4月30日 ― 2007/05/01 00:39
灰になりそうだ…色んな意味で色んなものが終わってしまった…でもまあ、気を取り直して更新しますかね。
春天はサクっとハズレ。エリモエクスパイアはアウト・オブ・眼中だった…直前になって「ワケわからん馬が突っ込んでくるような…」という予感に襲われた(これ自体は良くある話だけど、的中するとは限らない)んだけど、これだけでは対処不能である。勝ったメイショウサムソンはメイショウ(日本馬主連合会会長の冠号)の馬なので、海外遠征には極めて消極的でしょ。良かった良かった。
チャンピオンズマイルは…現地に行ってたら、フローラルペガサス鞍上のモッセに、シャレじゃ済まない日本語の罵声が飛んでいたでしょ。何だありゃあ!もっと積極的に行くと思ってたのに!その結果エイブルワンの逃げ切りだと?お前が逃げて逃げ切らなきゃ駄目だろがぁ!あんな弱気な競馬は納得いかない。後ろの馬が怖いのはわかるけど、それを怖がってアレはねーだろ。アンチャンからやり直せ!
フローラルペガサスは4着。着順ほどは負けてないけど、それでも勝てなかったのは事実。く、悔しい…個人的希望としては「それでも」安田記念に遠征してもらいたいけど、どうかなあ。相手は今回より厳しい(日本馬は確かに強い)し、条件は悪化する(府中マイルは先行馬には厳しい)から、「やーめた」って言っても不思議はないんだよね…けど、これだけは言える。もし来れば、しこたま買う。さほど人気にならないのは確実だけど、そんなことは知ったことではない…というより、オレ以外の日本人はこの馬買うな。許可制にしたいくらいだ(笑)。
QEⅡ世Cは…ヴェンジャンスオブレインがアドマイヤムーンに先着するのは「予定通り」だったけど、その前にヴィヴァパタカがいた…この結果、意外ではない。2強に先着する可能性がある馬だとは認識してた。香港競馬を多少真剣に観ていれば、そんなことはすぐわかる。2000までなら、香港には結構強い馬がいるんですよ。だから、現地で馬券買っていたら、三連複は取れたと思う。でも…多分何の役にも立たない。配当4.6倍って何だよ。三連複の配当じゃねえぞ。馬連も買ってたと思うけど、それでも取りガミではないかと。
こっちの遠征は、多分中止だろうなあ。悲観する内容じゃないとは思うんだけど、元々弱気になってたからねえ。強いて言うなら、アドマイヤムーンの関係者が「日本には宝塚記念ってレースがありましてねえ…」ってことを吹き込んだ結果として、宝塚記念に来るかも知れない程度。それはそれで悪くないんだけど、淀とアスコットじゃあ色々違うでしょ。とりあえず日本にいても動向はある程度わかるので、チェックするしかない。
アドマイヤムーンは、あんなものでしょ。ドスローな流れの中後方…ってのは不利だったけど、だからって先行できるような感じじゃなかったし。外枠でなければもう少し前に行けたかも知れないけど、その代わり包まれた可能性がある。そう考えれば悪い内容ではなかったんだけど、相手が悪かった。
ヴェンジャンスオブレインは、対称的に「イマイチ」な内容ではなかったかと。引っかかりまくってたからなあ。以前のイメージではもう少し大人しい馬だと思っていたけど、まだレース感が戻りきってないのかな?色んな意味で、今回は流れがなかったような気が。この程度で弱気になる必要はないと言いたいんだけど…
人気両頭に言えるのは、「遠征の関係で体調万全とは言い難かった」ってのがあるかもね。ドバイからちょっと間隔短いからなあ。世界レベルで遠征慣れしてる陣営ならともかく、まあキツいと判断するのが普通でしょ。ただ、それを言い訳にしてるようじゃ駄目なんだよ。敗因ではあるかも知れないけど、それを含めて「弱かった」と認められないと。世界を相手に戦うってコトは、そーゆーことである。
ヴィヴァパタカは強かったねえ。さすがは香港ダービー馬。アドマイヤムーンの少し前から、すぱっと全部差しきったのは見事の一言。ムーンと違ってマークが緩かったとか、内が伸びる馬場の影響とかもあるんだろうけど、弱い馬にできる芸当じゃないでしょ。決して忘れていたワケではないんだけど、ココに名前出すのは忘れました(苦笑)。香港ローカルで終わるのはもったいない馬だとも思うけど、さすがに遠征はしないかな。ま、それはそれで良し。
正直色んな意味でキッツイ結果に終わったけど、それが競馬ってモノである。この程度でめげていてはいかん。それはわかっているんだけど、やっぱキツいよねえ。ダメージでかいっす。まあ、復活まで時間かかるとしておいてください。そう、NHKマイルぐらいまでは…って、来週じゃん(笑)。
5月1日 ― 2007/05/02 02:37
奇数月初日である。猛烈な数のカレンダーをめくるので、部屋の様子が一変する。ふっふっふ、これがカレンダーマニアの醍醐味だね。本来なら本日からここのスタイルも一新しようと思ったのだけれど、スタイルシートの解析がまだ…カスタマイズしないと大変なことになるので、「好みのスタイル選んで終わり」にはならない。まいったね。
本日の話題は、なんとなくマンガ評論で。先日予告した「萌え系マンガ」について語ってみようかと。思いっきり引かれそうな話題だけど、そんな話題を取り上げることにここの価値があるので…ってことにしておいてくれ。
「萌え系マンガ」のちゃんとした定義ってものはないと思う。強いて言えば「女の子が重要な役割を占める男性向けマンガ」になるけど、そんなものは腐るほどある。この辺の定義についてはそこら辺で色々騒がしいんじゃないかとは思うけど、私はそんなものに関わるつもりはありません。
明白に萌え系だと断言できるのは、「女の子が主役もしくはそれに準じる存在で、なおかつ恋愛が主題ではなく、青年・少年向け漫画誌掲載のもの」だね。ギャグ色が強いモノも含めて良いのかどうかは悩ましいところがあるけど、私は「可愛いネーチャンの絵に依存してるところがある」って点で含めて良いような気がしている。ってことは、少年チャンピオンの「無敵看板娘」も萌え系か…うん、間違ってないと思う。
萌え系マンガが面白いかどうかは、まあ個人の趣味でしょ。私はジャンルとしてどうこう…って扱いはしてない。好きなもの・読んでるモノは多いけど、読んでる絶対数が多いんだから当然である。むしろ点が辛い方かなあ。この系統のマンガは「ネーチャンが可愛い」かどうかに大きく依存するので、一枚絵として良く出来た絵柄の作家が多い。けど、私は「絵として上手いかどうかより、勢いを重視」ってところがあるので、必ずしも高く評価しないのだ。
ココの常連には周知の通り、私は少女マンガを好んで読む人である。少女マンガは女の子が主役であることが多く、ある意味萌え系マンガと重なるところがある。だけど、まあ色々と違う…というより、全然違うモノである。境界に位置するような作品もあることはあるけどね。
説明しやすいので、少女マンガの図式から説明しよう。こちらは「女の子向け」で「主人公は女の子」である。ある意味、読者が感情移入しやすい。一般的な少女マンガを野郎が読んでもあまり楽しめないのは、この辺が理由の一端でしょ。確かに、中年男性である私には全くもって理解しがたい領域が描かれていることが少なくない。実のところ、私のように屈折しまくってる奴にはそこがまた楽しいんだけど。
それに対し、「萌え系」マンガの読者は男である。普通に考えれば、女の子には感情移入しにくい。感情移入しやすいようじゃ、むしろ困るのだ。「男のように考え、男のように行動する女の子」ってのは、ある意味困ったモノだからね。けど、そうじゃない存在に感情移入するのはそれなりに大変である。
それでは、「萌え系」マンガはそこをどう処理してるのか?手法その1・基本は男っぽく描く。主人公の性別が男になっても、話自体は破綻しないような話を描くのだ。ギャグ系の作品に多い手法がコレ。野郎がやると「あっそ」で終わるような行動でも、女の子がやればウケるのは事実だし。また、ライトなスポーツ系マンガもこの手法が使える。男がスポーツの世界で「上を目指す」となると、「選ばれた者が死ぬほど鍛えまくってどうこう」って世界を描くことになる。けど、「高校時代運動系の部活でした」って奴の大半はもうちょっとヌルく活動してたはず。その辺を男で描くと面白味がないので、女の子で描く。女の子なら、「恋愛がどーした、オシャレがこーした、友人があーした」ってな理屈(実は男でも気にしてる)によって部活熱心にやらなくても、「そんなものだ」で許されるからね。
手法その2・「メガネ君」を使う。メガネ君ってのは「主人公の脇にいる、読者の象徴」みたいな存在のこと。詳しくは名作「サルまん」(何だかわからなければ検索しなさい)参照。スポ根マンガなどの場合、主人公は「とてつもなく天才で、とてつもなく努力をする」存在である。こういう存在だけを描いていたんじゃ、読者(多分凡人)がついて行けない。そこで脇からの傍観者を用意して、時々コッチに感情移入させる。時に解説担当させたりと、色々便利な存在だ。こいつを応用する。立場としては親兄弟や先生、ライトな関係のボーイフレンドなんかが多い。脇役ではなく、主役がこの立ち位置って場合も多い。
手法その3は「恋愛関係を描く」である。これを使えば、「(主人公が)何考えてるのか、さっぱりわからん」ってことが正当化される。通常の人間関係だと「わからん奴と付き合う必要はない」となるけど、恋愛関係はそう言ってられない(それが当たり前)からね。これはこれで描き方が大変ではある(女性視線で恋愛描き、それを野郎に読ますのはそれなりに大変)けど、「男が読んでも楽しめる少女マンガ」描けるのなら成立することになる。
他にも色んな手法があることはあるんだけど、代表的なのはこんなものか。つまるところ、萌え系マンガには少女マンガにはない「工夫」がある。それをどう捉えるかがジャンルとしての評価になるのかなあ。「余計である」と言い切るのは簡単ではあるんだけど、こういった工夫抜きでは作品を描けないって問題もあるからねえ。屈折したジャンルだと思うけど、元々対象読者からして屈折しまくってる連中に決まっているから、これでいいのでは。
なお、「萌え系マンガで描かれている女の子」にどの程度リアリティがあるのかは、よくわからん。私の経験その他からそんなものが語れるとでも?一度女性が読んだ感想なるものを聞いてみたいものである。ま、私の友人知人構成では、「見果てぬ夢」じゃないかと思うけど(笑)。
5月3日 ― 2007/05/04 03:25
昨日も更新予定だったけど、長電話のため中止。なお、最近の若い者は「5分で長電話扱い」するって話を聞いたことあるけど、ココで言う「長電話」たあ、2時間を軽く超える。まあ、それが私だ。
本日の話題は、某マンガで思いっきり暴かれてしまった、「法科大学院卒業生の進路」について。いや別に隠していたワケじゃないけどさあ。本来私はこの問題にタッチしてないけど、まあとりあえず語ってみましょうかね。
大方の人は知らないし興味もないだろうけど、今現在「司法改革」なるものが推進中である。裁判員制度の導入なんかがその一例だね。もちろん、法科大学院なるものを作って司法試験制度を改めているのもこの一環。これはいい。
ところがだ。こういう改革にありがちなことだけど、いじった結果とりあえずうまくいってない…ってな部分がある。それが就職問題。今現在、司法試験受かったけど職がないという「就職浪人」が発生中なのだ。大変だね…って、オレは他人事でもないんだけど。
何でそんなことに?話は単純。各大学が景気良く法科大学院を作りまくり、生徒を山ほど募集した結果、「徐々に増やす」って計画があっさりと崩壊したから。この辺、法務省と文科省の間でワケわからんバトルがあったらしい。なお、この結果「法科大学院卒業生の7割が新司法試験を通過する」という見込みが完全崩壊した(今年の予想合格率3割…)けど、これについては割愛する。
新司法試験合格した、その後の研修(義務づけられていて、一応落第もある)も通過した、ここまではいい。ただ、最後にもう1つ難問が控えていたんだな。それが就職である。新司法試験によって資格を手にした奴は増えたけど、求人はあんまり増えてなかったんだな。まあ、ある意味当然なんだけど。
どれぐらい厳しいのか?確か昨年度の司法試験合格者の場合、有効求人倍率は0.6ぐらいって話があったような。実際はどうだか知らないけど、苦労してるのは確からしい。みんな頑張って就職活動しているとは思うけど。ただ…そのしわ寄せが今年度以降(去年より合格者が増える予定)に来るのは間違いない。思いっきり就職冬の時代である。
司法試験合格したんなら、独立して仕事すればいいんじゃない?そう思う人もいると思う。けど、そりゃあ無理・無茶だ。ドコの誰が「資格持ってます」ってだけで実績もコネもない奴を弁護士として雇うって?信用と信頼が必要な業種だけに、「資格持っています」ってだけじゃ単なる役立たず。場合によると「企業内の法務担当者(資格無し)」の方がよっぽど頼りになる。資格なんてそんなものでしょ。
一般的な「弁護士の就職先」ってのは、まあ弁護士事務所である。デカいところなら社員感覚で弁護し雇うし、小さいところでも「居候」(実際には給料もらう)として置いてもらって経験と人脈を育成する(これがイソ弁)ことができる。弁護士事務所ってのは思いっきり「民間」だから、国の思惑より目の前の景気の方が大事だ。つーわけで、資格持つ奴は増えたけど求人は増えなかったわけである。
まあ、今は結構景気が良い。求人自体は結構あるようだ。しかし…司法試験受かったのに、「営業として採用されました」「事務の仕事やります」ってなわけにはいかんでしょ。裁判官だの検事だの(公務員である)の数を増やすって話もあるけど、これまた簡単にはいかないでしょ。そもそも法務省は、こんなに合格者増やすつもりはなかったって噂があるし。
しかもだ。笑えることに、法科大学院は大っぴらに就職活動支援をしてない。大学の「就職課」にあたる部門は、おそらくどこにも存在してないのだ。何で?カラクリはこうだ。大学生の場合、普通就職活動は在学中に行う。つまり学生の活動だから大学として支援しても問題はない。それに対し、法科大学院生は卒業してから新司法試験を受け、司法修習(落第付き研修のこと)受けた後に就職活動開始…となる。つまり、あくまで「卒業生」扱いであり、その支援には色々と問題があるんだな。実際は色々と動いているんだけど、しょせん陰からの支援、限界は思いっきり低い。
希望があるとするなら、企業絡みかなあ。コンプライアンスがどーた、情報公開がこーだといったことが問われてきているので、「法務部門強化するか」って方向に行きそうだからね。ただまあ、これも「将来」の話になるかねえ。今現在での話を考えたら、法務部門に「しか」使えなそうな司法修習生より、色々使い回しが効きそうな「法学部を良い成績で卒業しました」って奴を採用して法務部門に入れた方が便利そうな気がするし。
なおこの就職難、ここ数年間は「悪化し続ける」ことが確定している。新司法試験合格者は徐々に増えてゆく予定だからねえ。遠い将来はうまく回るんじゃないかと予想されているけど、それがいつになるかは…真面目な話、「営業やってます」「とりあえず事務に回されました」って司法修習生が誕生するかも。それどころか、「とりあえずの食い扶持確保のため、派遣やってます」って奴が出てくるかもしれない(笑)。
ちなみに、私にとっては最後の例は笑い事ではない。今現在、私は法科大学院で事務の仕事をしている。私の部署はちょっと特殊なところで、「なんか院生みたいな」仕事が多い。法律に関する知識は、あるに越したことはない。ま、「なんちゃって法学部出身」でも務まる程度ではあるけど。
そうやって考えてゆくと、「諸般の事情により、司法修習生なのに派遣になっちゃいました」って馬鹿が登場した場合、今の私の地位はそれなりに魅力的でしょ。とりあえず法律知識は無駄にならない。休み時間などに法律雑誌(私の部署に常備してある)を読んでも文句は言われない。先生方(実務講師含む)との接点も多い。イソ弁になったら事務仕事の一部を押しつけられるのは確実だろうから、「無駄な経歴」になならないんじゃないかなあ。少なくとも「将来法務部に回してやる」って口約束を信じて一般企業で営業や事務やるのとどっちがマシか、真剣に考慮する価値はあると思うな。
そんな奴が登場した場合、私の職がピンチである…つーより、誰かそんな奴出現してくれ。いつでも代わってやるからさあ。喜んで。何で単なる派遣である私が、あんなことやこんなことをやらねばならんのだ!色んな意味で私に取って代わるのは大変だと思うけど、司法修習生なら文句は出ない…んじゃないかな。いやあ、これで私は「いつ辞めても大丈夫」ってことだな。良かった良かった。GW明けからバックれちまうか(おい)。
5月7日 ― 2007/05/08 01:55
NHKマイルC、三連単900万円台ですかあ。これは色々と語るしかないでしょ!…と言いたいんだけど、諸般の事情によりこれは後回し。ここでバックれて何も語らなかったら、このブログが炎上してしまう(笑)。つーわけで、本日の話題は2日間かけてプレイした「ディプロマシー」について。記憶だけに頼って書いてるので、不正確な部分があってもお許し下さい。詳細発表は記録用紙を持ち帰った組織の手でやっていただけると嬉しいかな。
「ディプロマシー」は恐ろしいゲームである。基本は単純なので誰でもプレイ可能だけど、内情を知る人間は「気楽にできるモノじゃない」と逃げ回る。各国3~4個ある軍隊を使って移動・支援・輸送・維持(何もしない)のいずれかをやるだけ。「勝ち負け」は純粋に数の多さで決まる。大雑把に語ればこれだけのルールに過ぎない。けど…全てがお互いの思惑だけで「決まる」ので、誰と手を組むか、信用するか裏切るか…で全てが決まってしまう。人間関係破壊しまくり、「サークル潰し」の異名を取った時代もある。
本来なら、プレイ前に「毒マンジュウ」ばらまきまくるのが私のプレイスタイル。「毒マンジュウ」とは、「あの人は信用しちゃ駄目」とか、「きっとあの人が勝つ」とか、一般的ではあるけどプレイに影響しそうな情報のこと。これ自体は役に立たない(具体性がさほどないから)けど、色々余計なことを考え出すと効いてくることがある。実のところ、こういう情報をバラまくこと自体が自分に対する毒マンジュウ(信用されない可能性が高まる)ではあるんだけど、自分含めた周囲全てが毒マンジュウでシビれてる方がプレイしやすいので。ただ…「今回は不発だった」とだけしておく。
プレイ当日。まずは担当国決定。このゲームに登場するのは7カ国。ズバリ、有利なのは土(トルコのこと)・仏・英・露。不利なのは独・墺・伊。理由は簡単。「盤端にいる」国とそうでない国。周辺他国なんて自動的にまるで信用できないので、「誰も来ないとわかってる領域」があるかないかは大きいんだよな。私はまず英国を入札してみたけど、運悪く?ここは競合あり。そこで…あえて独を選んでみた。正直勝ち目の薄い国だけど、勝つにしても負けるにしても楽しめる国である。ただまあ、多少自虐的すぎたかも(笑)。
誰がドコを担当するか見渡して、私が考えたのは「西進策」である。東に進むのも悪くないけど、これは英・仏・露の三国で「独を仲良く分割」なるプランをまとめられやすい。それよりかは英仏を不仲とし、そこに付け入る策が勝ると決めた。ま、この案自体は良くある話である。成功率は低いけど、独の作戦なんてどれも「そんなレベル」だし。
この計画に従って、まずはキョーレツな動きを見せてみる。本来なら独・仏・英のにらみ合いになるベルギーを、英国に「譲った」のだ。これにより、一気に英仏の仲が険悪になる。これは計算通り。後はこれを活用して…と思っていた。
しかし、ここで巨大な計算違いが。せっかくベルギー奪取を手伝ったのに、英国が思ったより我が国に感謝してくれない。どう考えても我が国の生命線の1つである「デンマーク占領」を認めてくれないのだ。「中立にしましょう」と譲らない。最後は恫喝してまで占領したけど、なんか固執している。気持ちはわかるけど、これでは英国を信用できないではないか…そこで疑心暗鬼に陥り、つい海軍増強を優先してしまった。ま、これ自体は悪くない(英本土上陸の目はあったことだし)けどね。
ただまあ、英本土上陸には色々と体制が整わない。まずは英と協調姿勢を見せつつ、隙を見て…と思っていたんだけど、どうも話がかみ合わない。あまりに話がかみ合わないので、土壇場で仏の味方をしようとしてプロットミスする有様。あの執着は今から思うと、露と独分割プランでも成立してたのかも。ただ、まだ時間はある…と甘く考えていた。
この見通しが崩壊したのは、南方の動きである。有利であるはずの土が、早期に崩壊していたのだ。何故そうなったのか、私はほとんど関与してないので語れない。ただ、「南で大きな動きがあった」のは事実。にもかかわらず、私は南のことはすっかり忘れていた。というより、考えている余裕がなかった。これが痛恨の一撃。墺に余裕ができると、すぐ北の我が国は確かに邪魔だ。そのため、サクっとミュンヘン(我が領土)を奪われる。あああ、何てことを。我が勝利はコレで消え去った…
にもかかわらず、我が国は防衛体制が整ってない。攻撃しか考えてないからね。うわ、こりゃあ一気に滅亡か…と青くなって集中力を欠いた関係上、露にベルリンまで占領される。どこをどう考えても滅亡の危機だ。
しかし、英国はもっとヒドかった。ベルギーだのデンマークだのに軍隊を派遣してる隙に、仏に英本土上陸されたのだ!こうなりゃあ和睦なんて成立するわけがない。いくら海外植民地があっても、本国占領されたらゲーム脱落だ。結果的にはそうなった。正直、我が国と共倒れになったと思う。
英本土に火がついた時点で傍観者である某氏から「こうなったら、英独協調して盛り返すしかないのでは」というアドバイスをもらったけど、それは無理だったと思う。理由は単純。生き残っている英国の軍隊は、独の周辺にしかいない。生き延びようと思ったら、これらを英本土に引き上げるしかない。しかし、そうすりゃその土地はがら空きになる。そこを守るとすれば、我が国が担当するしかない。けど、そうすりゃあ英国は干上がってしまう。こっちとしても英国が弱るのは不本意なんだけど、そういうルールなんだから仕方ない。我が国からそんなこと提案したって、まず飲めないのでは?このアドバイスを送る相手は英国ではなかったかと。飲んだかどうかはともかく。
さて、ここでやっと1日終了。我が国はとりあえず生き延びた。けど、それだけ。2日目序盤に消え去るだろうなと覚悟はしていた。ま、残り軍隊2つじゃそう考えるのが普通だよな。後は義務的な動きをして終わりだろう…と覚悟していた。
2日目。義務的な動きをしにきただけのつもりだったけど、世界情勢が少しだけ変わる。南方で墺の脅威を感じた露が、北での動きを止めて我が国を温存するような作戦に変更したのだ。へー、なるほどねえ。ならば我が国がやることは1つ。
我が国がやることは、旧領奪回…ではない。それはもちろん狙うけど、それを許すほど他国は甘くはないでしょ。ここでの狙いは「いかに華麗に死ぬか」である。この時点で我が国に隣接してる、仏・墺・露のいずれかを「道連れ」にして滅ぶのが理想かな。勝ち目はどこにもないので、とりあえずゲームを楽しむことを優先した。そうすりゃあ、何か光が見えてくるかも知れないし。
とはいえ、当面の目標は「単なる生存」である。哀しいけれど、これが戦争なのよね。仏も我が国を滅ぼす力はあるけど、やはり脅威はより強大国である露。そもそも我が国生存を言い出したのはこの国なので、思い切って強く出ることにした。「そちらの海軍がスエーデンより西に来たら、我が国は貴国を攻撃する!」と宣言したのだ。これは実は単に生存のためだけでなく、アホウな意図が込められていたりする。ま、そいつは後のお楽しみで。正直、守るとは思わなかった。守ってくれたけど。
これでしばらくゲームが膠着するか…と思ったら、脅威の出来事が!何と、我が国よりはずっと優勢だったはずの伊が、墺の侵攻により本国全占領でゲームから脱落!多少移動ミスがあったかも知れないけど、まさかまさかの大事件である。我が国が生き延びて伊が脱落するとは、誰も予想してなかったでしょ。いやあ、長生きはするモンだ(苦笑)。
これにより得をしたのは、伊に国土の一部を占領されていた仏である。正直苦しい位置にいたはずなのに、大国の仲間入りを果たした。我が国は相変わらずゴミなので、事実上の三つ巴である。さてどうなるか…と言いたいところだけど、ここで「ゲームを終わらせては」という提案がなされ、1908年(第16ターン)でゲーム終了。情勢は次の通り。露の生産都市が11。墺が10。仏が9。そして我が国が…3。これでも1つ盛り返したんだけどなあ(苦笑)。
実のところ、私としてはあまり納得してない。ちょろちょろと動いていたのは事実だけど、「華麗に散る」ことができてない。せめてあと1年やって欲しかった。何故か?ゲーム終了時点で、私の国の軍隊は3つ。1つはキール(占領されたらゲームが終わる)、もう1つは要衝の北海、最後の1つは墺・露激突の地に近いシレジア。世界情勢を引っかき回す、とてーも重要な位置である。ある意味、そういう位置を占めるのをずーっと狙っていたのだ!ここで重要な動きを見せ、その「代償」として滅亡するつもりだったのだから。やっと「散り場所」を見つけたと思ったのに…
実のところ、露は多少アタマを抱えていたんではないかと。あの局面でもし我が国が「昔年の恨みを晴らす」などという理由(言われても仕方ないはずだ)で露に敵対的な行動を取ったとしよう。膠着していた墺との戦線に亀裂が入るのは確実だし、海軍の展開で後れを取っている関係上、対仏戦でも後れを取りかねない。どんな顔で何を言いに来るのか、楽しみだったのになあ。
とはいえ、それまでの関係を考えれば普通に露の味方をしたと思われる。一応「仏・墺VS露・独」って雰囲気の図式だったし。この場合でも我が国の存在感は小さくなかったはず。膠着していたバルカン戦線(墺・露激突の地)で墺が引くことになりかねなかったし、仏は北海経由の英本土(全部仏領)侵攻に怯えることになる。
先ほどぼかした「露海軍の西進を認めない」と宣言した、もう1つの理由はここにある。私の軍隊が重要な位置をちょろちょろ蠢動することにより、「滅ぼすより味方に付けた方が…」と思わせ続けたかったのだ。そのためには、常に自分が最前線近くにいなくてはならない。デカい味方に先に立たれると、「協力してくれなくても大丈夫」と思われ、消されちゃうからね。ダメモトで常に動き続け、色んな意味で敵味方を悩ませ、小さいながらも存在感をアピールしなくては。だって、その方がコッチも面白いし(笑)。
我ながら多いに不本意ではあるんだけど、実は私は「小さいけど存在感のある国」ってのが嫌いじゃないし、プレイしていて下手ではないらしい(苦笑)。「楽しいけど、絶対勝てない」から、意味ないんだけどね。今回は独と決まった段階から「華麗に散ってやる」って覚悟を持ってプレイしていたつもりだけど、どちらかと言えば勝ちが完全に消え去った2日目の方が「肝が据わった」分、楽しくプレイできたかも。
最後に反省点。山ほど(苦笑)。ま、愚痴はさておくと、「派手な裏切りを結局やってない」のは問題かな。単にその前に計画が根底から瓦解しただけって話はあるけど。一応英と仏は私に「裏切られた」と思っているかも知れないけどね。ただ、英とは直前に話し合いが不調に終わってることはわかっていたはずだし、仏には「ベルギーは私のモノじゃない」と宣言はしたけど、仏にあげるとは一言も言ってない。終盤のミュンヘン突入だって土壇場にちゃんと「ミュンヘン奪回したいなあ」と周囲に公言したんだから、それを露が支援したからって裏切り扱いされてもねえ。あれは露が勝手に支援しただけでしょ(笑)。
私は正直マルチは苦手(勝ったためしがない)なんだけど、プレイしていて楽しいのは事実。まあ「下手の横好き」なのは全てにおいてだから、コレでいいんだと思う。「いずれ強くなってやる」って野望は永遠に捨てるつもりはないんだし。また機会があったらやりたいな。ただ…次はもう少し有利な国で(苦笑)。
5月10日 ― 2007/05/11 01:49
生活リズムの乱れにより、本日の更新はここまで。コレを反省して、次回は健康関連について語ってみようかと。
5月11日 ― 2007/05/12 02:48
いやあ、昨日はモーレツな眠気が襲ってきて、半端な時間まで寝てしまった…あれで本格更新なんぞしてたら、朝がキツいどころの話じゃない。困ったモノだ。実は、本日も少し居眠りした後。明らかに生活リズムがおかしい。
つーわけで、本日のお題は「不健康自慢」にしましょうか。私みたいな年代の人間にとっては「定番ネタ」だね。それだけにあんまりやりたくなかった(ココの趣旨に反する)けど、たまにはいいでしょ。
実のところ、私は健康体ってことになっている。太りすぎではないし、高血圧でもないし、肝臓腎臓の数値はマトモだし。この辺の数値がどうこう…などという「良くあるネタ」は、一切提供できない。悪しからず。
ただ…「健康体です」などと言われても、全く実感がない。そりゃあ私は太ってないし、血圧も正常だ。しかしそれは、ちょっと油断すると「痩せすぎ」だの「低血圧」だのと指摘されかねない範囲での話。特に体重は…運動しても不摂生しても体重が減る体質(やや胃弱だから)なので、これでも結構気にしてる。ああ、脂肪があと5Kg欲しい…
そりゃあ世間一般が、「痩せたい」と思っている人間に埋め尽くされてるのは知っている。けどねえ、痩せてるのも色んな意味でキツいんですが。そもそも「標準体重より重めの方が長生き」なんてデータもあったことだし。私の場合、体重が落ちてくると、関節と内臓の調子が落ちる。ほぼ自動的に。痩せた理由を問わず。
そんなわけで一応体重増加を目指すんだけど…経験からは「何をやっても駄目」である。運動して駄目、不摂生して駄目。おそらく消化器官のどっかに「低い限界」があり、いくらメシ喰っても無駄になるんだと思われる。極端な状態(飲んだ翌日など)を除き、私は別に食が細いわけではないってのは、わかる人にはわかると思う。「何でソレで痩せてるんだ」と文句を言われたことが再三あるから。
本当のところ、マズいのは体重より低血圧である。立ちくらみで倒れたことがあるくらいだからね。私が水分ガバガバ採りまくるのは、実はコレが原因である。ノドの渇きを長時間放置していると、いきなり危険領域に達することがある。結果は意識のブラックアウト。青アザの1つは覚悟する必要がある。普段はコントロールできてるからいいけど…また、私が寒がりなのはこれが主要因(さらに痩せてるのが拍車をかける)と思われる。
まあこの辺は「太ってるのは辛い」「高血圧も怖い」と言われたらそれまででしょ。情報格差には腹が立つけど、世間で多いのはどっちかを考えれば仕方ない。それよりマズいのは、生活リズムの徹底的崩壊かなあ。
遅寝遅起きは体に悪い。その通りだろう。ただまあ、こんなのは良くある話である。私もその程度なら問題にしない。問題なのは、ヘンな時間に眠くなったり、真夜中に目が冴えて仕方ないことである。今のところ病院に行かなきゃイケナイってレベルではないけど、ちょっとヤバいかな…って自覚はしている。そのレベルでリズムが乱れている。
理由の一端はわかっている。職場環境だ。「早番」「遅番」ってものがあり、出退勤および休息時間(いわゆる昼休み)の時間がズレるのだ。と言っても、いわゆる「時間が不規則な」仕事の人間に比べれば可愛いモノだけどね。だから、ある1点を除けば別に大きな問題は生じていない。
ただ…食事時間が「ヘン」になるのは避けられなかった。遅番は昼頃に仕事開始して、夕方頃に「昼休み」になる。勤務終了は8時頃。私はどうもこのシフトへの対応を間違ってしまったらしい。今現在、私は「普段と同じ時間に起き、昼前と夕方に軽く食べ、仕事終了後にも軽く食う」って形で対応している。そうしないと遅番から早番へのシフトがキツくなるので。おかげで起床時間は何とか維持できてるし、仕事中に眠くなることはない。けど、他の部分に変な障害が出てきた。眠くなる時期が安定しないのだ。
この現象の正体には心当たりがある。時差ぼけだ。欧州各国や中東といった「時差の大きい国」から帰ってきたとき、似たような状態になるんだよね。あれほどはヒドくないけど、かなり似た症状である。いわゆる入眠障害には色々原因があると思うけど、おそらくは時差ぼけと似たような理屈が原因になってるような気がする。
時差ぼけにを起こす理由は色々言われていて、今のところ「明るさ」によるものが大きいと言われている。明るいと目が冴え、暗いと眠くなるのが「当たり前」だからね。その辺の理屈は私も知っているし、実感させられてもいる。けど、「食事のリズム」も大きいんじゃないかなあ。
じゃあ、食事のリズムを替えればいい…ってのはわかるけど、そうなるとリズムの変化が大変ってことになりそう。遅番早番の変わり目に深刻な時差ぼけ起こすようじゃ、困るわけで。そう考えると今現在は「何とか許容範囲」であり、下手にいじると悪化する可能性も高い以上、これで我慢するのが良いような。理屈不明ながら悪化したり好転したりの繰り返しなんだし。
でもねえ。諸般の事情により、ブログ更新に悪影響が出るんだよね…「気楽にちょろっと更新すればそれで良し」ってコンセプトじゃない(更新には結構時間かけてる)から、ある程度まとまった時間がとれないと更新作業ができない…とはいえ一文の得にもならない(当たり前だ)から、仕事より優先するわけにはいかないし。しわが寄らないよう注意はしているつもりだけど、生活リズム障害の犠牲になりやすいのは事実なんだよね。
ただまあ、肉体的にはともかく、精神的にはブログ更新は習慣になってきている。きっちり更新した方が気分すっきりするし。元々「飽きて更新意欲なくなったら即辞める」つもりで開設されたはずなのに、今も続いているのは「とにかく当人が書きたいから」である。私の更新意欲維持を最優先にしてきた効用ってやつかな。
つーわけで、なんか不定期になりがちで困ってはいるんだけど、「健康上の理由なんですよ」ってことで勘弁して下さい。いや入眠障害は結構困っているんですよ、マジに。こんなことで悩むとは、オレも…えーと、時差ぼけって「トシだねえ」と「青いねえ」のどちらを続けるのが適切なんでしょ?
5月12日 ― 2007/05/13 01:41
来週以降は競馬ネタが多くなりそうなので、本日は別のネタ。野球の話題にしよう。あえてひたすら逃げ回っていたんだけど、そろそろまとめて語っても大丈夫かなと思って。
まずは我がスワローズ…いや、今年は難しいでしょ。投手力がコレではねえ。正直、今はまだマシなんじゃないか?石井一・高津・木田の年齢考えると、夏場は信用度が落ちそうで…もうちょっと若手が育ってくれないと、どーしよーもないんですけど。
何でこうなったのか?うーん、監督の性格かなあ(苦笑)。選手としての活躍とか人気回復とか、なんか勝負に徹し切れてないのか…手広く色々やるのが悪いとは思わないんだけど、今のチーム事情だと苦しいんでないかい?せめて五十嵐・石井弘のいずれかが回復してくれないと。あと、ダメモトで下の若手を抜擢してみるとか。この際だから淡々と負けるより、ワケわからんあがきを見せてもらいたいところ。まだ大きく離されたわけでもないので、ひょっとするとひょっとするかも。
とりあえずセリーグは、巨人が有利かなあ。だって、尾花投手コーチだからねえ。今年辺りから結果出しそうな気がしてたんだよな…まだホンモノじゃないとは思うけど、足りない分は上原復調とかでオツリが来そうだし。「去年同様、いずれ落ちる」なんて油断してたら駄目でしょ。とはいえこの球団は短期決戦に弱そうなので、日本シリーズに行けるかどうかはビミョーとしておく。
パリーグ。ファイターズが案外苦戦しているのと、バファローズ絶不調が予想外かな。まさかイーグルスより下とはねえ。まあ、この辺は私が語っても仕方ない。しかし…これでは何のために球団合併したのか、全くわからんねえ。
メジャーに関しては、岩村が休んでいるので「気楽に」観ている。岩村が出てるとどうしても気になるんだよね…その昔から「素質のあるバカ」だと思っていたけど、メジャーでも色んな意味でバカっぷりを発揮してくれちゃって…野球の実力はともかく人間性考えると、「あんなモノを輸出して本当に良かったのか?」って気がします。はい。順調に復帰しそうだと報道されているので、またアタマの痛い日々が始まりそうだ。
松阪に関しては、「愛称がdai-chanにならなくて良かった」がとりあえずの感想。「大ちゃん」の称号は、誰が何と言おうとオリジナル大輔(荒木大輔ライオンズ投手コーチ)のものである。色んな意味で苦戦してるようだけど、放置しておいてもそのうちまとまってくるんではないかと。むしろ深刻なのは井川かぁ?「ロケット」クレメンスが復帰しちゃったから、先発ローテーションに食い込むのは難しそうだからねえ。とはいえ力はあるはずなので、こちらも慣れて落ち着いてくればそこそこ活躍すると思う。
野球と言えば裏金問題。色んな意味で「何を今更」って問題のような気がするんですけどね。結論だけ言えば、「ホンネとタテマエを都合良く使い分ければソレで良しとする、日本的発想が思いっきり瓦解した」ような。
なお、私は「野球留学生のドコが悪い」って考えの持ち主なので、奨学金問題に関しては「よくやるよ」としか言いようがない。真面目な話、「とにかく野球留学は駄目だ!」などとしてしまうと、「野球でメシを食いたい!」という野望を持つ人間の行き所が狭くなる。他のスポーツだとか、勉強の世界で許されてることが何で駄目なのか、説明が必要な気がするんだけどね。
野球は色んな意味で曲がり角に来ていると思う。「明日も昨日のままでいい」って発想を続けてきた関係上、色んな意味で現代社会との間にひずみが出ているような。広い視野を持って大胆な改革をするべきなんだろうけど、日本人はそーゆーこと苦手だからねえ。とはいえ野球自体が面白いのは間違いないんだから、明日を信じて応援してゆくのがファンにできる唯一のコトじゃないかな。そーゆーことにしてこの雑談を終わりにしたい。
5月14日 ― 2007/05/15 03:13
やっとPOG関連の資料が出回りだした。これらについては色々考えるところがあるんだけど、それを語るのは主要なモノが全部出揃ってからかな。つーわけで、本日は別の話題。
このところ、「何で我々はシミュレイションゲームなんてやってるのか」を語る人が多い。もちろん、そんなものをやってるごく一部の間での話だけど。コレに関して私はあまり語るべきモノはないと思うんだけど、たまには何となく語りたくなる日もあるということで。ま、実はないと思うけど。
なんで私はこの趣味を続けてきたのか?正直、我ながら良くわからない。私は一度好きになった趣味はとにかく継続したがる傾向があるので、その辺が原因だとは思うけど。今では全くやってないに等しいけど、たまに無性に釣りに行きたくなるしなあ…
そもそも、私は何でゲームなんて覚えたのか?一言で言えば、「超人ロック」のせいである。当時原作を読んでいた関係上、「ロックのゲームがあるんだけど、やらないか」って誘いに飛びついた。それ以降この手のゲームを好むようになり、当時の選択肢としてウォーシミュレイションゲームにも手を染め、今に至っている。この時の人脈は今も生き残っており、影響力も大きかった。間違いなく「私の人生を歪めたモノ筆頭」である(苦笑)。
こうした過去の蓄積ってのは、大事でしょ。とかく私は「ちょっとしたきっかけから深みにハマり込み、冥府魔道に至る」ってことが多い。競馬だって冷静に考えればスゴいことになっているし、最近では「何の気なしに買った麻雀ソフト」がワケわからん波及をやらかした結果、何故か高級オーディオの世界に足を踏み入れる羽目に…「風が吹けば桶屋が儲かる」並にワケわからん理屈だな。細かくは語らないけど、だんだんアンプ購入を我慢してるのがキツくなってきた…
じゃあ、過去の蓄積がなければ私はゲームやってないのか?うーん…多分そんなことはないと思うけど。私は結構「勝負事」が好きだ。本気でかかっていって、手痛く負けても「もう1回!」と言える。「自分が勝てないからつまんねえ」って発想はあまりしない。そりゃあトラウマがあって逃げ回ってるモノも多少あるけど(苦笑)。だから、仮に「戦線の張り方」のような基本事項を完璧に忘れたとしても、またゲームにハマる可能性は低くないのでは。つーか、今現在血の涙流して修得中の「EAST FRONT」に比べれば、その昔「何でオレの戦線はこんなに脆いんだ!」とアタマ抱えた苦労なんてチョロいものよ。
私にとってゲームは面白い。それは間違いない。けど、それは過去の蓄積と私の性格があって初めて言えることなのかもしれない。つーか、私は個人的にそう思っている。悪いけど、現在ゲームを続けてる奴はみんな「どこかオカシイ」んだと。自分も思いっきり含まれるけど。ただまあ、全員揃って「今からマトモになりましょう」なんて言ってどうにかなるようなカワイイ存在じゃないのは間違いないので、そういう業界があってそこにしがみついてる奴がいるのは仕方ないことなのかなと。問題発言?いや結局みんな言ってることはこれに尽きると思うんだけど。
しかしだねえ。世の中マトモな連中ばかりで構成されてるとは、私には思えない。方向性が違うのでゲーマーじゃないけど、同程度に「ヘンだ!」って奴は山ほど知ってる気がする…つーか、ここを定期的に見てる人間の大半がそんなレベルでないかい?私の個人的な友人知人で、一度も「かなわんなあ」って思ったことがない奴はいないことを考えれば。存在を知ればこの趣味にハマりそうな奴は、探せばいると思うんだけどねえ。
そう考えると、今では夢幻とされる「新しくこの趣味を始めるバカ」を獲得することは決して不可能ではないと思うのは事実。けど、今現在はそのための手法がまるで確立されていない。真顔で「そんな必要はない」と公言する人も多いし。私も似たような意見持っているけど、ちょっと寂しい気がするってところかな。
その昔、私は初心者なるものだった。当たり前だけど、誰でもそんな時期がある。初心者なんだから初心者同士で楽しんでいれば…ってことはできなかったなあ。「強い」って話を聞くと、「いつか戦ってみたい」と憧れたもの。憧れるだけならまだいい。私は「東京近郊在住者」だったので、そういう人を相手に勝負を挑む機会があったのだ。
結果は言うまでもない。「何がイケナイのか」すらよくわからんうちに負ける。対戦していただいた相手方にしてみれば、実につまらない時間だったかもしれないくらいだ。けど、そうして対戦していただけたおかげで、「何でオレの戦線は…」と真剣に考え、結果として今の自分がいる。今もってヘタクソな気がするのは事実だけど、当時の自分よりはマシでしょ。私は自分勝手に育ったワケではない。育ててもらったのだ。
その恩を返そうと考えた場合、方法は2つ。まず、その相手に勝つ。勝って、侮りがたい相手に育った姿を見せる。そうすれば、相手も楽しい時間が過ごせるはず。これはまあ…ま、見果てぬ夢の1つだ(苦笑)。もう1つは、自分が初心者を「育てる」。ツマンナイのを我慢して初心者をボコボコに粉砕して、「勉強して出直してこい」と言い放つ。そこから這い上がってきた奴が強くなれば自分も楽しめるし、そいつがまた初心者をボコボコにして…ってサイクルが回るからね。
けど、今現在私にはそんなことはできない。前者ができないのは私自身(だけ)に多大な問題があるからだけど、これはさておく。問題は後者だ。これは私だけでどうこうできる問題じゃない。この業界、「初心者」が存在しなくなって久しいからねえ。初顔の人も「出戻り」ばかりで、私ごときが育てるとかいうレベルではない。私にどうにかできるかどうかはさておき、なんか寂しい気がするのも事実かなあ。一方的に教わってばかりってことだから。
そうやって考えてゆくと、実はこの業界、危機感が足らないんじゃないか?出戻りって選択肢がある関係上、何となく初心者獲得なんて考えなくていいって風潮があるような。いわゆる「新しい血」の導入がないと色々とマズい事態に陥る気がするんだけど、ソレが表面化するのはもう少しだけ先の気がするし…ユルユルと続いてきた「精鋭集団」(ダメな意味でだけど)だから、衰えるのもユルユルと…ってだけだと思うんだよね。
ただまあ、こんなことを私だけが言っても何も始まらない。一応「本当にヤバいと感じるようになったら、完全に手遅れ」だとは思うけど、だからって何かできるとは思えないし。とりあえず問題発言をして問題提起になればそれでいいのかな、って程度だね。まずは自分が楽しいことが一番!ってのも真実だと思うし。
つーわけで、〆になってないような気がするけど、この辺で終わりにしておこうかと。後はゲーマー各自が自分なりに考えて欲しい。みんないい大人(しかいないことになっている)なんだし。賛同者が得られるとは思ってないので、遠慮無く批判してください。その程度でメゲるようなら、戦線の張り方なんて…
5月15日 ― 2007/05/16 01:52
珍しく火曜更新。ちょっとばかし「プロローグ」を語っておこうと思ったので。つーわけで、本日の話は必ず後日に続きます。いつになるのか知らないけど(笑)。
世の中にはペーパーオーナーゲームって言うものがあって…って原則論はすっ飛ばします。興味があったら自分で調べてください。何についての話題かは、色でわかるんだし。そのPOGの資料が、この2日間に大量に出た。詳細な検討はまだだけど。本日はその前に、「今現在自分がやろうとしてること」を語っておこう。
私が思うに、POG関連資料というのはそれ自体が「面白い図式」のモノだと思う。「IT時代の今、旧来型メディアはどこへ向かうのか?」ってなことを考える際、結構参考になりそうなのだ。よって、本日は「何故そう考えるのか」を語り、後日分析結果をお届けしようかと。アホバカな企画だが、そーゆーのをやるのがここの価値だ。
まずは私なりの、POG情報の性質分析を。POG情報ってのは、大きく3つに分類可能だと思う。まず、「クラシカルな」もの。POGって概念が一般向けに登場した頃からある情報である。平たく言えば血統情報だね。父が何で母が何…ってものだ。
この情報は、今も必要不可欠である。せめて父と母がわからなければ、馬の存在自体がわからん。しかし、その価値は多いに薄れた。その昔はこの情報が「ほとんど全て」だったのに対し、他の情報が充実して重視されるようになってきたからね。今も私は「父名と母名だけで馬を選ぶのが本当のPOG」って意識が残っていたりする。だから勝てないんだけど。ま、昔からある基本的な情報なので「クラシカル」と名付けてみた。
これに対するのが、「モダンな」情報である。豊富な馬体写真、入厩したかどうか、調教時計なんかが代表だね。こういう情報は昔々から「重要だろうな」と思われていたけど、簡単に入手できるモノじゃなかった。POGで遊ぶ奴が限られていたので、そんな連中のために専用の取材なんてやってられないから。けど、今ではそれなりにポピュラーな遊びになったので、こういう情報が充実してきた。豊富に出回りだしたのは比較的新しいので、「モダン」としてみたんですけど。
命名は「世間に出回った順番」を活用したけど、具体的に「何がクラシカルで何がモダンか」を分ける基準は別のトコロに置きたい。それは、「静的か動的か」だ。クラシカルな情報は、静的である。一度決まるとまず動かない。血統は産まれた時…どころか、受胎確認した段階で決まる。後は不幸にして死亡した馬を取り除くだけ。馬主とか馬名もここに含めて良いかもしれない。
これに対し、モダンな情報は動的である。2歳馬なんて成長期だから、馬体なんて下手すりゃ日ごとに変化する。調教もこれに同じ。ましてや入厩情報だの、「レース前調教」に至っては。管理調教師は本来「静的な」情報だけど、世間へ発表されるのは「POGドラフト時期前後」だったりするので、「最新情報が欲しくなる」って意味でモダンなモノの1つと見なして良いかも。
こうしたモダンな情報の「上」に来るのが、ポストモダン。本質的にはモダンな情報の一種だけど、供給手段が紙媒体ではなくネット情報。取り柄は言うまでもなく即応性。モダンな情報ってのは動的なので、即応性が高い情報ほど価値が高い。よって、ここを追求したネット情報を特別扱いする意義は大きいと思う。
POGで勝ち組に入りたければ、ポストモダンな情報は欠かせない。それだけで勝てるほど甘くはない(考えることはみんな一緒だから)けど、勝ち組の中でネット情報無視してる奴はいないんじゃないかな。そう考えると、実はかなーりカゲキなまでにネットがもてはやされている分野ではないかと。だから、「ネット社会のこれから」ってことを考える場合、モデルケースの1つになるんでないかな。
とはいえ、POGマニアが「ネット社会の最先端を突っ走りまくっている」わけではない。当たり前だ。だから、「ネット社会の最先端はドコへ向かうのか」が知りたいのなら、このジャンルを分析しても無価値だろう。注目が必要なのはそこじゃない。ネット依存度が高くなった社会で、旧来型メディアである「本や雑誌」がどう扱われるのか…ここに注目してみると面白いと思うんだな。
私はネットも利用してるけど、本質的には旧来型メディア大好き人間だ。手元に形として残るものが好きなのよ。それだけに、「ネット時代で本や雑誌がどうなるか」は興味深い。そこで、ネット依存度が高いこのジャンルの情報がどうなるのか、ちゃんと分析してみようかと。詳細に。時間をかけて。私の指名馬を決めるより(笑)。
現時点での結論を言えば、「それでも従来型メディアは重要である」となる。理由は単純。ネット情報はインフラ設備に問題を抱えているから。現状では、ネット上で詳細で綺麗な写真だの動画を扱うのは大変だ。それには送信側・受信側にそれなりの設備が必要になるからね。さらに言うなら、「じっくり読ます文章」を扱うことさえ得意ではない。私の怪しげな推測によると、携帯電話の狭い画面でオーバーフローを起こすような情報は、「ネットでなくて紙媒体でやれ」と思われるんじゃないかと。
そこで登場するのが、「現代的な」POG本である。豊富な馬体写真&詳細なコラムは今でも価値が高く、しかもネットでは扱いにくい。DVDを付録にすれば動画さえ扱える。即応性で劣るのは事実だけど、他の部分で価値を見出すことができるのでは。つーことは、一般社会もそういう方向に進む「気がする」わけで、旧来型メディア関係者は枕を高くして眠れる…で片付けるわけにはいきませんね。残念ながら。
ネット異存の高いこのジャンルでも、旧来型メディアの価値は高い。それは認める。しかしだ。この手の資料を毎年欠かさず入手してきた私がにらんだところ、「なんかどの資料も扱うネタが似てきた…」って気がして仕方ない。こう感じているのは、多分私だけではないと思う。
ある意味、これは当然である。結局扱うネタは同じなんだし、誰だって考えることは結局似てるんだから。ただ、それだけで片付けて良いのかどうかは別。「似たようなモノしか出せない」んであれば、まだいい。「同じモノしか出せない」のは大問題ではないかね?なにしろ、冊数だけならそれなりの数(今年はとりあえず4冊)が出ているのだ。ソレが全部「同じだ同じ」となったら、「4冊出てる意味はドコに!」って問いかける必要があると思うぞ。
そこで必要になるのは、まず「本当にどの本も似ているのか」を比較すること。できれば数値で表してみたいね。結局同じネタを扱ってる本なのだから、似てるのはある意味当然である。それゆえに、「似てるのは当然の範囲に留まるのか、そうでないのか」を詳しく調べる価値があるはず。
次のステップは、その結果を受けて仮説を立て、それを探求すること。「似てるのは当然の範囲に過ぎない」のなら、「じゃあ何ですごーく似てる気がするのか、具体的にはどの辺が違いなのか」を調べる価値がある。「当然とは言えない」って状態なら、もちろん「何でそうなるのか」を分析しないと。この辺すでにいくつか仮説は立ててあるんだけど、それは続編のお楽しみとしておきましょ。
ここで出た研究結果がいかなるものであれ、他のジャンルに応用可能かどうかはわからない。当たり前だけど。ただ、いずれにせよ「笑える」というか「読ませる」結論は引き出したいかなと。どうせ私の予言なんて当たるはずがないし、信じる奴もいない。
というわけで、気楽かつお手軽に結論出して、近日中にお届けします。無責任だって?いいじゃん、これぐらい。だいたいだなあ、「POG本を分析して、これからのメディアがバッチリわかる!」なんてことが当たるくらいなら、NHKマイルCだのヴィクトリアマイルだのの馬券取れるはずだってーの。あんなの買えるか…
5月16日 ― 2007/05/17 02:18
我ながらどうしたんだ、水曜まで更新だよ。いや久しぶりだ。ま、それじゃあいかんのだけどね。別にPOG本研究がまとまったワケではない。これは今も継続中。他に「軽く」書きたくなったことがあるので。題して「雑誌記事とブログとの違い」。
世にブログを書いてる奴は山ほどいる。私もその1人だし、他にも山ほど知っている。ブロガーの中には雑誌などにも書いている「プロ」もいるようだけど、大半はシロウトだ。このエネルギーを雑誌に活用できるか…って部分はさておいて、「どこが違うのか」を私なりに少し考えてみたい。
私に言わせると、プロってのはまず「それでメシ食ってる奴」である。上手い下手だの、意識がどうこうだのって話はその次以降でしょ。中には「本業とは言い難い」って連中も含まれるとは思うけど、ある程度まとまったゼニになっているかどうかは重要な要素ではないかね?
こんなことを書くと、「メシ食ってるだけの連中より、面白いモノ書けるシロウトの方が…」とか言われそうだ。まあ、言いたいことは私にもわかる。実のところ「面白いかどうか」だけを中心に考えるのなら、プロの作品にこだわる必要はないと思うな。この辺は同人誌だのマンガ雑誌増刊号(投稿作品の割合が多い)だのを愛好し、香港馬に関する記述で致命的なミスやらかしやがった某スポーツ新聞を未だ許してないような私だけに、まあ一定の説得力(大したことないけど)はあるんでないかと。
それでもねえ。シロウトが「かなわねえ」って部分はある。分量と安定感だ。こればっかりはシロウトだとちょっと…そして、この2つを生み出す原動力は「作品を生み出すためにかけた絶対時間の多さ」であり、それを生み出してるのは「それでメシ食ってる」って事実でしょ。だから、まず「それでメシ食ってる奴」と、「そうじゃない奴」に分ける必要があり、前者をプロ、後者をシロウトと呼ぶんではないかと。
私は安定感についてはともかく、分量については少し(だけ)語る資格があるかな。なにせこのブログ、更新1回ごとの文章量は多いから。グダグダと長いだけで実はまるで入っていない気がするけど、それは今は問うまい。更新頻度はやや低いけど、それでも1ヶ月あたりの文章生産量は、ブロガーの中では多めになるんじゃないかなあ。
けれどだ。そんな私でも、プロの文章生産量にはとても追いつかない。いや一部の作家に滅茶苦茶生産性が低い奴がいるのはわかるけど、そんなものと比べたって仕方ないでしょ(苦笑)。シロウトの限界はせいぜい「私と同じ分量を毎日更新」ぐらいではなかろーか。それではプロとしてやっていけないと思いますね。
安定感も、実は結局「使える時間の問題」が大きいと思う。ぱっとネタを思いつくだけなら、プロもシロウトもさほど大差ないと仮定しよう。けど、それをふくらませたり、裏付けとなるデータ集めたり、細部を推敲したり…といった作業に使える時間が異なれば、色々と違ってきて当然でしょ。ある程度は効率で埋め合わせることができたとしても、ある程度経費・道具・ノウハウにメリットがあるはずのプロ相手に、倍以上の効率を叩き出すのが簡単なことかね?
「だってシロウトなんだから、仕方ないじゃないか!」と言われたら、それまでだ。確かに仕方ない。もっとも、これはイコール「だからプロはスゴい」と認めてるのと同義語だね。むしろ問題は「分量と安定感って、そんなに大事なのか」ってことかな。これについては、「私は大事だと思っている」としか言えない。言葉では、これ以上の反論はできないのだ。
その代わりと言っては何だけど、このブログは「分量と安定感」を比較的大事にしている。更新するからにはある程度の分量が欲しいし、安定して「突っ走った」ことを書いていきたい。けど、シロウトがコレをやろうと思ったら「何か」が犠牲になる。私はそこで「扱うネタを固定しない」って手を使うことにした。そんでもって、書きたいことをとにかく書きまくる。この際、読者は置き去りにしてOK。それがここである。だから、ここに義理以外の理由で出入りしていただいてる方には、「分量と安定感は大事でしょ」って主張にある程度賛同してもらえるのでは。
もちろん、私は「分量少ない更新」をケナしているわけではない。その価値は多いに認める。要点を押さえた簡潔でまとまりの良いブログを読むと、心底「かなわんなあ」と思うし。ただ、そういうものにも欠点はあると思う。「本当はもっと深く掘り下げてもらいたいけど…」と感じることはあるからね。ブログに話を限定するなら、要は何を重視してどう運営してゆくかの問題だ。優劣の問題とは完全に別でしょ。
ただ…「形になって残るモノ」のことを考えたら、ある程度の分量は必要不可欠でしょ。「短歌や俳句はどーなるんだ」って話はあると思うけど、それはまた別次元の問題ではないかと。少ない量でなおかつ形として残す価値があるモノを創るのは、それこそ天才の領域の話では。世の中にそんな奴がゴロゴロしてるワケがないので、やはり分量は大事だと思うぞ。つーか、凡才は分量で勝負すべきでは(笑)。
分量が増えれば安定感も必要だ。そりゃそーだ。安定感がないのに分量増やすと、アラが目立つからね。そんでもって、分量と安定感を求めると、投入できる時間は無視できない…どころか、最重要問題でしょ。才能も大事かもしれない。けど努力とは費やした時間であり、いつの世でも尊い。こんなのは当然でしょ。そして…身も蓋もない言い方だけど、費やせる時間ってのは「余裕もしくは生活」だ。だから、それを生活にしてるから費やせる時間が多いプロはスゴい。
何事にも軽薄短小がもてはやされる時代ではあるけど、重厚長大なものが持つ「迫力」は無視できないと思う。私が思うに、文章もしかり。増えすぎるとそれはそれで問題が生じるのは事実だけど、「せめてこれぐらいは…」ってラインだとか、「多ければ多いほどいい」って意識を持つべき局面はあってもいいのでは?これはメディアの持つ性質によって変わってくるはずだけど、それはブログと雑誌に思いっきり当てはまるような。
ブログの盛り上がりを受けて、「このパワーを雑誌に活用できないか」ってアイデアを目にすることがある。けど、ブロガーとライターの間には厚い壁があるのではないかな。その壁を意識しないでブロガーを雑誌に登場させても、うまくいかないと思う。安易に「オレなら何とかなるはず」ってテングになるのは、絶対ポジティブシンキングじゃねえ。
だけどだ。ブロガーがライターに挑むのが無価値とは思わない。壁は厚くて簡単に乗り越えられるモノじゃないけど、挑まなければ突破できないのもまた事実。壁の厚さ・敵の強さ・自分の無力さを知った上で、「それでも何とかする!」って気持ちを持たなきゃダメなんだよ。ま、これが一番難しいんだけどね。「外国に挑戦なんてするだけ無駄。違いが大きすぎて勝てるはずがないから」と著書で明言した故戸山調教師の管理馬だったくせに、香港で勝ったからこそフジヤマケンザンは偉大なのだよ。あれと同じコトが簡単にできるとでも?
もっとも、「そのためにはどーすりゃいいんだ」なんてコトを聞かれても困る。最初にちゃんと「このエネルギーを雑誌に活用できるか…って部分はさておいて」って書いたでしょ(笑)。そこが語れるんなら、とっくの昔に実践してるっての。このところ同人誌さえロクに作ってないのに…ブツブツ。
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