これはこれでマイナスだけど、何でも強化しようとするよりメリハリつけた方が効率よさそうな気がするし。
 
 しかし、弱点は弱点。私にしてみれば「他の店を利用する理由」になっている。直接的に「置いてない本を買う」とは限らない…というより、それはむしろ希。さらっと立ち読みするため他の本屋に出かけ、そこで「見つけた」本を衝動買いするのだ。ジュンク堂にしてみれば、ちょっとイヤなパターンかもしれない。
 
 とはいえ、私が買う本の8割はジュンク堂。これはこれで立派なことでないかな。その昔は相当買う店散っていたからなあ。別にジュンク堂は私のために存在してるわけではない以上、これが限界なのは仕方ないでしょ。むしろ、「私の需要の8割を満たす存在なんだからスゴい」と言うのが正しいのかも。
 
 巨大本屋はスゴイ。弱小本屋はダメ。一般論でそう語るのは簡単だけど、真に大切なのは「具体的にドコがスゴくて、ドコがダメなのか」でしょ。「本なんて読まない」などという輩はともかく、本好きならばジュンク堂池袋店にも弱点を見つけようと思わねば。そこまでやって初めて、「ジュンク堂はスゴイ」と言えるんだと思うぞ。真面目な話。

8月8日2007/08/09 03:21

 ウォッカ凱旋門賞回避。昨日から不安ありとの報道があったけど、最終結論として凱旋門賞を回避することに決めたようだ。海外競馬ネタだけに、やはりここは何かしら語っておこうかと。
 
 実を言えば、私にも「今回の件をどう評価するか」はよくわからない。とりあえず「これが海外競馬の怖ろしさだ」ってのはあるんだけど。「目の前で使ってくれるかどうか、わからない」って恐怖なしに海外競馬を語れると思うなよ。だから、ウォッカ目当てで凱旋門賞行きを決めちゃった人に対する同情は、最低限でいいと思う。今の段階なら安値でキャンセル可能だし、まだメイショウサムソンがいるし、ウォッカ不在でも凱旋門賞は凱旋門賞だし、出かける先は「花の都」パリなんだから。
 
 確かに、「応援対象の出走回避」は、海外競馬観戦のトラブルとして上位の1つである。普通に考え得る範囲では「最悪」だろう。でも、それが覚悟できないようでは、海外競馬観戦は向いていない。海外競馬観戦なんてトラブルの連続だと思った方がいい。少なくとも私にとってはそんなものだ。そこでメゲるような精神構造じゃ、他のことを趣味にした方がいいのでは。真面目にそう思いますね。
 
 今回の件の評価が複雑なのは、「国内のレースを普通に使う予定」だってことかな。こう言っては何だけど、その程度のアクシデントってワケだ。それで遠征回避ってのは…慎重と言えば慎重だけど、臆病と言えば臆病だ。どう呼ぶべきなのかは、簡単に割り切れるモノではないと思う。
 
 海外遠征ともなれば、調整は自動的に難しい。何のアクシデントが無くても、チャンと力を発揮できるとは限らない。ましてやアクシデントがあったなら…角居調教師がそう考えたのは当然でしょ。むしろ、ヤケクソ気味に「特攻」しなかったのは褒めるべきではないかなあ。そういう遠征は、正直後味悪いんでね。
 
 ただ…こういう常識的判断を積み重ねていくと、「そもそも遠征しようなんて考えるのが間違い」って結論になる。海外遠征なんてものは、ある種の「狂気」がないとできたものじゃないのだ。負けるとわかっていて、それでも行ってしまう…それぐらいアホウでない限り、海外遠征はできたものじゃない。少なくとも、「向いている」調教師とは呼べないね。
 
 私が管理調教師なら…アタマ抱えながらも遠征したかな(笑)。私の性格だと、凱旋門賞の代わりに出走予定の秋華賞に、勝っても負けても納得できそうもないので。勝てば「不安は大したことなかった」ってことになり、「凱旋門賞に出走していたら…」って考えが頭をよぎる。負けたら…そりゃあ凱旋門賞行かなかったのは正解かもしれない。けど、「順調なら凱旋門賞に」って馬が、秋華賞負けて納得できるか?どっちにしろツマンネー思いをするぐらいなら、凱旋門賞にチャレンジして負け、「判断が甘かった。オレがバカだった…」って涙流した方が納得できる。ま、あくまで私の価値観によればって話だけどね。
 
 まあ、遠征に行くか中止するかは、どちらが正しいって話ではないと思う。最後は好みというか趣味というか…って問題じゃないかなあ。いずれにせよ「モヤモヤした感情」と無縁ではないと思うけど、世の中なんてそんなものよ。
 
 ただなあ…1つ苦言を言っておこう。「挑戦するための挑戦か、勝つための挑戦か」って発言をしていたようだけど、これはどうかと。いつからウォッカはそんな「偉い」馬になったと?私に言わせれば、歴代全日本調教馬…どころか、凱旋門賞に出走すれば1番人気確実ってクラスの馬(自動的に世界的名馬)でさえ、凱旋門賞に対してこんなことは言えないと思うな。
 
 凱旋門賞は、世界最高のレースの1つ。相手関係は「自動的に世界最悪」と考えていい。どんな名馬と言えども、鞍上がちょっと怪しげな動きをしただけで敗れ去る可能性が高い。実際去年のハリケーンランは…(以下略)。どんな馬でさえ、「まず挑戦することが第一であり、勝ち負けを意識するのはその次」ってのがせいぜいでしょ。世界最高の舞台ってのは、そーゆーものじゃないかな。
 
 発言の真意としては、「出走さえすりゃあいいって考えでは駄目だ」ってトコロにあるのかもしれない。それを認めるとしても、この言い方はやはり傲慢かな。「ウォッカは弱かったので、出走できませんでした」って言わなきゃ。たとえいかなる理屈があろうとも、レースに出走しなかった奴が勝つことはあり得ない。参加できなかった時点で「それまでの馬」だ。そういうシビアな現実を真正面から受け止めないようでは、凱旋門賞なんて勝てないんじゃない?
 
 まあ、ウォッカはまだ若い。将来性はたっぷりあるはず。来年はどこかに遠征してくれるんでないかな。それができるという確信がないのに「勝つための挑戦」なんて発言してるようでは、単なる「カン違い」だと思うね。ま、角居調教師にその心配はいらないんでないかと。
 
 個人的には、やはりキングジョージ遠征が希望である。私が「日本馬が勝つところを観たいレース」筆頭だからねえ。ウォッカで足りるのかどうかはともかく、出走しなけりゃ勝ちはないんだから。この時は私も応援に行きます。そして、「とにかく無事に出走してくれ…」って祈りを天に捧げれば、今回みたいなコトにはならないんじゃないかと(笑)。

8月14日2007/08/15 07:49

 諸般の事情により、ヒマはあるんだけど更新できず。夏休み突入中だというのに。ま、深く考えるのは止めましょう。
 
 本日はゲームの話題。「攻撃側と防御側」について、少し語っておこうかと。実は専門的な話題ではないので、一応フツーの人もついて行ける話題に…なるといいんだけどなあ(苦笑)。かなり難しいと思うけど、一応意識して書いてみます。
 
 ボードシミュレイションゲームは、歴史上の戦いまたは「起きても不思議のない」架空の戦いを再現する趣味である。一般人でも知っていそうなものでは、「関ヶ原の戦い」とか、「ワーテルローの戦い」とか。架空のモノでは、「ソ連が西欧または北海道に侵攻してきた」なんてものがある。ま、これだけじゃ説明不足なんだけど、細かいところは別の機会に語るべきコトだ。
 
 将棋や囲碁などと異なり、現実の戦いは「有利不利」がある。一応あんまり一方的な戦いは題材にしないんだけど、それでも強い陣営・弱い陣営はある。まあ、競馬の「500万下」と言っても強い弱いがある…ってのと似たようなモノ。
 
 その結果として、このゲームでは、「攻撃側」と「防御側」が生じる。有利な側、強い側が「攻撃側」で、不利な側、弱い側が「防御側」だ。これはあくまで一般論であり、実際はこんな単純なモノではないんだけど、コレについても先送り。
 
 強い弱いがハッキリしてるなら、勝負にならないのでは?そこは勝利条件ってもので調整する。一般的に言って、もし仮にお互い何もしなかった場合、勝つのは防御側である。攻撃側は「ゲームに勝つ」ためにはかなりの戦果を挙げる必要があり、防御側はそれを阻止すればいい。こうやってバランスを取っているわけだ。少し専門的な話をすると、「攻撃側の方が少し勝ちにくい」って方向に持って行った方が、面白いゲームになるような気がする。
 
 私はこの趣味に足を突っ込んでそれなりになるので、こーゆーことは「当たり前のことである」と思っていた。先日「攻守決まっているのがつまらん」という意見を目にして、愕然としたぐらいである。うーむ。この見解については、正直私もまだ消化し切れてない。仮に面と向かってこう言い放たれた場合、どう返事をすべきか見当も付かない。
 
 答えの出ない問題について悩むのは、とりあえず脇に置く。攻撃側と防御側、どちらの方が初心者向きか?ある程度のベテランなら、ためらいなく「攻撃側」と答える。実際、ある水準に達した同士が戦う場合なら、まず「慣れてない方が攻撃側担当」とするのが一般的である。
 
 何故そうなるのか?やってみればわかるけど、防御ってのは大変だからだ。大抵の場合、防御側ってのは弱い。だから防御側なんだけど。単に相手の攻撃を黙って受けていると、ただでさえ少ない戦力がすり減る。その分より苦しくなり、最後は壊滅的打撃を受けて…となる。実のところ、この図式は上手い下手・慣れてる慣れてないに関わらず、結局のトコロそうなる…ってものである。
 
 どーやったっていずれ壊滅的打撃を受けるなら、勝てない…ってことはない。上手い人・慣れてる人は、「いつどういう形でそうなるのか」を計算することが出来る。簡単に言って、ゲームが終了するまで崩壊を食い止めればいい。この辺を読み切るのは確かに大変で、少なくともゲームの全体像がわかってないと苦しい。その点、攻撃側の方が「その場その場の最善を積み重ねれば…」って戦い方が出来るので、慣れない側向きである。
 
 ただ…正直言おう。私が初心者だった時代は、周囲も似たり寄ったりだった。今の「ドコを見てもベテランだけ」って時代からすれば信じがたい話だけど。一応私より上手い奴はいたけど、今から考えれば目くそ鼻くそレベル。こういう同士の戦いでは、実は防御側の方がプレイしやすかった。
 
 理由はモーレツに単純。「戦線」である。ゲームの攻撃側ってのは「戦力あるから攻撃側」なんであって、野球のように「攻撃側は攻撃オンリー、防御側は防御オンリー」ってワケじゃない。最低限の防御は考えながら攻める必要がある。より簡単に言えば、攻撃側だからって戦線を張る必要はある。サッカーにおいて、ボール持っているからってキーパー以外の全員が単純に敵ゴールに向かって突っ込む動きをすればどーなるか?これと似たようなモノだ。
 
 戦線の張り方さえよくわかってない同士の場合、「とりあえず戦線を張ることに集中していればいい」防御側と、「戦線を張り、さらに攻撃のことを考える必要がある」攻撃側、どちらが負担が大きいか?攻撃側である。その昔々、私はまず「戦線の張り方」を覚えることが先だったのだ。
 
 もちろん、戦線の張り方さえ覚えれば大丈夫ってワケではない。でも、私が曲がりなりにも「一人前のゲーマーだ」って気分になったのは、まずこの「戦線の張り方」を覚えてからである。口でこう言うのは簡単だけど、実際は大変だった…私の口グセの1つに「血反吐を吐いて戦線の張り方覚えた」ってのがあるくらいだ。
 
 実際には、血反吐を吐いたりしなかったとは思う。けど、楽じゃなかったのは確か。何度もあっさり食い破られ、「どこが悪かった?」とアタマ抱えて反省し…って日々だったからなあ。他人の対戦を穴が開くほど見つめ、不確かな記憶を頼りに「こうだったような…」と自分で試し、対戦相手にあっさり撃破され、その反省を取り入れてまた新たな「自分の開発した戦線」を編み出さなくてはならない。それに比べれば、携帯電話に付いてるカメラで撮影してじっくり見直せば済む今の世の中は、本当に便利になったと思う。
 
 ただ、自分で試行錯誤した意味はあったと思う。戦線の張り方ってのは「こうするんだ」ってことを丸暗記すればいいってものではなく、「何でそうなるのか、仕組みを覚えなくては駄目」ってことを実感できたので。これは貴重な教訓だったと思うなあ。もっとも、未だにきちんと理解できてる気がしないんだけど(苦笑)。
 
 戦線の張り方はボードシミュレイションゲームの「基礎中の基礎」であり、とにかく覚えなければ話にならないモノだと思う。コレを覚えるためには…やっぱり数こなして痛い目に遭って覚えるしかないんじゃないかなあ。特に、攻撃防御がハッキリしてるゲームの防御側を担当し、とりあえず一定の成果を収めるまでプレイするのが良いんじゃないかと。私はそうやって覚えたので。
 
 ただ…このやり方は、オススメしない。負け続けるからだ。いやもう負ける。とにかく負ける。そりゃそーだ。ただでさえ難しい防御側を、「戦線の張り方もわかってません」って奴が担当するんだから。「とにかく負けるのはイヤ」ってタイプには、露骨に向いてない。「何度負けてもいい、いつか勝ちたい」ってタイプじゃないと無理でしょ。コレは根性とか気合いと無関係ではないけど、実は全く別のモノじゃなかろうかと。どうしてもって言うのなら止めないけど、もっとカシコイやり方があると思うな。私は。
 
 世の中は不平等である。強い・弱いは必ずある。ただ、与えられた状況の中で「最善」を求める必要があるってトコロは平等なんじゃないかなあ。そう考えると、攻撃・防御がハッキリしている方が自然であり、そこに文句を付けても始まらないのでは。そう思います。なんか珍しく綺麗にまとまったので、今日はコレまで。ボロが出る前に退散しましょ(笑)。

8月17日2007/08/18 00:16

 コミケ初日。本来ならば更新なんぞしてる余裕はない。「家に帰るまでがコミケ」どころか、私のように3日間全部顔出す(必要あるんだよ)人にとっては、「初日朝から3日目に帰宅するまでがコミケ」だから。しかしまあ、今回は色んな意味で「特殊な」スケジュール組んでいるので、これも予定の行動だったりする。とりあえず明日は午後から参加予定だし。
 
 馬インフルエンザ流行により競馬が中止ってのもビッグニュースであり、ここで多いに語るべき話題なんだけど、これはさすがに予定外。語る余裕はないので、今回はパス。本日の話題はやはりコミケ。某氏から購入以来のあったシロモノの入手失敗を語る。弁解のメールは送ったけど、それだけじゃ私の鬱憤は晴らせない。
 
 購入依頼があったのは、ガンダム関連のボード(カード?)ゲーム。ゲーム(電源不要)は初日の扱いなので、本日購入する予定だった。しかし、しかしである。
 
 今年の私は、特殊なコネにより「初日」と「3日目」の2種類のチケットを入手していた。売り場の手伝い要員(以下「売り子」)として一応仕事せにゃならん3日目はともかく、初日分は純粋な好意により譲ってもらったモノである。いただけるなら拒まないけど、「もらって当然」っってシロモノではない。そもそも3日目だって私の手伝いが本当に必要なのかは議論の余地があり、毎度「チケットいただいちゃって、本当に有り難いなあ」という感謝を忘れるようなことは出来ない。それが人間関係ってモノでしょ。
 
 チケットがあるのならば、ゲーム(電源不要)で売ってるモノを入手できるのは「確実」である。本来ならば。間違っても長い行列が出来るようなことはないのだから。ただ…ここに油断があったことは認めよう。
 
 私は最近「ゲーム(電源不要)」であまり買い物はしない。その昔はテーブルトークRPGにカードゲームに…と幅広くプレイしていたので、それなりに欲しいものは多かった。しかし、最近はボードシミュレイションゲームのプレイ率が上がった(私にとって一番面白いのはコレだし)ので、逆に足が遠のいている。シミュレイションゲーム系の同人誌・同人ゲームもあるけど、私の趣味にマッチして、なおかつ勢いがあるモノって最近なかなか…作戦研究とかリプレイならブログで読める時代だし。とはいえ、私が初日にもでかける主要因は一応コレである。
 
 もっとも…最近のお目当ては「企業ブース」である。邪道だとは思うんだけど、ある意味仕方がない。コミケ限定品売ってるトコロは多いからなあ。こういうモノも通販だの何だので買える時代だけど、「コミケで売ってる自分の欲しいものを、通販で買う」って行動には抵抗があるんだよね。私は「リアル店舗と現金決済」大好き人間なので。誰が何と言おうと、コレが取引のキホンでしょ。クレジットカードで馬券を買う時代が来ない限り、ずっとこう主張し続けるつもりである(笑)。3日間のいつ行ってもいいんだけど、売り子する3日目はできれば外したい。よって、初日か2日目(都合により変化)に行くわけだ。
 
 企業ブースってのはそれこそ「色々」あり、場所によっては大混雑する。おまけに、「企業ブース」って専門区画は他から独立していて、まずソコにたどり着くだけで行列に並ぶ必要がある。しかも、この炎天下に野外で。私が入手したいモノはクソマイナーな雑誌の「コミケ版」であり、これ自体はさほど並ばずに入手できる…はずなんだけど、最近そうでもない。この手の店は「抱き合わせ販売」に消極的なので、「買う品を選ぶ」余地がある。他ならともかく、「人間の海」コミケでコレは…客の捌きが遅くなり、行列短い割に消化が遅いんだよね。その他にも「コミケ慣れしてない」売り子ばかりで、今回も何カ所かで暴れたくなった。わかってんのかマッ○ガー○ン、行列させられてる側から「あの、ここでは2列ですか?1列ですか?」って聞かなきゃならないたあ、どーゆーことよ。
 
 閑話休題。話は昨日に遡る。寝る前の「作戦研究タイム」で、私は考えた。どういう順番で買い物すべきか。まず企業へ行ってからゲームか、あるいはその逆か。出た結論は「まず企業、次にゲーム」だった。結果的にコレが大失敗だったワケだけど。
 
 何故そう考えたのか?企業ブースで買い物するってコトは、必然的に「炎天下で長時間過ごす」ことになる。これは何をどうしようが避けられない。チケット持っていて事前入場していても、「開場まで炎天下で過ごす」ことになるんだよ。これは仕方ないとして、より「快適」なのはドッチか。その結論が「先に企業…」である。まだ多少日差しが柔らかい(はず)の「開場までの時間」(9:00~10:00ぐらい)に日差しを浴びてる方が、その後に同じ時間日差しを浴びるよりマシと判断したのだ。
 
 同じだったらまだいい。いくら何でも、「チケット入手して企業ブースで買い物できる奴」ってのは少数派である。選ばれた民である。一般の民が合流して人数がふくれあがる前にさっさと買い物した方が、どう考えても待ち時間が少ない。私の推定値では、最初に企業ブース行った方が、待ち時間を半分に短縮可能。この暑さを考えれば、どちらを選ぶのがフツーなのか、言うに及ばずでしょ。
 
 しかし…正直に言おう。一抹の不安はあった。確かに、ゲーム(電源不要)は行列しない。そんなに人気がある場所ではない。しかし、ソレを見越して在庫も少ないのだ!ゲームってのは普通の本より制作に手間がかかるので、大量生産なんてやりゃしない。売り切れって不安はあった。でも…企業ブースの滞在推定時間が1時間ちょっと。何とかなると読んだんだよ。
 
 今回は夏。冬のように「大事なレースと重なっている」とか、「カレンダーの吟味がある」なんてことがない。よって、「午前中にゲーム(電源不要)で買い物して、お休み入れて午後に企業回り」って手もあった。企業ブースの敵は「混雑」であり、売り切れはさほど心配しなくていい(在庫は山ほどある)からね。しかし…以前コレと似たような判断してたら「企業ブースの売り切れ」に遭遇したんだよね。おまけに今回、実は企業ブースにも「依頼の品」があり、コッチは(企業ブースにしては珍しく)「需要予測が難しいので、売り切れの心配有り」って指定が入っていた。ドマイナーな雑誌の連載作品だけどアニメ化予定あり…ってのは需要変化が読みにくいんだよね。しかも、店員の対応がなってないのは確実(苦笑)。下手すると数量限定かけるって概念がないので、品切れ起こされても文句言えない。しかも、依頼主はチケット融通してくれた人。ことコミケの時は神様である(笑)。ココに迷惑かかる可能性がある策は採用しにくい。
 
 総じて判断するに、私が採用した作戦案は「まあ無難なモノ」だったと今でも思う。しかし、しかし…「いくら何でも大丈夫だろう」という予想は外れ、頼まれた物は思いっきり売り切れ。到着時刻は予定よりやや遅い(飲物休憩を多めに取ったので。そうでなきゃ倒れてた)11:40とはいえ…
 
 責任転嫁するワケではないけど、いくら何でも「午前中瞬殺」は困る。そりゃあ事実上「一般入場者には売らない」と言ってるようなモノだ。推定では買った人間の8~9割が「ゲーム(電源不要)もしくはその付近にいた売り子」でしょ。そーゆー人間しか買えないモノを、コミケで売るなよな…「どうせそんな連中しか買わない」って(おそらく正しい)需要判断に基づいているんだろうけど。カシコイやり方だと思うし、最近の風潮(ネットなどである程度需要予測が可能)なんだろうけど、好きになれないやり方だね。不良在庫と戦う覚悟あってこその同人じゃないの?
 
 何度かココで書いたけど、売り切れってのは私に対する「重大極まりない挑発行為」である。核兵器を公然と開発されたとか、弾道ミサイル打ち上げられたようなものだ。私の中では、空母機動部隊を派遣して「徹底的にぶっ潰す」価値がある。あるんだけど…正直、冬にリベンジするかどうかはビミョーかな。
 
 理由は簡単。「私の物欲を満たすモノ」じゃないからだ。依頼主が冷静に「仕方ない、諦めます」って対応をするのなら、私が突っ張っても無意味でしょ。集団自衛権なる概念があったとしても、利害のある当事国が「諦めます」って言ってるのに、同盟国の都合だけで宣戦布告はちょっと…
 
 それに…「コミケ初日に午前中瞬殺」ってのは、やはり対応に困る。ここにきちんとした対策を取ると、企業ブースでの買い物に支障が出かねない。それは多いに困る。ソコも含めてどうこう…となると、「3日間ともチケット手配」(不可能ではないけど、さすがに計算は出来ない)を前提とするか、手伝いを頼んで私の買い物を支援してもらう(頼めなくもないけど、やはり計算は出来ない)か…ましてや次回は冬。野外で待たされる辛さは我慢しやすい(夏と違って倒れる心配はない)けど、私が「買いたいモノ」は増える。カレンダーがあるから。さらに競馬で午後が潰れる可能性がある(話によると初日と東京大賞典バッティング決定)…いくら私が馬鹿でも、「自分の意地」だけで突っ走るのは限界がある。
 
 というわけで、冬にリベンジするかどうかは依頼主次第、としました。依頼主が「やれ」と言うのなら、そりゃもう全力でなんとかしますよ。今回だって最初から「スゴく厳しい」って情報があったら、それなりの対応は出来たわけで。もう若くはないって話はあるけど、気合いにモノを言わせて突っ走れないほど老いたつもりはない。老いていないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしとけ…

8月20日2007/08/21 01:56

 コミケ総括は後に回そう。今回はとにかく暑かった…久々に暑さで死ぬかと思った。ま、この季節に「いつものスタイル」してる私が悪いと言えば悪いんだけど。
 
 本日の話題は、馬インフルエンザの話題。いつまでも放置しておける話題じゃないからなあ。どう考えても流行ネタだけど、だからって触れないワケにはいかん。
 
 私は前回の馬インフルエンザ蔓延騒動のことは知らない。私の競馬歴じゃ、当然知ってるワケがない。せいぜい「日本馬の香港遠征中止騒動に巻き込まれた」ぐらいである。よって、かなり的外れなことを言う可能性はある。あらかじめこれは断っておこう。
 
 馬インフルエンザとは?馬のインフルエンザ(苦笑)。まあ、人間のインフルエンザみたいなもの。人間には感染しないそうだけど。競走馬ってのは基本的に「イキが良くて体力ある」ので、まず命の危険はない。とはいえ感染力は強めなので、放置しておくと学級閉鎖状態に陥る。
 
 第一報を聞いた感想は、「ホントに競馬やるのか?」である。そりゃあ確かに「たかがインフルエンザ」。人間様だとそれでも無茶して会社に行かなくては…って事例もあり得る。しかし、この場合別に「モーレツに激しい運動」を要求されるワケではない。競走馬は何だかんだ言って「走ってナンボ」だ。「実はインフルエンザでした」で負けるのは、かなーり納得できない。それに、「他の馬への迷惑」ってものもある。
 
 やるやらないでスッタモンダしたあげく、結局は競馬中止。調べれば調べるほど被害状況が拡大していったんだから、当然だけどね。しかし、JRAは「今週末は出来るんじゃないかな」ってコトを言い出し、一応その準備をしている。おいおい…大丈夫か?
 
 昔の馬インフルエンザ騒動では、競馬再開に2ヶ月かかったとか。比較的最近の例では、香港が2週間競馬を中止してる。JRAはこの香港の数字から「今週は何とかなる」と判断したようだけど…香港より頭数多く、しかも放牧だ地方遠征だと馬の出入りが複雑な日本中央競馬が、香港と同程度の期間で終息するのかねえ。私が思うにこれは「甘い希望的観測」であり、もっとシビアな予測をした方がいいような…
 
 その点、大井の対応は好感が持てた。馬が1頭ハナミズたらしたってんで、「まさか!」ってことで開催中止。実際は単なる夏風邪でした…ってオチがついたけど。もちろん、この対応は満点ではない。普段からチャンと調べる体勢整えていれば、開催できたんだから。そこは多いに責められてしかるべき。ただ、どっちとも断言しにくい状況で「もし馬インフルエンザなのに開催しちゃったら」どうなったかを考えれば、あえて中止が正解でしょ。今この時点で優先すべきコトは何なのか、それがわかっていたと評価したい。
 
 今の時点で何よりも優先されるべきコト。それは何と言っても「馬インフルエンザに罹った馬を競馬場で走らせない」でしょ。これをやらかしちゃったら、その影響は並大抵のモノじゃない。流行を拡大させて長期にわたり競馬が出来なくなっても文句は言えないのだから。仮にそんな事態が発生しなかったとしても、日本競馬界の信用は地に落ちる。客の我々は「公正競馬」なるうたい文句を信じられなくなるし、諸外国が日本を見る目も違ってくる。開催を諦めるデメリットは巨大かも知れないけれど、それ以上の影響が出るのは間違いないのだ。こんなことは私が言うまでもなく、JRAもわかっているはずだけど、思い切った対応が取れない…こーゆーのを「危機管理意識がなってない」と言うんじゃないかなあ。
 
 もちろん、競馬開催ってのは極めて優先順位が高い。そのための努力をするのは当然である。とはいえ、何事にも限度ってモノがある。今週末の開催を焦って実行した結果、その先長期にわたる競馬開催が犠牲になるようでは困るのだ。あくまで私個人の意見だけど、これこそ典型的な本末転倒。得られるリターンは小さくないけど、ソコに生じるリスクが大きすぎる。
 
 私が思うに、日本人は「目先の利益をコツコツ積み上げていけば、うまくいく」って意識が強すぎる。こういう発想は大事だと思うけど、時には「小さくいっぱい勝ってコツコツ積み上げても、デカい負け1つで全てパー」ってことになりかねない。場合によると「ガンガン負けても、デカい勝ち1つでオツリがくる」って方向を追い求めた方が勝る場合もあるはずだ。ただ…この辺の判断は、「責任問題」ってモノと無縁ではないので、ついつい無難な方向に走ろうとするんでしょ。
 
 こういうカゲキは話はこの辺にしておこう。ヤバいこと口走りそうなので(苦笑)。しかしまあ、凱旋門賞挑戦予定だったメイショサムソンが感染してたってのは…ディープインパクトの件といい、ウォッカの件といい、なんか呪いでもかかっているような。これは「海外でも勝てる」などと調子に乗っている関係者への鉄槌か?「まずはチャンとした状態で出走する」のが大事なんであって、勝ち負け云々はその次だと思うぞ。
 
 中央競馬がない週末ってのは、色んな意味で衝撃である。けど、我々ファンもこれを「教訓」にしなくてはいけない。勝ち負けじゃないんだよ。まず大事なのは、「そこに競馬があること」なんだよ。それが不明確な段階なのに香港競馬遠征を試みたことがある(競馬はやってたけど、日本馬は全部回避…)私の気持ちがわかってもらえたのでは?ま、先週馬券買う予定無かったオレが言うのは何だけどさあ(笑)。

8月21日2007/08/22 00:39

 コミケ総括。まあ一番語りたいことは先日吼えたので、その落ち穂ってトコロだね。どちらかと言えば「自分のため」のネタなので、あまり期待しないように。
 
 今回、便せんは「まずまず」。時々「良いモノは買い尽くしたんじゃ…」と感じることもあるけど、今回は満足度高め。「使いもしないのに、よくやるなあ」と言われたけど、チャンと使う予定はありますよ?私が医者から「余命半年」と言われた時(笑)。葬式の時も花の代わりに詰め込むとよろしい。コレクションなんてそんなものでしょ。
 
 他にも「初回特典のサントラ集持っているクセにあえて買った某社サントラ集に、まだ持ってない曲が収録されてた」(わかる奴は何言ってるのかわかる)といった幸運もあり、結構ご機嫌である。暑い思いをして行った甲斐がありましたねえ。この流れを冬に繋げて欲しいところだけど、どうでしょ。
 
 閑話休題。今回は我ながら少し驚くことがあった。それは、「東館で購入実績無し」を達成しちゃったことである。記憶が正しければ、コミケがビッグサイトで開かれるようになって初ではないかなあ。ちょっと珍しい記録かも。
 
 これだけじゃ何のことかわからないと思うので、解説しよう。東京ビッグサイトってのは「西館」と「東館」ってのがある。どっちもデカいけど、比べれば東館の方が広い。ちなみに、この東館だけで幕張メッセ並だとか。これを全部借り切って行われるイベントなんだから、いかにコミケが馬鹿げた規模なのかがわかる。今回の参加人数は3日間のべ50万人超えたかもね。私が知ってる「コレに匹敵するイベント」は、日本ダービーくらい(最近は明らかに負けてるけど)だ。
 
 広いだけあって、大抵の奴はまず東館に用がある。実際、「人を集めそうなジャンル」が集結しているし。ドマイナー路線を突っ走っている私でも、諸般の事情により何かしら用事があったものだ。けど、今回は全く用事無し。3日間とも参加してる(する必要がある)のに。ま、「ちょっとビックリ」ってトコロかな。
 
 これは別に珍しい話ではないと思う。3日間とも参加した馬鹿は相当いるはずだし、中には「西にしか用がなかった」奴もいるんじゃないかな。今回に限らず過去も含めれば、「探せば見つかる」と思うな。けど、私がコレをやったのは初めての筈。なお、より正確には、3日目に「お目当ての」サークルめがけて東館に踏み込みました。けど、「新刊無し」の張り紙見て即時撤退。別にいいけどさあ…ブツブツ。
 
 恐ろしいことに、どうもコミケは「まだ拡大傾向」にあるらしい。サークルの当選確率はまた落ちてきてるような。しかも、今回はいつもより「メジャーな」ジャンルの面積が増え、マイナージャンルの面積が減らされたような…これは代表変更効果なのか、それとも「そうしなきゃやってられない」状態になってきたのか…
 
 私が「東館に用事無し」となったのは、このアオリを受けた影響ではないかと思われる。私が行くところはマイナージャンルだから、西館に追放されたってコトじゃないかと。別にそれが不満とかどうとかって話ではないけどね。マイナージャンルにしがみつく人間にとっては、いよいよコミケも生息しにくくなったのかなと。
 
 コミケの今後については、色々噂がある。とりあえず今年の冬は12/29~/31という「地獄の日程」で決定。ただ、これは来年以降止めるって噂がある。だからって有馬記念にぶつけるとか、年が明けてから…ってのも困るんだけど。具体的にどーすんのかね。あと、怪しげな噂として「東京オリンピック対応でビッグサイトが拡張される」ってものもある。もし本当なら嬉しい話なんだろうけど…ただ、本当だとしても招致失敗したら意味がないんだよね。期待しない方が良さそうだ。それに、広くなったらなったで大変だし。あと、廃止圧力も相変わらずだとか。
 
 なお、今年の冬はまた大規模な「日程移動」があった。今回3日目だった「メカ・ミリタリー・旅行」が初日に。2日目だった「スポーツ」も初日。それと「創作(少女)」のうちドール・グッズ系以外(便せんはドッチだ?)が2日目に動いた…すいません、滅茶苦茶影響デカいんですけど。おまけに冬は東京大賞典(初日の午後)があり、カレンダーを吟味する必要もある…体力乏しくなる3日目がややヒマになったのはいいことだけど、私は相変わらず売り子やるのはこの日…
 
 何だかんだ言って東京ビッグサイトは「快適な空間」であり、「ヲタクの聖地」みたいな言われ方をしているらしい。けど、その昔々、もっと狭い会場の頃から知ってる私に言わせれば、コミケってのは「生き地獄」である。「普段の行いが悪いので、あんな地獄に行かなくてはならない」って意識が残っていたりするんだな。その昔の地獄に比べれば、今のコミケなんてカワイイものだと思う。思うけど…今年の冬は辛いなあ。トホホ…

8月25日2007/08/26 00:02

 今週は競馬開催。嬉しいと言えば嬉しいけど、大丈夫なのか?「これで何もかも戻った」とは言えないだけに…これについてはまた後日。
 
 久々に固い話題を取り上げたくなったので、本日は「著作権」について語ろうかと。なお、「なんちゃって法学部生」が何も参考にせず語っているので、細かい部分は本気にしてはいけません。
 
 この話題を取り上げるきっかけとなったのは、某所で見たブログに「(著作権ってのは)カネを取れるかどうかが問題となる権利」などと書いてあったので。うーん、言いたいことはわかるんだけど、正確ではない。「勝手に改ざんされたり、不適切な場所に発表されない権利」ってのも一応含まれているのだ。森進一が「おふくろさん」を歌えなくなったのは、作詞者が「勝手に改ざんされた」と激怒したからである。こういう「当たり前すぎて見逃されてること」もキチンと考えないといけませんね。
 
 著作権とは、具体的にどんな権利なのか?うーん…正直、説明が極めて難しい。法律ってのは実は結構曖昧に出来ていて、六法全書やらを見ただけじゃスバリ説明したうちに入らないんだよね。法律ってのはある程度の弾力性がないと、世間の動きに対応できなくなる危険性があるから。本来なら学説やら判例やらを参照しないといけないんだけど、そんなもの私に要求するな。
 
 それでもまあ、私なりにまとめると…「コレは著作物だなあ」と世間から思われるモノを、「世間に発表したとき」に、著作者に自動的に生じる…んじゃないかなあ。
 
 著作権が生じるのは著作物である。著作物とは…映画とか音楽とか小説とか。単なるメモ書きなどは含まれない…んだけど、じゃあ具体的な線引きは?と聞かれると結構困る。小説のアイデアを書き留めただけのモノは著作物なのかぁ?私の知る限りでは、著作物扱いされることが多いようだけど…ま、この辺は私が悩んでも仕方ないのでパス。
 
 結構大切なのが、「世間に発表されたとき」初めて生じるってことかな。この辺が「届け出が認められた時点」で初めて生じる商標権や特許権と異なる。ちなみに、「世間に発表されたとき」ってのはどの時点なのか…と聞かれても困る。不特定多数に向けて発表すれば間違いないんだろうけど、じゃあ出来た曲を演奏予定者のみに伝えただけじゃ駄目なのか、家族や友人知人だけに公開した場合は…などと考えてゆくとアタマが痛い。
 
 著作権ってのは、どうも「とりあえずは自動的に生じるもの」らしい。そう考えないと、つじつまが合わない部分が出てくるんじゃないかと思う。「使用料なんて取りません、改ざんその他何をしてもらっても結構」ってモノがあるのは事実だけど、これは「著作権が生じてない」のではなく、「著作権があったんだけど、放棄した」ものと考えるべきでは。そう考えないと、何故「カネ取りません」って決定できるのか…がわからなくなっちゃうので。
 
 著作権は譲渡可能か?うーん…実は解釈が難しい。著作権に伴って生じる権利、たとえば印税を徴収する権利なんかを譲り受けることは可能だと思う。けど、著作権そのものを譲渡することはできないのかもしれない。そうしないと「作者」がコロコロ変わっていっちゃうわけで。ただ、発表されてないのでまだ著作権を獲得してない著作物をやり取りすることは可能なので、「実は作者だけど、著作権持ってない」って状態は当然考えられる。雑誌の投稿コーナーなどが「著作権は雑誌社側に…」と書いているのは、このことを差しているのでは。
 
 ただ…そう考えると結構難しい問題が生じる。「ブログと雑誌投稿コーナーの関係」だ。ブログは不特定多数が閲覧可能なので、おそらく「世間に発表されたとき」に該当する。そこに書かれたことは、かなりの割合で「文芸的価値がある」とされる(「誰でも全く同じモノを書けるかどうか」が判断基準。内容が下らないかどうかは判断基準じゃない)のでは。よって、おそらくブログは著作物であり、発表した時点で作者に著作権が(自動的に)生じることになる。作者が何と言おうとだ。
 
 そうなると、実は「ブログに書いたことを、投稿コーナーにそのまま送るのはマズい」ってことになる。作者にそのつもりが無くても、自動的に権利関係がややこしくなる。雑誌側としては「すでにブログで発表されている」ことを理由に掲載を見合わせるべきなんだろうけど、チェックできるかぁ?この問題は「同人誌と雑誌の関係」って形でその昔からあったはずだけど、ある意味ややこしさが増している。
 
 著作権に違反した場合どうなるか?実は、とりあえずは何も起きない。著作権違反については「親告罪」と言って、権利を持ってる奴(あるいはその代理人)が「権利が侵害されている!」と訴えない限り、何でもやりたい放題なのだ。つまり、権利持ってる奴が咎めない限り、何でも「黙認」されてしまう。
 
 「コレはマズいんじゃないか」ってことで、著作権違反を「別に訴えなくても取り締まれるよう」改定した方がいいんじゃないか…って意見がある。コレは確かに一理ある。著作権持ってる奴がイチイチ監視するのは難しい。せいぜい個人に毛が生えた程度の存在では、「違反してる可能性があるモノ」を全部調べられないのは確実。それを公的権力にゆだねるのは、さほど暴論であるとは思わない。実際にはまあ色々問題があると思うけど。
 
 しかし、私の意見は「それは止めた方が…」となる。このやり方は「目が届かないのをいいことに、やりたい放題やってた連中」が損するだけに留まらず、おそらく「今までやられていた、権利持ってる人間」にとっても損が大きいと思うので。
 
 たとえばだ。幼稚園児・小学生が絵を描きました。よく見ると著作権違反になるモノが含まれてます。こんな時どうする?原理原則論で言ったら、この場合も摘発してカネ徴収すべきだ。けど、そんなことして権利者は本当に得か?ガキとその親を無意味に敵に回すことになるし、どうせ取れるのはハシタ金。にもかかわらず、「そのハシタ金を集金するためのシステム」を整備する必要がある。程度問題だの何だのがあるけど、原則として「そーゆーことならやってかまわない」と判断した方が得だ。
 
 著作権違反が親告罪なら、この処理は単純である。単に見逃せばいい。カチンと来るものだけ訴えれば良いんだから。しかし、非親告罪となるとそうはいかない。見逃すかどうかの判断は、摘発組織(警察か特許庁か?)の判断次第になる。この判断は著作権者とは独立してるので、権利者の意に沿わない判断ってのができてしまう。
 
 それを防ごうと思ったら、「ドコまで見逃して、どこからがアウト」って基準をキッチリ決める必要がある。しかし、これは大変どころの話じゃない。まず、「どんなものもこれでOK」って基準を定めるのは、事実上不可能だ。莫大な金を生み出す作品と、ちょろっとブログに書いただけってシロモノを一緒に出来ない…ってモノは多いでしょ。じゃあ、あらかじめ「コレは見逃すけど、コレはアウト」って基準を作品ごとに著作権者が定めれば…あのー、ブログ更新する度「コレはOK、コレは見逃す」って基準を示せと?引用とかしようと思ったら、そーゆー部分を探して読めと?摘発する側はそれに従って「コレは違反、これはセーフ」と見分けろと?
 
 親告罪ってのは、ある意味では「何がセーフで何がアウトか」を、権利持ってる人間が直接判断できる制度なのだ。非親告罪にすると、その権利を「公共」に完全に譲り渡すことになる。そうすることにはメリット・デメリットがあるけど、私は著作権に関してはデメリットの方がデッカイ気がするなあ。現行の制度でも、必要ならJASRACのような「著作権管理団体」を作ってそこに監視してもらうって手が使えるんだから。私に言わせると、この手の団体に力与えると、ロクなことしないからねえ。
 
 著作権ってのは、実は結構身近なものである。ごく一般的な人でも何らかの形で関わっている可能性は高い(主に消費者として)し、ヲタクに至っては…トップクラスになると「コミケ(コミックマーケット。同人誌中心の即売会)基準とワンフェス(ワンダーフェスティバル。フィギュアの即売会)基準の違いについて」を蕩々と語ることが出来るからねえ。著作権を見直そうと思ったら、弁護士やお役人だけでなく、こういった連中にも話を聞く価値があると思うんだけど、どうかねえ。ま、とりあえず私には聞かないで欲しい。しょせん「なんちゃって法学部生」だし、トップヲタクでもないんだから。つまり、中途半端はいかんってことだね(何かが違う…)

8月30日2007/08/31 02:14

 ある恥ずかしいサイトで、恥ずかしい姿の私を発見!よくよく見たらバッチリ撮られていたよ…ま、本人以外絶対気がつかないから良しとする。もちろん、ここから先は軍事機密だ(笑)。
 
 本日のお題は、「空自のFX導入」について。とりあえず「空自が何考えているのか」ボンヤリと掴めてきたので。一応軍事の話題なので、この色で。本来ならメカフェチ関連でこの色なのかも知れないけど。
 
 ココで言うFXとは?空自が購入予定の、新型戦闘機のことである。何でも、残りのF-4ファントムを置き換えるんだそうな。予定では、来年機種を決定することになっている…というより、「なっていた」。
 
 そうかあ、ファントムもついに日本の空を去るのか。いい機体だったのにねえ…などとファントムの話題を語ったら、メカフェチとしてはレベルの低い私でも山ほど語れてしまうので、パス。「ファントム無頼」をリアルに知っている世代だけに、感慨深いんだけどねえ…
 
 その後釜候補だけど、現時点では4機種に絞られているらしい。米国のF-22ラプター、F-15Eストライクイーグル改、F/A-18Eスーパーホーネット、それと欧州のタイフーン。仏のラファールは自主的に脱落、米国のF-35ライトニングⅡは「導入時期に間に合わない」ってことで候補ではないとされている。
 
 わかる奴には上記説明以外不要なんだけど、そうじゃない人のため蛇足解説。F-22ラプターってのは、米国の最新最強戦闘機。「レーダーに映りにくい」ステルス性が最大のウリで、模擬空戦では馬鹿馬鹿しくなるほど強いとか。ただし、お値段は間違いなく高い。それと、米国議会が「外国には売らない」って決議を下している。
 
 F-15イーグルは、今の空自の主力戦闘機。それとちょっと改良して「武器いっぱい積めるようにしました」ってのがストライクイーグル。もし空自が買ってくれるのなら、「専用のカスタム仕様を作ります」ってセールストークがあるそうな。ある意味、一番無難な選択ではある。
 
 F/A-18Eスーパーホーネットってのは、元々米軍の空母艦載機だったF-18ホーネットを改良したモノ。今じゃ米空母の艦上はホーネット系列の機体で埋め尽くされている。もちろん、普通に地上で使っても高性能。ただし、何故か知らないけど空自はこの機体があまり好きではない…って説がある。
 
 欧州のタイフーン。英・独・伊の共同開発だっけ?諸般の事情により「飛行機は日本製か米国製がいい」と言い張る空自が本気で買うとは思えないけど、一応チャンと売り込みに来てるらしい。機体の評判は…今のところ良い話も悪い話も聞かない。
 
 仏のラファールは、とにかく独自路線を歩みまくる仏の最新戦闘機。空母でも使えるってのが特徴。ただ、輸出は苦戦している。一応FXの候補に入っていたようなのだけど、「どーせお前らは米軍機買うんだろ」と見透かされて?自主撤退。
 
 F-35は「廉価版ステルス戦闘機」。将来は米空軍・海兵隊・海軍(空母艦載機)に加え、英海軍でも使う予定。オプションで垂直離着陸性能を付けることが出来る。ただ、今現在試験飛行している段階であり、「来年機種を決めて…」って空自の予定には間に合わない。そのため、FXの候補からは外れているらしい。
 
 これらのうち、空自が欲しがっているのはラプターである。少しばかり「高い買い物」であっても、米軍最強機を欲しがるのが空自だから。まあ現状ではケタ違いに強いらしいので、それが悪いとは思わない。ロシアや中国でさえ「ステルス機」開発に乗り出しているらしい(ただし、中国は話だけ。ロシアは開発難航だとか。)現状において、ステルス性能をさほど考慮してない他の機体を買うのは「安物買いの銭失い」になりかねないからねえ。
 
 ただ…最大の難点は米議会。「外国には売らない」って決めちゃったからねえ。メーカー側は「売らせろ」って圧力かけているのかもしれないけど、現状どうしようもない。豪州が「買いたい」って言ったらしいんだけど、この法案をタテに断られ、別の機体(スーパーホーネットだったかな?)に切り換えさせられた。「日本が買うって言えば、話は別なんじゃ…」って期待はあるようだけど、どうかねえ。
 
 そもそも、米議会は「黙っていると日本が買おうとするから、先手を打って売らないと決めた」んじゃないかって話がある。技術流出が怖いから。なにせ、軍事機密をネット上にタレ流しした実績がある国だからねえ(苦笑)。それに、またマネされて米航空機産業にケンカ売られても困るわけで。米ボーイングの最新旅客機は、日本への発注割合増えているって話だし。
 
 どうする防衛省?と思っていたら…どうも空自は「ラプター以外買いたくない」と思っているようだ。「ラプター売る気になるまでFX選定遅らせる」ってプランもあるそうな。さらに、「ステルス機自主開発用の費用」を今年度の予算要求に盛り込んだ。どこまで本気なのかは知らないけれど。「売ってくれないのなら、自主開発しちゃうよ」って圧力をかけたつもりらしい。ま、言いたいことはわかるし別に無駄金とは思わないけど…
 
 「ステルス機が流行すると、空戦はヘンな方向に歪むのでは」って意見がある。理屈はこうだ。実のところ、戦闘機の「ステルス性能」ってのは、重要な性能かどうかビミョーである。何故か?戦闘機にとって重要なのは「敵を見つけること」だ。最優先課題はこれである。移動しないか、しても飛行機に比べればトロトロ動く地上目標を狙う爆撃/攻撃機とはワケが違う。「お互い見つからない」って状況では、戦闘機はあまり意味がない。
 
 今現在はいい。ステルス機なんて持ってるのは米軍だけなので、ステルス機がステルス機と戦うことは考えなくていい。お互いレーダーで敵を探している場合、ステルス機側が一方的に敵を見つける。これはすごーく有利なので、ステルス機が勝つ。
 
 問題は、ステルス機同士が戦う場合だ。先に書いたとおり、「お互い見つかりません」って状態では、戦闘機はあまり意味がない。空戦にならないんだから。じゃあ相手より強力なレーダーを搭載すればいいのか…ってワケでもないんだな。
 
 レーダーってのは、「電波をバラまき、敵に当たってはね返ってきた電波を探知する」ことによって敵を見つけている。ここがポイントだ。つまり、レーダーってのは電波を周囲にまき散らしているのである。さて問題です。他の条件を何も考えない場合、相手に電波を当ててはね返ってきた電波を探知するのと、相手がまき散らしているレーダー電波を探知するのでは、どっちが有利でしょう?答えは簡単、相手の電波を拾う方が楽。ごく単純な計算だと、倍の距離から相手を探知できる。そりゃそーだ。レーダー波出す方は「自分~相手~自分」って距離の電波を探知する必要があるけど、拾う側は「相手~自分」の距離でよく、単純計算では電波は「距離の2乗に比例して」弱くなる(注:私の物理学知識は高校赤点レベルなので、間違っている可能性があります)。
 
 もちろん、これは単純計算である。実際は色々と複雑なことが絡む(レーダー側が色々工夫するし)ので、「レーダー使っちゃったら、ステルスの意味ないじゃん」ってことにはならないと思う。ならないんじゃないかな。その辺私も良くは知らない。ただ、とりあえず言えることとして「ステルス戦闘機ってのは、単にレーダーに映りにくいってだけじゃ駄目」ってのは間違いない。
 
 ラプターの具体的性能ってのはまだ機密だらけだし、私のゴミカス同然の知識ではさっぱりわからない。ただ、その昔からステルス機を運用し続けてきた米軍が、「他国がステルス機作ったら困っちゃう」レベルの機体を作ったとは思えない。ということはだ。日本が今更「ステルス機自主開発しちゃうぞ」などと言い出しても、「どうぞご自由に。ラプターに追いつけるわけがねえ。」で終わってしまう可能性がある。日本の技術力とカネをもってしてもだ。
 
 もちろん、日本の技術力とカネを考えれば、「いつかは」ラプターに追いつく性能の機体を開発可能でしょ。けど、ドコをどう考えても「日本が希望すれば売ってくれそうな」廉価版ステルス機がちょっと先に登場することがわかっているのに、そんなカネを出す意味はあるのかぁ?ラプターは諦め、ファントムの代替機はF-15改ぐらいでお茶を濁し、後々何かしら口実付けてF-35を買うってことでいいんじゃないだろうか。
 
 私はメカフェチと言ってもレベルはかなり低いし、日本の防衛政策についてもさほど詳しくない。ついでに言えば「カネ出してゴミ同然のモノを買う」のも得意技だ(苦笑)。「ファントムの代わりに何を買う?」って問いに正解を出せるとはとても思えない。ただ、防衛省のやり口に不安を感じてるのは「私のアタマがおかしいから」で片付けていいとも思えないんですけど。ほんと、どーなるんでしょ。