4月24日2009/04/25 01:01

 D&Dの作者の1人である、デイビッド・ランス・アーンソンがお亡くなりだそうな。しみじみ。ゲイリー・ガイギャックスも昨年亡くなられたそうだし。疑いようもなくアナログゲーム界の大傑作を作ったコンビが世を去ってしまったのは、哀しいねえ…つーわけで、追悼として、あくまで私の知る範囲で「D&D」ってゲームを語ってみようかと。
 
 D&Dってのは、略称である。正式名称は「Dungeons&Dragons」。直訳すると「迷宮と竜」かな。テーブルトークRPGの元祖と言われている…んだけど、これはある意味正しくない。
 
 いやね、「最初のテーブルトークRPGって何か?」と聞かれたら、やはりこの作品の名を出すのが普通だし、それは間違っていないような。ただこのゲーム、最初っからRPGだったとは言い難い。最初は「冒険者集団を操るプレイヤーVS迷宮の怪物を操るプレイヤー」って図式の、ボードゲームの変形だったのだ。昔懐かしの「赤箱」ルールブックを丹念に読んだ経験がある人なら、これは納得してもらえると思う。
 
 ちなみにこの話題で赤箱と言えば、TSR(この色の話題に詳しい人にもおなじみ)から出た、基本セットのことを指す。新和って会社から日本語版が出た時、箱絵その他は英語版を完全に踏襲してたからねえ。私のような年代の人間にとっては、おなじみの呼び名だ。ただ、より若い層は富士見文庫版しか知らないし、「最近の若い者」になるとホビージャパン版しか知らないはずだ。しみじみ…
 
 D&Dが「真の意味でRPGになった」のは、青箱(エクスパンション)の頃からだろう。私の記憶が正しければ、この頃からやっと「テーブルトークRPGっぽい」ルールが増えてきたような。冒険の舞台も迷宮だけじゃなく、野外を含む「世界全体」に拡張されたわけだし。その後コンパニオン(緑箱)で領地経営の概念が、マスター(黒箱)でウエポンマスタリー(武器習熟)のルールが入って…最後のイモータルで「不死者への道」が説明されているんだったっけ?流石に記憶あやふやだなあ。
 
 今現在、このゲームの日本語版はホビージャパンから出ている。これまたしみじみしちゃう話だ。その昔、この会社が「D&D日本語版」を扱えなくて悔しがっていた時代を知っているからねえ。この会社、今現在なんかワケわからん方向に走っているけど、D&Dに関しては思ったより真面目に取り組んでいるような。やっぱり、「昔取り扱えなかった」恨み?は忘れてないのかな。
 
 今から思い返せば、D&Dってゲームは案外複雑なルールだった。魔法のルールなんてほとんど覚えていないんですけど(苦笑)。元々が「個人戦闘シミュレーションゲーム」に近いトコロから生じているからねえ。昨今のテーブルトークRPG事情はよくわからんけど、どうやらもっとシンプルなルールのものが好まれているような。まあ、それが「時代」なのかなと。他に娯楽が少ないからとはいえ、当時良くあれだけのルールを理解できたよな…って、より複雑なルールで有名なシミュレーションゲームを今でもやり続けているわけだけど。
 
 少し、私が「愛用した」キャラの話をしよう。私の愛用キャラは戦士だった。ルールあんまり覚えなくていいから…ってのもあるけど、むしろ「パーティー人数が少なくても何とかなるから」って事情が大きかった。コンシュ-マーRPGしか知らない人間でもわかると思うけど、魔法使いだの盗賊だのは、あまりに打たれ弱いので、「生きた壁」(戦士などのこと)抜きだと使いにくいからねえ。その点戦士ならば、「ザコ相手に大騒ぎ」って事態に陥ることは少ないので、話を進めやすかったのだ。
 
 ただまあ、いわゆる「ボスキャラ」相手にそれでいいのかと問われると…真っ向勝負じゃ厳しいので、色々小賢しい知恵を振り絞って何とかした(苦笑)。ボスキャラクラスなら「話をする」余地はあるのがフツーだし、必要ならば奇襲・不意打ち・待ち伏せといった「卑怯技」を使うまで。「いかに格好良く勝つか」なんて概念は皆無に等しく、「いかに楽して勝つか」を追求しまくったもの。この辺、「根がウォーゲーマー」ってことなのかもね(違う)。ただまあ、当時の私が「テーブルトークRPGってのは、戦闘を中心とした個人生活のシミュレーション」だと公言してたのは事実かな。
 
 今現在私はこのゲームをプレイしてない。個人的には「完全に足を洗った」つもりはないんだけど、とりあえず積極的にプレイ相手を探す気になれないし、誘ってくる人間もいない。その理由?やっぱり「人間関係がウザい」からかなあ。ウォーゲームの場合、多少プレイスタイルが違っていても、とりあえず「勝利条件を満たそうと努力する」って部分は共通しているのが普通(「そうじゃない」プレイをする場合、相手の同意を得るのが礼儀だと思う)なので、技量にかなりの格差がない限りは「人間性に問題がなければプレイ相手として問題はない」となる。けど、テーブルトークRPGの場合は「人間性に問題がない、あるいは少ない奴でも、プレイスタイルが合わないと一緒にプレイしていて辛い」場合があるからねえ。正直、見ず知らずの人間相手に飛び込んで…ってコトがやりにくいんだな。あくまで私に限った話かも知れないけれど。
 
 D&Dってゲームについては、このゲームそのものよりも、「後の世に残した影響」が語られることが多い。まあ、要はコンシューマーRPGってのはD&Dに影響を受けて生まれたようなものだからね。一般人に理解可能なトコロに話をまとめようとすると、そう語った方が話が早い。でもまあ、ココはそーゆー場所じゃないので、D&Dそのものについて語ってみたわけだ。昔は良くプレイしたし、今も機会があったらプレイしたいとは思う。けど、相手を見つけるのはウォーゲーム以上にタイヘンな気がするんだよね。それは正直ちょっとだけ寂しいかな。ある意味「忘れていた寂しさ」ではあるんだけど、哀しいニュースのおかげでちょっぴり思い出してしまいました。しみじみ…