4月3日2006/04/04 00:32

 えー、4月最初の更新は色々と思うところあったんだけど、全部すっ飛ばして弔辞を。メジロマックイーンがこの世を去ってしまいました。合掌。
 
 今だから告白しよう。私はこの馬があんまり好きじゃなかった。スゴい戦績だってのは認めるけど、見た目強そうには見えなかったからなあ。かといって、トウカイテイオーのように敵愾心をあおっってくれたわけでもない。単に「お前が勝っても嬉しくないんだよ」などとブツクサつぶやいていただけのような気がする。
 
 それでも、私にとってこの馬は「強さの象徴」の1つだった。勝っても負けてもその評価はゆるがなかったものなあ。理屈がどうとか、戦績がこうとかいう評価を超越してた部分があったと思う。
 
 なんでこの馬がそんな評価を受けたのか?正直、今も謎である。この馬の現役時代を知らないと、あの競馬場に漂っていた「仕方ないよなあ」って空気は理解できないんじゃないかな。ディープインパクトみたいな「勝ってみんなで幸せになろう」って空気じゃない。近い存在だとテイエムオペラオーがいるけど、こいつでさえあの領域にはほど遠い。
 
 そんな馬だけに、この馬が負けたときは自動的に大騒ぎになった。また何と言うか、トンデモネー負け方をする馬でねえ…大降着ぶちかました秋天や、ダイユウサクの一発に屈した有馬記念は今も語り継がれている。「勝負事ってのは、強い弱いだけで語れるモノじゃねえ」ってことを教えてくれたような気がするね。これは大切な教訓だと思うぞ。
 
 正直言って、私にはこの馬のことはよくわからない。当時競馬覚えたばかりだったからなあ。ただ、それだけに何となく「とてつもなく巨大な存在」だったのは間違いない。この馬が亡くなったと聞いて、ものすげー喪失感がある。ただ、その正体が自分でもよく掴めない。好きでもなかったし、「強い」と認めているわけでもないのにね。
 
 これ以上は何を語っても愚痴になりそうなので、最後は軽く流そう。メジロマックイーンよ、お前がいない世の中ってのは、確かに寂しいよ。末永く「よくわからん奴」でいて欲しかった…

4月6日2006/04/06 23:33

 火曜にPCが不調を訴える。Windowsが全く起動しない。どーも「大事なハード」の何かが壊れているらしい。ぐえ。
 
 てなわけで、当然修復に乗り出す。しかし、現状ではどーもこーもない。ただ、諸般の事情から「VGA周辺」がおかしそうだとにらむ。以前からちょっと調子がおかしかったので。そこで古いVGAを接続してみたところ…全く症状変化せず。てことは、おかしいのはVGAじゃなくて、そいつを繋いでいるAGP…うへえ。
 
 仕方がないので、観念してマザーボード交換に乗り出す。土曜に出勤を命じられている(これは後ほど触れる予定)関係上、「代休取ってもいい」と言われたので、有り難く利用。どーせなら…ってんで、秋葉原で買い物してきました。
 
 さて何を買うか…候補は3つ。1)今までと同じ、少し古いものを買う。2)Athronに乗り換える。3)最新型Pentiumに乗り換える。このうち、3)は瞬時に却下された。メモリすら使い回しできないからだ。いくら何でも金銭的に厳しすぎる。しかし、2)はちょっと魅力的だった。元々CPUは「替えてもいいかな」と常々思っていたし、メモリが使い回せる。しかし…熟考した末、結局1)を採用することに。
 
 なぜ1)を採用したのか?主な理由は目先の金銭。マザーボード・CPU・VGAが交換対象なので、結構出費するからね。しかし、他にも理由がある。来年の初めに出る新OSだ。この時には色々と替えなきゃイケナイのは確実で、「新しいマシンに丸ごと乗り換える」可能性すらある。今の時点で半端に新しくするより、もう少し様子を見てからの方がいい。
 
 つーわけで、新しいマザーボードを買った。正直、何も新しくなってない。「同じモノに交換しました」ってのとほぼ一緒である。強いて言うなら、ついにIntelマザーになったってくらいか。あまり意味はないけど。
 
 取り付け作業は難航した。CPU・メモリ・ディスク回り・電源ケーブルの取り付けなんかは問題なかったんだけど、スイッチの取り付けが…これって実にわかりにくいんだよね。おかげで何度もやり直す羽目に陥った。ま、失敗したからって壊れたり燃え上がるようなモノじゃないので、いいんだけど。
 
 取り付け作業が終わった時点で、Windowsを再インストール。必要なかったかも知れないけど、マザー交換したらやっておきたい作業だね。マトモに起動したので、ドライバを組み込んで修復完了。今現在マトモに動いています。
 
 正直、今回の故障は程度が軽かった。VGAもつられて吹っ飛んでるかと思ってたけど、ちゃんと「生きて」いたからね。金銭的には少し痛かったけど、これは携帯の買い換え(そのうちやる必要がある)を先送りにすればいい。ま、「仕方ない」と割り切れる範囲だね。
 
 とりあえずは良かった…と言いたいところだけど、問題もある。システムの更新を後回しにしたので、この後何かと部品の交換を強いられる。CPU・ハードディスク・VGAが全て「規格遅れ」のままだし、メモリも遠からずそうなりそう。段階的に乗り換えるのか、一気に何もかも新しくするのか考える必要があるんだな。ああ、頭が痛い…けど、そこがまた「この趣味」の醍醐味だって話も…

4月10日2006/04/11 02:58

 ヒモが抜けました。久々にアワ吹きそうになった…日曜回顧はコレでお終い(笑)。くっそぉ~!皐月でリベンジ…は難しいかな。諸般の事情により。
 
 というわけで、本日の話題は土曜の回顧。仕事でした。出勤してました。これでは、フツーここの話題にする価値がない。なのに話題にしたのは何故か?フツーの仕事じゃなかったからだ。
 
 実は、土曜の仕事は「授業を受ける」だった。研修じゃなくて。目的は研修かも知れないけど、あれは間違いなく「授業」だった。しかも、法科大学院の。周囲にいるのが「本気で法律家になるべく、入試をくぐり抜けてきた」連中だって考えれば、相当場違いである。何で私はこんなところにいるんだ?
 
 タネを明かせば何てこたあない、「法情報学」という、PC使ってネット上のデータベースいじる授業なので、アシスタントとしてかり出されただけ。とはいえ、「そのうちネット上で調べ物してもらうから、ちゃんと授業聞いてこい」って指令も下されている。思いっきり研修も兼ねていた。
 
 相対的に「簡単な」授業ではあったけど、授業は授業。ぼーっと参加してりゃいい、ってなワケにはいかない。ちゃんと参考書買って予習しました。「ついて行けるのかオレ」と思っていたけど、その昔曲がりなりにも法学部を出ただけあって、何とか理解できました。うーむ、大学時代に学んだコトって案外忘れないのね。
 
 肝心の授業だけど…いやもう大変でしたよ。なにせコッチはアシスタント兼受講生。先生の指示を素早く理解して実行し、その後つまづいている生徒がいないか目をこらし、いたら手助けができなきゃいけない。露骨に「わからない」「できない」が許されないのだ。そんなこと「元へっぽこ学生」に要求するなよな。自慢じゃないけど、私はこの法科大学院の入学試験合格するとは思えないってのに。
 
 授業の感想は、「世の中便利になったもんだ」である。その昔は図書館で探すしかなかった判例や細かい法律が、ネット検索で簡単に呼び出せるんだもの。ホントは有料サイトなんだけど、ここの学生は学内・学外を問わず使い放題。いくらへっぽこ学生だった私にも、その価値はわかる。くそー、今の時代に学生ってのはうらやましいぜ…ま、それでも私はへっぽこだったと思うけど(笑)。
 
 授業を受けた主観的な感想はこんなものだけど、客観的に見るとすさまじい話である。だって、難しい入試をくぐり抜け、安くない学費払っている連中と机並べて勉強しているんだよ?単なる派遣なのに。この法科大学院を受験して落ちた人間にしてみれば、「カネ払うから替わってくれ」って頼みたくなるんじゃ。そんな環境でカネもらっているんだから、ある意味モーレツに恵まれてる。
 
 こんな職場に、どーして私なんかが潜り込んだのか?偶然というか何というかだね。大学院側としてみれば、ちゃんと「使えると計算できる」奴が欲しかったんだと思う。でも、忙しくなる直前に私の前任者が辞めた(逃げたんじゃねえかと疑っている)関係上、「まあいいか」で決まったような。
 
 ただまあ、大学院にしてみれば、私は「思ったよりは拾いモノ」だったんではないかなあ。「事務員ってことで派遣されてきた奴に期待するかぁ?」って仕事山ほど押しつけられたにもかかわらず、一応こなしてきたから。今回の「アシスタントとして授業に参加してこい」ってのもその1つだろう。単なる派遣の事務員に「大学院の授業で優もらってこい」って命令するようなものだよ?何度も言うけど、そんな期待されても困るだろ。
 
 他にも「ワケわからん」仕事を命令されてる私。別に逃げだそうと考えてるワケじゃないけど、色々と鬱憤溜まっているのも確か。てなわけで、今週は「私のお仕事特集」としようかと。たまには仕事の愚痴を思いっきりコボさせてくださいよ…本当に大変だったんだから。

4月13日2006/04/14 03:28

 引っ越しの際、家具の配置に悩む…よくある話だろう。私は昔引っ越し屋のバイトやってたことがあるので、悲惨な例(詳細は伏せる)を何度か見たことがある。
 
 コレを防ぐために、紙を切り貼りして「家具」を作り、引っ越し先の図面の上で色々置いてみる…ってのがある。でも、これはこれで面倒だ。せめてPC使えないのか…そう思った人もいるんじゃないかな。
 
 そんな時に便利なソフトがドロー系ソフト。代表例はIllustrator。でも、このソフトはモーレツに高い。普段使わないソフトなんて買ってられない。そりゃそーだ。じゃあどーするか?
 
 そこでオススメしたいのが、Excel。「表計算ソフトでどーしろってんだ!」と言ってはイケナイ。実はこのソフト、図形描いて配置する機能がある。コレを上手く使うと、家具の配置をぴたりと決めることが出来るのだ。
 
 正直言おう。上記は誇大表現である。そりゃあね、Excelに「そーゆー」機能があって、その気になれば家具の配置図作ることができる…ってのは知っていた。時間さえかければね。かなりExcelに詳しい人でも、「多分出来ると思うけど、具体的にどーしろと?」と途方に暮れるのが精一杯じゃないかな。
 
 私が今の職場に雇われたとき、「Illustrator使えるんだ、ふ~ん」と感心された。あったとしても、ロクに使わないだろ。なんで感心してるんだ?と思っていたら、「Excelであーゆーことやってよ」と、配置図作りをやらされました。は、はあ…
 
 この配置図、私が引き継いだ時点でフロアの見取り図だけ完成していた。Excelのセルを真四角に整形し、部屋ごとに塗りつぶしたモノ。この時点で「器用と言うか何というか…」ってなシロモノだけど、そこに家具を配置するのは…しかも、ワンルームとか一軒家ではない。4フロアぶち抜きの「自習室」。机も椅子もたっぷりある。
 
 具体的なやり方を説明するとこうなる。まず、別のシートでテキトーなセルを、配置したい家具の大きさに合わせる。1m=20ピクセルぐらいが適切かな。その後、「図形描画」コマンドを使って、そのセルと同じ大きさの四角形などを描く。こうすると、おおむね大きさを合わせるだけで勝手にセルと同じ大きさだと判断してくれる。後はこれをコピー&ペーストするだけ。簡単でしょ?言葉にすると。
 
 この機能、かなり分厚いExcelの解説書でも、「こーゆーことができます」とだけ紹介して、使いこなし方は全く書いてない。元々そーゆー使い方想定したソフトじゃないんだから、当然だけど。本気でこの機能使いこなそうと思ったら、Illustratorの解説書買ってきた方が早い。コッチと比べたら呆れるほど低性能だけど、一応応用は効く。
 
 私はIllustrator使える人なので、まあ何とかなった。でも、フツー「事務の仕事」で雇った派遣が、そんなスキル持ってるなんて考えないだろ。しかもだ。単に言われたとおりに家具配置してみて、完成したらそれで終わり…ってんならいい。その後も「家具差し替えた」「模様替えした」てなことが発生するたび、この作業をやる羽目に。なまじ「使える」と判断された結果、要求がエスカレートしたようだ。しまいにゃ机や本棚購入する数を、私の作った図面で判断していた。
 
 この施設の「引っ越し作業」にも立ち会ったけど、全てがすっぽりと収まるところに収まっていた。強いて言うなら傘立てだのゴミ箱だのの置き場に困ったけど、コレは単に作業の邪魔になるから。全ての作業が終了した今、何の問題もなく機能しているはずである。
 
 こういう作業、ホントは「図面描ける奴」の仕事である。バリバリの「理系仕事」だな。百歩譲ったとしても、専門のソフトオペレーターでないと手に余るんじゃないかな。そんな奴はこの世にたくさんいるだろうけど、まあフツーは事務員として派遣されることはない。単なる派遣の事務員にこんなことを期待しても、「できるわけねーだろ!」と激怒されるだけじゃないかぁ?
 
 この一件だけ見ても、某法科大学院が「私を引き当てた」のは、ツイていたと言える。いくら日常的に発生する作業じゃないとはいえ、「とにかくそこそこ使えそうな派遣を!」って募集した奴が、この作業こなしてくれるなんて期待しねーだろ。この作業は当初の予定よりも差し替えなどが大量発生した関係上、かなーりの時間を費やした。私が面接の際「やっぱりやめます」と断っていたらどーなったのか、極めて興味深いほど。
 
 こーゆー風に「必要とされてる」のは悪いコトじゃない。それは大いに認める。けど、正直「何でこんなことせにゃいかんのじゃ!」と言いたくなることも事実だね。もっと気楽な腰掛け仕事のつもりだったんだけどなあ…

4月17日2006/04/18 02:13

 本日のネタは、地味ながら「スゴい」ネタである。正直、「今年1番の大ニュース」筆頭候補である。ホリエモン逮捕なんて、コレに比べたら驚くようなニュースじゃない。
 
 知ってる人は知ってるけど、私は日刊ゲンダイを愛読している。主に競馬目的で。とはいえ一応他の記事も読むので、この新聞がどーゆー新聞かはよーく知っている。知らない人に説明すると、「何にでもケチをつける新聞」である。私はこの新聞の主張に同意しない部分も多いんだけど、まあ言いたいことはわかるので、とりあえず不愉快ではない。
 
 先週の土曜日、私はいつものように日刊ゲンダイを買った。皐月賞を予想するため。皐月賞は手痛い目に遭ったんだけど、それは今回関係ない(苦笑)。この日は皐月賞予想が前面に来るので、本来1面に来る記事は2面に来る。そこで私は、トンデモナイものを見てしまいました。
 
 私はよく知らないけど、日刊ゲンダイってのは他のマスコミから「閉め出された」存在らしい。記者クラブに入れてもらってないのだ。それだけに、他のマスコミとは死ぬほど仲が悪い。何かあるたびに「大マスコミは腐敗してる!」と、他のマスコミを批判する。読売・朝日・NHK・日経&テレ東、その他矛先を問わず。それは永遠不変だと固く信じてきた。
 
 この日の2面記事はお得意の「竹中総務相批判」。竹中大臣が「放送と通信の融合」ってお題目でマスコミ規制緩和に乗り出したのが気にくわなかったようだ。これは良くある話。この新聞買っていれば、ゲップが出るほど読める。ところがだ。こんな「大マスコミ叩き」に格好の記事だというのに、ついに大マスコミ批判を持ち出さなかった。言ってみれば、TV局を擁護して見せたのである。
 
 日刊ゲンダイがTV局を擁護する…こんなことあっていいのか。ブッシュ大統領がフセイン元大統領を褒めるとか、中共や韓国の指導者が靖国神社参拝を褒め称えるのと同じくらい、「あり得ないこと」だと思っていたんだけど。唖然呆然愕然である。コレに比べれば、石橋の皐月賞制覇なんて驚くには値しない。高田の皐月賞2着はまだ予想できても、コレは予想できないよ…
 
 そりゃあね、記事の趣旨は「竹中批判」だ。マスコミの構造改革ってのは日刊ゲンダイにも確実に波及するから、「対岸の火事」と言ってはいられないはず。しかし、私は「それでも」大マスコミ批判を続けるのがこの新聞だと思っていた。実際、竹中大臣を大いに批判しつつ、同時に大マスコミを罵倒するのは可能でしょ。時間さえかければ、私にもそれぐらいの「作文」書けるような気がする。
 
 何でこんなコトになったのか。大マスコミ側から日刊ゲンダイに「助け合おう」なんて言うワケがないので、一方的に日刊ゲンダイが大マスコミにすり寄ったってことだろう。それを「堕落した」と受け取るべきか、それとも「現実路線に目覚めた」と受け取るべきかは微妙ではあるけどね。いずれにせよ、ひょっとすると日刊ゲンダイは生まれ変わろうとか考えているのかも知れない。
 
 日刊ゲンダイは、いわゆる「団塊の世代」向けの新聞である。青臭い理想論振りかざし、何事にもケチをつけ、論調は左寄りのくせにモーレツな国粋主義。強いて言うなら「ライバルと比べてエロ面が弱め(ただし、名作「やる気まんまん」がある)なのが「らしくない」ってなぐらいか。正直言って、他の世代にどれだけウケているのか考えちゃうところがある。
 
 こういう「団塊の世代向け」のものは、今現在滅亡の危機に瀕している。この世代の定年退職が近いからだ。その影響をモロに被りそうなのが、この日刊ゲンダイでしょ。帰宅途中の通勤電車で読むための新聞だからなあ。同様にヤバいって噂のある「ア○ヒ芸能」のような週刊誌はまだ「女房に隠れて読む」ってコトがあり得ても、日刊ゲンダイは厳しいでしょ。
 
 日刊ゲンダイが「ヤバいんじゃないか?」って思わせたのは、実は今回が最初じゃない。やや唐突に囲碁・将棋欄を縮小しやがったし、目玉連載「やる気まんまん」の後釜を育成できなかったからって「過去の載録」って反則ワザ使ってくるし…「何とかして団塊世代限定から脱却しようとしてる」のがミエミエなんだけど、私にはうまくいってるように見えない。
 
 私にしてみれば、これはちょっとだけ哀しい話である。競馬に関する情報は、この新聞で仕入れるのが習慣だからね。ただ、正直困るのはそれぐらい。強いて付け加えるなら、クロスワードパズル(難易度が適度だった)が無くなると寂しいなあって程度。正直、「換えが効かない」存在じゃない。その点ではファンファーレ(その昔あった競馬週刊誌)廃刊の方がよっぽど…
 
 たかが1回大マスコミ批判をしなかったぐらいで、ここまで言うかって?言う価値がある。大マスコミ批判は、日刊ゲンダイの「存在意義」だと思うので。これを止めてしまったら、「魂売り渡した」のと何も変わらない。他がどうなったとしても、貫き通さなきゃイケナイものじゃないのか。
 
 繰り返しになるけど、私にとって日刊ゲンダイの「魂」は、どーでもいいものである。大切なのは競馬面だけ。それ以外は心底どーでもいい。でも、何であれ「魂が枯れてゆく」様を観るのは哀しい。世の中にはそーゆーものがあふれかえってはいるけど、まさか日刊ゲンダイまでがその仲間入りをするとは。「そうだろうなあ」と思うのは事実だけど、改めて直面するとクるものがありますね。
 
 どーでもいいだけに、私は今後も日刊ゲンダイを読み続けると思う。私にとって大切な部分は何も変わってないから。でも、今後この新聞の読み方が変化するのは間違いない。私に言わせれば、日刊ゲンダイはこの日「死んだ」のだ。それぐらい衝撃的な記事だったと思うな。

4月20日2006/04/21 01:52

 月に1度はやっておきたいヲタクネタ。今回のお題は、「〆切破り」について。いやまあ、これについて言いたいことはたくさんあるので。
 
 ココで言う「〆切破り」とは、幅広い意味で考えたい。すなわち、「原稿が全くない」という状態(俗に「落ちた」という)だけでなく、掲載はされたけどヒドい出来ってモノも含める。そんなのあるのかって?実は良くある話だったりする。
 
 比較的有名なところでは、某週刊誌に不定期連載してる某作品が、掲載されるたびに「ヒドい出来」である。下書きそのまま突っ込んだ、ってのがミエミエ。これは通常単行本で直すんだけどね。
 
 私はどちらかというと「作品が掲載されてない」ってことに寛容で、不出来な原稿には辛辣である。未完成の作品載せるぐらいなら、別の作品に差し替えてもらいたい。本気でそう考えている。
 
 ただまあ、作家サイドとしては「そうもいかない」のも事実でしょ。原稿料のことはさておくとして、一応雑誌に掲載しておかないと、単行本の発行ペースにも遅れが出る。雑誌も駄目、単行本も出せないじゃ干上がっちゃうからなあ。だからって下書き掲載が許されるモノとは思わないけど。
 
 編集サイドとしても、「それでも掲載したい」って気持ちがあるんじゃないかな。代原なんて簡単に確保できるモノじゃないし、「いつ掲載されるかわからない」作品である以上、どう考えても面白くないのがフツーだからね。だいたい、編集としては「最後の最後まで」ちゃんと掲載されると信じたいもの。「とにかく転輪機に突っ込め!」ってな気持ちになるのもわかるなあ。
 
 面白いことに、「ヤバい作品」をどう扱うのかは、出版社ごとに多少違いがある。集○社はとにかく掲載する。どんな出来でも。逆に講○社はよく原稿が欠ける。次号予告どころか、表紙に作品名掲載してる作品がなかったりする。代原豊富なのかな?
 
 私は比較的忍耐力があるので、連載ペースが落ちるぐらいは気にしない。必要なら5年でも10年でも待てるからね。何年待たされようが、掲載誌を代えようが、気に入った作品はどこまでも追いかけてゆく。ただ、これは例外的な態度だとは思う。世間の飽きっぽさを考えれば、「忘れられるんじゃ」って恐怖は強いと思うな。
 
 私も最近ここの更新ペースが落ち、正直言って「〆切破り」の常連と化している。いけないと思ってはいるんだけど…その辺の「事情」はさておき、自分の〆切破りには一応ポリシーを持つことにしている。すなわち、いかなる事情があろうとも、自分の中で「一定の水準」に達しない作品は掲載しない。それぐらいだったら「落ちました。更新できません。」って謝るだけに留める。
 
 コレが正しい態度かどうかはわからない。「何かしら更新しないと、読者が離れる」って話があるからね。ここも相当読者離れしてるんじゃなかろーか。元々少ないって話はあるけど(苦笑)。一応気にはしてるんですよ。本当にすいませんねえ。
 
 それを承知の上で「駄作」を掲載しないのは、私の好みの問題…というよりは、更新意欲の問題だな。だらだらと「ノリの悪い」作品連発してると、更新意欲そのものが薄れそうで。そうなるぐらいだったら、思い切って休んで更新意欲を維持する。この方が長続きすると思っているんだけど、どうなのかね。
 
 〆切破りってのは、本来「あってはならないこと」ではある。でも、だからって「その時のことは考えもしない」ってのは、正しくない態度じゃないかな。そりゃあね、ごくごく希な出来事だってんなら、「その時考える」って態度で問題ないでしょ。けど、まあ…「世の中そんなに甘くない」んじゃないかと(笑)。
 
 ブログなどは大抵「作者イコール編集者」である。ということは、「作者としての自分」が逃げ出したとき、対策をうつのも自分だ。当たり前だけど。「〆切破りなんて、あってはならぬこと」だけで片付けるってのは、「作家としての自分」に余計なプレッシャーとなり、「編集者としての自分」にとっては現実逃避…って気がする。「いざというとき」どーするのかは、多少考えておいた方がいいような。
 
 そこまで考えたくないよ…って人もいるでしょ。まあ、それはその人の自由だ。ただ、それを言いだしたら「完全に放り投げるのも自由」ってことになっちゃうからなあ。ある程度のプレッシャーはあった方が健全じゃないかと。
 
 〆切破りってのは「非常手段」なので、色んな意味で至らぬ部分が多いと思う。私自身、自分の方針が「受け入れられるものなのか」って不安はあるわけで。そーゆー点で、他人のシャレにならん〆切破りは参考になる。マンガの〆切破りは、曲がりなりにも「プロ」がやってることだからなあ。ブログの〆切破りとは比較にならん。そこで作家・編集者がどーゆー態度を取り、それをどう感じたのか、そしてそれを自分自身に当てはめるとどーなるのか…ってなことは、少し意識しておいた方がいいと思うぞ。ブログを続けたければ。

4月21日2006/04/22 02:07

 私は一応法律を勉強していた時期があるってことで、「騒音おばさん」の裁判について思うところを書いてみよう。
 
 私が思うに、この裁判はそこそこ「重要な」判決じゃないかと思う。「騒音を使った傷害罪」が認められたってのは、珍しいような気がするから。「五月蠅いから何とかしろ」って訴訟は良くある話だけど、普通は民事訴訟だの行政訴訟だのの話。刑事事件として扱われ、おまけに実刑判決ってのは、さすがに前例少ないのでは。
 
 ただまあ、これ自体は驚くようなコトじゃない。ちょっと考えれば、音が立派な「凶器」になりうるってのはわかるでしょ。ただまあ、刺したとか殴ったとかと違い、「ホントに音が原因かぁ?」ってことを証明しにくいのは事実。鼓膜破れたとかいうワケじゃないからなあ。事実、「騒音おばさん」の弁護人はそこを拠り所に弁護を展開したらしい。
 
 この弁護方針、これはこれで納得できる話である。民事訴訟(フツーの人同士の裁判)や行政訴訟(国などを訴える)なら「迷惑だ!」ってだけで訴訟の対象になりうるけど、刑事罰ってのはかなり性質が異なるからね。ちゃんと騒音と健康被害の間に因果関係があるって証明できなきゃいけない。他の法律に引っかかって刑事裁判になることは考えられるけど、傷害罪を認定したってのはちょっと珍しいのでは。
 
 とはいえ、自信を持って弁護できるような根拠じゃないでしょ。「とりあえず主張してみた」ってところじゃないかな。ただ、だからって裁判を諦めるのはどうかと思う。刑事事件で有罪を宣告される以上、「根拠はしっかり示すべきだ」ってのがあるからね。悪い奴を弁護する弁護士だからって、悪い奴とは限らない。
 
 もう1つ注目に値するのは、実刑判決ってところでしょ。傷害で懲役1年って程度の罪なら、フツーは執行猶予つくのにね。「まるで反省してねえ」ととられたんだろうな。ただ、無罪を主張した関係上保釈されなかったので、刑務所にいる期間はさほど長くない。出所した後どーするつもりなのかは注目する価値があるな。
 
 この「騒音オバサン」が悪い奴だってのはわかる。わかるけど、それだけで片付けるのは「もったいない」気がする。「なんでこんな奴になったのか」、ちょっと興味深いんだよね。ある意味、「人形同然の連中と、そいつらに祭り上げられて目が曇った教祖」って図式じゃないかと推定可能なオ○ム真理教の連中よりも、興味深い。ただまあ、私はそんな領域まで踏み込む能力も覚悟も資格もないので、永遠に謎なんだろうけど。世の中なんてそんなもんだ。
 
 この事件はやたら大ごとになったけど、本質的には「ありがちな衝突」の延長にあるものだ。決して他人事ではない。あんな奴が身近にいたらどーするか?そういう恐怖は感じてもいいんじゃないかな。ついでに言えば、「自分は本当にあのオバサンみたいな奴にならないのか」もね。

4月25日2006/04/26 00:58

 昨日はアップし忘れた。何やってんだか。ついにボケの始まりかぁ?ま、今に始まったコトじゃないから、その可能性は低いな。良かった良かった(おぃ)。日付表現などを修正して、本日お届けします。
 
 一昨日は競馬お休み。本当なら香港に駆けつけたい(春の国際レースがある)ところだけど、さすがにガマンだ。5月半ばまでは土曜もお仕事だからなあ…というわけで、Middle-Earth東京支部へ。
 
 今の時期、Middle-Earth東京支部は「まったりした」雰囲気が流れている。公式戦の谷間だからね。そろそろ「関ヶ原トーナメント」が始まる予定だけど、まだピリピリした雰囲気じゃない。ま、コレはコレで悪くない。
 
 そこを利用して…ってワケじゃないけど、ついにプレイしました「イーストフロント」。今回はその簡単なリプレイなんぞを。
 
 このゲーム、「軍神」鹿内氏のお気に入りゲームである。ってことはだ。しっかり覚えて勝てるようになれば、相手は絶対逃げない。「カネ賭けてヒイヒイいわしちゃる」という遠大きわまりない野望へ大きく一歩踏み出したわけだね。なんか地獄への第一歩の気もするんだけど、それを気にしちゃイケナイ。
 
 対戦相手…というより、指導教員は「チャンプ」羽田氏。温厚な人柄なので、罵声を浴びたり、勝ち誇られる心配がないのは有り難い(笑)。勝ち負けがどうこうではなく、まずはゲームを覚えることに徹する。
 
 対戦見学してルールはある程度覚えていたので、プレイはサクサク進む…はずなんだけど、具体的に駒を動かすとなると、「どーしたらいいのか」悩ましい。ただ、「現時点では考えるだけ無駄である」ってことがわかっているので、とにかく「まあいいか」で部隊を運用する。まずは「どこが駄目なのか」ひととおり洗い出さないと。
 
 懇切丁寧な指導のおかげもあって、テキトーなプレイの割には順調に進撃する。ま、戦力差考えれば当然なんだけど。ただ…細かいミスは多かったし、ゲームの流れも読み切れてない。特に痛かったのは「研究不足」だね。このゲーム、ある程度先を読む必要があるんだけど、そこが全くわかってない。まあ、とりあえずそれが確認できただけでも良しとする。
 
 テキトーな進撃のツケは、8月になって早くも露呈する。司令部の位置が悪いので、モスクワへ向けて突撃できそうもない…うーむ、予定では何も考えずモスクワに突っ込み、派手に散るつもりだったのに。仕方がないので、より手近な「南方都市群」に向かって突っ込むことにする。
 
 このように無計画に実行された南方攻略だけど、思ったよりは進撃できた。ハリコフとドニエプロペトロフスク(重要な都市)を占領できたから。ただ、私の進撃もそこまで。スタリノは手を触れる気にもなれず。ロストフはさらにその後方。ヤケクソ気味に後方に放置されてたオデッサを攻略したぐらい。
 
 その隙に、モスクワ前面では赤軍が「晴れてるうちから」反抗を開始。フツーは雪が降ってから反抗なんだけど、それだけ余裕があったってコトだろう。何とか部隊をかき集め、ダイス目に恵まれたこともあって突破はかろうじて防ぐ。
 
 そんなわけで、自分が当初予想してたよりは「良い状態」でゲームエンド。結果だけ見れば及第点だな。特にハリコフをきちんと攻略できたのが大きい。「南へ行く」と決めた以上、せめてこれぐらいの戦果残さないと話にならないからなあ。でも、それは表面上の話。内情は相当グダグダだった。このゲームの独軍は「モスクワに行くか、それとも南方か」って姿勢を見せ、それで赤軍を惑わす必要がある。それなのに、実質「南方しか届きません」って状態じゃなあ。指導プレイじゃなけりゃ、もっとヒドい目に遭っていたのは確実。
 
 とはいえ、それは最初から予想された事態でもある。研究不足だってのはわかっていたわけで。今回の戦訓を叩き台にして、次回の作戦を考えればいいだけのこと。次は無理してでもモスクワに突っ込み、そこで派手に散ってみたい。それを覚えてからが「本当のプレイ」でしょ。しばらくはボロ負けの日々だな。
 
 実は私、「負けず嫌い」ではない。どちらかと言えばだけど、負けるのは苦にならなかったりする。だからって勝負へのこだわりが弱いってことはない。要は「勝ちたがり」なのだ。勝とうと思ったら、とにかく勝負するしかない。勝負しない限り「勝ち」はあり得ないから。その結果として当然「負け」も増えるんだけど、それは気にしないことにしてる。コレが私の「勝負哲学」だね。
 
 というわけで、私もついに「イーストフロント」覚え始めました。後は実戦経験積んで、色々工夫して…って日々が始まるわけだ。その間ずーっと負け続けることになるんだけど、それは仕方ない。むしろ、こうやって負け続ける日こそが「楽しい」んじゃないかな。いつの日か「勝ってしまう」日が来るまで、楽しい日々を過ごしたい。過ごしたいモノだ。過ごしたいと思っているんですけど。つーか、そう思わないとやってられない…

4月27日2006/04/28 01:30

 本日のネタは、一応学術的研究としてこの色に。ただ、どこが学術的研究なのかはよくわからない。単にネタの色に迷っただけって話はある。
 
 私はよく喫茶店やファーストフードの店(以下FF店と略す)を利用している。煙草吸うからね。何か食べることも多いけど、大抵は飲み物(アイスティーかアイスコーヒー)だけしか注文しない。ま、ここまでは良くある話だ。
 
 そこで発見したのだけど、いわゆるFF店と喫茶店の間には「明確な線」があるようだ。それが「アイスコーヒーを注文した際、ミルクを付けるかどうか」である。FF店だと絶対ミルクがついてくるんだけど、喫茶店は省略してくることがある。
 
 私は、アイスコーヒーにミルクは入れない。甘党なのでシロップは使うけど。どこでどんなアイスコーヒーを頼んでもこうする。これ自体は「だからどーした」ってことに過ぎない。私も当初は特別意識してなかった。
 
 ところがだ。それなりの頻度でこれを繰り返した場合、店側が私の風習を覚えることがある。「常連化する」って現象だね。しかし、「喫茶店」ではこの現象が発生するのだけど、FF店では絶対発生しないようだ。そりゃもう頑なに。
 
 この線は、今のところ「ドトール」と「モスバーガー」の間に引かれている。ドトールは比較的速やかに私の好みを覚える。しかし、モスバーガーは全く覚えようとしない。これは大宮駅近辺だけの話かも知れないけど。
 
 大宮駅近辺のドトールは、ある意味どうかと思うレベルである。最近は、私の顔見るとアイスコーヒーの準備する。注文聞く前に。実際それしか注文しないけどさあ。しかも、そーゆー店が2つもある。便利と言えば便利だけど、フクザツなのも事実だね。
 
 まあ、こうなった理由ってのはちゃんとある。以前、大宮駅近辺には4つドトールがあった。それをテキトーに散らして利用していたんだけど、何故か2つに減少した。だからって一度染みついた習慣はなかなか変えにくいので、利用頻度が倍増したわけだ。その結果、どうも向こうが私の顔を覚えたらしい。
 
 それに対し、モスバーガーはどうか。まだ結論を出すのは早いかも知れないけど、どうも覚える気がないらしい。諸般の事情により1週間連続利用したってのに、相変わらずミルクを出そうとする。これはこの店がかなりの頻度で「出来上がってから席にお持ちします」ってスタイル(フツーの店のように)で品を持ってこようとすることと無縁じゃないのかも知れないけど…何度もミルクを持ち帰らせたんだけどなあ。
 
 ちなみに、ファミレスに「常連」って概念が存在するってのは確認済み。某所のジョナサンで、何も言わないうちに「本日はタンドリーチキン&メキシカンピラフが品切れで…」って言われたことがあるからなあ。ちなみに東京都内の話だ。何故この話題がこの色なのかは、わかる人にはわかる。
 
 なんでFF店は「常連」を覚えないのか?これは難しい問題だ。「覚えないのがフツーだ」ってのは認めるところだけど、これはドトールにも当てはまるだろ。店員のマニュアルに明確な差があるのかも知れないけど、私はFF店でバイトしたことがないのでよくわからん。単純に店員の質の差かもしれないけど…
 
 逆にドトールが私を覚えた方がイジョーだとしよう。まあそうなんだけど。こんな現象が発生するってコトは、大宮は田舎なのか?うーむ…大宮駅の利用者数だけ考えたら、ここより都会ってごくわずかだと思うけど…正直言って、「チェーンの性質」以外に理由を見出しにくいんだな。
 
 モスはFFにしては高級路線を打ち出し、ドトールは喫茶店とは思えぬ低価格路線を突っ走っている。その結果、アイスコーヒーの値段はモスの方が高い。「低価格の喫茶店」として両者を比べた場合、むしろモスの方が喫茶店らしいって見解の人もいるのでは。しかし、私の分析ではそうなってない。善し悪しはともかく、モスはやっぱりFFで、ドトールは喫茶店ではないかな。
 
 なお、今回報告した現象が私の周辺固有の問題なのか、それとも一般性があるモノなのかは大いに興味があります。皆さんも1つ実験してみてください(笑)。