4月30日2009/05/01 02:39

 本日の話題は、「地デ○カと著作権」について。今回あえて伏せ字を多用するので、多少読みにくいと思うんですけど、それは「わざとやっている」ことなのでご了承下さい。ネタの色は、あえてコレで。
 
 地○ジカとは、民放連が発表した地上デジタル放送のPRキャラ。どーゆー存在なのかは、あえて皆様自身で探して下さい。なにせこやつ、「無断掲載は一切許さない」って話なので、怖くてリンクなんて貼れませんから(苦笑)。
 
 コイツが登場した経緯については、ここではあえて問題にしない。酒の上での話とか、アレで家宅捜索ってのは…とか、ネタとして面白そうではあるけれど。とりあえず、今後地上デジタル放送のPR役はコイツが担うことになった。私に言わせれば、「ああそう」って程度の話ではあるけれど。
 
 問題は、早くもこのキャラの「二次創作物」がネットに出回り、それを面白がった某マスコミが、民放連に「どう思いますか?」と聞いたところ、「ブログに掲載したり掲示板に載せることも、黙認しない」「二次創作物は、見つけ次第、厳しく対応」(一部略)ってな回答が寄せられたそうな。つまり、私がこのキャラについて語った場合、「厳しく対応」されちゃう可能性があるわけだ。
 
 私は「同人誌を愛するヲタク」でもあるので、二次創作物に対する態度は甘い。つーか、私が集めている便せんのうち、少なからぬモノ(実はオリジナルの方が好きなので、割合は決して多くないハズなんだけど)が「バレたらマズい」ものではないかと思われる。もっとも、フツーは黙認すると思うけどね。そーゆー趣味を持つ人間なので、二次創作に関しては「世間一般とかけ離れた見解を持っている」自覚があるので、あえてここでは採り上げない。問題は「ブログに掲載することも、黙認しない」ってトコロだな。
 
 フツーに考えれば、私ごときがブログに伏せ字ナシの「○デジカ」と書いただけで「著作権法違反だ!」と訴えられる可能性は低い。ただ、それは「フツーはソコまで厳しい対応はしない」からであって、「厳しい対応します」と宣言しているモノに対して通用する理屈かどうかは、多少怪しい。ブログへの掲載が「私的複製・利用」(著作権法でも認められている)の範囲になるかどうか、今のところ「明確な判断基準」がないからだ。
 
 もちろん、世の中には「一般常識」ってものがあり、実を言えば日本国民の大半が「ブログに書くぐらいは、問題ない」と判断すれば、その理屈は通る。理屈の上ではね。実際問題となると…一番良いのは「適切な判例」が示されることなんだろうけど、私は別に知的財産権関連の判例に詳しいワケじゃないので、そんな判例があるのかどうかは知らない。多分ないんじゃないかとは思うけど。
 
 そもそも、著作権法はあくまで「法律」であって、個々の事例について「これはOK」「コレは駄目」といった基準を示しているとは限らない…どころか、示さないのがフツーである。「法律」ってのは改正手続きにかなりの手間がかかるので、フツーはザックリと基準を示すだけで、細かい部分は法令・省令といった「より下位の法」で扱い、最後は「現場の判断次第」ってコトが多い。六法全書に掲載されている法律の条文を読んだだけでは、判断しようがないでしょ。
 
 更に言うなら、著作権法はそれなりに古い法律であり、今のネット時代を想定しているワケでもない。だから「改正しよう」って動きもある。具体的にどう改正するのかは、確か今現在も色々話し合っていたような。とりあえず、私の持っている法律知識では、「私のブログに『地デジ○』と書いただけなら、法律的問題は生じない」と断言することは出来ない。
 
 あくまでフツーに考えるのなら、それぐらいはOKだろう。ついでに言えば、訴えられて争う羽目に陥った場合、私なりに言い分は考えてある。ただ、民放連の言い分は「フツーじゃない対応をする」としか解釈しようがない。権利持っている側が「一切認めない、法で許されている行為なのかどうかは、裁判所に決めてもらう」ってな態度を取った場合、どうなるのかは何とも…少なくとも、私にはよくわからん。
 
 ちなみにこの態度、ハッキリ言って「常識的な態度」ではない。権利関係に五月蠅いと有名な小学館(ドラ○もん)ディズニー(ミッ○ーマウス)・任天堂(ピ○チュウ)でさえ、ココまで厳しいコトは言っていないと思われるのだけど。会話の流れ?からはこの三者と同程度の姿勢で当たるってだけなのかもしれないけれど、正直その確証が得られない。
 
 たとえばだ。私の知る限りの話だけど、「TDLに行ってきました!」ってお題のブログを書き、そこに園内で撮影した「記念写真」を貼り付けたからといって、訴えられたって話は聞かない。アフィリエイトでわずかといえど「収入」を得ているブログなら、「商業利用じゃねーか」と言われても仕方ないような気がするんだけど。ディズニーが「そんなコトされたら困るんだよね」って姿勢を取るつもりなら、いちいち細かく訴えるより、大々的に報道されて「訴えました。他の方も即刻やめて下さい」って警告を発した方が手っ取り早いから、おそらく私の耳にも入るハズなんだけど。
 
 著作権法で扱っているモノってのは、完全なクロ(無断で完全な複製を金儲けに使う)と完全なシロ(関連性がゼロ)の間に幅広い「グレーゾーン」があり、そこに明確な一線を引いて「ここまでがシロ、ここからがクロ」と決めるのが難しい。だからこそ「基本的には権利者の意向次第」となっているのだろう。深く考えず「何でもかんでもクロ扱い」などと言ってしまうと、極端な話子供の落書きでさえ「クロ」になりかねない。少なくとも、「それが本当にシロなのか、裁判所に決めてもらおうじゃないか」ってトコロに持っていかれる可能性はある。
 
 このことから推測すると、「黙認しない」と発言した人間は、「今の時代を考えればちっともフツーじゃないことをフツーだと思っている」人間の意志を反映した(本人なのか、上司のコメントを代弁しただけかは知らないけど)可能性が高い。どこかのブログに伏せ字ナシで「地デ○カ」と書いたあったからって、本当に「訴えてやめさせるべき」と思っているほどアレなのか、それとも単に「伏せ字ナシで書いてあるブログを発見しました!」とクソ真面目に報告したら、「そんな程度で報告してくるな!」とヌカす(立派な言行不一致だ)程度なのかはわからないけど。おそらくは後者だと思うけどねえ…
 
 実際問題としては、この発言は「実際ネットを監視するわけでも、見つかった怪しげなモノに対して具体的にどう対応するのか決定するわけでもない」って立場の人間(偉いかぺーぺーのどちらかじゃないか?)が出所と思われるので、発言内容にビビる必要はなく、私の持っている「常識」よりはちょっとキビシー運用を心がける程度で、裁判沙汰は避けられるのでは。もっとも、これはあくまで私の推測なので、この場ではあえて「安全策」を貫くけどね(苦笑)。
 
 私は正直地上デジタル放送がどうなろうとかまわないので、こういう「厳しい態度」が地上デジタル普及にとってプラスかマイナスかは気にならない。ただまあ、「それは権利の濫用レベルでは」って発言されたら、やっぱりカチンとは来るよね。皆様も「地○ジカ」の取り扱いには注意して下さいね。江戸時代の「葵の紋所」並みの扱いをするつもりかも知れないので。とりあえずあと800日程度は。その後は使わない予定らしいので、ひょっとすると嬲り放題なのかも知れないけど。

5月1日2009/05/02 03:11

 今週末は春天。だけど、あえてそのネタはパスして、別のことを語ります。まだ「ひょっとすると」だけど、念願が叶うかも知れないので。
 
 本日、安田記念に出走希望がある馬の選出が発表された。全部香港馬である。連中は安田記念を「ビッグレース」だと見なしてくれているので、当然と言えば当然だ。おまけに、香港馬が出走すれば馬券も売る。私が香港在住なら、「今回もヤスダキネンの馬券買えるのは嬉しいねえ!」などと喜んだだろう。
 
 その中に、EGYPTIAN RAって馬がいる。日本語表記は「エジプシャンラー」で確定なのかな。安田記念に出走意欲があるのは知っていたけど、キッチリ選出されたようだ。まあ、去年暮れの香港マイルで3着、先日のチャンピオンズマイルで2着と好走しているから、選ばれたこと自体は不思議じゃないんだけど。それでも、私にしてみれば「チャンと選ばれた」のは大きい。すごく嬉しいです。
 
 何で嬉しいのかって?いやね、別にこの馬自体がどうこうって話じゃない。確かに去年の香港マイルはこの馬からだったけど、ソコまで思い入れがあるってワケでもない。問題は鞍上だ。この馬の主戦ジョッキーはコーツィー。このコーツィーを日本に連れてきてくれそうだから、「選ばれてくれないかな」と期待していたんですよ!
 
 コーツィーは、私が「世界に2番目に信用している」ジョッキーである。1番は言うまでもなく天才デットーリ。沙田の一般レースで、毎度毎度嬉しそうにコーツィーの馬券買っていたからなあ。人気の割に馬券に絡むケースが多く、かなり儲けさせてもらった。私が「沙田は相性が良い」と公言する根拠の1つが、コーツィーの腕にあることは間違いない。
 
 何故そこまで信用しているのか?原居民様に紹介してもらったからだよ。「なんか予定より金額が余った。何故?まあいいか」と思っていたら、まさかの原居民様応援馬券を買い忘れ。それで原居住民様は3着…真っ青になって沙田競馬場で立ち尽くす私のトコロに、何故か携帯に日本から「馬券取っただろ!」と、傷に塩塗り込むような電話がかかってきたもの。
 
 そんな「生涯でも指折りの大失敗」やらかして落ち込む私の脳裏に、急に原居民様が「降臨」してきた。そんでもって、「挽回のチャンスをあげよう。最終はさっき私の鞍上だった、コーツィーから買いなさい」とおっしゃる。騙されたと思って馬券買ったところ、キチンと2着に突っ込んできた。おまけに人気薄だったので好配当。どう考えても単なる白昼夢だけど、それでも、以来私はコーツィーを「信用できるジョッキー」に分類したわけだ。
 
 コーツィーは、一応香港のジョッキーの中では上位に属する。ただ、トップというワケでもない。日本で言えば…藤田レベルかねえ?(苦笑)。でも、「大レース」および「大レースの日の一般戦」では結構活躍している。それを狙って日本からノコノコと出かけていき、オイシイ思いをしていたわけだ。アホですな。
 
 しかし、コーツィーも寄る年波には勝てない。今シーズン(香港の競馬シーズンは、おおむね9月に始まり6月に終わる)で香港から撤退するらしいって話は聞いている…地元南アで乗るのか、引退するのかはよくわからないけど。うっうっ、哀しいよ私は。コーツィーが沙田からいなくなったら、「困った時」どう馬券を買えばいいのやら。日本のジョッキーの誰が引退するよりも哀しいよ…
 
 香港の競馬事情を考えれば、おそらく引退式なんてやらない。ただ黙って競馬場から去るだけだろう。それもまた1つの美学って気はするけど、私としてみれば、「もう一度ナマのコーツィーを見て、コーツィーの馬券買いたい」って希望はあったわけだ。それが安田記念で叶うかも知れない…まだ来日すると決まったワケじゃないけどね。ただまあ、可能性は凄く高い。
 
 私としては、とにかくコーツィーが来日してくれることをひたすら祈るしかない。そんなコトを祈っている日本人は私だけかもしれないけれど、だからどーした。誰が何と言おうと、コーツィーは素晴らしいジョッキーだ。その馬券を日本で買えることは、私にとって何にも代え難い喜びである。天に召された原居民様、お願いですからもう一度私のワガママを聞いて下さい。貴方に紹介してもらったコーツィー騎手が、来日してくれますように。

5月7日2009/05/08 03:49

 5月5・6日はMiddle-Earth東京支部の連続例会。本日のネタは、そこでプレイしたゲームの中から、「河越夜戦(仮称)」について。今まであえて語るのを控えてきたけど、プレイしたからには思いっきり語ってしまいましょ。
 
 河越夜戦(仮称)は、龍虎殿がデザイン中のゲームである。テーマは戦国時代の河越夜戦。武蔵に進出してきた北条に対し、「生意気だ」と連合を組んだ反北条勢力(山内上杉・扇谷上杉・古河公方)8万が包囲する北条方の河越城(今の川越)に対し、北条方が8千で夜襲をかけ、見事撃退した戦いを扱ったゲームである。
 
 このゲームのテストは今まで何度も行われていて、その話は私も聞いていた。そこで私なりに言いたいコトはいっぱいあったけど、「ビシビシ言うのはプレイしてから」と決めていたので、今まで黙っていたのだ。初っぱなの感想としては、「よくもまあ難しいテーマを選んだな」かな。古今東西色んなテーマのゲームがあるけれど、「奇襲した側がボロ勝ちした戦い」を面白いモノにするのはタイヘンだからね。
 
 もう1つ気になったのは、基本システム。実はこのゲーム、基本システムはPGGシステムなのだ。PGGシステムと言えば、第二次大戦の機動戦を再現するためのもの。それが戦国時代の戦いとマッチするのだろうか?たとえ「ゲームとして面白い」ものであったとしても、プレイヤーが「戦国時代の雰囲気」を味わえないのだとしたら、正直私は高く評価できない。何をもって「戦国時代っぽい」と考えるのかは個人差があるとしても、とりあえず私の目にどう写るのか、気になっていたんだよね。
 
 更に今回、実はかな~り「意地悪な」テストをやってみた。初めてこのゲームをプレイする私が、反北条方をプレイしてみたのだ。この手のゲームでは、奇襲をかけて大勝利した北条方が「プレイして楽しい」のはわかる。問題は奇襲を受けた側、史実でボロ負けした側が楽しいのかだ…と、「戦国ゲームフリーク」の有楽斎殿がおっしゃっていたので。実際このゲームが世に流通した場合、「初めてプレイしたのが反北条方」ってプレイヤーが出現するのは当たり前のことなので、あえて私がモルモットを引き受けてみよう…と考えたのだ。
 
 ここで結論を言おう。このゲームはどうなのか?私の評価は、「一応戦国時代っぽさは出ているし、反北条方も楽しめる」である。多少私なりに「こうした方が良かったかも」って部分はある(それはむしろ当然だ)けれど、全体的には悪くないのでは。あくまで私個人の見解としては、「とりあえずデザインしてみました」って段階の次を真剣に考えていいんじゃないかと思われる。
 
 理屈はこうだ。私が気になっていたのは、PGGシステムの特徴の1つ「戦闘結果を損害・退却のどちらで処理しても良い」って部分。このルールが戦国時代っぽいのかと聞かれれば、直感的には「違うんじゃないか」って気がする。安易に「退却すれば損害が減らせる」なんて、戦国時代らしくないだろうと。
 
 ところがだ。実際プレイしてみると、実は両軍とも安易に退却って結果を選べない。反北条方の場合、安易に退却すると混乱してしまう。これだけなら「損害喰らって壊滅するよりマシ」だけど、連鎖後退を強いられると他の味方も混乱してしまうので、「だったら壊滅でいい」って局面が出てくるのだ。北条方にはこのルールはないけど、その代わり「スタックを崩さなくてはイケナイ」という、かなりキツい代償が生じている。
 
 これはつまり、このゲームは「退却か損害か選べる」のではなく、「代償を覚悟の上なら、退却してもいい」だと考えれば、チャンと戦国時代っぽく感じられるのかな…ってことだ。指揮している侍大将が、最後まで「かかれ!」と絶叫しているのか、それとも「引け引け!」と言っているかの違いってワケだ。少なくとも私は、「これなら戦国時代のゲームを名乗って問題ない」と思った。
 
 懸念材料その2である「反北条方は楽しいのか」って部分だけど、これも合格点を出せるような。反北条方は「兵が不甲斐ないのを覚悟の上で、とにかく相手の進撃を妨害して損害か退却を強要し、相手が退却して足並み乱したら、更に兵をつぎ込んで回復のいとまを与えない」ってな戦い方をすれば、なんか「らしい」し、プレイしていて楽しい。単に逃げ惑って終わりではなく、「ある程度の無茶は承知の上で、逆襲していかなくてはならない。でも、兵はドンドンやられちゃう」って部分に、「奇襲を受けた側の苦悩と楽しさ」が出ているんじゃないかなあ。
 
 今回のゲーム展開は「北条方は城と連絡を回復し、史実同様の大戦果を挙げたけど、北条方の損害もかなりなもの」って感じになり、北条方にしてみれば「目的は達成したけれど、正直勝った気がしない」、反北条にしてみれば「敗れはしたけど、頑張った」と思う。この結果を「引き分けもしくは反北条方辛勝」ぐらいになるよう勝利条件を調整すれば、お互い「何を目指してどう戦えばいいのか」が明確になり、ゲームとして成立するんじゃないかと。その意味で言えば、私のプレイは「デザインの参考になった」ようであり、デザイナー兼対戦相手の龍虎殿にとっても実りが大きかったようだ。それは嬉しいね。
 
 あえて私なりの改善提案をすると、退却のルールはもっと「お互いにとってキツい」ものにした方がいいような。現状ではPGGよろしく「オーバーランされた時のみ、退却したら混乱」となっているけど、反北条方は通常攻撃の時でも「退却したら混乱」でいいような。通常攻撃されて退却した時、「混乱しないのはラッキー、でも何か違うなあ」と思ったので。その代わり、北条方は「退却したら、追加退却してでも常にスタックを崩す必要がある」とすれば、より「損害か退却か」のジレンマが増して「楽しく苦しめる」ような。
 
 あと、反北条方は戦力未確認ユニットを使っているけれど、これは現状あまり機能していないような気がする。よって、いっそのことこれをやめて、「表の戦力は同じだけれど、一部のユニットはステップロスで耐えられる」(つまり、表の戦力は全部同じだけれど、一部ステップロスしても戦力があるユニットがいて、配置はランダム)とした方が、反北条方に「ダメモトで退却せずに耐えてみようかなあ…」って誘惑を与えて面白い気がする。現状のままでもいいとは思うけど、「こうした方が…」って提案自体はあって困るモノじゃないはずなので、あえて書いてみました。
 
 なお、最終的な結果は「一応反北条の私が辛勝」だろうって結果になったけど、これはあくまで「運が良かったから」だと思っている。作戦面的には大いに不満が…特に、扇谷上杉朝定を大兵力と共に安全なところへ待避させた部分が、自分としては「何やってんだ!」である。危険を承知で逆襲に投入していれば、結果的にもっとこちらの犠牲が少なくて済んだ気がして仕方ない。もっとも、大将と最小限の守備兵力だけ残して「あえて前線に投入しまくった」山内上杉家は「大将以外ほぼ壊滅」しているわけだけど。
 
 「川越城見学ツアー」に参加した方々(私は飲み会だけ参加)によると、「上杉朝定最期の地」にある寺に、「油断しきっていた」から負けたんだと堂々と書かれていたんだとか。まあ、そう言いたい気持ちはわかる。わかるけど、このゲームをプレイしてみた身としては、それは可哀想かなと思う。細かい逸話までは残ってないので何とも言えないわけだけど、ひょっとしたら「奇襲を受け、あわてて逆襲したんだけど、武運拙く討ち取られた」だけかもしれない。このゲームでは、上杉朝定を「危険を承知で投入すれば、北条氏康を討ち取れるかもしれない」(実際私はステップロスはさせた)という誘惑があり、それに負けて実際投入して戦死したら、「これでもやっぱり『油断しきっていた』って書かれちゃうんだろうな…」と、ちょっぴりブルーになれる(苦笑)。その意味では、良くできているんじゃないかなあ。
 
 次にやってくる段階、すなわち「いかにして世に出すか」についても、少し意見を述べておこうかな。ゲームのコンポーネントは「特に問題ない」と思うので、雑誌付録を狙って応募してみる価値はありそう。世間的には「新人デザイナーの第一作」扱いになるので、コマンド誌よりはGJ向きか?ただ、「ウォーゲーム日本史」の付録にとしては「重くて向いてない」気がする。あと、同人としてコミケで販売するのも悪くはない。その時には私も色々協力できるんじゃないかと。「ゲームをデザインする」という一番大変な部分は乗り越えたとしても、まだまだやるべきことはあって、しかもこれはこれでタイヘンだと思う。ここでメゲないよう、踏ん張って欲しいですね。
 
 とまあ、基本的には褒めまくったわけだけど、これはあくまで「私個人の感想」だ。ネット上で「口コミに見せかけた宣伝」が横行している…という評判が流れる昨今、この紹介も「ドコまで本音なのよ」って疑問を持たれても仕方ないかと。でも、とやかく言いたいのなら、「1回はプレイしてから」じゃないかな。つーわけで、皆様もプレイ機会を見つけてみて下さい。その前に、龍虎殿が「どーやって世間に流通させるんだ」って部分を解決しなきゃイケナイわけだけどね(苦笑)。真面目にどーすんですか?

5月8日2009/05/09 02:14

 Middle-Earth東京支部の連続例会でプレイした、他のゲームについて語るのを忘れていた。でも、ちょっと中途半端なレポートにしかなりそうもないので、軽く触れるだけとします。5日ははねだ殿とモスクワ連戦。「モスクワ'41」と「レッドタイフーン」をやりました。両方とも私が赤軍をプレイし、「モスクワ'41」では勝って「レッドタイフーン」では負け。まあ、ありがちな結果かと。6日は庭猟師殿から「モスクワ'41」の挑戦を受けたけど、諸般の事情により途中終了。一応私(赤軍)が劣勢であり、あのまま続けていれば負けたかなと思う。ただまあ、お互い「これで勝負が付いた」とは思ってないはず。つーわけで、「ギャフン」とは言いません(苦笑)。
 
 本日の話題は、カレンダーネタ。前回は妄想バリバリで「具体的絵柄その1」を語ったので、もう少し地に足付いた話を中心に「具体的絵柄その2」を語ろう。前回とうって変わってショボショボの話になりそうな…
 
 「来年のカレンダーには、こんな絵が欲しいよね」と言うだけなら、誰にでも出来る。そこで話を終わらせないためには、「自分にはどんな絵が入手できるのか」を中心に考えないと。まあ、色々キビシーのはわかっているんだけど…
 
 最初に断言しておこう。現時点で、私の手元には「ミリタリーカレンダーに使えそうな画像」は1枚もない。まず写真だけど、正直言って私は「写真を撮る」って行為が嫌いなのだ。理由?ヘタクソなのがわかっているから。上手い下手の問題じゃない…って理屈はわかるけど、私はとにかくイヤなのだ。カメラなんぞに気を遣うくらいなら、その分じっくり眺めて脳内に焼き付ける方を優先しちゃう。
 
 イラスト・絵画に至っては…絵心ははっきり言ってゼロです。基本的に私は「文章の人」で、しかもその文章でさえ「こんなレベル」に過ぎない。自分でカレンダーの画像なんて用意できません。以上。
 
 …で終わっちゃ、意味がない。ここは1つ「何としてでも画像を用意する」方策を考えてみよう。今年はまだ半年以上残っているんだから、頑張れば用意できるかもしれない。ただなあ…色々と問題はあるんですよ。
 
 一番手っ取り早いのは、カメラ担いで博物館に出かけること。海外だったら言うことないし、国内にだって「軍事博物館」っぽいモノはある。そこで、私の腕で撮影されたモノを使うわけだ。自己完結するので、何だかんだ言って最も手っ取り早い手段だとは思う。
 
 ただこれは…正直、制作サイドのモチベーションが上がらないです。国内にあって常設展示されているモノだと、マニアが手に取ってみたくなるような品にならないような…カメラマンの技量がいいのならともかく、私が撮影するとソレはあり得ない。もう少し物珍しさがないと。
 
 かといって、現状私に海外渡航の話があるわけでも…とりあえず日本ダービーの結果次第では英国にすっ飛んでいく必要がありそうだけれど、幸か不幸かその可能性は極めて低い。皐月賞の着順がアレでは、リーチザクラウンの巻き返しは厳しそうだからねえ。他にキングジョージに挑戦しそうな日本馬はいないわけで。
 
 一応ブエナビスタと一緒に凱旋門賞へ…って案もあるけれど、凱旋門賞はなあ。ロンシャンにはアスコットと違って「魔物」はいないんですよ。ブエナビスタは嫌いじゃないけれど、正直私の中で「追いかけてパリまですっ飛んでいく」価値のある馬なのかどうかは…やっぱり、「きっと目の前で走ってくれる!」って気合い入る馬じゃないと、追いかけていく気にはなれないんですよ。フツーはね。
 
 一応「韓国行きたい」って話は消えていないんだけど、これは別の理由から今回の話とリンクしない。私は韓国に「同人カレンダー買いに行きたい」とホザいているので、その時期に撮影したモノでカレンダー作るのは無茶がある。
 
 単純に「軍事博物館見たいから」だけで渡航してもいいんだけど…今年これをやるなら、6月のモスクワしかなかったような。新型戦闘機を拝めそうなので。でも、今からじゃスケジュール組めません。他はちょっと踏ん切りが…
 
 というわけで、「自分で用意する」のは無茶がある。そうなると、友人知人のたぐいを頼るしかない。「写真使わせて」と頼むか、あるいは「イラスト描いて」と頼むしかない。これは「自分以外の人間」が絡むので色々タイヘンだけど、自分で用意できない以上はこれしかない。
 
 そんなコト頼める人間いるのか?うーん…「聞いてみるだけなら別に問題はない」って人はいるような。私もゲーマーである以上、「ミリタリー物が好き」って知り合いはそれなりにいるわけだからして。あえてここで名前は出さないけどね。なお、コメントでも、「F男が頼める人って言えば、○○さん…」みたいな話はしないでいただければと。
 
 むしろ問題は、「そーゆー知り合いがいるのか」ではなく、「どーやって話を切り出すか」とか、「細かい部分をどう詰めるのか」だって話はある。これは…正直、自信はないんだよね。ただ、一応は過去に何度かイラストを注文した経験はあるので、「とっかかりのつかみ方」ぐらいはわかるかと。ただ、それだけで何とかなるかどうかは、何とも。相手のある話だから、私の都合・事情だけでどうこう言っても意味がないし。
 
 ちなみに、先ほど「名前を出さない」ことにこだわったのは、この「どーやって話を切り出すか」って部分と関連がある。下手に「マスコミ辞令」みたいな形で名前を出されると、人によっては頼みにくくなったりするわけで。更に言うなら、「名前が出たから」だけでなく、「名前が出なかった」ことにより気まずくなることさえある。ここはあくまで「友人知人に頼む場合」の方法論を語る場で、具体的人選をする場じゃないとしておかないと。
 
 そこまで気にする必要があるのかって?あると思って下さい。「仕事」じゃないんだから、かえって気を遣う場合があるので。正直、手間に見合う報酬なんて出せないんだから。「金銭」って対価を渡せない以上、別の形で満足してもらう必要があるからね。同人だからって気楽だとは思わない方がいいかと。もっとも、全てをひっくるめて考えるなら、商売にする方がタイヘンなのは間違いないけど。
 
 同人ってのは、基本は1人でやるモノだ。外注だの手伝いだのは何かと有り難い存在だけど、そーゆー人間を絡めるのは、それはそれでタイヘンだ。まあ、だから面白いって話もあるんだけど。ある意味では、日頃の人間関係が重要ってことだね。「しょせん遊びなんだから」って考えだけで行動するのは、どうかと思うぞ。人間関係は大切に…ってのは、この色の話題でも当てはまることなんだから。
 
 なお、今回の話は基本的に「架空のプロジェクト」に基づくモノなので、具体的に話が進む可能性は、現時点ではゼロです。よって、私に「本当に画像を外注できるような友人知人がいるのか」とか、「そういうモノを用意する能力のある人間に対し、どのような人間関係を築いているのか」って部分につきましては、基本的にノーコメントとさせていただきます。迂闊なコメント出すと、その後の人間関係がややこしくなりそうなので。真面目な話、架空のプロジェクト絡みで人間関係にヒビ入ったりしたら、やってられないでしょ(苦笑)。

5月10日2009/05/11 02:45

 好位置ではあるけれど、上も下も遠いスワローズ。正直、竜か虎がいずれ浮上してくるのでは…って気がするので、このままってことはなさそうだけど。あんまり感触良くないのに好順位ってのは、どうも信用できない…ブツブツ…
 
 とまあ、昨日まとめ損ねた野球ネタはこれぐらいにしよう。本日の話題は、先日発表された「サイレントイーグル」について。ちょっと前から懸案となっている、空自のF-4ファントム代替機(次期FX)がコレになるかも…って話なんだけど。
 
 私は多少メカフェチ入っているので、「ファントムの次」については何回か触れてきた。空自の第一希望は間違いなくF-22ラプターだけど、これはどうも「政治的理由」とやらで輸出許可が下りそうもない。残る候補は「F/A-18Eスーパーホーネット」「F-15Eストライクイーグル改」「F-35ライトニングⅡ」「ユーロファイター・タイフーン」となっていたんだけど、このうちF-15陣営に「動き」があったわけだ。
 
 この「サイレントイーグル」、一応は「別に空自用ではない」となっているけど、この時期にこんなモノを発表すること自体、空自への納入を意識しているのは確実でしょ。確かF-15陣営は「空自の要求通りに改造します」と主張していたから、とりあえず空自がこだわっていると言われる「ステルス性」を付加した「実物大の模型」(モックアップ)を作ってみたんだと思われる。
 
 一部の航空機雑誌では、早くもこの「サイレントイーグル」を、次期FXの本命扱いしている。どこまで本気なのかは知らないけれど。ただまあ、そう扱うだけの価値があるのも事実かな。なにせ空自は既にF-15を使用している。ある意味「親しみやすい」「扱いやすい」わけだ。この点、「米海軍機は嫌い(F-4は元々海軍機だけど…)」「米国製以外は論外」って意向を持っていると噂される空自にとって、「都合いい」機体なのは確か。
 
 問題はF-35との比較だけど、こちらは「政治的理由」だの「共同開発と称して他国の予算ぶんどった」だのといった事情により、納入されるのがいつになるのか、さっぱりわからん有様。豪州が「中国に対抗するため、それでも買いたい!」と名乗りを上げたようだけど、これすらどーなるのか怪しいと思われる。おまけに名目上は共同開発国となっている英国が、「F-35の空戦能力はタイフーンに劣る」とか言い出しているし。
 
 そうやって考えてゆくと、この「サイレントイーグル」って選択肢は悪くなさそうな気がする。一応いろいろいじってあるみたいだから、「今更イーグルかよ」って声にも対抗できそうなわけで。いやあ、めでたいめでたい…となるのかねえ。
 
 ただ…正直に言おう。私はこの機体の写真見た時、「何かの冗談か?」と思った。私が今まで色んなトコロ(航空関連雑誌や同人誌など)で仕入れた、「ステルス性」に対する知識が、一気に崩壊したような。だって、少しいじってあるけれど、見た目は「ほとんど」イーグルと変わらないのだ。これでステルス性確保できるって…マジですか。
 
 私はメカフェチの中でも、特に「東側兵器ウオッチング」を趣味としている。旧ソ連およびロシアの兵器を「観察」して、アレコレ想像するのが趣味って奴だね。東側の兵器は「西側とは違った常識に従って作られている」モノが多く、それゆえ「ホントのトコロどーなのよ」ってのが極めてわかりにくい。だからこそ色々と想像力を働かす余地があって楽しいのだ。同好の士はそれなりにいるので、決して珍しい趣味じゃない。
 
 それゆえ、「東側の軍人の発言」なんてものも結構こまめにチェックしている。兵器なんて「使えてナンボ」なので、どう使うつもりなのか…ってのは重要なヒントだからね。その中の1つに、「ステルス性に関しては、新型機導入に加えて、従来の機体も(装備を見直すなどして)対応をはかる」って趣旨の発言があった。流石にいつ誰が言った発言なのかは忘れたけど。
 
 この発言自体はいい。問題は、この発言の評価として、「従来の機体を多少手直しした程度で、ステルス性が確保できるワケねーだろ」って話があり、私は「まあそんなモノだろ」と思っていた。ロシアがステルス機の開発を進めているのは知っていたけど、そのペースはかな~りノンビリしていて、「連中はステルス性をあんまり重視してないんだな」って雰囲気があったからね。
 
 ところがだ。サイレントイーグルは、見た目まんまストライクイーグル。外壁の素材や塗料はいじってあると思うし、どうも兵器は内蔵する(ぶら下げるとレーダーに写りやすくなる)みたいだけど、基本それだけ。垂直尾翼をちょっぴり傾けていて、それはそれで効果は大きそうだけど、それぐらいだったら他の機体でもできそうな…
 
 私はかなり長いこと、「ステルス性を考慮するのなら、機体の形状を重視すべきであり、既存の機体をちょっといじっただけじゃステルス性なんて確保できない」と信じていた。実際、米軍は「いかにも空戦には弱そうな」F-117を「ステルス戦闘機」(実際は小型爆撃機として使われたようだけど)として採用しているわけで。より技術が進んだ結果、多少空戦性能も考慮した形状でもOKになったとしても、F-22ラプターやらF-35ライトニングやらが「1つの基準」だろうと。そもそも、F-35からして「実は競合機の方がステルス性が高かったけど、総合性能で勝っていたので採用された」という話があったぐらいだ。
 
 更に言うなら、東側の軍用機メーカーのスホーイが、以前「ステルス実験機」っぽいものを発表したことがある。Su-47ベルクートって機体だ。この機体のステルス性がどうだったのかは今もってサッパリわからない(まるで考慮してないって説も有力)けど、一応有力な説は「ソレも含めた実験のため制作された」である。でも、この機体は「言いたいコトはわかるけど、あれじゃあステルス性は確保できない」などと叩かれていた。私も「まあそうだろな」と思っていたモノよ。
 
 ところがだ。ボーイング社の人間は、「ほとんどイーグルと変わりません」って機体を持ってきて、「ステルス性を考慮しました」などと言っている…ハッキリ言って、私の中にあった「常識」が瓦解しました。どーゆーことよそれ。正直、この機体が「アリ」で、ベルクートが「ナシ」って理由がわからないんですけど。
 
 あくまで「私の中にあった常識」にこだわって考えた場合、実はこのサイレントイーグル、ステルス性は「まんまイーグルよりはマシ」って程度に過ぎないような…しかも、そのくせ兵器搭載量はイーグル以下、燃料搭載量がイーグルと同等程度(ただし増槽つけたらステルス性台無し)ときてる…あえて言おう。駄作の臭いがプンプンする。元となった機体は名機なので、駄作は言い過ぎかも知れないけれど。
 
 実際のトコロどうなのかは、まだわからない。前にも書いたけど、ステルス性なんて素人にはまるでわからん分野だし。ただ、「ステルス性を付けたイーグルってコトにすれば、空自が買ってくれるんじゃね?」ってなノリ「だけ」で開発された、まるで「CPUが非力なことも考慮せず、無理矢理フルサイズのWindows Vistaを搭載したネットブック」(あえて具体的名称は出さない)みたいな商品じゃねえかって気がするのも、確かなんだよね。
 
 軍用機ってのは性能だけじゃなく、価格だとか使い道だとか政治的配慮だとか…が必ず絡むので、何をもって「いい買い物」なのか、判断しにくい。少なくとも、ド素人が軽々しく判断できるものじゃない。それを承知の上であえて言うなら、この「サイレントイーグル」を買うのは、正直オススメできない。なんか「お買い得感」がないような気がするんだよね。ステルス性を考えるのならじっくりとF-35を待ち、どうしてもすぐ必要ならステルス性はさほど考慮せずに選ぶ…ってのが、「賢い消費者」ではないかと。もっとも、衝動買いを得意とする私が言っても説得力ないんだろうけど(苦笑)。

5月12日2009/05/13 02:20

 話のマクラとして、オープニングに小ネタを。某IT情報系サイト(米国版の翻訳)に、「さようなら○○、今までたくさん魚をありがとう!」(○○には具体的名称が入る)って表題+イルカの写真があり、コレ見て吹いた。多分、コレを読んだ日本人の99%は「何故こんな表題+イルカなのか?」わからなかったと思う。「銀河ヒッチハイクガイド」は英語圏以外じゃあんまり知られていないし。英語圏ではこういうトコロに説明抜きで登場するほどメジャーなんだなと、改めて感心しました。
 
 本日の話題は、「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について。民主党の鳩山幹事長から「国営マンガ喫茶」などと叩かれているようだけど、一応私なりの意見を述べておこうかなと思って。
 
 このメディア芸術総合センターとやら、要は国営の美術館である。ただし、収蔵品「映画、マンガ、アニメ、ゲーム等、メディアアート等」だとか。これらを一元的に扱う美術館を、国が作って運営は外部委託するんだとか。ちなみに、建設予定地はお台場。
 
 こういった「ハコモノ行政」については、色々言いたいコトはある。その意味では、「下らない」の一言で片付けてもいいような。ただまあ、あえて言うなら、私はこの構想自体は悪くないような気がする。
 
 実は私、美術館や博物館は嫌いじゃない。人だらけの「○○展」みたいなものは好きじゃないけど、ゆっくりじっくり見られる常設展示は好きでねえ。ルーブルもじっくり見てきた(流石に一部省略した)し、大英博物館やナショナルギャラリーも「また行きたい」と思っている。
 
 そんな私の趣味から言えば、日本ってのは博物館・美術館のたぐいが「弱い」気がする。東京だと上野に立派な美術館・博物館があるのは知っているけど、あそこの収蔵品がルーブルやらナショナルギャラリーに「勝てる」とは…いやまあ、「世界に冠たる」歴史を持つ英仏にかなわなくても当然だし、上野は上野で結構いい品揃っているとは思うけどさあ。
 
 そう考えると、何を扱うにせよ、美術館が強化されるのは歓迎したい。「そんなもの芸術じゃねえ!」と思う人間が多いかもしれないけれど、それはそれで悪いコトじゃないのでは。いわゆる「現代芸術」もそう言われているんだし。
 
 ついでに言うと、私は結構「現代芸術」好きです。ややこしい理屈はわからないけど、アタマ空っぽにしてボケ~と見ていると、「これはこれでなかなかオツですな」って気分になる。おそらく日本人ってのは、「美術品とはこういうモノだ」って思い込みが強く、それに外れた品に対する拒絶反応が強いんだろうな。私に言わせれば、もったいない話だ。
 
 マンガ・アニメを扱った美術館というか博物館というか…ってモノは、すでにいくつかある。でも、その大半はクリエイター(個人中心だけど、集団って場合もある)もしくは会社単位のものであり、全体像を追いにくい気がする。権利関係なんかを考えると、どうしてもそうなっちゃうわけで。その点、国の施設ならば権利関係はクリアしやすいはず。そのためにいくらカネかけるのかは別にして、こういうモノを国で造る意義はチャンとあるとは思う。
 
 とはいえ、国の予算ってのは有限であって、優先順位を考えた場合…と言うのなら、もっと現代芸術を充実させろ文化庁。ある意味ではマンガ・アニメより支持者が少なそうだけど、それは「みんな実物に触れたことない」からじゃねえのか。ああいうモノは目の前でじっくり眺めないと、良さがわからないと思うんだけどなあ。今の日本で現代芸術系の作品探すのって、それなりに大変だと思うぞ。その現状を変えようとは思わないのかね?もっとも、日本における現代芸術の地位を考えれば、アニメ・マンガより優先順位が低いのもわかるような。せめて、コレが潮目を替えるキッカケになって欲しいけど…
 
 ちなみに、「建設予定地がお台場」って部分にも批判があるようだ。アクセス悪いとか、秋葉原・池袋・杉並の方が相応しいのでは…って話だ。これについては…まあ、アクセスの悪さは否定しない。でも、別にお台場でもいいじゃん。私に言わせれば「堂々と上野の森に造るべき」なんだけど、「美術館とは高尚なモノだ」と思っている層(私は大いなる誤解だと思うけど)の反発を考えれば、上野って訳にはいきそうもない。だったらドコでもいいような。
 
 ついでに言えば、お台場と言えばコミケ。地方からコミケ目当てに上京してくる奴なんてかなりいるんだから、そのうちの一部でも「ついでに見ていくか」と来場すれば、集客に問題があるとは…更に言うなら、東京ビッグサイトでは「コミケ以外のヲタク向けイベント」もたくさんやっているんだから、東京近郊在住のコアなヲタクは「コミケの時は忙しいけど、別のイベントのついでなら」で見に行く可能性はある。これはこれで納得できる立地だと思うけど、どうかね。
 
 どうせ国が選んだモノなんて…って批判も、ある意味的外れじゃないかな。国立の博物館・美術館に「完璧」を期待する方が間違いだと思うので。隙となるようなモノについては、民間なり何なりが埋めればいい。面白みって意味ではおそらく「米澤嘉博記念図書館」(今年の夏に開館予定)の方が上って気がするけど、それは当然…というか、そうでなければ米澤コレクションの意味がない。あまりに隙が大きいようなら、入場者って立場から思いっきりケナして、キュレーター(って言うのか?)を入れ替えさせればいいだけの話だ。
 
 マンガ・アニメ・ゲーム関連で動いているカネがどれだけデカいかを考えた場合、これらを収蔵した国立の施設があるのは、そう的外れじゃないと思う。それと「だからって大金使って立派すぎるハコモノ造るのはいかがなものかと」とか、「文化庁の手先ごときにマトモな収蔵品集められるのか」ってな部分は、また少し話が違うと思われる。なんか今の総理が退任した瞬間消えて無くなりそうな話ではあるけれど、この話をきっかけに、「既成概念」に凝り固まった(としか思えない)文化庁の連中の意識が、少しでも変化してくれれば…と、淡い期待をかけてみたいかな。
 
 なお、ここで言う「ゲーム」って、電源不要ゲームは含まれるんだろーか。一部のアニメゲームなどは、「ファミコン以前にはこんなモノもあった」って紹介のためにも、収蔵される価値があるような気がするんだけど。今からでも遅くはなさそうだから、日本のアナログゲーマーは何かすべきじゃなかろーか。下手すると「日本にテーブルトークRPGは全く根付かなかった」(どう考えても大嘘である)などと紹介されかねないわけで。この色の話題について行ける方、他人事じゃないですよホントに。

5月13日2009/05/14 01:14

 深夜やってるアニメ「けいおん!」のおかげで、AKGのK701(ド高級ヘッドホン)が売れているんだとか。K701と言えば、その昔私が秋葉原のビックカメラに置いてあったヘッドホンを試聴しまくり、「群を抜いてこれが一番だな」と衝動買いしようとして、値段見て泡吹いたってシロモノ。その後更に色々試聴しまくり、「この値段この音なら…」と選んだのが、今使っているK501。K701は確かにすご~くイイと思うけど、オープンタイプなので、外の音拾うし音漏れも激しい(その代わり、音のヌケがイイ)ので要注意だ。なお、某IT系サイトに「装着するとかなり重いと思う」などと書かれていたけど、重さを感じさせない装着感もこのヘッドホンの魅力。私もオススメします。高いけど。
 
 本日の話題は、昨日の続き。「国立メディア芸術総合センター(仮称)に収蔵されるべきアナログゲームとは」を論じてみたい。あくまで私個人の意見だけど。とりあえず、議論を盛り上げるキッカケになればと思って。
 
 現時点では、この「メディア芸術センター」とやらが、どんな方針でどんなモノを集めるつもりなのか、公開されているワケじゃない。ひょっとするとアナログゲームも積極的に集めるつもりなのかもしれないし。ただ、おそらくはそんなコトはしないはず。何でもかんでも収蔵しようとしたら、ルーブル美術館並みのスペースでも足らなくなる。とはいえ、コンシューマーゲームの歴史ってモノを考えた場合、アナログゲームのことは紹介して欲しいのも確か。
 
 そこでまあ、この場ではとりあえず「コンシューマーゲーム業界に影響を与えたと推定される」アナログゲームに限って採り上げる、という方針を設けたい。これは何も直接的影響とは限らない。一部コンシューマーゲームにも使われている「ヘクスマップ」が具体的にどういう経緯で採用されたのかはクリエイターの経歴次第としても、「ヘクスマップの元祖」(ブリッツクリークだっけ?)の影響下にあるのは間違いないわけで。
 
 また、「歴史の古さ」を追求するだけではなく、ある程度は「そのゲームの完成度や売れ行き」も考慮するべきだと思う。アナログゲーム研究の専門家(そんなのいるのか?)向けにどうこうって話ならともかく、大半の客はそこまで詳しい話を求めているワケじゃないからね。ゲームクリエイターの卵が「過去のゲームを参考にしよう」と考えた場合、どんなものを参照すればよいのか、その参考になる程度でいいと思われるので。
 
 あと、客の大半は日本人だろうってコトで、「日本語版・国産品」にある程度こだわる。大半のゲームクリエイターにとって、英語版のみってのは敷居が高かったはずだし。もちろん、一部に「日本人ゲーマーは電源無かったらオシマイだと思うなよ!」ってな、アナログゲーマーの意地が混じるんだけど(苦笑)。
 
 まずはRPG部門からいこう。日本のコンシューマーゲームを語る上で、このジャンルは重要だろうからね。このジャンルの「元祖」を語る上で、絶対外せないのはやはりD&D。英語版を収蔵するか日本語版にするのかは悩ましいけど、私は日本語版に1票かな。ただし、ボックスアートその他が英語版に忠実な新和版で。流石にコレは外せない。問題は、こんなものの「未開封美品」がこの世に残っているかどうかだ。
 
 テーブルトークRPGは、日本でも一時期多少流行った。この事実は、ゲーム史を語る上で結構重要な気がする。そのため、「Traveller」(HJ)と「Roads to Lord」(ツクダ)も収蔵して欲しいかな。後者は特に「国産」だからねえ。初の国産RPGは、タクテクス3号付録?の「ドンキーコマンド」ってのが一応の定説だと思うけど、これは「ドコがRPGだ!」ってシロモノだからねえ。「スペースコブラ」(バンダイ…だっけ?)「クラッシャージョウ」(ツクダ)も忘れるワケにはいかないと思うけど、黎明期における代表的なモノを1つ紹介しろと言われたら、「RtoL」になるような。
 
 もちろん、アナログゲーム史を考えるのであれば、この3つ以外にも重要な作品はあると思う。ただまあ、アナログゲーム史を語るのは本筋じゃないので、この3つまでになるのかな。強いて言うなら、「テーブルトークRPGは今も生き残っている」って事実を示すために、最近の作品を入れるぐらいか。もっとも、じゃあ具体的に何を収蔵する…って話は、私がやるべきではないような。最近は全くプレイできてないからねえ。
 
 シミュレーションゲーム部門は…語る価値あるのかどうかビミョーだな(苦笑)。とはいえ、実はウォーシミュレーションゲームの「技法」を使ったコンシューマーゲームってのは結構あったりするので、無視されると寂しい。となると、タクテクス(雑誌じゃなくてゲームの方)とブリッツクリーク(両方ともAH)か?国産の、ヘクス使ったウォーゲームから選ぶとすれば…難しいなあ。単なる歴史的価値以上のモノがあるってコトも考慮して、「独ソ電撃戦」(EP)になるのか?
 
 個人的に「絶対ハズして欲しくない」のは、「戦国大名」(EP)…いやまあ、私が再版に関わったからじゃなくて、「日本の戦国時代は、ゲームのネタとなりうる」ということを決定的に証明した作品として。「信長の野望」(光栄)がこの作品に影響を受けた可能性はむしろ低いのかもしれないけれど、その後のこのシリーズ発展を語る際、影響はあったと思われるわけで。日本アナログゲーム史に燦然と輝く傑作でもあるので、是非収蔵してもらいたい。つーか、そんなゲームのルールを手直しして、追加武将まで作らされた私の気持ちもわかって欲しい。ミケランジェロの壁画修復しろって言われた方が、なんぼか気楽だったんですけど。
 
 ファミリーゲーム系についても、少し語っておこう。囲碁・将棋・双六・トランプといった「辞書に載っていそうなモノ」は収蔵しない(価値がないからではなく、別のところで扱うべきものだから)として、モノポリー・アクワイヤ・ディプロマシーは紹介して欲しいかな。アナログゲームの歴史において多大なる影響を与えたモノとして有名だし、これらのテイストを多少なりとも取り込んだコンシューマーゲームって、結構ありそうなので。「戦国大名」はこの流れで紹介すべきかもね。あと、「野球盤」と「人生ゲーム」は収蔵する意義があるかも。
 
 カードゲーム部門は…実はあんまり詳しくないんだよな。とりあえず、ポケモンを語る上でトレーディングカードゲームを語る必要があり、そうなると「マジック・ザ・ギャザリング」を語る必要があるってところまではわかる。ただ、このジャンルの国産ゲームでどこまで紹介すべきかまでは…このジャンルに詳しい人間はどこかにいるはずなので、その人の意見を参照すべきかと。
 
 マンガやアニメとの連動も重視すべきだろうな。「アニメ・漫画を題材としたゲーム」ってものは、ファミコン以前にもあったんだよってコトを示すためにも。これについては、発売時期こそやや遅いけど、「ガンダムヒストリー」(ツクダ)を紹介すべきかと。このジャンルのゲームとしては「決定版」だと思うので。
 
 番外として、私はあまり詳しくない「パチンコ・パチスロ」にも言及すべきかと。これら単体としてみるならば、今回論じている施設に収蔵すべきモノじゃない(価値がないからではなく、ジャンルが違うから)とは思う。でも、「マンガ・アニメが社会に与えた影響」を語る際、これらをモチーフとしたパチンコ・パチスロを語る必要もあると思われる。平たく言えば、「エヴァ」と「北斗」の初代は展示すべきだろってコトだね。
 
 とまあ、色々好き勝手に作品名を挙げてみたけれど、当然異論はあると思う。しょせん私は「この道に多少詳しい」程度であり、権威ってレベルじゃないからね。実際に「何を収蔵すべきか」決める際には、鈴木銀一郎大佐や安田均先生のような「アナログゲーム界の権威」に相談すべきかと。こんなことは「アナログゲーム業界では常識レベル」なんだけど、それを文化庁の役人が知っているとは思えないんだよな。困るよね(違う)。
 
 コトの是非はともかく、国がマンガ・アニメ・ゲームといった「メディアアート」を収蔵しようって言うんだから、単に「客が喜びそうなモノだけ集めりゃいいんでしょ」という底浅いモノではなく、歴史的経緯とか社会的影響と言った「真面目な視点」も欲しい。それが国の仕事ってモノではないかと。完璧を目指せとは言わないけれど、ある程度は「その道の通さえも唸らせる」ようにしなくては。そのためには、ココに挙げた作品のうち、少なくともいくつかは収蔵する必要があると思うんだけど、どうかね。
 
 本当のことを言えば、アナログゲーム専門ののコーナーを作って、そんじょそこらのコレクターには不可能なレベルの収蔵品を見せてもらいたい(苦笑)。その時には、アレとコレは欠かせないはず…ああ、どこかで「日本シミュレーションゲーム博物館」造ってくれないかな(無理)。

5月15日2009/05/16 02:53

 いつも楽しみにしている「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」にて私の記事が「引用」されたいたので、あえて返し技を。題して、「単純でわかりやすい勝利条件ってのは、実はすごく難しいと思う」だ。ある意味ワケわからん話題にすっ飛ぶ予定なので、その点ご注意下さい。
 
 その是非はあえてさておき、シミュレーションゲームの中でも一般的な作戦級ゲームは、「直感と直結しない」勝利条件を採用していることが多い。ぱっと見は「優勢」であってもゲーム上は敗北、あるいはその逆なんてのは「当たり前」だ。
 
 何故そうなるのか?理由は単純。大抵の戦いは「史実で勝利した側」が存在し、一般に史実で勝った側が「有利」である。そのため、単純明快な「見た目が優勢な側が勝ち」って勝利条件にすると、ほとんどの場合結果がミエミエになってしまう。それじゃあプレイする価値が薄い。そのため、実際勝った側に「ハンデ」が与えられるのだ。
 
 私はどちらかと言えば「こういうハンデはアリでしょ」って趣味の持ち主ではあるけど、世の中にはこれを嫌う人間もいる。その代表はゲームデザイナー兼評論家の高梨先生か。「勝利条件における高梨イズム」については、前回勝利条件を論じた時に触れたとおりだ。
 
 高梨先生の主張するような「盤上で優勢な側が勝ったという実感を得るべき」という主張は、私も「なるほど」と思う。そういう「直感的わかりやすさ」を追求する姿勢ってのは、やはり忘れてはイケナイと思うので。ただ、「現実問題として」どうなのかと言われると、難しい…というか、かなり無茶がある。高梨先生の意見も、実践面では「敗北する」(つまり、直感ではわかりにくい勝利条件にしてしまうこと)ことを視野に入れて述べておられるわけで。
 
 これに対し、戦術級ゲームは「直感的にわかりやすい」勝利条件を採用している場合が多い。そのため、「だから戦術級ゲームが好き」って人間が少なからず存在するし、私も「直感的にわかりやすい戦術級こそが入門用に向いているんじゃ」って意見を展開したこともある。ただ…あえて言おう、実は「どちらが自然なのか」を考えた場合、実は勝利条件がわかりやすい方が不自然ではないかと。ここに「勝利条件」の難しさがあると思うな。
 
 確かに、野球やサッカーでは「点を多く取った方が勝ち」という、わかりやすい勝利条件がある。それゆえ、我々は「それが当たり前」だと感じる。しかしだ。冷静によくよく考えてみると、この意見からして「必ずしもそうとは言えない」ことに気がつく。あえて言おう。野球やサッカーと言えども、「点を多く取った方が勝ち」とは限らない。
 
 いやね、野球もサッカーも、「ルール上の勝利」は点多く取った方だ。けど、「勝利の実感」って、必ずしもルール上の勝利とイコールじゃないでしょ?言っちゃあ何だけど、野球では「どちらかと言えば弱小球団」スワローズを、サッカーでは「上位争いして当然」レッズを応援している私としては、そう言わざるを得ない。
 
 まずは野球の話。我がスワローズは、毎年毎年本気で「優勝だ!」などと言えるような球団じゃない。「これはイケる!」と思う年もあるけれど、ヒドい時には「せめて最下位脱出してくれれば…」って年も多い。今年も正直言って、優勝できるとは…なにせ「石川・館山を特に苦手としていない」ジャイが上にいるからなあ。直接対決なんて、憂鬱なだけですよ。こんなスワローズがジャイと当たった時、私は正直言って「1勝2敗で止まってくれれば…」と思いながら試合を眺めている。負けた後の屈辱感はドコ相手でも一緒と言えば一緒だけど、ジャイ相手の方が「負けても仕方ない」と割り切りやすいのも事実。
 
 また、同じ負けでも「ローテーションの谷間で先発投手が打ち崩されました」と、「クローザーが打たれました」じゃあ、意味が違う。スワローズの場合、高市だのユウキだので負けても「あっそ」で片付けやすい(それだけに、勝ったのはデカい)。でも、林昌勇が打たれるのは…WBC決勝戦、イチローの逆転打はせつなかった…日本代表に勝って欲しかったのは事実だけど、それでも、たとえ韓国代表として投げていても、林昌勇が打たれるシーンは見たくなかった…ついでに告白しよう。あの後追加点までは阻止した時、つい小さくガッツポーズしました(苦笑)。
 
 野球はまだいい。実は野球ってのは、あれでも結構「戦力均衡」が進んでいるので。サッカーはもっとヒドいからねえ。「レッズがノンタイトルだと文句が言いたくなる」ってのは、別に贅沢な話だとは思わない(アントラーズやガンバなどのファンにもそう言う権利はあると思うので)し、「大宮アルディージャの正直な目標は、開幕当初から『残留』だ」ってのも仕方ないかな…ってなるわけで。中堅チーム、たとえば名古屋なんかと試合した場合、レッズだと引き分けでも飯が不味くて仕方ないし、アルディージャだと引き分けならメシウマだ。まあ、ある程度は試合展開にもよるわけだけど。
 
 もっと言えば、「点を多く取った方が勝ち」ってスポーツであっても、「点の取り方がわかりにくい」ものだと、観戦しても何が何だかサッパリわからなくなる。私は以前、「アメフトって、何で点が入ったわけでもないのにあんなに騒ぐのかわからん」と真顔で言われて返答に困ったことがある。野球で言えばヒットみたいなもの(ヒットだけじゃ点は入らないけど、攻撃側のファンは喜ぶのがフツー)なんだけど…これをもって「アメフトってわかりにくい」と文句を言われても、「いや、そういうスポーツだから」としか言いようがない。
 
 そもそもだ。「自然状態」では、優劣は勝負の前からわかりきっている…って方が多い。「食うか食われるか」って関係なら食う側が優位なのは分かりきった話だし、「雌を巡る戦い」でも、優劣は戦う前からほぼ決まっている。ただし、「優劣は決まっている」と「勝敗の行方」は必ずしもイコールじゃない(自然界でも「ジャイアントキリング」は起こりうる)から、ダメモトで戦う例はあるけど。
 
 「直感的にわかりやすい勝利条件」こそが不自然というなら、戦術級はどうしてそれを実践出来るのか?これはカンタン。そういう「数少ない事例」を切り取ってくることが可能だし、それが当たり前だから。実戦においては、戦術級のシナリオにならないくらい「一方的な」状況が当たり前のように生じていたはずだけど、それらは「つまらない」のでシナリオにならないのだ。
 
 「しゅみのしみゅれーしょんげーむ」内には「B-29を零戦52型で撃墜できるかできないかで勝ち負けがきまる」という例が出てくるけど、これもまた「そういう部分が勝敗の対象となりうる事例を切り取ってきたから」に過ぎない。考えても見て欲しい。「零戦1機でP-51の大編隊を振り切り、なおかつB-29を撃墜しろ」ってコトを要求されたら、「このシナリオはオカシイ!」と言いたくならないか?でも、当時どちらが「一般的」だったのかを考えれば、実は「零戦でB-29を撃墜できれば勝ち」ってシナリオの方がむしろ「オカシイ」のだ。
 
 話が作戦級・戦略級規模になると、さらにややこしい話が関係してくる。この規模の戦いにおいては、「お互い五分の状態で、ドチラも勝ち負けがあり得る」って状態だと、両軍とも全く動かないって場合が出てくる…というか、その可能性の方が高い。五分の状態での激突があり得たのは、どう頑張ってもナポレオン時代まで。それ以降になると、「お互い五分なら、先に動いた方が滅茶苦茶不利」って話になってくる。「勝負の大半が引き分け」なんてモノは、どう考えてもプレイして楽しくない。
 
 戦術級ゲームでも、切り取り方を間違えると悲惨な話になる。その代表は「アニメの戦術級ゲーム」だ。アニメの主人公メカというのは「強い!絶対に強い!」のが当然であり、結果として「ザコは墜として当たり前」になる。エネルギー満載のビームライフル持った、マグネットコーティング済みのガンダム(当然パイロットはアムロ)相手に、学徒兵のザク単騎で何をしろと?これではタダの虐殺だ。ハルトマン(独空軍の、300機以上撃墜した大エース)でさえ、あの領域にあったかどうかは大いに疑問である。
 
 かといって、ザコに多少なりとも勝機を与えると、それはそれで問題視されることもある。コンスコンのリックドム12機とガンダムが戦って、ジャイアントバズの「ラッキーヒット」でガンダムが1機も墜とさずに撃墜されたら、間違いなく文句が出る。そうは言っても、コンスコン隊としてみれば「まだ1機も墜とされていない段階」が一応は最強なのだから、ガンダムを撃墜できるとすればこの段階…って可能性はむしろ高いはずだ。これを解決するのは…「そんなシナリオはプレイしないでくれるに違いない」と信じる(実際、シャアのゲルググと戦うシナリオがあれば、多分みんなソッチをメインにプレイしてくれるはずである)か、ジオン側を「ガンダムはまず墜ちないので、12機やられる前にホワイトベースかガンタンクを墜としてね」ってトコロに誘導するか…って話になる。後者は立派な「わかりにくい勝利条件」の仲間だね。
 
 そもそもだ。勝利条件設定が「すごく難しいモノ」の代表は、実は「戦術色の濃い」海戦や空母戦だって話がある。直感的には空戦よろしく「翔鶴がエンタープライズ沈めれば勝ち」とすればいい…と思いがちだけど、本当にソレだけで良いのかはかな~り疑問である。「お互い逃げ腰だったらどうなるんだ」って問題が絡むから。空戦の場合は「殺らなきゃ殺られる」って状況に持ち込みやすいけど、空母戦の場合は「どうやったらそんな状況に持ち込めるのか」を工夫しないとイケナイのだ。そこを安易に考えると、「米空母をつり出すためとはいえ、真っ昼間から戦艦隊でミッドウェー島を砲撃しに行くってのは、どうなのよ!」って問題が生じるわけで。海戦の場合だって、「最後の1隻まで戦うのは、何か違う気がする」って問題がありましたね。
 
 良かれ悪しかれ、勝利条件ってのはプレイヤーを誘導する役目がある。プレイヤーってのは普通勝利を目指すので、「この戦いにおいて、自分は何をすればいいの?」ってコトを明確化する役割があるのだ。この「プレイヤーが何をするべきなのか」が直感的にわかりやすいものの場合、勝利条件は単純化できるし、そうすべきだ。しかし、ちょっと複雑な事例になってくると、勝利条件を単純化するのはすごく難しい。無理矢理単純化すると、「バルジの戦い」を連合軍反撃まで扱ったゲームにおいて、「いずれここまで下がるんだから」と、最初のラインから一歩も動かないドイツ軍をどう考えるのか?みたいな話が出てきかねない。実を言えば、勝利条件の「最も重要な存在意義」は、この「プレイヤーに何をやらせたいのか」を提示することではないかと思う。
 
 その次に来るのが、誰にでもわかりやすい「バランス」である。お互いある程度の技量を持つプレイヤーが、ダイス目に極端な偏りもなく、影響のでかいミスもやらかさなかったと仮定した場合、勝敗が五分五分であって欲しいわけだ。引き分けって結果でも良いけど、「それが露骨にミエミエ」なのはあまりよろしくない。更に言うなら、この前提が崩れた場合、たとえば「私が軍神と対戦した」とか「何の因果か、ダイス運が滅茶苦茶悪かった」とか、「うっかり戦線に大穴開けた」とかいった場合、負けって結果が出るようにする必要もあるだろう。もっとも、これは要するに「ド素人は絶対勝てない=初心者に敷居が高い」となりかねないわけだけど。その上更に、「最初から引き分け狙い」などという消極的プレイが難しいと望ましい。サッカーの場合、最後の条件はあまり満たせていないことに注意。
 
 そして…残念ながら?最後に来るのが「直感的わかりやすさ」だ。「勝利条件なるものに何を要求するのか」を考えてゆくと、そうならざるを得ないと思う。実際、スポーツを見たってそうなっているような。野球やサッカーはわかりやすいけど、「判定が重要な格闘技」(ボクシングとか)だと「素人ではわかりにくい試合が出てくる」し、ましてや「判定が全て」の競技(体操だのフィギュアスケートだの)になると、ド下手とメダリストの違いまではわかるけど…って世界になってくる。
 
 もっとも、だからといって「直感的わかりやすさは犠牲にして良い」とまでは言えない。レース系の競技は「最初にゴールした奴が一番」という「わかりやすさ」を維持しつつ、競技が成立する程度に平等にしようと頑張っているモノもあるわけで。F1はこれをやりすぎた?結果「ホンダが見捨てたチームが独走状態」とかいう、ある意味ワケわからん結果に陥ったぐらいだ。一部では「ホンダが見捨てたから勝てるようになったんじゃ?」とまで言われているらしいけど。
 
 レース系の競技の場合、「勝敗の直感的わかりやすさ」を優先したあげく、ものすごい不平等がまかり通っている世界もある。競馬だ。競走馬の値段で考えた場合、不平等もいいところである。野球やサッカーでさえ「球団単位の年俸格差は数倍程度」なのに、高い競走馬と安い競走馬だと百倍近い差があるワケで。その値段が競走成績に直結するとは限らない(そこが面白いところである)けど、どう考えても無関係ではない。これは露骨なまでの「不平等」ではあるけれど、だからってこれを是正しようと考える馬鹿はいないはずだ。それもまた競馬だからして。
 
 勝利条件は、平等(バランスが良いという意味で)で、わかりやすい方が良い。これは間違いない。ゲームデザイナーとしては、そういう勝利条件を追求するよう、努力すべきだと思う。ただ、それは実は簡単にできることではなく、下手にやろうとすると別の何かが犠牲になりかねない…って部分は、ある程度覚悟する必要があるだろう。最悪の場合、その犠牲になるモノが「大事な部分」ってなりかねないわけで。それやこれやを考えた場合、「勝利条件ってのは、単純でわかりやすいに越したことはないけれど、無理にそうしてはイケナイ。でも、可能な限り単純でわかりやすくなるよう、努力するのは忘れないでね」という、「何が言いたいのかサッパリわからないんですけど」みたいな結論になっちゃうのかなと。これは、私の「文章をまとめる力」がないから…じゃないと思ってイイでしょうか?

5月17日2009/05/18 02:57

 ここで来るかウオッカ。ドバイでの「見事な負けっぷり」から嫌ったんだけど…要はこの馬、「海外は嫌い」なのか?安田記念ではまたド本命なのかねえ…エジプシャンラーは回避しちゃう(コーツィーが「流石に日本は遠い」と言ったからか?)し…
 
 本日の話題は、ミツバチについて。最近一般のニュースでも大きく採り上げられるようになってきたので、あえて「マスコミ批判」としてお届けしようかと。
 
 最近、「ミツバチが減って困っている」ってニュースが流れている。読者の皆様も見たことがあるんじゃないかな。詳しい原因は、実はまだ不明。農薬説・寄生虫(ダニのたぐい)説などが有力ではあるけれど、まだよくわかっていないらしい。
 
 実はこの問題、発祥は海外である。米国なんかじゃ、かなり深刻な問題になりつつあるらしい。そのため、数が減ってきたからって安易に輸入すら出来ない。地域的な問題なのか、世界規模に広がるのかは注目の的だったんだけど、日本でも騒がれ出したってコトは世界的な問題だったようだ。せめて、これが原因の特定に多少なりとも役だってくれることを望みたい。
 
 ミツバチがいなくなるってのは、何もハチミツがどうこうって問題だけじゃない。農作物の受粉にミツバチを使っているモノは多いからねえ。日本においては、果物生産に悪影響が出ているらしい。今はまだ大打撃ってレベルじゃないらしいけど、下手したらそうなりかねない…ってんで騒ぎとなり、マスコミが報道しだしたわけだ。
 
 私の意見?正直言おう。私はこの問題、結構早い段階(自慢できるほどじゃないけど)から知っていた。正確な書名は忘れたけど、この問題を論じた本が和訳されて本屋に並んでいたので。なんだか「話題の書」扱いされて目立つところに置いてある本屋もあるけど、その本屋が片隅にひっそり置いていた時に読んだのだ。何故そんな本を…と言ってはイケナイ。そーゆー本を読むのが私の性だ。
 
 よって、この問題が「いずれ日本にも波及してくるかも知れない」って危惧は持っていた。でも、私は「日本における影響は、小さいモノで留まってくれるに違いない」と予想していた。農業従事者や一部の好事家の間で話題にはなっても、一般向けニュースで報道されるような事態には発展しないのではないかと。その点、私の予想は裏切られたことになる。
 
 何故私は「影響は小さい」と予測したのか?日本の農業において、ミツバチは重要じゃないと思っていたから…ではない!その程度の認識しか持たない奴が、話題になる前からミツバチの本を読むワケないでしょが。チャンと別の理由がある。「日本には日本のミツバチがいるから」だ。
 
 今問題となっている「ミツバチ減少」問題は、セイヨウミツバチに限定した話である。のハチは「比較的気性が大人しく、ミツを集める能力も高く、群れの性質が人間にとって扱いやすい」ってな理由から、世界中で利用されている。もちろん、日本も例外じゃない。「数が減った、どーするんだ」と騒いでいるのは、あくまでセイヨウミツバチの話である。
 
 この世にセイヨウミツバチしかいないって言うのなら、セイヨウミツバチの減少=ミツバチの減少であり、本当の意味で大騒ぎになる。でも、少なくとも日本には、土着のニホンミツバチがいる。こいつらは気性が荒くてミツをあまり集めず、おまけに人間の都合を考えず勝手に分蜂(古い女王蜂が働き蜂の一部を連れて独立すること)しやがる…と、人間が利用するにはあまり適していないので、一部の「伝統産業としてニホンミツバチ飼ってます」って農家などを除いてあまり利用されてない。けど、利用はゼロじゃないし、その気になれば調達するのはそう難しくないはずだ。なにせ「野良」としてそこら辺にいるんだから。
 
 外国からよく似た種を導入した場合、野生化して土着の種が絶滅の危機に瀕する…ってのは、哀しいけれどよくある話。でも、ミツバチに関しては当てはまらなかった。その理由として、ミツバチの天敵スズメバチの攻撃に対し、ニホンミツバチの方が迎撃能力が高いからだとされている。具体的な迎撃方法は各自で調べてみて下さい。面白いよ。
 
 確かに、ニホンミツバチはセイヨウミツバチと比べて扱いにくい。安易に「ニホンミツバチがいるじゃないか」と言うのは、何かが違うとは思う。けど、「背に腹は替えられない」となったら、そんなコト言っている場合じゃない。セイヨウミツバチの「大量死」が日本にも波及してきたら、これはこれで大きな問題になるけれど、一般ニュースが扱い出すほど深刻になる前に「ニホンミツバチがいて良かった」となるのでは…と思っていたわけだ。
 
 ところが。現実は一般ニュースで大騒ぎしている。しかもその論調は「ミツバチがいなくなった、どーする!」ってだけ。海外での事情を詳しく説明するでもなく、原因究明をするわけでもなく、「日本土着のミツバチは利用できないのか?そうした場合の問題点はドコにあるのか?」などを紹介するわけでもなく、ただ騒ぐだけ。どうなっているんですかこれは。
 
 なお、「セイヨウミツバチが駄目なら、ニホンミツバチを…」って意見は、私だけのオリジナルではないようだ。その証拠に、ちょっと前に新聞に「ミツバチ盗難が相次ぐ」ってニュースがあり、盗まれている対象は伝統産業もしくは個人の趣味として飼われているニホンミツバチって話があったので。…賢いと言えば賢いと思うけど、なんか間違っているだろそれ。第一、マトモに飼えるのか?セイヨウミツバチより扱いにくいのは間違いないのに。
 
 果物の受粉作業自体は「いざとなったら人間でも出来る」作業でもある(すげータイヘンだと思うけど)ので、今のところ「困っている、深刻だ」とは言っても、日本産果物の値段がアホみたいに跳ね上がるってレベルには至っていないようだ。しかし、セイヨウミツバチがこのままドンドン数を減らしてゆくようなことがあったら、そうなりかねないのは事実。でも、本来日本では「そうなるはずがない」のだ。ニホンミツバチがいるから。飼育ノウハウもゼロじゃない。うまく切り替えに成功すれば、少なくとも「果物農家の破滅」はあり得ないはずなのだ。
 
 それを考えてゆくと、「農水省は何やっていたんだ?」って話が出てくる。単に「生き物の話は好き」ってレベルの人間が「ミツバチ減っているのか、日本に波及したらタイヘンだなあ」って知っているぐらいだ。連中に「知らなかった」などとヌカす権利はない。コトが生き物の問題である以上、日本のセイヨウミツバチが安全って保証はドコにもなく、実際日本にも波及してきている。その影響を評価し、必要ならば対策を考えるのが行政の仕事だと思うんだけど、それがほとんど報道されないのは何故?また、そこで出てくる対策として「ニホンミツバチの利用」ってのは考慮されて当然だと思うけど、そんな話が報道されないのは、マスコミが無知なだけですか?それとも農水省も「何もしてない」の?
 
 種としてのセイヨウミツバチが絶滅するなんてコトは、万が一にもあってはならない。そのため世界各国で協調して対策を考えるべきだろう。それと平行して、このミツバチ減少が「長期的に続き、激減は避けられない」のか、「一時的なモノ」なのか見極め、前者であればトウヨウミツバチ(ニホンミツバチはこの一種)への切り替えも視野に入れる必要がある。しかも、世界レベルで。ニホンミツバチが野山を飛び回り、しかも飼育ノウハウも一応ある(伝統的な、古いモノなのかも知れないけれど)日本の場合、「ミツバチの切り替え」は比較的容易な国のハズだ。極端な話、近い将来セイヨウミツバチが絶滅危惧種の仲間入りを果たしたとしても、「日本の果物産業は大丈夫」なはずだ。そうでなかったとしたら、農水省の怠惰以外の何者でもない。そんなコトになるほど、農水省は無能じゃないと思うけど。
 
 ミツバチ減少問題に関しては、最低でも「世界全体の問題、世界レベルでの対応が必要」「農水省の対応も重要」「ニホンミツバチへの切り替えとその問題点」まで報道して、やっと「キチンと報道したことになる」と思う。けど、実際は…ここに「日本の危機管理がなってない理由」を見いだせるような気がするんだけど、どうかね。
 
 なお、「たかがミツバチのことじゃん」と思わない方が良い。当事者にとっては死活問題である以上、同じ問題は人間に関する現象でも当てはまると考えるべきでしょ。そんなわけで、新型インフルエンザに対しては、色んな意味でもう少し冷静になった方が良いと思うぞ。

5月21日2009/05/22 03:50

 POG資料の検討が忙しく、つい更新がご無沙汰に。いけませんねえ。ちなみに今年のPOGドラフト方針は「ベタで行きます」とだけ言っておこうかと。
 
 本日の話題は、あえてタイムリーに裁判員制度を。私はこの制度に反対ではあるけれど、始まっちゃった以上、文句を言っても仕方ない。「もし自分が選ばれたら、何が出来るのか」を中心に、考えてみようかと。
 
 私は制度に反対なので、できれば裁判員はやりたくない。でも、流石に「呼び出しに出頭しない」といったことはやらないつもり。陪審員制を採用している国もあるくらいだから、「悪法」と言っても、従う義務を感じない…ってレベルではないと思うので。いずれ見直しの機会があるはずなので、その時点で反対を表明すれば良いだけの話だ。まあ、今度の選挙で「この制度を推進した最高裁判官」にペケつけるぐらいはするかもしれないけど。
 
 裁判員ってのは、「呼び出されたら裁判員に決定」ではない。選任手続きがある。ここでハネられればいい。裁判官・検察・被告弁護人は、面談の末「理由を裁判員候補者に告げずに」この人は駄目だと拒否する権利があるのだ。よって、この時点で「どう考えても選ばれそうもない」ことを主張すれば、おそらくは選ばれずに済む。もし「該当する理由がないので辞退は認められないから出頭したけど、どーしても裁判員なんてやりたくない」なんて人なら、この時に真顔でトンデモネーこと言えば、裁判所の方から「帰っていいです」と言ってくれるはずだ。もっとも、「常識的社会人」がコレを実際やるのは、実は結構キツいと思うけど。
 
 一応私は「消極的にだけど、死刑制度には反対」なので、「たとえいかなる事情があろうとも、死刑判決は出しません。」と真顔で言い放つことが出来る。この時点で、よほどのことがない限り、検察側が「外してくれ」と言うんじゃないかな。裁判員制度が適用される事件って、検察の求刑はかなり重い(死刑もしくは無期懲役)はずだし。オマケに「思想信条から裁判員制度に反対」だから、選ばれちゃう可能性は低いんじゃないかと。一応それなりの理論武装は出来ているので、「裁判員になりたくないから言っているだけ」とは思われないんじゃないかなあ。
 
 それでも選ばれちゃったら?まあ、これでも一応は法学部出身だ。仕方ないから、真面目に事件に取り組むしかない。すげー憂鬱だけどね。事件そのものも憂鬱だけど、「証拠品」としてグロいモノ見せられる可能性があるのが憂鬱。事件とマトモに向き合うためには、そーゆーモノ見せられるのも仕方ないと、理屈ではわかるけどさあ…こーゆー感情は被害者にも被告にも「申し訳がない」気がするけど、こちらの生理的な問題だからなあ。「法曹関係者と違って慣れも覚悟もない一般市民に、そんなものと向き合わせるんじゃねーよ」って気持ちはありますね。
 
 ついでに言えば、精神鑑定だのDNA鑑定だのに「シロクロつける」のも、なんかイヤ。こういうモノって実は「クロシロはっきりした答えが出る」とは限らないものだから。マトモに向き合ったら、確実に神経すり減ります。その辺の判断は裁判官に任せればいいのかもしれないけれど、「あの裁判官、実は素人相手だと思ってテキトーなことヌカしてないか?」とちょっとでも疑っちゃったら、地獄道だろうね。後々上訴審で「鑑定結果の判断が間違っていた」なんて言われたら、裁判官の意見を丸呑みしたコッチも気が重い。その可能性は低いと思うけどさあ。
 
 まあ、有罪無罪についてはあまり悩まなくて良いとは思う。割合から言えば「有罪か無罪かで争っている」裁判はあまり多くないはずなので。よほど運が悪く?ない限り「私がやったと認めているので、刑は軽くしてくれ」って裁判になるんじゃないかな。ただ…「どう考えても死刑」って事件だと、ダメモトで「無罪を主張」って例も出る(下手すると裁判員制度のおかげで増える)だろうから、実際問題としてどうなるのかはわからないけど。
 
 もっとも、広い意味での「量刑判断」となると、私の手に負えるかどうか…ハッキリ言おう。「私がやった(から被害者は死んだ)」と、「被告は殺人罪」はイコールじゃない。まず「殺人罪」なのか、「傷害致死」なのかで話はかなり変わるし、「過失致死」だと罪は相当軽い(あくまで殺人と比べてだけど)。この辺の判断は、下手すると裁判官同士でも意見が割れます。そういう難しい事例を「市民の視線で判断して下さい」って言われても…「わかるかそんなの。プロである裁判官が判断することだろ。コッチを巻き込んで責任回避するつもりか」ってのが「市民の視線での判断」だと思うけど。
 
 まあ、「過去に行われた、似たような事件の裁判ではどう判断したのか」、つまり判例はある程度説明してくれると思う。多分どこかで検察・弁護士双方が「自分にとって有利な判例」持ち出して説明してくるはずだし、そのどちらを当てはめるのが「より適切なのか」は、裁判官が理屈付きで説明してくれるんじゃないかな。とりあえずはそれが「判断材料」になるのでは。自力で見つけたか、他人に提示されたのかって違いはあるけど、要はプロも「判例」を重要な判断材料にしているわけだから。
 
 とりあえず、もし裁判員として呼び出しを喰らったら、裁判所や法務省のサイトにある広報用の映像を見るといいんじゃないかと。場合によると、DVDもしくはビデオを送りつけてくるかも知れない。何なら、法務省関連施設か裁判所に電話して「裁判員に選ばれた。資料映像見たいから送ってくれ」と請求すれば、何とかなるような。ある意味では「嘘くささ満載」かもしれない(そりゃーPRで「この判決を一生背負って生きてゆくのか」なんて話はしないからねえ…)けど、参考にはなるんじゃないかと。なお、「裁判員制度に反対する立場の人間が作った映像」がネット上にあるのかどうかは知らない。探せばありそうではあるんだけど。
 
 法律の専門書は…特に読む必要はないと思う。必要なことは説明してくれるはずだし。法律の専門書って、需要が少ないから案外高いんだよ。どうしてもって言うのなら、ア○ゾンの書評で「大学生向け」とある本を選ぶといい。まあ、送料含めても弁護士に法律相談するよりはやや安いはずだ。なお、本屋でじっくり立ち読みして買う本を決めるのはオススメしない。見る奴が見れば「裁判員として選ばれたな」ってわかっちゃう。大学生っぽくないのに刑法の専門書読む奴なんて、他に考えにくい(苦笑)。
 
 実際「呼び出し状」が届くのは、まだ先の話だとは思う。けど、選ばれちゃう可能性はあるんだから、ある程度「選ばれたらどうする」って話は考えておいた方が無難かな。なにせ「選ばれたら、気の重い事件に関与すること確定」だからして。私は一応「オレを選ぶほど、裁判所は馬鹿じゃない」と考える根拠があるけれど、実際どーなのかは…やっぱりバッくれた方が良いのかな(おい)。