3月14日2010/03/15 01:35

 前々から書こうと思いつつ、まとまりが悪かったので放置していたネタを。某ブログで先を越されたのが、今になって発表する気になった理由である。相変わらずまとまりは悪い。その点はご了承を。
 
 コマンド誌91号は、「うーむ」と言いたくなる記事がある。私のコミケレポート…ではなく、掲載されているリプレイだ。いくつか収録されているんだけど、そのうち2つが「ポカミスっぽい」理由での敗戦となっているのだ。これについての文句も出ているようなので、私なりの意見も述べてみようかと。
 
 やってみるとわかるけど、商業誌に掲載されるリプレイ記事ってのは、案外難しい。やってみたことあるのかって?あるんだよ。昔々の話だけど。昔懐かしSSシリーズの「ベトナム戦争」という、しょーもないゲームで。これはこれで「勉強になった」ので、まずはこの時の話をしよう。
 
 「ベトナム戦争」ってどんなゲームか?北の「テト攻勢」をテーマにしたゲームで、なんつーか…一言で言えば「しょーもない」ゲームだった。米軍が一方的に北を蹂躙して終わりか、あるいは米軍がそれに失敗してグダグダに終わるか…ってゲームだったからなあ。勝つにせよ負けるにせよ、「手に汗握る」ような勝負を味わえるようなゲームじゃなかった。ダイス目の影響(特に米軍活性化)が大きかったし。
 
 ただ、じゃあ「ダメダメなゲーム」なのかと言われると、少し違うような。あれはあれで「当時の米軍の特徴」が良く出ていたように思う。つまりはこうだ。単に敵を叩き潰すってだけならば、米軍の前に敵はいない。上手くいっている時の米軍は、敵が何してこようとも一方的に勝つ。けど、ちょっとしたつまづきが出ると、途端に「勝って当然のハズなのに、何やってんだ!」と米国内から非難が寄せられ、グダグダになる…イラクがどーなっているのかを考えれば、今でも米軍ってのはそんなモノだと思う。それを学習できる意義はあったのでは。
 
 しかしだねえ。そんなモノをリプレイ記事にどう盛り込めと?私はデザイナーの佐藤大輔氏に北で挑み、ダイス運が味方しなかった(このゲームの北は、米軍の活性化ダイスが多少悪化してくれないと、ちょっと厳しい)上に作戦でも不味かったので、案の定敗れた。しかも、一方的に。それ自体はいい。ある意味良くある話だ。
 
 問題は、「こんな試合をどーやってリプレイ記事にするのか」という課題を突きつけられたことだ。フツーに考えたら、ちっとも面白くねえ。そんなものを「読ませる」記事にするためには…と、ものすごく考えた。「面白くなりようがないので、原稿書けません」って泣きつくことまで考えた。一応完成させて掲載されたけどね。出来は…私の中で「忘れたいこと」筆頭の1つだったりするけど。ただ、多少は文章力が向上した今になっても、あの対戦内容をリプレイ記事にまとめるとしたら、アノ程度のものにしかならないような気がする。
 
 「リプレイ掲載目的でやった対戦が、ミスその他でグダグダ」ってのは、それなりに起こりうるコトである。プレイスタイル次第によっては「グダグダになるほどのミスなんてほとんどやらない」って人もいるけれど、そんな人にばかりリプレイを頼むのはどうかと思う。それに、こういう方は「事前研究をみっちりやる」って方が中心になるので、「リプレイ?良くわからないゲームだと、対応できないんですけど…」となるコトが多い。やはり「グダグダなプレイは追放できない」と考えるべきだろう。
 
 そうなった時、どうするべきなのか?これは悩みどころだ。とりあえず、誰もが「やり直し」を考えるとは思う。ミスの出たトコロからやり直してもいいし、最初から別のプレイをやり直すって手もある。ただ…「簡単にできるコトじゃねえか。何故そうしない?」って意見には、私は与しない。これはこれで問題はあると思う。
 
 ウォーゲームは「ゲーム」であるので、相手の手がバレてるってのは「白ける」のだ。勝ち負けだけ考えたらそんなコト知ったことかと割り切れるけど、リプレイってのは「面白いプレイを読ませる」ことが主目的。下手にやり直しを認めると、「両者合意の上、想定された展開に落とし込もうとしているな」などと受け取られかねない。私は、こういうリプレイ記事はどうかと思うんだよな。なにせ、「ヒトラー電撃戦」の紹介リプレイが露骨にこういうニオイがした(ただし、仕方ない側面があるのは大いに認める)ので、「このゲームの名誉回復をしよう」と連載記事に挑んだくらいだ。
 
 それに、今犯したミスが「リプレイ執筆に支障を来すほどのミスなのか、そうでないのか」を、「ミスった!」という焦りを抱えているにもかかわらず、素早く判断できなきゃいけない。些細なミスでもやり直し…はマズいでしょ。ミスの評価が簡単にその場で下せるくらいなら、最初からミスなんてしない。後知恵でどうこう言えばいいのか、その場で判断下す必要があるのか…という違いは、大きいと思うな。
 
 ちなみに、こうしたグダグダなプレイをいかに読ませるモノに仕上げるか…については、ある種の姑息なテクニックが存在すると思う。私が使った例で言えば、ギャグに逃げるとか、あえてコテンパンに負け、ミジメな姿を晒すとか、「しょーもない」と笑ってもらえそうな負け惜しみをつけるとか。「どうも駄目そうだ」と感じた後は、プレイ中からずっと「こんなヘボプレイを記事にするためには、どーすりゃいいんだ」ってコトばかり考えていたからなあ。
 
 その観点から言えば…付属ゲームのリプレイはともかく、日露戦争のリプレイでは、そういう「姑息な工夫」が多少乏しかった気はする。事前に決めたドクトリン(中級者向けの作戦研究を実践し、有効性を試す)と現実(ミスにより一方的展開に)のギャップに惑わされ、中途半端な対応になっちゃったような。早い段階で謝ってやり直すか、駄目を承知で最後まで粘り、「どう頑張っても、最初に間違えるとこれだけ負けちゃいます」って姿を晒した方が、より「読める」モノになった気がする。
 
 ただ…なんでそんな中途半端なコトになったのか、そこも想像できちゃうんだよな。おそらくは、目の前の勝負に気を取られて、「記事にまとめる必要がある」って観点がやや疎かになったんだと思う。「アツくなって大局観を見失った」って奴だな。大久保氏(個人的面識アリ)は、盤上ではまずそんなコトやらかさない方なんだけどな…もっとも、原稿に配慮しすぎると、目の前のプレイが白けたモノになりかねない。バランス取るのは難しいと思う。
 
 私が思うに、むしろ非難すべきは「あんなプレイを収録した」ことでなく、「あんなプレイになっちまったのに、記事の内容がそれに対応したモノになっていない」点ではないかと。これもまた「事前に定めたドクトリンに引きずられ、柔軟な対応に失敗した」と言えるのでは。ただ、「他にどーしろと!」って気持ちはわかる。わかるけど、そこから更にひとひねりしてもらいたかった。かなり高度なコト要求している気がするけど…
 
 そりゃあね、リプレイ記事が「素晴らしいプレイ」だけを扱ってくれたらいいのは間違いない。けど、それは想像以上に難しいコトだと思う。「いやあ、今日の勝負は良かったなあ。ここは1つブログ記事としてまとめますか」だけで話が済む、ブログ記事と一緒には出来ないと思うぞ。常にそんな勝負が出来るゲーマーなんて、まずいない。もちろん、単に「良い勝負が出来た」ってだけじゃなく、それを題材に「カネ取れる」原稿にまとめることもできなきゃイケナイ。せめてライターの層が充実していれば、「毎回誰かしら面白いリプレイを書いてくれる」となるかもしれないけれど、現状どうなのかは、私ごときに「どうやらライターの端くれが勤まっているらしい」って事実が全てを現している。
 
 リプレイ記事を書く必要があるのに、グダグダなプレイになっちゃった…「その時、君はどうする?」ってことを、真剣に考えたことのある奴はあんまりいないと思う。過去に経験のある私でさえ、真剣に考えるのはイヤだ。あくまで個人的見解としては、結果的に非難を浴びるようなモノを世に出しちゃったとしても、仕方ないような気がするな。少なくとも、私は他人のことをどうこう言える立場じゃねえ。「やっちまった」経験があるのだから。
 
 まあ、今にして思えば、「やっちまった」経験があるからこそ、今の私があるんだって気もする。ここが「ついて行けない話題をいかに読ませるか」なる、意味不明なテーマを掲げている理由の1つが、「日頃そーゆー鍛錬をしておけば、面白くなりようがないモノを原稿にしなくちゃイケナイ時に、多少はマシなものにできるかも」だったりするので。ただ、その結果として「コミケレポート」なる、ワケわからん記事を担当する羽目に陥っているような…