12月20日2008/12/20 16:06

 本日は特殊事情により、ベラボーに早い段階での更新である。まあ、私にも色々あるってコトで。なお、ネタ的にはかなり以前から温存していたモノである。
 
 コマンドマガジン84号が送付されてきた。一応連載している最中なので、献本が来るのだ。余談だけど、私は「本・雑誌ってものは店頭で買うものだ」と固く信じているので、こういう特別な事情がない限り、本・雑誌が送付されてくるコトはない。
 
 この84号、私としては「待ちに待った」号である。付録ゲームが…記事の内容が…というのは、実はあまり関係がない。いや、もちろん毎号楽しみにしているし、今回はモスクワ戦特集(付録ゲームもモスクワ戦)だけに、普段以上に興味深かったのは事実だけど、それはある意味「いつもの」話。今号が特別なのは、私が自分の記事で「問題発言」やらかしたからである。もちろん、意図的に。
 
 私の記事の、ドコに問題発言が?全体がそうだ…という話はさておく。改めて見直すと、囲み記事と図表の位置を多少変更してもらった方がより良かったか…ってな反省もさておく。こういう反省は、私にとっては重要(まだ連載は続くし、今後も記事書く可能性があるんだから)だけど、ここで採り上げるような話題じゃない。純粋に私の内面的問題だ。
 
 問題発言は、最後の章「私なりのベスト戦略」ってトコロにある。ここで私は「自分なりのベスト戦略はコレだ!」ってのを紹介した。にもかかわらず、「でも、自分が実際プレイする時には、おそらくやらない」と付け加えた。自分なりのベストを紹介したにもかかわらず、それを自分で否定したのだ。これはこれで問題のある発言でしょ。
 
 何故そんなコトをしたのか?理由としては単純。いくらベスト戦略と言えども、対戦相手に「この手で来るはず」と完璧に読まれたら、その時点でベストとは言い難いからである。何をしてくるのか予想されず、そのため相手に幅広い対応を強要した方が、明らかに勝るからね。今回私が推奨した戦略は、「史実に毛の生えた、私の記事とは無関係に、みんな研究していそうなモノ」だったりするので、あえて「お互い研究してある戦略じゃなく、お互いよくわかってない戦略で勝負する」と宣言してみたのだ。
 
 これは、我ながら極端な態度だとは思う。それは否定しない。記事にも「極端な態度」だと注釈を入れた。根が博打打ち(馬券買うからなあ)だからか、私は「あえてお互いの読みを外した」戦略を採用し、お互い手探りの乱戦に持ち込むことを好むので。「そんな奴が作戦研究記事なんて書くな!」と言われちゃいそうだけど。
 
 正直に言えば、こんな話は心の奥底にしまい込み、しれっと「コレがベスト戦略です」とだけ語っておくに留める…って手法も考えた。作戦研究記事の作法を考えれば、この態度こそが正しかった気もする。けど、実は以前から「自分なりのベストな戦略を紹介しつつ、自分でそれを否定する」ってな記事を書いてみたかったんだよね。
 
 前から思っていたことではあるんだけど、ウォーシミュレーションゲームの作戦研究って、結構「幅が狭い」モノが多い。確かに、多彩な作戦案全てを語ろうなんて考えたら、紙面がいくらあっても足らないし、そもそも研究している時間もない。それに、いわゆる「無理筋の戦略」を指摘して削ることも、作戦研究の使命の1つだ。それらを考えれば、幅が狭くても仕方ないとは思う。でも、その結果として「将棋で言えば矢倉の研究ばかり」に終わってしまっているのも、事実である。
 
 それを端的に示しているのが、かなり前のコマンド誌に掲載された「Break out Normandy」の作戦研究だ。この記事及びそこで提唱されている研究自体は良くできたものではあったけど、これとは全く異なる方針でのプレイを定石としていたプレイヤーから、「こういう方針のプレイヤーに遭遇したらどーなるのか?」って質問状が叩き付けられていた。当然それに対する回答も掲載され、結果として更に素晴らしい記事になったと記憶している。惜しむらくは、具体的に何号に掲載されたモノなのか、私が覚えていないことだ。私の持っている古いコマンド誌は、簡単に発掘できるワケじゃないからなあ…
 
 このやりとりを読んだ時に、私は考えた。確かに、「コレがベストだ!」と主張する作戦研究にも、大きな価値がある。でも、あえてベスト戦略を提示するのではなく、「この手は駄目だけど、こういう手は成立します、別のこういう手も成立します。でも、成立する手のドチラを選ぶのかは、プレイヤーが自分で選んでね」って感じの作戦研究って、成立するのではと。まあ少なくとも、実験を兼ねて?チャレンジしてみる価値はありそうな気がした。誰かそういう記事書いてくれないかな…と思っていたら、時は流れて今に至り、自分でそーゆーモノを書く羽目に陥ったわけだ。
 
 実を言えば、この号の記事は私にとって「難産」だった。PC不調&体調不良に悩まされた時期の産物だったのが大きいけど、書き直しも多かった。最初に編集部に送ったモノも「手直しじゃなく、全面的に見直してくれ」って指定付きで送り返されてきたし、それ以前・それ以降に、自分でボツにしたモノも山ほどあったりする。一時期は何を書いていいのか見失い、途方に暮れたくらいだ。
 
 それを考えれば、やはり作戦研究ってモノは「コレがベストだ!」って手を紹介するよう心がけた方が、結局は手っ取り早い。私の今回の記事も、基本部分はそういう方式に近づけた。その方が説明しやすかったからね。ただ、一応は「デメリットを承知の上で、相応の対策を心がけるのなら、」多彩な手が成立します、独軍はそれを相手に意識させるのが大切で、連合軍は独軍がどんな手を使ってきても、対応できるようにしなくちゃいけません…ってな主張も、ある程度盛り込むことに成功したんじゃないかなあ。そうでなけりゃ、多分編集部からOK出てないのでは。
 
 まだ自分の記事を冷静に振り返るのは難しいので、今回の記事の出来についてはよくわからない。現段階では世間の評価もよくわからない(前回の分すらロクに聞いてない)し。ただ、苦悩の末に生まれた原稿だけに、出来の善し悪しとは別に「可愛い」のは事実かな。不細工で成績も悪く運痴だとしても、「難産の末に生まれた私の子供」だからねえ。読者の方々にとっては「関係ない」話かも知れないけれど、作者の私にしてみれば、そこかしこに「自分が苦労した跡」が残っているのだ。読み返すと、それが自然とわかっちゃう。しかも、難産の理由は私の野望(というホドのものじゃないけど)だ。たとえ総合的には失敗作であったとしても、それゆえに「私が読んでみたかった記事」に一番近づいた存在とも言える。
 
 「オレはこういう記事が書きたいんだぁ!」って感情は、商業誌に原稿を書く上では、プラスにもマイナスにもなり得る。そういう気持ちがないと原稿なんて書いていられないのは事実だけど、それが強すぎるといい記事が書けなかったりもする。その辺のすったもんだは、やっぱり経験してみないとわからないコトかな。それが経験できただけでも、今号の記事は私にとって大きかったと思う。
 
 ただ…世間の評価は気になるよねえ。自分の中で「大きなヤマ」と位置づけていた第三部の記事が「通った」だけに、そろそろ世評が気になってきた…今までは開き直って、「とにかく編集部に認めてもらう」コトだけ気にしていた(これはこれで正しい態度ではある)けど、世間的にはどうなのか…特に今回は「あえて」問題発言しただけに…記事書いている時は「こーゆーのもアリじゃない?」程度に考えていたんだけど、発売されたら気になり始めたんですが…

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