2月6日2010/02/07 02:27

 なんか私の中の「ヘンなスイッチ」入った気がするんですけど…確か「戦国大名」再版作業の時にこのスイッチが入って、タイヘンなコトになったような。しばらく私の精神状態が極めて悪化するかも知れません。ご注意下さい。
 
 本日のネタは何となく「本能寺の変が起きた理由」なんぞ語ってみようかと。いやね、以前からボンヤリ考えていたコトなので、まとめやすいから。なお、私は別に専門家ってワケじゃないので、細かい点は見逃して下さい(苦笑)。
 
 本能寺の変。明智光秀が主君の織田信長を襲った事件だ。有名なので、細かい解説はいらないと思う。「何故光秀はあんなコトやらかしたのか?」ってのは、今でもよくわかっていない。今更証拠が見つかる可能性はかなり低いので、おそらくは「永遠の謎」だろう。
 
 明智光秀があんなコトやらかした理由については、色んな推理がされている。代表例としては「秀吉がそそのかした」「朝廷がそそのかした」「足利義昭が…」といった、黒幕説か。ただ、私はこれに対しては否定的。話としては面白いと思うけど、その後の光秀の動きを見ていると、黒幕がいたようには見えない。
 
 光秀が相当の馬鹿でない限り、黒幕がいたとしたら、「その黒幕を味方に付けるよう」何かしら工作するはずだ。少なくとも、細川藤孝あたりを味方に付けようと説得する際、「実は黒幕にこういう奴がいて…」って話をすると考えた方が自然だ。なのに、その形跡はない。秀吉が引き返してくるという「大ピンチ」にもかかわらず黙っている以上、そーゆー存在はいなかったと考える方が自然だと思う。
 
 するってえと、やっぱり光秀が不満持ったり天下取りの野望を持ったりして…というのが「今の主流説」だけど、コレも少しばかりヘンだ。どこが?部下の重臣が誰1人裏切っていないのがオカシイ。部下が上司に従うのは当たり前…と考えがちではあるけれど、実はコレ、相当ヘンな話なのだ。
 
 江戸時代に朱子学(儒教の1つ)が盛んに教えられた関係からか、日本でも一応「馬鹿な君主でも、ついて行くのが忠義」だと考えられている。けど、その江戸時代でさえ、「アホな君主はぶっ殺してしまう」ってな事例がいくつかあったりする。日本では、忠義の対象ってのは「家」であり、「個人」ではない…という考えの方が主流であり、ましてや戦国時代ではそれが「常識」だった。今現在でも、「家」を「会社」に置き換えて考えてみればわかるでしょ。朱子学に従えば、「会社存続の危機」であっても「お世話になったアホ社長」に従うべきとなる。フツーそうは考えないよなあ。
 
 その常識に従って考えると、「信長を討つ」などという馬鹿を言い出した君主なんてものは、「乱心しました」と言って排除してしまい、家の存続を図る…ってのが「戦国時代の忠臣像」ではないかと。にもかかわらず重臣達も光秀に従っているんだから、少なくとも光秀個人の野望や恨みが原因とは思いにくいのだ。
 
 じゃあ、何が理由なのか?考えてみて欲しい。人間がこういった「トンデモネーこと」やらかす時に多いのは、「ヤバいコトを隠しきれなくなり、ヤケクソになって」ってパターンだ。光秀個人が切腹しても詫びきれないような「何か」があったとしたら、配下の家臣も腹くくって反逆する可能性が高い。いや、むしろ「直接的にやらかした」のは重臣の方かも。監督責任ってモノが生じるから、光秀が「部下がやりました」で許してもらえるとは限らない。
 
 そーゆーコトがあったとしたら…って目で見てゆくと、怪しいのは「四国遠征」だ。明智家と長宗我部家が比較的親しかったというのは、それなりに知られている。このため、「黒幕説」の1つに長宗我部家が挙げられるくらいだ。ただ、黒幕にしては「なんでそこまでして長宗我部家を守らなきゃいけなかったのか」が明確になってない。でも、長宗我部家も知らなかったようなことが問題になった可能性はあるのでは?
 
 たとえばだ。光秀なり配下の重臣なりが長宗我部家に「偽造した信長の公式書類」渡していたらどうだ?長宗我部家は偽造だなんて思ってもいないから、「この書類があるから」と強気に出る。信長はそんな書類の存在知らないから、やはり強気に出る。その結果として四国遠征が行われたのだとしたら…光秀としてみれば、かなり困ったことになる。
 
 信長の四国遠征軍が敗北し、長宗我部有利な和睦が結ばれたならば表に出ないで済むかも知れない。でも、そんなコト期待できるか?多少苦戦したとしても、最後に勝つのはどう考えても信長だ。その結果滅亡しそうになった長宗我部家としては、「話が違うじゃないか!」と全てをブチまけてお目こぼしを期待するだろう。その結果として偽造された信長の公式文書が表に出てきたら…これで長宗我部家が生き延びる可能性はごくごくわずかながらあるけれど、その偽造書類を作った明智家がオシマイなのは確実だ。
 
 明智家にしてみれば、長宗我部家に対して「アレは偽造書類だから、絶対表に出すな」とは言えない。長宗我部家にしてみれば、「わかった」と承知するよりも、信長にぶちまけて「悪いのは明智家だ、オレは騙されただけだ」と訴えた方が助かりやすいんだから。せめて四国遠征軍を明智家が指揮していれば誤魔化せたかもしれないけど、命じられたのは毛利遠征の援軍。この期に及んでどーにかしようと考えたら、信長殺して全てをうやむやにするしかない…そう考えたのかも知れない。
 
 四国遠征がその理由かどうかはともかく、「何かをうやむやにするため」あんなコトやらかしたのだとすれば、「信長殺害以後」のビジョンが不明確なのも、明智家自体は一枚岩の結束を保ったのに細川藤孝や筒井順慶が「聞いてねえ」状態だったのもわかる。「追い詰められたから、やらかしちゃいました」って人間に、その後を考える余裕があるとは思えないし。「野武士に討ち取られる」という怪しい最期を遂げたのも、「裏を知る奴に消された」のではなく、「負けたらどーするってビジョンがなかったので、右往左往しているところをやられた」だけに過ぎないのでは。
 
 最初に述べたように、光秀が何故あんなコトをやらかしたのかって証拠は今のところない。それゆえ、この説が正しいって証拠もドコにもない。ただ、この説が正しいのだとすると、「そういう証拠が出てこない」って時点で、光秀がやらかしたことは一応成功していることになる。「何故こんなことやったのか」がばれちゃ困るからこそ、「敵は本能寺にあり!」と宣言したのだから。その後滅ぼされて裏切り者という悪名背負ったんじゃ意味がないのかもしれないけど、現代でこんなコトやらかせば「裁判という公の場で全て明らかにされたあげく処刑」なんだから、多少はマシなのかも(苦笑)。
 
 面白いのは、こういう説を主張している「歴史家」が見あたらないこと。歴史関係の本はそれなりに目を通しているけど、直接・間接を問わず「何かを誤魔化すためにやったのでは」という出張は聞いたことがない。しょーもない説だからか、盲点となっているのか、その辺はわからないけど。ただ、人間心理を考えれば「追い詰められたのでやっちゃいました」って話はむしろ自然(つまらんこと誤魔化すためトンデモナイことやらかしたって話は今も昔も山ほどある)にもかかわらず、「本能寺の変もそれだったのでは…」って説がないのは、何か理由でもあるのかね?
 
 本能寺の変は「日本史に残る謎の事件」だ。それゆえ、色んな説がある。私の説がもっともらしいなんて言うつもりはないけれど、そーゆーヨタ話がいっぱいあるのも面白いんじゃないかと。ワイドショー感覚なのは認めるけどね。皆様もこういう謎に対してしょーもない方向から探ってみては如何?何かの間違いでズバリ正解を出せるかも知れないんだし。

コメント

_ takoba39714 ― 2010/02/07 21:16

明智光秀の謀反については怨恨説というのが昔は定説でしたね。家康接待のときに恥をかかされたからとか、山陰攻めのときに人質に送った母親を信長のせいで見殺しにせざるを得なかったからとか。

そのあと陰謀説とかが出てきたりして、なんとなくそっちの方がもっともらしく聞こえるようになっちゃいましたが。

でも、F男さんのご指摘のとおり、「敵は本能寺にあり。」といったとき、家臣や兵たちが素直についてくるのはすごく不思議ですが、この古びた怨恨説はその点、意外に説得力がありそう。

こうした怨嗟の念を光秀とその家臣たち(だけ)が共有していたのだというのは実はシンプルで判りやすい気がします。
細川や筒井が光秀に与しなかったことについても、そういう気分を共有し得なかったからとも言えそう。

なかなかの人物だったらしいその光秀をして、謀反に走らせた理由を考えるのって楽しいですよね。

_ 龍虎 ― 2010/02/08 01:20

F男さん、どうもです。
怨恨説の元になっている話、例えば 母の磔、森蘭丸・信長自身からの折檻、領地取り上げ云々は江戸時代の創作がほとんど。

四国の件は有力な説で引き金になっていると思っています。
お書きになっている”親しかった”のところですが、当初四国の取次ぎ役は光秀で、長宗我部氏容認路線だった。途中、秀吉が中国方面軍になっての淡路平定ぐらいからおかしくなってくる。

三好氏が長宗我部氏からの圧迫から逃れるのに信長に擦り寄った。正確に言うと秀吉に擦り寄った。
秀吉が織田家中でさらに重きを成すように(ここからは事実からの想像です)信長に対して提案したのではないか。
何を提案したか。
三好の領土を安堵して長宗我部を滅ぼす方が直轄地は増えます と。

これが理由かわからないが、信長は突如四国の方針を転換して阿波三好氏を保護して秀吉の甥(秀次)を三好氏に養子として入れた。
今までの取り次ぎ役光秀の面目丸潰れ(理由1)。

信長晩年の領土経営は完全に直轄地志向で、おそらく固有の領地を認められるのは家康ぐらいしか居なかったのでは。安土のある近江周辺は完全に小姓上がりの者が代官(領地ではない)に任命されている。

また、光秀には惟任という九州の名族の姓と日向守、丹羽長秀には惟住の姓、秀吉には筑前守と九州への赴任を前提にした処置がなされている。

いつまでも安定した領土をもらうことなく、死ぬまで全国を駆け巡らされる。日ノ本平定が終わっても、信長は唐天竺まで征服するつもり。自分(光秀)は、器量があって良いが子の光慶がどうなるかわからない 等の不満、家消滅の恐れが募った(理由2)。
佐久間信盛の件もあるし。

この辺りが理由かと。特に2は大きいかもしれない。
なので重臣たちも、それを不安がって一致団結したのでは。

秀吉との功名筆頭争いの末の政争に破れた形か。

長文、乱文乱筆 すまんでゴワス。

_ 龍虎 ― 2010/02/08 08:55

補足。
光秀は織田家の郎党ではなく、どちらかというと国人領主に近いと思います。

最近、後北条氏について調べる事が多いのですが、国人領主は自分の領地を守るために現代人から見ると節操が無いと感じるような陣営変えを行っています。

光秀は、織田家中で最も早く(柴田勝家よりも早く)独自の領地もらっていたので、それを守るための最終手段に出てしまったのではないでしょうか(最初にもらった坂本はずっと保持していたので領地・領民・整備した城下に愛着もあったのでは)。

_ takoba39714 ― 2010/02/08 21:08

 私がF男さんの文章をみて感心したのは、光秀個人の人となりを、史料として残されている領地(坂本)支配の沙汰を出した文書から察して、軽薄な行動には走るようには思えないと考えたことはあっても、何故家来がついていったのかという視点ではあまり考えたことがなかったからです。

 いずれにせよ、大勢をまとめて謀反に走らせるんですから、よほど大きいエネルギーがそこに働いたはず。

 怨恨説について、トリガーとなったと言われているイベントについては、後世の創作、あるいは誇張の部分が非常に多いと聞いています。

 ただ、単一なイベントそのものの真偽性はさておいて、家来までも光秀の謀反についていかせたものって何?ということを考えたとき、案外、怨嗟の念というのは伝播しやすいし分かり易いのかもと思ったのでした。

 同様に龍虎さまのおっしゃるように、佐久間、林と来て次は(色々なことで信長の不興をかった覚えのある)自分がリストラ対象かと不安になったというのもアリですよね。不安感も怨嗟同様、人に伝播、蔓延し易いと思います。

 いずれにせよ、人の行動やそのもとの感情は、いろんなものの複合体(コンプレックス)で成り立っているので、作劇や創作のなかでみられるような単純なものではないんでしょうね。

_ F男 ― 2010/02/08 22:38

>takoba39714殿、龍虎殿
私としては、よく言われる「漠然とした不安」みたいなものではなく、「明智家全体に関わる、差し迫った危険」が何かしらあったのではと推測しています。「次はオレかも」ってだけでは、思い切った行動には出にくいので、反対する部下が出てもおかしくないと思うんですよ。「確実に滅ぼされる」と確信できるだけの何かがあったのではないかと。

更に、その理由は「細川・筒井にも明かせない性質のモノだった」と推測できます。「信長はオレを滅ぼすつもりだったんだ!」と泣きついていないわけですから。そこで、「明智家には他人に言えない危険な秘密があって…」と考えてみたわけです。

ただ、本当に「危険な秘密」があったとしても、その正体が何なのかは、よほどのことがないとわからないでしょうね。

_ 龍虎 ― 2010/02/09 00:46

F男さん、どうもです。

黒幕説で私が最も可能性があると思うのが「足利義昭」です。

元亀4年(1573年)信長から京を追放された時点で”室町幕府滅亡”というのは間違い、という考え方があります。
これは、室町幕府でよく起こった”流れ公方”ということです。
毛利氏の庇護で鞆に移った後も、近習を各地に派遣したり、書状を発し、更に朝廷から将軍を解任されたわけでもなく秀吉が関白になった後で一緒に参内して将軍職を辞した天正16年(1588年)まで征夷大将軍であり続けました。また、鞆に居たときに毛利輝元を”副将軍”に任命しています(要するに信長の代わり)。

何が言いたいか簡単に言うと、確実に光秀にも書状等が行っていたと考えられます。

細川、筒井が何故光秀から謀反を知らされていなかったか。それは光秀自身の計画ではなかったのではないか。

と、ある本を読んで感じました(って結局誰かの受け売りかい!)

ある本→http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%97%A4%E7%94%B0-%E9%81%94%E7%94%9F/dp/4061496859/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1265643848&sr=8-1

この本、結構細かい書状の表現や内容の分析も行っていて面白し。

また、長々と書いてしまいました。
許してつかあさい。

_ F男 ― 2010/02/10 00:36

私は黒幕説全体に否定的ですが、その中で可能性が高いのは足利義昭より、むしろ朝廷じゃないかと思っています。足利義昭が黒幕なら、1)毛利家がもっと積極的に光秀を支援したはずじゃないのか、2)アノ段階で今更足利義昭の言うことを聞くのなら、もっと早い段階で信長に反旗を翻したのでは、って部分の説明が付かない気がするので。その点、朝廷が黒幕なら毛利家に連絡が行ってなかったとか、信長に危機感を覚えたのがアノ段階だった…って説明は出来ますからね。

_ 龍虎 ― 2010/02/11 22:20

そう。
足利義昭黒幕説は、毛利氏の動きの説明が付かないのが弱点なんですよ。

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