8月24日2009/08/25 03:22

 本日の話題は、小倉日経オープンについて。「都市対抗野球はどうした!」「同人誌即売会コミティアの話じゃないのか!」って意見が一部にあるとは思うけど、コッチはコッチで大事な話なので。
 
 このレースが行われる季節になると、どーしても「苦い思い出」が蘇ってくる。ニホンピロナーリって馬が「散った」のは、このレースだったからなあ。これ自体も苦い苦い思い出だけど、あの日「自分がその場にいなかった」のがねえ…私がいたからって何が変わるワケでもないけれど、それでも「あんな思いをするのは二度とごめんだ」って気持ちは強い。
 
 何故私はこの馬に「惚れた」のか?自分でも良くわからん。なんとな~く馬券買っただけである。ただまあ、一応私が最初に「新馬の頃からずっと追いかけた」馬だ。こいつはいずれ強くなる、重賞でも活躍できる!と思って馬券を買い続けた。詰めの甘い馬で、やたら2着3着が多かった。それでも段階を踏んで出世してゆき、重賞にも出走した。
 
 この馬は、ヘンな使われ方をした馬だった。いやね、競馬の世界で使われ方と言えば「どのレースを使うか」を指すけれど、コレに関しては別にどうってコトはない。この馬がヘンだったのは、長期休養に入ってから。レースに使われないのに、何故か同じ厩舎の馬と「併せ馬」していたのだ。理由はゆくわからん。何かしら「稽古台」として便利だったんじゃないかとは思うけど。所属の伊東雄二厩舎(引退してしまいましたねえ…)は「名門」だから、稽古相手は結構豪華だったと記憶している。そーゆー使い方をする調教師も調教師だけど、ソレをチェックしている私も私だけどな。
 
 そうこうしているうち、この馬は「見切り」をつけられ、地方競馬へ転出していった。ドマイナーな馬なので、引退式なんてあるワケねえ。ひっそりと、実にひっそりと転厩していった。私としては、「コレでこの馬とお別れか」と思っていたんですよ。
 
 話がこれだけなら、感謝こそすれ「苦い思い出」にはならない。この馬、地方所属のまま小倉日経オープンに出走してきたのだ。「うわ、懐かしい。小倉に行っちゃおうかな」と思ったけど、実際には行かなかった。当たり前の話ではある。小倉は遠い。
 
 そこで後楽園のWINSでレースを見ていたんだけど…ニホンピロナーリはゴールすらしてくれなかった。故障発生・予後不良…唖然とするばかりで、その場では涙も出なかった。ただひたすら、モニターの前で立ち尽くしていた。泣けたのは、やっと翌日になってからである。人間、あんまり悲しいと涙も出ないんだと、この時知った。
 
 私が今でも後悔しているのは、「なんでオレはあの日小倉にいなかったのか」だ。理屈から言えば、別に私が小倉に行く必要はないし、気軽に行くにはあまりにも遠い土地だし、行ったからって何かが変わるワケでもなく、WINSにいた時同様「何が起こったのか」もよくわからず、ただ小倉競馬場で立ち尽くしているだけだったと思う。それでもね…理屈とは無関係に、「せめて少しでも近くで最期を看取ってやりたかった」って気持ちがあるんですよ。あんな思いをするのは、正直二度とごめんである。
 
 競馬の世界では、「惚れた存在が、自分の手が届かないところで最期を迎える」なんてのは、良くある話である。人間の話でさえ「哀しいけれど、そーゆーコトもあるよね」ってのがこの世の理だから、ある程度は割り切らないとやってゆけない。それはわかっているんだけど、それでもニホンピロナーリの件だけは、なんか自分が許せないんだな。それだけ、私が若かったって話なのかも知れないけど。
 
 私はこれ以降、惚れた馬が走る時は必ず駆けつけている…ワケじゃない。そんなコトは無理・無茶でしょ。時々「オレの競馬への情熱なんて、その程度」と思う。でも、世の中なんてそんなものだ。気持ちだけで「現実」を全て振り切れるワケがない。「その時」はショックを受けて猛烈な無力感に襲われ、心の底から大いに反省するけれど、それでも「何ができたわけでもないし、何をするつもりもなかった」ことに変わりはない。その場の後悔なんて、「無い物ねだり」の1つに過ぎない。
 
 ただ…そうは言っても、あの日の後悔は二度としたくないって気持ちを忘れることはできない。普段はあまり気にしなくても、節目節目で蘇ってくる。私にとって、「小倉日経オープン」ってレース名は、この節目だ。あの日の後悔と、それを経験していながら「再びあんなコトが起きても、文句を言えない」ままでいる、今の自分の不甲斐なさが入り混じったイヤ~な気持ちになるんだよ。こればっかりはどーしよーもない。私がよほどの金持ちで暇人にならない限り、「二度とあんな目に遭遇しない」なんてコトはあり得ないんだから。
 
 ニホンピロナーリが最期に残したものは、ものすご~く苦い。でも、だからって忘れることはできない。これを忘れるってコトは、この馬が残してくれた「勝って喜び、負けて悔しがる」、素晴らしい日々もついでに忘れることだから。すさまじく苦い思い出がセットとはいえ、トータルで考えて「全て忘れ去るのと、全て覚えているのと、どちらが良いか」については、悩む必要すらない。「思い出の馬」ってのは、そーゆーものじゃないか?「思い出すのは、良いことばかり」ってのは、ある意味何かが違うような気がする。酸いも甘いもイヤというほど味わい、ドッチも等しく思い出すけど、それでもトータルで考えれば「いい思い出」になる…ってのが正直なところじゃないかなあ。
 
 ニホンピロナーリと言えば、何と言っても新馬戦。私が観たのは「折り返しの新馬」(昔はこーゆー制度があった)だけどね。だから、POGで私が指名した馬がデビューする際には、今でも必ず天国のニホンピロナーリに祈りを捧げる。無事に走ってくれますように、俺が心底惚れるようないい馬に育ってくれますように…と。正直言ってPOGで結果を出せていない以上、「ひょっとすると逆効果?」と考えることもあるんだけど、それでも止めないだろうな。私にとって「新馬戦を象徴する存在」は、今も変わらずニホンピロナーリなのだから。
 
 小倉日経オープンがあった先週の日曜日、私が今期POGで指名した馬が勝った。ハッキリ言って私と極めて相性が悪い藤澤調教師の馬だったり、ドコをどう見てもダート血統なのに芝1800でデビューしたり…と、「大丈夫なのかコイツ」って気持ちにさせられた馬ではあるけれど、なんとか勝ってくれた。やっぱり、特別なご加護があったのかな。うんうん、嬉しいよ私は。
 
 しかしだねえ…時計は遅いし、内容も「やっとこさ勝ちました」ってもので、期待よりも不安が大きい馬なんだよな。いずれダート使って、そこではかなり走ってくれると思うんだけど…次は「ニホンピロナーリのご加護」ナシなんだよ?わかってんのかサトノサンダー&藤澤調教師。