5月18日2007/05/19 05:16

 お待たせしました。POG本分析がある程度まとまりましたので、お届けします。本当はもう少し分析を続けたいんだけど、それだといつまで経っても発表できないからね。多少強引に書いてみようかと。なお、競馬ネタには珍しく?今回は「知らない人完全置き去り」で。説明書いてるヒマがねえ。
 
 まずは前回のおさらい。「POG本は似てる気がする」ってのが〆だった。これは本当か?そうだねえ…「解釈にもよるけど、おおむね似てる」と評していいのでは。なにせ、取材対象に大きな違いを発見できなかった。
 
 発売時期が似通ったのも、これが原因なんでしょ。「牧場行って有力馬の話を聞く」「産地馬体検査を取材する」「外国産馬のセール情報がある」ってなネタを網羅しようと思ったら、発売日に独自性が出せるわけがない。
 
 似てるのは取材対象だけじゃない。ライターの顔ぶれも結構似ている。Gallop別冊(以下「G別」と表記)付録のDVD解説担当は、青本メインライターと同一。新黒と赤本は3人同じライターを使っていた。G別・赤の外国産馬情報は同じ合田直弘氏。競馬ライターなるものの層の薄さが忍ばれるような…
 
 とはいえ、違う点はちゃんとあるのも事実。その辺の説明も含め、各本の路線を解説してみよう。まずG別。DVD付録が目玉か。動画があるのは確かに良い。ただ、文章量は少なく、言ってることもかなり一般的。馬体写真も結構「ヌケ」ありと評価した。重要な特徴として、いわゆる「クラブ馬」情報とTM情報が充実している。
 
 今年から発売の、新黒本。旧黒本はやはりなくなったようだね。馬体写真を少な目にして、「関係者のコメント」充実させたのが特徴。ある意味、一番独自色を出そうとしているかも。マンガや下らないコラム(ジャンケン解説って何だよ)といった「脱力系」ネタが目を惹いたかな。
 
 青本は、「戦術解説」が特徴かなあ。他が「良い馬を見つければ、それで良し」ってな論調なのに対し、「それをどう獲得してゆくか」というドラフト戦術に踏み込んだ解説が充実している。これを「有り難い」と思うか、「余計なお世話」と思うか…
 
 一番の古株になった赤本。良く言えば手堅い、悪く言えば「突っ走ったところのない」作り。ま、今更この本にそんなもの求める奴はいないでしょ。諸般の事情により、今年私の「一番手」だ。その辺の解説は後で。
 
 出版元も重要な情報である。G別は週刊「Gallop」増刊で、産経新聞社発売。Gallopの巻号がついてるので、完全にGallopの「一部」である。それに対し、残る3つはムック。雑誌コードとISBN(単行本識別コード)を同時に持ってる、ある意味司書の敵(笑)。新黒は「競馬王」、青は「競馬最強の法則」、赤は「FLASH」の派生商品って位置づけになるのかな?
 
 ちょっと辛口に解説してみよう。まずG別。一言で言えば「あざとい」。POG本と言うより、「GallopのスタッフがPOGについて語ってみました」的な色合いがすごく濃いのだ。内容がどうこうより、「Gallop買ってる奴は買ってくれる」みたいな奢りがあるような。写真が大きいとかDVD付録とかいう利点があり、存在意義は決して小さくない。けど、Gallopと切り離した単体として考えた場合、やや薄っぺらい気がするかな。
 
 新黒。独自性をそこに求めちゃったか…ってのが正直なところ。この世界、関係者コメントってのは「多ければ多いほど良い」のかどうか、ビミョーな気がするんだよね。この時期の関係者なんて、「自分の馬が一番!」って確信を持っているに決まっている。曲がりなりにも勝負の世界なんだから、それが当たり前でしょ。それだけに、悪い情報なんていくらつついてもなかなか出てこない。「結局どうなんだ」って部分のみに着目するなら、少し内容が薄くなると思うんだよね。その気になれば「裏を読める」のは事実だけど、そんな「ディプロマシー」ばりのテクニックを要求するのはどうなのよ。私はこの路線嫌いじゃないけど、世間は受け入れるかねえ…
 
 青本。ドラフト戦術解説を除けば、あきれるほど「堅い」作りである。去年創刊されたとき、「赤本をもう1つ作ってどうする」って思ったぐらいだ。G別に次いで「雑誌販売促進アイテム」感が漂う。ただ、実はライターの独自性は結構高い。シロウトの露出もある。これは私の中では「新鮮でよろしい」となるけど、世間ではどうなのか。
 
 赤本。雑誌との独立性は一番高い…って、本誌は一般紙(写真週刊誌)だからねえ。商売事情考えたら、「何でこんなものが」って本である。歴史は古く、ある意味作りも保守的。ただ、その分文章は一番「まとまって」いると思う。この点をどう評価するのかが重要だと思うな。
 
 とまあ色々解説してきたわけだけど、肝心なのはこれから。このネタの主題は「ネット情報時代に紙媒体ができることは何なのか、POG本から推理してみよう」であり、そこを語らないと意味がないからね。
 
 まずは仮説を紹介しよう。私が立てたのは、「読者は紙媒体に特ダネを求めない」である。理屈はこうだ。特ダネってのは、即応性が高くて狭い範囲で流通してる場合に大きな意味を持つ。つまり、「オレは知ってるけど他人は知らない」って状態に価値がある。こういうものは、現状だとネットの方が大きく勝る。即応性は言うに及ばず、「流通」なるものを考えなくて良いので「情報源が乱立してる」って状態になりやすい。おそらくだけど、特ダネがどうこうって部分で勝負するのであれば、紙媒体は圧倒的に不利だと思う。
 
 そうなると紙媒体の仕事は何か?「常識の提供」と「権威付け」だろう。情報のギャップは価値のあることだけど、同時に問題点もある。「共通の話がしにくくなる」のだ。特に日本人は「横並び体質が強い」から、常識ってモノに対するこだわりは強い。そして、何が「常識」なのかを決めるのは、結局のトコロ権威だ。特ダネは「常識じゃない」ことに価値があるので、特ダネが得意なネットは「常識の形成」って部分は弱いのではないか?ということは、権威付けの点でも弱くなりそうだ。ここを補完するのが、紙媒体の仕事…私はそう仮定してみた。
 
 この仮定から導かれる推論として、「紙媒体は扱うモノが似てくる」ってのがある。主な仕事が「常識の提供」なんだから、基本部分は外せなくなる。他と同じネタを扱っていることは、マイナスよりプラスが多いはず。また権威付けも重要だから、「良いか悪いかの境界にある」ものを「良い」「悪い」と分別するより、「良いに決まっているモノを良いと言い、悪いに決まっているモノを悪いという」ことが重視される。それがある種の基準になるんだから。その結果、どうしたって全体に似てくるのは当然でしょ。
 
 この仮説を検証すべくPOG本を比較してみたんだけど、結論から言えば「半ば当たり、半ば外れる」ってなことになったと思う。まずは当たっている部分から。取材対象がとにかく似てるのは、予想される需要が「他にない」って証拠のように思える。しかも、やってるのは結局有力馬紹介。「良いとわかっているものを良いと言い、悪いとわかってるものを悪いという(正確には、無視する)」ための取材でしょ。
 
 私が当初考えたより「ノウハウ提供系」の記事が多かった(普段無視してるので気がつかなかった)のも、当たってる部分に含めて良いかな。私は「ノウハウは自分で創るモノ」って意識が強めなので「余計なお世話」と思うけど、最近は老いも若きもノウハウ大好きだからねえ。ノウハウ情報ってのは「伝える」というよりは「教える」って性質が強い情報であり、「教える」ためには常識と権威が不可欠…ってことを考えれば、私の言いたいことはわかってもらえるかと。
 
 外れてる部分は、主に「関係者コメント」についてである。方向性は全部「良い、オレの馬が一番」であり、取材側もオベンチャラばかり言ってる気がするんだけど、それでも結構本ごとに引き出してるモノが異なっている。「方向性一緒なら、結局意味がない」って考え方もアリだと思うけど、当初の私の予想は「共通記者会見並みに共通性が見られるのでは」ってレベルだったことを考えれば、独自性はちゃんとあるんじゃないかなあ。
 
 この辺の独自性は、おそらく「ライターの基本ができてる」からじゃないかな。おそらく「単なるブロガー」には難しいことと予想されるだけに。これを「さすが」と呼ぶべきか、「プロなんだから当然のこと」と考えるかはビミョーではあるけど。さらに言うなら「実は共通記者会見レベルの共通性を持たせるべきなんじゃ」とか、「せめてここが変わらなければ、本当に区別不能になるだけ」といった見解も出ると思うけどね。ただ、私は一応プラスだととらえたい。もっとも、「こんなところがプラスでどーする」って思うのも事実なんだけど。
 
 今回は「この研究結果を受け、一般論に拡張する」のは避けたい。これをやろうと思ったら、今回ほとんど考慮しなくて良かった「TV・ラジオ」を語る必要があるんでね。これが抜け落ちた「メディアとネットの関係論」なんて意味ないでしょ。その意味では、今回の結論が「使えない」のは事実。けど、オレが書くネタなんてそんなもの。多くを期待されても困る。でも、無価値ではないと思う。それでいいじゃん。
 
 最後は、今年の1位指名予定馬を公開しちゃおう。POG本についてこれだけ書いておいて、POGそのものについて黙ってるのはどうかと思うし。事前に指名馬公言して「他人を威嚇する」のが私のセオリーだから、思い切ってバラしましょう。今年の1位は、ダンパの05(橋口厩舎)にしようかと。
 
 理由?赤本によると、橋口調教師は新たに「ダービー勝って、キングジョージ挑戦」なる野望を持ったそうな…センセ、ついに壊れましたね(笑)。いや気持ちはわかる。オレもアスコット競馬場に「リベンジしちゃる!アイシャルリターンじゃ!」って言いながら中指突き立てたんだし。でもこれは、「日本馬のキングジョージ初制覇を見届けなきゃ気が済まない」と公言してる私に対する挑発です。「ハーツクライのご褒美にもらった」などと(各所で)言ってる、ダンパの05でそれを達成してもらおうじゃありませんか。もちろん、私もついていきますよ。つーか、アスコットまで応援に行かないような奴には簡単に渡せないな。せめて私とのジャンケンに勝ってくれ(笑)。

5月19日2007/05/20 03:22

 本日はこの色でクソ真面目なことを語るという、いつも以上に意味不明なことを。「同人誌と表現を考えるシンポジウム」なるものに参加したので、その感想・意見などを述べます。
 
 私は一応「同人誌作家」である。いや、確かに活動休止して長いんだけどさあ。だからこのシンポジウムに参加した…ワケではない。仕事で「(法律関係の)シンポジウムをググれ!」って指令を受け、検索結果と格闘してた関係上、何となく私もシンポジウムなるものに顔を出したくなっただけ(笑)。ま、参加する意義と意味はあるんだけどね。
 
 こんなシンポジウムが開かれたきっかけは、昨年「バーチャル社会のもたらす弊害から子供を守る研究会」なるものが開かれ、そこの最終報告書に堂々と「同人誌」について書かれたから。いやあ、同人誌も社会的に認知されたものだなあ…で片付けるわけにはいきませんね。ヤバいじゃん。
 
 この最終報告書、お上が作成させたモノには珍しく?「法的規制が必要である」ってな結論にはなってない。ただ、「自主規制が必要だ」とされ、同人誌についても「対策の強化を求める」って書かれた。そこにある種の危機感を感じた同人誌サイドが、「今までの取り組み」と「将来の展望」を外部に発信しようってのが趣旨である。
 
 世間がどう思っているのかはともかく、同人誌ってのは「実は規制がやかましい」ものである。主催サイドの判断次第で「販売停止」がありうるから。かなり前からこのことは徹底しており、この世界に出入りしてる連中には良く知られている。ただ、この規制が具体的にどう運用されているのか、誰がどういう判断基準で決定しているモノなのかは案外知られてない。「今までの取り組み」では、その辺が細かく説明された。
 
 まず、同人誌の大半は印刷所に持ち込まれる。実は、この時点でチェック・指摘が入るのだ。ただし、「刷れない」と言うことはまずない。つっ返した結果コピー等で流通させられても困るから。とにかく修正を依頼して、わかってもらう。印刷同人誌の9割以上は「こういうチェックが入っているはず」という報告が印刷所側からあった。
 
 その後は即売会の規制が入る。コピー誌や同人オンデマンド(自分のカラープリンターで刷り、製本したモノ)なんかはこの時点で初めて規制が入るわけだけど。もちろん「何を売っているのか」をチェックするのが基本だけど、参加者に「18禁のものを子供に売らない」よう、徹底指導がされる。この点は「匿名性の高いネット販売より、遵守されてるのでは」という報告が。
 
 最後は、書店規制。同人誌売ってる本屋ってのは昔からあったんだけど、今では「大々的に扱っていて、認知度が高めの店」が増えたからねえ。ここでも「即売会で規制されたモノは、修正がない限り扱わない」「即売会で規制されなかったモノも、一応目を通す」「もちろん、18歳未満には18禁のものは売らない」といった措置がとられている。
 
 判断基準だけど、まずは有名かつ歴史のある「コミケの判断」が全体に影響している。知る人ぞ知る話だけど、コミケの基準は結構キツめである。「今じゃ商業誌の方がよほど露骨」だと私も思う(苦笑)。そのコミケ裁定がどーなってるのかと言えば、最後は担当責任者の主観(笑)。ただまあ、これをずーっと担当してる人なので、文句を付ける余地は少ないと思う。なお、地域ごと・担当者ごとのブレはあると推定されているけど、すり合わせをまるでやってないワケではない。
 
 こうした現状報告に続いて、「これからどーする」って討議が行われた。まず出たのは、「同人誌ってのは決して野放しではない」ってことを世間に訴えていくことだと。そりゃそーだ。「こんな自主規制があるなんて、初めて知った」って人は多いでしょ。それと、「公的な規制に関しては、可能な限り避ける」べきだという意見も出た。理由としては、表現者(作り手)の萎縮効果(パクられるのは誰でもイヤがるので、そーゆーモノを作らなくなる)が大きすぎることが出た。さらに公的な規制だと、「行き過ぎでは」ってなっても修正しにくいし。ま、大筋を私なりの要約で述べるとこんなものかな。
 
 これらを受けての私の感想だけど、「多少不満有り」ってところ。実は、上記の話題は事実上「全部ワイセツ物関連」である。ある意味、これは当然だ。刑法だの児童ポルノ法だの青少年保護条例だの…といった「取り締まり根拠となる法規制」は、主にワイセツ物についてのものだからね。また、世間とやらも「ヤバい本=ワイセツ物」って思っているはず。話題の中心がこれになるのは、私にもよーくわかる。
 
 ただ、この方面で「問題なし」となったからって、私の不安は消えない。私に関係が深いのはエロではなく、むしろそれ以外の「規制されそうなモノ」だからだ。代表的なのは暴力表現。「おそらく単なる杞憂」だと思うんだけど、「戦争(暴力の極みである)を扱っていやがる」って理由でウォーゲームが規制されたらたまらん。他には飲酒・喫煙・賭博表現。「20歳未満にギャンブル関連の本を売るなんて」といきなり指摘されるのは、かなーり困る。今現在は世間の目が向いていないジャンルではあるけど、決して油断はできないのだ。
 
 公的な規制がない、世間の目が向いてない、だからやりたい放題…ってのは、実に危険である。世間の目がいつ向くか、わかったものじゃないから。特に暴力表現に関しては、近々「規制強化」って話が出るんじゃねえだろうな…と怯えている。米国での銃乱射事件では「ゲームの影響が…」って話が出ていたし、現時点では詳細不明だけど、つい先日どこぞの高校生が「母親殺して首斬って…」って事件があったことだし。憲法すら改正しようとしてる現政権のことだ。何かの拍子に「刑法改正して暴力表現にも取り締まりを」と言い出すかも知れない。「安部(5/21誤記訂正 安部→安倍)は右だから戦争関連は取り締まらないんじゃ?」ってのは、何の解決にもなってない。「戦争はできるようにするけど、代償として戦争賛美に繋がる知識は制限する」ってとてつもない案(実は最低最悪だな)を出されたら、どうする?
 
 話題にならない自主規制ってのも、結構始末に負えない。「いつの間にか強烈な歯止めかかってました」となりかねないのだ。特に私が気にしているのは、喫煙表現だ。私の印象ではあるけど、商業誌からは喫煙表現が減ってきてるような。そりゃあこんなご時勢だ。「喫煙に関する記述なんて、無意味な反発喰らうだけ」って判断もわかる。けど、それを同人の世界に持ち込むべきかどうかとなると…こと喫煙に関する限り、どんな不安も杞憂とは呼べないね。「全面禁止はオレの死後にしてくれ」と祈るのみである。
 
 規制ってのは表現者にとって敵ではあるけど、考え方によっては味方でもある。「ここまではやっていい」って目安になるからね。下手に野放しにして、グレーゾーンを全部バッサリ斬られるのが一番始末に負えない。世間の目が集まっていないものだからこそ、制作者サイドにより近い印刷所・同人誌即売会・同人誌取扱本屋が「どう考え、どう規制してゆくのが良いのか」って意見を発してもらいたかったな。
 
 ただまあ、ここで話題にならなかったってコトは、「とりあえず問題にされていないんだな」って安心感がある。いわゆるお偉いさんの考えなんて、「有害図書=エロ」ってレベルに留まっているんでしょ。油断するワケじゃないけど、それが確認できたのは大きかった。ここしばらくは、ウォーゲームが規制されたり、競馬本が18禁になるといった心配はしなくて良さそうだ。
 
 私は「有害図書という概念そのものがナンセンスである」って思想の持ち主ではあるけど、世間はそう考えていないと知っているし、その「世間とやら」に合わせる必要があることも理解している。そもそも、「有害図書なんて存在しない」って運動を起こそうって気概もないし。ものによればとりあえず従うんじゃないかな。たとえば、性的でない虐待表現の規制とか。
 
 ただ、ものによってはちゃんと戦う意志はある。実のところ、エロもその1つである。そりゃあ私はエロ関連の制作者ではない。消費者としても熱心ではないので、エロ同人・エロゲーに規制が入っても直接的に大きく困ったりはしない。けど、ここは長年にわたって先人達が「必死になって戦ってきた」分野である。ここを大突破されると、私が絶対譲れないジャンルに多大な悪影響が及ぶのは間違いない。直接矢面に立つ資格はないと思うけど、可能な範囲で協力してゆかねば…って思いはある。
 
 「表現の自由」ってのは、憲法で保障された権利の1つだ。そりゃあ社会全体の利益を無視してまで押し通して良いとは言わないけど、なるべくなら規制は避けて欲しい。こういうものは「自分にとって都合がよいモノだけ守れば良い」って考えでは、規制推進側に各個撃破されるだけだと思う。猥褻物に関する見解は色々あると思うけど、「ここが押し切られたら、次は自分かも」って危機感は多少でも感じ取って欲しいかな。

5月21日2007/05/22 02:10

 まずは指摘を受けた誤記訂正から。5/19のネタに出てくる「安部」は「安倍」の間違いです。単なる誤変換ですが、いけませんね。これから注意します、はい。
 
 昨日はゲームの方に顔を出していた(馬券も買ったけど。ちなみに馬連でベッラレイア抜け…)ので、ゲームの話題を。プレイ内容報告ではなく。コッチの方はそのうち別の形で取り上げようかなと。
 
 帰宅途中でぼんやり考えたんだけど、今現在実は「ルールが簡単なビッグゲーム」が求められているんではないかと。いや、今度「Operation Typhoon」をやるやらないって話が出ていたので。ああいった「ルールは簡単だけど、マップ広くて部隊が多め」のゲームって、需要の割に数が少ないのでは?と感じたのだ。
 
 そりゃあ、ビッグゲームには欠点も多い。「プレイしてるヒマも体力もない」と言われたらそれまでだ。しかしだ。連休などの「ヒマがある時」に、なんか無性にビッグゲームをプレイしてみたくはないか?ビッグゲームには独特の魅力があり、なんかやってみたくなるものだと思うけどなあ。
 
 ビッグゲームはどこがいいのか?これには色々意見があるだろうけど、私は「眺めて楽しい」ことを挙げたい。ドデカいマップに無数のユニットが展開してる様は、単に眺めるだけで楽しめる。端で見てるだけでも目の保養になるね(笑)。プレイするのは大変なんだろうけど。
 
 ルール簡単なビッグゲームというと、まずオペタイが思いつく。マップがとにかく広いけど、ルールは結構単純。プレイしても面白い。3人ずつぐらいでワイワイやるのに向いている。たまーにしかプレイできないのは事実だけど、それでも良く出来たゲームの1つと評価して良いんじゃないかなあ。
 
 こういうゲームを出版するのが大変だってのはわかる。高価な割に気軽にプレイできないから、「皆が買う」って商品じゃない。その辺も考えて価格設定すると、どうしても割高になり…ってことになるからねえ。それに、デザインするのも大変そうだ。デッカくしても破綻しないゲームシステムでなけりゃ…ってのがあるし、そもそも「簡単なルール」でエキサイティングなゲーム作るのは大変だし。「最近出ないなあ」と思うのは当たり前、って気もする。
 
 ただ、無責任を承知で言わせてもらうと、それでもこういうゲームを出す価値はあるのかなと。私のようにある程度深入りしてる人間がどうこう…ってだけではなく、初心者対策として。何故初心者対策に?ってのは、少し細かく語ろう。
 
 そりゃあね、初心者はビッグゲームなんて買わない。今時の消費者は賢いから、「調子に乗ってワケわからんゲーム買ってしまい、捨てるのはもったいないから必死にルール覚えた」なんてことはしない。初心者に買ってもらうことを考えたら、どこをどう考えたって「お手軽なゲーム」の方がいい。
 
 しかしだ。現状「お手軽なゲーム」を初心者に買ってもらえるのか?そんなことはない。それすら駄目だってのが現状だ。理由は簡単。我々が「お手軽」と呼ぶモノでさえ、シロウトには手に負えないから。それに、そもそも「シンプルなルールのゲームほど、技量の差が出やすい」のではないかと。かつての私みたいに「強くなるためだったら、何回でも負けてやる」って覚悟があるヘンな奴はともかく、普通は「とにかくまるで歯が立たない」ことを思い知らされたら、「つまんねえ」で逃げ出す。私だって何度逃げ出そうかと思ったことか(苦笑)。
 
 そんな現状を少しは改善しようと考えたとしよう。どーすりゃいいのか?私が思うに、「プレイしなくても面白そうだと思ってもらう」「いきなり勝敗の責任を負わせない」といった工夫が必要ではないかと。そんなの無理?まあそうだろう。けど、「お手軽ビッグゲーム」には、その辺を何とかできる可能性があるかも…と思ったのだ。
 
 ルールどころか基本もわからん奴に、「これ面白そうだ」と思ってもらうには?まず、ゲーム内容はまるで頼りにならない。プレイしてる当事者がどんなに盛り上がっても、「ワケわからん」で片付けられるのがオチ。そこで「視覚に訴える」ってのは、実は大きいような気がするんだけど。
 
 「ゲーム性重視」のベテランゲーマーでさえ、「だだっ広いマップの上の無数のユニット」を見ると、なんとなく血がたぎる。この凄みは初心者にも感じ取れることじゃないかなあ。私も昔々にそーゆーゲームを見て、「いつかオレもあんなものをプレイできるように…」って思ったし。綺麗なマップ・精巧なユニットでもその辺は感じ取ってもらえるかもしれないけれど、「物量が持つ圧倒感」は無視できないのでは?
 
 経緯はともかく、ゲームに興味を持ってもらえた。じゃあ、お手軽な奴を…となるのが普通だ。これはこれで悪くない。しかし、初心者なんだから大抵コテンパンにされて負ける。ある意味ではそうあるべきなんだけど、やはり負けるってのは辛い。そこで奮起して「いつの日かリベンジじゃ!」と修行を開始してこそ…と言いたいんだけど、「勝てないからつまんねえ」と逃げられても文句言えないのは確かだ。
 
 対戦相手もしくは脇がアドバイスすれば…ってのはあるけど、これはこれで問題がある。やりすぎは「うざったい」からね。対戦相手だと遠慮だの不信感だのが入るし、脇からだと「だったらお前がやれば…」って思いが入るからねえ。「程良いアドバイス」ってのはすごーく難しいと思うんだな。
 
 けど、「チームメイト」だったらどうだろう。味方なんだから素直にアドバイス頼みやすいし、「忙しいんだからオレも頑張らないと」と思ってもらいやすいのでは?さらに言うなら、敗戦の責任も軽減される。比較的重要度の低い場所でちょろちょろユニット動かしてもらうだけなら、初心者がとてつもないコトやらかしても「大勢に影響なし」だからねえ。
 
 私は何もこうした手法を「初心者入門として最適」などと言うつもりはない。色々欠陥も多いと思うし、何より「王道」はとりあえずプレイしてみて面白さを覚え、ルール戦法うろ覚えで格上に挑んで、負けて血の涙流して…ってものだと思うので。ただ、そういう手法にこだわる必要はないのではないか。どーせ駄目なんだから、色々手を替え品を替え試してみても良いのでは?
 
 そう考えた場合、オペタイは実に良いと思う。中央戦区は実は大勢に影響がないので、「両脇からアドバイス受けつつ、最低限のことだけやってもらう」って姿勢でプレイされても我慢できる。比較的ルール簡単だし、より興味を持ってもらえたなら「パットン第3軍」という、同じシステムのお手軽ゲームもある。「まずはマップとユニットに親しんでもらわねば」ってことを考えたなら、プレイしてる姿を見せ、「ルール説明しますから、少しいじってみませんか?」って声をかけてみるのは悪くないような。
 
 米国にこんなことを考えた奴がいたからかどうかは知らない(多分違う)けど、比較的最近になって「Killing Ground」「Iron Tide」といった、このシステムを使ったゲームが出ているようだ。これらは初心者育成なんてこと無視してプレイしてみたいなあ。「パットン」も昔々に1回プレイしただけだから、またやってみたいし。
 
 他の「ルール簡単なビッグゲーム」というと、やはりNLB。ある意味「結論」の出てるゲームなんだけど、それでもプレイしたくなるよね。ちょっと複雑になるけど、ライプチヒもいいよなあ。それと、GWにプレイされてたドラスタ。ちょっとだけ「使いこなすのが難しいルール」のゲームだけど、それでも「すげえなあ、プレイしたいなあ」って思わせてくれました。
 
 少しひねったところでは、「激闘関ヶ原」。昨日ほぼ同じシステムである「幸村外伝」のプレイを見学したんだけど、すごく楽しそうだった。関ヶ原ゲームの常として「結局小早川次第」なので、対戦ゲームとしては疑問符が付く。でも、大勢で勝手に「功名争い」しながら戦うと楽しい。実はルール簡単だし。
 
 お手軽な小品・小さいながらも複雑なゲーム・ルールも複雑なビッグゲーム・陰謀渦巻くマルチ…こういったものも悪くはないけど、「ルール簡単なビッグゲーム」ってのはもう少し見直されてもいいのでは。マンツーマン対戦が基本のこの世界だけど、「気軽に大勢でわいわいやる」楽しさってあると思うので。とりあえず、プレイする際には私も混ぜて欲しいかな。ただ、「私のところで戦線大崩壊」しても怒らないでね(苦笑)。

5月23日2007/05/24 01:03

 諸般の事情により、やっとリニューアルした「Gallop」を手に取った…けど、速攻で後悔しました。何だありゃ。あまりにもアタマに来たので、ちと愚痴を述べます。
 
 競馬雑誌のリニューアル…私にとっては、「懐かしい悪夢」ですなあ。「競馬報知」から「ファンファーレ」のリニューアルはともかく、最後のリニューアルは思いっきりトドメだったんだよね。今更何を言っても仕方のないことだけど、あれは色んな意味でもったいなかった。
 
 そんな思い出はさておこう。Gallopのリニューアルは…なんというか、競馬ファンとしてより、「同人誌作家」として許し難いものがある。本文横書きなのに、馬柱が縦書き。これはモーレツに違和感がある。縦書きの本を左綴じしてるんじゃないかってぐらい。慣れればどうこう以前に、慣れることを拒絶したくなるデザイン。最初見たとき、「落丁じゃねえか!」と吼えたくなった。
 
 何でこうなったのか?よくわからん。縦横混在ってデザインはたまに見かけるけど、必ずどちらかが「従」になる。そうしないと、とにかく読みにくい。こんなのはデザインのイロハであり、いちいち語るまでもないと思っていた。けど、Gallopは事実上それを無視しやがった。誰が何を考えてデザインしたのか、詳細に聞いてみたいくらいだ。正直言って、「凡人には理解不能なアートを目指した結果です」と言われても納得できてしまう。
 
 真面目に推測するならば、正直言って「何らかの経費または手間の節約」が関与してるのだと思われる。POG用の別冊が横書きだったから、どこかに「横書きの方が都合良い」理屈があるんでしょ。で、馬柱はそのままに横書きにしてみたと。読者にケンカ売ってるような理屈だなあ。
 
 他に考えられるものとしては…あまり考えたくないけど、「最近の若い者」(おそらくGallopの主要読者層)は、こーゆーものを待ち望んでいたからってもの。携帯・PCといった「横書きが当たり前」の世界に慣れすぎて、これでいいって要望があったとか。けど…「言いたいことはわかるけど、馬柱は替えられない」って歯止めがかかると思うんだけどなあ。ありゃあ人間工学を無視してるってレベルだぞ。
 
 何はともあれ決まったことなので、少なくともしばらくはこれを押し通すと思われる。それを考えれば、私ごときがこんなところで吼えたとしても全く意味はない。にもかかわらず、「何でこうなったのか?」を深く深く追求したくなるぐらい、このリニューアルはオカシイ。多少なりとも「文章を読ます工夫」を気にしてきた私にしてみれば、なんか敗北感を感じるくらいだ。これでいいのか、いやこれがいいのか。だったらオレがやってきたことって一体何だったんだ…
 
 そりゃあね、「元に戻すか、馬柱も横にしろ」と言うのは容易い。と言うより、本来ならば声を大にして言うべきだと思う。放置しておくと「日本語の崩壊を容認する」か、あるいは私が「絶対口にしたくない」結論になるか…ってことだからねえ。フジサンケイグループがそんな結論を出すとは思いたくないけど…それでもイヤな予感はする。それぐらいヒドい。
 
 正直言って、このネタはこれ以上掘り下げたくない。猛烈な無力感を感じるだけだから。ここまで来ると、私にできるのは「ただ静かに眺めてるだけ」ってことになるね。それじゃいけないって理屈は山のようにあるんだけど、それでも、「これしかない」って気がするんだな。
 
 本日はここまで。実にあっさりした更新だ。私にしては珍しい。でも、そこには少し重たい意味を載せたつもりです。わかる人には、その意味がわかってもらえるはず。今はソレで良しとしたい。ホントに哀しいよ、私は。

5月24日2007/05/25 02:20

 ダービーの枠順が発表になった。うわあ、ヴィクトリーがまた8枠17番かよ…皐月賞と同じ枠順じゃん。これは、どう考えても怪しいサインなんですけど。私だけがこの情報でシビれているのは納得がいかないので、競馬わからない人にも説明しちゃる。
 
 その昔々…ってほど古い話じゃないけど、サニーブライアンって馬がいた。皐月賞で大激走ぶっこいて、人気無いのに勝利した馬だ。この時の枠順は8枠18番。そんでもって、ダービーの時も8枠18番。ちなみに、この年のダービー馬である。
 
 単にこれだけなら、「縁起が良いねえ」で終わりかも知れない。サニーブライアンの父は、ヴィクトリーと同じブライアンズタイム。両方とも「人気無いのに皐月賞を逃げて勝った馬」である。ね、なんか騙されそうになるでしょ(笑)。
 
 さらに言うなら、「ダービーを逃げ切りたければ、外枠が良い」って話がある。サニーブライアンの鞍上は、大外枠引いてガッツポーズしたって伝説があるからねえ。普通外枠は(コーナーとの関係で)前に行く馬には厳しいんだけど、府中2400は最初のコーナーが遠い関係上、それはさほど問題にならない。それよりは包まれない(逃げ馬は大抵性格に難があり、周囲に馬がいるのをいやがる)ことが大きいってことだね。
 
 ここまで揃った以上、歴史は繰り返すのか…うーん、どうだろ。一番の違いは、やはり鞍上ではないかと。サニーブライアンの鞍上は大西だったけど、ヴィクトリーの鞍上は勝春だからねえ(笑)。でも、この差は無視できないと思うんだよな。真面目な話。
 
 いや、別に大西の方が勝春より上手いなどと言うつもりは…言いたいけど(苦笑)。そゆーことではなく、「覚悟」が違うと思うんだな。あの時の大西にあって勝春にないものはこれでしょ。そして、これは勝負を分ける重要な要素になりかねないんだよね。
 
 サニーブライアンで皐月賞を勝つ前、大西のケツには火がついていた。それまでもビミョーな位置にいたジョッキーだったけど、あの年は特にそんな感じが漂っていた。下手するとこのままフェードアウト、そうでなくとも近いうちに…って状態だったのは間違いない。単なる1ファンの我々がそう思っていたくらいだ。本人もソレは意識してたはず。
 
 そんなジョッキーだけに、ダービーの時は鬼気迫るものがあった。「1番人気はいらない、1着が欲しい」と発言するわ、大外枠引いてガッツポーズするわ…以前から「とにかくシャイ」ってことを知ってた私から見れば、「誰だお前」ってなぐらい。ダービー後には元に戻っていたことを考えると、相当気合い入っていたんだろうな。
 
 単に気合い入っているだけなら、役に立つとは限らない。この年のダービーでは、そこまで気合いを入れる意味があったんだよ。それはサイレンススズカの存在だ。後に「史上最強馬」の1頭として扱われることもある、シャレにならん同型馬がいたんだよ。
 
 サニーブライアンは、はっきり言って「とにかく逃げなきゃ駄目」な馬だった。自分のペースで走れないと、ロクなことにならない。皐月賞馬だってのにさほど人気にならなかったのは、これが全てである。逃げれば目標にされる上、凶悪な同型馬がいるので逃げられるとも限らない…これじゃ買いにくいのは当然である。
 
 そこで大西は、「絶対逃げる、とにかく前に行く、4角先頭になる、ついでに1着でゴールする」と公言しまくった。サイレンススズカの鞍上だった上村(当時)に、「先に行くなら、一緒に最下位争いだ」ってなプレッシャーをかけたんだな。この作戦が当たったのかどうかはともかく、サイレンススズカはハナに立てず自滅したのは確かだ。
 
 この後の大西については、語ると長いのでパス(笑)。さて、これに対して勝春。ケツに火はついてますか?ついてません。一応それなりのジョッキーってコトになってるので、引退の危機は迎えてないし。気合い入ってますか?一般的な程度には。ダービーだもの、気合い入ってなかったらタダのバカだ。けど、あの時の大西と比べたら、ねえ…とりあえず中間の報道を見る限り、「いつもの姿」とまるで変わってないようですが。
 
 最大の違いとして、ヴィクトリーには「逃げなくても何とかなるかな」って思惑があることかな。いやまあ、確かにそういう馬ではあるんだけど。これは普通に考えれば利点だけど、ことダービーに関しては…「逃げなくても大丈夫かな」って気の緩み、「逃げなくても何とかなるよね」って逃げの気持ちが出ちゃう気がする。「気持ち逃がさずに馬を逃がせろ!」と言いたいね私は。
 
 ダービーの逃げ切りはあまり例がないんだけど、私が思うに「逃げるしかないんだぁ!」って気合い入れた方が好成績のような。サニーブライアンだけじゃなく、ミホノブルボンもそんな馬だったしね。アイネスフウジンも華麗だった記憶が。中途半端に小賢しいこと考えるのは、結局ダメな気がして仕方ない。
 
 そしてだなあ。勝春ってのは、どっちかと言えば小賢しいこと考えて自滅するタイプなんだよね…だからこそGⅠ連敗記録を達成しちゃったと思っているんですが。とにかく大舞台であればあるほど、勝ち目があればあるほど「信用できない」部分が大きくなるような。正直言って、何度殺したくなったか数える気もしない。
 
 強いて言うなら、師匠筋の岡部から「皐月と同じ結果にはならないんじゃない?」って駄目出しされてるのが頼もしいかな。性格的に「いける、勝てる」って言われたらズッコけそうだからねえ。岡部がソコまで考えて高度な援護射撃したのか、それとも単に「とにかく駄目出しから入る」という、いつもの辛口ぶりを発揮しただけなのかはわからんけど。
 
 他の馬にも触れておこう。アドマイヤオーラの鞍上岩田は、タスカータソルテを「捨てた」という小賢しさがどう出るか。伝え聞く岩田の性格からは「一応プラスでは」と思うけど…逆にタスカータソルテの武豊はマイナスでしょ。この馬に乗ってること自体がイモ引いてる証拠だから。本当はオースミダイドウに乗りたかったんだろうなあ…あと、プラテアードがミョーに気になる。ゴールデンダリアに2連敗してる時点で駄目じゃん!となるわけだけど、あの藤澤厩舎が「かなり強引な使い方でダービーに間に合わせた」ってのは…すでにフライングアップルが出走するのに。馬優先主義はどこいった。
 
 さて、これを受けて私の予想は…フサイチホウオー(笑)。いやわかりきったことではあるんだけど、さすがに逆らえないよ。世の中なんてそんなものでしょ。つーわけで、本日のネタは最終結論以外は忘れてかまいません。そんなことを語るのがここの趣旨なんだし。ただまあ、「ヒモは何だ」って悩んでる人は…これもウオッカが突っ込んで来るんじゃねえだろうなあ…ブツブツ…

5月26日2007/05/27 03:52

 献辞。1ファンさんへ。「やっぱり内緒」って付けてレスを残してくれたおかげで、本日のネタがまとまりました。なお、匿名なのは問題ないですよ。下で色々書いてますが、気にしないで下さいませ。
 
 本日の話題は、「本名・筆名・匿名」について思うところを語ってみようかと。前々から色々考えていたんだけど、本日唐突にまとまりが良くなったので。「良くなってこれかい!」ってなことしか書けないと思うけど、あまり気にしないようにしよう。なお、主にネット関連ってコトでこの色で。
 
 ネット世界じゃ、私は「F男」である。「Fのつく人」はどーした?と言う人もいると思うけど、あれはよく似た別人ということにしてもらいたい。諸般の事情により…
 
 閑話休題。「F男」はネット上に限らず、私生活で一般的に使われている。つーか、自らそうなるように努力した。おかげで、ある意味「名前を隠す」効果はほとんどない。強いて言うなら公的生活関係者にはバレてない(おそらく)って程度。
 
 最近のハンドルネームってのは、このように使われてるのが普通ではないかと。かなり広範囲の人に対しては「わかる」けど、赤の他人や職場の人間などにはわからない…ほとんど渾名レベルだな。実際、ここに足跡を残してくれる人の大半は、「HN見ただけで個体識別が可能」な人だし。
 
 今の時代ってものを考えると、こういうやり方が一般化するのはわかる気がする。匿名ではコミュニケーションに問題が出る。かといって、本名晒せば迷惑メールその他届き放題。その結果として「広範囲の人に識別可能だけど、無許可にプライバシー侵害してくる輩に対しては匿名同然」な名前を使いたくなるわけだ。そう考えると、まだネット時代とは言い難かった頃に「ペンネーム統一化運動」に乗り出した私は時代を先取りしてたわけだ。無意味に。今じゃ当たり前なので余計意味がない。
 
 こういうものは、ある意味従来の概念とは一線を画すものだと思う。ペンネームなどの「従来型筆名」は、匿名性の高さに重点があった。アホな雑誌などに投稿してるなんて、友人知人含めてあまり知られたくないと考えるのが普通であり、まあ必要に応じて「これはオレのネタ」などと明かせばいいと。雑誌別・分野別に色んな名前を使っている人も多かったものだ。今の「別名」とは、微妙に用途が異なるもののような気がする。
 
 現在一般的に使われているHNは、どちらかと言えば「芸名」だの、プロ作家の「筆名」に近い気がする。こういうものは「本名を隠す」ことより、「イメージに合った名前」を提供するって効果を狙っている場合が多い。そもそも、売れた場合は匿名性の意味が薄くなる。何かやらかした場合、思いっきり芸名で報道されるわけで。ま、コッチの方が遙かに「世間に名が通っている」ので、一般人のHNと比較するのはどうかとも思うけど。
 
 ただ…ネットでは「一般的なHN」よりも匿名性の高い名前が使える。モノによっては実質的に「文面のみ」の投稿を受け付けているところもあるし、あからさまに匿名性を強調した名前で活動することもできる。それを考えれば、「本名じゃない=匿名同然」ってな考え方はできない気がするね。少なくともネット社会に対応した概念ではないと思う。
 
 正直言って、私は「匿名性の高い」投稿その他はあまり好きじゃない。明らかに「凶暴化」してる例が多いから。あれは何なんだろうね。いわゆる「ホンネ」だと言われているけど、それだけじゃ片付けられない気がする。だって、仲間内で飲んでる時でもあーゆー発言はなかなか出てこないでしょ。私が思うに、おそらく「会話を成立させる」ってことに対してすら責任を負わなくて良いってことが、あそこまで凶暴化する原因じゃないかなあ。そう考えると、「便所の落書き」って悪口は言い得て妙なのかも。別に「匿名=凶暴」ではないけど、この傾向は覚えておいて損はない。
 
 「名前」ってのは、文化である。平安時代の女性は家族以外に名前なんか教えなかった(紫式部も清少納言も本名じゃない)し、ブラジル人は今でも本名以外の表記が当然(ジーコもロナウジーニョも本名じゃない)って話があるし。これだけネットが発達してくれば、名前の意味や位置づけが変化してくるのはむしろ当然でしょ。その辺を研究する意味はあると思うんだけど、誰かやってくれないかねえ。私?無理だと思うな。なにせこの私、実は「名前を覚える」のは苦手だったりするので(笑)。

5月29日2007/05/30 01:47

 昨日は何となくダウン。日曜のヤケ酒が効いたか。ウォッカにあれだけ走られた上、アサクサキングスに「別の馬がやるはずだった」戦法を決められ、フサイチホウオーが吹っ飛び、トドメに危惧したとおりにバ勝春の出遅れ…これでオレにどうしろと。
 
 つーわけで?本日の話題は「投了について」語ってみようかと。もう駄目だ!と思った時、どう行動するのか…色んな意味で重要ですね。ま、一番関連の深そうなこの色にしてみましたが。
 
 若かりし頃は色々言われたけど、今の私は割合「普通のタイミングで」投了する…んじゃないかな。最近は「投了が早い」とも、逆に「悪粘りする」とも言われないし。先日ディプロマシーで「絶望的な状況でもゲームを投げ出さない」ってワザを見せたけど、あれぐらいは普通でしょ。一応は生存できる保障があったんだから。ちなみに、別に他国の言葉を信じたワケではない。当時の我が国はどこか1国が完全占領するのは難しかったので、「しばらくは活かしてコキ使う方を選択するはず」って読みがあっただけ。もっとも、こちらが土下座する前にそーゆー話が出たのは助かった(土下座しなくて済んだからではなく、ドサクサ紛れにハッタリかます余地ができたから)けど。
 
 ただまあ、私は地味に?「後先考えず突撃する」傾向がある。「良いプレイをして、結果として勝ちが転がり込んでくる」ってことを狙うのではなく、つい「ダイレクトに勝ちを決めに行く」プレイに走ってしまうんだな。その関係上、どっちかと言えば「粘りのない」方なのかも。そのため、粘り強いプレイをする人を見てると「色々違うなあ、見習わないといけないんだけど…」と感じることもあります。ま、これぐらいはありがちな話かな。
 
 私が若かりし頃色々言われたのは、経験の浅さもあるけど、「他人の投了タイミングを気にしない」傾向があったからかもしれない。これは今でもそう。自分と無関係なところで勝敗が決しうるマルチの場合は、さすがに「もう少し粘ってくれ…」と感じることはあるけど、真に悪いのは仕掛けが遅れた自分である。タイマンの場合は相手の自滅も「直接的に自分の利益」なんだから、たとえ「ワゴンが壊された瞬間に投了」(注:「タクテクス」初期の名物連載「パンツァーブリッツ ユニット紹介」に「相手と絶交したい方法」として紹介された、この上もなく些細な理由での投了)されたとしても、あんまり気にしないかも。逆に勝敗が決してるのに延々付き合わされてもあまり気にしない。まあ場合によると「最初からやり直した方が良くない?」とは言うけどね。
 
 今の私が投了の目安にしているのは、やはり「勝ちが見えるかどうか」である。これは引き分けとか「気分の上での勝ち」も含まれる。ただ、根が結構楽観主義者なので、多少の不利でも「まだイケるかも」と考える傾向はある。単に展開が読めてないだけって話はあるけどね。この辺は普通の人と変わらない…んじゃないかな。
 
 とはいえ、昔に比べれば多少「負けっぷり」も気にするようになった。これは、性格的な変化より単に多少技量が上がり、「劣勢のままズルズル負ける」のではなく、多少逆転するテクニックを覚えたからではないかなあ。「もう駄目だ!」と安易に絶望したり、「まだ何かある!」と無駄なこと繰り返すのではなく、「ひょっとしたら逆転が…」って希望を見出すことができるようになったからね。
 
 私が考えるところの「良い負けっぷり」は、なるべく相手に「逆転されるんじゃ…」って不安を与え続けることである。ま、私はドーンと突撃しちゃうことを選びがちなので、あっさり「すみません、負けました」ってなることが多いけど。個人的には「決断先送りにして状況をどんどん悪化させ、どーしよーもなくなってから投了」するのは好きじゃない。とりあえず相手を苦しめないと…って思いはありますね。